過去をみる力として、事実と推定を区別すること、論理性が大切という話をしてきました。今回は、最後に中でもいちばん大切なものの話をしましょう。
「過去を見る力」を考える素材として使ってきたのは、長さは10cmほどの恐竜の歯の化石でした。この化石は、白亜紀後期の地層から見つかり、歯の先端には細かなぎざぎざがついていというものでした。
「過去を見る力」手順は、この化石に関する事実をはっきりと見極めておきます。そして、必要に応じて、いろいろな測定や分析をして、証拠というべき情報の数を増やしたり、精度をあげていきます。そのような証拠に基づいて、論理を積み上げていきます。そして、いくつもの可能性の中から、自分がいちばんもっともらしいと思える論理を作り上げていきました。
さて、ここからが大切なところです。これまでは、科学的な手続きに則っておこなってきました。科学的手法とは、それなりの個性は出せるかもしれませんが、いってみれば、誰でもできるものです。それが、科学的手法のいいところでもあり、悪いところでもあります。
自分しかもてない、「過去を見る力」として、想像力があります。過去を見るためには、証拠も論理性も必要ですが、今まで科学的な取り扱いでは注意を払ってきた、推定や推理を大いに利用していきます。
今まで使ってきた素材である、恐竜の化石を使って、想像をしてみましょう。
この化石の恐竜の歯だと推定できます。そして歯の先端にあったぎざぎざは、肉を切り刻むのに適しています。つまり、肉食恐竜の歯だと考えられます。ひとつの歯の長さが10cmほどもあることから、この歯を持っていた恐竜は10m以上の大きさの体を持っていたでしょう。10mを越える白亜紀後期の肉食恐竜としては、ティラノザウルスが有名です。たぶんそのような体格の恐竜だと想像できます。
ティラノザウルスのような大きな肉食恐竜がいたということは、彼らの食欲を満たすために、草食恐竜もたくさんいたはずです。草食恐竜にもいろいろな種類がいたはずです。草食恐竜が肉食恐竜から逃れる戦略は、現在の哺乳類と比べることで、推定できます。戦略として、あまり大きくならずに、すばやく行動する能力を身につける方法、食われないほど大きくなってしまう方法などがあるでしょう。
小さな恐竜は、やはりティラノザウルスに食べられるでしょうから、たくさんの卵を産んで、数多く生まれることで対処したはずです。恐竜の子孫である鳥類をみていると、親が卵を守ったり、群れで生き残る戦略をとるものもいたはずです。
大型草食恐竜は、大きくなれば、ティラノザウルスもなかなか襲えなかったでしょうが、小さな子供は、やはり狙われたはずです。でも、小さな草食恐竜と比べれば、少ない卵を生んでも、親が卵や子供を守ればよかったはずです。そのためには、大型草食恐竜は、家族や群れをつくって暮らしたはずです。
いろいろな草食恐竜たちが、たくさん生活していくためには、食料となる植物が豊かでなければなりません。また、変温の恐竜たちが暮らしていくには、気候も穏やかでなければなりません。そのような穏やかな気候は、植物の生育にも適していたはずです。
このような想像から、白亜紀後期の生物たちの暮らしぶりや環境が再現されていきます。そして、そのような物語を人に説明すると、わかりやすく理解しやすいものとなっていきます。上の想像は、すべてが根拠があるわけではありません。人によってストーリーは違うでしょう。でも、でたらめなストーリーでもありません。それなりの必然性もあります。まったく空想ともえいません。このような科学的想像は、フィクションと科学の狭間にあるものです。
科学者たちは、論文には書きませんが、このような想像を楽しんでいるのです。そのような想像中から、論理性のあるものだけが、科学の成果として世に出るのです。でも想像することは、科学をすることの大きな楽しみでもあり、そこから優れた発想も生まれるのです。
・科学的想像・
科学的想像は、フィクションと科学の狭間という言い方をしましたが、
サイエンス・フィクション、つまりSFもこの仲間でしょう。
科学者がおこなっているか、
小説家がおこなっているかの違いかもしれません。
想像力の豊かな科学者には、優れたSF作家もたくさんいます。
ですから、科学的想像を楽しむことはいいことです。
科学的想像を科学に向けると科学的論文になり、
物語に向けるとSFになります。
同じ能力ですが、アウトプットの方法が
違うだけなのかも知れません。
もちろん、論文をつくり上げる論理性と
SFをつくり上げる構成力など
それぞれ違った能力は必要でしょうが。
・プログラムその後・
前回のメールマガジンで
プログラムをしているという話をしました。
そのプログラムは先週末に完成しました。
大きく2つのファイル群がありました。
ひとつは64個からなり、
もうひとつは約1,000個のファイルからできています。
一個のファイルの大きさは、約5Mbです。
64個のファイルの変換は、一晩で終わりました。
ところが1,000個のファイルは、
現在使っている一番早いパソコンである、
Pentium4、2.8GHz、1GbのRAMの仕様で、
丸3日かかりました。
これは、誤算でした。
金曜日の夕方スタートすれば、
月曜日の朝には終わっていると推定していたのですが、
月曜日の夕方までかかりました。
でも、大量のファイル変換は
一度すればいいので、これで大丈夫です。
あとは、個別にファイルをいくつかくっつけることがありますが、
そのプログラムも完成しています。
これは、一晩動かせば、朝には結合が終わっています。
ですから、以後は変換に手間取ることはありません。
久しぶりのプログラムでしたが、楽しむことができました。
それなりの苦労はありましたが、
できたときに楽しみはひとしおです。
ころからも時々プログラムも楽しみましょうか。
2004年6月27日日曜日
2004年6月17日木曜日
5_35 過去を見る力2:論理性
地球の歴史を調べるときに、事実と推定に注意することが大切であることを、前回紹介しました。でも、過去を調べるときにもっと大切なものがあります。そんな大切なものをみていきましょう。
前回、「10cmほどの恐竜の歯の化石」を例にして、事実と推定について見ていきました。
事実とは、「化石」と呼んだ「過去のもの」という「実物」が存在しているということです。さらにその過去の実物から、誰がやっても同じものを読みとることできる情報も事実とされます。ですから「10cmほど」という情報も、事実になります。その事実は、測定方法や目的によって、精度はいろいろになりえます。必要とあれば、「10cmほど」ではなく、「10.01cm」などのように、精度をあげることもできます。このような実物とその情報という事実が、過去を見ていくときの、すべての出発となります。
もちろん、人によって、「過去の実物」から読みとる情報はいろいろなものがあるでしょう。詳しく知りたい研究者は、いろいろな方向の長さを正確に測定するでしょう。角度も測り、成分も分析することもあるでしょう。でも、このような測定や分析は、他の研究者がその気になれば、実物さえあれば、同じ情報を読みとることが可能です。
このような事実は非常に客観的なものといえます。事実はこのような客観性を備えていることになります。
さて、このような事実から次におこなわれるのが、推定であります。いろいろな推定がありますが、科学者や論理性を重んじます。なぜなら、論理性こそ科学の重要な営みだからです。「過去の実物」から「化石」だと推定することは、ある論理性に基づいています。そして、その「化石」を「歯」と推定するときにも、論理性が必要です。さらに、「恐竜の歯」という推定にも、論理が必要です。こんなにも論理を重ねていくと、ふと大丈夫かなという不安を持ってしいます。
数学は、まさに論理を積み重ねた上に構築された体系です。ですから、論理を積み重ねることは、科学の世界ではごく当たり前におこなわれています。しかし、数学と自然科学の論理には、性質の違いがあります。それは、数学における多くの体系では、論理はすべての場合を調べあげられています。そこには、例外は認められません。例外も論理に組み込まれていますので、例外とはいえなくなっています。
ところが、自然科学の世界では、すべての因果関係を、私たちはまだ解き明かしていません。つまり、読みとる論理すら、完全ではないのです。さらに過去の歴史を扱うような科学では、一度きりしか起こったことの出来事を、断片的な事実から、読みとらなければなりません。その断片的な証拠は、すべての場合を網羅しているわけではありません。ですから、どんなに論理を精緻にしようとしても、限界があります。
自然の歴史を扱う自然科学では、「ある程度」の論理性しか確保できません。事実に基づいていても、「ある程度」の論理性になるので、研究者ごとに、いろいろな論理が提示されることがあります。
例えば、ある研究者は、その歯の持ち主の恐竜をある論理によってティラノザウルスだと推定し、別の研究者はスピノザウルスだと別の論理で判断するかもしれません。いやいや、それは肉食恐竜じゃない草食恐竜だという論理を提示する研究者もいるかもしれません。
論理性は必要ですが、論理的だからといって「正しい」とは限らないのです。科学者も人間ですから、どのような論理をとるのか、あるいはその論理をどのような提示をするのかは、好みや癖、心情などが反映されます。自由な発想をする研究者は大胆な論理を提示するかもしれません。慎重な研究者は、自分の良識が許す範囲までの論理しか提示しないでしょう。疑り深い人は、反論の可能性があるような大胆な論理は提示しないでしょう。これは研究者の個性によります。
慎重だからといって、その論理は正しいとは限りません。大胆な論理だからといって、間違っているとは限りません。これが、自然科学の難しさでもあり、面白さでもあります。
