2004年3月4日木曜日

5_29 いろいろな石2:名前をつけるということ

 石をよく見ることが、「いろいろな石」がなぜあるのか、という疑問を解く鍵だと、前回いいました。では、名前をつけることにどんな意味があるのでしょうか。考えていきましょう。

 石は、どんな石でも、ある分類方法によって名前をつけることができます。研究者でも、一般の市民でも、だれでも、名前をつけること、名前を聞くことで満足してまうことがあります。たとえば、この川原にある石は、○○石が50%、××石が30%、△△石が20%です、という説明を専門家から受けたとしましょう。それで、わかったような気がします。その知識が身に付いたと思え、自分がひとつ賢く、あるいは得したような気になります。
 でも、よく考えて見ましょう。その川原で石の説明を聞きながら、「パッと見」でしか石を見ていないかもしれません。「パッと見」だけで、もしかすると、それ以上は石に接しないかもしれません。「パッと見」で石を見ることは、無意識の能力だけで石を見ているに過ぎません。もしかすると、実際に見たという経験、体験は、記憶に残ってないかもしれません。これは問題です。
 石を見るのには、経験も知識もいりません。生まれながらにもっている能力を活用すればいいのです。一生懸命「よく見る」ことです。この「よく見る」ことには、目で見ること、指で感じること、たたいてみること、なめてみること、匂いをかぐことも必要かもしれません。つまり、五感をつかって石を見ていくことが大切です。
 目で見るは、説明するまでもないでしょう。視覚を使うということです。指で感じることによって、石の質感、密度、表面の手触りなどがわかります。ハンマーたたくこと、石同士をこすり合わせることによって、石の硬さがわかります。なめることによって、石が濡れた状態を作りだせます。濡れると石のつくりがよく見えます。また、なめることによって、味や、舌にくっつくような感触を感じることができます。石をこすって匂いをかぐこともできます。するといろいろな匂いがすることがあります。このように五感を使うことによって、「パッと見」では得られない、桁違いに多くの情報を得ることができます。
 それらの情報をもとに、自分の考え方で分類することができます。たとえば、その川原にどれほどの種類の石があるかを調べるとしましょう。石の知識のない10人が、10種類の石を集めたとしましょう。10種類の石を集めるということは、どんなにたくさん似た石があっても、それは1種類にすぎません。石がたくさんある川原にいけば、10種類くらいは、すぐに集めることができるでしょう。10人が集めた、10種類の石をすべて集めると、100種類の石になるでしょうか。
 100個の石の中には、似た石がいくつもあるでしょう。100種類は分けすぎだと、誰もが思うでしょう。では、その100個の石を、10人で相談しながら、10種類に分けることにしましょう。すると、10種類の石にするために、個人の分類方法から全員の分類方法にいたるまでに、分けるための共通の基準が生まれてくるはずです。それは、集める人たちの考え方、経験、年齢などよって、その基準は変わってくるでしょう。しかし、多くの人に共通した何かの基準によって種類分けの方法が決まっていくはずです。
 そこで、便宜的に名前をつければいいのです。それは、学術的でなくてもいいです。知識がなくてもいいです。たとえば、A、B、C・・・でもいいですし、すべすべ石、ごつごつ石、さらざら石・・・でもいいですし、黒い石、白い石、赤い石・・・など石の特徴を表す名前でも、なんでもいいのです。
 分類したものに名前をつけるのは、便宜的なことであって、本当にしたいことは、「なぜ」を解決することのはずです。ここでは、「いろいろな石」がなぜあるのかについて調べることが目的でした。ですから、名前をつけることは終わりを意味してないのです。はじまりなのです。そして、名前をつけるというよりも、よく見ることの途中経過として、分類や名前があるだけなのです。
 よく見みると、同じ名前の石にも、いろいろな色、模様、形があります。ある人は、別の石として集めたものが、ひとつの種類として分けられているかもしれません。
 そんな石の色、模様、形がどうしてできたかに思いを巡らすことが大切です。その小さな石ころの経てきた長い時間が、地球的時間の履歴として、その石には刻まれていることに思い至ります。私は、そんな「地球のささやき」に耳を澄ませたくなります。

・根源的な疑問・
「いろいろな石」はなぜあるのかというテーマを
掲げながら、なかなかその謎に迫らないのではないか
と思われているかもしれません。
しかし、なぜ「いろいろな石」と人はいえるのかという
根源的な疑問を今解いているような気がします。
もしかすると、科学的な理屈で、
小ざかしく解決を図るより、ずっと大切なものが、
このようなアプローチにはあるのかもしれません。
これは、決して言い訳ではありませんよ。
心からそう思っています。

