普遍的な分類として、化学組成がいいと紹介しました。しかし、一見普遍的にみえる化学組成を分類の基準としても、一筋縄ではいかないことがありそうです、という話をしました。今回はそこから話を進めましょう。
石ころがあるとしましょう。その石の化学組成を、現在では、適切な分析装置を使えば、正確に決めることができます。その石ころがしましま模様を持っていたとしても、決めることはできます。
しま模様が白と黒だったとしましょう。典型的な白い部分や黒い部分を取り出して、そこを分析すればいいのです。すると、白と黒のそれぞれの部分の化学組成を求めることができます。
でも、白と黒の石をつくる作用がはたして、ひとつものから由来しているかどうかです。白と黒がたとえば、違ったマグマから由来していたとしたら、それを一緒にして考えることは、間違った結論へと導かれます。また、白には、違った由来のもの2つ、それも同じ化学組成を持っていたとしたら、などと考えると、白の化学組成を考えるだけでは、本質を見誤る可能性があります。
マグマからできた石であるデイサイトという火山岩が、日本にはたくさんあります。たまたまある川の河口付近に見つかるデイサイトには、まったく別の火山、それも時代の違ったマグマからできたものが混じっているかもしれません。でも、あるものは同じような化学組成を持つことがあるかもしれません。ですから、同じような化学組成をもっていたとしても、同じ起源とは言い切れないのです。
そのためには、どこのマグマから、つまりどの火山からその石がもたらされてきたかを知ることが大切です。その石が転がってきた崖、露頭の状態を詳しく調べます。そして、同じ石はどこまで広がっているか、他の石とどのような関係を持っているかなど調べていきます。このような情報を産状(さんじょう)といいます。石を調べるにも、その石が、より多くの、より変化を受けてない情報をもつころこまで遡ることです。できるだけ、根源的なものまで、体を使って、野外調査でたどっていくことです。でも、このような野外調査をするということは、実は、石の個性をより詳細に記述することに他なりません。
野外調査で探れる以前のこと、たとえばその火山のマグマは、本当にひとつの起源だったのか、ほんとうに同じ時代のものなのか、などは、見えないことです。地層をつくっている砂や石ころ粒は、今は存在しない山から転がってきたのかも知れません。このような見えないものが、石ができた背景にはあるはずなのです。
話をもどして、しま模様だけれども、平均的な化学組成が欲しいというときも、方法はあります。石を砕き、砕いた石を紙の上に広げて、田の字型に4等分します。そして、その対角のある石を2つ集めて、今度はそれをさらに砕きます。このようにして石のムラをなくす方法(4分法とよばれています)があります。しかし、これは、昔、手で砕いてた時代の方法です。手で砕くと石の不均質がそのまま残ることがあるので、このような方法をとりました。しかし、最近では機械で砕きますので、このようなことはしなくなりました。つまり、石全体の化学組成を知りたいのなら、石を丸ごと砕いて、その砕いたものの化学組成を調べればいいのです。
たとえば、川原に落ちているしましまの石を10個拾って、平均的な化学組成を調べたとしましょう。たぶん、それぞれが違った化学組成を持っているはずです。それは、それぞれの石の個性というべきものです。
10個の石の個性から、より本質的なものを考えると、しましまの石の個性は、黒と白の多い少ないという比率の違いを反映しているはずです。ですから、このしましま石を、本質的に分類するためには、白と黒のそれぞれの化学組成を調べて、その白と黒がどの程度の割合で混じっているかを調べればすみます。白と黒の化学組成と、その比率を調べることの方が、より本質的であるはずです。つまり、石の分類は、石をつくる構成物とその構成物の比率を調べればいいということです。
これを進めていくことは、以前ダメだとした鉱物の化学組成とそれぞれの鉱物の比率を調べることにつながります。鉱物にも個性があるために、元素という化学組成までたどり着いたのです。ですから、鉱物と化学組成という関係でなく、石のつくり(組織といいます)と化学組成の関係としてみていった方がいいはずです。もちろん組織を構成するものは鉱物です。鉱物の化学組成も関係しますが、ここではそこには踏み込まないことにします。
問題はつくり、組織です。組織は、石ができたときの条件、環境などさまざまな複合的なものが反映してできていきます。石の組織をうまく読みとれば、石の素性をかなり詳しく読みとることができます。もちろん、定性的ですが。でも、そこに化学組成という定量的なものを加味することによって、組織の定性的な性質を、定量化することができます。これは、詳細な個性の記述につながります。
今まで、いろいろ石の普遍的分類を調べてきました。石ころから、より普遍なものを求めてスタートして、さまざまな考えを巡らしました。石ころの個性は、それぞれの化学組成や組織、野外調査から、詳細に記述できます。しかし石の普遍的分類を調べていくことは、どれも、石ころの個性を詳細に調べていくことになりました。普遍性を求めることとは、実は石を調べるためのゴールだったのです。スタートラインこそが、実はゴールだったのです。詳細な個別の個性をいくつも集めて、より普遍的な分類の方法、あるいは石の起源などの本質に迫ることは、地質学の目的だったのです。
今噴火した火山、今たまっている地層、でも、自然はすべての情報を、私たちに開示してくれていません。見えないところで何が起こっているのか、そこに働く原理は何か、見えないものは、推理するしかないのです。その推理をより説得力を持たすために、断片的な個性の詳細な記述、つまり証拠から、論理を用いて、普遍性を求めることに、地質学者は日夜知恵を絞っているのです。
2004年4月22日木曜日
2004年4月15日木曜日
5_32 普遍的分類2:化学組成
前回は、石の分類として、起源に基づいた堆積岩、火成岩、変成岩という分類は、惑星レベルまで普遍化をすすめて考えると、普遍とはいえなかったり、その起源が必ずしもはっきりしていないことなどを紹介しました。今回は、もっとも普遍的と思える方法を紹介しましょう。
分類を普遍的にするために、石の「起源」という考えを捨てて、別の本質的な基準をもとに考えていきましょう。その候補として考えられるのが、石をつくる基本的な成分からみていく方法です。
基本的な成分として、石をつくるより小さな粒である鉱物を基に考える方法もあります。でも、鉱物にも地域性があり、地球に固有と考えられる鉱物や、月固有、隕石固有の鉱物なども結構あります。そんな特異性をできるだけ除いていくべきです。
成分も普遍性があったほうがいいはずです。一番普遍的な成分としては、元素というものがあります。元素は宇宙共通の基本的で普遍的な成分です。ある石を、どの元素がどれくらいの割合でつくっているかということを調べていく方法は普遍的です。この方法は、実際の研究でも非常によく使われています。石の化学組成と呼ばれています。
化学組成は、すべての元素でおこなうことが理想です。しかし、現実には、それは、なかなか困難なことです。なぜなら、分析の方法が元素の種類や含まれている元素の量によって違っていきます。
ですから、すべての元素の分析がなされているの石は、それほどたくさんありません。各国が提供している標準試料とよばれるものや、特殊な隕石、月の石くらいです。
標準試料とは、代表的な岩石の粉を各国公的機関が国内外の研究者に配布し、その試料を基準として、研究室間の分析値に違いがないかチェックしたり、研究室の分析精度を示したりするのに使われます。もちろん日本でも、に経済産業省の産業技術総合研究所地質調査総合センターが配布しています。標準試料に関しては、ほぼすべての元素のさまざまな分析方法で出されたデータが集められています。また、世界中の標準試料とその分析データは一冊の本として発行されています。
元素の含まれている量が多ければ、分析は比較的楽ですが、量が少ないと大変になります。ひとつの元素を分析するのに、ある研究所のある装置でしか分析できないということも起こりえます。ですから、すべての元素の組成がそろっているのは、その石がそれほど苦労してまで分析をするに値するものであるかどうかにかかっています。
研究者が石の化学成分をすべての元素で欲しいとといっても、手軽に手に入れるわけにはいかないのです。ですから、岩石の中でも多い化学成分10種類くらいを分析して、それで分類や比較するということがおこなわれています。最近では、分析装置の進歩によって、同じ手順で、20種類くらいの元素が分析できるようになってきました。石だけでなく、石の成分である鉱物にもこの化学組成による研究は進んでいます。
化学組成は、定量的で非常に客観的です。ですから、この手法は、どこの石にも適用できます。ただし、注意が必要です。
化学組成が同じであっても、起源が同じとは限りません。成分が違っていても起源が違うとは限りません。化学組成は分析した石の化学的性質の保障はしますが、それ以外の情報を引き出すときは、化学組成の情報だけでは足りないということです。
わかりやすい例として、しましま模様の石を考えてみましょう。白と黒のしましま模様の石です。もちろん、色の違いは化学的な性質の違いを反映しています。ですから、白の部分と黒の部分との化学組成は違っているはずです。でも、このしましま模様は、同じマグマが固まるとき一連の作用でできたとしたら、起源は同じと考えて研究していく必要があります。
