大気。それは、地球の周りに、ほんの少しだけ、本当に薄くまとわりつくベールのようなものです。スペースシャトルからの映像を見ると、その儚(はかな)さがよくわかります。そんんな薄い大気ですが、われわれ地球生命にとっては、なくてならないものです。そして、大気は、長い地球の歴史の中で、変化を遂げ、今の姿になったのです。
地球の大気は、空気と呼ばれています。空気は、8割の窒素(N2)と2割の酸素(O2)、そして少量のアルゴン(Ar)と二酸化炭素(CO2)からできています。と、よく言われますが、正確には、いくつかの前提を話すべきです。まず、この比率は、地表付近のものであること、そして大気組成は、体積や重量での比率を区別することが重要です。地球付近の窒素の体積比は78.088%、重量比は75.527%で、酸素の体積比は20.949%、重量比は23.143%で、アルゴンの体積比は0.93%、重量比は1.282%で、二酸化炭素の体積比は0.035%、重量比は0.0456%となります。窒素や酸素は、主成分であることと、分子量に大きな差がありませんので、窒素と酸素が、8割と2割で体積でも重量でも差があまりでません。ですから、あいまいな表現でもよかったのですが、例えば、分子量(正確には原子量)の大きな(83.7)クリプトン(Kr)は、体積比では0.000114%で、重量比では0.000330%となり、値としては3倍あるいは3分の1もの違いが生じます。話が脱線しました。戻しましょう。
さて、なにげなく吸っている空気。これは、いつからあったのでしょうか。地球誕生の時からでしょうか。それとも、あるときにできたのでしょうか。
前回も少し紹介したのですが、実は、地球形成の歴史から考えられる最初の大気は、今とは全く違ったものだと考えられています。地球の素材である隕石から出てくるガスは、水蒸気(H2O)や二酸化炭素(あるいは一酸化炭素)、窒素を主成分とするものです。水蒸気は、原始の地球が冷めてくると、液体の水となり、集まってやがて、海洋になります。ですから、冷めた地球では、二酸化炭素(あるいは一酸化炭素)と窒素が、原始の大気(空気ではありません)の主成分となっていたのです。
今の大気と比べて、原始地球の大気は、酸素がなく、二酸化炭素が多いものだったのです。これは、隣の金星や火星の大気が、二酸化炭素と窒素を主成分とすることも、傍証となります。ということは、何らかの作用で、原始地球の大気に、酸素が加わり、二酸化炭素が抜けていったことになります。駆け足になりますが、45億年のストーリを紹介しましょう。
酸素は、生物がつくったのです。浅い海にすんでいたシアノバクテリアが、その役割を果たしたのではないかと考えられています。シアノバクテリアは、光合成をする生物です。光合成とは、葉緑体という器官で、光のエネルギーを使って、二酸化炭素と水から、炭水化物などの有機物と酸素をつくる作用です。シアノバクテリアが長年にわたって、光合成を続ければ、やがて、大量の酸素が大気中に蓄積されます。
大気中の二酸化炭素は、ある比率で海の中にも溶け込みます。その溶けた二酸化炭素が、光合成には利用されています。そのほかにも、化学的に炭酸カルシュウム(CaCO3)として沈殿したり、生物の殻や骨など(これも多くは炭酸カルシュウム)、あるいは有機物(最終的には炭素)として固体となれば、気体の二酸化炭素よりコンパクトに(小さい体積)になります。減った海水中の二酸化炭素は、大気から即座に補充されます。このような炭素の固化作用を長い期間続ければ、大気中の二酸化炭素を、海をへて、生物と地球自身の作用によって、取り除くことができます。
駆け足でしたが、地球の大気の空気へいたる履歴を見ていきました。生物、海洋、大気の相互作用による酸素の合成と、二酸化炭素の固化は、現在も続いています。でも、人類による急激な、二酸化炭素の大気への添加、熱帯雨林の破壊や海洋汚染による光合成の阻害などが進めば、地球の大気環境は、変化するかもしれません。それは、大気だけにとどまらす、海洋や、やがては生物自身へと、その変化の輪は広がるかもしれません。
2001年11月8日木曜日
3_11 相と層
地球には、いくつかの相(そう)があり、層をなしています。どのような相が、どのような層をなし、どのような秩序がそこにはあるのでしょうか。地球を丸ごと見ていきましょう。
地球は、多様な物質が、多様な相をなして、複雑に絡み合ってできています。ここでいう相とは、個々の物資を意味するものでなく、固体や液体、気体、あるいは生命など、非常の大きな区分で見ていきます。相を構成するものも、静止しているわけではなく、時間と共に、移動したり変化したりしています。ですから、相自体も変化しています。それが、地球を構成する相の真の姿です。
そんな複雑な地球ですが、現状を相という区分けだけでみていくと、実は、案外単純な秩序で、構成されていることが見て取れます。地球における気体の相(気相)は、大気です。液体の相(液相)は海洋、生命の相は生命、固体の相(固相)は地球の固い部分です。このようなものが、層をなして重なっているのです。層の形成における秩序は、軽いものが上、重いものが下、という単純なものです。相を地球規模で語るとき、圏(けん)という呼び方をするときがあります。気相である大気は気圏、生命は生物圏、液相である海洋は水圏、固い岩石でできている固体部分を岩圏といいます。
固体は、岩圏よりさらに深くまでおよんでいて、地殻、マントル、核という層構造があります。その層構造は、重いものは下、軽いものは上という秩序が維持されています。岩圏というと、だいたい固相の上部だけの100キロメートル程度をいいます。岩圏は、固相の地殻とマントルの最上部だけを指しています。
