2002年10月17日木曜日

4_25 幌満:日高山脈1

 ホロマンという地名をご存知でしょうか。日本の地名です。漢字では、幌満と書きます。知る人ぞ知る地名です。特に、地質学を学んだ人には、聞き覚えがあるはずです。今回は、幌満の石について紹介しましょう。


 2002年7月30日から2泊3日で、北海道の日高地方にいってきました。その一番の目的が、幌満をみることです。人を案内するために、下見として、7月上旬にも、ここを訪れています。今回、幌満にいったのは、何年ぶりでしょうか。学生のとき、2、3度訪れました。20年ぶりくらいでしょうか。ほとんど覚えていないので新鮮な部分と、かすかな思い出と、以前来たことがあるという記憶で、懐かしいような、不思議な気持ちでした。
 幌満は、北海道様似郡様似町のなかの小さな地域の地名です。アポイ岳が有名ですが、アポイ岳もかんらん岩からできています。そこには、かんらん岩と呼ばれる岩石が、それもほとんど変質もなく、マントルにあったときのまま地表に出ていることで、地質学では、世界的に有名です。2002年8月26日には、様似町でかんらん岩の国際学会も開かれました。
 アポイ岳は日高山脈えりも国定公園の一部です。また、アポイ岳周辺は国指定の特別天然記念物「アポイ岳高山植物群落」にもなっています。高山植物群落で特別天然記念物に指定されているのは、岩手県の早池根山、富山県と長野県にまたがる白馬岳です。
 アポイ岳が、こんなに有名なのは、理由があります。標高は810.6mなのですが、なぜかこの山だけは、350m付近から高山植生帯の景観をもっているのです。本州中部なら、2500m以上、北海道でもは、高山植生帯は1000m以上です。なのに、アポイ岳は、その森林限界が非常に低いのです。それは、かんらん岩の特徴に関連があるのです。
 かんらん岩は、鉄やマグネシウムが多い岩石です。そのうち、マグネシウムは、植物の生育にはよくない元素です。また、窒素、リン、カリウムなどの植物の栄養となる元素も少ないので、植物が育ちにくく、特殊な環境となっています。アポイ岳には、アポイ岳に特徴的にみられるヒダカソウ、エゾクゾリナ、アポイカンバような珍しい植物、ヒメチヤマダラセセリ、アポイマイマイなどの珍しい動物もいます。
 かんらん岩が、なぜ、それほど珍しいかというと、マントルという部分を構成している岩石だからです。マントルとは、地球の深部にある岩石からできた部分で、地殻より下部にあります。かんらん岩は、地球深部にある岩石ですから、地表ではなかなか見ることのできないものなのです。
 地殻は、海で10km、大陸では40km、列島では20kmあります。それより下の岩石でできた部分はすべて、マントルで、地表から2900kmがマントルになります。地球の半径でいうと45%が、体積では83%マントルにあたります。それより深部には、鉄でできた核と呼ばれるものが、地球の中心まであります。
 マントルをつくっているかんらん岩は、オリーブ色のかんらん石を主として、濃い褐色(あめ色)の斜方輝石、エメラルドグリーン(濃い緑色)の単斜輝石、そして少量の真っ黒のスピネルかあるいは白く透明感のある斜長石からできています。このような鉱物の組み合わせ、量比によって、かんらん岩は細分されています。マントルのつくっているかんらん岩は、レルゾライトと呼ばれるものです。
 幌満のかんらん岩は、地下60から75kmの上部マントルが地表に上がってきたと考えられています。それは、1500万から2000万年前におこった日高山脈の形成にともなっておこった現象なのです。