またこのしましま石をとって分析するとき、白だけの部分、黒だけの部分、白と黒の混じった部分では、化学組成が違っているはずです。また、同じ白や黒の部分でも、崖の上と下では、違っているかもしれません。
今は白と黒の明瞭なしましま模様を例としてましたが、複雑なつくりをした岩石を分析をするとしたら、場所ごとに化学組成が違ってくるはず。そんなときはどうすればいいのか、どう考えればいいのか。などなど、一見普遍的にみえる化学組成を分類の基準として考えるときにも、一筋縄ではいかないことがありそうです。
まだ、普遍的分類に対する答えは出てきません。もう少し続けて考えていきましょう。
・化学分析・
化学分析には、私は苦労しました。
3年間それにかかわったことがありました。
鉛の分析(正確には鉛の同位体組成といいます)の仕組みをつくるのに、
ゼロからはじめて3年かかりました。
鉛はどこにでもあり、簡単に汚染されます。
ですから、微量の鉛を精度よくするには
空気、水、薬品などありとあらゆるものの鉛汚染を
除去するということをやらなければなりません。
しかし、3年目には、なんとか世界の研究室の分析精度に
並ぶほどのまでに、たどり着きました。
日本で、地質学のそのような分析をしている研究室は、
当時、他にはありませんでした。
日本人の地質学者が出した鉛の分析値は、
すべて海外の研究所で出したものでした。
ですから、日本では、なにもかもが初めてです。
さまざまな論文を参考にしました。
しかし、論文には書かれてないノーハウもありました。
ですから、自分で工夫しながら試していきました。
まったくゼロからでも、集中して取り組めば、
数年で何とかなるものだということが経験できました。
この経験は私にとって何事にも変えがたいものでした。
このエッセイを書きながら。そんなことを思い出していました。
・春・
4月10日と11日に岐阜へいってきました。
今年はこれが最初ですが、
昨年は、3回通いました。
今年も何度か通わなくてはなりません。
岐阜は、桜がきれいでした。
満開は過ぎていたようですが、まだまだあちこちに咲いていました。
菜の花、つつじの咲いているもの見かけました。
研究の合間をみて、早朝宿から近い、金華山に登ってきました。
これで2度目ですが、
やはり、朝の空気の中をひと汗かくのは爽快です。
北海道でもやったそんな気分を味わえるようになってきました。
分類を普遍的にするために、石の「起源」という考えを捨てて、別の本質的な基準をもとに考えていきましょう。その候補として考えられるのが、石をつくる基本的な成分からみていく方法です。
基本的な成分として、石をつくるより小さな粒である鉱物を基に考える方法もあります。でも、鉱物にも地域性があり、地球に固有と考えられる鉱物や、月固有、隕石固有の鉱物なども結構あります。そんな特異性をできるだけ除いていくべきです。
成分も普遍性があったほうがいいはずです。一番普遍的な成分としては、元素というものがあります。元素は宇宙共通の基本的で普遍的な成分です。ある石を、どの元素がどれくらいの割合でつくっているかということを調べていく方法は普遍的です。この方法は、実際の研究でも非常によく使われています。石の化学組成と呼ばれています。
化学組成は、すべての元素でおこなうことが理想です。しかし、現実には、それは、なかなか困難なことです。なぜなら、分析の方法が元素の種類や含まれている元素の量によって違っていきます。
ですから、すべての元素の分析がなされているの石は、それほどたくさんありません。各国が提供している標準試料とよばれるものや、特殊な隕石、月の石くらいです。
標準試料とは、代表的な岩石の粉を各国公的機関が国内外の研究者に配布し、その試料を基準として、研究室間の分析値に違いがないかチェックしたり、研究室の分析精度を示したりするのに使われます。もちろん日本でも、に経済産業省の産業技術総合研究所地質調査総合センターが配布しています。標準試料に関しては、ほぼすべての元素のさまざまな分析方法で出されたデータが集められています。また、世界中の標準試料とその分析データは一冊の本として発行されています。
元素の含まれている量が多ければ、分析は比較的楽ですが、量が少ないと大変になります。ひとつの元素を分析するのに、ある研究所のある装置でしか分析できないということも起こりえます。ですから、すべての元素の組成がそろっているのは、その石がそれほど苦労してまで分析をするに値するものであるかどうかにかかっています。
研究者が石の化学成分をすべての元素で欲しいとといっても、手軽に手に入れるわけにはいかないのです。ですから、岩石の中でも多い化学成分10種類くらいを分析して、それで分類や比較するということがおこなわれています。最近では、分析装置の進歩によって、同じ手順で、20種類くらいの元素が分析できるようになってきました。石だけでなく、石の成分である鉱物にもこの化学組成による研究は進んでいます。
化学組成は、定量的で非常に客観的です。ですから、この手法は、どこの石にも適用できます。ただし、注意が必要です。
化学組成が同じであっても、起源が同じとは限りません。成分が違っていても起源が違うとは限りません。化学組成は分析した石の化学的性質の保障はしますが、それ以外の情報を引き出すときは、化学組成の情報だけでは足りないということです。
わかりやすい例として、しましま模様の石を考えてみましょう。白と黒のしましま模様の石です。もちろん、色の違いは化学的な性質の違いを反映しています。ですから、白の部分と黒の部分との化学組成は違っているはずです。でも、このしましま模様は、同じマグマが固まるとき一連の作用でできたとしたら、起源は同じと考えて研究していく必要があります。
またこのしましま石をとって分析するとき、白だけの部分、黒だけの部分、白と黒の混じった部分では、化学組成が違っているはずです。また、同じ白や黒の部分でも、崖の上と下では、違っているかもしれません。
今は白と黒の明瞭なしましま模様を例としてましたが、複雑なつくりをした岩石を分析をするとしたら、場所ごとに化学組成が違ってくるはず。そんなときはどうすればいいのか、どう考えればいいのか。などなど、一見普遍的にみえる化学組成を分類の基準として考えるときにも、一筋縄ではいかないことがありそうです。
まだ、普遍的分類に対する答えは出てきません。もう少し続けて考えていきましょう。
・化学分析・
化学分析には、私は苦労しました。
3年間それにかかわったことがありました。
鉛の分析(正確には鉛の同位体組成といいます)の仕組みをつくるのに、
ゼロからはじめて3年かかりました。
鉛はどこにでもあり、簡単に汚染されます。
ですから、微量の鉛を精度よくするには
空気、水、薬品などありとあらゆるものの鉛汚染を
除去するということをやらなければなりません。
しかし、3年目には、なんとか世界の研究室の分析精度に
並ぶほどのまでに、たどり着きました。
日本で、地質学のそのような分析をしている研究室は、
当時、他にはありませんでした。
日本人の地質学者が出した鉛の分析値は、
すべて海外の研究所で出したものでした。
ですから、日本では、なにもかもが初めてです。
さまざまな論文を参考にしました。
しかし、論文には書かれてないノーハウもありました。
ですから、自分で工夫しながら試していきました。
まったくゼロからでも、集中して取り組めば、
数年で何とかなるものだということが経験できました。
この経験は私にとって何事にも変えがたいものでした。
このエッセイを書きながら。そんなことを思い出していました。
・春・
4月10日と11日に岐阜へいってきました。
今年はこれが最初ですが、
昨年は、3回通いました。
今年も何度か通わなくてはなりません。
岐阜は、桜がきれいでした。
満開は過ぎていたようですが、まだまだあちこちに咲いていました。
菜の花、つつじの咲いているもの見かけました。
研究の合間をみて、早朝宿から近い、金華山に登ってきました。
これで2度目ですが、
やはり、朝の空気の中をひと汗かくのは爽快です。
北海道でもやったそんな気分を味わえるようになってきました。
2004年4月8日木曜日
5_31 普遍的分類1:普遍と特異の狭間
「いろいろな石」がなぜあるのか、というテーマで話が続いています。今回は、どのように分類していくか考えていきましょう。
「いろいろな石」があるということは、人間が石の違いを見分けているということです。つまり、人間には、本能的にものを分類ができるのです。しかし、本能だけに頼っていては、進歩がありません。必要とする目的にしたがって、適切な分類をすることが知恵というものです。
分類に知恵を使うには、どうすればいいのでしょうか。その分類方法が、普遍的で場所や対象によって、いろいろ変わることなく、どこでも、なんにでも使える方法がいいはずです。石にはいろいろなものがありますので、分類するにしても、なにか、基本的なものを基準にして分けたほうがいいはずです。その基本的なものとはなんでしょうか。地学の知識が少しある人は、石の起源をもとに考えればいいと思いつくでしょう。しかし、少し待ってください。本当にその方法は普遍的なものでしょうか。よく考えてみましょう。
