2005年3月24日木曜日

5_39 時代境界1:ウィリアム・スミス

 地質時代の境界には、大絶滅がよく起こっています。しかし、大絶滅が起こったときが、時代境界とはいえません。大絶滅と時代境界について考えていきましょう。

 私が以前のエッセイで「ペルム紀の末、つまり古生代の終わりには、顕生代で最大の大絶滅がありました」書いたところ、「絶滅があったところに線を引いて、その前を古生代、後を中生代としたのではないでしょうか」という質問がありました。
 そうだとありがたいのですが、地層の実際の状態を見ても、歴史的に見ても、必ずしもそうではないのです。
 実際に地層をみると、同じ種類の地層が境界を持って繰り返したり、いくつかの違った地層が繰り返したりしています。人は、そのような地層を見て、大きな違いがあるところで、区分します。
 たとえば、ある地域にいくつか地層があったとしました。ある地層は石炭をたくさん含み、別の地層は白っぽい石灰岩でできていて、またある地層は土砂が固まった岩石からできている、などと、容易に見分けられる特徴から、地層の区分されるでしょう。もし、石炭の含まれる比率が大きい、あるは良質の石炭はどの辺りにあるかなど、営利に直結するような情報は、非常に重要になってきます。そんな場面では、より詳細に地層が調べられ区分されたことでしょう。
 そこには、絶滅などという考えはありませんでした。歴史的にも、このような段階がありました。
 古生代や中生代の区分される少し前に、地質学の発祥の地イギリスやヨーロッパでは、その地の地層を、化石や地層構成岩石などの特徴からいくつもにすでに区分されていました。産業革命によって、石炭などの鉱物資源の開発、水運のための運河掘削などで地層や岩石に関する情報が増えてきたからです。
 古生代(Paleozic)という名称は、セジュウィックが1838年に提案したものです。彼の定義では、カンブリア紀からシルル紀まで含まれていました。その後、フィリプスは、1840年に古生代をペルム紀まで拡大しました。さらに彼は、古生代と新生代の間の時代として、中生代も一緒にして、統一的に時代を区分しました。こうすれば、今後新しい発見のたびに、時代区分を変える必要がないと、フィリプスは記しています。そしてその区分は今も活きています。
 この時、明確な地層の区分の基準があったわけでなく、今後のことを考えてこう区分しましょうというのが、もともとの名称の起こりでした。ですから、厳密な定義があったのわけではありませんでした。
 同じ頃、イギリスのウィリアム・スミスは、時間変化、層序という視点を組み入れ、地層累重の法則を確立し、地質図を完成しました。地質図には、「地層累重の法則」や「化石による地層同定」などの新しい考え方が含まれていました。それらの新しい考えとは、地層の時間的、空間的な広がりが認識されたことです。
 違う場所にあるものでも、何らかの時間的共通性があれば、両地層は「対比」(つまり同一時間面にあったということ)可能であるという考えが確立されました。その代表的なものが化石(示準化石と呼ばれます)です。イギリスのウィリアム・スミスは、それを「化石による地層同定」として確立しました。現在では、火山灰などの特徴的な鍵層も共時性の証拠として利用されています。
 また、地下の地層の広がりや、見ていない地域への地層の広がりも、科学的に予測できるものになったのです。地層の広がりを3次元的な空間として捉えることができるようになりました。
 これらは、地質学において大きな考え方の飛躍でした。
 地層とは、誰が見ても違ったものがまず区分され、その地層に含まれる化石が違っていることから、化石が地層の対比に有効であることがわかってきました。どんなに構成している岩石が似たような地層でも化石が違っていれば、同じような環境であっても違う時代、つまり対比できないものであるということが証拠を持って判定できるようになりました。現在では、化石は地層対比にはなくてはならないものとなりました。ただし、化石は万能ではありません。これについては、次回紹介しましょう。
 以上述べてきたように、過去の地球の様子や生物の変遷を地層や化石から調べるということは、古くからなされてきました。地層の時代区分が先行していました。同時性を証拠立てるための化石の研究には、もっと多くのデータが積み重ねられる必要がありました。また、大絶滅が判明するには、同時代の広域の情報が必要とされます。地層の分け方、名称には、歴史的な背景をもっていますが、すべてが合理的に決定されてきたわけではなかったのです。

・ウィリアム・スミス・
産業革命に伴って、鉱山で石炭や鉱石が採掘されていくと、
地下の様子がわかってきました。
また、イギリスでは、石炭をより効率よく運ぶために
各地に運河が掘られました。
測量技師でも会ったウィリアム・スミスは、
地層を連続的に知ることができました。
いろいろな地層があることがわかり、
違った地層には、違った化石が見つかることも知りました。
ウィリアム・スミスは、自力で、化石や岩石の標本を集め、
地層の重なりには規則性があり、
その規則性を化石によって知ることができるということを発見しました。
その発見は地質図として体系化されました。
しかし、貴族が支配する時代において、
彼の業績はなかなか評価されず、
彼の成果は盗用されたり、無視されてきました。
詳しくは「世界を変えた地図 ウィリアム・スミスと地質学の誕生」
(ISBN4-15-208579-7 C0044)で紹介されています。
興味のある方はご一読ください。

・Tomさんからの質問・
このエッセイは、本文紹介しましたが、
Tomさんの質問に答えたものを、大幅に修正加筆して
書き上げたものです。
Tomさんとは古い付き合いです。
このエッセイが始まる前からの知り合いでしたが、
時々メールをいただきます。
考えるチャンスをいただいたTomさんに感謝します。
これからもよろしく。