2002年10月10日木曜日

6_16 10月の誕生石

 10月の誕生石は、トルマリンとオパールです。どちらも比較的よくでてくる宝石です。

 トルマリンは、日本では電気石と呼んでいます。この日本の名前の由来は、加熱したり、摩擦したりすると、静電気がおきることによります。
 化学成分は、気が遠くなるほど複雑です。化学式で書くと、Na(Mg,Fe,Mn,Li,Al)3Al6Si6O18(BO3)3(OH,F)4となります。ホウ素を含むことが、大きな特徴です。化学組成のカッコの中は、どれかの元素か、いくつかの元素が組み合わさったものを意味します。ですから、非常に多様なトルマリンがあることが、わかります。
 多くは、色が黒いのですが、褐黒、青黒、緑、紅、と多様ですし、透明だったり不透明であったりします。もっとも普通にでてくるのは、鉄電気石とよばれるもので、ガラスのような光沢をもち、黒色で不透明な六角柱状結晶です。
 宝石となるものは、リチア電気石で、10月の誕生石とされているトルマリンは、これをさします。
 火成岩のペグマタイトや花コウ岩の中に、ごく普通にみられ、結晶片岩や片麻岩などにも含まれています。
 日本の代表的な産地としては、福島県石川、山梨県黒平、鳥取県広瀬鉱山、宮崎県鹿川、鹿児島県屋久島などがありますが、宝石となるようなものはほどんど出てきません。日本以外では、多くの国から出てきますが、なかでも、ブラジル、アメリカ合衆国、タンザニア、ケニア、マダガスカルなどがおもな産地となっています。
 つづいて、オパールです。オパールは、日本でもなじみのある名称ですが、タンパク石という日本名を持っています。
 でも、オパールは、鉱物ではないのです。つまり、結晶化していません。化学組成は、珪酸(SiO2)を主としていますが、1~21%の水を含んでいます。ですから、化学組成を式(構造式といいます)で書くと、SiO2・nH2Oとなります。宝石となるようなものは、水分が約6~12%の範囲になるようです。
 オパールは、硬度が5.5~6.5ですが、比重が2.0~2.3と小さいのが特徴です。
 オパールは、無色透明(ウォーターオパール)、白(ホワイトオパール)、黒(ブラックオパール)、黄から赤色(ファイアオパール)など、変化にとむ色(七彩色、遊色効果ともいいます。英語ではplay of colorです)をもっています。しかし、虹色にきらめくもの、特殊な色をもつもの、おもしろい模様のあるものが、宝石としてつかわれます。
 オパールの七彩色は、珪酸の小さな(直径150~300nm)粒子が規則的に配列して、光を回折現象させるからです。粒子が大きいときには、波長の長い赤色の光を、小さい場合には、波長の短い紫色の光をだしますが、これらが入りまじって七彩色となります。
 オーストラリアとメキシコが、オパールの産地として有名です。1870年代にオーストラリアで、堆積岩の中から品質のいいオパールが発見されました。ときには化石がオパール化したものがります。現在もホワイトオパールやブラックオパールのおもな産地となっている。メキシコのオパールは、火山岩の中の穴にできるウォーターオパールやファイアオパールが有名です。
 日本では、福島県西会津町宝坂、長崎県波佐見町、石川県赤瀬、北海道紋別などで、流紋岩の中にでてきますが、宝石にあるようなきれいなものはほとんどとれません。
 1972年に、ホワイト・オパールとブラック・オパールが人工的に製造できるようになりました。現在では、プラスチック製で、天然物と同じような構造で、識別困難な精巧な人工オパールもできるようになりました。
 オパールは水をふくんでいるため、乾燥したり、熱によってひびがはいってしまうことがあるので、保存には注意が必要です。

・宝石のはやりすたり・
オパールは、ローマ時代から珍重されていたようです。
大プリニウスの「博物誌」には
「いろいろな宝石の魅力を寄せあつめたようなものだから、
これを記述するのはひじょうに困難である。
それはいわば、ザクロ石のちらちら燃える火と、
アメシストの緋色の輝きと、
エメラルドの海緑色とを併せもっている」
とあります。
中世には、オパールは、
毒を予防する力があると信じられていたので、
指輪だけでなく、金銀細工の装飾としてよく使われました。
その後も、17世紀初期まで、宝石として大いにもてはやされました。
ところが、ウォルター・スコットの小説
「ガイアスタインのアン」(1829年)で、
主人公が、オパールを持っていたため不幸にあい、
オパールを海に捨ててやっと不幸から免れるというものでした。
この小説の影響で、18世紀から19世紀にかけては、
不幸を招く石として不評でした。
1964年にオーストラリアから、
青色の遊色効果を示す203カラットのホワイト・オパールを
イギリスのエリザベス女王に献上されました。
このオパールは、白金枠にセットされ、
ネックレスとして女王に愛用したので、
再びオパールの人気が出たそうです。
宝石にも、はやり、すたりがあるようです。