・融合の試み・
先日、旭川を再訪しました。
今回は、地図のメーカの本社を訪れるためです。
旭川には、技術や開発の本部もあり、
技術者たちと面会して、議論するためです。
分野の違うものを融合させることはできないか
ということについて話し合いました。
彼らのもっている地図に関する各種の技術とデータ、
私のもっている地質学の専門知識やデータと
その専門的内容を市民にわかりやすく表現する技術を
なんとか融合させたいというのが始まりでした。
何をするかは、これから考えていきます。
以前、衛星画像をつかって、同じような試みを
このメールマガジンを通じておこないました。
再度同じことをするかどうはまだ未定です。
お互いの専門から、思わぬ発見が生まれるかどうかです。
メーカはそれを商売に使うもよし、
私は、その成果を論文にもするもよしです。
この件に関する限り、お互いに自由に
利害抜きに癒合していきましょうというのが、目的です。
さて、どのようなものができるかは、
これからの楽しみです。
数ヶ月かけて、練り上げていこうと思っています。
・プログラミング・
最近プログラミングをはじめました。
20年ほど前は、Fortran、Pascal、Basicなどを用いて、
プログラムを自作していた時期がありました。
それは、自分の目的にあったいいソフトがなかったからです。
しかし、その後、自分が利用できるソフトがいろいろでてきてからは、
自作のプログラムを作ることはなくなりました。
しかし、最近、大量のデータを変換する必要に迫られました。
そのためにプログラムを作成する必要がでてきました。
私は、プログラムを20年近くおこなっていません。
できれば、コンパイラタイプで、馴染みある言語がいいので、
Visula Basic、Delphi(Pascal)などが候補になります。
大学の講義では、Delphiを採用しています。
とりあえず無料の言語を探したら、
コンパイラタイプのActive Basicというのが見つかりました。
それもなかなか優れもので、開発者自身による解説書もありました。
それに、開発者個人ですが、ホームページで、サポートをしています。
とりあえず、Active Basicでプログラムしています。
久しぶりなので、プログラミングはなかなか大変です。
先日の土・日曜日に、なんとかファイルの変換部分だけはできたのですが、
大量のファイルを自動で処理する方法に現在苦労しています。
前回、「10cmほどの恐竜の歯の化石」を例にして、事実と推定について見ていきました。
事実とは、「化石」と呼んだ「過去のもの」という「実物」が存在しているということです。さらにその過去の実物から、誰がやっても同じものを読みとることできる情報も事実とされます。ですから「10cmほど」という情報も、事実になります。その事実は、測定方法や目的によって、精度はいろいろになりえます。必要とあれば、「10cmほど」ではなく、「10.01cm」などのように、精度をあげることもできます。このような実物とその情報という事実が、過去を見ていくときの、すべての出発となります。
もちろん、人によって、「過去の実物」から読みとる情報はいろいろなものがあるでしょう。詳しく知りたい研究者は、いろいろな方向の長さを正確に測定するでしょう。角度も測り、成分も分析することもあるでしょう。でも、このような測定や分析は、他の研究者がその気になれば、実物さえあれば、同じ情報を読みとることが可能です。
このような事実は非常に客観的なものといえます。事実はこのような客観性を備えていることになります。
さて、このような事実から次におこなわれるのが、推定であります。いろいろな推定がありますが、科学者や論理性を重んじます。なぜなら、論理性こそ科学の重要な営みだからです。「過去の実物」から「化石」だと推定することは、ある論理性に基づいています。そして、その「化石」を「歯」と推定するときにも、論理性が必要です。さらに、「恐竜の歯」という推定にも、論理が必要です。こんなにも論理を重ねていくと、ふと大丈夫かなという不安を持ってしいます。
数学は、まさに論理を積み重ねた上に構築された体系です。ですから、論理を積み重ねることは、科学の世界ではごく当たり前におこなわれています。しかし、数学と自然科学の論理には、性質の違いがあります。それは、数学における多くの体系では、論理はすべての場合を調べあげられています。そこには、例外は認められません。例外も論理に組み込まれていますので、例外とはいえなくなっています。
ところが、自然科学の世界では、すべての因果関係を、私たちはまだ解き明かしていません。つまり、読みとる論理すら、完全ではないのです。さらに過去の歴史を扱うような科学では、一度きりしか起こったことの出来事を、断片的な事実から、読みとらなければなりません。その断片的な証拠は、すべての場合を網羅しているわけではありません。ですから、どんなに論理を精緻にしようとしても、限界があります。
自然の歴史を扱う自然科学では、「ある程度」の論理性しか確保できません。事実に基づいていても、「ある程度」の論理性になるので、研究者ごとに、いろいろな論理が提示されることがあります。
例えば、ある研究者は、その歯の持ち主の恐竜をある論理によってティラノザウルスだと推定し、別の研究者はスピノザウルスだと別の論理で判断するかもしれません。いやいや、それは肉食恐竜じゃない草食恐竜だという論理を提示する研究者もいるかもしれません。
論理性は必要ですが、論理的だからといって「正しい」とは限らないのです。科学者も人間ですから、どのような論理をとるのか、あるいはその論理をどのような提示をするのかは、好みや癖、心情などが反映されます。自由な発想をする研究者は大胆な論理を提示するかもしれません。慎重な研究者は、自分の良識が許す範囲までの論理しか提示しないでしょう。疑り深い人は、反論の可能性があるような大胆な論理は提示しないでしょう。これは研究者の個性によります。
慎重だからといって、その論理は正しいとは限りません。大胆な論理だからといって、間違っているとは限りません。これが、自然科学の難しさでもあり、面白さでもあります。
・融合の試み・
先日、旭川を再訪しました。
今回は、地図のメーカの本社を訪れるためです。
旭川には、技術や開発の本部もあり、
技術者たちと面会して、議論するためです。
分野の違うものを融合させることはできないか
ということについて話し合いました。
彼らのもっている地図に関する各種の技術とデータ、
私のもっている地質学の専門知識やデータと
その専門的内容を市民にわかりやすく表現する技術を
なんとか融合させたいというのが始まりでした。
何をするかは、これから考えていきます。
以前、衛星画像をつかって、同じような試みを
このメールマガジンを通じておこないました。
再度同じことをするかどうはまだ未定です。
お互いの専門から、思わぬ発見が生まれるかどうかです。
メーカはそれを商売に使うもよし、
私は、その成果を論文にもするもよしです。
この件に関する限り、お互いに自由に
利害抜きに癒合していきましょうというのが、目的です。
さて、どのようなものができるかは、
これからの楽しみです。
数ヶ月かけて、練り上げていこうと思っています。
・プログラミング・
最近プログラミングをはじめました。
20年ほど前は、Fortran、Pascal、Basicなどを用いて、
プログラムを自作していた時期がありました。
それは、自分の目的にあったいいソフトがなかったからです。
しかし、その後、自分が利用できるソフトがいろいろでてきてからは、
自作のプログラムを作ることはなくなりました。
しかし、最近、大量のデータを変換する必要に迫られました。
そのためにプログラムを作成する必要がでてきました。
私は、プログラムを20年近くおこなっていません。
できれば、コンパイラタイプで、馴染みある言語がいいので、
Visula Basic、Delphi(Pascal)などが候補になります。
大学の講義では、Delphiを採用しています。
とりあえず無料の言語を探したら、
コンパイラタイプのActive Basicというのが見つかりました。
それもなかなか優れもので、開発者自身による解説書もありました。
それに、開発者個人ですが、ホームページで、サポートをしています。
とりあえず、Active Basicでプログラムしています。
久しぶりなので、プログラミングはなかなか大変です。
先日の土・日曜日に、なんとかファイルの変換部分だけはできたのですが、
大量のファイルを自動で処理する方法に現在苦労しています。
2004年6月10日木曜日
5_34 過去を見る力1:事実と推定
過去を調べるときに重要になるのは、何だと思いますか。多くの人は、証拠や科学的分析などを考えるでしょう。でも、それらの扱いには注意が必要です。実は推定なのにあたかも事実かのように思ったり、事実なのにあやふやに思えたりすることもあります。そんな陥りやすいワナを紹介していきましょう。
ここに恐竜の歯の化石があるとしましょう。この化石は、白亜紀後期の地層から見つかりました。長さは10cmほどあます。歯の先端には細かなぎざぎざがついています。この化石を素材にして少し、考えていきましょう。
ここまでの記述には、推定と事実がまじっています。どれが推定でどれが事実かわかりますか。推定は、「恐竜の歯の化石」と「白亜紀後期」で、「10cmほど」と「歯の先端には細かなぎざぎざ」が事実です。あれっ、逆だと思われたのではありませんか。科学的に見える「恐竜の歯の化石」と「白亜紀後期」が推定にあたり、「10cmほど」というおおよその数値や、「ぎざぎざ」という感覚的で抽象的な言い方が事実になるとは、すこし意外な感じがします。
