2005年11月10日木曜日

5_43 大気の障害を越えて

 「調べる道具」シリーズをはじめます。今回は、宇宙の眺める望遠鏡についてです。

 地球には、大気があります。大気は地球の大きさと比べると、あまりに薄く、か弱いように見えます。しかし、この薄い大気が、地球の外から来るさまざまな電磁波を吸収して、地表に届かないようにしてしまいます。そのおかげで、地表で生命が安心して生きてるのです。
 地表から地球の外の宇宙を見ようとすると、この大気が多くの電磁波を吸収してしまうという効果が、逆に障害になります。夜に空を見ても、赤外線の一部と可視光だけが、観察できる部分となります。どんなに道具や技術を工夫しても、届かないものは、調べることができません。でも、可視光を詳しくみれば、星の観測は十分できるはずです。それが望遠鏡の歴史でもあります。
 遠くのものを見るには、目を凝らします。しかし、どんなに目の良い人でも、見えるものには限界があります。目より遠くを見る道具として、望遠鏡が登場しました。
 望遠鏡を最初に天体観測に利用したのは、ガリレオでした。ガリレオは、レンズの原理を研究して、いくつかの望遠鏡を作り、月、太陽の黒点、木星、土星、さらには、天の川まで調べていきました。
 ガリレオの望遠鏡は、対物レンズに凸レンズ、接眼レンズに凹レンズを用いました。ケプラーは、対物レンズも接眼レンズも凸レンズを使いました。これらは、光を屈折させるので、屈折望遠鏡とよばれています。その後、ニュートンは、対物レンズの変わりに凹面鏡を使う反射望遠鏡をつくりました。
 屈折望遠鏡で、より遠くを見るには、大きな対物レンズが必要になります。そのためには、大きなレンズをつくる技術が必要です。1879年アメリカのヤーキス天文台の口径1.02mの望遠鏡をピークにして、製作の簡単な反射望遠鏡に取って代わりました。ヤーキス天文台の望遠鏡は、現在使われている最も大きなものです。
 反射望遠鏡では、19世紀中ごろに、凹面鏡のガラスの表面に銀のメッキをする技術が実用化されました。その結果、20世紀になると、倍率が大きくて、より多くの光を集める口径の大きな反射望遠鏡が、次々と作られました。ハワイにあるケック望遠鏡は、口径1.8mの鏡を36枚組み合わせたもので、合成した口径が10mとなり、世界最大の反射望遠鏡となっています。
 小さな望遠鏡で、天体を見ている分には、口径を大きくすることはいいことでした。しかし、望遠鏡の性能が上がり、大きな望遠鏡になってくると、どうしてもクリアできない問題がでてきました。
 それは、空気のゆらぎとレンズの歪みでした。
 大気のゆらぎの中を光が通ると、光もゆらいでしまいます。星が瞬いているのは、大気のゆらぎのためです。望遠鏡が大きくなれば、望遠鏡の中の光の通り道のゆらぎが問題となってきます。
 また、反射鏡でも、レンズが大きくなると、レンズが自分の重みで歪んできます。こんなささやかに見える反射面の歪みも、解像度に大きな影響を与えます。このようなゆらぎと歪みは、どんなに精度よく見ようとしても、星の姿をぼやけませますつまり、どんなに口径を大きくして、光を集めても、良く見えための限界があります。
 大気のゆらぎやレンズの歪みを克服するために、新しい望遠鏡はさまざまな工夫を凝らしています。それは次回としましょう。

・調べる道具シリーズ・
今回から「調べる道具」シリーズをはじめます。
いろいろ調べる道具があります。
そんな道具に秘められた
さまざまな工夫、苦労をみていきたいと考えています。
まず今回は、望遠鏡からでした。
予想通り1回では終わりませんでした。
続きは次回のお楽しみです。

・大学の値打ち・
今年は、秋が暖かくていいのですが、
落ち着かない日々が始まりました。
それは、大学は推薦入学の申し込みがはじまったからです。
少子化の時代ですから、推薦入試の申し込み数が
多い少ないで、大学関係者が一喜一憂する季節となります。
推薦入試の次がセンター試験、その次が一般入試となります。
あわただしい時期が始まります。
そんなとき、ふと次のようなこと考えました。
私立大学は、学生が入学することで運営されています。
学生にたくさん受験をしてもらって、
大学にあった学生だけを選抜していくことが
大学にとって大切なことです。
それが入試であります。
そのためには、学生にとって魅力のある大学を、目指さなければなりません。
それを、大学自身が常に模索しています。
時代や社会、大学によっても魅力は違うでしょう。
大学教員として単に教育熱心だけではダメなようです。
つまり教員がどんなに熱心にいい教育をしても、
無駄ではないのですが、集客力を発揮しないのです。
自慢とする良い教育を、少なくとも、高校生やその父母に、
評価してもらうためには、宣伝が必要です。
他の大学の比べて違っている点、
勝っている点を明確に打ち出し、
いろいろ考え出してアピールすることになります。
しかし、それは多くの大学でやっています。
アピールできる点が、ある年あったとしたら、
次の年には、他の大学もそれをマネてきます。
イタチゴッコのような気がします。
高校生やその父母は、そんな宣伝を、
多数の評価の一つとして見ているに過ぎないようです。
やはり、教員として、誠意を持って今いる学生の教育をすること、
そしてそれを真摯に飽くことなく繰り返すことが
大学教員としての基本はないでしょうか。
それを当たり前でも、対外的に示すしかないのではないでしょうか。
良い教育のないところに、大学の存在意味がないのですから。
多分、これは理想論でしょうね。