2002年10月3日木曜日

4_24 ハットンの火成説:イギリス3

 今回、ハットンのスケッチのある地点として、エディンバラ市内の東部にあるホリーロード公園というところも見ました。その紹介をしましょう。


 ハットンは、エディンバラを活動の場としていました。ですから、地質調査も、もちろん、エディンバラを基点としていたはずです。その証拠として、エディンバラの町の中に、ハットンが重要な考えを得た地質の現象があります。そのスケッチも残っています。
 そこは、エディンバラの市内で、高さ220メートルほどのアーサーズ・シート(Arthur's Seat)呼ばれる山があります。その山並みは、市外から見ると、山の中腹に10メートルほどの厚さの岩石の帯が見えます。
 その岩石の帯の見える山を詳しく調べたハットンは、いまでは当たり前となった、火成(かせい)説の証拠を見つけ出したのです。
 その岩石の帯の下に岩石がむき出しになっているところがあります。その岩石は、ドレライト(dolelite)とよばれる種類の岩石でした。そのドレライトを、近づいて観察すると、地層にほぼ平行にドレライトがあります。その下には赤い砂岩から泥岩が層をなしてあります。ですから、ドレライトも地層のように、水中でたまったように見えます。水成説を唱える人たちは、そう考えていました。
 詳しく見ると、水中でたまってはできないような現象を、ハットンは発見したのです。それは、下にある堆積岩の一部が、めくれ上がって、ドレライトのなかに取り込まれているところがあったのです。このような現象は、上から順番にたまる地層としてはできないものです。
 ドレライトが地層の間を分け入るとき、マグマに引っ掻かれて、マグマの中に地層がめくれ上がったのです。ハットンは、これをマグマの存在の証拠として示しました。マグマが地層に入り込む現象は、現在、貫入(かんにゅう)とよばれます。しかし、今回のように地層に平行に、貫入した岩石を、シル(sill)と呼んでいます。
 ドレライトは、玄武岩のマグマが、地中でゆっくりと冷えたものです。斑レイ岩よりもっと浅いところ、つまりやや早く冷え固まりましたす。ですから、斑レイ岩より粒は細かいのですが、目で見えるほどの結晶からできている岩石です。マグマが冷え固まったのですから、熱い物質から形成されました。
 本当は、地層を切ってマグマが貫入したもの(岩脈(がんみゃく、dyke)と呼びます)があれば、一目瞭然で、わかりやすかったのですが、なかったようです。幸いにも、シルが地層を巻き込んでいるところがあったので、ハットンは、マグマのしわざと見抜けたのですが、このような現象がなければ、ここでは、火成説を証明するのは難しかったでしょう。
 もちろん、日本は、火山国ですから、さまざまなタイプの岩脈を、多くの地域で見ることができます。
 重要なことは、自然を見る視点だということです。少々材料が不十分でも、たとえば、火成説で自然を見ていけば、その考えを支持するような証拠をみつけだすことができるのです。そのような視点を持てたかどうか、そしてその視点で、自然から証拠を見つけることができたか、その点が重要です。
 不整合とともに火成説も、ハットンの自然の見方が正しかったので、見抜けたのです。

Letter
・寒い火山・
ハットンが調査をした町を見下ろす小高い丘に立ちました。
9月の上旬だというのに、風が冷たく、
T-シャツ、ワイシャツ、トレーナー、ジャンバーまで着込んでも
寒いほどの気候でした。
前日、来ようとしたのですが、雨が降っていたので、あきらめました。
そして、午前中しかないこの日に見に来たのです。
震えながら、ハットンのみた露頭をみたのですが、
よくもこんな小さな露頭で、
地質学の趨勢を決するような証拠を見つけたな、
と関心しました。
やはり、どんなものでも、見る人が見れば、
真実は見抜けるのです。

