2003年3月20日木曜日

4_28 湧水:厳冬の道南1

 2002年12月下旬に、家族で北海道の南部のほうを見て回りました。そのとき、羊蹄山(ようていざん)の麓を回りました。そして、いくつもの湧水があるのをみました。湧水とは、湧(わ)き水のことです。湧水について紹介していきましょう。

 今回訪れた羊蹄山(ようていざん)の周辺も、名水で有名な湧水があります。羊蹄山は、別名、蝦夷(えぞ)富士とも呼ばれています。すぐ西側には、スキーで有名なニセコがあります。羊蹄山は、2万5000年前から6000年前くらいまで活動した、成層火山です。
 北海道は、本州同様、数々の火山があります。そして、火山があれば、温泉があります。火山というと、観光と温泉を思い浮かべますが、大きな火山の周辺では、湧水も、じつは名物となっています。羊蹄山周辺にも湧水はたくさんあるのですが、富士山、箱根、阿蘇、大山などの大きな火山周辺では、湧水、名水の産地でもあります。
 羊蹄山には、北東山麓にある京極町の「羊蹄のふきだし湧水」や南の山麓にいくつもの湧水があります。富士山には忍野八海(おしのはっかい)や柿田湧水、箱根では足柄平野の各地の湧水(富水、蛍田などという地名がある)、阿蘇山には白川や産山村(うぶやまむら)の池山水源、大山には蒜山(ひるぜん)など、名だたる湧水地があります。
 もちろん、火山にだけに湧水があるわけでありませんが、大きな火山には、どうも湧水ができる仕組みがあるようです。なぜ、大きな火山の周辺には、湧水地があるのでしょうか。
 湧水とは、地下水が、湧きだしているところです。地下水とは、広義には、地面より下にある水すべてを意味し、狭義では、地中で大気圧以上の圧力をもち、地表へ自然にしみ出す水のことです。狭義のものには、井戸やトンネルで出る水や、泉となって出てくる水のことです。
 地下水のもととなる水は、マグマに含まれていた水(処女水といいます)と、雨水や、地層の間にあった水などがありますが、大部分は、雨水に由来するものだと考えられています。
 泥や粘土などの水を通さない不透水層があり、その上に粒のあらい砂利などの水をためやすい帯水層があれば、そこに地下水がたまります。ですから、雨水がたくさんあるところは、地下水が豊富にあり、地下水が効率的に集まる不透水層と帯水層があるところに湧水ができます。
 成層火山は、このような仕組みを満たしていることになります。成層火山などの大きな火山は、雲がかかり雨が降りやすく、標高が高く雪が降りやすい地形となっています。また、たくさん降った雨や雪は、地下にしみこんで地下水になります。地下水は、火山そのものをつくる溶岩、火山砕屑物、火山灰の中にしみこんでいきます。粒の細かい火山灰が不透水層となり、そのうえの溶岩や粒の粗い火山砕屑物が帯水層となっています。ですから、大きな火山の麓には、湧水があるのです。

・名水・
名水というのは、魔力的な魅力があるのでしょうか。
それとも、本当においしいのでしょうか。
そんなことを考えてしまいました。

今回訪れた「羊蹄のふきだし湧水」は、
環境庁(現在、環境省)の名水百選にも選ばれています。
観光バスが多数とまって、外国からも、観光客がたくさん来ていました。
また、大きなポロタンクをソリに何個も載せ、
水を汲みに来る人がいるのにも驚かされました。

今回訪れたときは、公園の歩道や水源の中を補修していました。
工事中の中にもかかわらず、多くの人が水を汲んでいました。
そして、私も、500mlのペットボトル1本に試しに水を汲みました。
しかし、よく見ると、工事の看板に、
「工事中につき、1時間ほど水汲みはやめてください」
とありました。
確かに、水源のなかに、人が入って作業をしていました。
それも気にせずに、そのすぐ下流で水を汲んでいるのです。
私の汲んだ水をみましたが、にごりもなく澄んでいました。
試しに、一口、飲みましたが、まずくはありませんでしたが、
あまりいい気分がしませんでした。
多くの人は、そんなことを気にせずに、
汲んでもって帰り、飲んでいるようです。

