2005年10月6日木曜日

4_63 西予市再訪

 何度目の城川でしょうか。このエッセイでも何度か紹介したのですが、またまた愛媛県西予市城川町に来ました。再度西予市の紹介と私がたびたび訪れる訳を紹介しましょう。

 西予市の中でも特に城川町にはたびたび来ています。今年も2度目となります。2005年9月16日から22日までの6日間、西予市と周辺の地質調査をしました。
 2004年4月に城川町は市町村合併によって、近隣の5つの町が集まって西予市になりました。私はそれまで、城川町立地質館の設立の協力、資料収集の援助、そして普及活動の実施などで毎年のように城川町に通っていました。城川町から西予市というものに新しく行政単位が変わりましたが、地質館は存続しています。
 近年では、地質館を中心とした地質学の普及をいろいろな手法を試みてきました。特に遠隔地での連携教育を目指して新しい試みをしています。西予市の地質館になったことによって、地質館の扱うべき地域が今までの城川町から西予市全域へと広がりました。そのため、今まで城川町で行っていた地質の教育素材を西予市全体に広げるための調査を昨年から始めました。
 今回でまだデータのない市町村で調査をして、教育素材を集めることが目標でした。できれば、今年で調査を終わらせて、来年には拡大したホームページや普及活動に入りたいと考えています。
 長年の付き合いで城川にたびたび来ているのですが、それ以外にも訪れる理由があります。それは、城川町が地質学的に重要で面白い地域であるからです。
 黒瀬川構造帯とよばれる地帯が城川を通っています。黒瀬川構造帯は、秩父帯と呼ばれる地層の中に、紀伊半島から九州まで点々と分布する変わった岩石群から構成されています。
 黒瀬川構造帯の岩石群は、古生代から中生代にかけての列島を構成したいたものだと考えられています。この列島を黒瀬川古陸と呼んでます。現在の日本列島と似たような岩石種からできます。
 シルル~デボン紀の堆積岩(岡成(おかなろ)層群と呼ばれています)、角閃岩や片麻岩と呼ばれる変成岩(寺野変成岩)、圧力でつぶれた花崗岩の仲間(三滝火成岩)、マントルを構成していた岩石(超塩基性岩で現在は蛇紋岩になっています)などがあります。
 これらの岩石の岡成や寺野、三滝という名称は城川にある地名です。また黒瀬川という名称も城川にある川の名称です。日本でもかなり古い時代のシルル紀の化石が、城川町で見つかっています。ですから、地質学的に重要なところなのです。
 また秩父帯の南側にある四万十帯の境界は、仏像構造線と呼ばれているのですが、これは中央構造線に次ぐ大きな断層帯です。それも西予市内で見ることができます。大きな断層帯の本当の断層はなかなか露頭でみることができません。たいていは地形に現れてるだけで、衛星画像や航空写真では判別できるだけです。西予市でも断層がつくる崖(断層崖といいます)となっていて、露頭がほとんどありません。しかし、今回の調査で、1箇所ですが断層を確認できました。
 自分たちの住んでいる地域が、地質学的に面白いところであるということを、案外地元の人は知りません。古い化石が市内の結構あちこちで見つかり、仏像構造線が見えるとこがあり、構造線によって市内も特徴的な地形ができるこをあまり知りません。そんなことを伝えて理解してもらうことが、目標であるのです。そしてそんな情報を外に向けて発信していくモデルケースとしていきたいと考えています。

・ホッとするところ・
城川町は私にとって第二の故郷のような気がします。
山林に囲まれた清流の里に来るとホッとします。
馴染みのある地だからでしょうか。
自然がかもし出す環境からでしょうか。
自分の子供時代に過ごした景色に似ているからでしょうか。
わが大学の教員は、5年以上勤務すると
申請が通れば1年間研修に出ることができます。
一般にはサバティカと呼ばれるものです。
私はサバティカでの1年間を
ここで過ごそうかと考えてくらいです。
しかし、現実はなかなか厳しく、私の希望通りにいかないようですが。

・第二の故郷・
上で第二の故郷という言い方をしましたが、
何をもって第二の故郷というのでしょうか。
第一の故郷ははっきりしています。
生まれ育ったところです。
もしまだ親や親族がいるなら
第一の故郷はまだあることになります。
では第二の故郷とは、二番に長く住んだところでしょうか。
その定義では城川町は私の第二故郷ではありません。
第一の故郷とは私の場合は、生まれて20年近く過ごし、
そして親も親族もまだ暮らしている京都になります。
もし第二の故郷を二番に長く過ごしたところとなる、
私の場合、神奈川11年、札幌10年、鳥取5年となります。
神奈川も札幌も鳥取も、いずれも数年毎に点々と転居していました。
それにその地が好きで住んだのは
神奈川県湯河原の4年間と現在の江別が3年半です。
でも、暮らした時間が短いので故郷という実感がわきません。
もし第二の故郷とは心からそう思えるところとしたら、
私のような場合でも、
城川を第二の故郷としていいのではないでしょうかね。