2004年9月16日木曜日

4_46 積丹半島1:災害の直後に

 積丹半島へ調査に行きました。調査中は、幸い天気に恵まれましたが、台風による災害の跡が生々しく残っていました。そこで感じたことをつづります。

 九州をかすめて日本海に出た台風は、9月8日未明、北海道の奥尻島の沖を北上しました。台風18号は、衰えるどこか成長して、15m以上の強風域が南東側に600km、北西側が410kmと北海道を覆いつくすような状態にまでなりました。
 網走管内雄武町で最大瞬間風速51.4m、札幌市でも50.2mを観測し、道内の観測点の14ヶ所で過去最高を記録しました。強風による高波によって、海岸付近では被害が大きなものとなりました。死者7名、行方不明者2名、負傷者120名を超える災害となりました。その被害は、青函連絡船が強風で転覆し、約1600名の死亡者を出した1954年9月26日の「洞爺丸台風」に次ぐものではないでしょうか。
 北海道には台風があまり来ないために、いったん来ると被害が大きくなりますが、昨年の台風10号の教訓はいきています。でも、今回は、日本海で成長するという予想に反する台風の挙動が災害を大きくしたのかもしれません。
 9月10日の午後から9月12日まで、2泊3日の予定で、積丹半島を一周する予定を立てていました。台風18号の影響で、半島を周回する国道229号線が、途中で通行不能になっているということを、9日の夕刊で知りました。調査を中止するかどうか迷いました。昨年の台風10号と地震の後の沙流川と鵡川の調査を思い出しました。しかし、意を決して出かけることにしました。そして、できれば、被害の状況も遠目で見ることにしました。
 情報では、積丹半島の西側の中央に位置する神恵内村の大森から柵内間で高波で橋が壊されたということでした。事前に通行止めにしていたため、死傷者がなったということも聞いていました。昨年の台風10号で通行止めの判断が遅れ道道で8人が死亡者を出した教訓が、いかされたのだと思います。
 現地に行ってみて、驚きました。高波で海岸沿いの人家がかなり被害をうけていたのです。国道脇では、被害を受けた家の人たちが、水に濡れた家財道具や家屋を乾かしていました。私が訪れたのは、そんな災害直後の復旧作業をしている最中でした。私は、その地に入り見ているうちに言葉がなくなりました。家内も同様でした。
 考えてみれば当たり前のことです。頑丈につくられた海沿いの国道の橋が壊れるほどの高波が襲ったのです。周辺の人家や施設にも同様の被害があったことは容易に予想がついたはずです。それをよく考えずに行ったので、惨状にショックを受けました。晴天の海岸線に、被災者の方々の黙々とした復旧作業が言葉を奪います。
 この人家や施設の復旧にどれくらいの時間がかかるかのでしょうか。国道の復旧はいつになるのでしょうか。神恵内の町は、国道の破壊で2つに分断されました。当丸峠を越えて積丹半島の東側にまで出て、半島を周回し、村の反対側にいかなければなりません。今までほんの数分の距離が1時間半ほどかかるようになったのです。
 積丹半島の最大の観光地である神威岬や積丹岬は、半島の先端にあります。国道が通れば、神恵内の村から、車でほんの10分か15分ほどでいけるところです。そこは、観光客でにぎわっています。観光バスで乗りつけた人たちは、台風による惨状を見ることなく、楽しかった思い出だけを胸に帰っていくのでしょう。
 それでもちろんいいのです。観光という産業も必要です。かたやその地で漁業や農業で生活している人たちがいて、非日常的な状態ですが、災害に見舞われている人たちも同じ時刻にすぐ近くにいます。両者を一緒に見ると、どうもそのギャップが頭の中で消化できません。
 そんな未消化な心持ちで、積丹半島から帰ってきました。

・落ちりんご・
今回の台風で収穫直前の農作物も多大な被害を受けました。
果樹園では、落ちたりんごを市価の4分の1程度で
訪れた人に売っていました。
それでも「多くの皆さんが来ていただいてすぐに売りきれました」と
果樹園主は現金収入になったこと喜んでいるのを
ニュースで聞いていました。
りんごはまだ熟していませんし、傷も付いています。
商品価値があまりありませんから、
それを承知で買っていく人に感謝していたのでしょう。
積丹半島の付け根にある余市町と仁木町も、果物の産地です。
もちろん台風の被害を受けました。
余市の観光案内所で落ちりんごを売っている果樹園を聞きました。
そこで、落ちりんごを一袋買ってきました。
つめ放題で300円で売っていましたので、
子供たちはたくさんつめました。
そのりんごを近所におすそ分けしました。
すっぱいかな思っていたのですが、甘みがありました。
もちろん、完熟の甘さには及びませんが。
毎日、災害の甘酸っぱさを家族で味わっています。

