2003年7月17日木曜日

5_25 海底は何からできているか(その2)

 研究者は智恵と技術によって海底の石を手にとって調べることができるようになりました。そんな知識から、海底の姿がわかるようになってきました。

 ボーリングという大地をくりぬく技術が、海底でもできるようになって、海底をつくっている岩石の様子が、わかるようになりました。海底の岩石を順番に見ていきましょう。
 海底のいちばん表層には、堆積物があります。海底の堆積物とは、微生物の遺骸です。潜水艇がもぐる映像をみると、真っ暗な深海に雪のように降り積もるものがあります。これは、プランクトンの死骸です。死骸の有機物の部分は時間がたてばなくなりますが、硬い殻の部分が残ります。硬いからは二酸化珪素からできます。これが固まったものが、チャートと呼ばれる岩石です。
 チャートは縞状をしています。これは、プランクトンの活動が活発なときと活発でないときがあるためだと考えられます。例えば、暖かい時と寒い時、雨期と乾期などの季節変化が起こる場合です。
 生物の活動の低下しているときには、チャートになるために二酸化珪酸はほとんどたまりません。二酸化珪素がたまらないときには、量は少しですが、遠くの火山から飛ばれてきた火山灰やはるか大陸から飛んできた細かいチリが、粘土としてたまっていきます。このような季節による生物の活動量の変化が縞模様に原因となります。細かいチリは、いつでも少しはふっているですが、生物の活動が活発なときには、ほとんと目立たなくなります。
 チャートの下には、玄武岩とよばれる黒っぽい火山岩があります。玄武岩は、富士山や伊豆大島などの陸上の火山でも見られる岩石です。しかし、同じ玄武岩でも、海底の玄武岩は、枕を積み重ねたような不思議な形をしています。このような玄武岩を枕状溶岩と呼んでいます。
 枕状溶岩は、海底あるいは水中でしかできないつくりです。マグマが水中で噴出すると、水は冷たく、マグマを急速に冷まします。冷めたマグマは岩石として固まります。でも、表面が岩石として固まっても、中にはまだ溶けたマグマあります。岩石自身は断熱効果が強く、熱を伝えにくいためです。
 あたからあとからマグマが噴出す火山噴火では、岩石の弱いところを見つけて、マグマが飛び出します。それは、まるで、マヨネーズをチューブから押し出したように、丸い円筒状にマグマか流れ出ます。そんなマグマも水に冷やされ岩石として固まります。海底火山では、これが繰り返されることになります。枕状溶岩は、水中でのこのような繰り返しでできたものです。
 枕状溶岩の下には、不思議なものがあります。それは、溶岩の数cmから数十cmくらいの厚さの岩石の板が平行に並んでいるものです。一枚一枚が枕状溶岩を供給したマグマの通り道だと考えられています。
 マグマが地下から上昇してくると、上にあった岩石が割れてます。するとその割れ目が、直線的に延びるため、マグマもその割れ目を埋めていきます。マグマの供給が止まると、その通り道が岩石の板として固まるのです。このような岩石は、岩脈(かんみゃく)と呼ばれます。岩石は玄武岩か玄武岩がややゆっくりと冷えて粒の大きくなったドレライトと呼ばれるものからできています。海底では、マグマがいつも同じ割れ方をするところに供給されていることがわかります。
 岩脈の下には、マグマがたまっていた場所である「マグマだまり」が固まったものがあります。斑れい岩と呼ばれる岩石からできています。斑れい岩は、玄武岩と同じような成分の岩石ですが、ゆっくり冷えたため、粒の大きな結晶からできています。
 マグマだまりの底には、マグマが冷えるといちばん最初にできてくる結晶でマグマより重い鉱物が沈んでいきます。マグマの底には、このような鉱物が縞状になってたまっています。これを層状かんらん岩とよんでいます。かんらん岩とは、マントルを作っている岩石と同じものです。ですから、このかんらん岩から下は、地震波などでマントルと同じ様な性質をもったものとなります。
 さらにした下には、マントルのかんらん岩でも、上の方に玄武岩のマグマを供給した残りかすのマントルがあります。このようなマントルの岩石はハルツバージャイトとよばれるものです。
 さらに下には、溶けた経験のないかんらん岩からできたマントルがあります。
 これが、海底下にある大地の構成です。多くの海底を調べた結果、この岩石の並びや、岩石の性質が非常に一様で似ていることが、海底の大きな特徴となっています。つまり、これは、陸地の岩石と違って海底の岩石が、いつでも、どこでも同じようなつくられ方をしていることを意味しています。

・科学者も人間・
Shiさんから、私は、「感情の薄い方」だと思われていたようです。
それが、私の前の母に関する文章で、そうでなかったと気付かれたそうです。
そんなメールに対して、私は、つぎのような返事を書きました。

「科学者も人間です。
そして、私は、理性的でありたいとは思っていますが、
感情に負ける人間です。
それは、つくづく思います。
以前、べつのところでも書いたことがあるのですが、
曽祖母や祖父の死の時はあまり感情的にならなかったのですが、
身近な肉親のして父の死があり、そのとき感情に理性が負け驚きました。

その父は、数年に亡くなりました。
実家は京都の田舎なので、田舎風の昔ながらのやり方で、葬式をしました。
初七日まで、毎日人がきて、何らかの行事がありました。
毎晩、喪主として立ち会わなければいけませんでした。
当時、Y大学で非常勤の授業を受け持っていたので、
たった1講のために京都-横浜間を新幹線で日帰りをしました。
でもこんな忙しさも葬式につきもののようで、
気を紛らわすという効用もあったようです。