・ハットンの知名度・
ハットンは、エディンバラの出身で、近代地質学の祖といわれています。
しかし、エディンバラ、スコットランド、あるいはイギリスにおいて、
その扱いはあまりに小さく感じました。
なぜでしょうか。
確かに
それなに評価はされています。
エディンバラの科学アカデミーに胸像も飾られています。
一般の人が入手できる資料はゼロではありません。
でも、なぜかその扱いは大きくありません。
考えてみると、イギリス人で
科学で、世界に名をなしている人々を考えると、
ダーウィン、ニュートンから、ドーキンス、ホーキングまで、
綺羅星のごとき科学者がいっぱいいます。
地質学でも、スコットランドの大地主の子として生まれた
ライエルという巨人がいます。

・火成説と水成説・
18世紀、岩石の成因として、
火成説と水成論とがあり、論争していました。
火成説は、岩石はすべて熱い溶融物(マグマ)が固まったものか、
変成してできたものだとしました。
水成説では、地殻は海洋底にたまった堆積物からできたするものです。
ハットンは、堆積岩とマグマ起源の岩石があり、それを区別していました。

エディンバラの東方にあるこの山は、
約3億5000万年前(石炭紀初期)の火山です。
長い年月のうち、火山の上部が削剥されてしまったものです。
成層火山の中央部はクレータで、
側方は層をなす岩脈や溶岩が見えています。

こんな地の利が、
ハットンの火成説を培ったのかもしれません。

2002年9月26日木曜日

4_23 ハットンの不整合:イギリス2

 ハットンが最初に不整合を記録したシッカー・ポイント(Siccar Point)を訪れました。「ハットンの不整合」と呼ばれているものです。そこは、地質学の発祥の地でもあります。


 シッカー・ポイント(Siccar Point)は、ジェームス・ハットンが不整合を記録したところです。今回のイギリスの旅で、スコットランドへ来たのは、この「ハットンの不整合」を見るためでした。
 不整合とは、地層の関係を示すものです。地層と地層の間に、時間と物質において不連続があるものをいいます。そこには、堆積物にはなりえない、大きな地質学的事件が起こったことが読み取れます。
 不整合とは、ある地層がたまって、いったん上昇して陸になり、風化や浸食により、もともとあった地層が削られ、再び大地が海に沈み、地層のたまるときにできる境界部のことです。したがって、下の地層と上の地層の間に、地層の構造や岩石の種類に連続性がありません。また、長い時間の間隙もあります。不整合とは、「証拠の残らない大きな地質学的異変」ことで、そしての「証拠のない」証拠でもあるのです。
 このような不整合の存在を最初に示したのが、ジェースム・ハットンなのです。上で述べたような地質現象を見抜き、科学的な解釈をしたことによって、ジェームス・ハットンは、近代地質学の祖と呼ばれています。
 シッカー・ポイントの不整合は、「ハットンの不整合」(Hutton's Unconformity)と呼ばれ、地質学者には有名な露頭です。
 この不整合は、シルル紀の地層の上に、デボン紀の地層が、不整合で重なっています。シルル紀とデボン紀の地層の境界は、イングランドやウェールズでは、不整合ではく、整合(せいごう)で重なっていますが、ここスコットランドでは、傾斜した不整合で重なっています。
 シルル紀の地層は、ぺらぺらとはがれやすい性質(葉理(ラミナ)の一種)の粒の細かい砂岩から泥岩と、粒の粗い白っぽい砂岩との繰り返しの地層です。デボン紀の地層は、旧赤色砂岩とよばれるもので、文字通り赤い砂岩です。エディバラの建物の石材としてよく利用されています。
 上に乗っている地層の最下部には、基底礫がありました。このような基底礫のあることも不整合の有力な証拠となります。
 下のシルル紀の地層は、海でできた地層(海成といます)で、褶曲(しゅきょく)し、断層や割れ目がたくさん形成された色の濃い砂岩から泥岩(グレイワッケとよばれています)からできています。この堆積物は、かつてスコットランドが属していた大陸ローレンシア(Laurentia)という大陸の前面にあったイアペタスという海(Iapetus Ocean)の沿岸や海底にたまったものです。場所によっては、花崗岩や火山などの活動も起こっていました。
 じつは、もう一つ「ハットンの不整合」と呼ばれているところがあります。
 それは、エディンバラから南にあるジェドバラ(Jedburgh)というイングランドの境界に近い町にあります。シッカー・ポイントのスケッチも有名なのですが、ハットンの不整合のスケッチでは、多分、この地のもののほうが有名です。
 そこも訪れました。しかし、あまりにもスケッチとはかけ離れたものでした。川を挟んだ対岸にその不整合の露頭はありました。しかし、風化や浸食が激しく、昔の面影は、ほとんどありませんでした。一応、露頭の前の草は刈られていて、露頭の全貌を見ることはできました。でも、その露頭は、本当の不整合面は、上から雨水で流された土砂をかぶっていて、よくわからなっていました。
そしてシルル紀の地層とデボン紀の地層は、岩石の色も違うはずなのですが、
風化した、デボン紀の土砂のために、赤茶けて、区別がつきにくくなっています。
 それと、この露頭にたどり着くための情報が非常に少ないのです。それに、露頭の前に、看板すら立っていません。近くの工場のおじさんに聞いて、やっとその露頭がわかったほどです。