このような層は、地球にもともと形成されていたものではなく、あるとき、ある仕組みで形成されたものです。それは、隕石からわかります。
地球の材料となった隕石(始源(しげん)的隕石といいます)が見つかっています。小さな隕石ですが、その隕石には、岩石の成分の他に、H2OやCO2、N2、C、Fe、FeSなどの成分がかなりたくさん含まれています。岩石は地球のマントルから地殻の主要成分です。H2Oは海洋の主成分で、H2O、CO2やN2は大気の主成分に、CO2、N2やCは生命の主成分に、FeやFeSは核の主成分になっています。つまり、始源的隕石の中に、現在の地球の成分が、すべて含まれていたのです。このような隕石がたくさん集まれば、地球を構成することができます。ただ、今の地球のような層構造をつくるには、別の作用として、相の分離が起こらなければなりません。それは、地球の初期に起こったの出来事です。
地球誕生のストーリの概略は、以下のようです。原始の惑星として、地球が誕生する時は、大量の隕石が集まってできます。隕石の衝突は激しく、衝突する現場では、大量のエネルギーが開放されます。現場は、高温高圧の状態になります。そのとき、隕石に含まれていた気体になりやすい成分(揮発(きはつ)成分と呼びます)は、固相から放出されます。揮発成分が原始の大気という層になります。ぶつかられた原始地球側も高温高圧となって、岩石が溶けます。激しい衝突が続くと、原始地球は解け、マグマの海となります。マグマの海では、鉄(Fe)や硫化鉄(FeS)が、岩石とは分離します。分離したFeやFeSは重たい成分ですので、沈んでいきます。それが、やがて核という層を形成していきます。
地球創世期の激しい相と層の形成の物語は、以上のようなものです。でも、原始の相と層は、現在のものとは違います。相と層が、現在の姿になるまで、ゆっくりとした相と層の変遷の歴史が始まります。それは、次回以降にしましょう。
地球は、多様な物質が、多様な相をなして、複雑に絡み合ってできています。ここでいう相とは、個々の物資を意味するものでなく、固体や液体、気体、あるいは生命など、非常の大きな区分で見ていきます。相を構成するものも、静止しているわけではなく、時間と共に、移動したり変化したりしています。ですから、相自体も変化しています。それが、地球を構成する相の真の姿です。
そんな複雑な地球ですが、現状を相という区分けだけでみていくと、実は、案外単純な秩序で、構成されていることが見て取れます。地球における気体の相(気相)は、大気です。液体の相(液相)は海洋、生命の相は生命、固体の相(固相)は地球の固い部分です。このようなものが、層をなして重なっているのです。層の形成における秩序は、軽いものが上、重いものが下、という単純なものです。相を地球規模で語るとき、圏(けん)という呼び方をするときがあります。気相である大気は気圏、生命は生物圏、液相である海洋は水圏、固い岩石でできている固体部分を岩圏といいます。
固体は、岩圏よりさらに深くまでおよんでいて、地殻、マントル、核という層構造があります。その層構造は、重いものは下、軽いものは上という秩序が維持されています。岩圏というと、だいたい固相の上部だけの100キロメートル程度をいいます。岩圏は、固相の地殻とマントルの最上部だけを指しています。
このような層は、地球にもともと形成されていたものではなく、あるとき、ある仕組みで形成されたものです。それは、隕石からわかります。
地球の材料となった隕石(始源(しげん)的隕石といいます)が見つかっています。小さな隕石ですが、その隕石には、岩石の成分の他に、H2OやCO2、N2、C、Fe、FeSなどの成分がかなりたくさん含まれています。岩石は地球のマントルから地殻の主要成分です。H2Oは海洋の主成分で、H2O、CO2やN2は大気の主成分に、CO2、N2やCは生命の主成分に、FeやFeSは核の主成分になっています。つまり、始源的隕石の中に、現在の地球の成分が、すべて含まれていたのです。このような隕石がたくさん集まれば、地球を構成することができます。ただ、今の地球のような層構造をつくるには、別の作用として、相の分離が起こらなければなりません。それは、地球の初期に起こったの出来事です。
地球誕生のストーリの概略は、以下のようです。原始の惑星として、地球が誕生する時は、大量の隕石が集まってできます。隕石の衝突は激しく、衝突する現場では、大量のエネルギーが開放されます。現場は、高温高圧の状態になります。そのとき、隕石に含まれていた気体になりやすい成分(揮発(きはつ)成分と呼びます)は、固相から放出されます。揮発成分が原始の大気という層になります。ぶつかられた原始地球側も高温高圧となって、岩石が溶けます。激しい衝突が続くと、原始地球は解け、マグマの海となります。マグマの海では、鉄(Fe)や硫化鉄(FeS)が、岩石とは分離します。分離したFeやFeSは重たい成分ですので、沈んでいきます。それが、やがて核という層を形成していきます。
地球創世期の激しい相と層の形成の物語は、以上のようなものです。でも、原始の相と層は、現在のものとは違います。相と層が、現在の姿になるまで、ゆっくりとした相と層の変遷の歴史が始まります。それは、次回以降にしましょう。
2001年11月1日木曜日
1_16 最初の生命(2001年11月1日)
最初の物語は、大気から、固体、海、陸、海洋底と続き、今回は最初の生命の話です。最初の生命は、いつどこで、誕生したのでしょうか。それは、なにからわかるのでしょうか。生命のはじまりの物語です。