まず、起源をもとにした石の分類は、堆積岩、火成岩、変成岩に区分されています。これに従うと非常に客観的にみえますが、実は、境界があやふやだったり、量的にアンバランスがあります。
境界があやふやだというのには、分類においては、混乱を招きます。客観的でなく、主観的でもあります。たとえば、変成岩は他の石が熱や圧力によって溶けることなく、別の石に変わったものです。どからを変成岩にするのかというのは、じつはあいまいとしています。研究者によっても違っています。私は、ある研究者は変成岩とみなしているようなものを、火成岩として扱ってきました。その方が、その火成岩をつくったマグマがどのようにしてできたかが理解できるからです。その方がより自然の本質に迫れると考えたからです。
量的にアンバランスがあると、量的に少ないものもひとつの分類群として考えることになります。そうなると、例外的なものが多いときは、むやみに分類の数を増やすのですが、本質的なことは多数の中にあるかもしれません。つまり、例外的な分類に惑わされて、本質的なことを見失ってしますことになりかねません。
3つの起源による分類では、量としては、堆積岩がいちばん少なくなっています。地球全体として考えると、地球をつくっている岩石は、火成岩と変成岩がほとんどだと考えられます。堆積岩は、水の作用の働く地表付近だけにできる石です。地表から見た地球と、全体として見た地球とは、自ずから違っています。地表に住む私たちが、一見すると堆積岩が多いように思いますが、実は、量的には非常に少ない、稀なものなのです。大気や海洋についても、同じことがいえます。
堆積岩は、地球全体としてみたとき、珍しいものであるという考え方は、他の惑星でもいえます。他の惑星でも、ほとんどが火成岩と変成岩からできていると考えられます。私たちがイメージする地層をなすような堆積岩があるとすると、水のある地球と、水があった火星だけでしょう。
他の天体の堆積岩は私たちが想像する地層はつくりません。似たようなものがあったとしても、それは、起源が違ったものです。隕石が衝突して飛び散ったものが、砂や土としてあったり、衝突によって固まった衝突角礫岩ともいうようなものになります。でも、天体の表面は、地球の堆積岩とはまったく違った堆積岩が広く覆っています。同じ堆積岩というものに分類しても、じつは起源がまったく違ったものになっていきます。
不思議なことが起きました。起源による分類をもちいて話を進めていったら、同じ分類に、違った起源のものがあったということになりました。これは、地球の堆積岩が、特異で、その起源もはっきりと定義していないためにおこったことです。
また、惑星の主要部分となる、火成岩と変成岩ですが、火成岩と変成岩の境界があいまいです。ひとつにして考えてしまうと、分類する意味がなくなります。では、どうのように分類をしていけばいいのでしょうか。振り出しに戻りました。ややこしくなってきました。ここから先は次回にしましょう。
・視点を変えて・
石の素朴な疑問シリーズです。
私たちが、本質的だと思っていたものも、
より普遍的な視点で考えていくと、
どうもある特異な枠組みの中で考えていたことに
過ぎないことがわかってきました。
これは、重要な教訓であります。
違った視点、広い視点で問題を考えてみると、
まったく違ったことを見せてくれます。
それは、もしかすると非常識に見えるかもしれません。
でも、今まで自分が問題にしていたことの答えは
まったく違ったところあるということを
教えてくれるのかもしれません。
常識の中に大発見はありません。
一見非常識に見えるものの中に、本質があるのかもしれません。
・北国の春・
入学式も各地でおこなわれています。
大学の入学式も終わり、
我が家も、入学というセレモニーが
今週で終わります。
北海道も春めいてきました。
昼間はストーブが要らなくなりました。
朝夕も暖かいときはたかずにすみはじめました。
やっと自転車で通える季節になりました。
道路の雪は消えましたが、
まだ、雪はあちこちに残っています。
桜はまだまだですが、
フキノトウや福寿草が芽吹きはじめています。
北国は、冬が厳しいだけに、
春はありがたいものです。
これから、いい季節になります。
「いろいろな石」があるということは、人間が石の違いを見分けているということです。つまり、人間には、本能的にものを分類ができるのです。しかし、本能だけに頼っていては、進歩がありません。必要とする目的にしたがって、適切な分類をすることが知恵というものです。
分類に知恵を使うには、どうすればいいのでしょうか。その分類方法が、普遍的で場所や対象によって、いろいろ変わることなく、どこでも、なんにでも使える方法がいいはずです。石にはいろいろなものがありますので、分類するにしても、なにか、基本的なものを基準にして分けたほうがいいはずです。その基本的なものとはなんでしょうか。地学の知識が少しある人は、石の起源をもとに考えればいいと思いつくでしょう。しかし、少し待ってください。本当にその方法は普遍的なものでしょうか。よく考えてみましょう。
まず、起源をもとにした石の分類は、堆積岩、火成岩、変成岩に区分されています。これに従うと非常に客観的にみえますが、実は、境界があやふやだったり、量的にアンバランスがあります。
境界があやふやだというのには、分類においては、混乱を招きます。客観的でなく、主観的でもあります。たとえば、変成岩は他の石が熱や圧力によって溶けることなく、別の石に変わったものです。どからを変成岩にするのかというのは、じつはあいまいとしています。研究者によっても違っています。私は、ある研究者は変成岩とみなしているようなものを、火成岩として扱ってきました。その方が、その火成岩をつくったマグマがどのようにしてできたかが理解できるからです。その方がより自然の本質に迫れると考えたからです。
量的にアンバランスがあると、量的に少ないものもひとつの分類群として考えることになります。そうなると、例外的なものが多いときは、むやみに分類の数を増やすのですが、本質的なことは多数の中にあるかもしれません。つまり、例外的な分類に惑わされて、本質的なことを見失ってしますことになりかねません。
3つの起源による分類では、量としては、堆積岩がいちばん少なくなっています。地球全体として考えると、地球をつくっている岩石は、火成岩と変成岩がほとんどだと考えられます。堆積岩は、水の作用の働く地表付近だけにできる石です。地表から見た地球と、全体として見た地球とは、自ずから違っています。地表に住む私たちが、一見すると堆積岩が多いように思いますが、実は、量的には非常に少ない、稀なものなのです。大気や海洋についても、同じことがいえます。
堆積岩は、地球全体としてみたとき、珍しいものであるという考え方は、他の惑星でもいえます。他の惑星でも、ほとんどが火成岩と変成岩からできていると考えられます。私たちがイメージする地層をなすような堆積岩があるとすると、水のある地球と、水があった火星だけでしょう。
他の天体の堆積岩は私たちが想像する地層はつくりません。似たようなものがあったとしても、それは、起源が違ったものです。隕石が衝突して飛び散ったものが、砂や土としてあったり、衝突によって固まった衝突角礫岩ともいうようなものになります。でも、天体の表面は、地球の堆積岩とはまったく違った堆積岩が広く覆っています。同じ堆積岩というものに分類しても、じつは起源がまったく違ったものになっていきます。
不思議なことが起きました。起源による分類をもちいて話を進めていったら、同じ分類に、違った起源のものがあったということになりました。これは、地球の堆積岩が、特異で、その起源もはっきりと定義していないためにおこったことです。
また、惑星の主要部分となる、火成岩と変成岩ですが、火成岩と変成岩の境界があいまいです。ひとつにして考えてしまうと、分類する意味がなくなります。では、どうのように分類をしていけばいいのでしょうか。振り出しに戻りました。ややこしくなってきました。ここから先は次回にしましょう。
・視点を変えて・
石の素朴な疑問シリーズです。
私たちが、本質的だと思っていたものも、
より普遍的な視点で考えていくと、
どうもある特異な枠組みの中で考えていたことに
過ぎないことがわかってきました。
これは、重要な教訓であります。
違った視点、広い視点で問題を考えてみると、
まったく違ったことを見せてくれます。
それは、もしかすると非常識に見えるかもしれません。
でも、今まで自分が問題にしていたことの答えは
まったく違ったところあるということを
教えてくれるのかもしれません。
常識の中に大発見はありません。
一見非常識に見えるものの中に、本質があるのかもしれません。
・北国の春・
入学式も各地でおこなわれています。
大学の入学式も終わり、
我が家も、入学というセレモニーが
今週で終わります。
北海道も春めいてきました。
昼間はストーブが要らなくなりました。
朝夕も暖かいときはたかずにすみはじめました。
やっと自転車で通える季節になりました。
道路の雪は消えましたが、
まだ、雪はあちこちに残っています。
桜はまだまだですが、
フキノトウや福寿草が芽吹きはじめています。
北国は、冬が厳しいだけに、
春はありがたいものです。
これから、いい季節になります。
2004年4月1日木曜日
5_30 適切な分類
石の素朴な疑問シリーズをはじめましたが、沖縄の地学紀行で一時中断していました。「いろいろな石」がなぜあるのかというがテーマで進めていました。続きをしていきましょう。