・解き難い矛盾に悩みながら・
このエッセイは、自分への自戒をこめて書いています。
石ころを整理することによって、
自然の神秘を知りたいはずなのに、
ついつい機械的に作業を日々しています。
数をこなすためにしょうがないというのは言い訳でしょう。
知りたいことは、
自然の神秘を科学の光の下に照らし出だすことのです。
そんな大きな目的のためにおこなっている作業が、
機械的になるのは、どうしたことでしょう。
こんな単純ですが、解き難い矛盾に日々悩みながら作業をしています。

・沖縄行・
沖縄に行ってきました。
2月26日から3月2日までです。
沖縄では、桜は終わり、葉桜となっていました。
学生たちでしょうか、団体で海水浴をしている姿も見かけられました。
沖縄は、22℃。
北海道は-6℃。
数時間で、30℃近い気温差を体感しました。
北海道の自宅は冷え切っていました。
帰宅すると室内温度は、5℃。
一晩ストーブを着けっぱなしにしましたが、
朝起きると15℃にしかなっていません。
一度冷えた家はなかなか暖まりません。
日本列島は長いのですね。
次回にその様子を紹介しましょう。

2004年2月26日木曜日

5_28 いろいろな石1:よく見るということ

 ものを調べるということは、調べるものをよく見ることからはじまります。こんな簡単なことを、ついつい忘れてしまいます。そして、どんなベテランの研究者であっても、最初の一歩はよく見ることからはじまります。今回はそんな当たり前の話です。

 以前のエッセイ(5_22 大地は何からできているか(その1)、と5_23 大地は何からできているか(その2))で、地球の大地は、なにからできているを考えていきました。その結果、石からできているという結論に達しました。その石から、スタートしましょう。
 石というと、いろいろなものを、思い浮かべます。石の名前は知らないとしても、川原や浜辺でみかけた石には、いろいろなものがあったという記憶を持っている人がたくさんいるでしょう。なぜ、いろいろな石があると思ったのでしょうか。そんな素朴な疑問について考えていきましょう。まずは、「いろいろな石」ということについて考えていきます。
 人間のものを見分ける能力は、すぐれたものです。色でも、模様でも、形でも、何か違った点があるときは、瞬時に見分けることができます。似ているものでも、よく見たり、見慣れれば、かなり小さな違いも見分けることができます。人の顔を見分けることなどは、この能力をいかんなく発揮されています。双子の顔も、身近な人には、簡単に見分けることができます。
 川原の石には「いろいろな石」があるということを思い描いたということは、無意識に石を見分けて、「いろいろな石」があるということを記憶していることになります。これは、人間のものを見分ける能力を利用して、記憶していたのです。しかし、これだけでは、どんな石があるのかと聞かれたとき、答えることができません。これは、あまり意識しないで、無意識なんされた行為だからではないでしょうか。
 無意識、あるいは意図しない能力を使うのではなく、意識して、意図的に見分ける能力を使うことが必要です。難しい言い回しをしましたが、何のことはない、石をよく見ることです。
 石だけでなく、詳しく調べるためには、まず、ものをよく見ることがはじまりです。つまり、観察することです。教科書で習った知識より、よく見ることが一番大切です。私も知識や経験によってついつい石を見てしまい、詳しく見るということを怠ることがあります。知識や経験があると、無意識ではないにしても、「パッと見」によって石の名前を決めることができます。しかし、これには、注意する必要があります。
 その経験によって「パッと見」による判定が、よく見ることによって、わからなくなることもあるし、間違っていることもあります。なんといっても、よく見ることによって、「パッと見」では気づかなかったことが、いろいろ見えてきます。
 「いろいろな石」があることは、無意識にでも、わかることです。しかし、そこに意図的に「いろいろな石」を見出すことよって、次なるステップが現れてきます。これについては、次回としましょう。

・石の素朴な疑問シリーズのはじまり・
石に関する素朴な疑問をシリーズとしてお送りします。
足元に転がっているなんの変哲もない石ころ。
そんな石ころを調べることから初めていきましょう。
石ころを調べて、どこにたどり着くのでしょうか。
私にも、その行き先はわかりません。
でも、その先には、なにか自然の神秘や不思議さがありそうです。
自然の神秘や不思議さを解き明かすには、
知識も、時には必要でしょう。
経験も、時には必要でしょう。
しかし、なによりも素直に自然をみる心が必要ではないでしょうか。
先入観、思い込み、常識はいりません。
それより、正しく、筋道をつけて考える知恵のほうが大切だと思います。
そんな気持ちでこのシリーズをはじめましょう。