Letter
・ハットンの斉一説・
ハットンは、地質現象が長い時間をかけて起こり、
現在の地球の景観は、何百万年もかけてつくられたのだと論じました。
これは、斉一説(せいいつせつ)と呼ばれる考え方です。
ハットンは、斉一説の考えで地質学を構築しました。
斉一説とは、現在起きている地質現象が、
過去にも同じように起きていたという考えです。
この説は、地球の歴史を調べるうえに、
「現在」が有力な情報を与えてくれることになります。
背一説を象徴する言葉として、
「現在は、過去の鍵である」
という言葉があります。

・斉一説と激変説・
ハットンの斉一説は、
激変説(あるいは天変地異(てんぺんちい)説)と対立しました。
激変説は、フランスの博物学者キュビエらがとなえたものです。
激変説は、キリスト教の影響を受けた説です。
激変説では、地球の歴史は4000年ほどで、
その間、大洪水や大地震に何度もおそわれ、
破壊がくりかえされたとする考え方です。
斉一説か、激変説か、大いにもめました。

ハットンの考えを踏襲したライエルが、斉一説をより広めました。
しかし、ライエルは、斉一説にこだわるあまり、
アガシが氷河時代の存在をいったときには、
猛烈に反対しました。

自説は、主張しなければ、受入れられません。
ただ、自説にこだわりすぎると、
他説の重要さを見逃すことがあるようです。
かのアインシュタインも、
量子力学は容認できず、
強く抵抗していました。
教訓にすべきでしょう。

2002年9月19日木曜日

4_22 スコットランドの地質:イギリス1

 2002年8月31日から9月10日まで、地質学発祥の地、イギリスに行ってきました。調査で訪れた地域は、イギリスの北半分にあたるスコットランド、その都エディンバラと、その東方地域です。今回から3回にわたって、イギリスの地質紀行です。