それまで、自分は科学者であり、
おっしゃるように非常に理性的で、
感情に負けない理性を持っていると思っていました。
それまで、涙は出なかったのですが、
しかし、父の棺を閉める時、焼却炉の前で最後の別れの時、
突然自分でもわからないほど、涙が出て止まらなくなりました。
そのとき、心の隅に追いやられていた理性が、最後の最後に思ったことです。
「やっぱり自分にも、どうしようもない感情があったのだ」ということです。
それがもしかすると、理性に偏りすぎた私の生き方に対して、
最後に父が教えてくれたことかもしれません。

それはあまりにも大きな教えでした。
私は、すべてを合理性や理性によって考えることが正しいと考えていました。
そして、自分は今までそうしてきたし、
他の人も自分と同じように、頑張ったり、望んだりしたら
合理的な考え方になれるものだと考えていました。
でも、そんな理性的である自分のような人間にも
おさえ切れない感情があること、
そして当然他人にも同じような感情があることを身をもって知ったです。

自分にも他人にも、感情を認めることにより、
今まで簡単に解決できると考えていたことに、
解決不可能な部分があることが、身につまされて教えられたのです。
理屈では済まない部分を認知するということです。
その土俵でも、ものごとを考えなければならないということです。

私の興味はそちらに急速に向かっていきました。
父の出した宿題をすることです。
でも、これは、理性で感情をコントロールしようとしても
「いくらやっても解決できない」ということが、
私の現段階での答です。
人間である限り、感情の世界は捨てきれません。
感情の存在、それが心の全域を覆うこともあるということを
認めることにしました。
ごく当たり前の答えです。
でも、私は、感情に流されながらも、私は合理性の世界を目指します。
つまり、感情と理性の全面解決は求めない。
少しでも多くの人の役に立てばと考えるようになりました。

こんな簡単な答えを出すのに5年もかかりました。
もう父の宿題も終わりにしようと考えています。
大変、長い時間のかかった宿題でした。
でも、自分の世界を大きく広げる結果となりました。
父に感謝しています。
そして、母を大切にしていきたいと思っています。
ありがとうございました。」

というものです。
私も、そしてすべての科学者も人間です。
ただ、理性を重んじています。
でも、感情も併せ持つ人間です。

2003年7月10日木曜日

5_24 海底は何からできているか(その1)

 今まで大地をつくる石といいながら、陸地ばかりを見てきました。海の底にも大地、つまり地殻は広がっています。海底をつくる石はどのようなものからできているでしょうか。

 地球の表面の3分の2は海が占めています。しかし、海の下にも大地は広がっています。では、海の下の大地が、どのような石からできているかを見ていきましょう。
 海底の石がどのようなものからできているかを知ることは、科学者の長年の夢でもありました。でも、なんといっても海は広く深く、なかなか海底の石を調べることはできませんでした。しかし、科学者は、さまざまな智恵と技術によって、科学者は世界各地の海底の石を調べることができろようにないました。
 鉄の網でできたカゴにひもをつけて、海底におろし、船でそのカゴを引っ張ります。網の目を粗くしておくと、その目より大きなものだけが残ります。それを引き上げると、海底に転がっている石ころをとることができます。言葉でいうと簡単ですが、4,000、5,000メートル、時には10,000メートルあるような深いところを、カゴをひきずっていくわけです。ひもは丈夫なワイヤーにしなければなりません。すると数1000メートルのワイヤー自身の重さも大変なものになります。おろす時間、上げる時間を考えると大変な労力が必要です。このような調べ方は、ドレッジと呼んでいます。ドレッジ専用の海洋調査船が必要になります。
 ドレッジによる調査を世界各地の海で行うことによって、海底に転がっている石の様子を知ることができます。でも、これには問題があります。もし、陸地で同じようなことをして、石ころを集めたとすると、その問題点がわかります。
 石ころは、たまたまそこに落ちていたものです。そこの大地をつくっていたものかどうかはわかりません。さらに、石ころは表面に転がっているものです。これは、陸地の表層を調べるときに地質図をつくりましたが、そのとき無視していたものにあたります。
 ですから、本当に海底をつくっている石を知るには、なんとか、海底深くの岩石を手に入れる必要があります。そこで、考え出されたのが、海底を掘り抜く方法です。ボーリング(掘削)と呼んでいます。陸地でも、大きな建造物をつくるときは、たいていボーリングをします。穴の開いた筒を大地に突き刺し、その穴の中に大地の岩石をくりぬいて地表に持ち上げる方法です。この方法を海底でもおこなえばいいのです。
 ところが、これも大変な技術を必要とします。数1,000メートル下の海底めがけて、長い筒を下ろして掘り進まなければなりません。数1,000メートルの長さのボーリングの筒の重さは並大抵ではありません。
 それに、海底の石を取ってくるためには、ちょっちゅうボーリングした筒を船の上まであげて、岩石を取り出し、またおろすというという作業が必要です。大変な手間がかかります。
 さらに大変なのは、ボーリングの筒を同じ穴に下ろさなければならないのです。ボーリングの先端の直径を50センチメートルしましょう。海底の深さを5,000メートルとしましょう。これを陸地の場合を考えてみましょう。5キロメートル先の50センチメートルの的を狙うことになります。あるいは500メートル先の5センチメートルの的を狙うことになります。見えないような的を何度も狙わなければなりません。それも的に当たらないと作業が始まらないのです。さらにこの作業の大変さは、海面は波でゆれたり、風や海流によって流される作業船の上からしなければならないことです。でも研究者はそのような困難な作業を成し遂げました。
 その結果は、次回紹介しましょう。