これぞ、名水の魔力と思いました。
翌日は、別の湧水に出かけてみましょう。

2003年3月13日木曜日

6_25 3月の誕生石

 3月の誕生石は、サンゴ、コハクとアクアマリンです。3月の誕生石には少々変わり者がふくまれています。

 3月の誕生石のうち、サンゴとコハクは鉱物ではありません。宝石とはいいながら、少々変わっています。
 サンゴは珊瑚と書きます。宝石として用いられるのは、サンゴとは、生物の外骨格で、小さなサンゴ虫が集まったものです。つまり宝石のサンゴは、動物の骨で、炭酸カルシウム(CaCO3)でできています。炭酸カルシウムは、鉱物名では方解石やアラゴナイトとよばれるものになります。サンゴには化石として地層から出てくるものもありますが、宝石として利用されているのは、地質学的には現在のもの(現生といいます)といえます。
 サンゴは、暖かい海(表面海水の温度が16℃より低くならないところ)でだけ成長する生物です。サンゴには色とりどりのものがあります。そんな色のきれいなものが宝石として利用されてきました。宝石となるサンゴは、アカサンゴとよばれるものが、その代表的なもので、古くから珍重されてきました。
 コハクは、琥珀と書きます。コハクは、化石です。昔の木の樹脂が固まって化石となったものです。現生の樹脂は、コハクとはいいません。長い時間をかけて固まったものをコハクといいます。固まった樹脂ですから、中には、樹脂を食べに来た、虫が入っていることもあります。
 コハクは軽く(比重1.04~1.10)、やわらかく(硬度2~3)、熱にも弱いため、取り扱いには注意が必要です。比重が小さいので、地層から流れ出したコハクが、水に浮くので、遠くの海岸にうちあげられることがあります。
 アクアマリンは日本名が藍玉(らんぎょく)です。アクアマリン(aquamarine)の語源はラテン語で、aquaは水を、marineは海を意味するmarinaから由来しており、海水という意味になります。語源が示すように、透明感のある薄い青色をしていますが、青緑色や青色があります。青みの強いものが高価とされています。しかし、緑がかった色のものです、加熱すると、青色に変えることができます。
 鉱物名は、ベリル(緑柱石)です。エメラルドもおなじベリルなのですが、アクアマリンの青は、少し含まれる鉄(Fe3+)の色です。アクアマリンは強くて丈夫な結晶で、傷のない大きな結晶としてでることがよくあります。そのために宝石としては、エメラルドより安くなってしまいます。

・七宝・
七宝というものをご存知でしょうか。
七宝と書いて、「しっぽう」あるいは「しちほう」と読みます。
仏教の経典に由来するものです。
読んで字のごとく、七つの宝石のことです。
7つの宝石の種類は、経典によって多少の違いがありますが、
金、銀、真珠、瑪瑙(めのう)などに加えて、
琥珀(こはく)と珊瑚(さんご)が入っています。
3月の誕生石のうち、2つが入っているわけです。
コハクは、ヨーロッパでも、古くから装飾品として利用されてきました。
コハクは、古墳時代に勾玉(まがたま)や棗玉(なつめだま)として
加工されてきました。
コハクもサンゴも、人類とは付き合いの長い宝石なのです。

・父の宿題・
Nanさんから、メールをいただきました。
それに対して、私は返事を出しました。
少々長いのですが、掲載します。

「こんにちは。
お父様のこと、お悔やみ申し上げます。

私も、5年前の春に父が亡くなりました。
そのとき、父から大きな宿題をもらった気がしました。
少し長くなるかもしれませんが、もし時間があれば、お読みください。

私は、科学者を目指し、長年、科学的、つまり論理的、理性的にものごとを
見るべきだという考えを培ってきました。
ですから、もともとかどうか分かりませんが、
それが、私の第二の天性として、理性優先の自分をつくっていました。

感情は理性の次に来るもので、ものごとに感動することは、
もちろんありますが、理性がそれを超え、理性の元に感情がある、
つまり感情を理性がコントロールできるものと考えていました。

そして、父の葬式の時もそのつもりでした。
納官の時、私は、涙が流れて止りませんでした。
それを自分がつまり自分の理性が驚きを持ってみている気がします。
出棺のとき挨拶をする予定でしたが、しゃべれなくなり、
葬儀社の人に急遽お願いしました。
そのときには、理性は感情に完全に負けてしました。
そして火葬後、父の骨を拾った時も、涙こそ流れていませんでした、
感情に負けてしまった自分がいました。

こんな事態に出くわし、私、あるいは私の理性はあせりました。
今まで、自分は理性的人間である思っていたのです。
そんな理性的であると思っていた自分が、
感情に肉体が完全に支配されている自分、
理性が消えている自分をはじめて経験したのです。

理性と感情、この2つをどう自分の中で折り合いをつけるか。
それが、私が父からもらった、宿題でした。

それ以降、私は、ものごとの考え方を変えていきました。
それにいきくつくのに、3年近くかかりました。
その宿題の答とは、感情も理性も同等の重さがあり、
人間の肉体は、両者が住み分けているのだという、
極当たり前の結論でした。

それまで、私は、理性的人間で、感情的な人とは
相容れないものがあると思っていたのですが、
そんな感情的な自分がいることを知って、
感情的な人間も認めるようになりました。

科学とは相容れない迷信、信仰などを信じること、感情的に振舞うことも、
個人の感情、思い、つまり心の作用であるから、
それを否定する訳にはいかないことがわかったのです。
それを大いに認めることにしました。
そうすることが、自分の理性の世界を逆に理解してもらうことになるからです。
つまり、他者を認めること、それが自分のことを認めてもらうことの
第一歩になることに気付いたのです。
対立からは、発展は生まれないのです。
融合からさらなる進歩が生まれると考えるようになったのです。
ですから、宗教や迷信を否定するのではなく、
私の考えを、一つの考え方として論理的に、つまり自分のやり方で提示して、
その判断は他者に任すしかないということに気付いたのです。
そのためには、たとえ、迷信であろうが、
彼らの考えていることある程度理解しないと、
それをむやみに否定すること事態が、一種の感情的行為ともなります。
ですから、私は、他者を認めながらも、
自分の立場を可能な限り説明するという姿勢をとるようになりました。
まだまだ未熟で、必ずもうまくできませんが、
そうなりたいと考えて行動するようになりました。

