2023年8月24日木曜日

5_203 タンデムモデル 3:多体問題

 太陽系形成を方程式から考えていく方法は、答えが出ない問題でした。しかし、計算方法を工夫して、コンピュータを駆使して、なんとかシミュレーションをすることができます。そして太陽系の形成過程がわかってきました。


 古典的な太陽系形成の標準モデルは「京都モデル」と呼ばれ、今日では「微惑星集積説」へと発展してきました。当初は、物理学的な方程式から、どのような状態、変化していくを考えていました。しかし、コンピュータの発達によって、方程式をシミュレーションしていく方法が導入されてきました。
 なぜ、コンピュータの導入が必要になったかというと、この方程式には解がないことがわかっているからです。宇宙空間にある粒子の挙動に関する方程式で、そこには重力の方程式が用いられてます。
 この問題は、質点が2個の場合は、ニュートンの方程式で解くことができます。しかし、質点の数が3個以上になると、多体問題と呼ばれ、一般解がないことがわかっています。これは、ポアンカレによって証明されました。
 物理的には厳密に解けない問題であることが明らかになっています。多体問題を解くには、現象を単純化して近似として解いたり、特別な条件や制約のもとで解いたりしていくしかありません。それぞれの方法を改善して、精度をいかに上げていくかということになります。
 ところが、コンピュータの発達によって、数値計算によるシミュレーションができるようになってきました。短い時間に区分した二体問題にして、それを解いた結果を反映した質点と別の質点で計算していきます。これをつぎつぎ繰り返しながら、質点全体を計算して、別の時間区分へと進んでいきます。
 精度を上げるためには、質点の数を増やしたり、時間の刻みを小さくしていくことになっていきます。精度を上げていこうとすると、計算ステップが爆発的に増えていきます。コンピュータの性能がシミュレーションの精度を決めていくことになります。コンピュータが高速になれば、質点を増やしたり、規模を拡大したり、2次元を3次元(平面を球体)にしたり、時間を長くしたりして、精度を上げることができます。
 太陽系形成の微惑星集積説ですが、シミュレーションを用いた方法は重要なアプローチになりますが、すべての過程をシミュレーションすることはまだ不可能です。いろいろな条件や状態や場面を設定してシミュレーションが進められています。その条件や状態を考えることで、まだまだ新しい仮説がでてくる余地があります。
 そんな条件の中から、タンデムモデルが出てきました。

・野外調査・
このエッセイは、現在野外調査中なので、
予約配信しています。
今回の調査は、高知と愛媛の県境付近と
愛媛の県立科学博物館と鉱山跡の見学も考えていきます。
移動距離は比較的短いのですが、
山道が多いので、疲れそうです。
このエッセイが跛行される日に
戻ってきます。
1月半ぶりの野外調査となります。

・お盆が終わる・
お盆も過ぎたので、
交通量や人でも少し減ったようです。
天気のほうが今ひとつです。
台風7号が通過して以降、
晴れても、毎日にように夕立があり
湿度も高い状態です。
まるで梅雨が戻ってきたようです。
しかし、お盆も過ぎたので、
暑さもピークが過ぎたようです。
夜も涼しくなり、寝やすくなりました。

2023年8月17日木曜日

5_202 タンデムモデル 2:シミュレーション

 太陽系形成のモデルは、古くはアイディアが先行していました。その後は、物理学の法則で考えられてきました。近年では、より精密な各種の方程式を導入して、コンピュータを駆使したシミュレーションになってきました。