・母について・
前回の私の母に関する文章は思わぬ、波紋をよんでいます。
Kabさんから、いただいたメール対する私の返事です。

「私の祖々母と祖母は、自宅で母の介護の後、自宅で死にました。
父は大腸ガンでしたが、入退院を繰り返しながら、
最後は、自宅療養し、病院に入院した直後になくなりました
医者嫌いの父は、自宅で母にわがままを言いながら介護を受けていました。
母は、3人の肉親を介護し、見取ったのです。
私は、祖々母以外は、自宅を離れていたので、
その苦労を目にすることなく、母から聞くだけでした。
その母が、今は高齢なので、心配です。
近所に住んでいる弟夫婦がいくいくは同居する予定なので、
少しは安心なのですが、それほど喜ばしいことでもなく、
心配でもあります。
母をこちらに呼ぼうと思ったのですが、
やはり長年住み慣れたところがいいと、
私とは同居するはなく、京都を離れません。
足が痛いようですが、天気さえよければ、
畑で野菜をつくる日々を送っています。
現在の状況が、母にとって健康にも、
精神的にもいちばんよさそうなので、
できる限りそうしてもらっています。
そして、チャンスさえあれば、こちらに呼んで、
温泉などに連れて行ってます。
でも、限られた時間ですので、
母を疲れさせるだけのようで心苦しい気もします。
でも、余り長い滞在だと母が嫌がります。
今回も10日か2週間ほど滞在するようにさそっていたのですが、
畑の世話や家を空けることが心配といって、
6泊7日の滞在となりました。
あと何度、母と顔をあわすチャンスがあるでしょうか。
私が、学生時代からすれば、母と顔を合わす機会、
電話をする機会は大部多いです。
でも、母に残された時間を考えると、
今までの親不孝を考えると、
できる限り、あっていこうと思います。
私がなにをいっても自宅を離れたがらないのですが、
子供たち、母からすれば孫たちが電話でおいでさそうと、
その気になってくるようです。
ですから、電話のたびに子供たちにはおいでというようにさせています。
Kabさんの介護の話から、私の母の話へとなりました。
私事ばかりになりました。」

・贈る言葉・
私の教養のゼミの学生のA君が就職の内定が出たといって連絡がありました。
そんなA君に向かって私は、次のようなメールを送りました。

「内定、おめでとうございます。

じじ臭いですが、お話を一つ。
会社は、あなたという人間をみて、採用してくれたのだと思います。
では、来年春から、あなたは、会社の期待通りの社員になりたいですか。
そうすれば、多分、あなたも会社もやりやすいでしょう。

私は、期待を外れて欲しいと思います。
あなた自身の期待からも、外れて欲しいと思います。
つまり、現在の自分から、より大きな自分にむけて、脱皮して欲しいのです。
そのために残された半年を有効に使って下さい。
もしかすると、変わったあなたは、
会社のあなたに対する期待とは違うかもしれません。
でも、あなたが会社のために良かれと思って変わるのであれば、
いいのではないでしょうか。
その時は、期待から外れてしまうかもしれません。
でも、もしかするとそんな期待から外れることが、
将来、あなたにとっても、会社にとっても、
より大きな益となるかもしれません。

今の自分に決して満足することなく、
奢ることなく、
浮かれることなく、
我を忘れることなく、
あと半年間の大学生活を、付録と思わず、
生きていって下さい。
変わった自分を会社に見せつけるほどの気持ちをもって、
半年間を私はこんなに使い、
こんなに自分は変わったのだといえるような、
学生生活を送って下さい。

たった半年。されど半年。
気持ち次第で活用ができるはずです。
これからが、あなたの本当の価値が問われるのではないでしょうか。
そして、もし変われた自分がつくれるのであれば、
そんな能力はきっとこれから役に立つはずです。
社会に出てからできないことが、
この大学できっとできるはずです。
考えて下さい。
悩んで下さい。
そして成長して下さい。
期待しています。
ではまた。」

私にとっても、時間は同じように大切であるはずです。
それを再確認するメールでもありました。
半年後の私は、成長しているでしょうか。

2003年7月3日木曜日

6_29 川と人との共存

 「日本最後の清流」と呼ばれる四万十川ですが、四万十川は清流というだけでなく、日本の川として今では他の川であまり見かけなくなったものがあります。それは、川が人々の中で活きているということです。日本の川と人とのいい付き合い方が、ここにはあるような気がします。かつては、日本中でみられた川と人の付き合い方が、今でも残っている数少ない川ではないでしょうか。