よく考えていきましょう。事実とした「10cmほど」というのは、長さのことです。「ほど」とは、数値の精度を示す表現です。ですから、10cm前後の長さで、1cm程度の誤差を含んでいるという意味です。でも、この数値は計測可能ですから、事実といえます。必要とならば、精度よく計測することもできます。また、「ぎざぎざ」は形を表す言葉です。専門的ではないかもしれませんが、形態という事実を表現しているものです。必要とあれば、細かく記述することも可能です。
ところが、推定とした「恐竜の歯の化石」は、まず、「化石」かどうかを、判定するためには、論理を用いて考えていかなければなりません。「化石」となれば、それは過去の生物の一部であったことになります。その生物が「恐竜」で、「化石」が「歯」であったかどうかは、似たような多くの類似物の「古生物」や「化石」などから、論理を組み立てることによって得られた推定となります。「白亜紀後期」も、何かの根拠となる「化石」などから論理によって推定されるものです。時代区分自体、人間が人為的につけた時間区切りに過ぎません。ですから、人的区分に実際にあったであろう過去の時間をあてはめるための論理をあらかじめ用意しておき、その論理にあうかどうかの判定の後、時代が推定されていきます。まどろっこしのですが、それが時代を決める論理の手続きとなります。
化石も時代も、いずれの推定も、科学者たちが長い努力の末たどりついた論理によってです。多くの人がその推定を受け入れているために、あたかも「事実」のように扱われますが、実は、いくつもの論理を積み重ねた「推定」なのです。このような推定を何重にも重ねていくと、その信憑性はだんだんあやふやになっていきます。
それと比べて、長さや形態は、化石というものさえあれば、誰でも、計測や確認ができるもっともシンプルな事実です。観測の精度をあげたれば、いくらでも詳しいデータを読みとることができます。これが事実と推定の大きな違いです。
推定と事実は、簡単に見分けられそうに思えますが、じつは、意識をしていないと、ついつい推定を事実も思ったり、事実を推定だと思ったりしてしまうことがあります。今回の例のように、事実と推定が逆転している状態が常識となっていると、思わぬワナにはまってしまうことがあります。注意が必要です。
・動物園・
前日の休日に、旭川の旭山動物園というところに
家族でいってきました。
他の動物園は、伸び悩む中で、
この旭山動物園は、来園者数が伸びていることで有名です。
規模はそれほど大きくないのですが、
あちこちに工夫を凝らしています。
日本で一番北の動物園でという謳い文句で、
時間は短いのですが、冬場も開園しています。
そして、新設の施設は、冬場でも見られるような屋内施設にし、
それも動物を不思議な普段見られないような状態で
見ることができるように工夫されています。
たとえば、白熊の館には、ドームが2つあり、
そのドームが白熊の歩き回っているところに突き出ています。
白熊と鉢合わせすることもあります。
また、白熊のプールがあり、泳いでいるところを
水槽の横から見ることができます。
ひとつひとつはあちこちの動物園や水族館で
おこなわれているテクニックです。
それを、自分たち流にアレンジしています。
そこここに工夫の跡が見られます。
ボランティアでしょうか。
園内には多くの関係者が見受けられます。
手作りですが、いろいろな説明が付けられています。
そんなひとつひとつの関係者の姿と努力が見えるから、
リピーターが多いのでしょう。
さて、次は、札幌の動物園にいきましょうか。
・キャンプ・
動物園は自宅から2時間弱で車でいけます。
ですから、充分日帰り可能なところです。
しかし、我が家は旭川の温泉に泊まりました。
それは、ある目的があったからです。
その目的とは、私の調査を兼ねているのですが、
キャンプ地を探すことでした。
候補地が、事前にありました。
以前調査で一度きていたところでした。
そこは、住んでいる江別から遠く、80kmほど離れています。
今回、私自身は調査をしたのですが、
家族は、しばらく河原で遊んでいました。
家内は読書をしていました。
私は、その河原がキャンプに適しているかどうかを
再確認したかったのです。
石狩川の河原なのですが、ほとんど人が来ることなく、
自然のままの河原があります。
今度、この場所でキャンプをしたいと考えています。
一般のキャンプ場はあまり好きではありません。
なぜなら、どのキャンプ場も人が一杯で
自然を味わえるものではないからです。
多くのキャンプ場は、芝生、電気、水道、トイレが完備されていて、
野外で人里から離れて自然に親しむというものではないように思えます。
私は、先生や先輩から、地質調査の手法を学ぶと共に、
人気のない自然の只中でおこなうキャンプの
醍醐味を教えていただきました。
自然は素晴らしいものであるとの同時に、
怖いものであることも教えられました。
夜には、昼間とまったく違った別の自然があることを、
自然の中でキャンプすることで気づきました。
自分たち以外に人工的なものがない、
夜は真っ暗なこと、そして星や月が明るいこと、
そんな当たり前のことに気づくことが大切だと思います。
子供たちが大きくなったので、
今年の夏はキャンプをしようと思っています。
子供たちにははじめてのキャンプです。
テントを家の中に張って、
子供たちだけで寝かせました。
できれば、最初のキャンプの体験は
本当の自然の中で、怖さと素晴らしさの両方が
味わえるものにしたいと考えています。
なんといってもはじめが肝心ですから。
再来週にでも、天気がよければ
その場所でキャンプをしたいと考えています。
ここに恐竜の歯の化石があるとしましょう。この化石は、白亜紀後期の地層から見つかりました。長さは10cmほどあます。歯の先端には細かなぎざぎざがついています。この化石を素材にして少し、考えていきましょう。
ここまでの記述には、推定と事実がまじっています。どれが推定でどれが事実かわかりますか。推定は、「恐竜の歯の化石」と「白亜紀後期」で、「10cmほど」と「歯の先端には細かなぎざぎざ」が事実です。あれっ、逆だと思われたのではありませんか。科学的に見える「恐竜の歯の化石」と「白亜紀後期」が推定にあたり、「10cmほど」というおおよその数値や、「ぎざぎざ」という感覚的で抽象的な言い方が事実になるとは、すこし意外な感じがします。
よく考えていきましょう。事実とした「10cmほど」というのは、長さのことです。「ほど」とは、数値の精度を示す表現です。ですから、10cm前後の長さで、1cm程度の誤差を含んでいるという意味です。でも、この数値は計測可能ですから、事実といえます。必要とならば、精度よく計測することもできます。また、「ぎざぎざ」は形を表す言葉です。専門的ではないかもしれませんが、形態という事実を表現しているものです。必要とあれば、細かく記述することも可能です。
ところが、推定とした「恐竜の歯の化石」は、まず、「化石」かどうかを、判定するためには、論理を用いて考えていかなければなりません。「化石」となれば、それは過去の生物の一部であったことになります。その生物が「恐竜」で、「化石」が「歯」であったかどうかは、似たような多くの類似物の「古生物」や「化石」などから、論理を組み立てることによって得られた推定となります。「白亜紀後期」も、何かの根拠となる「化石」などから論理によって推定されるものです。時代区分自体、人間が人為的につけた時間区切りに過ぎません。ですから、人的区分に実際にあったであろう過去の時間をあてはめるための論理をあらかじめ用意しておき、その論理にあうかどうかの判定の後、時代が推定されていきます。まどろっこしのですが、それが時代を決める論理の手続きとなります。
化石も時代も、いずれの推定も、科学者たちが長い努力の末たどりついた論理によってです。多くの人がその推定を受け入れているために、あたかも「事実」のように扱われますが、実は、いくつもの論理を積み重ねた「推定」なのです。このような推定を何重にも重ねていくと、その信憑性はだんだんあやふやになっていきます。
それと比べて、長さや形態は、化石というものさえあれば、誰でも、計測や確認ができるもっともシンプルな事実です。観測の精度をあげたれば、いくらでも詳しいデータを読みとることができます。これが事実と推定の大きな違いです。
推定と事実は、簡単に見分けられそうに思えますが、じつは、意識をしていないと、ついつい推定を事実も思ったり、事実を推定だと思ったりしてしまうことがあります。今回の例のように、事実と推定が逆転している状態が常識となっていると、思わぬワナにはまってしまうことがあります。注意が必要です。
・動物園・
前日の休日に、旭川の旭山動物園というところに
家族でいってきました。
他の動物園は、伸び悩む中で、
この旭山動物園は、来園者数が伸びていることで有名です。
規模はそれほど大きくないのですが、
あちこちに工夫を凝らしています。
日本で一番北の動物園でという謳い文句で、
時間は短いのですが、冬場も開園しています。
そして、新設の施設は、冬場でも見られるような屋内施設にし、
それも動物を不思議な普段見られないような状態で
見ることができるように工夫されています。
たとえば、白熊の館には、ドームが2つあり、
そのドームが白熊の歩き回っているところに突き出ています。
白熊と鉢合わせすることもあります。
また、白熊のプールがあり、泳いでいるところを
水槽の横から見ることができます。
ひとつひとつはあちこちの動物園や水族館で
おこなわれているテクニックです。
それを、自分たち流にアレンジしています。
そこここに工夫の跡が見られます。
ボランティアでしょうか。
園内には多くの関係者が見受けられます。
手作りですが、いろいろな説明が付けられています。
そんなひとつひとつの関係者の姿と努力が見えるから、