・石の記載・
私は、今、毎日何個も石を見つめています。
それは、石の記載するためです。
私がおこなっている石の記載とは、
石をひとつひとつ照明をあてながらセッティングしてデジカメで写真撮影し、
計測(質量、3次元の長さ測定)し、
岩石学的は分類による命名をしていきます。
川の石の統計を取るために、
ひとつの地点で100個の石を統一した方法で採取しています。
その地点が、整理すべきところとして12ヶ所あります。
つまり、1,200個の石それぞれについて、
上の記載をおこなうことになります。
これは、昨年1年間、私が調査で採取した資料の
半分ほどの分量にあたります。
あとの半分は、すでに記載が終了しています。
残された12ヶ所の石を、2月から3月にかけての
2ヶ月ほどで整理する予定です。
現在、7ヶ所の整理が終わりました。
まだまだ、たくさん残っていますが、
上で書いたような疑問を強く感じています。
ある目的で、ある期間内に、ある仕事量をこなさなければなりません。
ですから、ついつい機械的になってしまいます。
でも、自然を素直に、そしてよく見る姿勢が必要だと考えながら、
日々、記載に励んでいます。
なんとか3月までに終わらせたいと考えています。
2月26日から3月2日まで沖縄に同じ手法を用いて、
川原での石の採取をおこなに出かけます。
採取地点は何ヶ所になるかはわかりませんが、
またまた試料が増えていきそうです。
そのためにも、早く今ある試料を整理しなければなりません。
急がねば、春が来てしまいそうです。

2004年2月19日木曜日

2_34 氷河期と人類

 生命が、地球外の原因によっても絶滅にいたるものとして、「太陽の輝きの変化」と「隕石の衝突」について話をしました。今回は、天体の運動についてです。

 地球は自転をし、月は地球の周りを巡り、地球も太陽の周りを公転しています。しかし、それぞれの運動はきれいな円運動ではなく楕円(だえん)運動です。その楕円運動も、ほかの惑星の影響を受けます。この影響は小さいものなので、気づきにくいのですが、長い時間の間に周期的な変化が起こります。これを最初に考えたのは、ユーゴスラビアのミランコビッチ(M. Milankovitch)でした。
 ミランコビッチは、3つの運動による組み合わせを考えました。際差運動、離心率の変化、章動(しょうどう)の3つです。
 コマが首を振りながら回転することがあるように、地球も首を振りながら自転しています。この首振り運動を歳差運動といいます。地球の歳差運動は、地球の公転の方向とは逆に移動しています。地球の自転の歳差は2万6000年の周期を持っています。歳差があると、地球がもっとも太陽に近づくときの季節が地域によって変わってきます。
 離心率とは、地球の公転軌道が円から楕円へどの程度ズレているかということです。この離心率は一定ではなく、周期的に変化しています。その周期は約10万年です。地球の公転軌道でもっとも離心率の大きいときに、地球が太陽から離れた位置にいくと、太陽からの日射量が大きく変化します。それは、太陽の日射量は太陽と地球の距離の2乗に逆比例するからです。離心率が最大のときは、太陽に一番近い時(近日点)と一番遠いとき(遠日点)のときの日射量は、30%も変化します。
 章動とは、自転軸(地軸)の傾きの周期的変化のことです。現在地軸は23.5度ですが、21.5度から24.5度の間を変化してしています。その周期は4万年だとされています。傾きが小さいと季節変化は小さく、大きいと季節の変化も大きくなります。
 このミランコビッチの周期性(ミランコビッチ・サイクル)には、歳差が2万6000年、離心率が約10万年、章動が4万年というものがありました。そして、そのすべては、太陽の日射量の変化がおこることが予想されます。日射量の変化は、地球の表面の温度を大きく変化させます。ミランコビッチ・サイクルは、現在、起こっていることです。詳しい観測をすれば、複雑な周期性でしょうが、正確に求めることはできるでしょう。その結果、温暖化と寒冷化がくり返し起こることが予想されます。
 ミランコビッチ自身は、緯度10度ごとに100万年前まで、この周期性を計算してみました。そして、氷河期と間氷期が起こることを説明しました。仮説ですが、かなり有力な説です。過去に向かっても、未来に向かってもその計算をされています。しかし、その精度は定かでありません。
 ミランコビッチ・サイクルと前々回に説明した「暗い太陽のパラドック」は違う原因の基づいた日射量の変化です。そしてそれぞれ地球環境にどれほどの変化を与えるかは十分解明されていません。ミランコビッチ・サイクル自身も、地球ができてからいろいろと変化しているかもしれません。今後の課題でしょう。
 氷河期は、陸上生物にとっては大きな環境変化となります。寒さ対策や食料調達をするすべを持たなくてはなりません。短期間であれば、冬眠で冬を乗り切ることも可能でしょう。でも、氷河期となると、何世代にわたって寒さを乗り切る能力を持ったものでないと、生き残れません。寒さを乗り切る能力のないものは、数を減らし、やがては絶滅していったのでしょう。
 そんな中に裸のサルもいました。裸のサルは寒さ対策を、他の生物を皮を身にまとったり、火を使うことで乗り切りました。食糧不足を道具を使うことで乗り切りました。そして、そのすべては知恵の基づいていました。寒さはさらに知恵を要求しました。そんな要求を満たすことができたのが、絶滅を免れた私たちの祖先でした。

