2005年9月8日木曜日

1_48 中生代から新生代へ1:K-T境界(2005.09.08)

 中生代は、温暖で穏やかな時代でした。大繁栄をしていた大型の動物は恐竜の仲間です。しかし、1億8550万年間続いた恐竜の支配した時代も、突然終わりました。そんな終わりの事件を紹介しましょう。

 中生代の終わりの白亜紀と新生代のはじまりの第三紀の名称の頭文字をとったもので、中生代と新生代の時代境界をK-T境界と呼んでいます。K-T境界が他の地質時代の境界とは違って、このような名称で呼ばれているのは、恐竜を含む多くの種類の生物がこの時代境界に絶滅したからです。
 K-T境界で、なぜ大絶滅が起こったのかは、1970年代前半までは、実はよくわかっていませんでした。それがある親子によって思いもよらぬ展開を遂げることになりました。
 1977年、ウォールター・アルヴァレスという地質学者が、イタリアのグッピオと呼ばれる地域で、K-T境界の地層を見つけました。ウォールターの発見したK-T境界の地層は、1cmほどの粘土層で、黒っぽく、ススがたくさん含まれていました。さて、この地層からどんな事件が読み取れるのでしょうか。
 ウォールターの父はルイス・アルヴァレスといい、非常に好奇心旺盛な物理学者でした。ルイスは、1968年に水素泡箱の開発でノーベル物理学賞を受けました。水素泡箱とは、水素のガスの入った容器を過冷却して、ちょっとした刺激で液体が発生する装置です。この装置の中に目には見えない粒子が通過すると、そのときに飛んだ場所にスジができます。そのスジを用いて、当時「亜原子粒子」と呼ばれていた素粒子が多数発見されました。素粒子の研究には不可欠の道具をルイスは発明したのです。
 ルイスは、他にもさまざまな分析装置を工夫していました。そんなひとつに原子炉を使った放射化分析という方法がありました。原子炉の中に試料を入れ、中性子を試料に浴びさせて、原子を放射化します。放射化された原子の多くは放射能を持つようになります。放射能を持つということは、壊れやすい原子(放射性原子)が壊れていくときに、さまざまな電磁波や粒子などを放出することです。その放出される電磁波や粒子を測定することによって、含まれている原子の量を正確に知ることができます。放射化分析は、非常に含有量の少ない成分も測定できる方法でした。
 ルイスは、ウォールターの発見したK-T境界の粘土層とこの上下の地層の試料を放射化分析で調べました。その結果、イリジウム(Ir)とよばれる白金(プラチナ、Pt)の仲間の元素が、K-T境界に濃集していることを発見しました。その量は、まわりの地層の数倍もありました。
 イリジウムという元素は、白金の仲間の元素と同じで地殻をつくる岩石にはほとんど含まれていません。なかでもイリジウムがその差がいちばん大きくなっています。ですから、K-T境界の地層でイリジウムが見つかるということは、当時の地表にイリジウムを濃集させる特別な事件があったはずです。
 その事件を、アルバレスたちは、隕石の衝突と考えました。隕石には、地殻の含有量にくらべて、10万倍もおおくイリジウムが含まれているからです。隕石の濃度を利用すれば、K-T境界の濃集も説明できると考えたのです。
 隕石の衝突は、当時の地質学者たちには思いもよらない原因でした。当時の地質学者たちは、K-T境界に限らず大絶滅の原因は、地球内部の何らかの営みによるものであると考えていました。そのため、隕石衝突説をめぐっては、さまざま論争がなされました。
 中でも地球内部説派と隕石衝突説派とは、次の2つが大きな論点となりました。
 第1の論点は、絶滅のスタートのタイミングです。生物の絶滅が、K-T境界で起こったのか、それともそれ以前から起こっていたのか、ということです。
 第2の論点は、絶滅に要した時間です。瞬時か、それともある程度の時間をもって(じわじわと)起こったかです。
 もちろん隕石衝突説では、絶滅はK-T境界ではじまり、瞬時の事件です。それを証明するか、否定するかが、論争となりました。論争の詳細は、次回としましょう。

・常識・
恐竜の絶滅は、隕石衝突説の登場の前までは、
さまざまな説がありました。
しかし、多くの地質学者たちは、地球内部の原因による
気候変動をその主たる原因と漠然と考えていました。
しかし、そのメカニズム、シナリオは、よくわかっていませんでした。
誰も、決定的な説を出すことができなかった非常に大きな問題でありました。
ルイス・アルバレスは物理学者でしたが、
前例や地質学の常識に囚われていませんでした。
その結果、隕石衝突説に思い至りました。
隕石の衝突は、考えてみると偶然に支配された説です。
そんな説を採用することに地質学者は抵抗を感じました。
それまで、地質学者たちは地球内部に原因がある考えていました。
地球内部説に基づいて地質学者たちは研究を進めてきていました。
地質学者たちにとって根拠はなかったのですが
地球内部説が常識化していました。
突然の環境変化は想定外でした。
ですから、地質学者たちは反論しました。
いろいろな立場で反対がありました。
感情的なものはさておき、
それまで地球内部説による証拠が反論ために利用されていきました。
多くのデータが、再度検討されたり、集めなおされたりして、
大論争となりました。
でも、それにも今では決着を見ています。
それは次回以降の地質時代シリーズで紹介していきます。

・英気を養う・
子供たちの夏休みも終わり、
9月に入って、自分自身の仕事ができるようになりました。
秋を感じさせる季節となり、いい気候の中で研究をしています。
休日には、行楽や祭りなどのイベントを楽しんでいます。
大学も9月上旬はほとんど開店休業状態です。
会議もほとんどありません。
ですから、じっくりした研究をするのにはチャンスです。
私は、9月中旬から下旬にかけては、
野外調査などで忙しくなりますが、
それまでの2週間ほどは落ち着いて
今までやり残していたことをしています。
この間に英気を養っておきましょうか。