約20億年前、生命は未曾有の危機に襲われます。地球史上最大の絶滅になったはずです。しかし、その危機を乗り越えた生物は、大きな飛躍をすることになったのです。
生命の絶滅は、それまで生きていた生物がいなくなることによって、その絶滅の規模が考えられます。絶滅した生物の種類数などの統計によって、その絶滅の程度がわかります。あるいは、その後に出現した新しい生物の種類数でも、絶滅の程度が推定できるかもしれません。しかし、絶滅した生物の種類数も、その後の出現した生物の種類数もわからないときは、絶滅の規模は想定できないのでしょうか。
そのような情報がなくても、大絶滅があったであろうことが想定できるときがあります。それは、大規模な環境変化があったときです。近年話題に上っている地球環境問題などの比ではなく、とてつもない環境変化が起こった場合です。
約20億年前、その大異変が起こりました。28億年前に起こった激しいマグマの活動によって、陸地がたくさんできました。それまで地球の表面には、列島程度の大きさの陸地はたくさんあったのですが、あまり面積として多くなかったと考えられています。ところが激しいマグマの活動によって、大陸と呼べるような陸地がいくつもできました。すると、陸地の周辺にはたくさんの浅い海ができました。
浅い海には、太陽の光が届きます。そんな環境に適応した生物として、光合成をする生物が生まれました。そんな生物がつくった岩石としてストロマトライトというものがあります。ストロマトライトとは、シアノバクテリアがコロニーをつくって住んでいた場所にできた地層のことです。このストロマトライトが20億年ころに大量に見つかります。つまり、浅い海には、光合成をする生物が大繁栄をしたことを意味します。
光合成生物が大繁栄するということは、大量の酸素が作られるということです。それまで地球上には、酸素がありませんでした。二酸化炭素と窒素を主成分とする大気を持っていました。ですから、海水にも酸素が溶け込んでいませんでした。ところが光合成をする生物の大量発生によって、今までない酸素が大量に海水中に放出されたのです。
酸素がそれほど多くないときは、環境にそれほど影響はありませんでした。酸素は、海水中に溶け込んでいた鉄のイオンを酸化することによって、消費されていました。鉄イオンがある限り、海水中の酸素はできてすぐに使われてしまうので、それほど増えることありませんでした。しかし、やがて海水中にとけている鉄が使い尽くされるときがきます。その時、大きな環境の変化が訪れます。
酸素は、生物にとっては有害なものです。体の中に入ると、体の成分が酸化されて別のものになっていきます。そうなると生存ために必要な機能が失われます。もちろん、そんな生物は死んでしまいます。
海水中に酸素が増えていくということは、今まで海で生きていた生物は、今までの生き方では、もやは生きていけないことを意味します。生き延びていけるのは、酸素を解毒できる生物だけです。一番最初に酸素を克服した生物は、細菌の仲間(好気性細菌)だと考えられています。酸素をうまく解毒し、利用することもできるような生物が誕生したのです。
あるとき、そんな好気性細菌が他の生物と共生をします。つまり、酸素を苦手とする生物(嫌気性生物)が、自分の体の中に、好気性細菌を取り込みます共生の始まりです。好気性細菌は嫌気性生物の体内の酸素を解毒します。嫌気性生物は住みやすい環境と栄養を好気性細菌に与えます。葉緑素をもつ光合成生物はやがては植物に、葉緑素を持たない生物は動物になっていきます。好気性細菌は、今では細胞内のミトコンドリアとして、多くの生物が持っている組織となっています。
このような共生関係が果たせなかった生物は、死ぬか、酸素のない限られた環境でしか生きていけません。このような形成関係を結べる生物は少数派だったでしょう。ですから、ほとんどの生物は、この環境変化に耐え切れず、絶滅したはずです。
酸素の形成は、地球史上もっとも大きな環境変化がおこったのです。それは、酸化地獄とも呼んでいいほどの環境の激変でした。それに伴う絶滅は、地球史上最大のものだと考えられます。20億年前の生物の化石は少なく、種類数も充分把握できていません。ですから、どの程度の大絶滅があったはわかりません。
酸素を利用しない生物がブドウ糖(1mol)から作り出せるエネルギーは50kcal程度なのに対し、酸素を利用する生物はミトコンドリアの働きによって700kcalものエネルギーを作り出せます。エネルギーで見ると10数倍も効率がよくなったのです。酸化地獄をなんとか生き延びた生物は、その副産物として大きなエネルギー効率を手に入れたのです。私たちの祖先もその生き残り組みでした。生物とは逞しいものです。
2003年12月11日木曜日
2_25 最初の生命
約38億年前の地層からは、まだ生命は発見されませんでした。では、現在、多くの研究者が認めている最古の生命は、どこにいるでしょうか。そんな話題を紹介しましょう。
堆積岩が最古の生命探しの重要な素材になります。ですから、38億年前の最古の堆積岩が、最古の生命探しの舞台となりました。でも、今のところ、何度も試みられましたが、まだうまくいっていません。最古の生命とは、どこから見つかったでしょうか。それは、やはり、堆積岩の中でした。それも、いろいろ問題のある堆積岩なのです。
最古の生命は、西オーストラリアのマーブルバーの西にある約35億年前のダッファー層の中から、発見されました。1978年に、ダンロップ(J.S.R. Dunlop)が、直径数μmの球状の化石を数百個発見を発見しました。化石の形から、シアノバクテリア(藍藻類)と考えられました。
その中には、2つや4つに細胞分裂しているものも発見されていました。また、同じ地域から、1987年にショップとパッカー(J. W. Schopf & B.M. Packer)が、タワー層とアペックス玄武岩層中のチャートから、球状のコロニーのような化石と繊維状の化石を発見しました。それもシアノバクテリアの化石と考えられました。
その証拠となったのが、いちばんは形態(細胞)の特徴でした。でも、これは、必要条件ではありますが、これだけでは確実な証拠とはいえません。なぜなら、単細胞の形は単純で、生物の作用でなくも(無機的に)、そのような形のものは、できるかもしれないからです。ただし、細胞分裂しているような形態は非常に重要です。なぜなら、複雑だからです。
ショップらは、形以外に、化学成分を証拠として示しました。バイオマーカーと呼ばれるものです。
バイオマーカーとは、生物指標化合物ともよばれます。化学的に安定な炭化水素(炭素と水素の化合物)を、生物の指標として考えようというものです。炭化水素の炭素同位体は、生命起源の研究には、非常に有効であることがわかっています。ですから、この炭化水素という化学成分は、化石であるという証拠として利用できます。ただし、グリーンランドの38億年前のものには、バイオマーカーがみられたのですが、否定されました。それは、無機的にでもできるからです。慎重になるべきです。
ここの化石は多くの研究者が化石であると認めています。ですから、多分、なんらかの生物であったことは確からしいのです。でも、どんな生物であったかに関しては問題があります。
ショップらは、シアノバクテリアであるという見解を示しました。それは、形やそのサイズ、地層にストロマトライト状の構造がみえるなどのことから推定したものです。ストロマトライト構造とは、同心円状の縞模様で、シアノバクテリアがつくる構造のことをいいます。
その化石がシアノバクテリアであるとなると、いくつか重要なことがわかってきます。それは、シアノバクテリアが光合成をする生物だからです。35億年前に光合成する生物がいたということは、生命の誕生はさらに遡ることになります。なぜなら、光合成という作用は、複雑な機能によっておこなわれます。ですから、最初に生まれた生命が、そのような複雑な機能をもっているとは考えられません。もっと単純な機能しかないものから、進化してきたはずです。そのためには時間が必要です。ですから、生命の誕生は35億年前よりさらに昔になるはずなのです。
その後の日本人の研究者たちが、別の説を出したのです。彼らは、化石産地周辺の地層を非常に詳しく調査しました。そして、地層ができた環境を復元していったのです。すると、地層から復元でされたのは、中央海嶺の熱水噴出口周辺の環境だったのです。