・多様性・
生命のたくましさをたどるシリーズは今回で終了です。
どうも書いていると、地球の大絶滅のシリーズと似てきてました。
かなり意識して違うように書こうとしたのですが、
事件がダブっているせいか、どうしても似た内容となってしまいました。
申し訳ないです。
でも、一応終わりとなりました。
生命のたくましさを書くつもりが、
どうも生命は、か弱く、偶然、なんとか生き残った
のではないかという気もしました。
そのか弱さや偶然を生み出したのは、
生命全体が持つ多様性です。
多様性によって、大変な事態の生じたときに
誰かが生き残れたのです。
どうして生き残っていたのか不思議なほどの苛酷な環境の変化さえ、
多様性によって生き延びてきました。
生命のたくましさの秘訣は、多様性なのでしょう。
ですから、多様性を狭めるような行為は自殺行為でしょう。
農業、牧畜どれも多様化を狭めてないかという不安がしてきました。
多様性を守ることは大切です。
でも、どのようにはするかは、それこそ知恵の見せ所でしょう。

・風邪・
我が家が、次男、家内が結局風邪を引き、
私は少し症状が出ました無事乗り切り、
長男は少々鼻水を流しましたが大丈夫でした。
まだまだ風邪は、はやっています。
私の風邪対策は、基本的には体力を維持することです。
1 可能な限り通勤で歩くこと(片道40分)。
2 バランスのよい食事。
3 よく寝ること。
1と3は、なんとかなるのですが、2が難しいです。
朝型ですから、早朝一人で起きて、
一人で冷蔵庫にあるものや、残り物を食べて朝食としてます。
昼は大学の生協食堂で食べますから、
バランスの良いものを食べるよう心がけています。
夜は子供中心の食事ですから、
なかなか思うようにバランスがとれません。
でも、家内が一応気を配ってくれているのですが。
あまりいうと起こられそうです。
皆さんも風邪には注意してください。

2004年2月12日木曜日

2_33 予期できぬ絶滅

 生命は、地球外の原因によっても絶滅に追い込まれることがあります。そんな原因で、有名なものとしてK-T境界の恐竜絶滅です。そんなK-T境界についてみていきましょう。