・台風遭遇・
台風18号に私は四国で遭遇しました。
そのあと北海道に帰ってきたので、
北海道での台風の状況は体験していません。
わが大学も近所の大学でも倒木の被害がたくさんありました。
今回の台風は全道的に大きな被害をだしました。
特に道南、道央、道北の被害が大きかったようです。
家内は北海道でこの台風の経験しているのですが、
風が強かったというだけで、
普段と変わりない生活をしていたようです。
どうも現実離れしているようです。
今回のエッセイはちっと暗い話でした。
もちろん調査ですから、海岸沿いの砂や石ころ
そして地質をみてきました。
次回は、積丹半島の地質の話をしましょう。

2004年9月9日木曜日

3_35 化石を探す人たち

 化石のマニアやアマチュアは、化石を見つけることが一番目的です。ところが、研究者は化石を地層から見つけることが目的です。化石探しには違いないのですが、実は大きな違いがあります


 化石は多くの人を惹きつけます。特に子供たちは化石には目がありません。恐竜の化石ともなれば、いつまでも見入っています。化石を探すことも、なかなか面白いものです。でも、化石はどこでもすぐに見つかるとは限りません。やはり限られた場所に出ます。そんな化石を探すにも、研究者は、それなりの注意をはらっています。研究者でも、古生物学者は、化石を見つけることも重要な仕事なります。しかし、化石ハンターや化石マニアとは明らかに違ったアプローチをします。
 すべての堆積岩に化石があるわけではありません。化石がたくさん含まれる地層とほとんど含まれない地層、その間の少ないけれどもときどき含まれている地層などあります。その違いは、地層がどんな環境で溜まったかによります。例えば、北アメリカ大陸で恐竜がたくさん出る地域は、深く南北に延びた湾の海岸沿いに溜まった地層のあるところです。モンゴルでは砂丘のようなところでたまった地層から恐竜がみつかっています。
 地層がどんなとろにたまったものなのかは、地質調査がされた結果とし、その見解をもとに地質図が作られます。日本では、地質図の説明書として、同時に出版されています。その情報をもとに、化石が出るところ探すことになります。
 例えばある地域のある時代の生物を調べるとしましょう。研究者は、まずはじめに、その時代のその地域の地層のことを、できるだけ詳しく調べた論文をたくさん探して調べてます。そして、化石がなんという地層のどこに出るかを調べていきます。そして、その場所がわかったなら、たとえそれがどんなに大変なところであろうと、その目的を達成するために、その地層の出るとこへ入ってきます。滝があろうが、熊が出そうでも、いきます。そして、地層から化石をみつけるまで、永遠と発掘を続けていきます。それが研究者です。
 古生物学者は、特別に珍しいものをのぞき、地層の中にあるものを見つけることに専念します。化石には、河原にころがっている石ころの中にも入っていることがあります。しかし、そんな化石は学術的には価値が低くなります。なぜなら、河原の石ころは、もともとそこにあったわけではなく、上流から転がってきたものです。ですから、どの地層から、どのような状態で見つかるかが、非常に重要な情報となります。
 たとえば、恐竜の卵の化石などは、卵がどう並んでいたのか、巣のようなものがあったのかなどは、ばらばらの卵の破片の化石では知ることができません。そして、地層の中から卵の化石がみつかれば、その情報を探ることができます。そして巣があれば、恐竜は卵を産みっぱなしではく、子育てをしていたことがわかります。
 また、恐竜の体が埋まった状態がわかれば、その恐竜がどのように死んだのかわかります。砂の穴に落ち込んでもがきながら生き埋めになった状態の恐竜化石が見つかっています。子供を守るようにして死んでいる親の恐竜化石も見つかっています。
 研究者たちは、化石から生きていた時のこと、その当時のことを知るために、よりたくさんの情報がみつかる地層からの化石の発掘をしていきます。
 考えてみれば、化石とは死体の一部です。でも、長い時間を経てきたものは、死体とはいえ、人を惹き付けるものに生まれ変わるようです。これは時間の効果でしょうか。時間には浄化作用があるのでしょうかね。

・化石を見つけるには・
Matさんとのメールで、恐竜の化石の話をしているときに、
ふと思いついたのが、このエッセイです。
アマチュアが化石を探すコツは、
まず、化石が出そうな堆積岩が分布しているところを
探さなければなりません。
どこに化石のよく出る地層が出ているかの情報は、
地質図や地質のガイドブックで得ることができます。
日本では、すべての地域で精度はさまざまですが、
地質図はそろっています。
少なくとも20万分の1の縮尺のものは全国の分があります。
さらに精度の高い5万分の1の縮尺は、まだそろっていませんが、
多くの地域のものがあります。
そして、地質図の説明書や地質のガイドブックなどで、
化石の出る場所の情報をえて、
その地域を丹念に探していきます。
ひとつ見つけるまでが大変です。
どれが化石かが、なかなかわからないからです。
そんなとき専門の案内者がいるとすぐに見つけられるようになります。
ひとつの化石を見つけると、つぎつぎと見つけられるようになります。
そんな宝探しのような醍醐味が化石探しの魅力でしょうかね。