過去の生物の調べるには、いくつかの方法があります。一般的な方法は、化石を探すことです。その他に、現在生きている生物の系統樹を書いて、一番初期の生物を探っていく方法や、あるいは宇宙に生命の起源を求めたり、宇宙の生物を発見することで解決を目指そうという方法、生命を作っていこうという方法などがあります。でも、化石を探す方法が、直接的で確かなようです。ここでは、化石による最古の生物探しを紹介しましょう。
最初の生物は、海に誕生したと考えられます。その理由は、現在の原始的な生物は、海の中や、熱水中などを生活の場としています。それに、進化した生物でも、陸に住もうが、地中に住もうが、空を飛ぼうが、体には母なる海の記憶を残しています。ヒトもそうです。血液は、海水と似た成分を持っています。なにより、体の80パーセントは、水(H2O)からできています。一個の細胞をとりあげれば、そこは、袋に入った海の環境を見ることができます。
生命は、海から生まれたのです。
海に住んでいる生物は、土砂と一緒に、堆積物中に取り込まれ、堆積物と一緒に岩石になり、化石として、現在に蘇ることがあります。化石になる事件は稀なことですが、長い時間とたくさんの堆積岩には、化石が稀ではなく見つかります。
でも、まず、化石になるためには、しっかりした体をもっている必要があります。例えば、殻や骨、歯、木、種、花粉などは、化石として残りやすくなります。でも、このような生物は、ある程度進化した生物となります。「最初」の生物は、殻も骨もなかったはずです。柔らかい体で、水の中に、ぷかぷか浮いていたはずです。もっと前にいたはずの、生物と非生物の境界に当たるような生き物は、ますます、はかない体や入れ物しかなかったはずです。原始の生物ほど化石には残りにくいのです。
でも、科学者は、世界各地に赴いて、古い時代の化石を探しています。現在、多くの研究者が、最古の化石と認めているのは、オーストラリア西オーストラリア州ノースポールと呼ばれる地域で見つかった約35億年前のものです。その化石は、チャートと呼ばれる岩石の中から見つかった非常に小さなものです。
灼熱の砂漠のようなところに、化石を含む岩石があります。そんなところでも、生物はいきています。ですから、化石であることを示すには、現在の生物が紛れ込んで、見誤らないようにしなければいけません。岩石の中には、化石として入っているということを、はっきりと示さなければなりません。小さい化石なので、目で見ることはできません。そのために、大量の岩石が採集して、光を通すほど薄くして、顕微鏡でその存在を確認します。そのようにして得られた化石は、岩石の中に完全にはいっていると判定できます。大変な労力のいる仕事です。
でも、そこから得られた結果は、重要です。だれが見ても、そこには、細胞のようなつくりや細胞が連なっている様子が認められます。写真をみれば、誰でも納得できるようなものです。多くの研究者は、その35億年前の前の化石が本物であると認めています。また、同じ地域を研究した、日本人の研究者も、同じ方法で化石を発見してます。
ただ、その生物がどんな生き物であったかは、議論のあるところです。最初の発見者である研究者は、比較的浅い海で、光合成をしていた生き物であったと考えています。一方、日本人研究者は、深海の海嶺で、熱水噴出しているような環境に住んでいた生物と考えています。まだ、どちらが正しいかは、決着をみていません。
さらに古い化石の候補として、最古の堆積岩の中に生物の痕跡が見つかっています。グリーンランドの約38億年前の堆積岩の中に含まれる小さな燐灰石(りんかいせき、アパタイト)という鉱物の化学組成の特徴から、生物による化学的作用が働いていたという説があります。多分この頃の生物は、非常に原始的で、もしかすると化石に残らないような生物ではなかったかもしれません。まだ議論が行われていて、決着をみていません。でも、もし、この38億年前の痕跡が、本当に生物のものであったら、それは、大変な結論を導きます。
最古の堆積岩は、最初の海の証拠でもあります。最初の海に、最初の生命が宿るということになります。もしそうなら、生物とは、海さえあれば、簡単に生まれてくるもの、という仮説が成立します。生命とは、そんなにどこでも簡単に生まれるものでしょうか。そしてタフに現在まで生き延びてるものでしょうか。生命とは不思議なものです。
過去の生物の調べるには、いくつかの方法があります。一般的な方法は、化石を探すことです。その他に、現在生きている生物の系統樹を書いて、一番初期の生物を探っていく方法や、あるいは宇宙に生命の起源を求めたり、宇宙の生物を発見することで解決を目指そうという方法、生命を作っていこうという方法などがあります。でも、化石を探す方法が、直接的で確かなようです。ここでは、化石による最古の生物探しを紹介しましょう。
最初の生物は、海に誕生したと考えられます。その理由は、現在の原始的な生物は、海の中や、熱水中などを生活の場としています。それに、進化した生物でも、陸に住もうが、地中に住もうが、空を飛ぼうが、体には母なる海の記憶を残しています。ヒトもそうです。血液は、海水と似た成分を持っています。なにより、体の80パーセントは、水(H2O)からできています。一個の細胞をとりあげれば、そこは、袋に入った海の環境を見ることができます。
生命は、海から生まれたのです。
海に住んでいる生物は、土砂と一緒に、堆積物中に取り込まれ、堆積物と一緒に岩石になり、化石として、現在に蘇ることがあります。化石になる事件は稀なことですが、長い時間とたくさんの堆積岩には、化石が稀ではなく見つかります。