 古生代から現在まで続く顕生代の中で、大きな絶滅が5つありました。それらは、絶滅のビックファイブ(Big five)と呼ばれています。その中でも、いちばん大規模な絶滅は、古生代と中生代の時代境界(P-T境界と呼ばれています)の絶滅でした。ビックファイブでいちばん規模の小さなものが、中生代と新生代の境界の絶滅です。
 いちばん規模が小さいといっても、ある見積もりによれば、種の数で絶滅率が70%に達するといわれています。個体の数ではなく、種類の数であることに注意してください。個体数の比率だと、多くいる個体が絶滅すると、種類数がそれほど多くなく、このような多くの比率を満たすことも可能です。でも、種類数が多いということは、生物の多様性が、30%まで減ったということを意味しています。
 この事件で、恐竜たちは絶滅しました。絶滅は陸地だけでなく、海の生物にも及びました。中生代は、恐竜が栄えていた時代です。この絶滅が中生代の最後の時代である白亜紀の終わりを告げました。
 中生代と新生代の時代の境界は、6500万年前になります。絶滅の事件は、6500万年前に起こったのです。
 ところで、この時代境界を「中生代と新生代の境界」と呼んでもいいのですが、時代区分では、「紀」の名称を用いて、と呼ぶのが習慣です。新生代の始まりの時代は、第三紀ですので、「白亜紀と第三紀の境界」と呼ばれます。地質学者は、この「白亜紀と第三紀の境界」を「K-T境界」と約して呼んでいます。白亜紀は、英語ではCretaceousといい、第三紀はTertiaryといいます。本来ならC-T境界というべきなのですが、カンブリア紀(Cambrian)の頭文字もCなので、混同を避けるために、白亜紀のドイツ語のKreideのKを用いることになっています。ですから、K-T境界と地質学者は呼ぶのです。
 さて、K-T境界の絶滅ですが、隕石が原因だと考えられています。まさに、大絶滅の地球外の原因としては、もっともよく知られているものです。10kmほどの直径の隕石が、メキシコのユカタン半島の北部海岸、メーリダ町の北に落ちたと考えれれています。クレーターの中心にある小さな町チチュルブ(Chicxulub、英語読みでチクサラブと呼ばれることもあります)にちなんで、チチュルブクレーターと呼ばれています。
 隕石は、突然、やってくるものです。地球の生物の進化や、地球環境とは、まったく関係なく落ちてきます。ですから、生命にとっても、地球にとっても、唐突の予期しない出来事なのです。どのような生命が、どのような状態であろうと、お構いなしです。
 もし、衝突の事件が、地球内でおこった大異変の前後だとしたら、生命へのダメージはもっと大きかったかもしれません。あるいは、長く穏やかな環境が続いた時代に生きていた生物たちは、突然の環境変化には弱いのかもしれません。
 中生代は顕生代の中でも比較的穏やかな時代でした。ですから、恐竜のような巨大な生物が陸上でも生活できたのです。恐竜は、生物としてかなり特殊化しています。そのために、突然の異変には対処できなかったのかもしれません。
 生命の多様性は、恐竜の影にも、哺乳類という生物種を用意していました。裸子植物の代わりに被子植物を用意していました。恐竜の支配下で、それまで細々としてしか、生きられなかった哺乳類の一部は、何とかK-T境界の大事件を生き延びました。そ
 の理由はわかりません。小さいこと、夜行性、恒温性、冬眠(?)などいろいろな可能性があります。でも、結果として、K-T境界の隕石衝突の事件は、哺乳類にプラスにはたらきました。そして、多くの種が絶滅した後に、ほとんど手付かずの天地が、生き延びた生物には与えられました。そんな突然の自由の広い天地に、はいずりだした生物の中では、恐竜にない能力をもっていた哺乳類が、いちばん強いものとなりました。そして、新生代は哺乳類が大いに繁栄している時代となったのです。

・飛躍的進化・
歴史は一度きりですから、「もしも」はありません。
でも、もし隕石の衝突がなければ、ということを
考えてみたくなるのは、人情です。
「もしも」K-T境界に隕石の衝突がなかったとしたら、
恐竜たちは絶滅することなく繁栄していたでしょう。
そもそもK-T境界すらなかったはずです。
恐竜たちの進化は、穏やかなものだったはずです。
生活様式や生き方の大きく違う他の生物は、
環境の大きな変化がない限り、
今繁栄している生物を駆逐して、
取って代わることは難しいと思います。
哺乳類は、やはり恐竜の影におびえながら、
細々と暮らしていたと思います。
もちろん、ヒトは生まれることはできなかったはずです。
以前、どこかの恐竜展で、
進化した爬虫類の想像上の模型を見たことがあります。
毛のない二足歩行をする人のような形態をしていました。
ここまで進化するでしょうか。
大きな飛躍的進化は、穏やかな環境変化からはどうも生まれそうに思えません。
過酷な環境変化が起こった時、
これを乗りこえたものだけが、飛躍的な進化をするようです。
このようなことを、生命の歴史が物語っているような気がします。
考えすぎでしょうか。

2004年2月5日木曜日

2_32 地球外からの危機

 生命絶滅の危機は、何も地球内だけにその原因があるわけではありません。地球外にも原因があります。そのなかで、絶滅との因果関係がわかっているものは、案外少ないです。そんな地球外の原因のいくつかが、地球環境を大きく変えたり、重大な絶滅を起こしていました。