中央海嶺は海の深いところにあります。深海とは、数1000mの深さの海の底です。そんな深い海底には太陽の光は届きません。ですから、光合成をする生物はいたとしても、住めないのです。ショップらがストロマトライトと呼んだ構造も、層状のチャートの地層とされました。ですから、ショップらのシアノバクテリアの根拠がつぎつぎと崩されていったのです。
では、いったいどんな生物だったのでしょうか。そこで登場したのが、そんな深海の熱水噴出孔に好んで住む高熱性嫌気性古細菌というものです。いや、そんなところで生きていけるのは、高熱性嫌気性古細菌の仲間だけなのです。そして、そこは、生命誕生の場としてもふさわしいところでもあるのです。
なぜなら、まだ、当時の地表付近は危険でした。太陽の光は紫外線が強く有害です。海岸付近は、いつ変化するかわからない不安定な場所です。当時の地球で一番安定していて、安全なところは、深海底です。そして、海嶺の熱水噴出孔はエネルギーを大量に発生しているところです。熱水噴出孔からは、栄養もたくさん放出されます。こんなところは、初期のか弱い生物が発生し、暮らし、そしてゆっくりと進化していくにはいいところではありませんか。もちろん今でも、熱水噴出孔では高熱性嫌気性古細菌は暮らしています。
生命は、誕生間もないか弱いうちから、自分たちにとって一番安全で最適な場所を選んで生きていく能力が備わっていたのです。いやそうしなければ、生き残れなかったのかもしれません。
堆積岩が最古の生命探しの重要な素材になります。ですから、38億年前の最古の堆積岩が、最古の生命探しの舞台となりました。でも、今のところ、何度も試みられましたが、まだうまくいっていません。最古の生命とは、どこから見つかったでしょうか。それは、やはり、堆積岩の中でした。それも、いろいろ問題のある堆積岩なのです。
最古の生命は、西オーストラリアのマーブルバーの西にある約35億年前のダッファー層の中から、発見されました。1978年に、ダンロップ(J.S.R. Dunlop)が、直径数μmの球状の化石を数百個発見を発見しました。化石の形から、シアノバクテリア(藍藻類)と考えられました。
その中には、2つや4つに細胞分裂しているものも発見されていました。また、同じ地域から、1987年にショップとパッカー(J. W. Schopf & B.M. Packer)が、タワー層とアペックス玄武岩層中のチャートから、球状のコロニーのような化石と繊維状の化石を発見しました。それもシアノバクテリアの化石と考えられました。
その証拠となったのが、いちばんは形態(細胞)の特徴でした。でも、これは、必要条件ではありますが、これだけでは確実な証拠とはいえません。なぜなら、単細胞の形は単純で、生物の作用でなくも(無機的に)、そのような形のものは、できるかもしれないからです。ただし、細胞分裂しているような形態は非常に重要です。なぜなら、複雑だからです。
ショップらは、形以外に、化学成分を証拠として示しました。バイオマーカーと呼ばれるものです。
バイオマーカーとは、生物指標化合物ともよばれます。化学的に安定な炭化水素(炭素と水素の化合物)を、生物の指標として考えようというものです。炭化水素の炭素同位体は、生命起源の研究には、非常に有効であることがわかっています。ですから、この炭化水素という化学成分は、化石であるという証拠として利用できます。ただし、グリーンランドの38億年前のものには、バイオマーカーがみられたのですが、否定されました。それは、無機的にでもできるからです。慎重になるべきです。
ここの化石は多くの研究者が化石であると認めています。ですから、多分、なんらかの生物であったことは確からしいのです。でも、どんな生物であったかに関しては問題があります。
ショップらは、シアノバクテリアであるという見解を示しました。それは、形やそのサイズ、地層にストロマトライト状の構造がみえるなどのことから推定したものです。ストロマトライト構造とは、同心円状の縞模様で、シアノバクテリアがつくる構造のことをいいます。
その化石がシアノバクテリアであるとなると、いくつか重要なことがわかってきます。それは、シアノバクテリアが光合成をする生物だからです。35億年前に光合成する生物がいたということは、生命の誕生はさらに遡ることになります。なぜなら、光合成という作用は、複雑な機能によっておこなわれます。ですから、最初に生まれた生命が、そのような複雑な機能をもっているとは考えられません。もっと単純な機能しかないものから、進化してきたはずです。そのためには時間が必要です。ですから、生命の誕生は35億年前よりさらに昔になるはずなのです。
その後の日本人の研究者たちが、別の説を出したのです。彼らは、化石産地周辺の地層を非常に詳しく調査しました。そして、地層ができた環境を復元していったのです。すると、地層から復元でされたのは、中央海嶺の熱水噴出口周辺の環境だったのです。
中央海嶺は海の深いところにあります。深海とは、数1000mの深さの海の底です。そんな深い海底には太陽の光は届きません。ですから、光合成をする生物はいたとしても、住めないのです。ショップらがストロマトライトと呼んだ構造も、層状のチャートの地層とされました。ですから、ショップらのシアノバクテリアの根拠がつぎつぎと崩されていったのです。
では、いったいどんな生物だったのでしょうか。そこで登場したのが、そんな深海の熱水噴出孔に好んで住む高熱性嫌気性古細菌というものです。いや、そんなところで生きていけるのは、高熱性嫌気性古細菌の仲間だけなのです。そして、そこは、生命誕生の場としてもふさわしいところでもあるのです。
なぜなら、まだ、当時の地表付近は危険でした。太陽の光は紫外線が強く有害です。海岸付近は、いつ変化するかわからない不安定な場所です。当時の地球で一番安定していて、安全なところは、深海底です。そして、海嶺の熱水噴出孔はエネルギーを大量に発生しているところです。熱水噴出孔からは、栄養もたくさん放出されます。こんなところは、初期のか弱い生物が発生し、暮らし、そしてゆっくりと進化していくにはいいところではありませんか。もちろん今でも、熱水噴出孔では高熱性嫌気性古細菌は暮らしています。
生命は、誕生間もないか弱いうちから、自分たちにとって一番安全で最適な場所を選んで生きていく能力が備わっていたのです。いやそうしなければ、生き残れなかったのかもしれません。
2003年12月4日木曜日
6_34 科学する心を育む
私が、北海道に転居して、はや2年が過ぎようとしています。この2年間に、私は北海道の各地を回りました。今までにはない日数を野外調査で過ごすことになりました。そんな野外の自然から感じたことを、最後のエッセイとして綴りましょう。
野外調査から研究がはじまる地質学では、野外調査に多くの時間を費やします。しかし、多くの研究者は年齢を経るにしたがって、仕事が忙しくなったり、体力も衰えたりして、野外調査の日数が減っていきます。以前の職場では、私がそうでした。年間を通じて野外調査にでることは、海外調査を除くと、年間に数日程度でした。地質学とは自然の中にある地層や岩石を詳しく調べ、試料を採取して、それを室内で詳しく調べていくというもののはです。そんな調査を10年以上おこなってこなかったのです。そんな自分が、自然や地球について市民に語っていたのです。これでは、いけないと強く感じました。
北海道にきて、私は自然に接することを心がけました。そのひとつの活動として、今まで怠っていた野外での地質調査を再開することにしました。私がいる大学は、文系の大学で、理系の教員も少なく、地質学をおこなっているのは私一人です。大学の理学部でおこなっているような地質調査からはじまる一連の研究をしていては、独創性が発揮できません。そこで、私は、特別な道具がなくてもできる野外調査を中心とした地質学をおこなおうと、テーマの模索を始めました。
でも、テーマ決定よりも、まず最初にすべきことは、自分自身の自然への回帰でした。北海道の自然によりよく接すること、つまりは自分自身の自然に対するリハビリテーションに1年間を費やしました。北海道でのテーマ探しは、その後のことです。
