2016年11月17日木曜日

2_141 三畳紀の大絶滅 4:層状チャート

 三畳紀の衝突の証拠が見つかったのは、いずれも日本列島の層状チャートからです。その証拠は、目で見えるサイズではないので、実験室で分析して、はじめてわかるものです。そんなところにも日本の研究者の努力が光ります。

 いよいよ三畳紀に起こった隕石の衝突の話です。大分県津久見市の層状チャートから、さらに岐阜県坂祝町にある木曽川の河床の層状チャートからも衝突の証拠が見つかりました。いずれの層状チャートからも、多数の宇宙塵がでてきたことが、発見のきっかけになっていました。
 津久井の層状チャートからは、小さな金属粒(宇宙塵)が300個ほどでてきたということです。またその地層からは、別の隕石の証拠が見つかっています。オスニウム(Os)という鉄隕石に多く含まれている元素が、通常地層と比べて、20倍から5000倍の濃度になっていることがわかってきました。K-Pg境界ではイリジウム(Ir)の濃集が発見のきっかけなりましが、三畳紀中期の地層では、オスニウムでした。
 また、坂祝の層状チャートからも、宇宙塵がみつかりました。泥岩の部分には白金族(platinum group element:PGEの略される)の濃集があったことがわかりました。特に、ルテシウム(Ru)やイリジウム(Ir)に富んでいることが特徴でした。イリジウムは、K-Pg境界を見つけるきっかけになった元素でもありました。
 このような大量の宇宙塵やPGEの濃集などの証拠は、大きな隕石が衝突した事件があったことを表しているとされました。ただし、その場所は、現在分布している岐阜県や大分県ではなく、もともと層状チャートが堆積していた場所になるはずです。
 層状チャートの堆積場は、陸から遠く離れた大洋の深海底になります。層状チャートは、珪質部と境界になっている薄い粘土層からなります。珪質部には大陸起源の砕屑物がまったく含まれていないことから、陸から遠く離れた堆積場であることになります。そして、粘土は陸源の細粒物質ですが、風や海流にのって、少量ですが海洋にもたらされることは知られています。また、珪質部には、放散虫などの化石がよく見つかることから、珪質の殻をもったプランクトンが集まってできたことがわかります。
 このようなことから、層状チャートは陸から遠く離れた大きな海洋の深海底でできたとされています。そんな層状チャートに、衝突の証拠があるということは、地球のどこかで、大きな隕石が落下したことになります。
 ただし、注意が必要なのは、津久井の層状チャートの形成年代は約2億4000万年前で、坂祝の層状チャートは約2億1500万年前です。年代には少々誤差があるようですが、それにしても両地域の層状チャートの形成時代が、なかりずれていることになります。別時代の事件と考えてよさそうです。さらに、注意が必要なのは、この宇宙塵が見つかっている時代に、生物の大絶滅が起こっているわけではないろいうことです。
 では、これらの証拠から、いったい何が考えられるのでしょうか。それは次回としましょう。

・寒波が緩む・
寒波が少し和らいで雨となりました。
しかし、一度寒さのために厚着をすると、
なかなか薄着にもどることができないのは
私だけでしょうか。
日当たりのいい部屋で天気がいいと
暖房がいらないくらいの室温になります。
しかし、もちろん朝夕は冷えるので
暖房なしには過ごせんませんが。
冬も少し足踏みのようです。

・層状チャート・
私は岐阜県の坂祝へは行ったことがありません。
近くの犬山にはいったころがあるのですが。
一方、大分県の津久井には、一度訪れたことがあります。
そして、来年の冬には、再度行く予定をしています。
その時、詳しく見たのですが、
もう一度見てみたいと思っています。
現在、層状チャートについて
いろいろ考察を巡らせています。
その成因論は、多様で複雑で、わかりにくいもので、
現在、奮闘中ですが、なかなか答えはでません。