 私は、四国には住んだことはありませんが、縁があって、四国にはたびたび出かけます。そして、四万十川も、出かけるたびにではないのですが、ときどき訪れるチャンスがありました。しかし、それはちょっと立ち寄るという程度でした。先日、四万十川だけを、じっくり眺めにでかけました。
 四万十川を源流から河口までたどってみて、いちばん感じたのは、激しく蛇行している川だなということです。まるで、大陸を流れる大河の小型版を見ているような気がしました。四万十川は、四国山地を源流としていますので、上流の川は急流ですが、少し下ると、もう穏やか流れとなり、蛇行をはじめます。そして、いったん海に8kmまで近づくのですが、まだまだ長い流れを経た後、やっと海へと注ぎます。
 四万十川の川原の石や砂を調べながら下っていくと、不思議なことに気づきました。川原をみると、石ころは一杯あるのですが、砂が非常に少ないのです。もちろん皆無ではありませんが、探して採集しようとするとなかなか見つかりません。
 なぜでしょうか。多分、2つの原因による蛇行によって流域面積の狭さためではないでしょうか。
 川が蛇行をしているのは、傾斜の緩やかな平野や平らなところを流れるためです。蛇行をするようなところでは、川の作用として削剥や運搬より、堆積の作用が働くところです。ですから、砂のような堆積物がたくさんたまっていいはずです。
 ところが、四万十川の場合、四国山地の奥深くを急流として流れる面積が少ないのです。つまり、削剥をうけ、砂を供給する面積が少ないということです。さらに、四万十川は、それほど広い地域から水を集めているわけではないのです。四万十川の流域面積は2270平方kmで、流路(幹線流路延長)は196kmです。流路に対して流域面積は12km2/kmとなり、日本の大型河川でも、もっとも小さいものとなっています。
 川の長さに比べて、流域面積が小さいということは、砂を集め、つくるための面積が少ないことになります。蛇行が激しいと、川が運搬の過程で石を砕くという作用も、それほど強くないことを意味しています。ですから、石ころだけで、砂だけが少ない川となるのでしょう。
 もちろん洪水があれば、激しい削剥、運搬の作用が働きます。でも、その洪水が収まると、小さく軽い砂は運ばれ続けますが、大きく重い石ころは川原に残るのです。このような原因によって、四万十川には砂があまり見当たらないのでないでしょうか。
 四万十川で、このようなことがわかるのも、川が本来もっている特徴をよく残しているからです。それは、四万十川がもっている蛇行が、人によって矯正されることなく、大型のダムもなく、ありのままの姿で流れているからです。もちろん、護岸をされているところや、堰も、生活廃水がそのまま流されているところもあります。ビニールやビンなどのごみもみかけます。ですから、まったく自然のままの川の姿というものではなく、人手が加わっています。
 ごみをみて自然じゃないというの早計です。人の生活の痕跡は、人がその地で暮らすとき、きっと残るものです。里山や雑木林も同じようなものでしょう。人がその地で生きるということは、自然から恵を得るということです。自然は恵みだけでなく、災いももたらします。もちろん、災いはありがたくないものですから、人は災いを避ける努力をしてきましたし、これからもしていくでしょう。
 それを、どこまで、どの程度おこなうか、どのような視点で考えておこなうかが問題ではないでしょうか。例えば、川をまっすぐに矯正すること、護岸をすることで得られるメリットとデメリットを、慎重に考えることが必要だと思います。
 もちろん、そのような対策をすれば、当面の災いをそれで取り除けるでしょう。でも、長い時間、数10年や数100年のスケールで考えて処理すべきではないでしょうか。いちどいじった自然を元に戻ることほど、ばかげたことはありません。それに、多くの河川や海岸線でそのような矯正の実例は、一杯あります。そこから学ぶべきでしょう。
 長い時間を視点にした川との付き合い方を忘れてはいけないような気がします。これこそ今よくいわれる持続可能性だと思います。そんな長い時間をかけた川との付き合いは、じつは何100年にもわたって私たちの祖先はやってきました。もちろん治水もやってきました。でも、過去の治水は、四万十川でみたような、人がそこで川を最大限に利用して生活できる程度のものであったはずです。祖先たちは、川の本来の姿を残したままの付き合い方をしてきたのです。
 智恵ある生物、人として、同じ失敗をしないだけの智恵、うまい付き合いの方法を忘れないだけの智恵を持ちたいものです。

2003年6月26日木曜日

5_23 大地は何からできているか(その2)

 量を比べるときは、範囲を限定しなくていはいけません。大地は何からできているかという場合、「陸地の表面」ということに限定しましょう。

 大地、つまり地殻をつくっているものは石です。どのような石が、地殻全体にわたって、どこに、どれだけ分布しているかが正確にわかっているわけではありません。表面部分だけであれば、地質図を手がかりに知ることができます。でも、地殻の深い部分まで含めて全体にわたって知ることはできません。
 表層について知ることも大切です。そこに深部を知る手がかりがあるかもしれません。大地の表層が、どんな石からできているか、見ていきましょう。
 手元ある理科年表(2003年版)を参考にしていきます。日本列島と北欧、北米での岩石の比率が出ています。まずは、日本列島から見ていきましょう。
 日本列島における岩石の分布面積が示されています。一番多いのが。堆積岩で58%(面積では22.0万平方km)です。次いで、火成岩が38%(14.2平方km)で、その内訳は、火山岩が26%(9.8万平方km)、深成岩が12%(4.4万平方km)です。一番少ないものは、変成岩で4%(1.6万平方km)となっています。
 日本列島をつくる石は、堆積岩が一番多かったのです。堆積岩と考えた人は正解でした。私たちが、日本全国の山や海岸で見かける崖の半分以上は堆積岩が占めていたのです。ただし、これは、平均です。住んでいる地域によって堆積岩ではなく、火山岩や深成岩のがけが多いところも、もちろんあるはずです。でも、平均すると上で示したような値となる訳です。
 さて、日本列島を覆っている岩石を見ていきましたが、日本列島の値が地球の陸地の平均となるのでしょうか。それを比べるために大陸地域である北欧と北米を見ていきましょう。
 北欧のノルウェー(2ヶ所)とフィンランド(1ヶ所)のデータがあります。ノルウェーの1ヵ所は、日本と似たようなできかたをした造山帯のデータです。造山運動とはいっても、日本のものと比べて、もっと古い時代の6億から3億年前の古生代におこったカレドニア造山帯とよばれるものです。ここでは、いちばん多いのは堆積岩とその変成岩で、51%です。ミグマタイトと呼ばれる岩石が溶け出しかけた変成岩が36%で、いちばん少ないの火成岩の13%です。
 堆積岩が多いのは日本と似ていますが、高度の変成岩が多いのは、ノルウェーのカレドニア造山が古い時代のものだからです。のちの時代の変成作用を受けていることと、長い年月で上の地層や岩石が侵食でなくなったので、深部の岩石が地表にでていることで、変成岩の比率が多いと考えられます。
 