そして今年の春から、本格的に野外調査をはじめました。数えてみると、昨年12月から今年の11月末までの1年間で、私は55日間を野外調査に費やしたことになります。この調査時間は、地質学者として多いかどうかわかりません。多分、少なくはないはずです。もっと長時間、野外調査に費やされている方もおられるでしょうし、以前の私のように室内実験を中心にされている方もおられるはずです。なにを目的にするかの違いでもあります。私は、野外調査を研究手段として重視することにしました。
私の野外調査は、テーマも変わっていますが(あとがきを参照)、やり方も変わっています。多くの研究者は、野外調査にでるとき、一人か、あるいは共同研究者、大学院生、学生などと一緒で、同業者ともいうべき地質学を研究する人と一緒に行きます。以前の私もそうでした。
多分、自分の家族とともに出かけることは、ほとんどないでしょう。でも、私は、北海道に来てから、個人でおこなう野外調査では、可能限り家族を同伴するようになりました。もちろん、家族が一緒ではだめな野外調査もありますが。
なぜこのようなことをしているかというと、それは、私の野外調査では家族が一緒でもできるような手法であることもさることながら、子供たちが私の研究していること面白く思えるかどうかを確かめる意味もあったからです。家族同伴の野外調査を昨年の12月から数えてみると、29日になります。この日数は家族サービスにしては度を越えています。家族サービスではなく、家族の言動や反応を観察することも、私の研究だと考えていました。家族の振る舞い、特に子供たちの自然に対する行動、好奇心の持ち方、私の説明に対する反応などを、ちらちらと観察していたのです。
おかげで我が家の子供たちは、いろいろなところに出かけていきました。今年だけでも、四万十川、石狩川、留萌川、尻別川、後志利別川、沙流川、鵡川、十勝川などで、源流から河口までたどる調査に同行しています。5歳と3歳の男の子ですが、たいていのところへは、一緒についてこれました。次男が無理でも、5歳の長男であれば、たいていところは手を貸せば、崖でも藪の中でもついてこれます。かえって家内のほうが足元のおぼつかないときもあります。
調査地点につくと、私は予定の調査をはじめます。調査は30分から1時間ほどかかります。その間、子供たちは川原で自由に遊びます。石や砂、泥、水などがあれば、子供たちも家内も楽しく遊んでいます。
私が求めているのは、これです。知識などなくても、自然の中に連れ出せば、好奇心をいっぱいにして夢中になれるのです。自然は、好奇心を起こさせるもっとも手っ取り早い場であり、素材です。あとは、好奇心を探求する心へどう導くのか、あるいは科学する心を育むにはどうすればいいのか、これらが課題として残ります。これが、私の研究テーマのひとつなのです。
逆に教えられることも、いろいろあります。十勝川の川原では、十勝石(黒曜石のこと)を探したのですが、見つけたのは私ではなく家内でした。家族は見たこともない石を私から口で説明を受けただけで、探して見つけたのです。これには私も面目をなくしました。実は、私はこのあたりには十勝石が少ないだろうという先入観があったため、家族には探せといっていたのですが、内心では、ないだろうなと思っていたのです。ですから、見つけようとしていないものは、見つかるはずがありません。多くの一生懸命な目でみると非常に稀なものでも見つかるのです。家内が見つけたあと、私も目の色を変えて探したのですが、面目は立ちませんでした。
先日支笏湖に出かけました。11月中旬だったので、あちこちの道が冬季閉鎖がはじまり、通行禁止になっていました。これは誤算でした。しかし、樽前山はまだ、閉鎖されていませんでした。7合目より少し上の展望台まで子連れで登りました。大きな段差の階段状の登りがしばらく続きましたが、次男も家内、もちろん長男も登ってきました。森林限界を越えたところが展望台です。一気に展望がひろがり、きれいな樽前山やその向こう側の風不死岳の姿、さらに向こうには支笏湖と外輪山の山々が見えました。樽前山はまだ、噴気活動が活発で、火口内には立ち入り禁止です。
ここから見える山々すべてが火山の活動でできたというと、長男は理解したようです。足元にあるすべての白っぽくて軽い石(軽石)が上に見える火山から飛び出してきたものであること。あちこちに転がっている直径50cm以上もあるような大きな重そうな石(火山弾)も、噴火口から飛んできたということ。そんなことを体感できたようです。さらに、下に見える大きな支笏湖(カルデラ)も火山の噴火でできたというと、驚きをもって実感したようです。カルデラをつくるような火山活動は、今見ているような穏やかな山の姿ではなく、とんでもなく激しいものだということが、見えない過去を想像しながら、理解できたようです。
子供には地図は理解できません。カルデラの規模や外輪山の規模は、見ることでしか確認できません。でも、目で見たことは、体感的に理解できます。そして、周りの山々がすべて火山で、その中にある大きな湖から、大規模な火山の規模が想像でき、それがとんでもない事件だということを、子供にも理解できるのです。こんな気持ちを育むことが、自然のよき理解へとつながるのではないでしょうか。
自然という野外でしか見れない素材はインパクトのあるものです。生の自然を自分の目で見て感ることから好奇心が生まれます。そんな好奇心から、深く考えることで、目では見えないけれども、過去に起きた大事件がわかるのだということを身を持って理解できます。誰でも同じような感動や理解が得られるはずです。私は、そんな、感動や理解を与える方法、わかりやすく科学を伝える方法を開発したいと考えています。完成にはまだまだ時間がかかりそうですが、私の目指すべき方向です。
さて、今回がこの連続エッセイの最終回となります。最後が家族の話なのでどうしようかと思いましたが、樽前山をテーマに書き出だしたら、このような話になりました。でも、この1年間、私が力を入れてきたテーマでもあります。だから親ばかと呼ばれるかもしれませんが、掲載することにしました。
研究者としてやるべきことには、幅があります。先端の分野を追いかけて成果を上げることも科学です。ひとつの地域、ひとつのテーマを深くじっくりと追求していくことも科学です。市民にわかりやすく自然の面白さを伝えることも科学者の仕事のはずです。科学する心も芽生えさせるのも科学者の仕事です。いろいろな科学の仕事があってもいいはずです。
研究者は、研究テーマとなっている自然や、それを科学することを面白い思っているはずです。そんな気持ちをより多くの人に伝える機会や場がもっとあっていいはずです。研究の成果だけを専門家間で伝えあうことだけが科学ではないはずです。市民にわかりやすく伝えることも重要なはずです。自然や科学することが面白いと思う気持ちをより多く人に起こしてもらうこと、これを私は重要な研究テーマとして取り組んでいます。
より多くの人たちが、科学に対して理解してくれれば、その延長線上に、科学のために国の予算が使われていることも納得されるのだと思います。そんな科学への理解がより深まることを願って、このサイトでのエッセイの連載を1年間続けてきました。
もともと1年間の予定ででもあったし、ERSDACが業務の合間にホームページを作成するもの大変になってきたので、これで区切りといたします。今後、私が衛星画像とどうつきあうかは、自分自身で考えていかねばなりません。その答えはまだ出ていませんが、宇宙からの視点は、興味深いものです。子供が川原の石で好奇心をもつように、私も衛星画像を好奇心いっぱいに眺めていこうと思っています。
野外調査から研究がはじまる地質学では、野外調査に多くの時間を費やします。しかし、多くの研究者は年齢を経るにしたがって、仕事が忙しくなったり、体力も衰えたりして、野外調査の日数が減っていきます。以前の職場では、私がそうでした。年間を通じて野外調査にでることは、海外調査を除くと、年間に数日程度でした。地質学とは自然の中にある地層や岩石を詳しく調べ、試料を採取して、それを室内で詳しく調べていくというもののはです。そんな調査を10年以上おこなってこなかったのです。そんな自分が、自然や地球について市民に語っていたのです。これでは、いけないと強く感じました。