そして父の宿題から、さらに2年たった最近では、
考え方がまた変わってきました。

人は、感情と理性を、時と場合によって、その比率を変化さています。
その変化が、人それぞれで多様性をもっています。
その多様性こそが、重要だということがわかってきました。

多様性の重要性は、私の研究にも反映されてきました。
それは、本当のありは超一流の独創性は、
主流と違った変わったものから生まれるからです。
つまり、独創性は多様性の中から生まれるのです。

独創性の多くは、失敗や偏見かもしれませんが、
100に一つ、あるいは、万に一つかもしれませんが、
ものになるもの、あるいは後に主流になるものが生まれてきたはずです。
それは、歴史を見れば明らかです。
そんな多様性を認める心が、より大きな発展を導いてきたのです。
それは、そのような多様性を認めるという環境があったからおこったことです。
それような多様性を認めない環境や社会こそ、注意すべきです。
私は、自分自身の独創性をつくりたいために、多様性を認めます。
それは他者のさまざまな個性を認めることでもあります。
まさに十人十色、それを認めることです。
この結論も、考えてみれば何のこともないことだったのです。
私は、もしかすると極当たり前のことを忘れてしまっていたのかもしれません。
そしてそんな馬鹿な私であることを父の宿題は
気付かせてくれたのかもしれません。

これが父の残した宿題の現在の答えです。
2年前よりさらに私は宿題を進めることができました。
そして、もしかするとそんな宿題を
さらに発展できるのではないかと思ってがんばっています。
こんな励みも元をたどれば、父の宿題からもらったものです。」

2003年3月1日土曜日

6_24 宇宙から地球へ

 2月1日午前9時00分(日本時間2月1日午後11時)、地球への帰還途中のスペースシャトル、コロンビア号が、空中爆発しました。異常が検知されてから、たった7分間のできごとでした。この事故で、7名の宇宙飛行士が、亡くなられました。ご冥福を祈ります。人為あるいは不可抗力などの原因は、これから究明されるでしょうが、根源的な原因は、高速で大気圏に突入すると、大気との摩擦によって高温になることです。そんな大気を突き破ってくるものがあります。

 宇宙から、地表にたどり着くのには、大気が抵抗となります。大気に突入してきた物質は、高温になります。小さなものが高速で突入してきたら、たいていは燃えつきてしまいます。そんな現象が流れ星です。流れ星は、地表に落ちることなく途中で消えてしまいます。別の見方をすれば、大気が地球のバリアとなっているのです。
 粒が小さくスピードの遅いものは、漂いながら、燃えることなく、地表まで落ちてきます。このような宇宙から落ちてくるチリを、宇宙塵(うちゅうじん)と呼んでいます。古くからあるビルの屋上を、箒ではいて、チリを集めると、なかにたくさんの宇宙塵が見つかることがあります。人には見えないほど小さいけれども、宇宙からの飛来者が、私たちの身近にいたのです。このような宇宙塵は、地球に、年間何十トンもふってくるという試算もあります。飛来者は、小さいけれどたくさんおりてきていたのです。
 大きなものが、宇宙から大気に突入してくると、高速であっても燃えつきることなく、地表まで達することがあります。これが、隕石です。隕石の「隕」とは、高いところから落ちるという意味です。ですから、隕石とは、まさに、空から落ちてきた石という意味なのです。
 隕石が小さいうちは、地表に小さな影響しか与えません。しかし、サイズが大きくなると影響は大きくなります。その結果として、クレータができます。地球の表面には多くのクレータが見つかっています。300個以上がクレータではないかとされ、そのうち198個は隕石の衝突と判定されています。
 私は、いくつかのクレータを訪れたことがあるのですが、中でもメテオー・クレータ(バリンジャー・クレータとも呼ばれます)は、印象的でした。
 アメリカ合衆国アリゾナ州、荒野の真ん中に、忽然と丸いクレータが現れます。メテオー・クレータ(Meteor Crater)のメテオーとは、隕石という意味です。隕石のよってできたクレータという名前です。名前が示すとおり隕石によってできたクレータで、世界で最初に隕石によるものと認定されたものです。
 1886年に、変な形をした鉄の破片が、クレータの西のキャニオン・ディアブロ(Canyon Diablo)というところから発見されました。これが大学に持ちこまれ、分析され、91%の鉄と7%のニッケル、0.5%のコバルトと少量のプラチナやイリジウムなどが含まれていることがわかりました。1905年に、バリンジャー(D. M. Barringer)は、このクレータが、鉄隕石がぶつかってできたものであると報告をしました。
 技術者でもあり法律家でもあったバリンジャーは、政府の許可をとり、1904年から、このクレータで鉄の採掘をはじめました。バリンジャーの発想は単純でした。周辺に大量の鉄隕石が散らばっているから、クレータの底には、もっと大きな鉄の塊があるはずだ、という考えです。それを掘りだせば、鉄として売って儲けることができるというわけです。ところが、いくら掘っても鉄の塊には、行き当たりませんでした。鉄隕石は、クレータの奥にめり込んだのではなく、ばらばらになって散らばったのです。最終的には、周辺からは、約30トンの鉄隕石が回収されています。
 メテオー・クレータの直径は、1,186mあります。このようなクレータをつくるためには、どれくらいの大きさの隕石がぶつかったのでしょうか。衝突のエネルギーは、質量に比例し、速度の2乗に比例します。大きくて、速いものが地表に衝突すると、爆発のような現象がおきます。鉄は重いので、小さくても威力があります。最高速でぶつかったとすると直径30m、いちばん低速だと直径90mの鉄隕石がぶつかれば、これくらいのクレータができます。
 地球の表面には、たくさんのクレータがあります。その大部分は、陸地で見つかっています。陸地のクレータは、浸食や風化、地殻変動で、古いものは消されていきます。それなのに約200個ものクレータが見つかっているのです。陸地は地球の表面の3分の1しかなく、あとは海です。海の中のクレータはほとんど見つかっていません。ですから、この200個のクレータとは、地球のクレータのほんの一部に過ぎないのです。
 メテオー・クレータをつくったような衝突はめずらしいものではなく、1000年に1回ほどの頻度でおこていると考えられます。でもそのときに起きる振動は、マグネチュード6.7の地震に匹敵します。メテオー・クレータの衝突は、約5万年前におこりました。この後現在まで、50回ほど、この程度の衝突はあったことになります。
 宇宙から来る小天体の衝突や小さいなものの落下は、普通におこっている現象なのです。これが太陽系の普通の姿なのです。地球は、そんなところにあるのです。