 ノルウェーのもう一つのデータは、先カンブリア時代の楯状地とよばれる古い大陸地殻のものです。このデータでは、48%が高度の変成岩であるミグマタイトで、花崗岩を主とする火成岩が35.8%になり、堆積岩は12%です。先ほどとは違った答えが出てきました。堆積岩がいちばん少ないのです。それに対して、火成岩や変成岩の比率が多くなっています。この傾向は、フィンランドのデータも同じような傾向を示しています。火成岩が61%で、変成岩が22%で、堆積岩が18%です。
 火成岩の中でも花崗岩の比率が多くなっています。ノルウェーの先カンブリア時代の花崗岩は33%、フィンランドでは53%になります。
 大陸地域では、造山帯は堆積岩が多いのですが、古くなると堆積岩の比率が少なくなり、変成岩と火成岩の比率が多くなります。古生代以降の造山帯は、世界各地で見られますが、全大陸で占める割いは、多く見積もっても、半分にはなりません。その造山帯でも、堆積岩の占める割いは、52%ですから、陸地全部の中では、30%前後にしかならないでしょう。
 火成岩は花崗岩が多くなり、変成岩も花崗岩起源のものが増えてきます。大陸は、花崗岩およびその変成岩が、そのおもな構成物とみませます。つまり、大陸は、花崗岩とその変成岩からできているといえます。やっと答えがでてきました。

・発展と不便・
Shiさんからの環境問題についてメールがありました。
環境問題について、私は、次のような考えを示しました。

「地球というレベルで考えると人類のしていることは、ささやかなことです。
でも、人間のレベルで考えると、ことは重大になります。

人間とは、身勝手なものです。
智恵があるために、寒かったら暖かくしたり、
不便だったら便利にしたりします。
これが人類を大いに発展させたのです。
かつては、生存競争のために智恵を使っていたのですが、
今では楽をするために智恵を使っているのです。
人間とは、身勝手なものです。

自分たちが楽したいために、我慢をするということを
捨てているように思います。
まさに「飽食」の種ではないでしょうか。
地球の今までの蓄えも食いつくし、従来の生態系や環境システムも、
変更を余儀なくさせる存在なのです。

でも、地球生命として生まれたのですから、
これも何かの必然が働いているのかもしれません。
もしかすると、先にあるのは人類という種の自滅でしょうか。

ほんの2、300年前までは、少なくとも日本人は
自然を食い尽くすようなことはしていませんでした。
自然と共存していました。
まさに持続可能な自然と人間生活の共存です。
そのかわり大いなる発展は放棄していました。

江戸時代の人たちと現代人は、どちらが智恵がある生き物なのでしょうか。
わからなくなります。

私も現代の便利な世界に生きる人間です。
ですから、飽食の片棒を担いでいます。
いまさら、江戸時代の生活にもどれといっても不可能です。
かといって、贅沢を知り尽くした先進国の人間に、
どうすれば地球に優しい生き方ができるでしょうか。
たぶん、自律的に達成することは不可能だと思います。

なにかの緊急事態がおきて、それで仕方なく不便を強いられるとか、
生か死かという選択で生を選び不便でも生きているほうがいい
というような事態がないと不可能かもしれません。

地球環境の変化を人類は智恵を持って防ごうとしています。
でも、発展を維持しながら、贅沢をしながら、環境も守ろうというのは、
虫が良すぎるのではないでしょうか。
やはり、持続可能な自然との共存には、発展を捨て、
不便に耐えなければならないのではないでしょうか。

と、人類の未来を考えるとどうしても、小さい視点で、
「わが身かわいさ」の発想をして、最終的には、悲観的結論になります。
なるようにしかならないという、あきらめに似た気持ちとなります。
ですから、私は、あまり人類の未来を考えたくないのです。

でも救いは、人類が何をしようとも、地球や生命の総体、
環境は少々変化しますが、残るはずです。
それは、いままでの地球や生命が潜り抜けてきた激変に比べれば、
人類のしていることはささやかなことだからです。
私は、地球的発想で考えていきたいと思います。

ちょっと暗い話なりました。」

という返事を書きました。

2003年6月19日木曜日

5_22 大地は何からできているか(その1)

 地球の表面で一番たくさんある石は何でしょうかと聞かれたら、どう答えるでしょうか。多分、さまざまな答えが返ってくると思います。では、地質学的に見た場合、答えはどうなるか見ていきましょう。