 これまでの生命シリーズで、生命のタフさについてみてきました。さまざまな地球の変化が起こり、それが生命の住む環境の変化となり、生命の絶滅につながりました。しかし、その大絶滅が、生命の進化を促したこともありました。
 もし、このような急激な環境の変化、言い換えると地球の変化がなければ、今のような生命は生まれなかったでしょう。哺乳類や私たちヒトも生まれていたかどうかわかりません。まったく違った生命のグループができたいたかもしれません。生命というものは、地球と密接に共生しているのです。
 生命は、地球の影響を受けるだけでありません。生命が地球に変化を起こしたこともあります。いちばんよく知られているのが、大気中の酸素を生命がつくったということです。酸素が、やがては上空でオゾン層となります。オゾン層は、紫外線をさえぎり、海だけでなく、陸地にも生命が住める環境を用意しました。このように、生命は地球に生命圏とでもいうべき、重要な位置を占めるようになってきました。生命は、地球との共生にとどまらず、地球の重要な構成要素となったのです。
 ところがです。地球の環境を大きく変える要因が、地球の外にもあったのです。それも、ひとつだけでなく、いくつもものがあります。ひとつは太陽の輝きの変化です。もうひとつは、隕石の衝突です。三番目が地球の公転や自転の変化です。他にも要因があるかもしれませんが、今のところわかっているのは、この3つです。これらを少しみてきましょう。
 まずは、太陽の輝きの変化についてです。太陽は水素の核融合によって輝いています。太陽ができてすぐのころは、水素が多く、なかなか効率よく核融合ができません。核融合ある程度進んでくると、ヘリウムが多くなって、核融合をしやするくなります。つまり、太陽は時間が経過するとともに、より明るく輝くことになります。太陽ができたころに比べて、今は20%ほど明るくなっているという推定があります。
 この推定によりますと、太陽に暖められている地球は、誕生のころから、少しずつ暖かくなってきたことになります。20%ほど太陽が暗かったときの地球は、氷河期になってしまうほどの、温度と計算されます。ところが、今まで見てきた地球の歴史からわかるように、38億年前ころには海があり、その後もずーっと海が地球の表面にはあったことが地層の証拠として残っています。氷河期が訪れたこともありますが、それは一時的なもので、地球の表面には常に海がありました。これは、太陽の明るさから推定され、計算されることことと矛盾しています。このような矛盾を「暗い太陽のパラドックス」とよばれています。
 このパラドックスは、原始の地球にたくさんあった二酸化炭素が解いてくれると考えられています。太陽が暗いときは、地球の大気の主成分であった二酸化炭素が地球を暖めていました。いわゆる二酸化炭素は温室効果を大いに発揮していたのです。太陽が明るくなった今は、二酸化炭素が少なくなって暖める効果が減っています。
 かつては、二酸化炭素の多い大気が、地球の営みによって二酸化炭素が石灰岩のような岩石になり、後には生命の活動で二酸化炭素がさらに石灰岩へとされていきます。やはり、地球と生命が定常的な地球環境を維持してきたともいえます。
 次の地球外の要因である隕石についてです。隕石は、よく地球に落ちています。それが地球の環境を変えるほどのことがあるのかと思いますが、それがあったのです。小さな隕石では、それほど大きな変化は、地球に起こりません。ところが、隕石が大きくなると、落ちたところにはクレーターができます。クレーターは隕石の落ちるスピードと質量が増えるにつれて、大きくなります。
 大きな隕石は、地球の環境を瞬間的に大きく変化させます。地球環境が大きく変化すれば、生命の大量絶滅が起こります。もちろん大きな隕石が落ちてくる頻度は小さいなものです。でもゼロではありません。45億年という長い時間があれば、何度かそんな事件があってもいいはずです。でも、生命の歴史で隕石が原因の絶滅は、ひとつだけわかっています。それは、中生代と新生代の境界での事件です。K-T境界と呼ばれているものです。K-T境界については、次回詳しくみていきましょう。

・ないものねだり・
「暗い太陽のパラドックス」は、
カールセーガンというアメリカの研究者が考えたものです。
でも、これは、太陽の核融合モデルに基づいたある仮説です。
証明されたものでもありません。
だから、この「暗い太陽のパラドックス」につていの上の説明は、
あくまでもひとつの説明にすぎません。
うますぎる話のようにも思えます。
いくつも疑問がわいてきます。
まず最初の疑問。
なぜ、最初に地球は水のある条件になっていたのか。
次の疑問。
なぜ、二酸化炭素は太陽の明るさに呼応するように規則的に減っていったのか。
第3の疑問。
それでもなぜ、氷河期などが起こっているのか。
第4の疑問。
今後どうなっていくのか。
少ない二酸化炭素では、太陽の熱さに対処し切れません。
やがては、金星のように灼熱の星となっていくのでしょうか。
これらの疑問のいくつかには答えができています。
でも、歴史の問題には、「本当の答え」はなかなかでないのです。
データが増えれば、新たな考え方がでることだってあります。
だから、より「もっともらしい答え」は手に入りますが、
「本当の答え」は残念ながら、ないものねだりなのでしょう。