リピーターが多いのでしょう。
さて、次は、札幌の動物園にいきましょうか。
・キャンプ・
動物園は自宅から2時間弱で車でいけます。
ですから、充分日帰り可能なところです。
しかし、我が家は旭川の温泉に泊まりました。
それは、ある目的があったからです。
その目的とは、私の調査を兼ねているのですが、
キャンプ地を探すことでした。
候補地が、事前にありました。
以前調査で一度きていたところでした。
そこは、住んでいる江別から遠く、80kmほど離れています。
今回、私自身は調査をしたのですが、
家族は、しばらく河原で遊んでいました。
家内は読書をしていました。
私は、その河原がキャンプに適しているかどうかを
再確認したかったのです。
石狩川の河原なのですが、ほとんど人が来ることなく、
自然のままの河原があります。
今度、この場所でキャンプをしたいと考えています。
一般のキャンプ場はあまり好きではありません。
なぜなら、どのキャンプ場も人が一杯で
自然を味わえるものではないからです。
多くのキャンプ場は、芝生、電気、水道、トイレが完備されていて、
野外で人里から離れて自然に親しむというものではないように思えます。
私は、先生や先輩から、地質調査の手法を学ぶと共に、
人気のない自然の只中でおこなうキャンプの
醍醐味を教えていただきました。
自然は素晴らしいものであるとの同時に、
怖いものであることも教えられました。
夜には、昼間とまったく違った別の自然があることを、
自然の中でキャンプすることで気づきました。
自分たち以外に人工的なものがない、
夜は真っ暗なこと、そして星や月が明るいこと、
そんな当たり前のことに気づくことが大切だと思います。
子供たちが大きくなったので、
今年の夏はキャンプをしようと思っています。
子供たちにははじめてのキャンプです。
テントを家の中に張って、
子供たちだけで寝かせました。
できれば、最初のキャンプの体験は
本当の自然の中で、怖さと素晴らしさの両方が
味わえるものにしたいと考えています。
なんといってもはじめが肝心ですから。
再来週にでも、天気がよければ
その場所でキャンプをしたいと考えています。
2004年6月3日木曜日
3_32 ドロマイト
前回の硬水と軟水に関連した話題で、ドロマイトという名前の石が出てきました。ドロマイトについてわからないという質問がありましたので、今回は、ドロマイトについて紹介しましょう。
ドロマイトは、石灰岩の仲間ですが、石灰岩が炭酸カルシウム(CaCO3)という化学成分をもっているのですが、ドロマイトは、炭酸カルシウムは半分で、あとは炭酸マグネシウム(MgCO3)になっています。ドロマイトは、石灰岩のカルシウムが、マグネシウムに置き換わたものとみることができます。岩石の見かけも、石灰岩に似ています。
ドロマイトは、フランスの地質学者のデオダ・ドゥ・ドロミュ (1750-1801)にちなんで名づけられました。石灰岩の炭酸カルシウムは方解石という鉱物で、ドロマイトをつくる鉱物はドロマイトとよばれます。岩石も鉱物も同じ名称なので、ややこしいのですが、日本語では、鉱物を苦灰石(白雲石とも呼ばれる)、岩石を苦灰岩として区別されています。ちなみに、イタリアのドロミテ・アルプスはドロマイトが多いことから名づけられたものです。
ドロマイトのでき方は、ドロマイトが直接たまることはないと考えられています。石灰岩からドロマイトに変わっていくと考えられています。その作用は、石灰岩の炭酸カルシウムが炭酸マグネシウムに置き換わってできていくことになります。その交代作用は、石灰岩ができて比較早い時期に起こる場合と、長い時間をかけてできる場合とがあります。いずれにしても、ドロマイトは石灰岩といっしょにでることが、多くなります。
海でできた石灰岩のカルシウム分が、特別な条件になると、海水中のマグネシウムと置き換わることが起こることがあります。熱帯の海で塩分濃度が高くなったとき、石灰岩のカルシウムとマグネシウムが交代することがあります。
また、長い時間を経た石灰岩には、ドロマイトに変わっているものがよく見られます。ドロマイトは、石灰岩できた場所で起こるだけでなく、経てきた歴史によっても、ドロマイトに変わっていく作用がおこります。したがって古い時代の石灰岩は、ドロマイトに変わるチャンスが多くなります。
海で形成された地層が、プレートテクトニクスの営みによって、プレートが沈み込む付近で大陸に付け加わります。このようにしてできた付加体の中の地層には、海で形成されたサンゴ礁や陸付近で溜まった石灰岩がよく含まれています。日本の多くの地層は付加体できています。付加体の中には、規模は様々ですが、石灰岩がたくさんのところから見つかります。付加体の石灰岩のあるものは石灰岩のまま、あるものはドロマイトに変わっています。
日本では、栃木県の葛生地方が産地として有名で、全国の生産量(400万トン/年)の90%を占めています。石灰岩の産地は、栃木県の葛生のほかに、岐阜県、三重県、北海道(上磯町)、高知県、大分県などがあります。葛生のドロマイトは、2億年前に赤道付近の海洋島の周囲で形成されたサンゴ礁が起源だと考えられています。サンゴは動物の仲間で、石灰岩のカラをもっています。小さなカラがたくさん集まったものがサンゴ礁です。サンゴ礁は石灰岩からできています。葛生のドロマイトは、サンゴ礁の石灰岩が、海水のマグネシウムと交代したものだと考えられています。
産地というからには、ドロマイトを採掘しているということです。ドロマイトは、工業用の素材として、いろいろと利用されています。ドロマイトは、溶けた鉄鉱石の中のリンやイオウなどの不純物を取りのぞくのに利用されたり、溶鉱炉の耐熱の壁材を保護するのに利用します。植物の栄養素として、窒素、リン、カリウムの3つが有名ですが、カルシウムとマグネシウムを含めて5要素といわれています。ですから、ドロマイトの成分が肥料としても利用されています。さらに、透明感があり、きれいな結晶は、宝石にされることもあります。
・ジンギスカン・
本州では梅雨入りしているようですが、
北海道は、梅雨がありません。
いい気候の時期となります。
そんな天気のいい日の日曜日、
小学校で父兄の作業があり、
校庭の環境整備をしました。
小学校は、森のはずれの田園地帯にあります。
朝、カッコウの鳴き声を聞きながら
多くの父兄が集まり、作業をしました。
お昼は、皆でジンギスカンを食べました。
そしかするとそれが、目当てだったのかもしれませんが。
学校の中庭で、大きなジンギスカン鍋10台を並べて、
大規模なジンギスカン大会をおこないました。
業者にジンギスカンをすべて依頼してましたから、
火付けや片付けもお任せです。
だから、非常に楽しみながらのジンギスカンでした。
もちろん、おいしかったです。
・自分・
長いようで短い5月も終わりました。
5月は、4月のあわただしさと比べて、比較的落ち着いてくるはずです。
ところが私の場合は、
このひと月、いつものようにあわただしく過ぎました。
そんなひと月を振り返った慰め、あるいは言い訳のメモを書いたので、
紹介しましょう。
「何をなしたかは問うまい、振り返るまい。
それは自分が一番知っている。
それに満足感があるかどうかも
自分のみが知ることである。
反省は必要だ。
しかし、反省によって夢を捨てるようなら
反省などしないほうがいい。
反省して、明日からの前進につながればいい。
反省で、つらい思いのみ残るのであれば、
そんな反省はしないほうがいい。
生きていくことは大変だ。
しかし、生きていかねばならない。
そのために、努力をすることを怠ってはならない。
過大なる夢であっても、望むのであれば、
努力し、その結果、破れても後悔すまい。
できそうな希望を望み、
そんが果たせなくとも、悔やむまい。
そんな夢や希望を持ったもの自分。
果たせなかったもの自分。
すべて自分の中の営み。
その営みだけな確かのものである。
それを確かだと思える自分こそが、信ずべきもの。
生きていくということは、
自分自身をどれほど信じるかであろう。
たとえ自分が自分を裏切ったとしても、
自分は自分を許せるか。
夢を果たせなかった自分でも、信じ、
再度、夢を託せられるか。
同じ一生を共にするなら、
頼りない自分であっても、信じるしかない。
いつでも自分からはじまり、いつまでいっても自分である。
もしもそんな一生の相棒の自分が、
期待に応えてくれたら、
大いに褒めてやろう、喜んであげよう。
そんな日が来ることを、根気強く見守っていよう。」
ドロマイトは、石灰岩の仲間ですが、石灰岩が炭酸カルシウム(CaCO3)という化学成分をもっているのですが、ドロマイトは、炭酸カルシウムは半分で、あとは炭酸マグネシウム(MgCO3)になっています。ドロマイトは、石灰岩のカルシウムが、マグネシウムに置き換わたものとみることができます。岩石の見かけも、石灰岩に似ています。
ドロマイトは、フランスの地質学者のデオダ・ドゥ・ドロミュ (1750-1801)にちなんで名づけられました。石灰岩の炭酸カルシウムは方解石という鉱物で、ドロマイトをつくる鉱物はドロマイトとよばれます。岩石も鉱物も同じ名称なので、ややこしいのですが、日本語では、鉱物を苦灰石(白雲石とも呼ばれる)、岩石を苦灰岩として区別されています。ちなみに、イタリアのドロミテ・アルプスはドロマイトが多いことから名づけられたものです。
ドロマイトのでき方は、ドロマイトが直接たまることはないと考えられています。石灰岩からドロマイトに変わっていくと考えられています。その作用は、石灰岩の炭酸カルシウムが炭酸マグネシウムに置き換わってできていくことになります。その交代作用は、石灰岩ができて比較早い時期に起こる場合と、長い時間をかけてできる場合とがあります。いずれにしても、ドロマイトは石灰岩といっしょにでることが、多くなります。