・城川から積丹へ・
9月に2日から9日まで、
四国の西予市の城川にでかけていました。
このメールが届くころを
私は北海道にもどっています。
明日からは北海道の積丹半島をめぐる調査をしてきます。
四国は私一人でしたが積丹半島は家族も一緒です。
私は、海岸線沿いの調査していくつもりです。
家族は海遊びです。
問題は天候です。
さあどうなることでしょうか。
こればかりは、心配してもしょうがありません。
まずは、足を運ぶことが大切でしょうから。

2004年9月2日木曜日

5_38 年代を決めるということ

 年代測定の話の続きです。どこにでもある石ころや砂つぶでも、年代測定はできるのでしょうか。そのような疑問についてみていきましょう。

 絶対年代の測定は、放射性元素を利用しておこないます。年代を決めるためには、石ころや砂つぶに、測れるだけの成分があるかどうかが問題になります。放射性元素の種類ごとに、正確に測れる量が違います。同じ元素でも、使う装置や、研究室の環境は研究者の腕によっても、正確に測れる量は違ってきます。ですから、測定を目的としている研究者は、少ない量の試料で、どれほど正確に測れるかを目指して、他の研究室をにらみながら、日夜凌ぎを削っています。
 ウラン-鉛による年代測定を例にみていきましょう。現在の技術では、二次イオン質量分析計という装置をもちいて、ジルコンというウランが比較的たくさん含まれている鉱物なら、20ミクロンメートルの範囲で、年代を測定できます。20ミクロンメートルとは、0.02ミリメートルですから、石ころはもとより、砂つぶひとつでも、充分測れる技術です。
 二次イオン質量分析計は、ジルコンのような鉱物を分析装置の中に入れて、そこにイオンビームをあてて、表面の元素を掘り起こしながらウランと鉛だけを検出装置まで導き、測定していきます。ですから、装置自体は大掛かりですが、コンピュータ制御されています。分析する研究者は比較的楽で、ひとつの鉱物の表面で、いくつも場所の年代を測定することも可能です。
 しかし、同じウラン-鉛による年代測定でも、別の方法もあります。それは、化学分析でウランと鉛を抽出して、表面電離型質量分析計という装置でおこなうものです。ウランと鉛は別の元素と事前に分離していますので、この分析のほうが、精度は格段によくなります。しかし、試料がある程度の量が必要なことや、実験室がきれいでなければいい精度が得られません。それになんといっても化学的に抽出するのに何日もかけなければなりません。もちろんその抽出過程では、研究者の腕も問われます。それに、使ったジルコン全体の平均的な年代を求めることになります。
 二次イオン質量分析計で年代測定をする重要な目的は、ひとつぶのジルコンの中に、さまざまな事件を記録を読みとれることです。地球最古の岩石の年代や地球最古の砂つぶ(地球最古の固体物質と考えられています)の年代、隕石の年代なども、この装置とジルコンをもちいて行われています。砂つぶひとつのなかに、さまざまな歴史を読みとることができるようになってきたのです。
 もちろんこのような装置は高価ですし、世界にも10台もないような装置ですから、多くの研究者が利用したがって、分析の順番を待っています。ですから、何でもかんでも測るということはありえず、研究上重要なものが優先されます。そして、その成果はすぐにでも論文を書けるようなものが、順番待ちをしています。
 二次イオン質量分析計を使うには、ジルコンという鉱物や、古さが必要です。ジルコンでなくても、ウランをたくさん含んでいる鉱物であればいいのですが、鉱物ができた後の変化でウランや鉛の出入りのない鉱物はあまりありません。また、ジルコンがあったとしても新しいものでは、ウランが壊れてできる鉛が少なすぎて正確に測定できません。ですから、いろいろな条件を満たしたものだけが測定可能となります。
 上で述べたようにどちらの方法にも長所と短所があります。でも、二次イオン質量分析計が、鉱物さえ分離しておけば、それ以降は、完全にコンピュータ制御された装置になっていますので、研究者の腕があまり問われません。ですから今後は二次イオン質量分析計が主流の分析装置になっていくのかもしれません。
 ウラン-鉛の年代測定を中心に述べてきましたが、他の放射性元素でも事情は同じです。年代を決めるには、その試料の古さに見合った放射性元素が含まれているかどうか、そしてそれを測定する技術があるかどうかです。これを満たさなければ、この測定法は役に立ちません。
 でも、いろいろな年代測定のための元素や測り方があります。ですから、たいていの場合、絶対年代を決めたければ、しかるべきところに行けば求めることができるはずです。年代測定は科学技術とともに進歩しています。ですから、昨日まで年代測定ができなかったものでも、今日はできるかもしれません。