でも、まず、化石になるためには、しっかりした体をもっている必要があります。例えば、殻や骨、歯、木、種、花粉などは、化石として残りやすくなります。でも、このような生物は、ある程度進化した生物となります。「最初」の生物は、殻も骨もなかったはずです。柔らかい体で、水の中に、ぷかぷか浮いていたはずです。もっと前にいたはずの、生物と非生物の境界に当たるような生き物は、ますます、はかない体や入れ物しかなかったはずです。原始の生物ほど化石には残りにくいのです。
でも、科学者は、世界各地に赴いて、古い時代の化石を探しています。現在、多くの研究者が、最古の化石と認めているのは、オーストラリア西オーストラリア州ノースポールと呼ばれる地域で見つかった約35億年前のものです。その化石は、チャートと呼ばれる岩石の中から見つかった非常に小さなものです。
灼熱の砂漠のようなところに、化石を含む岩石があります。そんなところでも、生物はいきています。ですから、化石であることを示すには、現在の生物が紛れ込んで、見誤らないようにしなければいけません。岩石の中には、化石として入っているということを、はっきりと示さなければなりません。小さい化石なので、目で見ることはできません。そのために、大量の岩石が採集して、光を通すほど薄くして、顕微鏡でその存在を確認します。そのようにして得られた化石は、岩石の中に完全にはいっていると判定できます。大変な労力のいる仕事です。
でも、そこから得られた結果は、重要です。だれが見ても、そこには、細胞のようなつくりや細胞が連なっている様子が認められます。写真をみれば、誰でも納得できるようなものです。多くの研究者は、その35億年前の前の化石が本物であると認めています。また、同じ地域を研究した、日本人の研究者も、同じ方法で化石を発見してます。
ただ、その生物がどんな生き物であったかは、議論のあるところです。最初の発見者である研究者は、比較的浅い海で、光合成をしていた生き物であったと考えています。一方、日本人研究者は、深海の海嶺で、熱水噴出しているような環境に住んでいた生物と考えています。まだ、どちらが正しいかは、決着をみていません。
さらに古い化石の候補として、最古の堆積岩の中に生物の痕跡が見つかっています。グリーンランドの約38億年前の堆積岩の中に含まれる小さな燐灰石(りんかいせき、アパタイト)という鉱物の化学組成の特徴から、生物による化学的作用が働いていたという説があります。多分この頃の生物は、非常に原始的で、もしかすると化石に残らないような生物ではなかったかもしれません。まだ議論が行われていて、決着をみていません。でも、もし、この38億年前の痕跡が、本当に生物のものであったら、それは、大変な結論を導きます。
最古の堆積岩は、最初の海の証拠でもあります。最初の海に、最初の生命が宿るということになります。もしそうなら、生物とは、海さえあれば、簡単に生まれてくるもの、という仮説が成立します。生命とは、そんなにどこでも簡単に生まれるものでしょうか。そしてタフに現在まで生き延びてるものでしょうか。生命とは不思議なものです。
2001年10月25日木曜日
1_15 最初の海洋底(2001年10月25日)
最初の海洋底とは、なんとくピンとこないいいかたです。海洋底とは、海の底という意味です。ですから、もちろん海の存在を前提とします。ここで扱う海洋底は、場所を表すのではなく、海洋底に深く広がっている岩石のことです。では、最古の海洋底の話をしましょう。
海洋底は、どのような岩石がらできているのでしょうか。それは、現在、実際に掘られてわかっています。深海を掘削する計画(DSDP、ODP、OD21など)が世界各地の海底で実施され、海底の岩石を掘りぬいてきました。現在も深海を掘削する計画は続いています。
今までの成果に拠れば、海洋底の一番上は、堆積物です。その厚さや種類は、場所によって違います。一般には、海底では、マリンスノーとして海洋の上部に棲んでいた生物の死骸が降り積もって集まった深海底固有の堆積物が主要なものです。その堆積物は深くなると固まり、チャートと呼ばれる岩石になります。堆積岩の下には、枕状溶岩を主とする玄武岩が厚くたまっています。枕状溶岩のもっと深部は、同じ玄武岩ですが、少し粒が粗くなって、枕状ではなく、岩脈(がんみゃく)という貫入岩と呼ばれる種類の出かたに変わります。さらに深部は、斑れい岩となり、それより下は、マントルを構成するかんらん岩となります。
チャートは堆積岩ですが、玄武岩以下は火成岩です。つまり、マグマの活動でできたものです。それも、中央海嶺という一箇所で、一度に、できたものです。中央海嶺の下にはマグマが常に供給される環境(マグマ溜り)があります。中央海嶺の下のマントルと海洋地殻の境界部に、マグマ溜りができます。マグマ溜りから時々火山が活動して、海底に溶岩を噴出します。マグマ溜りから上昇したマグマの道の跡(火道(かどう))が岩脈で、水中噴出したものが枕状溶岩です。そして、マグマ溜りで、噴出せずに結晶として沈んだものがかんらん岩となり、マントルの一部となります。マグマ溜りがそのまま固まったものが斑れい岩です。
マグマによる火成岩の海洋底セットが中央海嶺でつくられ、その後プレートテクトニクスによって移動するとき、上から生物の遺骸が積もってチャートとなります。陸に近いところであれば、陸の物質が、火山が近ければ火山灰が、浅い海なら石灰質の成分が、チャートに混じってきます。