「いろいろな石」を調べるためには、よく見ること、そして分類して名前をつけることが大切であるということを、説明してきました。さらに話を進めましょう。
分類して名前をつけることで、実は、答えが出ているのです。「いろいろな石」があるということがわかるということは、分類ができるからなのです。でも、じつはそれほど簡単なことではありません。そうはいっても具体的ではありませんね。少し、具体的に話をしていきましょう。
川原で同じように見える石ころを2つ拾ってきたとしましょう。川原の石ころは、落ちていたところより上流のどこかから転がって、今ある川原に転がっているのです。落ちていたところより上流とはわかるのですが、ではどこから転がってきたかは、なかなかわかりません。もしそれを知ろうとするとたいへんです。よっぽど特徴のある、珍しいものでないとむつかしいものです。
もし、その2つの石ころを調べたとしたら、その石が違うかどうかは、細かく分類することで、見極めることができます。たとえば、見た目がどんなに同じように見えても、化学成分が同じものからはできないということを示していたり、年代測定の結果が、別の時代にできたものだというを示していたら、その2つの石は、違っているものであるといえます。
調べられる範囲で同じであるということがわかったとしましょう。でも、それは、同じところの石という保障はありません。もし、上流のあるところに同時期に活動した2つの火山があったとしましょう。でも困ったことに、この火山は、同じ性質のマグマが別の噴火口からでてきたものです。ですから、別の火山というべきなのですが、同じ成分のマグマが活動していることになります。
もし、この2つの火山からそれぞれ石ころが来ていたとしたら、そっくりなもので同じ分類の石ころとなります。地質学的には別の物と判別すべき石ころですが、川原に転がってきた石ころでは、区別できないこととなります。
もうひとつ、別の例を出しましょう。ある崖の同じ露頭から2つの標本をとってきたとしましょう。ところが2つの標本は見かけがだいぶ違います。その露頭は、マグマがゆっくり冷え固まった深成岩からできていたとしましょう。同じマグマのはずなのですが、見かけがだいぶ違っていたとしましょう。ひとつは黒っぽくみえます。もうひとつは白っぽく見えます。
この2つの標本を詳しく調べると、違った性質が見えてくるはずです。となると分類も石の名前も違ったものになります。でも、地質学的には同じ区分として扱うべきでしょう。そのマグマからできた深成岩には、白っぽいものと黒っぽいものをつくる性質があるということになります。
川原の石ころにこれを適用すると、石ころの分類が違ったとしても、違うとはいえないし、分類が同じ石でも、地質学的は別ものとすべきこともありえます。
何が言いたかったかというと、石を詳しく調べて分類するとしても、必要に応じた程度でするべきだということです。石ころを調べたければ、地質学的にどのような関係にあるのかを十分知った上でやらなければならないということです。
・川原の石・
上の例で、川原の石ころをどのように調べればいいのか
ということを述べました。
普通の地質学者は、川原の石ころを研究材料にはしません。
でも、私は、この川原の石ころを研究材料にして、日々悩んでいます。
川原の石ころは、上流から流れてきたものです。
川原の石ことを分類にするにしても、
どれほど分類していいか、基準が難しいのです。
分類しても、詳しく調べても、
それがなかなか役に立たないのです。
でも、私は、なんとかこんな川原の石ころを相手にして、
分類しています。
そんなに詳しく分類してもしかたがありません。
ほどほどにすべきでしょう。
でも、その兼ね合いがよくわかりません。
同じ分類名になっても、なんと違った見かけのものがあるのでしょう。
まったく違ったでき方をしたのだなあと思えるものもあります。
多分、その川原に転がってきた石には、
それぞれに固有の履歴があるはずです。
しかし、今の私にはその履歴を読み取る能力がありません。
石ころは、そんな驚きに満ちています。
それぞれの履歴に違いがある、ということだけしかわかりません。
石ころも自然の一部です。
こんな自然の切れ端に、悩む日々が続いています。
・エプリルフール・
今日は4月1日です。
世間は、エプリルフールでしょうか。
私の大学では、儀式的ですが、
全学の教員が集まっての全学教授会があります。
もちろん、教員全員は出席しません。
もし集まったとしたら、会議室には入りきれません。
まあいってみれば、学長のこの一年の考え方や方針を
周知するためのもの会議かもしれません。
私の大学では、今年度から学長が変わります。
これから私学は厳しい時代です。
今のままでは、存続は不可能です。
いかに進むべきか。
いかに変わるべきか。
その指針が問われます。
決してエプリルフールではすまないことです。
「いろいろな石」を調べるためには、よく見ること、そして分類して名前をつけることが大切であるということを、説明してきました。さらに話を進めましょう。
分類して名前をつけることで、実は、答えが出ているのです。「いろいろな石」があるということがわかるということは、分類ができるからなのです。でも、じつはそれほど簡単なことではありません。そうはいっても具体的ではありませんね。少し、具体的に話をしていきましょう。
川原で同じように見える石ころを2つ拾ってきたとしましょう。川原の石ころは、落ちていたところより上流のどこかから転がって、今ある川原に転がっているのです。落ちていたところより上流とはわかるのですが、ではどこから転がってきたかは、なかなかわかりません。もしそれを知ろうとするとたいへんです。よっぽど特徴のある、珍しいものでないとむつかしいものです。
もし、その2つの石ころを調べたとしたら、その石が違うかどうかは、細かく分類することで、見極めることができます。たとえば、見た目がどんなに同じように見えても、化学成分が同じものからはできないということを示していたり、年代測定の結果が、別の時代にできたものだというを示していたら、その2つの石は、違っているものであるといえます。
調べられる範囲で同じであるということがわかったとしましょう。でも、それは、同じところの石という保障はありません。もし、上流のあるところに同時期に活動した2つの火山があったとしましょう。でも困ったことに、この火山は、同じ性質のマグマが別の噴火口からでてきたものです。ですから、別の火山というべきなのですが、同じ成分のマグマが活動していることになります。
もし、この2つの火山からそれぞれ石ころが来ていたとしたら、そっくりなもので同じ分類の石ころとなります。地質学的には別の物と判別すべき石ころですが、川原に転がってきた石ころでは、区別できないこととなります。
もうひとつ、別の例を出しましょう。ある崖の同じ露頭から2つの標本をとってきたとしましょう。ところが2つの標本は見かけがだいぶ違います。その露頭は、マグマがゆっくり冷え固まった深成岩からできていたとしましょう。同じマグマのはずなのですが、見かけがだいぶ違っていたとしましょう。ひとつは黒っぽくみえます。もうひとつは白っぽく見えます。
この2つの標本を詳しく調べると、違った性質が見えてくるはずです。となると分類も石の名前も違ったものになります。でも、地質学的には同じ区分として扱うべきでしょう。そのマグマからできた深成岩には、白っぽいものと黒っぽいものをつくる性質があるということになります。
川原の石ころにこれを適用すると、石ころの分類が違ったとしても、違うとはいえないし、分類が同じ石でも、地質学的は別ものとすべきこともありえます。
何が言いたかったかというと、石を詳しく調べて分類するとしても、必要に応じた程度でするべきだということです。石ころを調べたければ、地質学的にどのような関係にあるのかを十分知った上でやらなければならないということです。
・川原の石・
上の例で、川原の石ころをどのように調べればいいのか
ということを述べました。
普通の地質学者は、川原の石ころを研究材料にはしません。
でも、私は、この川原の石ころを研究材料にして、日々悩んでいます。
川原の石ころは、上流から流れてきたものです。
川原の石ことを分類にするにしても、
どれほど分類していいか、基準が難しいのです。
分類しても、詳しく調べても、
それがなかなか役に立たないのです。
でも、私は、なんとかこんな川原の石ころを相手にして、
分類しています。
そんなに詳しく分類してもしかたがありません。
ほどほどにすべきでしょう。
でも、その兼ね合いがよくわかりません。
同じ分類名になっても、なんと違った見かけのものがあるのでしょう。
まったく違ったでき方をしたのだなあと思えるものもあります。
多分、その川原に転がってきた石には、
それぞれに固有の履歴があるはずです。
しかし、今の私にはその履歴を読み取る能力がありません。
石ころは、そんな驚きに満ちています。
それぞれの履歴に違いがある、ということだけしかわかりません。
石ころも自然の一部です。
こんな自然の切れ端に、悩む日々が続いています。
・エプリルフール・
今日は4月1日です。
世間は、エプリルフールでしょうか。
私の大学では、儀式的ですが、
全学の教員が集まっての全学教授会があります。
もちろん、教員全員は出席しません。
もし集まったとしたら、会議室には入りきれません。