・かぜ・
皆さんはかぜにかかってないでしょうか。
我が家では次男が現在、かぜにかかっています。
幸いインフルエンザではないようです。
でも、長男の幼稚園ではインフルエンザの子供数人でているようです。
いつ、我が家を襲うかはわかりません。
予防接種はしていません。
だから、もしかかったら、体力で直すしかありません。
予防や投薬も必要かもしれません。
私は、可能な限り自力で直す主義です。
でも、年齢とともに体力や抵抗力は衰えていきます。
だから、いつまでできるかわかりませんが、
続けていきたいことです。

2004年1月29日木曜日

2_31 謎の大絶滅(その2 )

 ペルム紀と三畳紀の時代境界は、古生代と中生代の境界でもあります。この境界はP-T境界とよばれています。前回は、P-T境界の時代に、海の表面(石灰岩)と海底(チャート)でたまった地層から、その事件を読みとろうという研究を紹介しました。それらの地層から読みとった情報は、どんな事件を意味しているのでしょうか。今回は、P-T境界で起こった事件をみていきましょう。

 石灰岩は、暖かい地域の海洋の真ん中の海洋島で造礁性生物がつくったものです。その石灰岩は、ペルム紀後期までたくさんつくられていたのですが、ペルム紀最末期から三畳紀中期まで、まったくつくられなくなります。「リーフギャップ」とよばれるものです。これは、P-T境界の異変が、大陸地域だけでなく、海洋全体にまで及んだことを意味します。つまり、地表全体に及んだ異変であるのです。
 犬山のチャートから、深海底の様子がわかります。前回紹介したように、P-T境界前後1000万年間は放散虫化石がありませんでした。これは、遠洋性の表層のプランクトンにまで絶滅が及んでいることを意味します。これは、石灰岩で得られた結論とおなじことを示しています。
 また、P-T境界前後2000万年間は、還元的堆積物が堆積しています。これは、深海が還元的な環境になりました。つまり、酸素のない状態になったと考えられています。これを、「超酸素欠乏事件(Superanoxia)」とよんでいます。
 酸素欠乏の事件は、地球の歴史では時々おこっています。小さな海洋酸素欠乏事件だと1万から10万年ほど(たとえば、白亜紀と第三紀の境界、つまりK-T境界)継続します。通常の酸素欠乏事件だと10万から100万年ほど(たとえば、ジュラ紀と白亜紀の境界)継続します。ところが、超酸素欠乏事件では、1000万年も継続します。これがP-T境界でおこった事件です。
 このような「超酸素欠乏事件」は、海水循環の悪化や表層での酸素の生産停止などによって起こると考えられます。しかしまだ事件の真の原因はわかっていません。
 重要なことは、P-T境界の出来事が、その境界では対称的な岩石の様子(岩相といいます)で変化していることです。これは、隕石の衝突ではないことを示しています。隕石は突然起こる事件です。衝突時に急に現象がおこるのですが、その影響はゆっくりと消えていくはずです。ですから隕石衝突の事件では、対称性な岩相の記録にはなりません。
 磯崎さんたちは、ほんの少ししかないある石に気づかれました。P-T境界の石灰岩には、非常に薄いのですが凝灰岩がありました。赤坂では、5mmほどの厚さの酸性凝灰岩があり、城川では、ボーリングのためにその資料はなく不明です。上村では1~3mm淡緑色粘土層があり、それは凝灰岩から由来する可能性がありました。
 そして磯崎さんたちは、今度は、さらに東の中華人民共和国四川省朝天(Chaotian)というところにあるP-T境界を調べに行かれました。ただし、この地層は、大陸棚の石灰岩でできています。朝天の火山灰層は、厚くなっています。朝天では、多数の白色酸性凝灰岩が数cm~3mの厚さで見つかっています。
 これらの凝灰岩は、東で薄く、西で厚いという状態になっています。自転の影響で、風は西から東に向かって吹きます。ですから、現在の位置関係で見ると、中国の朝天周辺か、それより西側に巨大が火山があった可能があります。ところが、それに、相当する適当な(時代と火山のマグマの性質が一致す)火山が見つかってないです。適当な火山とは、同じ時代で火山のマグマの性質がP-T境界のものに一致する必要があるのです。
 いままで、P-T境界の大量絶滅について、いくつもの原因が考えられてきましたが、どれもまだこれだというものに絞られていません。地球外の原因(隕石衝突、宇宙放射能)は、上で述べたようま理由から、否定されました。
 ペルム紀後半の地球規模の事件は、
・大規模な海退
・異常な火山活動
・海洋の超酸欠事件
がどうも同時多発的に起こっているようです。これらの因果関係はよくわかっていませんが、このころに、ひとつ重要な地質現象が起こっています。
 パンゲアという超大陸が、分裂しているのです。超大陸の分裂は、巨大な暖かいマントルの上昇(スーパープルームという)によって、おこります。大陸が割れる地域では激しい火山活動が起こります。それが、地球規模の環境変化を起こしたのではないかと考えられ、「プルームの冬」と名づけられて、現在研究されています。
 そして、P-T境界にみられる火山灰を供給した火山が、もしかすると「プルームの冬」の原因となった火山活動のひつとかもしれません。でも、まだ「プルームの冬」のシナリオはできあがっていません。つまりまだ情報不足なのです。今後より確かなシナリオがつくられていくはずです。
 P-T境界の絶滅は、陸でも海でも生物の大絶滅が起こりました。それは、顕生代で最大の絶滅です。そんな絶滅の原因がまだわかっていないのです。地球の歴史には、まだまだわからないことがいっぱいあります。