かんらん岩、斑れい岩、岩脈玄武岩、枕状溶岩、チャートがあれば、深海底のセット、つまり海洋地殻が判別できます。ただし、現在の海洋底では、一番古いものでも2億年ほど前ですので、さらに古いものは海洋底には期待できません。やはり、古いものを探すには、大陸です。
現在、わかっている最古の海洋底セットは、グリーンランドのイスア地方にある約38億年前のものです。ここには、セットはばらばらになっていますが、海洋地殻のセットがあります。さらに、縞状鉄鉱層の厚い地層と海溝で溜まったとされる大きな礫の入った礫岩、花崗岩などの岩石が、小さな範囲で見られます。まるで今の中央海嶺から海洋底、海溝、大陸あるいは火山列島(島弧)を凝縮したような岩石があるのです。
地球は、38億年前という非常に早い時期には、今と同じような姿であったという驚くべき結果ができてました。少なくとも、プレートテクトニクスが機能しており、陸があり、海があり、その関係は、継続的に今も続いているということです。
海洋底は、どのような岩石がらできているのでしょうか。それは、現在、実際に掘られてわかっています。深海を掘削する計画(DSDP、ODP、OD21など)が世界各地の海底で実施され、海底の岩石を掘りぬいてきました。現在も深海を掘削する計画は続いています。
今までの成果に拠れば、海洋底の一番上は、堆積物です。その厚さや種類は、場所によって違います。一般には、海底では、マリンスノーとして海洋の上部に棲んでいた生物の死骸が降り積もって集まった深海底固有の堆積物が主要なものです。その堆積物は深くなると固まり、チャートと呼ばれる岩石になります。堆積岩の下には、枕状溶岩を主とする玄武岩が厚くたまっています。枕状溶岩のもっと深部は、同じ玄武岩ですが、少し粒が粗くなって、枕状ではなく、岩脈(がんみゃく)という貫入岩と呼ばれる種類の出かたに変わります。さらに深部は、斑れい岩となり、それより下は、マントルを構成するかんらん岩となります。
チャートは堆積岩ですが、玄武岩以下は火成岩です。つまり、マグマの活動でできたものです。それも、中央海嶺という一箇所で、一度に、できたものです。中央海嶺の下にはマグマが常に供給される環境(マグマ溜り)があります。中央海嶺の下のマントルと海洋地殻の境界部に、マグマ溜りができます。マグマ溜りから時々火山が活動して、海底に溶岩を噴出します。マグマ溜りから上昇したマグマの道の跡(火道(かどう))が岩脈で、水中噴出したものが枕状溶岩です。そして、マグマ溜りで、噴出せずに結晶として沈んだものがかんらん岩となり、マントルの一部となります。マグマ溜りがそのまま固まったものが斑れい岩です。
マグマによる火成岩の海洋底セットが中央海嶺でつくられ、その後プレートテクトニクスによって移動するとき、上から生物の遺骸が積もってチャートとなります。陸に近いところであれば、陸の物質が、火山が近ければ火山灰が、浅い海なら石灰質の成分が、チャートに混じってきます。
かんらん岩、斑れい岩、岩脈玄武岩、枕状溶岩、チャートがあれば、深海底のセット、つまり海洋地殻が判別できます。ただし、現在の海洋底では、一番古いものでも2億年ほど前ですので、さらに古いものは海洋底には期待できません。やはり、古いものを探すには、大陸です。
現在、わかっている最古の海洋底セットは、グリーンランドのイスア地方にある約38億年前のものです。ここには、セットはばらばらになっていますが、海洋地殻のセットがあります。さらに、縞状鉄鉱層の厚い地層と海溝で溜まったとされる大きな礫の入った礫岩、花崗岩などの岩石が、小さな範囲で見られます。まるで今の中央海嶺から海洋底、海溝、大陸あるいは火山列島(島弧)を凝縮したような岩石があるのです。
地球は、38億年前という非常に早い時期には、今と同じような姿であったという驚くべき結果ができてました。少なくとも、プレートテクトニクスが機能しており、陸があり、海があり、その関係は、継続的に今も続いているということです。
2001年10月18日木曜日
1_14 最初の陸(2001年10月18日)
最初の陸とは、海でない部分だけを意味するのではありません。つまり水のないところを陸と考えますが、陸の特徴はそれだけではありません。海と陸と一対のものですが、地質学的には、海と陸をつくっているものが違うのです。陸は陸の石で、海は海の石でできています。そして、陸の石も海なくしてはできないのです。海と陸とは切っても切れない関係です。最初の陸の話しです。
陸は、色々な岩石からできています。でも、起源による分類でいいますと、火成岩が圧倒的に多い岩石になります。なかでも、花崗岩(かこうがん)とその変成岩である片麻岩(へんまがん)が一番多い岩石です。大陸は、花崗岩からできているのです。
花崗岩は、マグマが固まってできます。大量の花崗岩のマグマがどうしてできるかというと、説はさまざまですが、どの説でも水が必要となります。溶ける物質は、堆積物や大陸深部物質など、さまざまの考えがあります。水が、そのような地球深部の物質に加わることによって、花崗岩のマグマが大量にできます。水の供給源は海です。そして供給のメカニズムとして、プレートテクトニクスが考えられます。
プレートテクトニクスとは、海嶺で形成されたプレートと呼ばれるものが、海底で冷えて、海溝で沈み込む、という一連の運動による地球の仕組みです。沈み込むプレートと共に、水を含んだ堆積物や岩石も沈み込み、潜るにつれて、圧力が上がります。やがて、水が絞りだされて、水は上昇し、上にある物質を溶かすのです。