・質問に答えて・
前回の誤差の話と今回の測定の方法の話で
Namさんの質問である
「どこにでもある石や砂でもその年代を正確に測定できるのでしょうか。
もし放射性元素が見つからない場合は、
この測定方法は役に立たないのでしょうか。」
に答えることができました。
今まで量が少なくって測れなかった試料の年代も
ある時から測定できるようになることがよくあります。
逆に、理論的にはこうすれば年代測定できるということがわかっていても、
実現する装置がまだないものもあります。
先端技術の進歩によって、
ひとつずつ研究者の夢が実現されていきます。
逆に研究者の夢が、技術を促しているのかもしれません。
楽しみな時代でもあります。

・ウラン-鉛法・
私は地質学の研究で年代測定も手法として用いていました。
3年間は、ある研究所で、ゼロの状態から
ここで紹介したウラン-鉛法の精度をあげることに全精力を注いでいました。
その結果、世界でも有数の汚染の少ない
研究システムを作り上げることもできました。
でも、今はそんな一線から退きました。
それは、私自身の職の変遷のせいであります。
実は、二次イオン質量分析計の2号機を導入すると話があり
その装置を使える人としてあるところに呼ばれました。
現実はバブルの崩壊で導入できませんでしたが、
私は転んでもタダでは済ましませんので、
そのときにいろいろなことを学んでいき、
今の自分があると思っています。
その3年間の研究漬けの日々は大変でしたが、
充実したものでした。
そして何より、地道な努力を3年間、継続、専念して行えば、
世界の一流になれるということを
身を持って体験することができました。
これは何事にも換え難い経験となって
今の私を支えてくれています。
そんなことを懐かしく思い出しながら、
今回のエッセイを書きました。

2004年8月26日木曜日

5_37 誤差

 前回、時代を決める方法として絶対年代というものを紹介しました。では、その絶対年代は、どのようにして精度が決まっていくのかを紹介しましょう。

 絶対年代を示すときは、誤差も同時に示すようにされています。例えば、1億5000万±2500万年前というように、±(プラスマイナス)をつけて、その確かさが示されます。測られた年代ごとに誤差が示されています。この誤差の数値の範囲に測定値は動きうるということです。測定値は、それだけの年代の幅を持っているということです。年代の数字だけが一人歩きすることがよくあるのですが、注意が必要です。
 実は、その誤差の中にはさまざまな内容が含まれています。
 誤差にも、いろいろな意味があります。同じ試料を同じ条件で繰り返し測って得た値がどの程度ばらつくのか(精密さ、precisionといいます)、同じ試料を別の条件で測ったときにどの程度ばらつくのか(再現性、reproducibility)、得た値が真の値からどの程度かたよっているのか(確度、accuracy)などあります。
 分析をする研究者、あるいは研究室では、これらの精度を示した後、年代測定の値を示すことになっています。ですから、年代測定で公表されている値の誤差とは、すべての誤差の中身がたどれるようになっています。年代測定の誤差とは、上で述べた誤差の総合的なものだといえます。
 その誤差の程度は、研究室の環境や設備、そこの使われている分析装置の性能、測る研究者の腕などによって違います。でも、それ以前に、放射性元素の種類や測る試料の様子などが、年代測定の結果に影響を与えます。
 放射性元素の種類は、古い時代のものを測るときは、ゆっくりの壊れる放射性元素を使います。でも、同じ放射性元素でも、古い試料ほど、その誤差の数値も大きくなります。逆に新しいものは、誤差の数値が小さくなります。
 まあ考えれば当たり前のことです。ある研究室では年代測定に1%の誤差があるとしましょう。例えば、30億年前の事件を1%の誤差で測れたとすると、
30億(3,000,000,000)×0.01=3000万年
という誤差なります。ところが、数万年前の事件なら1%の誤差なら、
30,000×0.01=300年
となります。同じ1%という誤差でも、得られた年代によってその誤差となる年数は違ってきます。
 実際には、年代測定で、0.01とか0.001、つまり1%や0.1%の誤差があれば、多くの場合は実用性があります。遺跡などの調査で5000年前のもの年代測定で50年くらいの精度なら充分実用的だと考えられます。
 元素の種類としては、古い時代の試料には壊れるスピードの遅いものが、新しい試料には壊れるスピードの速いものが使われます。遅いもから順番に、ルビジウム-ストロンチウム、トリウム-鉛、ウラン-鉛、カリウム-アルゴン、炭素-窒素(いわゆる14Cいうもの)などとなります。ここで前に書いた元素は、放射能を出して壊れる元素(親核種といいます)、後に書いた元素は壊れてできる元素(娘核種)です。
 これらを精度よく測りたい場合は、測る試料がある条件を満たさなければなりません。それらの条件がどの程度厳密に守られているかが、やはり誤差を大きく左右します。
 まず、測りたい元素が、目的の岩石にたくさん入っていることです。少ないと測定の精度が悪くなってきます。さらに測りたい事件のあった後、その岩石に、測りたい元素が出入りのない環境に置かれていたことも重要な条件となります。たとえば、岩石ができた年代が知りたければ、岩石ができた後に、変成作用を受けたり、地表で風化を受けたものは、正確な年代が測定できなくなります。
 そして、上で述べたような元素を精度よく測る技術、つまり誤差を小さくする技術も必要です。その技術には、試料を取り扱う研究者の腕や、実験室の環境もあります。研究者の腕が悪かったり乱暴だったりすると誤差も大きくなります。また、実験室が汚いと、測りたい試料以外のところから、余分な成分が混入すること(汚染といいます)があります。
 隕石や月の岩石、岩石の中の一粒の鉱物などは、非常に少量しか分析に利用できません。このような少ない試料を測るときは、誤差をいかに小さくするかが問題となります。それこそ研究者の腕の見せ所です。
 絶対年代として、年代値だけが問題になるのではなく、測定値にどの程度の幅があるかということも重要です。特に誰も調べたことのない時代の地層や岩石では、誤差に注意する必要があります。そして、その誤差を頭に入れて年代の数値を考える必要があります。そして、示された誤差には、研究者の熱い思いが込められているのです。