まあいってみれば、学長のこの一年の考え方や方針を
周知するためのもの会議かもしれません。
私の大学では、今年度から学長が変わります。
これから私学は厳しい時代です。
今のままでは、存続は不可能です。
いかに進むべきか。
いかに変わるべきか。
その指針が問われます。
決してエプリルフールではすまないことです。
2004年3月25日木曜日
4_43 サンゴ礁の海:沖縄3
南の島というとサンゴ礁に囲まれた浅瀬のエメラルド・グリーン、深いコバルト・ブルーのきれいな海を想像する人が多いでしょう。なぜ、このような島を想像するかというと、サンゴ礁に囲まれた島が多いからでしょう。そんなサンゴ礁の秘密を見ていきましょう。
サンゴ礁は、サンゴの小さな個体たくさん集まってつくられたものです。サンゴは動物です。腔腸動物(刺胞動物)というものに分類され、クラゲやイソギンチャクの仲間です。
サンゴ礁をつくりだすのは造礁サンゴとよばれるイシサンゴの仲間です。イシサンゴは、褐虫藻とよばれる別の小さな生物を体の中にもっています。
褐虫藻とは、10マイクロメートルほどの小さな単細胞の藻類で、光合成をおこなっています。サンゴは、褐虫藻から炭水化物をもらってエネルギーとして利用しています。サンゴは、褐虫藻に二酸化炭素と窒素やリンを与えています。それらは、光合成をおこなう材料となります。このような密接に生活を共にしている関係を共生といいます。
褐虫藻の栄養は、光合成によって得ています。ですから、サンゴは、海の中でも浅く太陽の光が届くところで暮らします。
サンゴ虫は体の外に骨(外骨格といいます)があります。外骨格は、炭酸カルシウム(CaCO3)からできています。このサンゴの外骨格が、たまりたまって、サンゴ礁となります。この仕組みだけで、サンゴ礁のいろいろな地形ができていきます。
サンゴは、暖かい海に暮らす生物です。ですから、サンゴが暮らすことができる環境さえあれば、サンゴ礁ができていきます。サンゴが暮らせる環境とは、浅い海です。浅い海は、陸や島の周りにあります。大陸の周りに大規模にできる場合もあります。オーストラリアのグレートバリアリーフがその代表的なものものです。
そのサンゴ礁の仕組みを最初に解明したのは進化論を提唱したチャールズ・ダーウィンでした。ダーウィンはビーグル号の航海で、太平洋の南国のサンゴ礁の島をたくさん見ました。そして、サンゴ礁には、時間と共に変化していくことを示しました。ダーウィンは次のようにサンゴ礁が変化していくと考えました。
まず、海の真ん中に火山によって島ができたとします。すると、その島の周囲は浅い海ができます。浅い海の岩場に、サンゴの幼虫が海流に乗ってたどり付くと、そこにサンゴ礁ができはじます。島の周りを囲むようにできたサンゴ礁を裾礁(きょしょう)といいます。
火山は、活動を終えると、岩石自体が冷めて縮むことや侵食によって小さくなってきます。島は小さくなるのですが、サンゴ礁はそのままそこに残されていきます。島とサンゴ礁の間に海が入り込んでいきます(礁湖(しょうこ)、ラグーンといいます)。そのようなものを堡礁(ほしょう)といいます。ラグーンの中は、サンゴやサンゴの壊れた破片の白色と、島自体岩石がでている濃い色とのまだら模様ができます。
時間と共に火山の島は、ますます小さくなっていきます。やがて島は海面上からなくなってしまいます。このように島がなくなったり、小さくなったりして、サンゴ礁だけが残っている状態を環礁(かんしょう)とよんでいます。
海底からある深さまでは、サンゴ礁ができていて、その外側は太陽の光が届かないためにサンゴ礁がありません。サンゴ礁の外側に、深い海が急にはじまるのはそのためです。その状態を地上からみると、濃いコバルトブルーの海が外海として広がって色の違いとして見えます。
このようなダーウィンの考えたサンゴ礁の成因は、いまでも正しいと考えられています。
沖縄は、南の島ですから、サンゴ礁がいたるところにあります。しかし、かといって他の南国の島のように火山の周りにできたサンゴ礁ではありません。前のエッセイで示したように、日本列島と同じような古い地層が骨格としてあります。ですから、沖縄は、非常に変化に富んだ自然となっているのです。
・奇遇・
沖縄の調査から帰ったところ、
私といっしょに活動している地学クラブの
第一号クラブ員のNakさんからメールをいただきました。
Nakさんは、今年の春大学を卒業します。
そのNakさんは、自転車で沖縄旅行をされました。
時期が私の調査と重なっています。
もし、本当に出会っていたら、奇遇で面白かったのですが、
そこまでうまくはいきませんでした。
そんなNakさんに、卒業し、大学院へ行かれるので、
はなむけの言葉を送りました。
「沖縄の日程は完全にダブっていますね。
私は調査で、川と海岸を主にいきました。
中・北部が中心でした。
「28日は58号線を走って名護市手前の道の駅」
私たちは、28日は8時過ぎに恩納村のホテルをでて、
名護市の道の駅は素通りして、
本部半島の塩川と海洋博記念公園とその中の水族館にいました。
家族サービスの日でした。
どこかですれ違っていた可能性がありますが、
Nakさんらしき人は記憶にありません。
自転車は数人すれ違いましたが、
すべて男性でした。
(中略)
私は若いときは「野望」を持つべきだと思います。
「野望」などといわなくてもいいですが、「夢」でもいいでしょう。
年をとると共に、夢は実現しにくくなります。
若いときは、時間と努力を惜しまず、集中できる時期でもあります。
若いときは、どんな夢も実現できる可能性が一番高いときです。
そんなときに「野望」を持つことは
きっと自分自身を大きくしてくれると思います。
悔いのない人生を歩むためにも
「野望」は大きければ大きいほどいいのです。」
というものでした。
・移動の季節・
移動の季節です。
私も移動します。
現在の研究室から、別の棟の研究室への移動です。
3月26日の金曜日に引越し作業をおこなります。
大学の指示でおこなう引越しです。
ですから、アルバイト4名と大学から手伝いの人2名がきてくれます。
しかし、全員引越しの素人ばかりです。
一日で終わるでしょうか。
また、ネットワーク環境が変わり、
棟が違うのでIPアドレスもかわります。
他のサーバーへの転送の影響が出そうです。
困ったことに、27日はネットワークの保守点検で、
ネットワークを使えない状態です。
ネットワークの構築、修正は、28日の日曜日になりそうです。
さてさて、どうなりますでしょうか。
こればかりはやってみなければわかりません。
サンゴ礁は、サンゴの小さな個体たくさん集まってつくられたものです。サンゴは動物です。腔腸動物(刺胞動物)というものに分類され、クラゲやイソギンチャクの仲間です。
サンゴ礁をつくりだすのは造礁サンゴとよばれるイシサンゴの仲間です。イシサンゴは、褐虫藻とよばれる別の小さな生物を体の中にもっています。
褐虫藻とは、10マイクロメートルほどの小さな単細胞の藻類で、光合成をおこなっています。サンゴは、褐虫藻から炭水化物をもらってエネルギーとして利用しています。サンゴは、褐虫藻に二酸化炭素と窒素やリンを与えています。それらは、光合成をおこなう材料となります。このような密接に生活を共にしている関係を共生といいます。
褐虫藻の栄養は、光合成によって得ています。ですから、サンゴは、海の中でも浅く太陽の光が届くところで暮らします。
サンゴ虫は体の外に骨(外骨格といいます)があります。外骨格は、炭酸カルシウム(CaCO3)からできています。このサンゴの外骨格が、たまりたまって、サンゴ礁となります。この仕組みだけで、サンゴ礁のいろいろな地形ができていきます。
サンゴは、暖かい海に暮らす生物です。ですから、サンゴが暮らすことができる環境さえあれば、サンゴ礁ができていきます。サンゴが暮らせる環境とは、浅い海です。浅い海は、陸や島の周りにあります。大陸の周りに大規模にできる場合もあります。オーストラリアのグレートバリアリーフがその代表的なものものです。
そのサンゴ礁の仕組みを最初に解明したのは進化論を提唱したチャールズ・ダーウィンでした。ダーウィンはビーグル号の航海で、太平洋の南国のサンゴ礁の島をたくさん見ました。そして、サンゴ礁には、時間と共に変化していくことを示しました。ダーウィンは次のようにサンゴ礁が変化していくと考えました。
まず、海の真ん中に火山によって島ができたとします。すると、その島の周囲は浅い海ができます。浅い海の岩場に、サンゴの幼虫が海流に乗ってたどり付くと、そこにサンゴ礁ができはじます。島の周りを囲むようにできたサンゴ礁を裾礁(きょしょう)といいます。
火山は、活動を終えると、岩石自体が冷めて縮むことや侵食によって小さくなってきます。島は小さくなるのですが、サンゴ礁はそのままそこに残されていきます。島とサンゴ礁の間に海が入り込んでいきます(礁湖(しょうこ)、ラグーンといいます)。そのようなものを堡礁(ほしょう)といいます。ラグーンの中は、サンゴやサンゴの壊れた破片の白色と、島自体岩石がでている濃い色とのまだら模様ができます。
時間と共に火山の島は、ますます小さくなっていきます。やがて島は海面上からなくなってしまいます。このように島がなくなったり、小さくなったりして、サンゴ礁だけが残っている状態を環礁(かんしょう)とよんでいます。
