2003年12月25日木曜日

2_27 塩分地獄

(2003年12月25日)
 生命は、地球の思わぬ変化に直面しました。それは、海水の塩分濃度が急激に上がるという事件です。それは、海水のマントルへの逆流という事件に伴って起こったものです、生命は、そんな事件にも対処してきました。

 地球ができたてのころは、岩石もとけてマグマの海ができるほどの高温の状態でした。しかし、地球はその後、ずっと冷え続けてきました。それは、絶対3度という宇宙空間に地球がおかれているためです。地球という暖かい物体が、周りの冷たい空間に熱を放出して冷めているわけです。温度が下がることによって、地球にはさまざなま変化が起こります。
 地球の熱は、対流という作用で地球内部から外に向かって移動します。対流といっても地球の内部は芯が鉄(核と呼ばれているところ)、その周りが岩石からできていますから、鉄が核の中で対流し、その外にある岩石も、鉄からの熱を受けて暖められて、対流します。そして岩石は、地表で熱を放出します。このような岩石の対流を、マントル対流と呼んでいます。岩石も温度と圧力が高いところでは、流れるように移動していくのです。
 マントル対流のいちばん大きな出口が、海底の山脈、海嶺とよばれるところです。海嶺では、海洋地殻がつくられ、そして海洋プレートとして海底を移動してきます。十分に冷えた海洋プレートは、海溝でマントルに沈みこんでいきます。沈み込んだ冷たい岩石は、マントルを冷ますという作用をします。
 地球は冷めてきています。地球ができてすぐのころは、冷めることによってさまざな事件が起こりました。マグマがさめて岩石に変わり、大地ができました。水蒸気がさめて液体の水となり、雨が降り、川ができ、海ができました。
 その後も地球は冷めてきていますが、大きな変化が見られませんでした。しかし、ひとつ大きな事件があったことを、私たちは読み取ることができるようになりました。
 それは、沈み込む海洋地殻の中で起こりました。鉱物には、水を結晶の中に含んでいるもの(含水鉱物といいます)があります。海洋地殻の中にもそんな含水鉱物があります。マグマから海洋地殻ができたときは含水鉱物はできていませんが、海洋底で変成作用を受けると、含水鉱物が形成されます。その水はもちろん海水からもたらされたものです。地球は熱かったときは、海洋地殻の含水鉱物は、海洋地殻がもぐりこむときにはすべて分解されて、抜け出ていました。つまり、海洋地殻が海底で取り込んだ水分は、また、地表に戻っていたのです。ですから、海水には変化はなかったのです。
 地球の温度が冷めてきてきたことで、あるときから変化が起こりました。プレートがもぐりこむとき分解されていた含水鉱物の一部が、分解されずに、マントルまでもぐりこむようなことが起こりはじめたのです。水が、マントルに入り込むということが始まったのです。この事件は、海水のマントルへの逆流と呼ばれています。
 7億5000万年前ころから、含水鉱物がマントルへ入り込み始めたと考えられています。7億5000万年前から5億5000万年前ころにかけて、海水は、じょじょに減っていきました。約2億年間、水の逆流がおこったのです。そしてやがて逆流は平衡に達したと考えられています。もぐりこむ量と海嶺やその他の火山から放出される量が同じ程度になったのです。現在もその平衡状態をたもったままであると考えられています。
 鉱物に含まれる水は、重量にして数パーセントで、岩石にしても0.数パーセントに過ぎません。しかし、海溝は広く、長く、地球は長い時間を活用します。
 海水のマントルへの逆流によって、深さ600m分の海水が、マントルに入ったと考えれます。海水とはいっても、鉱物の中の水分(H2O)として入りますので、塩分は海水の残ります。つまり、海水から水分がなくなると少ししょっぱくなるのです。
 また海水が減れば、陸地が広がります。逆流がはじまるまでは、陸地は地球の表面積の10から20%くらいだったのが、現在の30%くらいにまで広がったと考えられます。広がった大陸地殻では、大河ができ、急激に侵食されはじめます。岩石の中の水に溶けやすい成分が、大河によって海水に加えられます。その結果、海水にとけている成分が急激に変わります。中でも、海水の塩分濃度が大きく変化した考えられています。
 これは、生命にとって由々しき環境変化です。それまで薄かった塩分が、急激に濃くなったのです。すると、細胞の中の水分は、海水と平衡を保つために、抜けていきます。つまり、細胞は脱水症状を起こし、干からびていきます。それは、死を意味します。
 この塩分濃度の変化には、2億年という長い時間がかかります。ですから、生物にも十分な時間を与えられていたのです。時間をかけて、塩分濃度の変化に対応したと考えられます。
 そして、今生きていている生物は、この塩分濃度の海に対応できた生物の子孫なのです。もちろん私たち人類もその仲間です。そして私たちの細胞や血液の塩分濃度も、そのころから現在まで続いている海水の濃度を持っているのです。