2004年1月22日木曜日

2_30 謎の大絶滅(その1)

 顕生代になると、生物がたくさん化石となって発見されています。そのために、生物の絶滅や出現を時代の区切りに利用することができるようになってきます。古生代、中生代、新生代と区分されたのが、そうです。
 そんな大きな絶滅が、顕生代には、前回紹介したように、いくつもあります。そのうち、大きな絶滅を5つ(ビックファイブ)の中でも古生代と中生代の時代境界が、最大の絶滅の率を示しています。古生代の終わりはペルム紀(Permian)で、中生代のはじまりは三畳紀(Triassic)という時代です。それらの境界なので、P-T境界と呼ばれています。
 上で示した、P-T境界の絶滅率96%というのは、種のレベルでの見積もりです。海洋域の無脊椎動物の属のレベルでは74%が絶滅したと見積もられています。もちろんこの大絶滅の事件は、陸上生物にも及んでいます。
 そんなP-T境界の大絶滅は、どんなものだったのでしょうか。それを探っていきましょう。
 今までP-T境界の大絶滅の研究は、大陸棚の浅海性の石灰岩でなされてきました。このような地層は、すべて、パンゲア超大陸の周辺で堆積したものでした。しかし、このような地層の研究では、陸や陸に近い海の情報が主要なものとなります。広大な海洋域の環境変化を知ることができません。そのため、海洋域の地層の調査をすることが重要となります。
 そんな海でできた地層の重要性に気づかれたのは、磯崎行雄さんたちでした。最近まで、遠洋性の地層で、P-T境界の連続露頭は知られていませんでした。しかし、磯崎さんたちが、精力的に調べ、日本の各地で、連続露頭を発見しだしました。磯崎さんたちは現在も、日本列島の周辺で、P-T境界の絶滅について精力的に調べられています。
 現在、P-T境界の連続露頭が知られているのは、次の4箇所です。岐阜県各務原市~愛知県犬山市、岐阜県大垣市赤坂、愛媛県東宇和郡城川町、宮崎県西臼杵郡高千穂町上村。
 では、その4箇所の地層とはいったいどんな地層なのでしょうか。ひとつは海洋島とよばれる海の真ん中に火山でできた島の周りに成長した造礁性の生物がつくった石灰岩です。もうひとつは深海にたまった遠洋性のプランクトンの死体が固まってできたチャートと呼ばれる岩石でした。
 石灰岩は、海洋島や海山の上にたまってできる岩石なので、陸の影響を受けませんが、大気や環境の変化を受けやすいと考えられます。チャートは、深海底でできた岩石なので、陸や大気の影響をほとんど受けない環境です。
 チャートは愛知県犬山だけで、あとの岐阜県赤坂、愛媛県城川町、宮崎県上村は、石灰岩やドロマイト(炭酸塩からできた岩石で石灰岩の仲間)からできています。これらの地層は生物の遺骸からできていますから、保存の状態がよければ化石を見つけて、時代を決めたり、環境を推定したりすることが可能です。
 犬山のチャートの調査から、P-T境界では、事件が起こっていることがわかってきました。P-T境界前後の1000万年間は化石がないこと、P-T境界前後の1500万年間はチャートの堆積停止していること、P-T境界前後の2000万年間は還元的堆積物の堆積であること、さらにP-T境界は対称的な岩石の変化をしていることなどがわかってきました。
 石灰岩では、前期三畳紀には「リーフ・ギャップ」と呼ばれるものが知られていました。ペルム紀後期まで発達していた礁が、ペルム紀最末期から三畳紀中期まで、発達しない現象のことです。約1000万年間は、礁ができない時期があるです。
 さてこのような情報から、どんな事件が読み取れるのでしょうか。それは次回にしましょう。