2008年10月9日木曜日

4_82 庄川:能登と飛騨の旅4

 庄川は、日本海に注ぐ一級河川です。富山県を流れ、岐阜県の飛騨高地にその源流があります。飛騨への旅で庄川を遡りました。

 今回の能登と飛騨の旅では、庄川(しょうがわ)を遡ることが目的のひとつでした。幸い快晴に恵まれて、川沿いを落ち着いて走破することができました。
 実は、私が訪れる数日前までは、国道が通行止めが、自動車専用道路しか通れませんでした。8月の大雨によって土砂崩れが起きて、通行止めとなっていました。幸いにも、道路は復旧して通行できるようになった直後でした。
 庄川と名づけられている河川は、岐阜県高山市南西部(旧荘川村)の山中峠(標高1375m)の湿原が水源となります。しかし、水量の多い流れ(幹川と呼ばれます)は、高山市荘川町で合流してくる一色川で、その源流は飛騨高地の烏帽子岳(標高1625m)となります。
 庄川の源流部は日本でも有数の山岳地帯です。水源の標高が1625mもあるのに、河川の長さは115kmしかありません。標高に比べ流路が短いため、急流となっています。また、流域は日本海に面し、背後に高い山があるため、雨や雪が多く、上流域は日本でも有数の豪雪地帯となっています。そのため水量が多く、流路の多くは山間部であり、電源開発用のダムに適した地形もあるため、いくつものダムがつくられています。
 流域は、飛騨高地の急峻な地形なのですが、庄川の本流や支川沿いには小規模な河岸段丘が発達しています。この段丘を利用して農耕を営む集落があります。白川郷(しらかわごう)や五箇山(ごかやま)などの集落のそうです。豪雪に備え、茅葺の合掌造り家屋がつくられ、今も維持されています。それが世界遺産に登録されています。
 飛騨高地には、パレオジン(かつては古第三紀と呼ばれていた)の流紋岩やネオジン(新第三紀)の安山岩が主として分布しています。下流域は、扇状地として、庄川が運んだ第四紀の堆積物が広がっています。このような地質をみると、日本列島ではよくあるタイプのものです。しかし、それらの石の下には、日本でも最も古い地層や岩石があります。このような地下に広く広がっている古い岩石を基盤岩と呼びます。
 日本の最古の基盤岩ともいうべきものは、飛騨帯とその南側を取り巻くように飛騨外縁帯となります。両者は、形成時代、変成時代、構成岩石、分布などによって区分されています。飛騨帯は剣岳(つるぎだけ)などでみられるような花コウ岩類から、飛騨外縁帯は朝日岳、白馬岳、槍ヶ岳南方などでみられる飛騨変成岩類からできてます。
 そのような古い岩石が実際に地表に顔を出しているのは、限られて地域で、ほんの少しです。しかし、飛騨高地周辺だけでなく、能登半島や山陰、隠岐などで見つかることから、西日本の日本海側の地下に広がっていると考えられています。
 五箇山の合掌造りの民宿に一泊して、そのような古い岩石や、日本列島の生い立ちに思いをはせる旅となりました。

・五箇山・
今回の旅で庄川を遡ると決めたとき、
合掌つくりの家を見たいと思っていました。
幸いなことに、五箇山で民宿が見つかり、宿泊しました。
五箇山は観光と住民の生活が混在しているところでした。
農家の人が、実際に耕作をし、農業に従事して暮らしています。
宿泊施設は、民宿だけです。
数件のみやげ物やと食べ物屋があるだけです。
それに比べて、白川郷は観光化されていました。
実際に農業して暮らしている人もいるのですが、
多くの観光客が訪れ、それに対応するようにメインストリーは
みやげ物や飲食店がずらりと並んでいました。
五箇山のように、現実の生活がまずあり、
それにプラスして副次的に観光業があるタイプ。
白川郷ように、もともとは農業のような生活基盤があったのですが、
今では観光が基盤産業となっているタイプ。
どちらも、日本の観光地でよく見られるタイプです。
私は、不便ですが、前者が好きです。
なぜなら、五箇山では、自分が観光客でありながら、
夕方や早朝に歩くと、生の農村がみられ、
自分の子供のころを思い出しました。
農家の一員のような視点で村を見渡す自分に気づきました。

・大学祭・
わが大学の大学祭が、今週末の連休を利用して行われます。
一日家族で訪れる予定です。
例年、大学祭の日が重なるのですが、
今年は、秋に学園祭の時期がずれています。
先週は別の大学祭に行きました。
近所に4つの大学があるのですが、
そのうち3つによく出かけます。
ひとつは、8月の夏休みにオープンキャンパスをかねて行われます。
今度の連休の天気よければいいのですが。