 太陽系形成の二つ目の説である潮汐説をみていきましょう。
 太陽の近くを他の天体が通り、その時の潮汐力で太陽の物質が飛びだし、それが惑星になったという説で、古い時代からあったありましたが、現実的でないので消えていました。ところが、1901年にチェンバレンや1905年にモールトンが再度唱えました。太陽の近くを別の恒星が通り過ぎたときに、2つの星で潮汐作用が働き、恒星のガスが飛び出し、放出されたガスが冷却して惑星になったという「近接遭遇説」です。
 1919年にはジーンズは、近接遭遇説で、ガスがそのまま惑星となったと考えました。1935年にはラッセルや1936年のリットルトンは、太陽がもともとは連星で、別の星である伴星との接近で、潮汐作用が働いてガスが放出されたと考えました。
 潮汐説が唱えられていたのは、19世紀後半に、星雲説の問題点、例えば角運動量など観測と合わない事実がわかってきたためです。遭遇説では、そのような観測事実に合わない星雲説の課題を説明することができました。しかし、遭遇説にも問題があり、そもそも別の恒星との遭遇が非常に稀れな現象であること、それに飛び出したガスも散逸するので固まる可能性がないことがわかってきました。
 いずれの説も問題がありましたが、20世紀後半になると、星雲説をより緻密にした「微惑星集積説」に修正されてきました。この説は、1969年にサフロノフ、1972年に林忠四郎らが唱えたものです。
 恒星の周りにガスとダスト(小さな固体粒子)からできた円盤(原始惑星系円盤)が形成されます。ダストが集まり成長していくと微惑星ができて、微惑星が集積して原始惑星ができるというものです。大きく成長した固体惑星には、ガスも集まりガス惑星ができます。
 このような「微惑星集積説」は、それぞれの場や過程に働く原理をもとに、惑星の成長を方程式を考えて計算していきました。また、もともとの太陽組成、ダストの面積当たりの密度分布、雪線(スノーライン、H2Oが固体になる条件)、天体のサイズや質量などの初期条件を定め、厳密に検討を進めていきました。これらの研究は、林らの京大の研究グループが精力的に研究したため、「京都モデル」と呼ばれるようになりました。
 物理学的な方程式を導入して、現在の状態がどのようにできてきたかのを説明していく方法は、シミュレーションの一種と考えられます。現在では高速のコンピュータを用いて、緻密に進められています。

・停電・
先週は、非常にゆっくりとした台風6号の影響で
時々激しい雨や風になりました。
しかし、台風が直撃したのではなかったので
涼しくていいくらいに思ってました。
ところが、我が地区だけが停電しました。
調べたら、1200戸ほどが停電したようです。
朝の9時45分頃に起こった停電でしたが
11時40分には復旧しました。
多分、電力会社の人が、現地入して
原因究明をしてすぐに修復したのでしょう。
2時間弱ほどで復旧したので助かりました。
その間、読まなければならない
文献を読んでいたので、
停電の時間は無駄にはなりませんでした。

・ファイルの復旧・
突然の停電だったので、アセリました。
作業中にパソコンが、突然切れました。
まめにWordのファイルは保存していたのですが
イラストレータのファイルは何度か修正していたのですが
最終版は保存していませんでした。
修正中の途中のファイルは
保存した記憶があります。
それより、パソコンが壊れていなか心配でした。
電気が復旧後、また停電すると困るので
15分ほど待ってからパソコンを立ち上げたら、
また、数分で停電しました。
その後は、パソコンを立ち上げても作業はせず
昼食を食べてから、作業をはじめました。
イラストレータのファイルも途中段階のものが
「復元」用ファイルとして
アプリが保存していくれました。
優秀です。それで被害なくてすみました。

2023年8月10日木曜日

5_201 タンデムモデル 1:空想から科学へ

 太陽系形成について、考えていきます。今ではコンピュータを用いたシミュレーションが研究の主流となっています。そこに至るには、太陽系形成の考え方には、先駆者がいました。


 私たちの太陽系がどのように形成されたのかについて、古くから考えられてきました。大きく星雲説と潮汐説の2つの流れありました。
 星雲説は、デカルトからはじまります。1677年、デカルトは星雲説から渦流によって惑星が形成されたという説です。カント(1755)に高温の回転している星雲が冷却しながら収縮して惑星ができる説です。ラプラス(1796)はカントの星雲説を力学的に修正した説、などがあります。
 かつて、宇宙は現在のように真空ではなく、架空の「エーテル」で埋め尽くされているとされていました。エーテルが、天体の運動を駆動していると考えられていました。
 デカルトも、エーテルを利用しました。エーテルが渦を巻いていて、太陽系星雲の物質が渦の中心に集まっていき、それらが太陽や惑星となり、円運動をするようになったと考えました。
 カントの星雲説は、ゆるやかに回転していた高温の星雲が、重力により収縮をしていき、いくつかの軌道上に環ができ、やがて環の中で球状の天体ができるとした。
 デカルトやカントの星雲説は概念的、定性的でしたが、ラプラスの説は、力学的で精密でした。力学では3体以上の多体問題は、一般的な解法はないことがわかっているのですが、ラプラスは、摂動法と呼ばれる近似計算で太陽系の惑星の運動を計算し、天体の運動は安定していることを示しました。このような物理学的手法を、太陽系形成にも導入して説明していきました。
 最初、高温の太陽系星雲が回転していました。冷却にともなってガスが収縮していくと、角速度が増えていき、赤道付近に物質が集まり、遠心力で周囲のガスから分離していきます。温度低下にともなって、その収縮と分離が進行していきます。中心部に原始太陽が生まれ、赤道面にガスからなる環ができていきます。収縮が進むと、やがて原始太陽は太陽に、環の中では惑星が成長していきます。土星の環はその名残だとしました。
 このような星雲説の他に、潮汐説もありました。次回としましょう。

