2002年6月27日木曜日

2_19 2億4500万年前の大絶滅(その3)

 P-T境界(2億4500万年前)の大絶滅の話も、3回目となりました。前回は、チャートという石から見た深海底での情報に基づいたものでした。今回は、石灰岩という、浅い海で溜まったものを見ていきます。やはり、東京大学の磯崎行雄さんたちのグループの研究成果を参考に見ていきます。
 P-T境界(2億4500万年前)の岩石で、日本で見つかっているのは、チャートが一箇所だけであるのに対し、石灰岩とよばれる岩石では、4箇所から見つかっています。ただし、石灰岩の時代は、P-T境界より少し古く、2億6000万年前となっています。その時代は、M-W境界とよばれています。その時代にも、P-T境界に匹敵するような絶滅が起こっていることが明らかになってきました。そして、M-W境界とP-T境界の時間差は、1500万年(最近の研究でP-T境界は2億5100万年前とされているので、900万年の時間差になります)しかないのです。ですから、非常に短時間で2つの事件が起こったので、後のP-T境界の絶滅の事件が、顕生代で最大のものとなったと考えられています。
 石灰岩は、岐阜県大垣市赤坂、愛媛県東宇和郡城川町、大分県津久見(つくみ)市、宮崎県西臼杵郡高千穂町上村(かむら)の4箇所から、M-W境界のものが見つかっています。さて、このような地層からどのようなことが、わかるのでしょうか。
 石灰岩は、チャートと同じ陸から遠い海の火山(海山とよばれます)の頂上付近の比較的溜まったものです。現在のサンゴ礁をつくっていたような生物の化石の集合した岩石です。石灰岩は、チャートより、ずっと浅い海でたまったのものですから、浅海での影響を記録しています。
 M-W境界の石灰岩は、陸からきた堆積物をほとんど含まないものです。ですから、パンサラサと呼ばれる、当時は一つしかなかった超海洋で、陸からの影響をほとんど受けなかった環境だと考えられます。海山は、できてから数1000kmという距離を、プレートテクトニクスによって移動して、日本列島にたどり着いたのです。
 この石灰岩を見ていくと、M-W境界より下では、黒色の石灰岩で、上は明るい灰色の石灰岩からできています。黒色石灰岩は、有機物をたくさん含んでいます。そして化石は、そんなにおおくありません。一方、上の石灰岩は、化石をたくさん含んでいます。
 そして、重要なことは、M-W境界には、凝灰岩とよばれる岩石が挟まっていることです。凝灰岩とは、火山灰が固まったものです。ですから、どこかで火山が噴火して、はるばると海の真中まで、飛んできたものです。挟まっている凝灰岩は、風化によって、軟らかい、あわい緑色の粘土状態になっていますが、もともとは流紋岩やデイサイトとよばれる火山によるものだと考えられています。流紋岩やデイサイトは、列島(島弧と呼ばれる)や大陸で活動する火山です。
 凝灰岩の暑さは、赤坂では5mmほどで、上村では2mmほどしかありません。しかし、磯崎さんたちは、もっと西に当たる中国四川省北部の朝天の同時代の地層を調べたところ、同じような火山灰を発見しました。そして、その火山灰の厚さは、なんと2mもあるのです。この凝灰岩は、南中国全域で見つかることから、この火山は、非常に大規模なもので、あったと考えられます。それに、なんといっても、この火山は、数1000kmも離れた海洋まで、火山灰を降らせる大規模なものだったようです。
 チャート中にも、M-W境界に相当する時代の凝灰岩が見つかっています。さて、それは、P-T境界にも連動しているのでしょうか。そしてそれぞれの絶滅のシナリオはどんなでしょうか。長くなってしまいました。それは、またまた、次回です。