・ある質問から・
このエッセイは、Namさんから受けた質問に答えています。
最初、メールで返事を書き出したのですが、
長くなったので、エッセイにしました。
まだ、質問には完全に答えていません。
「どの程度の誤差が出るのでしょうか」という
質問に答えたものです。
半分だけ答えたものです。
後半分の
「どこにでもある石や砂でも
その年代を正確に測定できるのでしょうか。
もし放射性元素が見つからない場合は、
この測定方法は役に立たないのでしょうか。」
という質問には次回に答えることにしましょう。

・秋に焦りは禁物・
北海道はすっかり涼しくなってきました。
あちこちに秋の気配が漂ってきています。
コスモスがいたるところで咲いています。
まあ、コスモスは夏の間中、咲いていましたが。
でも、ススキの穂がではじめました。
ナナカマドの葉や実も色づきだしました。
赤とんぼが里にも舞い始めました。
季節としてはいい時期なのですが、
私にとっては、外ですべき野外調査が
あまりはかどっていないので、少々焦り気味です。
でも、焦りは禁物です。
一人でこつこつと進めていくことです。
あせらず、でも怠ることなく、
急がず、でも休まず、
あれもこれもではなく、やりたいことだけを、
計画も大切だが、修正も大切。
今と未来と、自分の体調、体力、能力などを考えながら
進んでいきましょう。

2004年8月19日木曜日

1_31 時代の境界(2004年8月19日)

