2003年3月13日木曜日

6_25 3月の誕生石

 3月の誕生石は、サンゴ、コハクとアクアマリンです。3月の誕生石には少々変わり者がふくまれています。

 3月の誕生石のうち、サンゴとコハクは鉱物ではありません。宝石とはいいながら、少々変わっています。
 サンゴは珊瑚と書きます。宝石として用いられるのは、サンゴとは、生物の外骨格で、小さなサンゴ虫が集まったものです。つまり宝石のサンゴは、動物の骨で、炭酸カルシウム(CaCO3)でできています。炭酸カルシウムは、鉱物名では方解石やアラゴナイトとよばれるものになります。サンゴには化石として地層から出てくるものもありますが、宝石として利用されているのは、地質学的には現在のもの(現生といいます)といえます。
 サンゴは、暖かい海(表面海水の温度が16℃より低くならないところ)でだけ成長する生物です。サンゴには色とりどりのものがあります。そんな色のきれいなものが宝石として利用されてきました。宝石となるサンゴは、アカサンゴとよばれるものが、その代表的なもので、古くから珍重されてきました。
 コハクは、琥珀と書きます。コハクは、化石です。昔の木の樹脂が固まって化石となったものです。現生の樹脂は、コハクとはいいません。長い時間をかけて固まったものをコハクといいます。固まった樹脂ですから、中には、樹脂を食べに来た、虫が入っていることもあります。
 コハクは軽く(比重1.04~1.10)、やわらかく(硬度2~3)、熱にも弱いため、取り扱いには注意が必要です。比重が小さいので、地層から流れ出したコハクが、水に浮くので、遠くの海岸にうちあげられることがあります。
 アクアマリンは日本名が藍玉(らんぎょく)です。アクアマリン(aquamarine)の語源はラテン語で、aquaは水を、marineは海を意味するmarinaから由来しており、海水という意味になります。語源が示すように、透明感のある薄い青色をしていますが、青緑色や青色があります。青みの強いものが高価とされています。しかし、緑がかった色のものです、加熱すると、青色に変えることができます。
 鉱物名は、ベリル(緑柱石)です。エメラルドもおなじベリルなのですが、アクアマリンの青は、少し含まれる鉄(Fe3+)の色です。アクアマリンは強くて丈夫な結晶で、傷のない大きな結晶としてでることがよくあります。そのために宝石としては、エメラルドより安くなってしまいます。

・七宝・
七宝というものをご存知でしょうか。
七宝と書いて、「しっぽう」あるいは「しちほう」と読みます。
仏教の経典に由来するものです。
読んで字のごとく、七つの宝石のことです。
7つの宝石の種類は、経典によって多少の違いがありますが、
金、銀、真珠、瑪瑙(めのう)などに加えて、
琥珀(こはく)と珊瑚(さんご)が入っています。
3月の誕生石のうち、2つが入っているわけです。
コハクは、ヨーロッパでも、古くから装飾品として利用されてきました。
コハクは、古墳時代に勾玉(まがたま)や棗玉(なつめだま)として
加工されてきました。
コハクもサンゴも、人類とは付き合いの長い宝石なのです。

・父の宿題・
Nanさんから、メールをいただきました。
それに対して、私は返事を出しました。
少々長いのですが、掲載します。

「こんにちは。
お父様のこと、お悔やみ申し上げます。

私も、5年前の春に父が亡くなりました。
そのとき、父から大きな宿題をもらった気がしました。
少し長くなるかもしれませんが、もし時間があれば、お読みください。

私は、科学者を目指し、長年、科学的、つまり論理的、理性的にものごとを
見るべきだという考えを培ってきました。
ですから、もともとかどうか分かりませんが、
それが、私の第二の天性として、理性優先の自分をつくっていました。

感情は理性の次に来るもので、ものごとに感動することは、
もちろんありますが、理性がそれを超え、理性の元に感情がある、
つまり感情を理性がコントロールできるものと考えていました。