 今回訪れたスコットランドは、東-西から北東-南西に伸びる大きな断層が、何本かある地域です。エディンバラとその東方の地域は、北の大グレン断層(Great Glen Fsult)と南にあるハイランド境界断層(Highland Boundary Fault)にはさまれた地域です。このように地質学的に重要な意味のある大きな断層を構造線と呼ぶことがあります。
 大グレン断層は、北東-南西方向に、アイルランド地域に大きなくびれをつくっています。この断層内には、ネッシーで有名なネス湖などがあります。
 ハイランド境界断層は、イングランドとスコットランドの境界付近にある断層です。この断層の北側には、シルル紀の地層を主として、北側にデボン紀の地層が不整合によって重なっています。南側はデボン紀から石炭紀の地層を中心としています。
 スコットランドやイングランドの古生代の地層は、カレドニア造山運動によって形成されたものです。カレドニア(Caledonia)は、スコットランドのラテン名にちなんでいます。7月に訪れた、カナダのニューファンドランドの地層と連続しています。
 私が7月にみたニューファンドランドの堆積岩は、カレドニア造山運動の初期の活動ですが、スコットランドで今回見た地層は、カレドニア造山運動でも後期のものなります。さらに、イングランド側は、もっと新しい時期のものとなります。
 エディンバラやスコットランドの町並みは、赤い石でできています。この赤い石が、イギリスのカレドニア造山運動を象徴するかのような、旧赤色砂岩と呼ばれる岩石です。
 赤い色が特徴のこの旧赤色砂岩は、旧赤砂岩ともよばれるます。赤から赤褐の色をもつ砂岩からレキ岩の粒の粗い堆積物がからできています。デボン紀(4億850万~3億6250万年前)には、山脈囲まれたオルカディ湖(Lake Orcadie)と呼ばれるの環境で、激しい川の浸食で多くの堆積物が、湖には運び込まれました。このような海ではない、陸でたまった(陸成といいます)堆積岩が、です。
 旧赤色砂岩は、イギリスやアイルランドに広く分布しています。コニーベア(W. D. Conybeare)とフィリップス(J. Phillips)が1822年に命名しました。厚層で、スコットランドでは、層厚5000mに達するところもあるそうです。
 私が訪れたニューファンドランドとスコットランドのどちらも、当時存在した大きな海、イアペタス海の北側にできた陸地です。イングランドの南の陸地はまだ見ていません。イアペタス海の向こう側は、私には、まだまだ遠いようです。

Letter
・憧れの国、イギリス・
一度は行きたいと思っていて、これなかった国、イギリス。
イギリスには、淡い憧れがありました。
中学校時代のシャーロックホームズがはじまりでしょうか。
最近では、藤原正彦「遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス」。
メールマガジンの読者の坂野さんまで。
その間に、
ファイロファックスの手帳。
王立研究所のクリスマスレクチャー。
ヒースの茂る大地。
ケルト人の住んだ大地。
ストーンヘッジ。
サッカーの宗主国。
ダーウィン、ニュートン、ホーキングを生んだ国。
紳士と騎士道の国。
地質学の発祥の地。
大英帝国の繁栄とその凋落を知る国。
伝統を重んじ、それを守り抜く強さと頑固さを持つ国。
叡智のがいまだ絶えない国。
さまざまな知的刺激をイギリスという国から受けてきました。
そして、今回は、地質の古典的露頭と大英博物館という、
自然と知の集積という両面を数日ですが、
見ることができました。
はじめてのイギリス。
予想通りのイギリス。
予想外のイギリス。
イギリスは、私に、さまざまな、面を見せてくれました。

・大地と国の統一・
イギリスの正式な国名は、
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国です。
イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド
の4つからなります。
それぞれ実質的な自治権をもっている。
United Kingdumとして統一は維持しながら、
それぞれが伝統や風習の独自性を持つということでしょう。

スコットランドとイングランドは、
大地の歴史から見ると、その起源を異にしています。
4億5000万年前には、イアペタスという海によって、
スコットランドとイングランドは、
海の向こうと、こちらに、わけ隔てられていました。
しかし、イアペタス海は、なくなり、
イングランドとスコットランドは統合されたのです。
今を去ること、4億年前のことです。
大地が統合した後、同じ陸地として歴史を刻んでしました。
国としてのスコットランドよりもっと早く、
大地は統一、合体しているのです。

2002年9月12日木曜日

4_21 カルスト:山口2

 秋吉台は、石灰岩の台地です。そして、その地下には、鍾乳洞(しょうにゅうどう)があります。そして、日本でもっとも有名な鍾乳洞のひとつ、秋芳洞(あきよしどう、とも、しゅほうどう、とも読まれます)もあります。学会の折に、そこを訪れました。石灰岩がつくりだす奇妙な景観を探っていきましょう。