海でできた石灰岩のカルシウム分が、特別な条件になると、海水中のマグネシウムと置き換わることが起こることがあります。熱帯の海で塩分濃度が高くなったとき、石灰岩のカルシウムとマグネシウムが交代することがあります。
また、長い時間を経た石灰岩には、ドロマイトに変わっているものがよく見られます。ドロマイトは、石灰岩できた場所で起こるだけでなく、経てきた歴史によっても、ドロマイトに変わっていく作用がおこります。したがって古い時代の石灰岩は、ドロマイトに変わるチャンスが多くなります。
海で形成された地層が、プレートテクトニクスの営みによって、プレートが沈み込む付近で大陸に付け加わります。このようにしてできた付加体の中の地層には、海で形成されたサンゴ礁や陸付近で溜まった石灰岩がよく含まれています。日本の多くの地層は付加体できています。付加体の中には、規模は様々ですが、石灰岩がたくさんのところから見つかります。付加体の石灰岩のあるものは石灰岩のまま、あるものはドロマイトに変わっています。
日本では、栃木県の葛生地方が産地として有名で、全国の生産量(400万トン/年)の90%を占めています。石灰岩の産地は、栃木県の葛生のほかに、岐阜県、三重県、北海道(上磯町)、高知県、大分県などがあります。葛生のドロマイトは、2億年前に赤道付近の海洋島の周囲で形成されたサンゴ礁が起源だと考えられています。サンゴは動物の仲間で、石灰岩のカラをもっています。小さなカラがたくさん集まったものがサンゴ礁です。サンゴ礁は石灰岩からできています。葛生のドロマイトは、サンゴ礁の石灰岩が、海水のマグネシウムと交代したものだと考えられています。
産地というからには、ドロマイトを採掘しているということです。ドロマイトは、工業用の素材として、いろいろと利用されています。ドロマイトは、溶けた鉄鉱石の中のリンやイオウなどの不純物を取りのぞくのに利用されたり、溶鉱炉の耐熱の壁材を保護するのに利用します。植物の栄養素として、窒素、リン、カリウムの3つが有名ですが、カルシウムとマグネシウムを含めて5要素といわれています。ですから、ドロマイトの成分が肥料としても利用されています。さらに、透明感があり、きれいな結晶は、宝石にされることもあります。
・ジンギスカン・
本州では梅雨入りしているようですが、
北海道は、梅雨がありません。
いい気候の時期となります。
そんな天気のいい日の日曜日、
小学校で父兄の作業があり、
校庭の環境整備をしました。
小学校は、森のはずれの田園地帯にあります。
朝、カッコウの鳴き声を聞きながら
多くの父兄が集まり、作業をしました。
お昼は、皆でジンギスカンを食べました。
そしかするとそれが、目当てだったのかもしれませんが。
学校の中庭で、大きなジンギスカン鍋10台を並べて、
大規模なジンギスカン大会をおこないました。
業者にジンギスカンをすべて依頼してましたから、
火付けや片付けもお任せです。
だから、非常に楽しみながらのジンギスカンでした。
もちろん、おいしかったです。
・自分・
長いようで短い5月も終わりました。
5月は、4月のあわただしさと比べて、比較的落ち着いてくるはずです。
ところが私の場合は、
このひと月、いつものようにあわただしく過ぎました。
そんなひと月を振り返った慰め、あるいは言い訳のメモを書いたので、
紹介しましょう。
「何をなしたかは問うまい、振り返るまい。
それは自分が一番知っている。
それに満足感があるかどうかも
自分のみが知ることである。
反省は必要だ。
しかし、反省によって夢を捨てるようなら
反省などしないほうがいい。
反省して、明日からの前進につながればいい。
反省で、つらい思いのみ残るのであれば、
そんな反省はしないほうがいい。
生きていくことは大変だ。
しかし、生きていかねばならない。
そのために、努力をすることを怠ってはならない。
過大なる夢であっても、望むのであれば、
努力し、その結果、破れても後悔すまい。
できそうな希望を望み、
そんが果たせなくとも、悔やむまい。
そんな夢や希望を持ったもの自分。
果たせなかったもの自分。
すべて自分の中の営み。
その営みだけな確かのものである。
それを確かだと思える自分こそが、信ずべきもの。
生きていくということは、
自分自身をどれほど信じるかであろう。
たとえ自分が自分を裏切ったとしても、
自分は自分を許せるか。
夢を果たせなかった自分でも、信じ、
再度、夢を託せられるか。
同じ一生を共にするなら、
頼りない自分であっても、信じるしかない。
いつでも自分からはじまり、いつまでいっても自分である。
もしもそんな一生の相棒の自分が、
期待に応えてくれたら、
大いに褒めてやろう、喜んであげよう。
そんな日が来ることを、根気強く見守っていよう。」
2004年5月27日木曜日
3_31 硬水と軟水
ある人から「日本は軟水、ヨーロッパは硬水が多い」のはなぜ、という質問を受けました。これは、地質学と一見関係ないようですが、でも考えていくと関係があったのです。
硬水と軟水の詳細について、私は専門家ではありません。ですから、この質問を水や水理の立場から答えることができません。地質学者の立場で答えることにしました。
硬水と軟水は、カルシウム(Ca)とマグネシウム(Mg)の量が違いによって区別されます。カルシウムやマグネシウムを多く含む水が硬水です。一般に水には、地下水であろうが、川の水であろうが、多かれ少なかれ、カルシウムやマグネシウムを含んでいます。ただし、炭酸水素塩や硫酸塩などのかたちで含まれます。
このような区分を定量的にあらわしたのが、水の硬度とよばれるものです。水100cc中に酸化カルシウム(CaO)+1.4×酸化マグネシウム(MgO)をmg(ミリグラム)の単位で表したものを、水の硬度としています。より正確には、カルシウムやマグネシウムの量の他に、鉄やアルミニウムなどの金属イオンも加えて考えられています。
酸化カルシウムなどが1mgあれば、水の硬度は1度です。この硬度が20度以上のものを、工業上は硬水と呼んでいます。
なぜこのような区分をするかというと、硬水は、生活や工業用として利用するときに、さまざなま支障を起こすからです。カルシウムやマグネシウムの化合物は沈殿を作りやすく、石鹸の効果をなくしたりします。沈殿が起こると、パイプやボイラーが詰まったり、繊維に化合物が付着して染色、製糸を妨げたりするからです。
さて、なぜ、硬水がヨーロッパに多いのかという点ですが、日本でも硬水の多い地帯はあります。ただし、日本では、水資源が豊富なので、軟水を別途用意できるから、軟水を利用し、硬水を使わずにすむので、あまり問題が表面化していないのでしょう。それに、水道水も最近は技術の進歩によって一時よりはずっとおいしくなりました。それが、ますます硬水と軟水の比率を紛らわす要因になっている可能性があります。
ですから、ヨーロッパだけに硬水が多いとは限らないと思います。ちなみにヨーロッパから水を輸入にしてありがたがっている人が日本にはたくさんいます。不思議なことです。当然のことですが、ヨーロッパにもおいしい水があるのです。
でもやはり、経験的に、硬水が多いように感じます。私はヨーロッパの硬水と軟水の比率を知りませんが、その理由を想像してみます。あくまでも想像です。データはありません。
カルシウムやマグネシウムは、多くの岩石や地層をつくる主要な成分です。しかし、水に溶けやすいかどうかは、カルシウムやマグネシウムがどのような鉱物として岩石に含まれているかが重要となってきます。
水に溶けやすい鉱物として、なおかつ量の多いものとして、石灰岩とドロマイト(苦灰岩ともいいます)というものがあります。石灰岩は炭酸カルシウム(CaCO3)でドロマイトは炭酸マグネシウム(MgCO3)です。ドロマイトは、石灰岩のカルシウムが、マグネシウムに置き換わってできるものです。ですから、古い時代の石灰岩はドロマイトに変わっていることがよくあります。
また、水だけを考えますと、水が上のようなカルシウムやマグネシウムをたくさん含む岩石に接する機会が多いほど、水の硬度は高くなっていくはずです。つまり、水が海に達するまでに長い時間、あるいは長い距離を流れれば、水の硬度は高くなります。このような条件を満たすしたものが硬水になります。
ヨーロッパは、日本と比べれば古い地層からできているところが多いです。そして海で溜まった地層もその中にはたくさんあります。そのなかには、石灰岩やドロマイトをたくさん含む地層もあります。
また、アルプスからアペニン山脈より北側のヨーロッパでは、川は蛇行してゆったりと、そして長い距離を流れ、海に向かいます。ですからこのような条件を満たしているのだと思います。
でも、これは、フランスやドイツ、デンマークなどを想定したものです。ヨーロッパ全土に当てはまるかどうかはわかりません。また、アメリカ大陸やユーラシア大陸、そして日本でもこのような条件を満たすところもあります。そんなところは、硬水となっていはずです。ですから、日本でも硬水があるわけです。
地層や岩石の分布は、長い時間の地球の変動を繰り返し受けて、複雑になってます。特に古い時代のものはそうです。また、地表に出ている地層や岩石だけが、水の硬度に影響するわけでなく、地下の地層や岩石も地下水を通じて関与しています。
ですから、ひとくくりにして語るのは、統計がないと難しいと思います。そして、その統計も地質を水という視点で見た平均値、あるいは積算値のようなものとみなすべきです。だから一般論で語れるかどうかは、私にはいまのところ判断できません。
・おいしい水・
おいしいと思って飲む水。
まずいと思って飲む水。
本当においしい、まずいというのはあるはずです。
その間には、どちらでもない水があるはずです。
しかし、人間は感情の動物です。
日々当たり前だと思って接している水のようなものは、