 前回まで、時代の区分の仕方や考え方を見てきました。今回は、実際に、どのように時代区分されていくか見ていきましょう。

 地球の時代区分は、化石と放射能を出す元素(放射性元素)を利用して、おこなわれます。生物がたくさんいた時代は、化石を使えば細かく分けることができます。しかし、数値で決めるためには、放射性元素で決めていきます。両者をうまく組み合わせて使えば、よりよく年代を時代区分をすることができます。
 時代の境界ができるということは、多くの生物が絶滅し、地球全体に異変があったことを意味します。ですから、時代区分が大きなものほど、その異変は、大変なものであったといえます。
 いくつもの階層に分かれて時代区分がなされています。一番大きな区分として、古いものから順に、冥王代、太古代(始生代ともよばれます)、原生代、顕生代と4つに分けられてます。
 冥王代は地球の始まりで、まだよくわからない時代です。それをのぞけば、太古代、原生代、顕生代は、それぞれ、細分されています。なじみのある時代である顕生代は、古生代、中生代、新生代と分けられています。顕生代は生物がたくさん顕れた時代ですから、細かく区分されています。古生代はカンブリア紀、オルドビス紀、シルル紀、デボン紀、石炭紀、ペルム紀の6つに、中生代は三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の3つに、新生代は、第三紀と第四紀の2つに分けられています。もっと、もっと細かく分けられていますが、ここまでとしましょう。
 ところで、問題があります。時代を決めるための素材は、地層です。すべての時代の境界がある地層が、連続的にひとつの地域にあればいいのですが、そうはいきません。ある時代の境界はある地域のある地層に見つかり、次の時代の時代境界は別の場所のある地層に見つかります。つまり、時代の境界が、世界中にばらばらになってあるのです。
 また、同じ時代の境界の地層も、いくつかの地域にあります。すべてが一致した数値で年代が決まればいいのですが、すべての時代境界で位置しているわけではありません。
 なにしろ時代の記録が地層に残されています。地層は、大洪水や海底地すべりによって海に溜まったものが大部分です。ですから、場所が違えば、土砂がきた環境も、土砂が溜まったの環境も、そしてその土砂に埋もれた生物たちも違ったものとなり、それが地層となります。
 そこは熱帯の海だったり、温帯の海だったり、極地の海かもしれません。化石となった生物はまったく違っているかもしれません。でも、地球規模の異変ですから、多くの生物が絶滅しているはずです。どれか共通する化石を手がかりに、異変の共通性を見つけて、比べていきます。
 ひとつの時代の境界を決めるためには、世界中の同時代の地層境界をいくつも調べなければなりません。そして、ここだと思われるところを、その時代の典型的なところとされます。気の遠くなるような調査や研究がされているのです。
 以前はある場所で決められた時代境界でも、よりよい場所があれば、そこを典型的なところと変更されます。ですから現在でも、時代の境界については検討されています。国際的な地層の時代区分は、1989年にされたものを改変して、2004年に発表されたばかりです。その発表されたものをみても、まだ時代区分で、正確に決まっていないところがいくつか残されています。
 カンブリア紀のはじまりも、変更がありました。カンブリア紀のはじまりとは、原生代と顕生代の境界といういちばん大きな区切りです。現在の定義では、カナダの東部のニューファンドランド島のチャペル・アイランド層メンバー2という地層の底から2.4mが、その境界の典型的な場所とされています。しかし、以前は、カンブリア紀のはじまりはある化石が見つかるいちばん古いところで、炭素の成分にある異変があるところとされていました。以前決められた境界の年代は5億7000万年前でしたが、現在では、5億4200万年前と変更になりました。
 研究は、休みなく続けられているのです。

・地質時代シリーズ・
今回まで、地球の時代の決め方を見てきました。
これから、シリーズで各時代の特徴を見ていこうと思います。
あまり詳しくもできないので、
大きな区分で見ていきます。
できるだけ新しいものを月に1時代ずつ、
紹介していこうと考えています。
お楽しみに。

・山の渓流・
先日、家族で山に出かけました。
私は、石や砂を集めることも目的のひとつではあったのですが、
一番の目的は、いい河原を探すことでした。
私は、なかなかいい河原がみつからなくて、
欲求不満になっていました。
そんな河原を何とか見つけたくて、少し遠出をしました。
なかなか見つからず、
地元の人と山の中で出会って教えていただいたところに
いい川といい河原がありました。
前日降った雨で下流の川は濁っていたのですが、
上流の川は澄んで、河原の石ころもきれいに見えました。
暑い日だったので子供たちはパンツになって、水遊びをしていました。
冷たすぎて水にもぐれなかったようですが。
でも、いい一日を過ごしました。
こんな川なら何度も来たいと思いました。

2004年8月12日木曜日

1_30 時代区分:絶対年代(2004年8月12日)

 前回は、地球の年代を区分するときに、生物の絶滅を利用するという方法を紹介しました。今回は、別の区分の方法を紹介しましょう。

 地球の時代区分で生物の絶滅を利用するには、生物がたくさんいる時代でなければなりません。地球の歴史で生物の化石がたくさん出はじめる時代は顕生代(けんせいだい)と呼ばれる時代です。漢字で、生物が顕(あらわ)れるという、そのままの意味になっています。
 顕生代は古生代のカンブリア紀から現在までの時代のことです。カンブリア紀は、5億4200万年前から始まります。ところが地球の歴史は約45億年前からはじまります。ですから、顕生代が地球の歴史で占める割合は、12%に過ぎません。また、化石で最古の記録は、約35億年前のものです。生物の歴史から見ても15%に過ぎません。
 地球の歴史を区分することに、生物の絶滅による相対年代に頼っていては、たくさんある古い時代の歴史を区分することができません。他の方法を用いなければなりなりません。そこで用いられるのは、絶対年代と呼ばれるものです。
 放射性元素とよばれる化学成分を分析して年代測定をする方法です。放射性元素は、正確には元素ではなく、元素の中でも重さ(質量数が違うといいます)成分のことで、同位体あるいは核種と呼ばれます。でも、ここでは元素と呼んでおきましょう。
 この年代測定の原理は、放射能を持っている元素が、壊れて別の元素に変わっていく作用を利用するものです。放射性元素は、ある一定のスピードで壊れます。また、そのスピードは、地球のどこの条件でも変わることはありません。ですから、放射性元素は、正確に時間と共に壊れていく時計として利用できます。
 もともとあった元素(正確には親核種といいます)から、壊れてできた元素(娘核種)ができます。もともとあった元素と壊れてできた元素の数が正確に測定できれば、経過した時間が調べられます。このような放射性元素を利用した年代決定を、絶対年代測定といいます。
 放射性元素を用いる年代測定には、もともとあった元素と壊れてできた元素の比をもちいる方法と、宇宙線によりできた元素を利用する方法の2つがあります。どちらも試料や目的に応じて使い分けられます。
 このような放射性元素を用いる絶対年代の利点として、適切な試料と適切な分析の技術(分離装置と分析装置)があれば、年代を正確に決められるという「精度」をもっています。また、誰でも技術さえあれば、いつの時代の試料に対しても利用可能であるという「汎用性」があります。さらに、試料の種類は問わず、目的とする元素が分析できるほど充分あるかどうかだけが問題となり、どこの場所でもみつかる岩石に適用できるという「敷衍性、広範さ」があります。
 一方、絶対年代の欠点として、時代は、測定するまで分からないという「可視性」がないということがあげられます。また、大きな分析装置や複雑な化学分析の手続きが必要で、大掛かりであり、「簡便」ではないという欠点もあります。
 現在、地球の時代を区分するための地質年代の数値は、絶対年代が採用されています。しかし、時代区分は、もともと化石によって細分されてきたので、その時代や時代境界を正確に決めることに絶対年代が採用されています。また、化石がたくさん出る時代では、化石のほうが精度がいいことがあります。このようなことから、現在では、絶対年代と相対年代の両者の利点をうまく利用していくことで、地球の年代を区分しています。