・どんなクレータができるか・
http://janus.astro.umd.edu/astro/impact.html
では、数値を変えてできるクレータの計算をしてくれます

2003年2月27日木曜日

1_24 鉄隕石(2003年2月27日)

 鉄隕石の話題が、まだ、終わっていませんでした。隕石の最後のグループである鉄からできた隕石の話しです。鉄隕石が教えてくれることを見ていきましょう。

 現代の生活において、鉄のない生活は考えられません。工業、産業、すべての場面で、鉄は利用されています。つまり、鉄は、私たちの生活、あるいは文明社会において不可欠なものとなっています。
 このような不可欠な鉄ですが、地球の表面や地殻にある鉄は、ほとんど酸化された状態であります。つまり、さびているのです。その証拠に空気中に長く金属の鉄を放置しておくと、表面がさびてしまいます。もっと長く置いておくと、さびのためにぼろぼろになってしまいます。
 酸素の多い環境では、鉄は酸化物として存在しています。酸素の多い環境とは、大気中だけでなく、地殻の中も、川や湖、浅い海など、酸素がたくさんある環境のことです。ですから、私たちがよく見かける金属光沢をはなつ鉄は、地球表面では、特殊な状態にあると考えたほうがいいのです。
 ところが鉄が酸化した状態というのは、実は、これまた特殊な状態なのです。地球全体という視点、宇宙全体という視点でみても、酸素と結びついた鉄というのは、特殊な状態なのです。
 地球には大量の鉄があります。その鉄は、地球の中心部に金属の鉄としてあります。その量は、地球全体の重さの32パーセントを占めています。マントルや地殻にある酸化鉄の量は、地球全体の6パーセント前後にすぎません。
 また宇宙にある鉄も、酸化された状態ものは多くありません。太陽のような恒星では、鉄はイオンとしてあります。また、固体としてある鉄も隕石から見ると、酸化された状態のものより、イオウと結びついた硫化鉄(FeS)のかたちものの方が多くなっています。惑星では地球と同じように天体内部で金属の鉄としてあるものが主要なものです。
 そんなことを思い出させてくれるのが鉄隕石です。さらに鉄隕石は、いくつかの大事件が起こったことも教えてくれます。
 先ほどいいましたように、惑星の内部には金属の鉄が集まっています。ところが宇宙空間にある鉄の固体は硫化鉄です。化学的状態の違うものになっているわけです。違ったものになるには、なんらかの事件が起こっているはずなのです。
 まず、固体の硫化鉄が他の化合物の一緒に集まってきます。ただ集まるだけなら変化はおこりませ。宇宙空間でものが集まるということは、衝突しながら集まっていくことを意味します。そのときにエネルギーが放出され、集まったものは熱くなります。熱くなると、やがて、溶けやすいものから溶けはじめます。硫化鉄もその溶けやすいものの一つなのです。溶けた硫化鉄は他の固体の成分より比重が大きいので、沈んでいきます。つまり中心に集まります。中心部では、温度も圧力も高くります。すると、硫化鉄のイオウの成分は、軽い元素であること、高温高圧では硫化鉄の形では存在できないことから、鉄から分かれて、浮いていきます。イオウのなくなった鉄はますます比重を大きくなり沈んでいきます。やがて溶けた鉄は中心部にたどり着きます。それが太陽系形成の初期の天体がすべてたどった運命なのです。
 隕石として鉄隕石があるということは、かつて惑星の中心部にあった金属鉄が、ばらばらになっているといこと意味します。鉄隕石に何種類かあることから、いくつもの天体が壊されたということを意味しています。原始の惑星同士の衝突があり、大部分の天体はなくなり、今の惑星の数だけが残ったのです。そしてその破片が隕石として時々地球に落ちてくるのです。
 鉄隕石は原始惑星の形成と、その破壊の歴史を物語っているのです。