・帰省・
今年のお盆は、本来なら実家の京都に
帰りたかったのですが、
お盆の京都への移動は、
混在もさることながら、
泊まるところが異常に高くなっているので
帰省を諦めました。
長男の来年度から就職するので
家族が集まれるのは、
この機会が最後になるかと思い
サバティカルが終わる直前の
9月に京都に帰省することにしました。
ところが、ちょうどその日、次男は就活で
不在になるかもとのことです。
なかなか家族全員集まるのが
難しくなってきました。

・暑い夏・
8月になって、北海道でも真夏日など
全国的な酷暑のニュースを毎日にように聞きます。
家内は、自宅でできるだけエアコンを
使わないようにしているようです。
あまり無理しないでつけるようにいっているのですが、
昼食のときはつけているとのことです。
夕方になると、かなりへばっています。
私が自宅に帰ると、
居間と台所のエアコンをつけます。
台所は家内しか使わないのですが、
つけています。
梅雨が終わって蒸し暑さがましになったので
扇風機が有効になります。
寝ているときは、扇風機が不可欠です。
しかし、エアコンも必要です。

2023年8月3日木曜日

4_178 西予紀行 5:宇和盆地

 西予市の市庁舎は宇和にあります。宇和が自動車道やJRなどの交通が通っており交通の要衝でもあります。宇和は、少々不思議な地形になっています。宇和の特徴を見ていきましょう。


 宇和は盆地にできた町です。盆地なのですが、肱川の最上流に当たります。肱川の源流は鳥坂峠(標高460m)で、盆地の北側の山地にあります。盆地の標高も200mという、高い位置に広がっています。
 宇和盆地からは、北南に幹線道路や鉄道が繋がっています。南は、国道56号線も自動車道、JR線も宇和島に向かいますが、険しい山を越えていきます。北には、北東にある大洲か北西にある八幡浜に抜けることになり、こちらも険しい山地を乗り越えていくことになります。
 盆地の西は宇和海に近いのです山があります。肱川は、海とは逆方向の東に向かって流れていきます。肱川は一級河川で、本流は103kmの長さがあります。「つ」の字、肘のように曲がっているため、源流から河口まで18kmしかありません。四国山地に源流をもった多数の支流が流入しています。
 肱川の宇和盆地から下流側には、険しい山地が続きますが、侵食が進んでおり、深いV字谷になっています。しかし、侵食が進んでいるため、河川の傾斜はゆるくなっており、ゆるい流れとなっています。昔は海運に利用されていました。
 なぜ、山地の中に宇和盆地ができたのでしょうか。盆地とは、周囲が山に囲まれていることです。山のでき方はいろいろですが、宇和周辺の山は、地質学的な構造運動によってできています。
 宇和盆地は秩父帯と呼ばれる地質になっており、ジュラ紀の沈み込み帯で形成された堆積物(付加体)からできています。盆地の南側は、急な斜面となっています。南斜面は仏像構造線と呼ばれるもので、四万十帯(白亜紀の付加体)と接しています。北側も山地で、御荷鉾構造線と呼ばれるものがあります。秩父帯が三波川変成帯(白亜紀に変成を受けたジュラ紀の付加体)と断層によって接しています。
 両側の境界が構造線により持ち上げられたので、山地となりました。楮線の間には広い谷ができたのですが、下流域にはV字谷で河川は狭くなっています。そのため、侵食によって運ばれてきた土砂が、宇和の谷に堆積していき、埋め立て盆地平野となりました。
 上流部に盆地があり、支流も多いため、雨が大量に一気に降ると、下流の大洲盆地では、たびたび水害に見舞われてきました。今では、野村ダムや狩野川(かのがわ)ダム、支流の河辺川にも山鳥坂(やまとさか)ダムなどが建築され、洪水対策がなされています。しかし、近年の激しい集中豪雨で想定外の災害も発生しています。
 宇和盆地では、稲作が盛んで、稲わらを使ったモニュメントがあちこちつくられています。マンモスやウサギなどみかけました。地域お越しの一貫でもあるでしょうが和みます。