 鍾乳洞は、石灰岩の台地の地下にできた洞窟(どうくつ)のことです。大気中の二酸化炭素を溶かし込んだ雨水が、地下の石灰岩を、長い時間かけて、ゆっくりとゆっくりと溶かし続けたものです。鍾乳洞のなかには、自然がつくりだした、美しい造形物がみられます。
 石灰岩をとかし、石灰分をたくさん含んだ地下水は、ゆっくりと流れるところでは、その石灰分を沈殿しすることがあります。それが、鍾乳洞のなかに幻想的な模様をつくります。天井から垂れ下がった鍾乳石、下から延びていく石筍(せきじゅん)、そして上下のものがつながった石柱、皿を並べたような形態(千枚皿とか百枚皿とか呼ばれます)、また丸い丘陵のような景観もあります。
 秋芳洞の代表的景観として有名なのは、「百枚皿」とよばれています。棚田のような皿が、実際には、500枚以上あるといいます。似たようなものとして「千町田」というものものあります。石筍としては、高さ約15mの「黄金柱」と呼ばれる見事な石筍があります。
 秋芳洞は、その全長は10kmほどあるとされていますが、現在、1.5kmほどが一般公開されています。広いところでは、幅が約100m、高さが約40mもあります。秋吉台には、250以上の鍾乳洞があるといわれています。1922年(大正11)に、日本で、最初の鍾乳洞として天然記念物に指定され、1952年(昭和27)には、特別天然記念物に指定されました。
 地表に目をやると、そこにも石灰岩のつくる景観があります。岩石が雨水によって溶けていく作用(溶食(ようしょく)といいます)で、地表に不思議な石灰岩の塔が乱立し、地下に洞窟などの地形ができたりします。また、溶けた成分が沈殿したりをつくったりする鍾乳洞内の微地形も含めて、カルスト地形といいます。
 カルストは、その地形や景観が変わっているので、細かく呼び名がついてます。鍾乳洞中だけでなく、地表のものに対しても、いろいろな呼び名があります。
 地表に出た石灰岩では、その表面に、溶食によってできた深い溝、細かすじの溝(条溝)、割れ目ができたり、先がとがったもの(尖頂(せんちょう)と呼ばれます)や、丸くなったもの(円頂)など、さまざまな形のものができます。このような石灰岩特有の表面のかたちは、カレンあるいはラピエとよばれています。そして、カレンがたくさんある地域を、カレンフェルトとよんでいます。地中に浸透した地下水により溶食がすすみ、天井が落ちて、地表の穴が開いたドリーネや、地下の洞窟である鍾乳洞ができます。
 鍾乳洞は、外気が入ったり、人が入ったり、照明が当たると、埃がついたり、コケが生えたりして、「汚染」されます。ですから、鍾乳洞をみるのなら、オープンされてすぐのものや、人があまり入らないものが、その石灰岩の色はきれいです。形態は汚染されることはありません。ですから、秋芳洞の鍾乳洞は、「汚染」はかなり進んでいますが、景観のすばらしさが、いまだに多くの観光客を集めているのでしょう。

・カオス・
私は、鍾乳洞にいくつか入ったことがあるのですが、
そのたびごとに、壁や石筍などにできた石灰石の
さまざまな模様に感心させられます。
私は、石灰石の模様の中に
カオスのような、規則性と不規則性が複雑に入り混じった、
複雑系があるように見えました。

どこか似ているけれど、二つとして同じものがない。
カオスにもそんな複雑な世界があります。
そんな複雑さに、心を惑わされるのでしょうか。

・私が見たカルスト・
カルスト地形は、日本では四国カルスト、中国の石林、桂林などを訪れました。
鍾乳洞としては、日本三大鍾乳洞である
山口県秋芳洞、高知県竜河洞、岩手県竜泉洞をはじめ、
広島県帝釈峡、岡山県井倉洞、北海道の当麻鍾乳洞などを見てきました。

その規模や景観は、それぞれ、特徴があり、よさもあります。
そして、カルストは、どこか似ています。
地表では、高地や台地で、木が少なく草原であること。
鍾乳洞も、気温が一定で、湿度が高いこと。
鍾乳石などの景観も多様ですが、
どこかで見たことのある形態であったりと、
どこか似ていています。
でも、どれも違う、面白いものです。

