2010年3月4日木曜日

6_79 持続可能:エネルギー問題6

 これまで、エネルギー問題について5回にわたって考えてきました。前回と今回、最後に、解決策について検討しています。前回は、その解決策の一つを提案しました。今回は、策というより考え方、姿勢について考えていきます。問題解決には、従来のアプローチではなかなか困難のようです。原則、予測、対処、姿勢などが重要なキーワードになりそうです。正攻法ですが、問題解決の道を探っていきましょう。

 エネルギー問題の根底には、現在文明はエネルギーの多くを化石燃料に依存していること、そして有限の資源を消費すればなくなること、このような動かしがたい事実があります。この事実を受けとめ、どのような解決策を取るかということです。前回示した解決策は、物理学に反しないで、小さくて安価で効率的な発電蓄電装置を一人の天才が発明できればというものでした。実現すればいうことはないですが、現状では夢にすぎないので、現在でも目指せる目標を考えていきましょう。
 資源は、科学技術を背景にし、経済学に基づいてコントロールされています。ですから、将来見通しや見積もりには、不確定要素がどうしてもでてきます。しかし、やがてはなくなることは誰にでも理解できるはずです。問題は対処です。口で言うのはたやすいのですが、実行がなかなか大変なのが一番のボトルネックになっています。そこで科学技術や経済以外の視点で、このようなやがて来る問題に望むべきではないかと考えています。
 現在の文明が、「持続可能」な文明ではなく、消費型文明だからこのような問題が起きるのかもしれません。持続可能性にこだわるのであれば、太陽エネルギーと生物、そして循環可能な水や大気などに基づいた文明を再構築する必要があります。もちろん、その手段として、最先端の科学技術を導入し、最小限の資源物質で、耐久性のある、できれば再利用可能な道具を用いておこなうべきでしょう。
 最優先すべきは、経済性ではなく、資源やエネルギーの有効利用です。人はいったん手に入れた快適さや安楽から抜け出るのはなかなか大変でしょう。しかし、上で述べた事実を理解するのであれば、少々の苦労はしなければならないことを誰でも納得できるはずです。そのような納得を得るためには、教育による知識や教養やそして倫理観などを身につけた人が前提となります。
 人類が改変している自然環境は、実はそれほど大きなものではありません。地球はもっと大きな環境改変を行ってきました。このエッセイを読み返していただければわかるはずです。現在の環境問題は、人類の問題です。ですから、他の生物種や自然などを持ち出さなくても、自分たちの問題として考えればいいのです。エネルギー問題は、環境問題では一番分かりやすい例ではないでしょうか。
 残された資源や時間は、どれくらいか分かりません。でもたとえ長い時間が残されていたとしても、やがてエネルギー危機はくるはずです。そのときにあわてても手遅れです。資源のある今のうちに考えれば、資源を燃料としてだけではなく、多方面に使える資源として有効活用できるはずです。
 人類は、ほんの数百年前までは、太陽エネルギーと生物、そして循環可能な水や大気などに基づいた生活をしていました。今さらその時代に戻る必要はなく、科学技術を導入して、もっと安全で豊かな生活が営めるはずです。太陽エネルギーと生物、そして循環可能な水や大気があれば、生きていくの必要な衣食住はまかなえるはずです。そこにこそ、活路と、幸せや充足感を見つけるべきではないでしょうか。
 カロリーと栄養は必要最小限の量を旨とし、余すことなく、飽食することなく、足るを知りことを生活の基調とすべきでしょう。そのために、調理法や調理技術を、調理器具を駆使し、今まで蓄積してきた科学を注ぎ込むのです。エネルギー効率の悪い肉食は最小限にすべきでしょう。贅沢な食べ物なたまにしか食べられないかもしれません。それでも満足できる精神的な充足感を得るために、科学を利用するのです。
 幸福感を満たすに必要充分な衣食住を得ることが目標です。それこそ人類が一致団結して目指すべき持続可能な目標に違いありません。少々の困窮は受け入れるべきです。困窮を忍ぶために、人間性と文化を豊かにすればいいのです。
 春の心地よい草原、夏の川原の木陰、秋の紅葉に囲まれた林の中、森の雪原に残された生き物の足跡、そんな中にいるとき困窮を感じるでしょうか。癒しや心地よさを感じるはずです。忙しい時間の合間の休息、親しい友人の会話、家族との何気ない触れ合い、そんな瞬間に幸せを感じることでしょう。
 もっと精神性や文化、自然を重んじる知性を身につけ、その知性を背景にした文明を築かなければなりません。そんな社会ができ、数世代を重ねればきっと豊かな文化も育むことになることでしょう。
 ちょっとSF的な結論になりましたが、こんな解決策、未来像はいかがでしょうか。

・教育を・
現在の政治をみていると、
経済だけが議論されています。
環境問題も背景に経済があります。
人類の幸せも経済がなければ生まれないような口ぶりです。
しかし、みんなは知っているはずです。
金がすべてではないし、
金が幸せを与えてくれるものではないことを。
でも、皆、目先の金が気になってしかたがないのです。
このような精神を構造を改革する
構造改革こそ重要ではないでしょうか。
これは、もはや政治ではなく、
教育の範疇になると思います。
そしてその目標達成には
数10年でのスパンでの時間が必要となります。
教育とはそれほど、時間と手間のかかるものです。
でも、その成果は、金では得られないものです。
それも皆、知っているはずなのですが。

・燃料電池・
前回のエッセイで示した私の究極の解決策は
実は「燃料電池の仕組みそのもの」で
「エネルギー分野で最も盛んに開発が行なわれている」
ものだというご教示をSkaさんから受けました。
それに対して私は、次のような返事を書きました。

このアイディアがかなり長い期間検討され
今が旬の研究とは知りませんでした。
貴重なご指摘でした。
水素と酸素の仕組みが検討されていることは
おぼろげに知っていましたが。
それはまだまだの途上の技術や
始まったばかりの研究だと思っていました。
認識不足でした。
でももし、大きなブレイクスルーがあれば、
ものになる可能性ある思って今回のエッセイを書きました。
もちろん背景に多くに人が努力し、知恵を絞った後、
ある人のブレイクスルーを起こすのを理解したうえです。
「現実には、結局、石油から水素と酸素とを製造するのが
経済的に一番安価なのが現状だと数年前に聞きました。」
ですが、もしブレイクスルーとして触媒か特殊膜などの新素材で、
電気分解のように水から水素と酸素ができれば、
価格の問題は解決されるかもしれません。
また、大気の酸素を利用すれば、
水素だけを安全にコンパクトに保存運搬できれば、いいはずです。
たとえば、ブレイクスルーで白金やポリマーのようなものに
吸わせるとかできれば解決できるのではないか、
などいろいろ想像したわけです。
もちろん私が思いつくようなことは、検討されているでしょうが。
既存の技術ではなく、今はない理論や技術があればというのが
私の想像でのエッセイでした。
それと次回のエッセイの話題にするのですが、
「経済的に一番安価なのが」
という点を考えたいと思っています。
経済を中心にした考え方を問うことです。
現状の生活を維持することと
困窮に耐えて幸せを求めるのかという選択が
今後、重要になるということです。

というものでした。
Skaさんに対するさらなる答えが
今回のエッセイもであります。