北海道にきて、私は自然に接することを心がけました。そのひとつの活動として、今まで怠っていた野外での地質調査を再開することにしました。私がいる大学は、文系の大学で、理系の教員も少なく、地質学をおこなっているのは私一人です。大学の理学部でおこなっているような地質調査からはじまる一連の研究をしていては、独創性が発揮できません。そこで、私は、特別な道具がなくてもできる野外調査を中心とした地質学をおこなおうと、テーマの模索を始めました。
でも、テーマ決定よりも、まず最初にすべきことは、自分自身の自然への回帰でした。北海道の自然によりよく接すること、つまりは自分自身の自然に対するリハビリテーションに1年間を費やしました。北海道でのテーマ探しは、その後のことです。
そして今年の春から、本格的に野外調査をはじめました。数えてみると、昨年12月から今年の11月末までの1年間で、私は55日間を野外調査に費やしたことになります。この調査時間は、地質学者として多いかどうかわかりません。多分、少なくはないはずです。もっと長時間、野外調査に費やされている方もおられるでしょうし、以前の私のように室内実験を中心にされている方もおられるはずです。なにを目的にするかの違いでもあります。私は、野外調査を研究手段として重視することにしました。
私の野外調査は、テーマも変わっていますが(あとがきを参照)、やり方も変わっています。多くの研究者は、野外調査にでるとき、一人か、あるいは共同研究者、大学院生、学生などと一緒で、同業者ともいうべき地質学を研究する人と一緒に行きます。以前の私もそうでした。
多分、自分の家族とともに出かけることは、ほとんどないでしょう。でも、私は、北海道に来てから、個人でおこなう野外調査では、可能限り家族を同伴するようになりました。もちろん、家族が一緒ではだめな野外調査もありますが。
なぜこのようなことをしているかというと、それは、私の野外調査では家族が一緒でもできるような手法であることもさることながら、子供たちが私の研究していること面白く思えるかどうかを確かめる意味もあったからです。家族同伴の野外調査を昨年の12月から数えてみると、29日になります。この日数は家族サービスにしては度を越えています。家族サービスではなく、家族の言動や反応を観察することも、私の研究だと考えていました。家族の振る舞い、特に子供たちの自然に対する行動、好奇心の持ち方、私の説明に対する反応などを、ちらちらと観察していたのです。
おかげで我が家の子供たちは、いろいろなところに出かけていきました。今年だけでも、四万十川、石狩川、留萌川、尻別川、後志利別川、沙流川、鵡川、十勝川などで、源流から河口までたどる調査に同行しています。5歳と3歳の男の子ですが、たいていのところへは、一緒についてこれました。次男が無理でも、5歳の長男であれば、たいていところは手を貸せば、崖でも藪の中でもついてこれます。かえって家内のほうが足元のおぼつかないときもあります。
調査地点につくと、私は予定の調査をはじめます。調査は30分から1時間ほどかかります。その間、子供たちは川原で自由に遊びます。石や砂、泥、水などがあれば、子供たちも家内も楽しく遊んでいます。
私が求めているのは、これです。知識などなくても、自然の中に連れ出せば、好奇心をいっぱいにして夢中になれるのです。自然は、好奇心を起こさせるもっとも手っ取り早い場であり、素材です。あとは、好奇心を探求する心へどう導くのか、あるいは科学する心を育むにはどうすればいいのか、これらが課題として残ります。これが、私の研究テーマのひとつなのです。
逆に教えられることも、いろいろあります。十勝川の川原では、十勝石(黒曜石のこと)を探したのですが、見つけたのは私ではなく家内でした。家族は見たこともない石を私から口で説明を受けただけで、探して見つけたのです。これには私も面目をなくしました。実は、私はこのあたりには十勝石が少ないだろうという先入観があったため、家族には探せといっていたのですが、内心では、ないだろうなと思っていたのです。ですから、見つけようとしていないものは、見つかるはずがありません。多くの一生懸命な目でみると非常に稀なものでも見つかるのです。家内が見つけたあと、私も目の色を変えて探したのですが、面目は立ちませんでした。
先日支笏湖に出かけました。11月中旬だったので、あちこちの道が冬季閉鎖がはじまり、通行禁止になっていました。これは誤算でした。しかし、樽前山はまだ、閉鎖されていませんでした。7合目より少し上の展望台まで子連れで登りました。大きな段差の階段状の登りがしばらく続きましたが、次男も家内、もちろん長男も登ってきました。森林限界を越えたところが展望台です。一気に展望がひろがり、きれいな樽前山やその向こう側の風不死岳の姿、さらに向こうには支笏湖と外輪山の山々が見えました。樽前山はまだ、噴気活動が活発で、火口内には立ち入り禁止です。
ここから見える山々すべてが火山の活動でできたというと、長男は理解したようです。足元にあるすべての白っぽくて軽い石(軽石)が上に見える火山から飛び出してきたものであること。あちこちに転がっている直径50cm以上もあるような大きな重そうな石(火山弾)も、噴火口から飛んできたということ。そんなことを体感できたようです。さらに、下に見える大きな支笏湖(カルデラ)も火山の噴火でできたというと、驚きをもって実感したようです。カルデラをつくるような火山活動は、今見ているような穏やかな山の姿ではなく、とんでもなく激しいものだということが、見えない過去を想像しながら、理解できたようです。
子供には地図は理解できません。カルデラの規模や外輪山の規模は、見ることでしか確認できません。でも、目で見たことは、体感的に理解できます。そして、周りの山々がすべて火山で、その中にある大きな湖から、大規模な火山の規模が想像でき、それがとんでもない事件だということを、子供にも理解できるのです。こんな気持ちを育むことが、自然のよき理解へとつながるのではないでしょうか。
自然という野外でしか見れない素材はインパクトのあるものです。生の自然を自分の目で見て感ることから好奇心が生まれます。そんな好奇心から、深く考えることで、目では見えないけれども、過去に起きた大事件がわかるのだということを身を持って理解できます。誰でも同じような感動や理解が得られるはずです。私は、そんな、感動や理解を与える方法、わかりやすく科学を伝える方法を開発したいと考えています。完成にはまだまだ時間がかかりそうですが、私の目指すべき方向です。
さて、今回がこの連続エッセイの最終回となります。最後が家族の話なのでどうしようかと思いましたが、樽前山をテーマに書き出だしたら、このような話になりました。でも、この1年間、私が力を入れてきたテーマでもあります。だから親ばかと呼ばれるかもしれませんが、掲載することにしました。
研究者としてやるべきことには、幅があります。先端の分野を追いかけて成果を上げることも科学です。ひとつの地域、ひとつのテーマを深くじっくりと追求していくことも科学です。市民にわかりやすく自然の面白さを伝えることも科学者の仕事のはずです。科学する心も芽生えさせるのも科学者の仕事です。いろいろな科学の仕事があってもいいはずです。
研究者は、研究テーマとなっている自然や、それを科学することを面白い思っているはずです。そんな気持ちをより多くの人に伝える機会や場がもっとあっていいはずです。研究の成果だけを専門家間で伝えあうことだけが科学ではないはずです。市民にわかりやすく伝えることも重要なはずです。自然や科学することが面白いと思う気持ちをより多く人に起こしてもらうこと、これを私は重要な研究テーマとして取り組んでいます。
より多くの人たちが、科学に対して理解してくれれば、その延長線上に、科学のために国の予算が使われていることも納得されるのだと思います。そんな科学への理解がより深まることを願って、このサイトでのエッセイの連載を1年間続けてきました。
もともと1年間の予定ででもあったし、ERSDACが業務の合間にホームページを作成するもの大変になってきたので、これで区切りといたします。今後、私が衛星画像とどうつきあうかは、自分自身で考えていかねばなりません。その答えはまだ出ていませんが、宇宙からの視点は、興味深いものです。子供が川原の石で好奇心をもつように、私も衛星画像を好奇心いっぱいに眺めていこうと思っています。