 地球表面をつくるものはどのようなものでしょうか。これでは、漠然としているので、とりあえず、陸地をつくるものとしておきましょう。
 この質問に対して、ある人は堆積岩、ある人は花崗岩、火山岩、変成岩などと答えるでしょう。またある人は、石なんかなくて砂や土だというかもしれません。このようなさまざまな答えが出るのは、2つの理由があると思います。
 ひとつは、大地をつくるものというと、いちばん表層の物質を見ている可能があることです。もう一つは、自分たちの住んでいる地域のものを頭に描いて答えるので、それぞれの地域の特性を反映している可能性があることです。
 日本では、大地の表面の多くの植物が覆っています。すると植物の下には、1メートルほどの土壌があります。それを想像した人には、石なんか大地にはないという答えが出てきます。でも、大地には石はないのでしょうか。あってもその地域には少ししかないのでしょうか。あるいは、地球の大地には、石はとてもまれなものでしょうか。
 高山に行くと植物がなくなり、土壌もなく岩だらけの地面が広がるところもあります。ですから、地表にはつねに植物や土壌があるとは限らないのです。山の工事現場や海岸の切り立った崖では、硬い岩盤がでていたり、地層が出ているところを見たことをある人もいるでしょう。つまり、地下のどこでも土壌があるわけではないです。
 また、岩盤が広がっているところでも、地域によって、その岩盤の種類は違ってきます。例えば、日本でも、大島、普賢岳、有珠山の近くくすむ人は火山岩で大地はできていると思っているかもしれません。神居古潭渓谷に住む人は変成岩の大地だと思うでしょう。他にも、秋吉や四国山地のように石灰岩の広がるカルスト地域に住んでいる人もいるでしょう。六甲山や目覚めの床の近くの山地では、花崗岩がつくるきれいな大地に住む人もいるでしょう。大谷石の産地では凝灰岩の大地もあるでしょう。鳥取砂丘の近くに住む人は、岩盤なんかなく大地は砂ばかりという人もいるでしょう。このような地域の人に住む人は、土壌は、大地の主要なものではないと考えるかもしれません。
 日本でもこれくらいの多様性があるのです。もし、世界中の人に聞けば、もっとさまざまな答えが返ってくるでしょう。極地に住む人たちは、氷や永久凍土が大地をつくっているというでしょう。ヒマラヤやアルプスの山地に住んでいる人は、氷河に削られた大きく褶曲した地層が大地をつくるものだというでしょう。砂漠、湿原、草原、森林など地球の表層はさまざまなものが覆っています。
 このように考えを進めていきますと、身近なものだけで判断してはいけないということがわかるでしょう。さらに、一番表層にある物質だけを基準に考えると、大地を構成する間違った判断を下す可能性があると思えてきます。
 このような比較を厳密にするためには、表層にある薄いものだけ基準とせず、地下に深くに厚く広がっているものを基準としたほうがいいのではないでしょうか。
 このような考えで、地質図というものはつくられます。地質図とは、大地を構成している岩石あるいは地層に基づいて描かれています。表層の薄い土壌や植生は無視して描いてあります。実際の量は次回見ていきましょう。

・素朴な疑問シリーズ・
素朴な疑問シリーズが続きます。
今回は大地にある岩石はどんなものかです。
本当に大地をつくる岩石がどんなものか
多くの人が納得する答えがあるのでしょうか。
答えは次回ですが、
そんな方法も考えること大切です。
なぜなら、それが地球表層の平均的な岩石、
あるいは組成を知ることにつながります。
さらにそれは、地殻や地球の平均値を知ることになります。
それは、地殻や地球のでき方へのヒントなります。

・大気と海洋の関係・
Shiさんから、石灰岩に関連して、酸性雨について質問がありました。
その質問に私は以下のように答えました。

酸性雨と二酸化炭素の関係についてですが、
酸性雨はどんな時代もありました。
それは、大気中に火山などで放出された成分(硫化水素など)が、
水に溶けて酸になって酸性雨となります。

有史としては残っていないような大噴火があったことも
地質学的記録には残っています。
そんな噴火の時には、酸性雨となる成分を大量に放出します。
これが陸地の固体にかかると、溶けやすいものは、溶かします。
その溶けやすいものには、石灰岩も含まれます。
大噴火でなくても、ある一定の量は雨に含まれています。

これは、長い時間、地球の表面では行なわれてきた作用ですし、
人類が関与しなくても行なわれてきたことです。
その一端が石灰岩地帯にみられる、カルストであり、鍾乳洞です。
このような作用の結果、陸地に蓄えられた石灰岩が、
そのまま永久に固体として陸地に残るのではなく、
少しずつ大気や海に帰っていくのです。
このような作用は、二酸化炭素の地球表層の大きな循環といえます。

人類が酸性雨のもととなる各種の酸を増やしたので、
一時的に酸化が進んでいます。
でも、これは、地球としてはじめての経験ではなく、
もっとはげしいことをおこっています。
上で述べたような大噴火のときや地球初期もそうだったはずです。

酸化によって固体から出てきた成分は、
イオンとして液の中に溶けようが、気体として大気にでてこようが、
長い目で見れば、大気と海洋(あるいは雨)との平衡関係によって、
ある一定値となるはずです。
そのような平衡になる時間は、
大気や海洋での滞留時間としてある程度わかっています。