海底からある深さまでは、サンゴ礁ができていて、その外側は太陽の光が届かないためにサンゴ礁がありません。サンゴ礁の外側に、深い海が急にはじまるのはそのためです。その状態を地上からみると、濃いコバルトブルーの海が外海として広がって色の違いとして見えます。
このようなダーウィンの考えたサンゴ礁の成因は、いまでも正しいと考えられています。
沖縄は、南の島ですから、サンゴ礁がいたるところにあります。しかし、かといって他の南国の島のように火山の周りにできたサンゴ礁ではありません。前のエッセイで示したように、日本列島と同じような古い地層が骨格としてあります。ですから、沖縄は、非常に変化に富んだ自然となっているのです。
・奇遇・
沖縄の調査から帰ったところ、
私といっしょに活動している地学クラブの
第一号クラブ員のNakさんからメールをいただきました。
Nakさんは、今年の春大学を卒業します。
そのNakさんは、自転車で沖縄旅行をされました。
時期が私の調査と重なっています。
もし、本当に出会っていたら、奇遇で面白かったのですが、
そこまでうまくはいきませんでした。
そんなNakさんに、卒業し、大学院へ行かれるので、
はなむけの言葉を送りました。
「沖縄の日程は完全にダブっていますね。
私は調査で、川と海岸を主にいきました。
中・北部が中心でした。
「28日は58号線を走って名護市手前の道の駅」
私たちは、28日は8時過ぎに恩納村のホテルをでて、
名護市の道の駅は素通りして、
本部半島の塩川と海洋博記念公園とその中の水族館にいました。
家族サービスの日でした。
どこかですれ違っていた可能性がありますが、
Nakさんらしき人は記憶にありません。
自転車は数人すれ違いましたが、
すべて男性でした。
(中略)
私は若いときは「野望」を持つべきだと思います。
「野望」などといわなくてもいいですが、「夢」でもいいでしょう。
年をとると共に、夢は実現しにくくなります。
若いときは、時間と努力を惜しまず、集中できる時期でもあります。
若いときは、どんな夢も実現できる可能性が一番高いときです。
そんなときに「野望」を持つことは
きっと自分自身を大きくしてくれると思います。
悔いのない人生を歩むためにも
「野望」は大きければ大きいほどいいのです。」
というものでした。
・移動の季節・
移動の季節です。
私も移動します。
現在の研究室から、別の棟の研究室への移動です。
3月26日の金曜日に引越し作業をおこなります。
大学の指示でおこなう引越しです。
ですから、アルバイト4名と大学から手伝いの人2名がきてくれます。
しかし、全員引越しの素人ばかりです。
一日で終わるでしょうか。
また、ネットワーク環境が変わり、
棟が違うのでIPアドレスもかわります。
他のサーバーへの転送の影響が出そうです。
困ったことに、27日はネットワークの保守点検で、
ネットワークを使えない状態です。
ネットワークの構築、修正は、28日の日曜日になりそうです。
さてさて、どうなりますでしょうか。
こればかりはやってみなければわかりません。
2004年3月18日木曜日
4_42 塩川:沖縄2
沖縄への調査の2回目のエッセイです。前回は、南西諸島は、地質からみると、日本の縮図のようになっていることを紹介しましたが、少し難しかったでしょうか。詳しい地質の話を書こうかと思いましたが、難しそうなのでやめて、今回は、観光地でないのですが、沖縄島でみた面白い自然を一つ紹介しましょう。
沖縄島の中部に西向かって突き出た丸い形をした半島があります。本部(もとぶ)半島といいます。丸い半島の南西(左下)あたりに、塩川という川があります。
海のすぐそばに湧き出し口のある川です。ほんの150メートルほど内陸に湧き出し口があり、全長で300メートルもありません。すぐに海に流れ込んでしまう短い川です。海面と比べても、湧き出し口は1メートル数十センチメートル高いだけです。私は、この川を見にいったのです。私が訪れたときは、もちろんだれも見に来ている人はいませんでした。
川というには、あまりにも小さいものです。なぜ、わざわざこの川を見に行ったのかというと、この川が変わった性質をもっているからです。
この塩川は、名前のとおり、塩水がいつも流れている川なのです。そんな珍しい川は、この塩川以外に、プエルトリコに1ヶ所だけみつかっているだけです。非常に珍しい川なのです。そのため、1972年に国の天然記念物に指定されています。
塩川には、2ヶ所に湧き出し口があります。1ヶ所で川に降りられるところがあったので、降りて、川の水をなめてみました。もちろんショッパかったですが、海水のショッパさほどではありませんでした。
さて、この塩川の水は、どうしてショッパイのでしょうか。海が近いので、普通は海水がなんらの作用で、湧き上がっているのではないかと考えます。しかし、川のなめてみると、海水がそのまま湧き出しているわけではありません。真水の成分が混じっています。
かつて、この塩川の湧出機構について、調べられたことがあります。沖縄県が文化庁の支援を受けて、1974年から3年がかりで調査がされました。その結果、いくつかの重要なことがわかったようです。塩川にあった説明看板によれば、
・潮位と水位(湧出量)は比例する
・湧出量と塩分濃度は逆比例の関係にある
・海水と陸水が混合したもので岩塩説は全く否定される
ということがわかったそうです。
少し説明しておきましょう。まず、最後の岩塩説とは、地下に岩塩があり、その中や周辺を地下水が通ってくることによって塩分をもった水ができるという説です。岩塩とは、海水が大量に干上がってできた塩が石となったものです。この説には、大きな岩塩の岩体が地下にないといけませんし、海と関係はないはずです。しかし、塩川では潮位と関係があるので、岩塩説は否定できます。
上の2つの事実から、海水と地下水(真水)が混じっていることになります。でも、よく考えると少し複雑なメカニズムが働いていることがわかります。
まず、潮位と湧出量が比例するというのは、普通に考えると、潮位が上がると地下で海水成分の量が増え、全体として湧水量が増えることとなります。しかし、湧水量が増えると塩分濃度が下がるというのは、海水の変動が直接湧き出す水に伝わるのではなく、水を押し上げる圧力となっていることを意味しています。湧出量が増えるときは、地下水が使われているということです。
このようなメカニズムとして、サイフォン説というものが唱えられています。地下70から100メートルに、海水と地下水が混じった水が溜まるところがあり、そこにたまったややショッパイ水が、潮位の圧力によって、岩の割れ目を通り抜けて、湧き出ているという説です。
そんな複雑な構造ができているというのも、この本部半島には石灰岩がたくさんあるからだと考えられます。塩川のすぐ近くでも石灰岩の採掘をしてました。石灰岩は、地下水によって溶け、鍾乳洞のような地下水路をよくつくります。多分、この塩川の水源となっている地下にもそんな水路と貯水用の地下の池があり、そこには海水も入りこんでいくのでしょう。そして、その地下の池は、海水の圧力で水を湧き出しているのです。そんな地質環境であったから、この枯れることない塩川ができたと考えられます。
頭でわかっていたとしても、塩川は、不思議な川です。
・塩川と生活・
塩川は短いので、噴出し口から歩けばすぐに海に達します。
私は、もちろん、塩川の海への注ぎ口の河口も見にいきました。
そして、河口でも水をなめようかと思いました。
しかし、思いとどまりました。
河口から陸側をみると、集落の中を塩川は流れてきます。
そして、民家の排水が塩川に流れているのが見えました。
だから、なめるをやめました。
塩川の湧き出し口と海岸の間には、国道449号線が走っています。
天然記念物は、国道と湧き出し口周辺の地域が指定されています。
ですから、国道より海側は、普通の民有地となっています。
区域外では、下水を流しても問題ではありません。
もちろん、以前から生活をされている方々の集落です。
この地域の人は、塩川を、昔からそして今も大切にしてきたと聞きます。
でも、現実に下水が流れ込んでいるのをみると、ちっと考えさせられました。
これは、通りすがりのものの感想ですから、聞き流してください。
・春の節目・
皆さんの地域の春はどんな春でしょう。
私の住む北国では、春は雪解けからはじまります。
どの地域の春にも共通するのが、卒業と入学です。
我が家でも、長男が幼稚園の卒園と小学校への入園、
次男が幼稚園への入園となります。
そんな感慨を味わっています。
今まで、家内には、いつも、どこへ行くのにも次男が一緒でした。
家内は、これから、一人の時間がもてそうです。
一人の時間ができるのは、うれしくもあり、寂しそうでもあります。
春は、親にとっても節目の季節となります。
沖縄島の中部に西向かって突き出た丸い形をした半島があります。本部(もとぶ)半島といいます。丸い半島の南西(左下)あたりに、塩川という川があります。
海のすぐそばに湧き出し口のある川です。ほんの150メートルほど内陸に湧き出し口があり、全長で300メートルもありません。すぐに海に流れ込んでしまう短い川です。海面と比べても、湧き出し口は1メートル数十センチメートル高いだけです。私は、この川を見にいったのです。私が訪れたときは、もちろんだれも見に来ている人はいませんでした。
川というには、あまりにも小さいものです。なぜ、わざわざこの川を見に行ったのかというと、この川が変わった性質をもっているからです。