・隕石シリーズの再開と終了・
間があいていましたが、隕石シリーズをお送りしました。
再開早々ですが、私の机の中にある3種類の隕石の話は、
これで一応終わりとします。
隕石については、まだまだ面白い話題がいくつもあるのですが、
それころ止らなくなります。
そのシリーズは別の機会にしましょう。

・面白さ・
鉄隕石は上でも述べましたが
私たちの常識をつぎつぎと覆してくれます。
金属の鉄は地球の表面では特殊で、酸化鉄が普通であること。
しかし、酸化鉄も地球全体や宇宙全体からみたら特別なものであること。
このように話題が、2転、3転していきます。
この視点の変化を、私はいつも面白いと思っています。
なぜなら、自分の視点を変えると、結論が行ったり来たりするからです。
鉄という元素が、視点を変えるとともに変化していく様を、
面白いと思いませんか。
そんなことを面白いと思える人を、また、私は面白いと思います。
それを面白いと思っている私を、また、私自身が面白いと思っています。
もうやめておきましょう。
限りなく続きそうですから。

・鉄器時代以前の鉄器・
私たちが利用している鉄は、
すべて人工的に、酸化物から、酸素を取り除いて作ったものなのです。
酸化した鉄を還元するには、それなりの技術が必要です。
人類がそのような技術を身につけたのは、鉄器時代と呼ばれる時代以降です。
しかし、鉄器時代より以前の時代にも、鉄器が見つかることがあるそうです。
それは、酸化した鉄を還元したのではなく、
もともと金属の鉄の塊を当時の人は手に入れることができたのです。
それが鉄隕石です。
隕石から作られた道具、素晴らしいと思います。
そして隕石の鉄を利用しようと考えた人がいたことも素晴らしいと思います。

2003年2月20日木曜日

6_23 2月の誕生石

 2月は誕生石がひとつしかない月です。その誕生石とはアメシストです。日本名は紫水晶です。今月は、アメシストについてみていきましょう。

 アメシストは、紫水晶という日本名からもわかるように、水晶の一種です。水晶とは、鉱物名ではなく、一般的な名称です。鉱物名としては、石英です。
 石英は、二酸化珪素(SiO2)からできており、硬度7、比重2.65、六方晶系(6角柱状)の結晶です。石英は、花崗岩や片麻岩などの大陸地殻をつくる岩石の主要な鉱物です。また、一般的な堆積岩の主要構成物でもあります。つまり、地表でももっとも多い鉱物の一つなのです。
 石英で、無色透明で、その結晶形がきれいなものを水晶と呼んでいます。水晶は、一般には無色透明ですが、地表にたくさんある石英ですから、変わり者もみつかります。変わり者でも、きれいなものであれば、ひとは珍重します。つまり、宝石や飾り石として価値を見出すのです。
 色のついた水晶として、アメシストや煙(けむり)水晶、黄水晶(シトリン)などがあります。
 紫色から、青紫や赤紫色のついたアメシストは、日本人は、紫色を高貴な色としていたので、古くから愛好された宝石です。また、水晶の中でも紫水晶が高価となっています。アメシストの紫色の原因は、長く定説がなかったのですが、1973年に旧ソ連でアメシストの合成に成功して、少量の鉄分と放射能のために着色することがわかりました。合成アメシストはロシアおよび日本で製造されいますが、ロシアの水晶の製造技術はいまでも、世界の一流を誇っています。
 模様のついた水晶として、緑泥石や角閃石など結晶の中にできている草入り水晶、ルチルや電気石の針のような結晶ができている針入り水晶などというものもあります。
 石英の小さな結晶があつまったものとして、繊維状の結晶が集まった玉髄(ぎょくすい)があります。これには8月の誕生石のメノウがふくまれます。また、丸い小さな結晶が集まったものとしては、チャート、フリントなどとよばれるものがあります。
 日本の水晶の産地として、山梨県乙女鉱山や水晶峠、岐阜県苗木地方が有名でしたが、今はほとんどとでなくなってしまい、大正の半ばころから輸入がはじまっています。でも、山梨県甲府市は、水晶の加工地、あるいは集積地としていまでも有名です。
 海外の水晶の産地は、古くからマダガスカルとスイス、ミャンマーのものがつかわれていました。現在では品質や産出量で、ブラジルが一番となり、ついでマダガスカルとなっています。
 石英という大地にはありふれた鉱物から、水晶という結晶の美を見出し、水晶の中からも、より色のきれいなアメシストという宝石を選び、それらを月々の宝石として珍重します。ひとは自然物に愛着を持ち、愛でてきました。その気持ちはいまだに衰えていません。
 アメシストは誠実、心の平和を象徴として、2月の誕生石となっています。でも、いまや美への愛を越えて、富への執着、所有欲、自己顕示欲・・・・・