高温高圧の条件に置かれた物質に、水が加わると、溶けはじめることがあります。ですから、今まで固体であったところに、水が加わるとマグマができることがあるのです。その時に特徴的にできるマグマが、花崗岩質のマグマなのです。だから、花崗岩と水とは密接な関係があるのです。
大陸には古い時代の花崗岩たくさんあります。そして、各時代に花崗岩があります。ということは、間接的ではありますが、花崗岩の存在自体が、海の存在の証拠となります。
ことろで、最古の花崗岩はどれくらいまで遡るのでしょうか。一番古い花崗岩は、約40億年前のものです。カナダの北西準州のアカスタ地域で見つかったものです。水の存在の可能性(42.8億年前)よりは、古くなりませんが、最古の堆積岩(38億年前)よりは、古いものとなります。
10年以上前になりますが、そのアカスタ地域を調査したことがあります。すると、不思議なことに、「当時、最古の花崗岩(39.8億年前)」より古い岩石を見つけました。それは、地質学的証拠から明らかになったものです。その証拠とは、最古の花崗岩がマグマとして入り込んだという現象(貫入(かんにゅう)という)が、見つかったのです。
最古の花崗岩が貫入している岩石は、斑れい岩が変成されてできた角閃岩と呼ばれる岩石です。つまり、最古の花崗岩がマグマとして貫入するとき、斑れい岩はすでに固体として存在したことを示しています。でも、その角閃岩の年代を決定することができないため、最古の座を奪えなかったのです。そうこしているうちに、同じ地域の同じような岩石で、より古いものが発見されたのです。でも、もしかするとその角閃岩は本当は、まだ最古の座をもっているかもしれません。それは、その角閃岩のみが知っているのです。
陸は、色々な岩石からできています。でも、起源による分類でいいますと、火成岩が圧倒的に多い岩石になります。なかでも、花崗岩(かこうがん)とその変成岩である片麻岩(へんまがん)が一番多い岩石です。大陸は、花崗岩からできているのです。
花崗岩は、マグマが固まってできます。大量の花崗岩のマグマがどうしてできるかというと、説はさまざまですが、どの説でも水が必要となります。溶ける物質は、堆積物や大陸深部物質など、さまざまの考えがあります。水が、そのような地球深部の物質に加わることによって、花崗岩のマグマが大量にできます。水の供給源は海です。そして供給のメカニズムとして、プレートテクトニクスが考えられます。
プレートテクトニクスとは、海嶺で形成されたプレートと呼ばれるものが、海底で冷えて、海溝で沈み込む、という一連の運動による地球の仕組みです。沈み込むプレートと共に、水を含んだ堆積物や岩石も沈み込み、潜るにつれて、圧力が上がります。やがて、水が絞りだされて、水は上昇し、上にある物質を溶かすのです。
高温高圧の条件に置かれた物質に、水が加わると、溶けはじめることがあります。ですから、今まで固体であったところに、水が加わるとマグマができることがあるのです。その時に特徴的にできるマグマが、花崗岩質のマグマなのです。だから、花崗岩と水とは密接な関係があるのです。
大陸には古い時代の花崗岩たくさんあります。そして、各時代に花崗岩があります。ということは、間接的ではありますが、花崗岩の存在自体が、海の存在の証拠となります。
ことろで、最古の花崗岩はどれくらいまで遡るのでしょうか。一番古い花崗岩は、約40億年前のものです。カナダの北西準州のアカスタ地域で見つかったものです。水の存在の可能性(42.8億年前)よりは、古くなりませんが、最古の堆積岩(38億年前)よりは、古いものとなります。
10年以上前になりますが、そのアカスタ地域を調査したことがあります。すると、不思議なことに、「当時、最古の花崗岩(39.8億年前)」より古い岩石を見つけました。それは、地質学的証拠から明らかになったものです。その証拠とは、最古の花崗岩がマグマとして入り込んだという現象(貫入(かんにゅう)という)が、見つかったのです。
最古の花崗岩が貫入している岩石は、斑れい岩が変成されてできた角閃岩と呼ばれる岩石です。つまり、最古の花崗岩がマグマとして貫入するとき、斑れい岩はすでに固体として存在したことを示しています。でも、その角閃岩の年代を決定することができないため、最古の座を奪えなかったのです。そうこしているうちに、同じ地域の同じような岩石で、より古いものが発見されたのです。でも、もしかするとその角閃岩は本当は、まだ最古の座をもっているかもしれません。それは、その角閃岩のみが知っているのです。
2001年10月11日木曜日
1_13 最初の海(2001年10月11日)
最初の海。それは、いつできて、どのようなもので、何が起こったのでしょうか。過去の海を、現在から、どうして探るのでしょうか。最初の海にまつわる話です。
最初の海も、やはり液体の水を主成分としていたはずです。そう考えるには、いくつかの理由があります。
まず、水(H2O)の成分である水素(H)と酸素(O)が、太陽系では(宇宙においても同じことがいえます)非常に多い成分であること。つまり、ありふれた成分で、どこにでもたくさんある物質なのです。つぎに、太陽からの位置から考えて、地球付近ではH2Oは、固体や気体ではなく、液体として存在できる条件なのです。このような理由から、地球の海は、液体のH2Oが主成分であると考えられます。
現在の海は、水を主成分としていますが、その他の成分が色々混じっています。その成分まで、最初の水と一緒かどうかはわかりません。でも、多くの成分は、最初の海にも溶けていたはずです。その理由は、水自身の性質によります。水は、非常に他の成分を溶かしやすい性質があります。地球の表面は、非常に多様な成分からできていたはずですから、その成分の中で水に溶けやすいものが、最初の海の副成分になったはずです。このような副成分を気にするのは、最初の海が、生命の誕生の場として一番ふさわしく、その場には生命の材料や生命誕生の条件が整っていなければならないからです。