この塩川は、名前のとおり、塩水がいつも流れている川なのです。そんな珍しい川は、この塩川以外に、プエルトリコに1ヶ所だけみつかっているだけです。非常に珍しい川なのです。そのため、1972年に国の天然記念物に指定されています。
塩川には、2ヶ所に湧き出し口があります。1ヶ所で川に降りられるところがあったので、降りて、川の水をなめてみました。もちろんショッパかったですが、海水のショッパさほどではありませんでした。
さて、この塩川の水は、どうしてショッパイのでしょうか。海が近いので、普通は海水がなんらの作用で、湧き上がっているのではないかと考えます。しかし、川のなめてみると、海水がそのまま湧き出しているわけではありません。真水の成分が混じっています。
かつて、この塩川の湧出機構について、調べられたことがあります。沖縄県が文化庁の支援を受けて、1974年から3年がかりで調査がされました。その結果、いくつかの重要なことがわかったようです。塩川にあった説明看板によれば、
・潮位と水位(湧出量)は比例する
・湧出量と塩分濃度は逆比例の関係にある
・海水と陸水が混合したもので岩塩説は全く否定される
ということがわかったそうです。
少し説明しておきましょう。まず、最後の岩塩説とは、地下に岩塩があり、その中や周辺を地下水が通ってくることによって塩分をもった水ができるという説です。岩塩とは、海水が大量に干上がってできた塩が石となったものです。この説には、大きな岩塩の岩体が地下にないといけませんし、海と関係はないはずです。しかし、塩川では潮位と関係があるので、岩塩説は否定できます。
上の2つの事実から、海水と地下水(真水)が混じっていることになります。でも、よく考えると少し複雑なメカニズムが働いていることがわかります。
まず、潮位と湧出量が比例するというのは、普通に考えると、潮位が上がると地下で海水成分の量が増え、全体として湧水量が増えることとなります。しかし、湧水量が増えると塩分濃度が下がるというのは、海水の変動が直接湧き出す水に伝わるのではなく、水を押し上げる圧力となっていることを意味しています。湧出量が増えるときは、地下水が使われているということです。
このようなメカニズムとして、サイフォン説というものが唱えられています。地下70から100メートルに、海水と地下水が混じった水が溜まるところがあり、そこにたまったややショッパイ水が、潮位の圧力によって、岩の割れ目を通り抜けて、湧き出ているという説です。
そんな複雑な構造ができているというのも、この本部半島には石灰岩がたくさんあるからだと考えられます。塩川のすぐ近くでも石灰岩の採掘をしてました。石灰岩は、地下水によって溶け、鍾乳洞のような地下水路をよくつくります。多分、この塩川の水源となっている地下にもそんな水路と貯水用の地下の池があり、そこには海水も入りこんでいくのでしょう。そして、その地下の池は、海水の圧力で水を湧き出しているのです。そんな地質環境であったから、この枯れることない塩川ができたと考えられます。
頭でわかっていたとしても、塩川は、不思議な川です。
・塩川と生活・
塩川は短いので、噴出し口から歩けばすぐに海に達します。
私は、もちろん、塩川の海への注ぎ口の河口も見にいきました。
そして、河口でも水をなめようかと思いました。
しかし、思いとどまりました。
河口から陸側をみると、集落の中を塩川は流れてきます。
そして、民家の排水が塩川に流れているのが見えました。
だから、なめるをやめました。
塩川の湧き出し口と海岸の間には、国道449号線が走っています。
天然記念物は、国道と湧き出し口周辺の地域が指定されています。
ですから、国道より海側は、普通の民有地となっています。
区域外では、下水を流しても問題ではありません。
もちろん、以前から生活をされている方々の集落です。
この地域の人は、塩川を、昔からそして今も大切にしてきたと聞きます。
でも、現実に下水が流れ込んでいるのをみると、ちっと考えさせられました。
これは、通りすがりのものの感想ですから、聞き流してください。
・春の節目・
皆さんの地域の春はどんな春でしょう。
私の住む北国では、春は雪解けからはじまります。
どの地域の春にも共通するのが、卒業と入学です。
我が家でも、長男が幼稚園の卒園と小学校への入園、
次男が幼稚園への入園となります。
そんな感慨を味わっています。
今まで、家内には、いつも、どこへ行くのにも次男が一緒でした。
家内は、これから、一人の時間がもてそうです。
一人の時間ができるのは、うれしくもあり、寂しそうでもあります。
春は、親にとっても節目の季節となります。
2004年3月11日木曜日
4_41 ミニ日本列島:沖縄1
沖縄に調査にいきました。目的は、沖縄の川原の石ころと海の砂の調査、そして代表的な地層の調査です。そんな沖縄のようすを紹介しましょう。まずは、沖縄の地質の概略を見ていきましょう。沖縄を含む南西諸島はミニ日本列島ともいうべき性質を持っています。
沖縄は、日本の一部です。それは、国としての意味ではなく、地質構造の上からみて、日本の一部となっているという意味です。本州、四国、九州から連続した構造をもった地質が、沖縄にはあります。
日本列島は、海洋プレートが沈み込む陸側に古くから位置していました。ですから、沈み込むプレートに伴って、付加体とよばれる地質体が常に形成され、くっついている場でありました。
付加体とは、海洋地殻とその上にたまった遠洋性堆積物(チャートや頁岩)、さらに海溝付近でたまる陸から運んで来られた堆積物からできています。
付加体を構成する岩石や地層を広域で見ると、大きな時代区分の違いや、大断層(構造線と呼ばれています)ができます。そのような時代や構造の境界を利用して、日本列島の地質構造を区分しています。
本州、四国、九州などの日本列島の西半分(西南日本とよんでいます)には、日本列島と並行に延びる中央構造線という大きな境界があります。中央構造線を境にして、太平洋側を外帯、日本海側を内帯とよんでいます。外帯の中でも重要な境界として、仏像(ぶつぞう)構造線というものがあります。
仏像構造線とは、内帯側に傾斜した大きな逆断層で、中央構造線側に古生代後期から中生代中期の付加体(三波川変成帯と秩父帯とよばれる2つの帯があります)があり、海側に中生代後期より新しい付加体(四万十帯とよばれます)があります。
付加体を貫くようにしてマグマの活動があります。そのようなマグマの活動の記録は、マグマが地下で固まった深成岩や、マグマが地表に噴出した火山岩からみることができます。
深成岩は、付加体のいろいろなところで見られますが、深部で固まったものです。ですから、現在の地表で見ることができるようになるには、隆起して、上を覆っていた岩石や地層が侵食によって削剥されなければなりません。深成岩が地表に出ているところは、長い時間が経過したところや、隆起と侵食の激しいところとなります。
火山岩は、海洋プレートのもぐりこみによって火山列として形成されます。まさに火山が、日本列島の伸びている方向に並行して列を成しています。もぐりこむプレートの角度によって、海溝からの最初の火山があらわれる位置までは、地域によって違ってきます。
日本列島の一番内帯側には、日本海のような縁海とよばれている海が形成されています。
沖縄を含む南西諸島では、このような日本の主だった構造をみることができます。太平洋側(正確にはフィリピン海)には、沈み込み帯である琉球海溝があります。その内帯側(西側)には、列島があり、縁海にあたる東シナ海(正確には沖縄トラフといます)という構造をもっています。
また、南西諸島は、3つの構造帯が列をなしています。東シナ海側、つまりいちばん内帯側に、新しい火山島列があります。硫黄島、口永良部島、中之島、諏訪之瀬島、硫黄鳥島などで、現在も活動中の火山がたくさんあります。
列島の中央は、古い時代の付加体で、奄美大島、沖縄島北部などと、南西諸島の一番南にあたる石垣島、西表島、与那国島も、古い時代の付加体です。ペルム紀とみられる化石が見つかっていますが、多くはジュラ紀から白亜紀にかけての付加体です。本州でいう三波川変成帯と秩父帯に相当するものです。
最後に、太平洋側、つまり一番外帯側には、白亜紀から第三紀の堆積岩からなる付加体があり、種子島や隆起サンゴ礁の沖永良部島や宮古島など低平な島が多い。本州でいう四万十帯に相当するものです。
深成岩の活動も見られます。深成岩は主に花崗岩で、すべて第三紀に活動したものです。北から、屋久島、奄美大島、徳之島、沖永良部島、渡名喜島、沖縄島、石垣島などで、規模はさまざまですがみられます。
このように見ていくと、南西諸島は、狭い範囲に日本列島の外帯を除く地質の要素と同じようなものが、出ていることになります。
沖縄島については、次回としましょう。
・長い日本列島・
沖縄には、2月26日から3月2日まで、5泊6日の滞在でした。
3月1日に雨に降られました、それ以外は良い天気でした。
雪の北海道から、桜の終わった沖縄へいくと、
これが同じ日本かと思えるほど、その気候は違っていました。
連日20℃を越える日が続いていました。
帰ってきた日には、寒波の襲来で、
千歳空港が-6℃というアナウンスがありました。
そのとおりの寒さでした。
日本列島は長いですね。
・沖縄に帰る人へ・
私のゼミの学生に沖縄からの交換学生が2名いました。
そして逆に沖縄に後期の半年だけ交換留学する学生も一人いました。
そんな沖縄からの交換学生が、
「今日沖縄に帰ります!