これもカオスでしょうか。

2002年9月5日木曜日

6_15 9月の誕生石

 9月の誕生石は、サファイアです。月に一度の誕生石シリーズです。サファイアにまつわる話をしましょう。

 サファイアは、コランダムという鉱物で、六方晶系の結晶で、酸化アルミ(Al2O3、アルミナとよばれます)という化学組成を持ちます。コランダムは、鋼玉とよばれ、硬い鉱物で、モース硬度9でダイヤモンドにつぐ硬度をもっています。モース硬度計の標準として用いられています。比重4.0~4.1はです。
 コランダムの赤いものをルビー(7月の誕生石)といいます。それ以外の色のものを、サファイアと呼んでいます。ルビーの色は、少量の 酸化クロム(Cr2O3)でしたが、サファイアの色は少量の鉄(Fe2O3)とチタン(TiO2)によるものです。
 サファイアも古くから知られている宝石でした。ギリシア人やローマ人が、サファイアと呼んでいたものがありました。しかし、それは、サファイアではなく、ラピスラズリであったとされています。現在のサファイアは、他の鉱物にいれられていたようです。
 11世紀のレンヌの司教マルボード(Marbode)によれば「サファイアは天上の玉座によく似た美しさをもっている。それは純朴なひとの心をあらわしている」といったそうです。サファイアは、古くから神聖な石と見なされ、12世紀以降、キリスト教の聖職者の指輪にされてきたといいます。
 現代では、サファイアは、希少であること、そしてなんといってもその美しさによって、高価な宝石となっています。
 サファイアは、青色のものがブルー・サファイアとして一般的です。日本名でも、青玉、青宝玉と呼んでいます。その他の色のものを、ファンシー・サファイア(変り色)といい、緑、紫、黄、褐色、ピンク色などがあります。
 サファイアで、最も高価になものは、カシミール産のコーンフラワー(矢車菊)色(やや白味の淡色)、ついでミャンマー産のやや濃い青色のローヤル・ブルー、スリランカ産のやや淡色のものが続きます。タイおよびオーストラリア産は、産出量が多いのですが、その多くがインク青色のため、価格が低くなります。
 サファイアの中に、針のような細く小さいルチル(酸化チタン)の結晶を含む(シルク・インクルージョンといいます)ことによって、スター効果が生じます。スター効果という星状の輝きを出るものを、スター・サファイアと呼んでいます。
 サファイアやコランダムは、変成岩、ペグマタイト、玄武岩中にふくまれます。また、堆積物の中に、ほかの宝石鉱物といっしょにあつまり、宝石鉱床をつくることもあります。
 日本では福島県石川、阜県苗木、奈良県二上山、広島県勝光山などからコランダムを産出し、石川、苗木にサファイア、大分県木浦鉱山にルビーの産出が知られています。
 今では、サファイアは人工的に合成することができ、工業用や装飾用に利用されています。合成サファイアは、青色だけでなく、いろいろな色のものが、火炎溶融法によって合成されています。なんと、1940年ころには、合成でスター・サファイアも製造されています。

・宝石の合成・
誕生石シリーズも4月からはじめて、
はや、半年が過ぎました。
半分、終わったわけです。
この宝石についてのエッセイは、何人かの方から、
いつも楽しみにしているというメールもいただきます。
やりがいもあります。

でも、よく考えると、私のエッセイの魅力というより、
たぶん、それは、宝石の魅力ゆえかもしれません。

しかし、そうなると、その宝石の魅力が、
人間に、宝石にまつわる、悲喜劇をかずかず生みました。
私は、悲喜劇よりも、その裏に流れる、人間の執念を感じます。

例えばこんなこともあります。
今回も、そうでしたが、宝石のように高価なものは、
その高価さゆえに、安くつくることができれば、
その差額を利用すれば、もうかるというと考える人ができます。
そのような人間の執念は、
錬金術のように、科学の法則に反しない限り、
必ずや達成されます。
そこが、人間の偉大なところでもあり、
執念のすごさでもあります。
そして、一人の成功は、多くの人のまねるところとなり、
やがて価値は崩壊します。
でも、ただで転ばないのが、人間です。

もう一儲けを考える人もいます。
安さゆえ、ほかの目的で、利用されていきます。
それが、工業用として、重要な素材になります。
サファイアも、時計の軸受けや、
特殊なピンセットの先端などに利用されています。
でも、高価ですけれどね。