2003年11月27日木曜日
2_24 最初の生命探し
最初の生命探しは、どのようにしておこなわれるのでしょうか。そして、それはうまくいっているのでしょうか。見ていきましょう。
最古の海の証拠である最古の堆積岩で、もし生命の痕跡が見つかったとすると、生命とは、水が存在する環境であれば、比較的簡単に、あるいは惑星ができて短時間で誕生するということを示す重要な証拠となります。
太陽系では、火星にも惑星誕生の初期には海があったと考えられます。ですから、水を持つ惑星は他の太陽系でも、案外ありふれた存在なのかもしれません。するとそれは、生命は宇宙では特別なものではなく、ありふれた存在といえるかもしれません。
誕生した生命が、他の生命や天体に思いを馳せるような人類のような知性をもつにいたるかどうかは、また別の要因があります。たとえば、進化に適した環境が維持されているか、進化に方向性はあるのか、絶滅の危機を乗り越えられるのかなどが複雑に絡み合っています。
さて、最古の堆積岩での最古の生命探しについてです。
この堆積岩で生命の発見は、1978年にドイツのフラッグ(H.D. Pflug)がイースト菌のような丸いかたちをしたものを化石として報告したのが最初でした。しかし、その後の研究で、その丸いものは、石英の中にふくまれていた液体の部分(包有物(ほうゆうぶつ)とよばれます)だとわかりました。生命の化石ではなかったのです。
続いて、ドイツのシドロウスキー(M. Schidlowski)は、最古の堆積岩にふくまれている石墨の炭素同位体組成から、生物起源の炭素であると報告ました。炭素の同位体組成はバイオマーカーと呼ばれ、生物の痕跡を見つけるのに利用されています。しかし、その時報告された炭素同位体の組成は、無機的(生物によらず)に合成できることが証明されました。やはり、生命の証拠が否定されたのです。
1996年にモージスら(S. J. Mojzsis et al.)が、堆積物の中の丈夫な鉱物(リン酸塩鉱物、アパタイトとよばれるもの)に含まれている炭素同位体組成が、生命活動によるものだと報告しました。しかし、2002年にその岩石が火成岩で、堆積岩でなく、火成岩であることがわかりました。火成岩はマグマからできた岩石です。そんなマグマの中には生物は住めません。ですから、火成岩からどんな証拠がでてきも、それは生物とはみなせません。またまた、否定されたのです。
見つかったとうい報告の後に、それは間違っているという報告が繰り返しなされてきました。それは重要だから、研究者も真剣に追試するのです。そして、現在のところ、最古の堆積岩に生命の痕跡はまだ、見つかっていません。
逆にいうと、新しい視点やアイディア、あるいは新しい道具や技術を導入することによって、生物の痕跡が見つかる可能性がでてきたのです。これは、大きなチャンスで、宝物がそこには埋もれていることでもあります。たぶん今後も、グリーンランドの最古の堆積岩では同じような挑戦が繰り返しおこなわれるでしょう。そして、いつの日か、だれものが納得する証拠が見つかるかもしれません。そんな日が来ることを私は楽しみにしてます。
最古の海の証拠である最古の堆積岩で、もし生命の痕跡が見つかったとすると、生命とは、水が存在する環境であれば、比較的簡単に、あるいは惑星ができて短時間で誕生するということを示す重要な証拠となります。
太陽系では、火星にも惑星誕生の初期には海があったと考えられます。ですから、水を持つ惑星は他の太陽系でも、案外ありふれた存在なのかもしれません。するとそれは、生命は宇宙では特別なものではなく、ありふれた存在といえるかもしれません。
誕生した生命が、他の生命や天体に思いを馳せるような人類のような知性をもつにいたるかどうかは、また別の要因があります。たとえば、進化に適した環境が維持されているか、進化に方向性はあるのか、絶滅の危機を乗り越えられるのかなどが複雑に絡み合っています。
さて、最古の堆積岩での最古の生命探しについてです。
この堆積岩で生命の発見は、1978年にドイツのフラッグ(H.D. Pflug)がイースト菌のような丸いかたちをしたものを化石として報告したのが最初でした。しかし、その後の研究で、その丸いものは、石英の中にふくまれていた液体の部分(包有物(ほうゆうぶつ)とよばれます)だとわかりました。生命の化石ではなかったのです。
続いて、ドイツのシドロウスキー(M. Schidlowski)は、最古の堆積岩にふくまれている石墨の炭素同位体組成から、生物起源の炭素であると報告ました。炭素の同位体組成はバイオマーカーと呼ばれ、生物の痕跡を見つけるのに利用されています。しかし、その時報告された炭素同位体の組成は、無機的(生物によらず)に合成できることが証明されました。やはり、生命の証拠が否定されたのです。
1996年にモージスら(S. J. Mojzsis et al.)が、堆積物の中の丈夫な鉱物(リン酸塩鉱物、アパタイトとよばれるもの)に含まれている炭素同位体組成が、生命活動によるものだと報告しました。しかし、2002年にその岩石が火成岩で、堆積岩でなく、火成岩であることがわかりました。火成岩はマグマからできた岩石です。そんなマグマの中には生物は住めません。ですから、火成岩からどんな証拠がでてきも、それは生物とはみなせません。またまた、否定されたのです。
見つかったとうい報告の後に、それは間違っているという報告が繰り返しなされてきました。それは重要だから、研究者も真剣に追試するのです。そして、現在のところ、最古の堆積岩に生命の痕跡はまだ、見つかっていません。
逆にいうと、新しい視点やアイディア、あるいは新しい道具や技術を導入することによって、生物の痕跡が見つかる可能性がでてきたのです。これは、大きなチャンスで、宝物がそこには埋もれていることでもあります。たぶん今後も、グリーンランドの最古の堆積岩では同じような挑戦が繰り返しおこなわれるでしょう。そして、いつの日か、だれものが納得する証拠が見つかるかもしれません。そんな日が来ることを私は楽しみにしてます。
2003年11月20日木曜日
2_23 生命誕生の必然性
生物は、地球環境の影響を敏感に受けます。そして弱いものは滅び、強いもの、適応性のあるだけが生き延びます。そして生き延びた生物は、ライバルのいなくなった環境で、勢力を広げていきます。生物とはたくましいものです。そんな生物のたくましさをみてきましょう。
まず、生物誕生の時から話を始めましょう。生命の誕生は、地球誕生のころに遡ります。地球の誕生のころといっても、海が地球にできるようなころの話です。海がいつできたかは、定かではありません。しかし、約38億年前、地球が誕生して、7、8億年後には、りっぱな海がありました。りっぱというのは、広くひろがる今のような海という意味です。
そんな海が、生命誕生の場となります。なぜ、誕生の場が海なのかという疑問がわきます。可能性として、生命は大気や陸などでも誕生するかもしれません。しかし、現在生きている生命の多くは、海と切っても切れない関係があります。細胞の大部分は水からできてます。また、太古の生物は水の中に住んでいたものばかりです。ですから、水の中で誕生するというストーリーが考えられています。
もちろんこれは、私たちが知っているのが地球の生物だけだから、水との関係が強いのかもしれません。もっと他の誕生の場があってもいいかもしれません。でも、私たちは、地球の生命以外の生物は知らないのです。いろいろな生物の誕生の可能性が考えられたとしても、地球外生命を見つけない限り、実証する手立てはありません。ですから、現状では、仮説にとどまります。生命の誕生については、地球生命で考えるしか選択しかなさそうです。
では、水のある星なら、あるいは水があれば、すぐに生命は誕生できるのでしょうか。それとも偶然にしか誕生しないのでしょうか。もし、偶然だとすると地球生命は非常に特殊なものとなります。地球外生命を探すなどということも無駄になってしまうかもしれません。
その答えはまだ見つかっていません。しかし、見つかる可能性があります。もし、水ができてすぐに生命が誕生したという証拠があれば、生命とは結構簡単に誕生できるという可能性がでてきます。つまり、最古の海の証拠から生物の化石あるいは生物の痕跡を見つければ、海の誕生と生命誕生の必然性の関係が大きくなります。
