2011年2月3日木曜日

2_89 反論:GFAJ-1 その4

 一回間があきましたが、今回がGFAJ-1シリーズの最終回です。このヒ素を利用している生物については、その重要度のせいでしょか、反論も多数出ています。政治的な反論もあるようですが、科学的な反論もあります。科学的な反論に答え対処することは、科学の進歩を促すことになります。

 いつのことでもあるのですが、新しい成果が出て、それがある研究者の成果に影響するようなことがあれば、反論が出ることがあります。あるいは、その成果の重要度が高ければ、多くの研究者がその論文の成否を論じることになります。逆にいうと、学界で話題になるほど、その重要度が高いということになります。
 重要な成果がでれば、その研究の実験方法やデータ、解釈、結果に問題がないかが問われます。当の研究者自身も、いろいろな手法でその信頼度を高める努力をします。その成果を評価する仕組みとして、学界の査読制度があります。査読とは、その内容に詳しい研究者数人が論文を読んで、問題がないか、この雑誌に掲載してよい内容かどうかを検討する制度のことです。
 査読が厳しい雑誌ほど、掲載される研究の評価が高くなります。科学の世界では、イギリスのNature誌、アメリカのScience誌が最高峰に位置しています。今回の研究は、Science誌に掲載されました。また、NASAも後押しをするように、「宇宙に生命体が存在している!」というもったいぶった記者会見までしました。Science誌は間接的にNASAのプロパガンダをサポートすることになりました。NASAがScience誌のネームバリューを利用したとも考えられます。
 そこには、政治的な思惑があるのかもしれませんが、今回の結果が、本当であれば、今回のエッセイのシリーズの述べたように、生物学上重要な成果であることは確かです。
 重要な成果となれば、反論も出てきます。重要なほど、反論も多く激しくなります。研究内容だけでなく、この研究を掲載したScience誌への非難があるようです。これは、もはや科学ではなく学界政治ですので触れないことにして、科学的反論をみていきましょう。
 ウルフ-サイモンたちは、ICP-MSやNanoSIMS、μXANESという放射光分析などの先端分析機器を利用しています。それによる成果です。先端機器だからといって、結果や解釈が正しいとは限りません。また、ヒ素がDNAなどの生体分子と置き換わる仕組みや、その働きはよく分っていなことは、ウルフ-サイモンたちも認めています。ですから、このGFAJ-1には、まだ不確定な部分が多いことも確かです。
 まず反論の一つ目は、ヒ素があると細胞が1.5倍になったことが示されていますが、GFAJ-1は、ヒ素を摂取しているのではなく、ヒ素を細胞内に取り込んで太っているだけなのではないかというものです。これは、ヒ素が細胞内のどこにどのような形であるのかが問題です。ウルフ-サイモンたちそれを放射性ヒ素や先端分析装置で示しています。しかし、実際に正確に生体の内の器官や分子での位置を決めたわけでありません。今後の課題となります。
 また別の反論は、実験ではDNAの洗浄が適切に行われておらず、ヒ素はDNAではなく細胞外のゲルに含まれていた可能性があるというものです。これは、分析方法、分析精度に関する問題です。
 このような反論は、追試や再現実験を、できれば別の研究者が別の研究室で行うことが公正な判断ができます。ウルフ-サイモンたちは、彼らの見つけたGFAJ-1を提供することになったそうです。そして、クレームをつけている研究者が追試をできるようになっているようです。その結果に期待したいものです。
 本当にヒ素を活用する生物がいるかどうかは、地球生命の進化、宇宙生命の可能性において重要な影響をあたえることになります。そして、そんな生物が、いつか、どこかの天体で見つかることがあるかもしれませんから。

・成果と教訓・
私は、生物に関していは、専門ではありません。
しかし、反論が各所にニュースとして
取り上げられているのをみると、
コトの重大さが感じられます。
成否、どちらに決着をみるかはわかりませんが、
より精度の高い分析おこなわれるはずです。
そして、それは、GFAJ-1に関する知見だけにとどまらず、
より高次の成果を残すことに違いありません。
そして、教訓も残すことでしょう。

・京都に・
現在、私は、京都にいます。
実家に里帰りしています。
このメールマガジンは予約配信しています。
これが、四国滞在中では最後の京都への帰省となります。
今まで京都の実家にはあまり帰りませんでしたが、
四国に滞在するようになって、
時間が自由にできるようになり、
料金も安くいけるので、今まで2回帰りました。
でも、今回が最後となります。
寒い時期かと思いますが、
京都をめぐろうと思っています。
そして、なにより年老いた母に
顔を見せる少ないチャンスです。
今まで母を北海道に呼んでいました。
年齢とともにこれからは難しくなるかもしれません。
親族は近くにいるのですが、
独居をしている母は心配になります。
携帯電話やメール、見守りポットなど
いろいろ利用して連絡を絶やさないようにしていますが、
直接会うこと、直接話すことが
大切だと思っています。
でもそれがままならないのが現実でもあります。