・エアコン・
四国もやっと梅雨明けは終わりましたが、
湿度が高く、暑い日が続きます。
エアコンのつけて寝る日も多くなりました。
先日、大野ヶ原の馴染みに店で話していると
エアコンはないといいます。
窓を開けるとなんとかなるということです。
大野ヶ原の平均気温は
北海道の札幌や帯広と同じくらいです。
そのため、北海道のような気候が
すぐ近くにありました。

・うろうろと・
8月になりました。
下旬からはまた野外調査が再開します。
それまでに論文を仕上げて
投稿しなければなりません。
落ち着いて研究に向かう時期になっています。
しかし、地元をうろうろすることも楽しいので
集中が途切れがちになってしまいます。
注意して、集中していく必要があります。

2023年7月20日木曜日

6_204 知的生命体の起源 2:コペルニクスの原理

 地球外の知的生命は、科学技術をもっているはずです。科学技術誕生には、どのような惑星の条件が必要でしょうか。その条件とは、生命誕生の条件と一致するのでしょうか。コペルニクスの原理から考えていきます。


 ハビタブルゾーンが設定されるのは、背景に地球生物が誕生の必要条件として水の存在があるからです。地球や地球生物が、宇宙で特別な存在ではなく、平均的、一般的、平凡(凡庸)な存在と考えています。ハビタブルゾーンの概念には、地球や生物で考えられる条件が一般論として適用できる、と考えて構築されています。このような考え方は、「コペルニクスの原理」あるいは「メディオクリティの原理」と呼ばれています。
 ハビタブルゾーンには生命誕生には水の存在が不可欠であるという考えは、「コペルニクスの原理」に基づいて設定されています。水の状態は、惑星表層が水で覆われた水惑星だけでなく、天体内であっても、必要な条件がそろっていれば、生命が誕生できる可能性があると考えられています。
 例えば、氷の地殻の下に存在する地下の海(内部海)でも、素材とエネルギーなどがそろっていれば、生命が誕生できるかもしれません。このような天体は、太陽系にも候補(木星の衛星エウロパや土星の衛星エンケラドゥスなど)があり、生命の発見が期待されています。
 一方、技術痕跡(technosignature)の担い手である技術的知性(Technological Intelligence、TI)は、陸上で進化したと考えられます。なぜなら、科学技術は、電気や電波を用いたものなので、陸上でないと使えません。科学技術に至るためには、水蒸気やガソリンのエンジンなどの動力を使用した工業が発展していたはずです。工業に至るためには、農業や酪農などをする産業が必要で、火の使用する文明がなくてはなりません。知性をもつに至る生物へは、陸上で進化していったことを前提としています。これも技術的知性に至るための「コペルニクスの原理」の適用です。
 生命誕生には海の存在が、技術的知性には陸の存在が不可欠となります。海で誕生した生命が、段階的に進化をして、やがて陸上に進出していく必要があります。その間、惑星の環境が維持されなければなりません。つまり、技術的知性には、海と陸の恒常的存在が不可欠となります。
 生命誕生においてハビタブルゾーンは必要でしょうが、「コペルニクスの原理」によれば、技術的知性の探査には海と陸の存在が不可欠になります。惑星表層で占める海と陸の比率が問題となります。海と陸の存在を探査で知ることはできません。その可能性を、統計を用いて探求するアイディアがあります。次回としましょう。

・暑い夜・
現在は、論文作成に専念しています。
連日、蒸し暑い日が続いていますが、
借りている部屋では
入ったときから、
襖や障子をはずしていました。
風通しはいいのですが、
それもでエアコンを必要な時にはつけています。
しかし、寝るときは、扇風機で過ごしています。
寝苦しい日もありますが、
あと少しこの状態を続けてみようと思っています。