地質学者は、最古の堆積岩を手がかりにして、最古の生物化石探しを続けています。その結果については、次回紹介しましょう。
・生命のたくましさをたどるシリーズ。
生命は、ひとつひとつを取り上げてみていくと、
ちょっとした環境の変化が起こると死んでしまいます。
そういう点では、生き物とは、か弱い存在であります。
しかし、生命全体としてみると、なかなかタフな存在となります。
つまり、生命を個々の生き物としてではなく、
生物全体として考えるということです。
地球上でどのような環境の変化が起こっても、
生命は耐え抜いて生きてきました。
それどころか、生命はそんな逆境を生き延びるために会得した新たな能力を、
今度は、自分たちが生きていくときに
すごく有利な能力へと転用していきました。
そんな生命のたくましい生き方をシリーズとしてたどっていきましょう。
まず、生物誕生の時から話を始めましょう。生命の誕生は、地球誕生のころに遡ります。地球の誕生のころといっても、海が地球にできるようなころの話です。海がいつできたかは、定かではありません。しかし、約38億年前、地球が誕生して、7、8億年後には、りっぱな海がありました。りっぱというのは、広くひろがる今のような海という意味です。
そんな海が、生命誕生の場となります。なぜ、誕生の場が海なのかという疑問がわきます。可能性として、生命は大気や陸などでも誕生するかもしれません。しかし、現在生きている生命の多くは、海と切っても切れない関係があります。細胞の大部分は水からできてます。また、太古の生物は水の中に住んでいたものばかりです。ですから、水の中で誕生するというストーリーが考えられています。
もちろんこれは、私たちが知っているのが地球の生物だけだから、水との関係が強いのかもしれません。もっと他の誕生の場があってもいいかもしれません。でも、私たちは、地球の生命以外の生物は知らないのです。いろいろな生物の誕生の可能性が考えられたとしても、地球外生命を見つけない限り、実証する手立てはありません。ですから、現状では、仮説にとどまります。生命の誕生については、地球生命で考えるしか選択しかなさそうです。
では、水のある星なら、あるいは水があれば、すぐに生命は誕生できるのでしょうか。それとも偶然にしか誕生しないのでしょうか。もし、偶然だとすると地球生命は非常に特殊なものとなります。地球外生命を探すなどということも無駄になってしまうかもしれません。
その答えはまだ見つかっていません。しかし、見つかる可能性があります。もし、水ができてすぐに生命が誕生したという証拠があれば、生命とは結構簡単に誕生できるという可能性がでてきます。つまり、最古の海の証拠から生物の化石あるいは生物の痕跡を見つければ、海の誕生と生命誕生の必然性の関係が大きくなります。
地質学者は、最古の堆積岩を手がかりにして、最古の生物化石探しを続けています。その結果については、次回紹介しましょう。
・生命のたくましさをたどるシリーズ。
生命は、ひとつひとつを取り上げてみていくと、
ちょっとした環境の変化が起こると死んでしまいます。
そういう点では、生き物とは、か弱い存在であります。
しかし、生命全体としてみると、なかなかタフな存在となります。
つまり、生命を個々の生き物としてではなく、
生物全体として考えるということです。
地球上でどのような環境の変化が起こっても、
生命は耐え抜いて生きてきました。
それどころか、生命はそんな逆境を生き延びるために会得した新たな能力を、
今度は、自分たちが生きていくときに
すごく有利な能力へと転用していきました。
そんな生命のたくましい生き方をシリーズとしてたどっていきましょう。
2003年11月13日木曜日
1_27 長い時間と子孫たち(2003年11月13日)
だいぶ以前のことです。ある読者からのメールの一節に「星の寿命って私たち人類と比べるとずっといんですよねー」というのがありました。そのとき私が書いたメールから次のようなエッセイを書きました。
「星の寿命って私たち人類と比べるとずっといんですよねー」そうなんです。星の寿命は、すごく長いのです。わかっていても、実は、100億年や50億年という時間の流れは、人類にとっては、長すぎます。ですから、多分だれも、実感できないと思います。
でも、科学者たるもの、わかったふりをします。でも、それは頭でわかっているだけで、実感がなかなか沸かないのも事実です。こんなたとえ話をしましょう。(このたとえは、私が返事のメールで使ったものです)
人間の1世代を30歳としましょう。30歳で子供を産みます。すべて、30歳で次の世代を一人作るとします。では、その家系で、地球の寿命分の時間(46億年)で生まれた子供の数をすべて足すと、日本の人口より多いでしょうか。少ないでしょうか。どちらでしょう。
答えは簡単に求められます。30年にひとりの子供が生まれるのですから、
46億年÷30年 = 1億5000万人
です。日本の人口を、1億3000万人とすれば、ほぼ、日本の人口に匹敵します。それくらいの時間が経過しています。すごく大きいでしょう。
というような、たとえ話をしました。あまりいい例では、なかったでしょうか。
もうひとつこんなたとえはどうでしょうか。毎日1万円の貯金をしましょう。一生かければ46億円たまるでしょうか。
これも答えは簡単に求めることができます。80歳まで生きるとしましょう。
1万円×365日×80年 = 2億9200万円
となります。46億円ためるには、1260年必要となり、一生では到底貯めることができません。
それくらい、長い時間ということをいいたかったのですが、たとえが、こちらの意図しているとおり伝わるとは限らないのです。
たとえば、1番目の例で、15歳から30歳まで毎年子供を作れば、一人が一生で15名の子供が作れから、46億年たつと、22億5000万人子供をつくれるのか。もし、3名からスタートすれば、たった3つの家系で人類全部がつくれるのか。などというイメージがつぎつぎと膨らんでいくこともあります。2番目の例では、1万円ずつ毎日ためれば、一生で3億円貯められるのかという印象を抱く人もいるかもしれません。
すると、伝えたい数値が、どこかへいってしまい、3名とか、22億、3億などの別の数値が頭に残ってしまいます。これでは、いけません。困ったことになります。
このようにたとえによって、違ったイメージが植えつけられるとこまるので、それくらいなら正確な数字を用いればいいのという当たり前の結論に達します。
問題を生じやすいのは、この例では、人ととか、お金とかをたとえにしました。すると、時間の流れを、別の価値観のある数に置き換えてしまっています。これが問題を生む危険性があります。時間を別の次元や価値観の数字に置き換えているようなときは、注意が必要です。
よく使われるたとえで、地球46億年の歴史を1日、あるいは1年にたとえると、というようなことがります。これは、親しみのない時間を、別の身近な時間に置き換えて、特に、人類の歴史の少なさを実感させるためにたとえとして利用されています。これはこれでよくできた、たとえでしょう。でもそれは、時間が短いということだけに、専念したためです。
しかし、大晦日に人類が生まれたと、大晦日の12時直前に生まれたというようなたとえでは、伝えたいの数値であれば、このような似た性質のたとえは、誤解を招きやすくなります。
さらに、たとえでは、日本の人口を多い、人類の歴史を短いという意味を持たせました。このイメージが多くの人が共通に持つものでないといいたとえとはいえません。人口が1億じゃ少ないと思う人、1年の大晦日の夜や、数秒が短いと思えない人がいれば、このたとえは通じません。
つまり、たとえはしょせんたとえで、あるイメージを抱かせるためにもので、正確にはやはり数値があるなら数値で示すべきでしょう。特に重要なことを伝えるためには、たとえには注意が必要です。
「星の寿命って私たち人類と比べるとずっといんですよねー」そうなんです。星の寿命は、すごく長いのです。わかっていても、実は、100億年や50億年という時間の流れは、人類にとっては、長すぎます。ですから、多分だれも、実感できないと思います。