この平衡にかかる時間は、人類にとっては長い時間ですが、
地球にとっては、かなり早い時間としてとらえられます。

地球的視点で捉えれば酸性雨はたいしたことはなく、
よくある出来事となります。
人類の視点で捉えれば、人類にとっての地球環境問題となります。
人類的視点で考えるときも、
地球や他の生物をどの程度配慮するかは明確にすべきでしょう。
いままでの議論は、このような立場や視点を曖昧にされている場合が
多いような気がします。

2003年6月12日木曜日

5_21 地球はどれほど大きいか

 地球は大きいです。しかし、その大きさを、人はどのようにして知ったのでしょう。どのようにして、正確に測定したのでしょうか。最初に地球の大きさを測ったのは、いつごろのことで、だれだったのでしょうか。地球がどれほど大きいかを考えていきましょう。

 人間の大きさと比べて、地球は非常に大きいことは、だれでも知っています。では、自分の身長や、1mを単位としたとき、どれほど大きいか見当がつきますか。この答えを求めることは、地球の大きさを測ることになります。自分がその中にいて見当もつかないほど大きいものの大きさは、どのようにしてはかるのでしょうか。
 今の時代なら、宇宙から、地球を眺めれば、その大きさを正確にはかることができます。でも、宇宙からはからなくても、ちょっとしたアイディアがあれば、地球の大きさを求めることができます。そんな先人のすばらしいアイディアを紹介しましょう。
 最初に地球の大きさをはかったのは、古代ギリシアのエラトステネス(BC276年ころ~BC196年ころ)でした。紀元前250年ころ、エラトステネスは、次のような方法で、地球の大きさをはかりました。
 エラトステネスは、アレキサンドリアとシエネ(現在のアスワン)では、夏至の日に深い井戸のさし込む日差しの違いに気づきました。夏至の日に、シエネでは、深い井戸の底にも日がさし込んでいました。つまり、太陽は、シエネでは真上にあったわけです。ところが、アレクサンドリアでは、深い井戸に影ができていました。その角度は、円周の50分の1(7.2度)ほどでした。シエネは、アレキサンドリアから真南に、当時の単位で5,000スタジア離れたところありました。
 このような情報から、地球の円周は、5,000スタジア×50で25万スタジアになります。ですから、当時の数学の知識から、円周率の2倍で割れば、半径は求めることができます。地球の半径は、約4万スタジアとなりました。
 当時の長さの単位である1スタジアは、158mといわれています。ですから、今日の単位にすると、地球の半径は6290kmとなります。現在では、半径は6371km(平均半径、極半径は6357km)ですから、その誤差は1.3%(極半径では1.1%)というものでした。
 5,000スタジアは79kmです。その距離を正確ではかるのは容易ではありません。アレキサンドリアとシエネの距離はどのようにして求めたかは定かではありませんが、砂漠の商隊などで、よく訓練された人やラクダの歩くスピードなどを使ってはかったのではないかと考えられています。
 現在でも、地表での測定は、エラトステネスと測定方法をより精度をあげておこなっているにすぎません。その方法は、さえぎるもののない大平原で、できるだけ広く距離をとって、その距離を三角測量し、その実測距離と経度差(円周の何分の一にあたるか)で調べます。
 もちろん、地球は完全な球ではありませんので、場所によって大きさが違います。例えば、子午線1度(地球の北極から南極まで、180度としたときの緯度分)の長さは、赤道では110.57kmですが、経度30度(赤道から角度で30度分)のところでは110.85km、経度60度では111.41kmとなり、1%近い誤差があることになります。
 エラトステネスの測定精度には、現代の精度に匹敵するほどのものです。たとえその誤差とが大きかったとしても、エラトステネスのアイディアに驚かされます。たまたま深い池でそのような現象に気づいたことが発端でしょうが、それを地球の円周や半径を求めるに利用しようという発想がすばらしいものです。そのアイディアは現代までに活きていたのです。この発想こそが、智恵というものです。こんな智恵を生むことができる人間がなりたいものです。私では、もう手遅れでしょうか。

・すばらしい発想・
すばらしい発想、智恵は、
たとえその結果が、後に大きな誤差を含んでいたとしても、
人類の知的遺産として、価値あるものです。
そして、そんな智恵を誤差が大きいからといって
葬り去らないように注意すべきでしょう。
そのような発想を次に得ることができるには
長い時間がかかるかもしれません。
そんな人たちの智恵は、人類の宝です。
いくら賞賛してもやまないもののはずです。
そして、そんな智恵を人類の知的遺産に
付け加えた人を賞賛すべきでしょう。
賞や賞金を与えるなどというささやか報奨ではなく、
人々の記憶にとどめ、
歴史に残すことこそ、本当の報奨ではないでしょうか。

・疑問シリーズ・
素朴な疑問シリーズです。
今回は地球の大きさでした。
現代では、地球の大きさは
人工衛星の運動を精密に測定することにで、
より正確に地球の大きさをはかることができます。
そして正確になればなるほど、
地球のいびつさが見えてきます。
地球は赤道で切ったとすると、楕円となります。
また子午線で切っても
楕円で、北極で出っ張り、南極でへっこんだ
いびつなかたちをしています。
精しく見れば見るほど、アラが見えてくるようです。
まるで、美人を見たときのようです。
おっと、これは、セクハラになる発言でしょうか。

