2012年9月27日木曜日

4_105 羽越調査 2:カミオカンデ

 越中(富山)は、安房峠を通り信州へいくための通り道でした。札幌からは富山空港からいくのが便利だなので、昼の便だったので焼岳に行くには遅いので一泊をするつもりでした。一泊を観光地ではない神岡でしました。その理由は、・・・・。


 羽越調査の初日は、富山空港に昼過ぎの到着だったので、目的地(焼岳)の近くの神岡までいき宿泊しました。
 神岡は古くから(奈良時代)からあった鉱山で、明治初期から2001年まで、三井金属鉱業株式会社が採掘していました。神岡鉱山として有名でした。
 この地域の地質は、飛騨の変成岩(片麻岩)と花崗岩(船津花崗岩、約1億8000万年前)、その上を手取層群(1億年前ころ)が覆っています。変成岩の中の石灰岩に花崗岩マグマが貫入した時に鉱床(スカルン型)ができました。鉱床は閃亜鉛鉱と方鉛鉱を主としたもので、亜鉛、鉛、銀などが採掘されていました。
 神岡鉱山の跡地の地下1000mに、ニュートリノを観測するためのカミオカンデが設置され、神岡は有名になりました。カミオカンデは、地下深部に陽子の崩壊によるニュートリノを観測するための巨大な装置です。
 神岡鉱山は、地下深部の丈夫な岩盤の中にあります。1000m分の岩石がカミオカンデの上をカバーしているので、「雑音」が少なくニュートリノ観測には適しています。また、大量の水をタンクにいれるのですが、きれいない水があることもカミオカンデ設置にむいていました。
 大量の水をタンクに貯め、タンクの壁には特殊な光電子増倍管が1000本も設置されています。ほとんど反応をしないニュートリノですが、まれに物質と反応することがあります。その反応は、水分子中の電子に衝突したとき、青白い光(チェレンコフ光)が発生します。その儚(はかな)い「かすか」な光を、光電子増倍管で検出する装置です。水の量が多いほど感知能力は高くなります。
 カミオカンデは、宇宙からくるニュートリノを観測するので、1987年偶然起こった超新星爆発によって飛び出した大量のニュートリノを観測しました。その結果、カミオカンデには、ニュートリノ望遠鏡としての機能もあることがわかりました。今では、望遠鏡の機能やニュートリノ性質についての研究も重視されています。
 カミオカンデ設立の中心となった小柴昌俊さんは、超新星爆発の観測の業績が評価されてノーベル物理学賞を受賞しました。
 現在、そのカミオカンデは役割を終えて、新たに(1996年から)スーパーカミオカンデが動きだしました。カミオカンデの跡地には、別の目的の研究施設ができています。
 一般公開は7月に行われているようですが、それ以外は研究する人しか入れません。近くの道の駅の「宙(スカイ)ドーム」で、カミオカンデの紹介がされています。そこに光電子増倍管の実物も展示されていました。テレビやホームページで施設や光電子増倍管を見たことがあるのですが、実物の光電子増倍管をみることができました。通り道だったのですが、あえてここに宿泊することによってカミオカンデを「かすか」にですが、体験することができてよかったです。

・超新星爆発・
カミオカンデがとらえた超新星爆発(SN1987A)は、
1987年2月23日にみつかりました。
私がニュージランドにいるときに報道されました。
そのとき同行した友人が天文マニアだったので、
超新星爆発の位置がわかり、
写真をとることができました。
超新星爆発は大マゼラン星雲でおきたものでした。
大マゼラン星雲は南半球でみえる星座なので
非常に幸運でした。
山奥の山頂で光害のない澄んだ空気のなかで
見ることができました。

・過疎・
富山空港から安房トンネル方面に向かいました。
ですから富山にいるつもりが、
神岡に向かう途中で岐阜県飛騨市になりました。
泊まったのビジネスホテルで、
早めに着いたので管理人のひとと
いろいろな話しました。
鉱山町で過疎が進んでいるとのことです。
田舎にいくといつもこの話が出ます。
しかし、神岡は鉱山町として発展して
三井が設立した神岡高等鉱山学校や病院もあったほどです。
しかし、一時は6万人もいた鉱山労働者も
閉山直前は、何度もリストラで激減しました。
他の鉱山や炭鉱も同じような歩みをしたのでしょうかね。