でも、科学者たるもの、わかったふりをします。でも、それは頭でわかっているだけで、実感がなかなか沸かないのも事実です。こんなたとえ話をしましょう。(このたとえは、私が返事のメールで使ったものです)
人間の1世代を30歳としましょう。30歳で子供を産みます。すべて、30歳で次の世代を一人作るとします。では、その家系で、地球の寿命分の時間(46億年)で生まれた子供の数をすべて足すと、日本の人口より多いでしょうか。少ないでしょうか。どちらでしょう。
答えは簡単に求められます。30年にひとりの子供が生まれるのですから、
46億年÷30年 = 1億5000万人
です。日本の人口を、1億3000万人とすれば、ほぼ、日本の人口に匹敵します。それくらいの時間が経過しています。すごく大きいでしょう。
というような、たとえ話をしました。あまりいい例では、なかったでしょうか。
もうひとつこんなたとえはどうでしょうか。毎日1万円の貯金をしましょう。一生かければ46億円たまるでしょうか。
これも答えは簡単に求めることができます。80歳まで生きるとしましょう。
1万円×365日×80年 = 2億9200万円
となります。46億円ためるには、1260年必要となり、一生では到底貯めることができません。
それくらい、長い時間ということをいいたかったのですが、たとえが、こちらの意図しているとおり伝わるとは限らないのです。
たとえば、1番目の例で、15歳から30歳まで毎年子供を作れば、一人が一生で15名の子供が作れから、46億年たつと、22億5000万人子供をつくれるのか。もし、3名からスタートすれば、たった3つの家系で人類全部がつくれるのか。などというイメージがつぎつぎと膨らんでいくこともあります。2番目の例では、1万円ずつ毎日ためれば、一生で3億円貯められるのかという印象を抱く人もいるかもしれません。
すると、伝えたい数値が、どこかへいってしまい、3名とか、22億、3億などの別の数値が頭に残ってしまいます。これでは、いけません。困ったことになります。
このようにたとえによって、違ったイメージが植えつけられるとこまるので、それくらいなら正確な数字を用いればいいのという当たり前の結論に達します。
問題を生じやすいのは、この例では、人ととか、お金とかをたとえにしました。すると、時間の流れを、別の価値観のある数に置き換えてしまっています。これが問題を生む危険性があります。時間を別の次元や価値観の数字に置き換えているようなときは、注意が必要です。
よく使われるたとえで、地球46億年の歴史を1日、あるいは1年にたとえると、というようなことがります。これは、親しみのない時間を、別の身近な時間に置き換えて、特に、人類の歴史の少なさを実感させるためにたとえとして利用されています。これはこれでよくできた、たとえでしょう。でもそれは、時間が短いということだけに、専念したためです。
しかし、大晦日に人類が生まれたと、大晦日の12時直前に生まれたというようなたとえでは、伝えたいの数値であれば、このような似た性質のたとえは、誤解を招きやすくなります。
さらに、たとえでは、日本の人口を多い、人類の歴史を短いという意味を持たせました。このイメージが多くの人が共通に持つものでないといいたとえとはいえません。人口が1億じゃ少ないと思う人、1年の大晦日の夜や、数秒が短いと思えない人がいれば、このたとえは通じません。
つまり、たとえはしょせんたとえで、あるイメージを抱かせるためにもので、正確にはやはり数値があるなら数値で示すべきでしょう。特に重要なことを伝えるためには、たとえには注意が必要です。
2003年11月6日木曜日
6_33 それぞれの境界:KT境界
平らな畑の先に、断崖絶壁があります。すとんと切ったような大地の切れ目が、あまりにも唐突にあります。断崖は数十メートルの落差があります。その断崖の先は、海です。そんな断崖に地球の大異変が記録されていました。
デンマークは、スカンジナ半島にむかって突き出した形のユトランド半島といくつかの島からなっています。東にある大きな島、シェラン島には、首都のコペンハーゲンがあります。コペンハーゲンの南へ、車で2、3時間ほど走るとスティーブンクリント海岸というところがあります。
スティーブンクリント海岸は、ささやか観光地ですが、観光客がバスで乗りつけるようなところでもありません。ほとんど人の来ないひっそりとした観光地です。そこは、小さな教会が一つ、小さな博物館が一つ、レストランが一つだけの、ささやかなものです。
私が訪れたのは、2000年7月の夏でした。2日間いたのですが、観光客はぽつりぽつとしかみかけませんでした。スクールバスで、子供たちが乗りつけ、その周辺を散策して、断崖の下の海岸におりて、そんなに広くない海辺で遊んでいました。ここには、海岸におりるための階段が作られているのです。でも、泳ぐ人は、見当たりしません。もっとも、岩がごろごろした海岸なので、泳ぐことはできそうにありませんし、何といっても寒かったのです。ダイビングをする2人連れをみかけましたが、寒むそうでした。
こんなとりたてて見るべきもののなさそうなところに、なぜ来たかというと、海岸へ降りるところにある1枚の色あせた看板が、その理由を物語っています。じつは、ここには、KT境界があるのです。
KT境界とは、白亜紀と第三紀の時代境界、あるいは中生代と新生代の境界ともいえます。KT境界では、恐竜の絶滅が起こっています。その時代の境界は、各地にあるのですが、ここでみられる境界は明瞭で、だれもがその境界を簡単に見つけて、みることができます。
境界の上下の地層は、チョークと呼ばれる白っぽい岩石からできていて、時代境界のところだけ、黒っぽい粘土からできています。ですから、色がはっきりと違うので、だれでも見分けられます。
チョークは、黒板に字を書くチョークの原料で、かつては黒板用に本物の岩石が用いられていましたが、今ではチョークも工業的につくられています。チョークとは、日本語で、白亜(はくあ)とも呼ばれています。まさに白亜紀の白亜です。チョークは石灰質の泥が固まったものです。石灰質の泥とは、海の有孔虫やココリスなどの微生物の遺骸が海底にまたったものです。チョークは暖かい海でたまってできるものです。このような白亜の崖は、北アメリカ大陸やヨーロッパの大西洋岸に広がっています。
でも考えると不思議なことです。時代境界の上下が同じ石なのに、時代境界だけが違う石でできているのです。つまり、白亜紀の終わりも第三紀の初めのころも、同じようなチョークがたまる暖かい海であったのが、白亜紀と第三紀の時代の境界だけが、違う石がたまる環境となったということです。つまり、何らかの環境変化があったということです。その環境変化によって、恐竜絶滅がおこったのです。
では、その環境変化は、なぜ起こったのでしょうか。環境変化は、一般には、寒冷化や温暖化などの地球全体の気候変動、あるいは、プレートテクトニクスなどによって、大陸の位置や配置、地形が変わることによっておこります。しかし、そのような環境変化は、ある日突然訪れるのではなく、ゆっくりと何万年もかけて起こる変化です。そのようなゆっくりとした変化なら、多くの生物が絶滅したとしても、ある種類の生物はそんな環境の変化に対応して、進化していくものもでてくるはずです。でも、白亜紀末には、多くの生物が、突如として、姿を消したのです。つまり、この環境変化は、生物に進化する余裕もあたえず、おこったものだと考えられます。
それは変化というのではなく、突如起こった異変ともいうべき、突然の出来事だったはずです。その異変は、隕石の衝突によるものだと考えられています。直径10kmほどの隕石が、中部アメリカのユカンタン半島に落ちたと考えられています。その時の事件のシナリオはいろいろなものが考えられていますが、概略としては次のようなものです。
隕石がぶつかった直後は、ものすごい衝撃波や熱が走り抜けます。これは巨大な爆発と同じことが起こります。爆発によって、周辺の生き物は焼く尽くされてしまいます。しかし、その被害は爆心地周辺だけです。問題は、そのあとです。巨大津波、大気の上空まで舞上がる埃やすすなど、私たち人類が経験もしたことのない、想像を絶するような異変です。
