2010年10月21日木曜日

4_95 宇和盆地:西予10月

 宇和盆地は、空の開けた明るいところにあります。ひと山越えれば、海が望めるようところに宇和盆地は位置します。しかし、宇和盆地は、山間の野村を流れた肱川の最上流部で、源流もあります。

 いよいよ秋も深まり、四国の高い山々での紅葉の便りが届きはじめました。西予市やその周辺では、稲刈りもほとんど終わり、秋祭りが盛んに行われています。今、秋も盛りとなっています。
 今回は宇和盆地を紹介します。私は西予市の城川町に住んでいます。城川町は市町村合併により、西予市になりました。町の名前は西予市のあとにそのまま残されて、城川なら西予市城川町となりました。
 現在、市の庁舎があるのは、駅前の宇和町です。宇和町にはJRも通っており、道路の幹線というべき国道56号線も通っています。高速道路も宇和を通っています。
 城川から宇和にいくには、隣町の野村町(西予市になっています)の県道を経由していくことになります。バズの便がよくないので、車を使うことになります。城川から野村に向かうときは、肱川の支流を遡り、峠越えをして、肱川の本流のある野村に出ます。
 城川も野村も肱川上流域の山間の町であるという趣がします。一方、宇和町は明るく、盆地を取り囲む山並みも城川や野村のものとは違って、たおやかに感じます。宇和町は、南や西にひと尾根越えれば、海がみえる盆地になっています。海に近い町という印象があります。宇和に向かうということは、海に近づくということでもあります。
 ところが宇和盆地は、肱川最上流になっています。盆地の一番低いところでも、標高200m以上あります。ですから、宇和から海に出る道は、険しい坂道を下り降りることになります。そんな位置に西予市の明浜町や三瓶町があります。
 これは、肱川が非常に不思議な流れ方をしているためです。特に明浜側の急な崖のような斜面になっています。このような地勢をもっているのは、この地域の地質によるものものです。宇和が盆地であるのは、周りに山が形成されるためにです。南の明浜側の急な崖は、仏像構造線という大きな断層によって南側が落ち、北側が持ち上げられているためです。また、宇和町の付近は、秩父帯の砂岩を中心とした地層に層状チャートと呼ばれる硬い岩石をはさんでいます。秩父帯がこのあたりの地質を構成しています。いずれの中生代に形成された古い岩石です。
 秩父帯は、岩質の違いから大きく2つに分けられています。新しい時代の秩父帯は宇和に、古い時代のものは城川・野村のあたりに分布しています。古い秩父帯には、城川に主に分布している黒瀬川帯と呼ばれる、もっと古い火成岩や変成岩も含まれいます。そして四国カルストに続く、石灰岩地帯もあります。ですから、より古く硬い岩石が城川・野村にはあることになります。そんなこともあって、城川・野村地域は険しい山となっているのでしょう。
 宇和は、地形的に持ち上げられていることと、古くて硬い岩石ですが、城川・野村とくわべれは軟らかい岩石であるため、高い標高をもっていますが、開けた盆地となっていると考えられます。
 野村から宇和に向かう道筋は、肱川の上流へと向かいます。海に近い盆地でありなら、冬には雪も降るそうです。上流に向かっているのは確かなのですが、野村から宇和に入ると、山が開けて、明るく感じる平野部の宇和盆地へと入ります。その広さと明るさに、肱川の上流域であるとはこをと忘れ去ります。この錯覚は、何度も宇和に出かけても、ぬぐうことができません。まだまだ住んでいる時間が短いよそ者だからでしょうかね。

・順番の変更・
予定より1週、早いですが、
西予のシリーズをお送りします。
毎回、月の終わりに
お送りするつもりでいたのですが、
次に予定しているエッセイが
何回か続きそうなので
途切れるのはよくないと思い、
順番を入れ替えました。
ご了承ください。

・調査中・
いよいよ秋が深まってきました。
このエッセイが届く頃、
私は、山ではなく、高知の海岸沿いに調査をしています。
18日(月)から21日までの4日間の短めの調査です。
21日は、調査の最終日ですので、
帰途に向かっています。
秋は天気が変わりやすいので、心配ですが、
台風はそれていきそうなので、
とりあえずは一安心です。