さて、最初の海の証拠なんて、あるのでしょうか。それは、石の中にあります。石の中でも堆積岩は、川によって運ばれた土砂が、海でたまって固まったものです。ですから、古い堆積岩を探せば、その時代には海があったという証拠になります。直接海を見ているわけではありませんが、海でできたものが残っていれば、それは、海があった証拠となるわけです。
最初の海の証拠は、現在のところ、38億年前のグリーンランドの堆積岩が最古のものです。礫岩から砂岩など、現在でもみられるような堆積岩があります。また、縞状鉄鉱層という不思議な堆積岩もあります。縞状鉄鉱層は、海水中の鉄のイオンが酸化され、沈殿してできた岩石です。そんな岩石が、38億年前にあったのは、非常に不思議な話しですが、それは別の機会に紹介します。でも、このような堆積岩の存在は、38億年前には海があった動かぬ証拠となっています。
その後、地球の各地から、さまざまな時代の堆積岩が見つかっています。ほぼ全ての時代の堆積岩があります。このことから、38億年以降、地球には現在に至るまで、海が存在しつづけているのです。つまり、地球の表面は、0℃から100℃の間に収まっているのです。それは、最初に述べたように、地球は、太陽から液体の水が存在できる位置にいるからなのです。
さらに古い海の証拠として、「1_6 最古の鉱物のもつ意味」で紹介した42.8億年前のジルコンがあります。そのジルコンの酸素同位体から、マグマの酸素同位体組成を推定し、マグマをもたらした物質が、堆積岩であったという仮説があります。そのような仮説は、論理的には可能ですが、まだ真偽の程は定かでありません。
最初の海も、やはり液体の水を主成分としていたはずです。そう考えるには、いくつかの理由があります。
まず、水(H2O)の成分である水素(H)と酸素(O)が、太陽系では(宇宙においても同じことがいえます)非常に多い成分であること。つまり、ありふれた成分で、どこにでもたくさんある物質なのです。つぎに、太陽からの位置から考えて、地球付近ではH2Oは、固体や気体ではなく、液体として存在できる条件なのです。このような理由から、地球の海は、液体のH2Oが主成分であると考えられます。
現在の海は、水を主成分としていますが、その他の成分が色々混じっています。その成分まで、最初の水と一緒かどうかはわかりません。でも、多くの成分は、最初の海にも溶けていたはずです。その理由は、水自身の性質によります。水は、非常に他の成分を溶かしやすい性質があります。地球の表面は、非常に多様な成分からできていたはずですから、その成分の中で水に溶けやすいものが、最初の海の副成分になったはずです。このような副成分を気にするのは、最初の海が、生命の誕生の場として一番ふさわしく、その場には生命の材料や生命誕生の条件が整っていなければならないからです。
さて、最初の海の証拠なんて、あるのでしょうか。それは、石の中にあります。石の中でも堆積岩は、川によって運ばれた土砂が、海でたまって固まったものです。ですから、古い堆積岩を探せば、その時代には海があったという証拠になります。直接海を見ているわけではありませんが、海でできたものが残っていれば、それは、海があった証拠となるわけです。
最初の海の証拠は、現在のところ、38億年前のグリーンランドの堆積岩が最古のものです。礫岩から砂岩など、現在でもみられるような堆積岩があります。また、縞状鉄鉱層という不思議な堆積岩もあります。縞状鉄鉱層は、海水中の鉄のイオンが酸化され、沈殿してできた岩石です。そんな岩石が、38億年前にあったのは、非常に不思議な話しですが、それは別の機会に紹介します。でも、このような堆積岩の存在は、38億年前には海があった動かぬ証拠となっています。
その後、地球の各地から、さまざまな時代の堆積岩が見つかっています。ほぼ全ての時代の堆積岩があります。このことから、38億年以降、地球には現在に至るまで、海が存在しつづけているのです。つまり、地球の表面は、0℃から100℃の間に収まっているのです。それは、最初に述べたように、地球は、太陽から液体の水が存在できる位置にいるからなのです。
さらに古い海の証拠として、「1_6 最古の鉱物のもつ意味」で紹介した42.8億年前のジルコンがあります。そのジルコンの酸素同位体から、マグマの酸素同位体組成を推定し、マグマをもたらした物質が、堆積岩であったという仮説があります。そのような仮説は、論理的には可能ですが、まだ真偽の程は定かでありません。
2001年10月4日木曜日
1_12 最初の固体(2001年10月4日)
最初の固体とは、変な表現です。でも、地球はできた当時、どろどろに溶けたマグマの海が、表面を覆っていたのです。マグマは、やがて冷えて固まります。そのときマグマの海が冷え固まったものが、最初の固体となります。そんな古いものが果たして見つかるのでしょうか。
地球最初の固体、それは最古の鉱物です。前に「1_5 「最古のもの」より古いもの」で紹介したものです。44億0400万年前の鉱物(ジルコン)がそうでした。その鉱物が、地球の歴史で持つ意味も「1_6 最古の鉱物のもつ意味」紹介しました。この発見は、多分、多くの研究者に衝撃を与えました。少なくとも私には、かなりの衝撃がありました。その意味を再度、紹介しましょう。