世界中の低地は津波に洗われます。なにより問題は、大気上空に舞い上がった埃やすすです。地表には光が届かないほど、多くの埃が成層圏に上がり、何年も落ちることなく、地表を真っ暗にします。光のないところでは、光合成をしていた植物は死に絶え、草食の生物は餌がなくなり死に、肉食の生物も死にます。そして、他の生物の死骸を分解していた生物も死にます。つまり、地球全体の生態系がつぶれてしまうのです。特に大型の恐竜のような生物は、絶滅してしまいます。また、海洋の微生物にもその影響は及びます。
こんな大異変がチョークの間の粘土層には記録されています。粘土層ができたのは、チョークのもととなる海の生き物が死に絶えたからです。それまでも、粘土の成分の堆積はあったのですが、チョークの量の多さに隠れて、存在がわからなかったのが、チョークが堆積できなくなったことによって、粘土層として現れてきたのです。
世界中のKT境界の地層を調べていくと、隕石から由来した粒や、イリジウムという地表の岩石にはほとんど含まれず隕石にはたくさんある元素や、衝撃でつぶされた鉱物、飛び散ったすすなどが含まれていることがわかってきました。これらは、すべて隕石の衝突を物語る証拠とされています。
ところが、生き残った生物もいました。それが、私たちの祖先の哺乳類であり、粘土層より上のチョークを作った微生物であります。生物は弱さと強さの両面を持っています。ある過酷な環境が訪れた時、それに耐えられないものは絶滅し、それを耐えにいた生物は後に大繁栄できます。生き抜いた微生物は、やがて暖かい海で再びチョークを作れるほどに大繁栄しました。哺乳類も新生代には大繁栄し、KT境界の大絶滅を考えるような生物、ヒトが誕生しました。
スティーブンクリント海岸の色あせた看板には、KT境界がここで見られるという説明があり、小さい博物館では、KT境界についての説明がされていました。観光客は小さな教会を訪れ、子供たちは海と陸の境界に遊びます。私は過ぎ去ったKTの時代境界に思いをはせました。
デンマークは、スカンジナ半島にむかって突き出した形のユトランド半島といくつかの島からなっています。東にある大きな島、シェラン島には、首都のコペンハーゲンがあります。コペンハーゲンの南へ、車で2、3時間ほど走るとスティーブンクリント海岸というところがあります。
スティーブンクリント海岸は、ささやか観光地ですが、観光客がバスで乗りつけるようなところでもありません。ほとんど人の来ないひっそりとした観光地です。そこは、小さな教会が一つ、小さな博物館が一つ、レストランが一つだけの、ささやかなものです。
私が訪れたのは、2000年7月の夏でした。2日間いたのですが、観光客はぽつりぽつとしかみかけませんでした。スクールバスで、子供たちが乗りつけ、その周辺を散策して、断崖の下の海岸におりて、そんなに広くない海辺で遊んでいました。ここには、海岸におりるための階段が作られているのです。でも、泳ぐ人は、見当たりしません。もっとも、岩がごろごろした海岸なので、泳ぐことはできそうにありませんし、何といっても寒かったのです。ダイビングをする2人連れをみかけましたが、寒むそうでした。
こんなとりたてて見るべきもののなさそうなところに、なぜ来たかというと、海岸へ降りるところにある1枚の色あせた看板が、その理由を物語っています。じつは、ここには、KT境界があるのです。
KT境界とは、白亜紀と第三紀の時代境界、あるいは中生代と新生代の境界ともいえます。KT境界では、恐竜の絶滅が起こっています。その時代の境界は、各地にあるのですが、ここでみられる境界は明瞭で、だれもがその境界を簡単に見つけて、みることができます。
境界の上下の地層は、チョークと呼ばれる白っぽい岩石からできていて、時代境界のところだけ、黒っぽい粘土からできています。ですから、色がはっきりと違うので、だれでも見分けられます。
チョークは、黒板に字を書くチョークの原料で、かつては黒板用に本物の岩石が用いられていましたが、今ではチョークも工業的につくられています。チョークとは、日本語で、白亜(はくあ)とも呼ばれています。まさに白亜紀の白亜です。チョークは石灰質の泥が固まったものです。石灰質の泥とは、海の有孔虫やココリスなどの微生物の遺骸が海底にまたったものです。チョークは暖かい海でたまってできるものです。このような白亜の崖は、北アメリカ大陸やヨーロッパの大西洋岸に広がっています。
でも考えると不思議なことです。時代境界の上下が同じ石なのに、時代境界だけが違う石でできているのです。つまり、白亜紀の終わりも第三紀の初めのころも、同じようなチョークがたまる暖かい海であったのが、白亜紀と第三紀の時代の境界だけが、違う石がたまる環境となったということです。つまり、何らかの環境変化があったということです。その環境変化によって、恐竜絶滅がおこったのです。
では、その環境変化は、なぜ起こったのでしょうか。環境変化は、一般には、寒冷化や温暖化などの地球全体の気候変動、あるいは、プレートテクトニクスなどによって、大陸の位置や配置、地形が変わることによっておこります。しかし、そのような環境変化は、ある日突然訪れるのではなく、ゆっくりと何万年もかけて起こる変化です。そのようなゆっくりとした変化なら、多くの生物が絶滅したとしても、ある種類の生物はそんな環境の変化に対応して、進化していくものもでてくるはずです。でも、白亜紀末には、多くの生物が、突如として、姿を消したのです。つまり、この環境変化は、生物に進化する余裕もあたえず、おこったものだと考えられます。
それは変化というのではなく、突如起こった異変ともいうべき、突然の出来事だったはずです。その異変は、隕石の衝突によるものだと考えられています。直径10kmほどの隕石が、中部アメリカのユカンタン半島に落ちたと考えられています。その時の事件のシナリオはいろいろなものが考えられていますが、概略としては次のようなものです。
隕石がぶつかった直後は、ものすごい衝撃波や熱が走り抜けます。これは巨大な爆発と同じことが起こります。爆発によって、周辺の生き物は焼く尽くされてしまいます。しかし、その被害は爆心地周辺だけです。問題は、そのあとです。巨大津波、大気の上空まで舞上がる埃やすすなど、私たち人類が経験もしたことのない、想像を絶するような異変です。
世界中の低地は津波に洗われます。なにより問題は、大気上空に舞い上がった埃やすすです。地表には光が届かないほど、多くの埃が成層圏に上がり、何年も落ちることなく、地表を真っ暗にします。光のないところでは、光合成をしていた植物は死に絶え、草食の生物は餌がなくなり死に、肉食の生物も死にます。そして、他の生物の死骸を分解していた生物も死にます。つまり、地球全体の生態系がつぶれてしまうのです。特に大型の恐竜のような生物は、絶滅してしまいます。また、海洋の微生物にもその影響は及びます。
こんな大異変がチョークの間の粘土層には記録されています。粘土層ができたのは、チョークのもととなる海の生き物が死に絶えたからです。それまでも、粘土の成分の堆積はあったのですが、チョークの量の多さに隠れて、存在がわからなかったのが、チョークが堆積できなくなったことによって、粘土層として現れてきたのです。
世界中のKT境界の地層を調べていくと、隕石から由来した粒や、イリジウムという地表の岩石にはほとんど含まれず隕石にはたくさんある元素や、衝撃でつぶされた鉱物、飛び散ったすすなどが含まれていることがわかってきました。これらは、すべて隕石の衝突を物語る証拠とされています。
ところが、生き残った生物もいました。それが、私たちの祖先の哺乳類であり、粘土層より上のチョークを作った微生物であります。生物は弱さと強さの両面を持っています。ある過酷な環境が訪れた時、それに耐えられないものは絶滅し、それを耐えにいた生物は後に大繁栄できます。生き抜いた微生物は、やがて暖かい海で再びチョークを作れるほどに大繁栄しました。哺乳類も新生代には大繁栄し、KT境界の大絶滅を考えるような生物、ヒトが誕生しました。
スティーブンクリント海岸の色あせた看板には、KT境界がここで見られるという説明があり、小さい博物館では、KT境界についての説明がされていました。観光客は小さな教会を訪れ、子供たちは海と陸の境界に遊びます。私は過ぎ去ったKTの時代境界に思いをはせました。
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