・近隣の散策・
北海道では、夏は野外調査の最盛期なのですが、
四国では、夏は野外調査には向かない時期です。
四国での7月上旬の調査は、
蒸し暑くでヘトヘトに疲れました。
幸い、もともと8月下旬まで、
調査は休止の予定にしていました。
その間は山里で、じっと過ごす予定です。
ただし、週日のうち、2日間、昼食を外食しながら
半日ほど出かけるようにしていきます。
これは来たときから続けています。
家内があまり地元を知らないので
我が家の休日として
近隣をあちこち回るようにしています。
次はどこにいこうか、と考えるのを
楽しみにしています。

2023年7月13日木曜日

6_203 知的生命体の起源 1:条件と仮定

 系外惑星の探査は、現在も盛んに進められています。多くの系外惑星が発見され、多様な惑星の存在がわかってきました。探査では、水、生命、知性などがキーワードですが、それらには仮定と条件が絡み合っています。


 高性能の宇宙望遠鏡による探査によって、大量の太陽系外の惑星が発見され、その多様な姿が明らかになってきました。それまで、太陽系内の天体が、惑星の多様性の範囲で、それらがいかに形成されたかを考えることが、惑星形成の重要な目的でした。ところが、多様な系外惑星の発見により、これまでの前提が大きく変更されました。
 数ある系外惑星の中で、地球型惑星の探査、そしてハビタブルゾーンにある惑星が注目されてきました。ハビタブルゾーンとは、惑星表層に液体の水が存在する領域で、恒星のタイプと惑星の公転軌道から推定できます。そこに地球型惑星があれば、海が存在する可能性が高くなります。その軌道上に、惑星が安定して長期間あれば、生命誕生と進化の必要条件がそろうことになります。ただし、その惑星に液体の水があること、生命が誕生していること、生命が進化していることを検証すのは困難です。
 ハビタブルゾーンから生命の進化までの推論は、連続した仮説を積み重ねていく論理構造になっています。
 系外惑星の公転軌道と惑星タイプは、観測で検証されていますが、ハビタブルゾーンの存在は推定になります。ハビタブルゾーンが仮定できる条件があっても、地球型惑星に水が存在するかどうかは検証できません。水が存在する惑星があると仮定でできても、そこに生命が誕生するかどうか、さらに誕生した生命が進化を続けていくかどうかは、仮説の上の仮説の連続となります。
 このように、仮定の上に仮定を積み重ねていくことになります。探査機がその惑星に近づかないと、生命の存在は、なかなか検証できそうもありません。
 ところが、地球外文明を探すことは、比較的容易で検証可能です。ここでいう地球外文明とは、科学技術が発達しており、電波を用いているものです。電波であれば、文明から遠く離れた遠隔地からも受信できます。もし受信できれば、その信号の意味や中身が分からなくても、文明の存在を知ることになります。文明の背景の知的生命は、生命や水の探査を一気に飛び越していますが、生命の存在の十分条件を満たしています。
 このような技術の痕跡は、技術痕跡(technosignature)と呼ばれ、その担い手を技術的知性(Technological Intelligence、TI)、あるいは地球外知性(Extra Terrestrial Intelligence、ETI)と呼びます。
 TIの検出に関してベイズ統計を用いた、不思議な論文が報告されました。次回から紹介していきましょう。

・野外調査・
7月上旬でサバティカルにて予定していた
前半の野外調査を終えました。
前半には、野外調査を6回予定していたのですが
そのうち1回は家内に体調不良が起こり
その看護で中止になりました。
中止した地域は、
後半の調査地の予定を変更することで
対処することにしました。
プライベートでの京都への帰省も
前半に2回、後半に1回予定していたのですが、
前半の1回をキャンセルしました。
何事も予定通りには進みませんが、
可能な限り予定消化を目指して
進めていきたいと考えています。
野外調査に専念できるのは
最後のチャンスと考えています。

・集中すること・
サバティカルも折り返しが過ぎました。
あれもこれもと、欲張りながら
日々を過ごしています。
高齢のため、体力や身体は
無理がきかなくなっていますので
労りながら進めていくしかありません。
心身ともに余裕はもちながら
無駄を省いていくしかありません。
短時間で集中して進めていくことです。

2023年7月6日木曜日

4_177 西予紀行 4:大野ヶ原

 西予紀行は、前回の明浜の石灰岩に続き、今回は大野ヶ原の石灰岩です。西予市の西(明浜)の海岸と東(大野ヶ原)の山にある石灰岩です。離れたところですが、いずれも石灰岩が景観をつくっています。