「最古」の鉱物が発見される以前の最古の固体物質は、42億7600万年前の鉱物(ジルコン)でした。それが地球で見つかる最古の物質の限界かもしれないと考えられていました。
それは、研究者が、月の歴史を知っていたからです。月の最古の物質は、45億年前のものが見つかっています。しかし、その物質も、さんざん探した挙句、やっと見つかったものです。その岩石は、斜長岩(しゃちょうがん)と呼ばれるものでした。その名の通り、斜長石だけからできている岩石です。斜長岩は、地球では珍しいものですが、月ではありふれた岩石です。
月は、白っぽいところと黒っぽいところの2ヶ所があります。白っぽいところは、「高地」と呼ばれ、黒っぽいところは、「海」と呼ばれます。ご存知のように、「海」といっても、水があるわけではありません。
斜長岩は、白っぽく見える「高地」と呼ばれる古い地形をつくっている岩石です。斜長岩は、たいていぐしゃぐしゃに砕かれて、角礫(かくれき)状の岩石になっています。ですから、本当は古い時代に高地はできていたのですが、ぐしゃぐしゃに砕かれたために、古い時代の記憶を残しているものがほとんどなかったのです。だから、古い時代の記憶を残した岩石を見つけるのに苦労したのです。
月の斜長岩が、ぐしゃぐしゃに壊れているのは、激しい隕石の衝突のためです。昔、月には激しい隕石の衝突があったのです。35億年前以降、隕石の衝突は収まりました。黒っぽく見える「海」と呼ばれる地域は、玄武岩からできているのですが、「海」には衝突によってできたクレータが、「高地」に比べて非常に少ないのです。30億年前以降、月では、ほとんどマグマの活動はなく、事件というべきものは、時々隕石が衝突するくらいだけでした。
このような月での隕石衝突の事件は、地球でも起こったと考えられます。つまり、地球誕生の45億年前からしばらくは、激しい隕石衝突が続いたのですが、35億年前ころには収まっています。ですから、45億年前にちかいような古い岩石は、ぐしゃぐしゃに砕かれ、地球でもほとんど残っていないと考えられていたのでした。さらに、地球では、現在にたるまで、常に地表が更新されているので、古い岩石の証拠は、あったとしても消されていきます。
でも、このような新発見があると、惑星形成のモデルに重要な変更を迫ることがあります。今回の新発見は、月の歴史から見てあってもおかしくない予測されていた可能性の範囲でした。ただ、多分見つからないだろうと思われていたような年代でした。まさかみつかるとは、といいう感じです。
地球最初の固体、それは最古の鉱物です。前に「1_5 「最古のもの」より古いもの」で紹介したものです。44億0400万年前の鉱物(ジルコン)がそうでした。その鉱物が、地球の歴史で持つ意味も「1_6 最古の鉱物のもつ意味」紹介しました。この発見は、多分、多くの研究者に衝撃を与えました。少なくとも私には、かなりの衝撃がありました。その意味を再度、紹介しましょう。
「最古」の鉱物が発見される以前の最古の固体物質は、42億7600万年前の鉱物(ジルコン)でした。それが地球で見つかる最古の物質の限界かもしれないと考えられていました。
それは、研究者が、月の歴史を知っていたからです。月の最古の物質は、45億年前のものが見つかっています。しかし、その物質も、さんざん探した挙句、やっと見つかったものです。その岩石は、斜長岩(しゃちょうがん)と呼ばれるものでした。その名の通り、斜長石だけからできている岩石です。斜長岩は、地球では珍しいものですが、月ではありふれた岩石です。
月は、白っぽいところと黒っぽいところの2ヶ所があります。白っぽいところは、「高地」と呼ばれ、黒っぽいところは、「海」と呼ばれます。ご存知のように、「海」といっても、水があるわけではありません。
斜長岩は、白っぽく見える「高地」と呼ばれる古い地形をつくっている岩石です。斜長岩は、たいていぐしゃぐしゃに砕かれて、角礫(かくれき)状の岩石になっています。ですから、本当は古い時代に高地はできていたのですが、ぐしゃぐしゃに砕かれたために、古い時代の記憶を残しているものがほとんどなかったのです。だから、古い時代の記憶を残した岩石を見つけるのに苦労したのです。
月の斜長岩が、ぐしゃぐしゃに壊れているのは、激しい隕石の衝突のためです。昔、月には激しい隕石の衝突があったのです。35億年前以降、隕石の衝突は収まりました。黒っぽく見える「海」と呼ばれる地域は、玄武岩からできているのですが、「海」には衝突によってできたクレータが、「高地」に比べて非常に少ないのです。30億年前以降、月では、ほとんどマグマの活動はなく、事件というべきものは、時々隕石が衝突するくらいだけでした。
このような月での隕石衝突の事件は、地球でも起こったと考えられます。つまり、地球誕生の45億年前からしばらくは、激しい隕石衝突が続いたのですが、35億年前ころには収まっています。ですから、45億年前にちかいような古い岩石は、ぐしゃぐしゃに砕かれ、地球でもほとんど残っていないと考えられていたのでした。さらに、地球では、現在にたるまで、常に地表が更新されているので、古い岩石の証拠は、あったとしても消されていきます。
でも、このような新発見があると、惑星形成のモデルに重要な変更を迫ることがあります。今回の新発見は、月の歴史から見てあってもおかしくない予測されていた可能性の範囲でした。ただ、多分見つからないだろうと思われていたような年代でした。まさかみつかるとは、といいう感じです。
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