2017年7月20日木曜日

2_147 オルドビス紀末の大絶滅 1:種の出現と消失

 オルドビス紀とは、古生代の中頃、カンブリア紀の次の時代です。オルドビス紀末に大絶滅がありました。今回はその大絶滅に関する話題です。その前に、種の絶滅とは何かを考えていきます。

 生物の絶滅を考える場合、別種との区別のために「種(しゅ)」の認定が必要になります。種とはなにか、も重要な問題なのですが、今回はそれを抜きで話しを進めます。まず、生物種の区分があるところから出発しましょう。
 絶滅とは、ひとつの生物種のすべての個体が死に絶えてしまうことです。そのため、種が継続できなくなることを意味します。しかし、どこにも個体が存在しない、「不在」を証明するのは、非常に困難です。科学的、原理的には、不在の証明は不可能です。そこで、環境省では「過去50年前後の間に、野生において信頼できる生息の情報が得られていない種」を野生絶滅と定義しています。
 50年間、専門家が探し続けた結果、見つからないのであれば、それなりの信頼度があるでしょうが、通常、ある種を探す調査を長年継続されることはありません。研究者は成果がでることを研究テーマとします。ですから、このような調査は、研究としてはあまりおこなわれません。
時々、レッドデータ調査のように、一斉調査がおこなわれることもあります。調査をすれば、その時点でかなり正確に不在を示すことができます。これが種の確認として非常に重要なデータとなります。しかし、すべての地域、すべての種で、一斉調査をおこなうことは難しいもので、文献に頼ったものや、限定した地域での調査で済まされることもあります。
 このような調査には漏れや先入観などもあり、見落としや漏れもあります。少し前、「クニマス」の再発見のニュースを覚えている方もいるでしょう。クニマスは、田沢湖では1940年年代に絶滅したとされて以来、環境省のレッドリストの1991年、1999年、2007年で「絶滅」とされていました。しかし、2010年に、山梨県の西湖で現存個体群の生息が確認されました。これは人為的に田沢湖から放流されたものが生き残っていたので、野生での絶滅は、変わりありません。クニマスの場合は、人為的に放流された記録があったので判明しました。もし、記録がなければ、野生での固有種なのかどうかはわかりません。このようなこともあるので、50年という期間も本当にいいのかどうかは問題になる場合もあるはずです。
 さらに、植物は種(たね)であれば、長期間保存され、個体が一時的に絶滅しても、環境さえ整えば、復活することが可能になります。年限を切って絶滅をする定義が、適用できない場合もありそうです。
 現世種でも難しい絶滅の判定なのに、過去の生物種で、どう判定するのでしょうか。過去の生物は化石でその存在を知るしかありません。そして、化石での出現と消失を、種の出現と消失とみなします。化石として発見された最初の時代が、種の出現となります。そして、化石が見つからなく消失の直前の時代を、種の絶滅となります。出現と消失の間が、その生物種の生存期間とみなすことになります。
 ここまで読んで、化石による絶滅は、現世種より不確かだと思われたことでしょう。なぜなら、今まで見つらかなかった時代から、同じ化石が発見された、種の生存期間が簡単に変化するからです。でも、これが現状での限界でもあります。
 通常の絶滅と大絶滅との違いは、どうなるでしょうか。大絶滅と絶滅との間には、どのような区分があるのでしょうか、それともないのでしょうか。それは次回としましょう。

・不確かさと時間・
現世種の絶滅の判定や化石の絶滅の期間の認定などのように、
科学には精度を上げようとしても
そこに限界が存在するものもあります。
精度が上がらないから、
研究をストップさせるかというと、
そうはなりません。
不確かさを取り込んで、
その程度の精度であることを認めた上で、
研究を進めていくことになります。
不確かさ(誤差)以上に明瞭な出来事が見つかれば、
その出来事の存在は、事実とできます。
精度と事実認定の間に存在する過去の時間は
不確かさを十分飲み込む長さでもあります。
そこから地球や生命の歴史が読み取られます。

・猛暑・
北海道も7月上旬の暑さも一段落でしょうか。
先週末から少し、暑さがおさまりました。
7月上旬に北海道を旅行をされた方は
涼しい北海道に期待してきたでしょうが、
さぞかし暑い思いをされ、びっくりされたことでしょう。
北海道にも暑い時期があります。
大抵は7月下旬から8月上旬に
耐えられないほどの暑い日があるのですが、
今年は、1ヶ月早く、猛暑が来ました。
連日、暑い日が続くと、
実は北海道の住民の方がずっとバテてしまっています。
冷房のない家も多いため、
本州の暑さに慣れた旅行客よりは
北海道民の方が、ずっとこたえているのです。
ということで、私は、バテバテでした。