北海道での1年間すっごく楽しかったですよ(^▽^)。
今までいろいろお世話になりました、ありがとうございます。
また遊びに来ますねー♪゛」
というメールを残して、先日沖縄に帰っていきました。
私とは、入れ違いでした。
彼らも北海道の冬には、驚きもし、感動もし、苦労もしたようです。
こんな機会を利用できた彼らは幸せだったと思います。
そんな彼らに、私は、次のようなメールを出しました。
「この1年は、素晴らしい思い出となったと思います。
普通の大学生には、味わえない、いい経験になったと思います。
目には見えないでしょうが、
きっと何か変わったこと、成長したことがある思います。
今度は、この経験を活かすために、
そんな成長した自分の活躍の場を見つけてください。
私は、一足先に沖縄を訪れました。
2月26日から3月2日まで、
恩納の「ゆりかしリゾート」に5泊しました。
そこをベースに、レンタカーで北部を中心に見て回りました。
家族は、水族館と海とホテルのプールがよかったようです。
私は、もちろん、地質調査ができたことです。
では、お元気で残りの学生生活を送ってください。」
という返事を書きました。
沖縄は、日本の一部です。それは、国としての意味ではなく、地質構造の上からみて、日本の一部となっているという意味です。本州、四国、九州から連続した構造をもった地質が、沖縄にはあります。
日本列島は、海洋プレートが沈み込む陸側に古くから位置していました。ですから、沈み込むプレートに伴って、付加体とよばれる地質体が常に形成され、くっついている場でありました。
付加体とは、海洋地殻とその上にたまった遠洋性堆積物(チャートや頁岩)、さらに海溝付近でたまる陸から運んで来られた堆積物からできています。
付加体を構成する岩石や地層を広域で見ると、大きな時代区分の違いや、大断層(構造線と呼ばれています)ができます。そのような時代や構造の境界を利用して、日本列島の地質構造を区分しています。
本州、四国、九州などの日本列島の西半分(西南日本とよんでいます)には、日本列島と並行に延びる中央構造線という大きな境界があります。中央構造線を境にして、太平洋側を外帯、日本海側を内帯とよんでいます。外帯の中でも重要な境界として、仏像(ぶつぞう)構造線というものがあります。
仏像構造線とは、内帯側に傾斜した大きな逆断層で、中央構造線側に古生代後期から中生代中期の付加体(三波川変成帯と秩父帯とよばれる2つの帯があります)があり、海側に中生代後期より新しい付加体(四万十帯とよばれます)があります。
付加体を貫くようにしてマグマの活動があります。そのようなマグマの活動の記録は、マグマが地下で固まった深成岩や、マグマが地表に噴出した火山岩からみることができます。
深成岩は、付加体のいろいろなところで見られますが、深部で固まったものです。ですから、現在の地表で見ることができるようになるには、隆起して、上を覆っていた岩石や地層が侵食によって削剥されなければなりません。深成岩が地表に出ているところは、長い時間が経過したところや、隆起と侵食の激しいところとなります。
火山岩は、海洋プレートのもぐりこみによって火山列として形成されます。まさに火山が、日本列島の伸びている方向に並行して列を成しています。もぐりこむプレートの角度によって、海溝からの最初の火山があらわれる位置までは、地域によって違ってきます。
日本列島の一番内帯側には、日本海のような縁海とよばれている海が形成されています。
沖縄を含む南西諸島では、このような日本の主だった構造をみることができます。太平洋側(正確にはフィリピン海)には、沈み込み帯である琉球海溝があります。その内帯側(西側)には、列島があり、縁海にあたる東シナ海(正確には沖縄トラフといます)という構造をもっています。
また、南西諸島は、3つの構造帯が列をなしています。東シナ海側、つまりいちばん内帯側に、新しい火山島列があります。硫黄島、口永良部島、中之島、諏訪之瀬島、硫黄鳥島などで、現在も活動中の火山がたくさんあります。
列島の中央は、古い時代の付加体で、奄美大島、沖縄島北部などと、南西諸島の一番南にあたる石垣島、西表島、与那国島も、古い時代の付加体です。ペルム紀とみられる化石が見つかっていますが、多くはジュラ紀から白亜紀にかけての付加体です。本州でいう三波川変成帯と秩父帯に相当するものです。
最後に、太平洋側、つまり一番外帯側には、白亜紀から第三紀の堆積岩からなる付加体があり、種子島や隆起サンゴ礁の沖永良部島や宮古島など低平な島が多い。本州でいう四万十帯に相当するものです。
深成岩の活動も見られます。深成岩は主に花崗岩で、すべて第三紀に活動したものです。北から、屋久島、奄美大島、徳之島、沖永良部島、渡名喜島、沖縄島、石垣島などで、規模はさまざまですがみられます。
このように見ていくと、南西諸島は、狭い範囲に日本列島の外帯を除く地質の要素と同じようなものが、出ていることになります。
沖縄島については、次回としましょう。
・長い日本列島・
沖縄には、2月26日から3月2日まで、5泊6日の滞在でした。
3月1日に雨に降られました、それ以外は良い天気でした。
雪の北海道から、桜の終わった沖縄へいくと、
これが同じ日本かと思えるほど、その気候は違っていました。
連日20℃を越える日が続いていました。
帰ってきた日には、寒波の襲来で、
千歳空港が-6℃というアナウンスがありました。
そのとおりの寒さでした。
日本列島は長いですね。
・沖縄に帰る人へ・
私のゼミの学生に沖縄からの交換学生が2名いました。
そして逆に沖縄に後期の半年だけ交換留学する学生も一人いました。
そんな沖縄からの交換学生が、
「今日沖縄に帰ります!
北海道での1年間すっごく楽しかったですよ(^▽^)。
今までいろいろお世話になりました、ありがとうございます。
また遊びに来ますねー♪゛」
というメールを残して、先日沖縄に帰っていきました。
私とは、入れ違いでした。
彼らも北海道の冬には、驚きもし、感動もし、苦労もしたようです。
こんな機会を利用できた彼らは幸せだったと思います。
そんな彼らに、私は、次のようなメールを出しました。
「この1年は、素晴らしい思い出となったと思います。
普通の大学生には、味わえない、いい経験になったと思います。
目には見えないでしょうが、
きっと何か変わったこと、成長したことがある思います。
今度は、この経験を活かすために、
そんな成長した自分の活躍の場を見つけてください。
私は、一足先に沖縄を訪れました。
2月26日から3月2日まで、
恩納の「ゆりかしリゾート」に5泊しました。
そこをベースに、レンタカーで北部を中心に見て回りました。
家族は、水族館と海とホテルのプールがよかったようです。
私は、もちろん、地質調査ができたことです。
では、お元気で残りの学生生活を送ってください。」
という返事を書きました。
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