味を意識することは少ないはずです。
でも、お金を出してかった水。
のどが渇いてやっとありついた水。
暑いときに飲む冷えた水。
これらは、おいしく感じます。
味というのは、最終的に心が感じるものです。
だから、心さえ惑わせれば、おいしく思わせることもできるはずです。
ラベルや見た目など、注意しないと心は簡単に惑わされますよ。
・やらせ・
先日の週末、岐阜に1泊2日で行ってきました。
今回で5回目、延べ10日間通ったことになります。
あと一度出かけなければならないかもしれません。
ある研究プロジェクトで、
教員に野外学習の素養を高めてもらうための方法を
考えていくための活動でおこなっています。
先週は、岐阜の小中学校の先生たちを集めて、
河原で石ころを素材に
一日実験授業に参加してもらいました。
50名ほどの先生が集まってこられました。
このような行事に、休日にもかかわらず参加される先生は、
もちろん熱心な先生です。
そん熱心な先生ですから、多分、
期待した成果は得られるはずです。
でも、これって「やらせ」ではないでしょうか。
結果のわかっているものを、
一種のアリバイ作り、証拠固めのような気がしてなりません。
私は、いまこのやり方にすごく疑問を感じ、
研究会のメンバーに議論を投げかけています。
さてさて、どうなることやら。
硬水と軟水の詳細について、私は専門家ではありません。ですから、この質問を水や水理の立場から答えることができません。地質学者の立場で答えることにしました。
硬水と軟水は、カルシウム(Ca)とマグネシウム(Mg)の量が違いによって区別されます。カルシウムやマグネシウムを多く含む水が硬水です。一般に水には、地下水であろうが、川の水であろうが、多かれ少なかれ、カルシウムやマグネシウムを含んでいます。ただし、炭酸水素塩や硫酸塩などのかたちで含まれます。
このような区分を定量的にあらわしたのが、水の硬度とよばれるものです。水100cc中に酸化カルシウム(CaO)+1.4×酸化マグネシウム(MgO)をmg(ミリグラム)の単位で表したものを、水の硬度としています。より正確には、カルシウムやマグネシウムの量の他に、鉄やアルミニウムなどの金属イオンも加えて考えられています。
酸化カルシウムなどが1mgあれば、水の硬度は1度です。この硬度が20度以上のものを、工業上は硬水と呼んでいます。
なぜこのような区分をするかというと、硬水は、生活や工業用として利用するときに、さまざなま支障を起こすからです。カルシウムやマグネシウムの化合物は沈殿を作りやすく、石鹸の効果をなくしたりします。沈殿が起こると、パイプやボイラーが詰まったり、繊維に化合物が付着して染色、製糸を妨げたりするからです。
さて、なぜ、硬水がヨーロッパに多いのかという点ですが、日本でも硬水の多い地帯はあります。ただし、日本では、水資源が豊富なので、軟水を別途用意できるから、軟水を利用し、硬水を使わずにすむので、あまり問題が表面化していないのでしょう。それに、水道水も最近は技術の進歩によって一時よりはずっとおいしくなりました。それが、ますます硬水と軟水の比率を紛らわす要因になっている可能性があります。
ですから、ヨーロッパだけに硬水が多いとは限らないと思います。ちなみにヨーロッパから水を輸入にしてありがたがっている人が日本にはたくさんいます。不思議なことです。当然のことですが、ヨーロッパにもおいしい水があるのです。
でもやはり、経験的に、硬水が多いように感じます。私はヨーロッパの硬水と軟水の比率を知りませんが、その理由を想像してみます。あくまでも想像です。データはありません。
カルシウムやマグネシウムは、多くの岩石や地層をつくる主要な成分です。しかし、水に溶けやすいかどうかは、カルシウムやマグネシウムがどのような鉱物として岩石に含まれているかが重要となってきます。
水に溶けやすい鉱物として、なおかつ量の多いものとして、石灰岩とドロマイト(苦灰岩ともいいます)というものがあります。石灰岩は炭酸カルシウム(CaCO3)でドロマイトは炭酸マグネシウム(MgCO3)です。ドロマイトは、石灰岩のカルシウムが、マグネシウムに置き換わってできるものです。ですから、古い時代の石灰岩はドロマイトに変わっていることがよくあります。
また、水だけを考えますと、水が上のようなカルシウムやマグネシウムをたくさん含む岩石に接する機会が多いほど、水の硬度は高くなっていくはずです。つまり、水が海に達するまでに長い時間、あるいは長い距離を流れれば、水の硬度は高くなります。このような条件を満たすしたものが硬水になります。
ヨーロッパは、日本と比べれば古い地層からできているところが多いです。そして海で溜まった地層もその中にはたくさんあります。そのなかには、石灰岩やドロマイトをたくさん含む地層もあります。
また、アルプスからアペニン山脈より北側のヨーロッパでは、川は蛇行してゆったりと、そして長い距離を流れ、海に向かいます。ですからこのような条件を満たしているのだと思います。
でも、これは、フランスやドイツ、デンマークなどを想定したものです。ヨーロッパ全土に当てはまるかどうかはわかりません。また、アメリカ大陸やユーラシア大陸、そして日本でもこのような条件を満たすところもあります。そんなところは、硬水となっていはずです。ですから、日本でも硬水があるわけです。
地層や岩石の分布は、長い時間の地球の変動を繰り返し受けて、複雑になってます。特に古い時代のものはそうです。また、地表に出ている地層や岩石だけが、水の硬度に影響するわけでなく、地下の地層や岩石も地下水を通じて関与しています。
ですから、ひとくくりにして語るのは、統計がないと難しいと思います。そして、その統計も地質を水という視点で見た平均値、あるいは積算値のようなものとみなすべきです。だから一般論で語れるかどうかは、私にはいまのところ判断できません。
・おいしい水・
おいしいと思って飲む水。
まずいと思って飲む水。
本当においしい、まずいというのはあるはずです。
その間には、どちらでもない水があるはずです。
しかし、人間は感情の動物です。
日々当たり前だと思って接している水のようなものは、
味を意識することは少ないはずです。
でも、お金を出してかった水。
のどが渇いてやっとありついた水。
暑いときに飲む冷えた水。
これらは、おいしく感じます。
味というのは、最終的に心が感じるものです。
だから、心さえ惑わせれば、おいしく思わせることもできるはずです。
ラベルや見た目など、注意しないと心は簡単に惑わされますよ。
・やらせ・
先日の週末、岐阜に1泊2日で行ってきました。
今回で5回目、延べ10日間通ったことになります。
あと一度出かけなければならないかもしれません。
ある研究プロジェクトで、
教員に野外学習の素養を高めてもらうための方法を
考えていくための活動でおこなっています。
先週は、岐阜の小中学校の先生たちを集めて、
河原で石ころを素材に
一日実験授業に参加してもらいました。
50名ほどの先生が集まってこられました。
このような行事に、休日にもかかわらず参加される先生は、
もちろん熱心な先生です。
そん熱心な先生ですから、多分、
期待した成果は得られるはずです。
でも、これって「やらせ」ではないでしょうか。
結果のわかっているものを、
一種のアリバイ作り、証拠固めのような気がしてなりません。
私は、いまこのやり方にすごく疑問を感じ、
研究会のメンバーに議論を投げかけています。
さてさて、どうなることやら。
2004年5月20日木曜日
4_45 白亜紀の恐竜:春の道北2
道北の旅でいくつかの博物館を見ました。博物館の恐竜化石をみて、はやり博物館は面白いところだと思いました。そんな話をしましょう。
北海道からは、貴重な化石がたくさん見つかっています。アンモナイトは特に有名で、三笠町にはアンモナイトを中心とした博物館があるほどです。アンモナイトは中生代の代表する化石ですが、中生代はなんといっても恐竜の化石が有名です。
かつて、日本では恐竜はいなかったと考えられていました。ただ一つの例外は、昭和9年(1934年)に、当時日本領だったサハリンから恐竜の化石(カモハシ竜の仲間のニッポノサウルス)が見つかっていただけでした。
ところが、1978年に岩手県岩泉町茂師(もし)から、恐竜の化石(モシリュウ)が発見されて以降、熊本、群馬、石川、福島、福井、岐阜、福岡、北海道、富山、山口、徳島、長野、三重などで、ぞくぞくと恐竜化石が発見されてきました。今では、日本も、恐竜がたくさん出る国となっています。
恐竜の化石の産地としては、手取層群が世界的に有名です。手取層群は、富山、石川、福井、岐阜の4県にまたがって分布する地層で、日本の恐竜化石の約90%を占めています。手取層群は、中生代ジュラ紀後期から白亜紀前期にかけで形成された地層す。
世界の恐竜の化石は、中生代のいろいろな時代から出ているのですが、なぜか白亜紀前期の地層は、それほど多くはありません。ところが日本で発見される恐竜化石の多くは、白亜紀の時代からです。ですから、今まで恐竜の研究でよくわかっていなかった白亜紀前期の恐竜を調べるには、日本が非常に大切な地域となりました。
北海道の白亜紀の地層としては、空知層群、蝦夷(えぞ)累層群(るいそうぐん)、根室層群などがあります。なかでも蝦夷累層群は、恐竜化石やアンモナイトなどのがたくさん出ることで有名です。蝦夷累層群は、北海道の南北にのびる脊梁山脈周辺に、平行に分布している砂岩と泥岩からできている地層です。白亜紀の前期中ごろから後期中ごろ(1億1000万から7200万年前ころ)に、アジア大陸周辺の大陸斜面に溜まった地層です。時代が新しくなるにつれて、堆積する場所はだんだん浅い海になってきます。そして、浅い海で溜まった地層から恐竜化石が見つかっています。