 5月下旬、どんよりとした日でしたが、大野ヶ原にいきました。日吉から稜線に登る林道(東津野城川林道)を使いました。舗装されたいい林道ですが、以前と比べると少し荒れてきているようです。その後、6月下旬に、友人がジオミュージアムに来たので、皆で一緒に西予市のジオサイトを周るときに、同行しました。その時、同じルートで大野ヶ原に上がりました。下りは別ルートでしたが。巡検では、各地にお住まいのガイドの方に、案内をしていだきました。
 最初に大野ヶ原にいったとき、林道沿いで造材がされており、そのために拓かれた道沿いに露頭ができていました。そこで蛇紋岩の産状がよくみえるところがありました。以前にも尾根沿いに蛇紋岩の露頭があったのですが、風化が進んでいるので、産状が分かりにくいものでした。今回、新しくできた露頭では、広く新鮮な面がでていました。黒瀬川帯の蛇紋岩となるのでしょうか。造材が終われば、この露頭も、風化、侵食が進んでいくのでしょう。
 ガイドの人から、地質だけでなく、この地の起こりや伝説、歴史、そして現在の生活について伺いました。ガイドの方は、植物にも詳しく、石灰岩の中にある断層の両側で、植物種が異なっているとのことです。
 大野ヶ原は、四国山脈の西方延長に当たります。四国山脈には、石灰岩台地が点々と分布しています。石灰岩が広く分布している大野ヶ原のようなところでは、カルスト台地となっています。石灰岩の侵食地形をいろいろ見ることができます。石灰岩は、秩父帯北帯に属するもので、東に向かってその先20kmには、日本で有数の石灰岩採掘地の鳥形山があります。ガイドさんの話では、源氏ヶ駄場からは、天気がよければ、鳥形山も見えるとのことです。しかし、この日は濃い霧に包まれて、眺望はできませんでした。
 大野ヶ原は、稜線沿いの高原に、牧草地が広がっています。斜面の牧草地はには石灰岩が点々とあり、牛とのコントラストが面白いです。山並みの中に平らな地域に集落があります。カルストの中で石灰岩が溶けてできたくぼみで、ドリーネ、ウバーレ、そしてポリエと成長してきてものです。くぼみなので水がたまりやすく、畑作ができます。ポリエに集落と耕作地があります。また、小松ヶ池という地下水がたまっているところがあります。この池はドリーネにできたものです。池の中には、ミズゴケでできた浮島があり、動くこともあるそうです。
 大野ヶ原に「森の魚」という小さな店があり、そこで2度ともソフトクリームをいただきました。初回には土産にミルクパンを2種買って帰りました。店のご夫婦からいろいろ話しを聞かせていただきました。
 ご主人は、大野ヶ原のジオサイトでガイドをしてくださいました。下は蒸し暑かったのですが、上がると半袖では寒いほどでした。ガイドの人も、まだ上では長袖でないとダメだと仰っていました。
 仕事をしている支所の標高は130mで、自宅では200mになっています。大野ヶ原は、標高が1400mもあります。標高100mで気温が0.6℃下がります。下から大野ヶ原まで上がると、7℃ほど下がります。下界が茹だるような暑さでも、大野ヶ原まで上がれば、一気に涼しくなります。
 7月中旬から8月下旬までは、夏の最中なので、野外調査は休みます。その間に、下界が暑いときは、避暑に大野ヶ原に上がっていくつもりです。

・森の魚・
ソフトクリームをいただいた店の名前の「森の魚」は、
そのテーマで彫刻された作品に由来しています。
石でできた魚の彫刻で、力強い作品です。
作者は、藤部吉人(ふじべ よしと)さんで、
三間町に生まれたのですが、
大野が原で製作をされていました。
「森と魚は表裏一体:
森から水が生まれ、そして海に流れ、
生命を育み、大地に恵みを与える」
というテーマで彫刻されています。
独特の個性と力強さをもった作品です。
愛媛の各地で見かけます。

・作品の記録・
作者の藤部吉人についてお店で聞いたら、
だいぶ前に亡くなられたとのことです。
調べたら、2013年12月3日に
67歳で亡くなられていました。
西予や愛媛各地に森の魚の作品はあるので、
目についたら記録に残しておこうと考えています。