・酔わない石・
アメシスト(amethyst)の語源は、
ギリシア語のamethystosから由来しています。
ギリシア語のamethystosとは、「酔わない」という意味です。
ですからアメシストを身に着けていれば、
悪酔いを防ぐと信じられていました。
また、アメシストの色がワインの色に似ているので
バッカス(酒の神)・ストーンともよばれました。
酒飲みには、なかなか魅力的な宝石のようです。
でも、その効能のほどは、各自で試すしかないのですが・・・

・水晶とは水の固まったもの?・
水晶の産地としてスイスが有名であると上で書きました。
ローマ時代には水晶の産地としてアルプスがすでに有名となっていました。
そのため、プリニウスは、その著書「博物誌」(第37巻)で、
「冬の雪がもっとも固く氷結した場所で発見されるので、
氷の一種であることは間違いない」
と書いています。
水晶が水の結晶であるという説は、16、17世紀にまで信じられていました。
また、水晶はその魅入られるような透明感、美しさから、
ヨーロッパでは、水晶凝視(crystal gazing)として、
占いにも利用されてきました。

・欠かせない石英・
ありふれた水晶ですが、各種の用途に用いられてきました。
光学的な特性を活かして、鉱物を観察するための偏光顕微鏡の部品として、
圧電効果を水晶発振器としてクォーツ時計や電子部品に、
大きな硬度を活かして研磨剤として、
透明感と硬さはガラスやレンガ、セラミックとして、
超高純度の珪素は電子機器機器の半導体として、
石英は、いまや、ひとの生活には欠かせない素材となっています。

2003年2月13日木曜日

6_22 スペースシャトルの事故に寄せて

 この原稿は、2月3日に書きました。そのつもりで読みください。本当は、前回の号で発信すればよかったのですが、2月6日号を発行したあとで、書きました。私が、この事件の報に接した直後に感じたことです。

 2月1日午前9時00分(日本時間2月1日午後11時)、ミッションを終えたスペースシャトル、コロンビア号が、空中爆発しました。大気圏に突入し、テキサス州上空の高度6万メートルで交信が途絶え、空中分解しました。異常が検知されてから、たった7分間のできごとでした。7名の宇宙飛行士が、亡くなられました。ご冥福を祈ります。
 現段階でわかる事故のあらましをニュースから拾っていきます。多分、このメールマガジンが出る頃には、もっと、正確で詳しい情報が公開されるでしょう。ここで示した情報は、
http://spaceflightnow.com/shuttle/sts107/
から、拾ったものです。時間はアメリカ東部時間で、日本との時差は+14時間です。
1月16日11:39(日本時間17日0:39) コロンビア号打ち上げ。
このミッションは、科学フライトとよばれるほど、多様な実験が予定されたもので、生命科学、物理、地球宇宙科学、教育までの広い範囲ものがおこなわれました。その中には、世界中の学生から公募した実験(日本の学生のものも含まれていました)がおこなわれました。
2月1日8:15(日本時間1日22:15) 着陸態勢に入る
2月1日8:53 左翼の水圧システムの信号が途絶
2月1日8:56 左側の着陸用ブレーキとタイヤデータ途絶
2月1日8:58 機体左側の三つの温度計が不能に
2月1日8:59 耐熱タイルの温度のデータが途切れ、1分後左リタイヤの圧力のデータが途切れる。
2月1日午後 ブッシュ大統領は、これに関して声明を発表し、哀悼の意を述べました。

 宇宙には、国際宇宙ステーション(ISS)があり、ロシア人1名、アメリカ人2名の計3人の宇宙飛行士が、現在も滞在中です。その補給のために、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から無人補給船プログレスが、モスクワ時間の2日午後4時(日本時間午後10時)に打ち上げられました。このニュースに気づいた人はどれくらい、いたでしょうか。宇宙に滞在中の宇宙飛行士は、3月はじめに打ち上げられる予定だったスペースシャトル、アトランティスで帰還する予定でしたが、多分延ばされるのでしょう。今回のプログレスの補給が成功すれば、この宇宙ステーションに、6月までは、滞在可能です。
 そして、スペースシャトル計画も、それによって予定されていた宇宙に関する科学は大きく遅れるでしょう。
 科学や科学技術は、完全ではありません。ただし、それに携わる科学者、技術者たちは、完全であろうと努力しています。現場にいる人たちのおこなっている作業は、大部分はチェックです。実際の製造にかかる時間の何倍の時間をかけて、これでもか、これでもか、と思えるくらい、検査や試験を繰り返えしています。宇宙飛行士の訓練も同じです。
 もちろん、事故や失敗には、原因があるはです。そして、原因がわかれば、それは修正することができます。でも、最初から原因がわかっていれば、それは、チェックにかかるはずです。そんなチェックの目を逃れる原因が、まだまだ一杯あります。
 今回の事件は、人間が万能でないこと、そして、科学も万能でないことを示しています。
 人間は完全ではありません。どんなに善意をもっておこなったとしても、どんなに慎重に取り組んだとしても、失敗はします。人類はそんな失敗を繰り返しながら、現在の文明や発展を勝ち取ってきたのです。成功の裏には、多くの失敗があったのです。ただ、失敗の結果が、人命にかかわったので、大きくニュースになりました。
 科学も完全ではありません。それは、いままで人間が作り出してきた技術や道具で、壊れなかったものはあるでしょうか。事故がおこらなかったものはるでしょうか。それほど、技術や道具には、故障や事故はつきものなのです。
 原因は追求すべきです。そして二度と同じ事故や故障が起こらないようにすべきです。そして、そこに人的ミスがあれば、その責任を追及すべきです。もし、そこに悪意や手抜きなど、あれば糾弾すべきです。
 でも、その結果として、科学や科学技術や宇宙に人間がいくことを否定的に語るのは、間違っていると思います。もともと、多くの人の合意もとにはじめられた宇宙への進出のはずです。それを、事故がおきてから批判するのは、慎重にすべきです。
 スペースシャトルがはじめて成功したときの感動、毛利さんや向井さんが宇宙に行ったときの興奮、それを思い出しましょう。そして、そのとき多く人は宇宙へあこがれたはずです。子供たちは宇宙飛行士を夢見たはずです。宇宙への夢は、人類全体の夢だったはずです。
 ブッシュ大統領の声明の中で、こんな言葉を述べました。
"Our journey into space will go on."
「われわれの宇宙への旅はまだ続くのです。」
 7名の宇宙飛行士の冥福を祈ります。