・夏休み・
さて、そろそろお盆シーズンに突入します。
皆さんは、田舎に帰るのでしょうか。
私たちは、お盆は自宅でのんびり過ごすつもりです。
子供たちは学校のプール開放に行き、
自宅でいつものように過ごそうと考えています。
私は、暑ければ、午前中は研究室で仕事をして、
午後は自宅でぼちぼちと仕事したり、
子供と遊んだりしているでしょう。
北海道は8月20日から学校が始まります。
7月も23日までありましたから、北海道の夏休み一月もないのです。
北海道では一番いい季節を、勉学に励むことになります。
そのかわり冬休みが1月ほどあり、長くなります。
どちらがいいでしょうか。
やはり子供たちにとっては、
長い夏休みがいいのでしょうかね。
我が家は夏休みが終わって、9月に入ったら
あちこち出かけるつもりをしています。

・海へ・
先日、海に行ってきました。
私は、海より山の方が好きなのですが、
長男の夏休みの希望が海に行くことでした。
長男の希望を満たすために、平日の朝に海に出かけました。
ニュースによると今年の北海道は暑いので
どの海水浴場もいっぱいのようです。
いっぱいといっても本州の江ノ島や湘南の海のように
芋を洗うような混雑はありません。
しかし、せっかく北海道の海に行くなら、
自然のままの海で遊ばせてあげたいと思い、
海水浴場になっていない海に行くことにしました。
そこは以前、資料を採集するために出かけたところです。
あまり人がいないことがわかっているところでした。
でも、もちろん人がいましたが、
3組ほどの人が、釣りをしているだけでした。
しかし、最近つくづく思うのですが、
自然のままの海も、川も、今や北海道でも貴重になってきました。
もちろん都市から離れたところへ行けばまだまだあるのでしょうが、
私の住む町の近くには散々探しているのですが、
いいところが見つかりません。
もしかすると私の希望は多くの人が望むものと違っているのかもしれません。
人手のできる限りはいっていない河原や海岸です。
野生の自然があるところは、管理上の問題でしょうか、
多くのところでは、一般の人が入れなくされています。
また、そんなことになったのも、
マナーの悪い人がたくさん入り込んでいるせいもあるのでしょう。
確かに、ごみや焚き火の跡が残されていたりして、
興ざめしてしまうるところもよく見かけます。
でも、私は、自然の川や自然の海が残っているところを
飽きることなく探していきたいと思っています。
少なくとも自分の子供たちは
野生の自然に触れさせてあげたいなと思っています。
これは、もしかすると、子供をだしにした親のわがままかもしれません。
でも、北海道においてすら自然が残されていないことを考えると、
本州での悲惨さを思って余りあります。

2004年8月5日木曜日

1_29 時代区分:相対年代(2004年8月5日)