今回訪れた博物館のひとつは、中川郡中川町佐久にある中川町エコミュージアムセンターでした。中川町は蝦夷累層群がたくさん分布する地域で、以前からアンモナイトやイノセラムスなどの化石がたくさん出ることで有名です。中川町から首長竜の化石が1991年に発見されました。この首長竜は、ナカガワクビナガリュウと呼ばれ、エラスモサウルスの仲間とされています。ナカガワクビナガリュウは日本では最大の首長竜とされています。このような白亜紀の化石を、博物館ではたくさん見ることができました。
そして、エコミュージアムでは、ゴールデンウィークには、子供たちを対象にして、いくつものエベントがおこなわれていました。恐竜の模型を使って仲間探しをしたり、恐竜のおもちゃをつかって遊んだり、発掘コーナーで発掘をしたり、化石のレプリカを自分でつくったりするようなイベントをしていました。これらのエベントでは、日本でも恐竜を代表とする化石がたくさんあり、それを子供たちに身近に感じて欲しいという学芸員の心意気が見えました。私は、日本にも恐竜がいたのだということを強く感じました。
・恐竜への熱い心・
中川エコミュージアムは、国道から少し奥まったところにありました。
初めて訪れました。
その建物は、廃校になった中学校を再利用したものでした。
体育館が展示スペースとなり、教室が宿泊型研修室となっていました。
天井も高く広い展示場でしたが、天候のせいで非常に寒かったです。
強力なストーブをたいて暖めていましたが、
なかなか展示場全体は温められてませんでした。
でもストーブの前だけは暖かくなっていました。
親は寒くなると、ときどきストーブの前で暖を取っていました。
ところが、子供たちは、上着を脱いで、腕まくりをして、
化石のレプリカ作りに目を輝かせていました。
また、化石の発掘コーナーでは、
砂の中に埋もれた化石を刷毛で熱心に発掘していました。
この寒い体育館でも、子供たちの化石に対する熱い心は、
肉体をも熱くしていたようです。
化石や恐竜は、子供たちを熱くしてしまうようです。
もちろん大人もその大きさには圧倒されますが、
やはり寒さには勝てませんでした。
子供のような体が熱くなるような情熱を
もうなくしてしなったのでしょうかね。
・周氷河地形・
脊梁山脈とはいいますが、道北では、その山並みは、
南部の脊梁である日高山脈ほど険しくありません。
むしろ、たおやかな感じがします。
それは、氷河によって険しさが均されているせいかもしれません。
道北の先端地域である宗谷地方は
周氷河地形と呼ばれるものができています。
周氷河地形とは、氷河の周辺部にできる地形で、
小さな起伏が連続するなだらかな斜面を発達しています。
このような地形は、日高山脈南部の襟裳岬周辺でもみられるものです。
北海道の北と南で似たような周氷河地形がみられるのは、
北海道の脊梁山脈が中央部の標高が高く、
南北で低くなっているからです。
この性質がそのまま北海道の形に反映されているのです。
・再訪・
中川町は、私が大学3年生の夏に、研修論文作成のために、
学科の3年生全員が、大学の研修施設に泊まり、
夏休みに調査をした地域でした。
いってみれば、私が地質調査と呼ばれるものを
はじめておこなった地域でもあります。
再訪して懐かしかったのですが、
20数年も前のことなので、
町の様子も、道路も、景色もだいぶ変わったようです。
手元には資料がないので、
どこを調査したのかさえも正確には思い出せません。
でも、ここで過ごした夏の思い出の現実が一致しません。
なにか懐かしいようで、もやもやしたような
不思議な気分になりながら、中川の町を後にしました。
北海道からは、貴重な化石がたくさん見つかっています。アンモナイトは特に有名で、三笠町にはアンモナイトを中心とした博物館があるほどです。アンモナイトは中生代の代表する化石ですが、中生代はなんといっても恐竜の化石が有名です。
かつて、日本では恐竜はいなかったと考えられていました。ただ一つの例外は、昭和9年(1934年)に、当時日本領だったサハリンから恐竜の化石(カモハシ竜の仲間のニッポノサウルス)が見つかっていただけでした。
ところが、1978年に岩手県岩泉町茂師(もし)から、恐竜の化石(モシリュウ)が発見されて以降、熊本、群馬、石川、福島、福井、岐阜、福岡、北海道、富山、山口、徳島、長野、三重などで、ぞくぞくと恐竜化石が発見されてきました。今では、日本も、恐竜がたくさん出る国となっています。
恐竜の化石の産地としては、手取層群が世界的に有名です。手取層群は、富山、石川、福井、岐阜の4県にまたがって分布する地層で、日本の恐竜化石の約90%を占めています。手取層群は、中生代ジュラ紀後期から白亜紀前期にかけで形成された地層す。
世界の恐竜の化石は、中生代のいろいろな時代から出ているのですが、なぜか白亜紀前期の地層は、それほど多くはありません。ところが日本で発見される恐竜化石の多くは、白亜紀の時代からです。ですから、今まで恐竜の研究でよくわかっていなかった白亜紀前期の恐竜を調べるには、日本が非常に大切な地域となりました。
北海道の白亜紀の地層としては、空知層群、蝦夷(えぞ)累層群(るいそうぐん)、根室層群などがあります。なかでも蝦夷累層群は、恐竜化石やアンモナイトなどのがたくさん出ることで有名です。蝦夷累層群は、北海道の南北にのびる脊梁山脈周辺に、平行に分布している砂岩と泥岩からできている地層です。白亜紀の前期中ごろから後期中ごろ(1億1000万から7200万年前ころ)に、アジア大陸周辺の大陸斜面に溜まった地層です。時代が新しくなるにつれて、堆積する場所はだんだん浅い海になってきます。そして、浅い海で溜まった地層から恐竜化石が見つかっています。
今回訪れた博物館のひとつは、中川郡中川町佐久にある中川町エコミュージアムセンターでした。中川町は蝦夷累層群がたくさん分布する地域で、以前からアンモナイトやイノセラムスなどの化石がたくさん出ることで有名です。中川町から首長竜の化石が1991年に発見されました。この首長竜は、ナカガワクビナガリュウと呼ばれ、エラスモサウルスの仲間とされています。ナカガワクビナガリュウは日本では最大の首長竜とされています。このような白亜紀の化石を、博物館ではたくさん見ることができました。
そして、エコミュージアムでは、ゴールデンウィークには、子供たちを対象にして、いくつものエベントがおこなわれていました。恐竜の模型を使って仲間探しをしたり、恐竜のおもちゃをつかって遊んだり、発掘コーナーで発掘をしたり、化石のレプリカを自分でつくったりするようなイベントをしていました。これらのエベントでは、日本でも恐竜を代表とする化石がたくさんあり、それを子供たちに身近に感じて欲しいという学芸員の心意気が見えました。私は、日本にも恐竜がいたのだということを強く感じました。
・恐竜への熱い心・
中川エコミュージアムは、国道から少し奥まったところにありました。
初めて訪れました。
その建物は、廃校になった中学校を再利用したものでした。
体育館が展示スペースとなり、教室が宿泊型研修室となっていました。
天井も高く広い展示場でしたが、天候のせいで非常に寒かったです。
強力なストーブをたいて暖めていましたが、
なかなか展示場全体は温められてませんでした。
でもストーブの前だけは暖かくなっていました。
親は寒くなると、ときどきストーブの前で暖を取っていました。
ところが、子供たちは、上着を脱いで、腕まくりをして、
化石のレプリカ作りに目を輝かせていました。
また、化石の発掘コーナーでは、
砂の中に埋もれた化石を刷毛で熱心に発掘していました。
この寒い体育館でも、子供たちの化石に対する熱い心は、
肉体をも熱くしていたようです。
化石や恐竜は、子供たちを熱くしてしまうようです。
もちろん大人もその大きさには圧倒されますが、
やはり寒さには勝てませんでした。
子供のような体が熱くなるような情熱を
もうなくしてしなったのでしょうかね。
・周氷河地形・
脊梁山脈とはいいますが、道北では、その山並みは、
南部の脊梁である日高山脈ほど険しくありません。
むしろ、たおやかな感じがします。
それは、氷河によって険しさが均されているせいかもしれません。
道北の先端地域である宗谷地方は
周氷河地形と呼ばれるものができています。
周氷河地形とは、氷河の周辺部にできる地形で、
小さな起伏が連続するなだらかな斜面を発達しています。
このような地形は、日高山脈南部の襟裳岬周辺でもみられるものです。
北海道の北と南で似たような周氷河地形がみられるのは、
北海道の脊梁山脈が中央部の標高が高く、
南北で低くなっているからです。
この性質がそのまま北海道の形に反映されているのです。
・再訪・
中川町は、私が大学3年生の夏に、研修論文作成のために、
学科の3年生全員が、大学の研修施設に泊まり、
夏休みに調査をした地域でした。
いってみれば、私が地質調査と呼ばれるものを
はじめておこなった地域でもあります。
再訪して懐かしかったのですが、
20数年も前のことなので、
町の様子も、道路も、景色もだいぶ変わったようです。
手元には資料がないので、
どこを調査したのかさえも正確には思い出せません。
でも、ここで過ごした夏の思い出の現実が一致しません。
なにか懐かしいようで、もやもやしたような
不思議な気分になりながら、中川の町を後にしました。
2004年5月13日木曜日
4_44 2つの列島:春の道北1
みなさんはゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか。私は北海道の北部(道北)を調査で巡りました。そのときに感じたことを紹介しましょう。まずは、北海道全体の地質の話からです。
北海道では、脊梁山脈と呼ばれる山並みは、南北に走ります。南から北に向かって、襟裳岬から日高山脈、そして北海道の中央に十勝岳や大雪山の大きな山体があり、宗谷岬まで続き、その北方延長は宗谷岬から間宮海峡を越えて、サハリンまで続いています。もちろん、これらの山並みつくっている基本的な地質も続くことになります。