・引越し・
私事になりますが、
6月7日に新居に引っ越しました。
荷物が片付かず、落ち着きません。
思い起こすと私は、これで、14回目の引越しです。
転勤族ではないのですが、やむにやまれずに引っ越しました。
私は、余り気にならないのですが、
子供に精神的負担をかけているので、それがつらいのです。
今回の移動も子供に負担をかけないように選びました。
同じ市内での移動です。
いままでの借家住まいから、
自宅への引越しです。
ここが終(つい)の住まいとするつもりで、
新築しました。
もちろんローンです。
健康と将来のことを考え、分不相応の家となりました。
幸い、築8年モデルハウスが売りに出ていたので
安く購入できました。
北海道の木だけでつくられた家です。
そして北海道の産の桂の木を使った家です。
できて年数がたっているせいで、
桂の木が飴色のようないい色合いになっています。
まあ、これ以上言うの自画自賛になりそうです。

2003年6月5日木曜日

6_28 奇岩に秘められた大気の謎

 鉄鉱石の起源(2003年4月号)と酸素の由来(2003年5月号)について紹介してきました。今回は、それらと密接な関係がある二酸化炭素の話をしましょう。中国の雄大な景観に、その謎をとく鍵がありました。

 悠久の中国というと、どのような景色を想像するでしょうか。それは、山水画の世界のようなものでしょうか。それは、奇岩の岩山が立ち並ぶ間を大河が流れ、朝霧に川面には、漁をする小舟が浮かんでいるでしょうか。そんな景色は、山水画の世界だけでなく、石林や桂林に行けば、現実のものとしてみることができます。中国でなくても、似たような景色は、規模は違いますが、地球のいたるところで見ることができます。
 石林や桂林の奇岩をつくっている岩石は石灰岩です。石灰岩は、それほど珍しい岩石ではありません。石灰岩は、日本の都道府県には、どこにでもあるといわれるくらい、ありふれた岩石です。また、石材としてもよく利用されています。石灰岩がたくさんある地域は、石灰岩がつくりだす固有の景観をつくります。石灰岩台地や鍾乳洞などがそうです。その不思議な地形は、観光名所になります。
 石林や桂林の景観は、どのようにしてできてきたのでしょうか。もちろん、長い年月をかけてできたはずです。
 現在の奇岩の景観そのものも、人類にとっては気の遠くなる時間ですが、地球の時間からすると、石灰岩の地域が奇岩となるまでの時間、あるいは奇岩としていられる時間は、それほど長い時間ではありません。それよりもっと長い時間が、その背景には流れているのです。
 その時間とは、現在の奇岩が、今のような姿になった時間ではなく、奇岩の元となる岩石ができて、今の位置に来るまでの時間のことを意味します。つまり、石灰岩が海ででき、そしてプレートテクトニクスという地球の営みによって陸地に持ち上げられ、そしていろいろな変動を潜り抜けて、何億年という年月の後に、今の地に、石灰岩はたどり着いたのです。その後に、雨や河川によって削られたのが、いまの石林であり、桂林であるのです。
 つぎに、石灰岩のでき方をみていきましょう。石灰岩は、いろいろな時代のものがあります。古生代以降の石灰岩には、化石が見つかることがあります。古生代以降の石灰岩は、生物の遺骸、それも、さんご礁など礁をつくる生き物の遺骸、あるいはそれらの破片が集まったものからできたと考えられています。もともと化石がいっぱいあった岩石でも、長い年月といろいろな変動を経ることで、化石の痕跡が消えてしまっていることもよくあります。
 石灰岩は、ほとんどが方解石という鉱物からできています。方解石は、炭酸カルシウム(化学式はCaCO3)という成分からできています。生物は、硬い炭酸カルシウムを殻や骨(サンゴの場合は外骨格)として利用しました。その材料は、海水中に溶けている炭酸イオンとカルシウムイオンを利用したのです。
 海の中のカルシウムは、陸地の岩石を溶かした川の水から途切れることなく供給されます。炭酸イオンは、大気中の二酸化炭素が海水に溶けこむことから供給されます。
 大気から海水への二酸化炭素のやり取りされ、そして生物の殻や骨になることを考えると、気体の二酸化炭素が固体なると、非常に容積は小さくなります。理科の実験で、石灰岩に塩酸をかけると、大量の二酸化炭素を発生するという実験を思い出してください。この実験では、二酸化炭素を固体から気体にしたとき、どれほど大きくなるかを知ることができます。
 陸地にたくさんの石灰岩があるということは、生物の体の一部として固定された二酸化炭素が、石灰岩として陸地にたくさん貯蔵されていることになります。それも非常にコンパクトにです。陸地の石灰岩をすべて気体に戻すと50~100気圧分にもなると見積もられています。つまり、もともと大量にあった大気中の二酸化炭素は、生物によって、固体にされ、陸地に保存されたのです。そのため、大気中の二酸化炭素は、今のように少ない量となったのです。もし、そのような作用がなければ、地球は、温室効果が働き、暑い星となっていたはずです。
 昔の大気には、酸素がなく二酸化炭素が主な成分でした。そんな原始の大気に酸素を加えたのは、前回の話に登場したストロマトライトをつくったような光合成生物です。さらに、原始の大気中にあった大量の二酸化炭素を取り去り、今の大気を二酸化炭素の少ない状態に維持しているのは、これまた生物の活動となります。
 まさに、生物と地球の共生というべき関係によって、それも長い時間の共生関係によって、今の地球環境がつくられ、そして現在も維持されているのです。もちろん、そのとき起こった環境変化によって、今では知りようもないような大絶滅が起こっていたはずです。私たちの祖先は、そんな環境変化を生き抜いてきた勝者なのです。