 地球の歴史の概略をシリーズで紹介しましょう。まず、時代区分の方法を考えていきましょう。

 地球の歴史を考えるとき、時代を区分して考えていきます。例えば、ジュラ紀や白亜紀がそのような時代区分の例です。時代を区分するということは、時間を区分するということになります。
 ところが物理学で定義されている時間は連続的なものですから、なんらかの目印によって連続な時間を区分しているはずです。
 その目印は、誰もが納得できて、どの時代でも、どの地域でも、通用するようなものがいいはずです。では、時代区分をするときに、どのような目印を使えばいいのでしょうか。
 どの時代でもどの地域でも通用する目印として、一番重要な条件は、現在までその目印が残っていなければなりません。これは、不可欠の条件です。そのほかにも満たすべき条件があります。
 時間を区切る目印の条件としては、だれにでも見えるもの(可視性)、いつの時代にでも使えるもの(汎用性)、どこの場所でもみつかるもの(敷衍(ふえん)性や広範さ)、手軽なもの(簡便性)、正確にきまるもの(精度のよいもの)、などが考えられます。
 このような目印の条件を満たすものは、今のところありません。そこで、妥協策として、化石などが利用されています。
 化石などを用いて、地層の後(あと)先(さき)の関係を決めて、それをもって地層などの順番を決めていくものです。何年前という数値は決められませんが、どちらが先か、どちらが後かを決めることができます。
 化石を用いた時代の目印は、大量絶滅によってそのランクを決めることができます。絶滅の程度が大きければ、その目印はより大きなランクの時代区分となり、絶滅の程度が小さければ、時代の区分のランクも小さなものとなります。
 絶滅の程度が大きいということは、地球の環境に大規模な変化が起こったことみなせます。ただし、このような時代区分は、人為的な判断に基づくものであることを忘れてはいけません。
 化石は、大きく肉眼で見えるものを使えば、経験さえつめば、野外調査の場で、どんな時代かを決めることができます。つまり、その化石の出る時代があらかじめ知っていれば、その地層のできた時代が限定できます。このように化石によって決めた年代を、相対年代といいます。
 相対年代の利点は、上で述べたように、化石、特に大型のものは誰にでも見えるという可視性があります。そして、化石の識別(同定)ができれば、時代がすぐに決定できます。特別な道具はいらず、野外ですぐに時代が決まるという。簡便性があります。化石がたくさん出る場所や時代では、非常に精度よく決めることができます。
 相対年代の欠点は、化石に残るような生物のいない時代には使えないことです。つまり、主に5億7000万年前以降の顕生代(けんせいだい)という時代にしか、利用できないのです。時代の範囲が狭く汎用性がないといえます。また、化石は堆積岩だけからしか出ません。地殻を構成する岩石のうち、地層をつくる堆積岩は、非常に少ないものです。ですから、敷衍性や広範さがないといえます。上で化石がたくさん出る場所や時代では、非常に精度がいいといいましたが、逆に化石の少ないところや化石の時代範囲が不明瞭の場合は、正確に時代を決めることができません。つまり、精度が悪いという面もあります。
 このような欠点を補うために、絶対年代というものが利用されています。それは次回としましょう。

・キャンプ・
北海道は、まだ暑い日々が続いています。
涼しいつもりで北海道に来ている観光客はがっくりしていることでしょう。
我が家は、先日キャンプをしました。
そのキャンプ場は車で30分ほどのところにありました。
私も久しぶりのキャンプでした。
家内や子供たちは初めてでした。
今日の午後も(8月4日)も近くのキャンプ場に出かけるつもりです。
自転車でいっても森の中を通り抜ければ、
15分ほどで着く森の中のキャンプ場です。
でも、荷物があるので、車で行くと遠回りになり、
車でも15分ほどかかります。
私は、人の多いキャンプ場は苦手です。
できれば、誰もいないキャンプ場が理想です。
季節外れでもない限り、そんなところはないでしょうが。
でも、キャンプすることは、
私にとって自然を身近に感じるためだと思っています。
人工の灯りも最小限しか持っていきません。
食事も買ってきたものを、皆で外で食べることにしています。
夜の自然を楽しむこともキャンプの楽しみの一つでしょう。
子供たちは、自然の中で遊べばいいのです。

・生き物たち・
キャンプをしていると
灯にはクワガタなどが集まりますから、
それを子供たちはとります。
虫取りや魚取りをすると、
虫かごやビンに生き物を入れておき、
獲った成果を眺めます。
そんな虫たちも、しばらくしたら、あるいは遅くとも翌朝には
逃がすことにしてます。
なぜなら、飼っていると、たいていは死んでしまうからです。
それなら、楽しんだ後は逃がしてやればいいと思っています。
子供たちは、虫や魚を獲ること、
そしてその獲ったものを集めて、眺めることで満足しています。
生き物を飼うことは責任があることだと思います。
そして死が自分の責任であることを理解すべきだと思います。
うまく飼えるようになったら、
持って帰ればいいと思っています。
小学生の長男は長期間に渡って世話をするということは
まだできないようです。
すでに、何匹も殺しています。
オバケイエビ、カブトエビなど
付録で付いていたもので試していますが、まだダメなようです。
あまりに小さいため、生き物の死を実感できないのかもしれません。
そんなことを親としては考えますが、
子供はいたってあっけらかんとしてます。
世代ギャップなのでしょうかね。