そして、父の葬式の時もそのつもりでした。
納官の時、私は、涙が流れて止りませんでした。
それを自分がつまり自分の理性が驚きを持ってみている気がします。
出棺のとき挨拶をする予定でしたが、しゃべれなくなり、
葬儀社の人に急遽お願いしました。
そのときには、理性は感情に完全に負けてしました。
そして火葬後、父の骨を拾った時も、涙こそ流れていませんでした、
感情に負けてしまった自分がいました。

こんな事態に出くわし、私、あるいは私の理性はあせりました。
今まで、自分は理性的人間である思っていたのです。
そんな理性的であると思っていた自分が、
感情に肉体が完全に支配されている自分、
理性が消えている自分をはじめて経験したのです。

理性と感情、この2つをどう自分の中で折り合いをつけるか。
それが、私が父からもらった、宿題でした。

それ以降、私は、ものごとの考え方を変えていきました。
それにいきくつくのに、3年近くかかりました。
その宿題の答とは、感情も理性も同等の重さがあり、
人間の肉体は、両者が住み分けているのだという、
極当たり前の結論でした。

それまで、私は、理性的人間で、感情的な人とは
相容れないものがあると思っていたのですが、
そんな感情的な自分がいることを知って、
感情的な人間も認めるようになりました。

科学とは相容れない迷信、信仰などを信じること、感情的に振舞うことも、
個人の感情、思い、つまり心の作用であるから、
それを否定する訳にはいかないことがわかったのです。
それを大いに認めることにしました。
そうすることが、自分の理性の世界を逆に理解してもらうことになるからです。
つまり、他者を認めること、それが自分のことを認めてもらうことの
第一歩になることに気付いたのです。
対立からは、発展は生まれないのです。
融合からさらなる進歩が生まれると考えるようになったのです。
ですから、宗教や迷信を否定するのではなく、
私の考えを、一つの考え方として論理的に、つまり自分のやり方で提示して、
その判断は他者に任すしかないということに気付いたのです。
そのためには、たとえ、迷信であろうが、
彼らの考えていることある程度理解しないと、
それをむやみに否定すること事態が、一種の感情的行為ともなります。
ですから、私は、他者を認めながらも、
自分の立場を可能な限り説明するという姿勢をとるようになりました。
まだまだ未熟で、必ずもうまくできませんが、
そうなりたいと考えて行動するようになりました。

そして父の宿題から、さらに2年たった最近では、
考え方がまた変わってきました。

人は、感情と理性を、時と場合によって、その比率を変化さています。
その変化が、人それぞれで多様性をもっています。
その多様性こそが、重要だということがわかってきました。

多様性の重要性は、私の研究にも反映されてきました。
それは、本当のありは超一流の独創性は、
主流と違った変わったものから生まれるからです。
つまり、独創性は多様性の中から生まれるのです。

独創性の多くは、失敗や偏見かもしれませんが、
100に一つ、あるいは、万に一つかもしれませんが、
ものになるもの、あるいは後に主流になるものが生まれてきたはずです。
それは、歴史を見れば明らかです。
そんな多様性を認める心が、より大きな発展を導いてきたのです。
それは、そのような多様性を認めるという環境があったからおこったことです。
それような多様性を認めない環境や社会こそ、注意すべきです。
私は、自分自身の独創性をつくりたいために、多様性を認めます。
それは他者のさまざまな個性を認めることでもあります。
まさに十人十色、それを認めることです。
この結論も、考えてみれば何のこともないことだったのです。
私は、もしかすると極当たり前のことを忘れてしまっていたのかもしれません。
そしてそんな馬鹿な私であることを父の宿題は
気付かせてくれたのかもしれません。

これが父の残した宿題の現在の答えです。
2年前よりさらに私は宿題を進めることができました。
そして、もしかするとそんな宿題を
さらに発展できるのではないかと思ってがんばっています。
こんな励みも元をたどれば、父の宿題からもらったものです。」