・若者の適応・
北海道では、今年は、雪の降る間隔が長いようです。
ですから、札幌のような都会では、ヒートアイランドの影響でしょうか、
道路の雪が溶けてしまって、自転車で走れるようです。
でも、私が住む町外れは、そんなには暖かくありません。
つるつるのスケートリンクのようなアイスバーンになっています。
私は越してきて2度目の冬ですから、こんな道は不慣れで、
おっかなびっくり歩いています。
もちろん地元の人もすべって転んでいます。
しかし、中には、こんな道を平気な人たちもいます。
若者たちです。
私は、早朝、研究室に向かうのですが、
6時過ぎのあだあけていない暗い中、
アイスバーンをこわごわ歩いています。
そんな横を、二人の若者が、冗談交じりの会話しながら
早朝のジョギングをしてました。
特別な靴を履いているわけではありません。
普通のスノトレです。
もちろんすべるのでしょうが、すぐに体勢を立て直せるのでしょう。
アイスバーンをものとせず走っていました。
あるときは、寒さをものともせず、
すべる道をスケートのように滑りながら
学たちは、遊んでいるのです。
私は、すべるのは靴が改良されないからだ、
と技術の進歩が必要だと考えていました。
しかし、なんのことはない、若者たちは、適応していたのです。
与えられた環境を自分の能力だけで乗り切り、
そしてそんな環境を楽しんでたのです。
歳をとるというこは、体力以上に
適応力の衰えを伴うものなのかもしれません。
アイスバーンで走ったり、遊んだりして適応している若者をみて、
将来への明るさを感じました。
それと同時に、自分が適応できない側になっているという失望も感じました。

・ネタ・
さて、この号が今年最後です。
早いものです。
2000年9月20日が第1号の発行です。
それから、3年3ヶ月がたったわけです。
その間、休むこと毎週発刊することができました。
よくネタが尽きないと自分でも不思議ですが、
このメールマガジンを、私は、楽しんで書いています。
地球や宇宙には、いろいろな面白ことがいっぱいあります。
それは、昔の人が発見したことでもあるし、
現在進行中の研究でもあるし、
あるいは、私が思いついたこともあります。
一回の分量もちょうどいいようです。
なにか思いついたことを、一気に書けるからです。
でも、考えてみると、まだまだ書きたいことがいろいろあります。
私自身、地球のことで知らないことも、まだまだたくさんあります。
そして、そんなことを学びながら、私自身研究を続けています。
そんな学びや研究の中から面白いなと思ったことを話題にしています。
ですから、研究に終わりがないように、
このメールマガジンのネタ、話題にも終わりがありません。
もし、終わりがあるとすると、私の能力、
おかれている環境によるものでしょう。
できれば、そんな日の来ることがなく、継続できればと思っています。
でも、こればかりは、予測できません。
環境変化とは、予期できないものです。
願わくは、若者のようにいくばくかの適応能力を
残していることを祈るのみです。
では、最後になりましたが、よいお年をお迎えください。