2026年1月29日木曜日

3_230 大絶滅を起こした隕石 3:論争

 斉一説、それを元にした進化論は、発表当時には、社会や学界から激しく批判されました。それらは、やがて受け入れられ、科学的方法論やその概念が、現在の科学の基礎となっていきました。


 教義に則った激変説と科学的方法論による斉一説との論争は、イギリスとフランスで激しく起こりました。その様子を少し見ていきましょう。
 イギリスでも、当然ながら、当時は地質学者も激変説を信じていました。斉一説は、18世紀末にハットン(1726~1797)が最初に唱え、その考え方は「現在は過去の鍵である」といわれていました。その後、ライエル(1797~1875)も、詳細な地質現象をもとに、斉一説に基づいて大著をしたためました。
 ダーウィン(1809~1882)も、ライエルの著書をビーグル号に乗っている時に入手して、斉一説の存在を知り、受け入れていました。ダーウィンは、自然淘汰という現象の積み重ねで、生物は進化してきたと考え、1859年に「種の起源」で進化論を提唱しました。進化論には、長い時間が必要になります。地質学的な斉一説を受け入れれば、聖書に示された時間(6000年程度)より、もっと長い時間が、地球には流れていたことを意味しました。
 ダーウィンの進化論は、「種の起源」出版直後から、かなり話題になりました。しかし、宗教界からも、恩師(アダム・セジウィック)や科学界からも激しい批判を受けました。ダーウィンは、その批判や書評に敏感になり、第2版では修正を加えています。
 ダーウィンは、公開の場での討論は避けました。その討論の代役をかってでたのが、ハクスリーで「ダーウィンのブルドッグ」とも呼ばれていました。もちろん、一部の地質学者や生物学者、若い人からの支持はあり、やがては科学界に受け入れられていきました。
 フランスでは、キュビエとラマルクが。生物進化について論争していました。キュビエ(1769~1832)は、各地から産する動物化石、とくに脊椎動物化石を研究し、「比較解剖学」の手法を確立しました。そのため、脊椎動物古生物学の祖ともいわれています。キュビエは、激変説によって古生物の変化を説明しました。
 キュビエは、生物は進化しないと考えていました。何千年前にも、犬、猫、人間はいるが骨格の変異も進化もしておらず、変種でさえ骨格は近似していることを比較解剖学で示しました。斉一説に対して、化石種から見られるように絶滅種は多数存在するが、生物連鎖(生物進化)があるなら、なぜ絶滅があり、連鎖が途切れているのかという批判をしました。
 一方、ラマルク(1744~1829)は、斉一説で生物進化を考えました。無脊椎動物化石の研究から、生物は無生物から自然発生し、単純なものから、複雑なものへと「前進」する、つまり進化してきたと考えました。自然界には、発生時期の違いによって、発展段階の違うものが階層的に存在すると考えていました。生物は、現在用いている器官(キリンの首)が、必要に応じて(高い木の葉を食べる)、優位に働く(首が長い)であれば、それが子孫に遺伝すると考え、「用不用説」の提唱しました。獲得形質(使って変化した形)が遺伝するという考えでした。
 キュビエの考えは、当時は多くの支持を受けていたのですが、ラマルクやライエルに反対され、やがて斉一説を受け入れました。ダーウィンにも影響を受け、進化説も受入れることになりました。

・大雪・
先週末には、全国的寒波や大雪で
大混乱となりました。
今回の寒波は厳しいものでした。
雪に慣れている北海道でも、
混乱はおきました。
わが町より、札幌の方に雪雲が伸びて
大雪となりました。
幸い日曜日だったので、
交通量が少なかったのが幸いでした。
交通の乱れは、しばらく続きました。

・影響や乱れ・
大学は月曜日は大雪のため、
一日休講となりました。
月曜日から、後期の定期試験期間に入るため
試験日がずれることになりました。
どうなるかは別途、連絡があるのでしょう。
このメールマガジンは月曜日の朝に
予約配信しています。
そのため火曜日以降の状況はわかりませんが、
これで寒波や大雪が
一段落すればいいのですが。