・続報・
その後のニュースで、いろいろ事故原因が追究されています。
現段階では、まだ、原因は特定されていませんが、
そのうちかならず原因は突き止められるはずです。
それは、今までNASAが成し遂げた数々の実績からも明らかです。
そのような原因追求の結果、あらたな進歩がもたらされるはずです。

・ショック・
私が、ニュースを見たのは、2月2日の朝刊でした。
テレビのニュースを見ました。
最初は画面にかじりつくようにしてみていたのですが、
何度も繰り返し流される映像を見ているうちに、
あの中に、7人の人間が乗っていたのだと考えると、
見るのがつらくなってしまいました。
同じことが、2001年9月の貿易センタービルのテロの映像、
そして1986年1月のスペースシャトル、チャレンジャー号の映像
を繰り返し見たときと同じような気持ちになりました。

2003年2月6日木曜日

6_21 セントヘレンズ火山:自然と科学と

 アメリカ映画には、火山噴火をあつかったパニックものがあります。「ボルケーノ」や「ダンテズ・ピーク」、「ボルケーノ・インフェルノ」など、日本でも上映されたものも、いくつかあります。科学的に間違っているシーンがあって、地質学に携わっている者としては気になったこともあったのですが、火山パニック映画は、火山の怖さを、広く知らせるのに、十分な効果があったと思います。でも、現実の火山は、娯楽ではなく、本当の恐怖があります。架空の世界ではなく、本当の被害、けが人死人がでます。

