2010年9月30日木曜日

4_94 My Earth Name:西予9月

9月になって涼しくなり、出歩きやすくなりました。そんな中、私は西予市を中心に、いろいろ動き回っています。10月から11月にかけても出歩く予定です。でも、今、住んでいるとところを、よく知ることも必要です。My Earth Nameとして表現しましょう。

西予市のメイン・リバーは肱川(ひじかわ)です。肱川は、大洲市長浜で伊予灘に流れ込みます。肱川を遡ると、大洲の市街地を越えると、山合の流れる川となります。そこから上流にかけて、大きな支流が次々と合流してきます。小田川、川辺川、船戸川、黒瀬川、富野川、稲尾川など、深い山を抱えた豊かな水量をもった支流です。本流は、時計回りに曲がりながら、西予市の中心地の宇和の盆地を流れ、さらに曲がりながら、西予市と大洲市の境界の山並に達します。そんな川沿いを、車ででかけています。
城川町は、野村町、宇和町、明浜町、三瓶町とともに西予市に統合されました。そのうち、城川町と野村町、宇和町は、ほとんどが肱川の流域になります。私がいる城川は、肱川の大きな支流の黒瀬川流域となっています。黒瀬川は、城川の東端で、源流となります。源流は、高知県の梼原(ゆすはら)町の境界の九十九曲峠のある山並みあたります。坂本竜馬らの脱藩のコースに当たるそうです。
私の住んでいるのは、城川町土居ということろで、黒瀬川のさらに支流で、三滝川です。三滝川の最上流には、寺野の集落があります。
城川で出てきた地名は、地質学を学んだ人には、なじみある言葉です。私は、北海道で地質学を学んだのですが、黒瀬川構造帯、三滝変成岩類、寺野火成岩類という名称は、授業で習って知っていました。ただその頃、城川に来たこともありませんし、位置もよく知りませんでした。
ところが今では、私には黒瀬川はなじみある川となり、My Earth Name(注)となっています。肱川の支流なのですが、黒瀬川と舟戸川が合わさって肱川に流れ込むために、合流部では肱川本流より、水量も多く見えます。それは野村ダムで水量が減ったためかもしれませんが。今度時間があったら、黒瀬川を遡っていきたいと思っています。ほとんど通ったところばかりですが、川だけを眺めていこうかと思います。

(注)「アースネーム」
「地球をあるがままの姿を捉え、その姿を用いて自分自身を記述することがいいのではないかと思います。海、陸、川など自然物だけから、位置を記述するのです。海と陸の大区分で、その地点はどの大地に属しているのか、そして、その大地を流れる川は何というもので、その川のどのあたりに位置するのかを記述していくのです。このようは地域の記述の仕方を「アースネーム」と呼びましょう。」(小出「Monolog No. 32 アースネーム(2004年9月1日)」)とすると、現在の私のMy Earth Nameは、「日本列島四国、肱川水系、黒瀬川支流三滝川、上流へ2kmの右岸、西方へ500m」となります。これで私の家の位置がわかります。

・鵜飼・
先日、大洲の城下町を歩きました。
お城のすぐ脇を肱川がながれています。
今シーズン最後となる鵜飼船に乗りました。
平日の夜乗りました。
船は私を含めて6名の乗り合い一艘だけで、
鵜飼船も一艘でした。
観光案内所の人もお勧めの少なさでした。
他の乗合船もあると、横を並走しても、
5分ぐらいしなじっくり見れないのですが、
今回は、終わりまで並走して、
鵜匠の人(女性でした)とも会話をしながら、
写真もいっぱい撮りながら、
楽しいひと時が過ごせました。
私以外、地元の人のグループ
(観光案内所の人も一人おられました)でしたが、
こんなにじっくりと見たことがないというくらい、
心行くまで堪能しました。

・音楽の力・
肱川支流の小田川流域には
内子があります。
古い町並みが残っている町で、
そこに今も人が暮らしています。
そこを訪れたとき、
昼食にはいった喫茶店は、
コースしかメニューはないのですが、
食事の出てくるのが遅く、
本当ならいらいらするところなんですが、
かかっていた曲が、
1980年代のなつかしの歌謡曲でした。
それを聞いていると、
耐えられ、心地よくなってきた。
これが音楽の力なのかと思いました。