北海道には、連続性は少ないのですが、もう一つの山並みがあります。それは、千島列島から知床半島、斜里岳、屈斜路、阿寒、大雪山、十勝岳、少し間があいて、支笏、登別、洞爺、羊蹄山、駒ケ岳、恵山へと点々と続く山並みです。これらの山並みは、道東では東西方向に並び、大雪山から十勝岳で湾曲して道南にかけては南北に並びます。こちらの山並みは、もうお気づきかもしれませんが、火山がつくる山並みです。
2つの山並みは、並びの方向だけででなく、活動した時代、現在の岩石や地層のようすはまったく違ったものです。でも、そこには重要は共通点がありました。
北海道がもともと一つのものではなく、2つの地質帯が衝突した結果できたものであると考えらています。2つの地質帯の間には、今はなくなってしまった海があったと考えられています。その証拠となるのが、脊梁山脈にみられるさまざまな地層や岩石です。
海があったのですから、海でたまった地層があります。そして、海底でたまった地層には、化石が含まれていることがあります。中生代の海で生きていたアンモナイトやイノセラムス、首長竜などもみつかっています。また、サンゴ礁からできた石灰岩あり、現在は鍾乳洞をつくっているところもあります。海底で活動した火山岩もあります。枕状溶岩やその枕状溶岩がくずれた火山性の砕屑岩(ハイアロクラスタイトとよばれる)などが見つかります。こんな海の証拠が脊梁山脈やその周辺から見つかります。
海がなくなるというのは、プレートテクトニクスでは、プレートが沈み込むことによって起こります。沈み込み帯の地下深部では、変成作用がおこります。冷たいプレートが沈み込ますから、圧力は高いのですが、温度がそれほど高くない変成作用が起こります。そのような条件では、片岩とよばれる変成岩がたくさんできます。神居古潭変成岩とよばれる地帯がそれにあります。
沈み込みがおこれば、陸側では沈み込むプレートから供給された水分によって、マグマ活動がおこります。深部では、マグマがゆっくり冷え固まった深成岩ができます。日高深成岩類とよばれるものです。深部では、温度の高く、圧力も高い状態での変成作用が起こります。そのような条件では、片麻岩などの変成岩がたくさんできます。このような岩石は日高変成岩類とよばれます。
北海道の脊梁山脈は、2つの地質帯がくっついたときにできたものです。それは、今は活動はやめてしまった列島がつくった山脈だったのです。激しい上昇をとなう活動だったのでしょう。列島の表層を覆っていたであろう地層や火山などは、ほとんどは削剥されてなくなってしまいました。
そして、衝突が終わって北海道の原型ができた後に、次の列島の活動がはじまったのです。それが、脊梁山脈を横切るもうひとつの火山の織り成す山並みです。つまり、北海道では2度にわたって列島を作る作用がおこっていたのです。そして、2度目の列島を作る作用は現在進行中の営みなのです。
いずれも列島をつくる営みによってできたも山並みなのです。時代や方向は違いますが、2つの地質帯がぶつかり合っている場にできたものなのです。
今回の調査では、私が北海道でも今まで見たことのない脊梁山脈の北方延長となる道北でいろいろな石をみることができました。
・ラッシュ・
今年のゴールデンウィーは大型連休なので、
4泊5日の休日となり、出かけた方も多いでしょう。
我が家では、調査を兼ねて、道北を巡りました。
北海道でも大型連休ともなると混雑します。
でも、車が渋滞するということはなく、
車が連なって走るというのが混雑するといいます。
北海道では普通は何台も車が連なって走るということは
大都市周辺の幹線道路以外ではそうそうありません。
高速道路も、一般国道も、都市や観光地の周辺はこのような状態だったので、
さすがの北海道も人が一杯出かけているということを感じました。
本州のラッシュと比べれば穏やかですが、
北海道の人間には、これでもラッシュなのです。
・卒業論文・
私が卒業論文で調査をしたのは、
日高山脈の西縁にあたる地域です。
静内川の中流から上流に当たるところです。
その地域は、海底の火山活動できた枕状溶岩からできていました。
ダム工事の最中のもっとも岩石が良く見える状態での調査となりました。
しかし、現在は、残念ながら、
その調査地域の主要なルートなるところは、
コンクリートで覆われたり、ダム湖の中に水没しました。
そのダム建設中に卒業論文の野外調査をおこなっていました。
ダム工事の作業員たちが宿泊する飯場に
3ヶ月間ほど厄介になって調査をしていました。
この3ヶ月は北海道の自然や地質に深く触れした。
そして、地質学に深くかかわるという自分の人生も決めたときでもありました。
北海道では、脊梁山脈と呼ばれる山並みは、南北に走ります。南から北に向かって、襟裳岬から日高山脈、そして北海道の中央に十勝岳や大雪山の大きな山体があり、宗谷岬まで続き、その北方延長は宗谷岬から間宮海峡を越えて、サハリンまで続いています。もちろん、これらの山並みつくっている基本的な地質も続くことになります。
北海道には、連続性は少ないのですが、もう一つの山並みがあります。それは、千島列島から知床半島、斜里岳、屈斜路、阿寒、大雪山、十勝岳、少し間があいて、支笏、登別、洞爺、羊蹄山、駒ケ岳、恵山へと点々と続く山並みです。これらの山並みは、道東では東西方向に並び、大雪山から十勝岳で湾曲して道南にかけては南北に並びます。こちらの山並みは、もうお気づきかもしれませんが、火山がつくる山並みです。
2つの山並みは、並びの方向だけででなく、活動した時代、現在の岩石や地層のようすはまったく違ったものです。でも、そこには重要は共通点がありました。
北海道がもともと一つのものではなく、2つの地質帯が衝突した結果できたものであると考えらています。2つの地質帯の間には、今はなくなってしまった海があったと考えられています。その証拠となるのが、脊梁山脈にみられるさまざまな地層や岩石です。
海があったのですから、海でたまった地層があります。そして、海底でたまった地層には、化石が含まれていることがあります。中生代の海で生きていたアンモナイトやイノセラムス、首長竜などもみつかっています。また、サンゴ礁からできた石灰岩あり、現在は鍾乳洞をつくっているところもあります。海底で活動した火山岩もあります。枕状溶岩やその枕状溶岩がくずれた火山性の砕屑岩(ハイアロクラスタイトとよばれる)などが見つかります。こんな海の証拠が脊梁山脈やその周辺から見つかります。
海がなくなるというのは、プレートテクトニクスでは、プレートが沈み込むことによって起こります。沈み込み帯の地下深部では、変成作用がおこります。冷たいプレートが沈み込ますから、圧力は高いのですが、温度がそれほど高くない変成作用が起こります。そのような条件では、片岩とよばれる変成岩がたくさんできます。神居古潭変成岩とよばれる地帯がそれにあります。
沈み込みがおこれば、陸側では沈み込むプレートから供給された水分によって、マグマ活動がおこります。深部では、マグマがゆっくり冷え固まった深成岩ができます。日高深成岩類とよばれるものです。深部では、温度の高く、圧力も高い状態での変成作用が起こります。そのような条件では、片麻岩などの変成岩がたくさんできます。このような岩石は日高変成岩類とよばれます。
北海道の脊梁山脈は、2つの地質帯がくっついたときにできたものです。それは、今は活動はやめてしまった列島がつくった山脈だったのです。激しい上昇をとなう活動だったのでしょう。列島の表層を覆っていたであろう地層や火山などは、ほとんどは削剥されてなくなってしまいました。
そして、衝突が終わって北海道の原型ができた後に、次の列島の活動がはじまったのです。それが、脊梁山脈を横切るもうひとつの火山の織り成す山並みです。つまり、北海道では2度にわたって列島を作る作用がおこっていたのです。そして、2度目の列島を作る作用は現在進行中の営みなのです。
いずれも列島をつくる営みによってできたも山並みなのです。時代や方向は違いますが、2つの地質帯がぶつかり合っている場にできたものなのです。
今回の調査では、私が北海道でも今まで見たことのない脊梁山脈の北方延長となる道北でいろいろな石をみることができました。
・ラッシュ・
今年のゴールデンウィーは大型連休なので、
4泊5日の休日となり、出かけた方も多いでしょう。
我が家では、調査を兼ねて、道北を巡りました。
北海道でも大型連休ともなると混雑します。
でも、車が渋滞するということはなく、
車が連なって走るというのが混雑するといいます。
北海道では普通は何台も車が連なって走るということは
大都市周辺の幹線道路以外ではそうそうありません。
高速道路も、一般国道も、都市や観光地の周辺はこのような状態だったので、
さすがの北海道も人が一杯出かけているということを感じました。
本州のラッシュと比べれば穏やかですが、
北海道の人間には、これでもラッシュなのです。
・卒業論文・
私が卒業論文で調査をしたのは、
日高山脈の西縁にあたる地域です。
静内川の中流から上流に当たるところです。
その地域は、海底の火山活動できた枕状溶岩からできていました。
ダム工事の最中のもっとも岩石が良く見える状態での調査となりました。
しかし、現在は、残念ながら、
その調査地域の主要なルートなるところは、
コンクリートで覆われたり、ダム湖の中に水没しました。
そのダム建設中に卒業論文の野外調査をおこなっていました。
ダム工事の作業員たちが宿泊する飯場に
3ヶ月間ほど厄介になって調査をしていました。
この3ヶ月は北海道の自然や地質に深く触れした。
そして、地質学に深くかかわるという自分の人生も決めたときでもありました。
登録:
投稿 (Atom)