 意外かもしれませんが、アメリカ合衆国は、火山国でもあり、地震国でもあります。それは、ちょっと考えれば、誰もが思い当たることです。ハワイの火山、ロサンゼルスの大地震、サンアンドレス断層、イエローストーン国立公園の間欠泉など、火山と地震を象徴するものが、いくつもあるのです。火山国日本、地震国日本も、顔負けしそうなほど、有名なものがあるのです。
 アメリカ合衆国には、約65の活火山が知られています。ちなみに、日本の活火山は、気象庁では86個ある(別の定義では約120個)と考えています。
 なかでも、アメリカ合衆国の太平洋海岸近くにあるカスケード(ワシントン州、オレゴン州、北カリフォルニア)は、アメリカ大陸でも、有数の火山地帯です。カスケード地域の北にあるセントヘレンズの噴火は、記憶に残るものでした。
 アメリカ合衆国、ワシントン州のセントへレンズは、1980年5月18日午前8時23分、マグネチュード5.0の地震とともに、激しい水蒸気爆発を起こしました。
 噴火により、山体の北側が、あっという間に消え去り、大きな馬蹄形カルデラが形成されました。山頂は、あっという間くずれ落ちました。その爆風は、山頂から28kmも離れたところにまでたっし、北側の約600平方kmの森林を壊滅させました。噴火の噴煙は、成層圏にも上がっていきました。
 噴火の熱は、雪や氷を融かし、土石流、泥流となって、ノース・フォーク・タートル川を流れくだり、ふもとには厚さ20mにおよぶ地層ができました。
 その後も、セントへレンズでは、12回以上の溶岩ドームの形成、そして崩壊がおこりました。火砕流も、繰り返されまた。1986年にやっと、セントヘレンズの火山活動は、おわりました。そして、馬蹄形カルデラの中には、溶岩ドームが形成されていました。溶岩ドームは、底面の直径1km、260mの高さに達するものとなっていました。
 1980年の噴火では、57名の人命が失われました。犠牲者のなかには、アメリカ合衆国地質調査所のジョンストン(David A. Johnston)が含まれていました。火山観測中の殉職でした。ジョンストン嶺観測所は、彼が殉職した地に建設されたもので、博物館として一般公開されています。しかし、なぜ、こんなにも多くの犠牲者を出してしまったのでしょう。
 セントヘレンズが活火山であることは知られていました。地質調査所では、1970年代にセントヘレンズは、過去数千年間、カスケード地域の火山で最も活発な活動をしていることを知っていました。過去600年間に、デイサイトというタイプのマグマが固まったドームを形成するような活動が、少なくとも3回あったことが、わかっていました。1857年の噴火では、北西側中腹のGoat Rockから安山岩質溶岩を流していました。ですから、活火山であることは、知られていたのです。
 噴火の予測がなかったわけではありません。カスケード地域では、セントヘレンズは、もっと高い確率で噴火するであろうと予測され、それも、近い将来(西暦2000年まで)に、噴火するであろうと予測されていました。また、地質調査所では、1980年から1986年にかけての度重なる噴火を、かなり正確に予測していました。
 噴火の予兆がなかったわけではありません。噴火の2ヶ月前の3月20日から、火山性地震が観測されていました。3月27日には、山頂ドームから最初の水蒸気爆発がありました。その後も、爆発を繰り返しながら、山体の北側がせりだしはじめました。それは、毎日2mずつほど変化していました。噴火の5月18日までに、その変化の量は、100mに達していました。長い期間にわたって、予兆現象があり、噴火の危険性がわかっていたのです。
 なのに多くの犠牲者を出しました。それは、予測を覆したものがあったからです。噴火と土石流の規模と威力などです。
 高速で、大規模な山体の崩壊することを岩屑なだれといいます(http://www.nagare.or.jp/mm/99/iizawa/japanese/intro0.htmに山体崩壊の動画あります)。高温の火山灰とガスの混合物の流れは、火砕流、あるいは火砕サージと呼ばれています。セントヘレンズの岩屑なだれと火砕流のスピードは、秒速35mという速さで、28kmの距離にまで達するのに10分もかかりませんでした。秒速35mとは、時速にすると126kmにもなります。火砕流をみてから、車で逃げようとしても、逃げ切れるものではないのです。日本の雲仙火山の1991年の噴火の犠牲者をだしたもの、このような火砕流でした。
 土石流も、大きな被害をもたらします。1980年にセントヘレンズ山で発生した土石流は、橋、建物、さらに材木運搬用のトラックなども、破壊しました。土石流は、マグマや岩石の破片と、河川や池の水、溶けた雪や氷が交じり合っておこります。土石流は、通りすぎたことろを、根こそぎ、破壊していきます。土石流は、数時間のうちに数十kmを流れ下ります。1985年のコロンビア、ネバドデルルイズの1985年の噴火で起きた土石流では、23,000人以上の犠牲者をだし、おなじくコロンビア、ガレラス火山の1992年の噴火、日本では有珠山の1978年の噴火による泥流でも、犠牲者が出ています。
 1999年、私は、セントヘレンズ火山を訪れました。噴火後20年もたっているというのに、火山で倒れた木々が、いまだに倒れたままの姿をさらしていました。木は、噴火口と反対側に爆風でなぎ倒された状態のままとなっていました。そして、スピリッツ湖の湖面には、流れ込んだ大量の流木が浮かんだままでした。
 このような火山の噴火の様子が、ほとんど手を加えずに残されているのは、セントヘレンズ火山の周辺が、国立火山記念公園に指定されているからです。この公園は、火山の傷跡をそのままにして、火山という自然現象の脅威と、そこから学んだ教訓を常に思い出すため措置でしょう。
 科学は、多くの益をもたらし、現代社会は、科学なしには存続できません。しかし、科学は、万能ではありません。科学を過信してはいけないのです。火山、地震、台風などの自然現象を、科学は、まだ十分に解明できていません。そして予測も、まだ完全にはできないのです。そのような自然現象から教訓を学ぶときに、私たちは、手痛い代償を払わなければならないことがあります。まだまだ、私たちは自然を知らないのです。科学を過信せず、自然に謙虚に接する必要があことを、セントヘレンズは、私に教えてくれたのです。

・ASTER画像・
このエッセイは、恒例の
ERSDAC(Earth Remote Sensing Data Analysis Center)
のホームページと連動しているものです。
http://www.ersdac.or.jp/Others/geoessay_htm/index_geoessay_j.htm
このホームページでは、ASTERの衛星画像として、
・セントヘレンズ火山のフォールスカラー画像
・セントヘレンズ火山の鳥瞰画像
が掲載されています。
また、地上からとった映像として、
・セントヘレンズ火口
・爆風によりなぎ倒された木
・セントヘレンズ遠景
があります。
これらの画像をよくみると、きれいな景色の中に、
自然の荒々しさが刻み込まれていることがわかります。
ぜひ一度、覗いてみてください。

・親ばか・
前回で長男の誕生日に水族館に行ったいいましたが、
先日の道南旅行で、入ろうとした水族館が冬季のためしまっていたので、
近くの町の水族館に行くことにしたのです。
冗談で、私が、水族館の水が凍っているかもしれないよ、というと、
ワカサギつりを思い浮かべて、氷に穴を開けて、見るという。
冗談を信じてしまう素直さ、そして、機転の自由さは、
子供にまさるものはないと思いました。
親ばかでしょうか。