2011年3月17日木曜日

6_89 我々の存在確率:ケプラー4

(2011.03.17)
 宇宙望遠鏡ケプラーのシリーズを続けてきましたが、途中間があきましたが、今回が最終回となります。ケプラーがもたらした成果は、もしかしたら私たちに宇宙の見方を変革を迫るものかもしれません。

 宇宙望遠鏡ケプラーが、不思議な惑星系を見つけたということを紹介しました。私たちの太陽系が、実は代表的なものではなく、宇宙には多様な惑星系があり、その多様性のひとつに過ぎないという認識がでてきました。他の観測からも、同じような結果を得ています。
 私たちの太陽系が多様な中のひとつに過ぎないとなると、気になってくるのは、地球外の生命の可能性、あるいは地球外の知的生命の存在確率がどうなるかということです。
 地球に似たような惑星の存在確率は、それほど多くないかもしれません。ただし、前回も述べましたが、小さい惑星は発見が難しく、必ずしも正確なデータが取れているわけではないことに注意が必要です。
 また、地球と似たような環境ができるかどうかも、あやくしなってきました。実際には、そこまで観測の分解能は上がっていませんので、次のステップと考えたほうがいいと思います。
 でも、ここで考慮しなければならないことは、私たちは、太陽系はどこにでもある、ありふれた存在であるということを、無意識に前提においているたことを見直す必要があるということです。その背景には、私たちの太陽は、主系列星の恒星で、サイズでもタイプでもありふれた天体であること。また、惑星形成のシナリオによれば惑星系は太陽形成とともに必然的に形成されること。地球の歴史も、初期条件が決定されれば、事象(生命現象も含めて)の多くは物理化学的必然性によって生み出されているらしいこと。これらのことが分かってきたため、そこからた私たちの惑星系も、ありふれたものだと考えてきました。私も、かつては、そう思っていました。
 しかし、今回も含めて異形な惑星系の多数の発見は、それらの「先入観」の思い違いを指摘してるのかもしれません。この思い違いの発覚は、太陽系以外の惑星系の発見に伴って、じわじわと明らかになってきました。ですから、一見、インパクトが少なかったのですが、これは実は、たいへん大きな見方の転換であったかもしれません。
 地球が太陽系の中心でなかったこと(コペルニクス的転回と呼ばれます)、あるいは太陽系が銀河系の中心ではなかったこと、などに匹敵するほどの転回かもしれません。生命や知的生命は、「条件さえ整えば」当たり前ということではないのかもしれません。
 それについては、まだ確証がありませんから、急ぐことはありません。観測を、淡々と進めるしかありません。
 今回のケプラーによって大量の探査データがえられれば、太陽系外惑星のカタログができるはずです。そうなれば、次なる観測目標が設定できます。ケプラーは大量のデータをもたらしますから、それを用いれば統計的な処理ができます。このようなデータは私たち人類、あるいは生命の存在確率を左右する重要なものとなっていくはずです。

・発展より復興を・
地震から10日以上たちました。
原子力発電所の緊急事態も
だいぶ解消されてきました。
これから復興に向けて
日本が一丸となって進まなければなりません。
今まで抑えられてきた不満も
これからは、いろいろ続出することでしょう。
でも、被災された方々を中心に据えて
日本は歩まなかればなりません。
日本はこれからは、発展よりも復興に向かいます。
一刻の早い復興を願います。

・引越し・
私の愛媛県滞在もあと1週間となりました。
明日、支所の荷物の搬出があります。
当初の予定では4月1日に大学の研究室に
荷物を入れる予定で25日の搬出が設定されました。
しかし、いつ届くかはわかりません。
自宅は30日に搬出です。
とりあえずは、31日に
身一つで札幌に向かいます。
大学の授業に必要なもので
手で持てるだけを持って行きます。
こんな苦労はささやかものです。