2025年5月15日木曜日

1_231 スノーボールアースの開始 4:安定状態

 全球凍結という状態は、地球の位置でも安定した状態でした。しかし、そこには大きな問題がありました。全球凍結になると、温暖な状態に戻ってこれないことでした。なぜ戻ってこれないでしょうか。


 全球凍結が、なぜはじまり(契機)、どのようにして終わった(回復)かについては、難しい問題となっています。それは、地球表層の条件に関するシミュレーションの結果があったためです。
 地球の表層の条件に関するシミュレーションがあります。太陽からのエネルギーが地球を温めるための熱源となり、その熱源を地球表層でどのように利用されるかが、地球表層の温度を決定していきます。太陽系における地球の位置は、現在のように海が広く存在でき、氷床や氷河(夏でも溶けない氷)があっても少しある状態になれるほどの太陽からのエネルギーが届いています。
 地球表層の温度は、届いている太陽からの熱エネルギーだけでなく、熱ネルギーが表層でどのように利用されていくか、留まっているのか、放出されていくのかによって、大きく左右されます。それは大気の有無や成分、地表の条件により変化します。
 例えば、天気のいい日は、朝夕は宇宙空間にエネルギーが放出され、気温は下がりますが、昼間は太陽エネルギーがたくさん注ぐので、気温は上がります。曇りや雨の日になると、太陽光がささないので、昼間でもあまり気温は上がりませんが、朝夕でも気温が下がることがありません。これは雲が気温変化をさせない影響をあたえていることになります。
 気温を決める条件の中でも、地表の太陽光を反射する割合は、アルベド(albedo)と呼ばれ、0から1の値で示されます。現在の地球のアルベドは、0.3ほどです。この状態が地球では安定していることが、シミュレーションに確かめられています。
 ところが、もうひとつシミュレーションでは安定な状態があることがわかっています。それが全球凍結の状態です。全球凍結は、大きな問題がある安定状態なのです。
 全球凍結となると、海面や陸地の山岳地帯などが真っ白な氷で覆われることになります。寒いので大気中の水分は雪となり、海も湖、河川も凍っているため、水蒸気もほとんどなく、雲もなくなっていきます。こんな真っ白な状態になると、海洋や大気を温めることもなく、太陽光が反射され、宇宙空間に戻っていきます。アルベドも0.8くらいに大きくなると推定されます。この状態は安定していることも、明らかにされてきました。
 もしいったん全球凍結の状態になってしまったら、安定した状態なので、海のある状態に戻ってこれなくなります。実際にこれまで氷河期と呼ばれる状態があっても、海が一部しか凍ることはありませんでした。全球凍結というシミュレーションの結果があったのですが、海がすべて凍るような状態にはならないと考えられていました。
 しかし、地質学的に全球凍結が起こってきたことが明らかにされました。発見者のポール・ホフマンは、そこから簡単に戻る方法を示しました。それは二酸化炭素による温室効果によるもので、その証拠もありました。その詳細は次回としましょう。

・少し眼の調子が回復・
目の調子が悪くなり
先週まで頻繁に医者にかかっていましたが、
少しずつ回復してきています。
医者も2週間後まで様子を見ることになりました。
左目が見えにくいので、
どうしても右目に負担がかかり疲れてきます。
長時間、集中しての研究は難しくなりました。
今までの半分ほどのペースで
研究を進めていこうと考えています。

・長い老後・
退職以降、平日が自由に使えることになりました。
できる限り、週に一度くらいは
夫婦で過ごす時間として
使うようにしようと考えていました。
4月中旬からは、妻が体調不良になり
現在は、私が体調不良になりました。
ですから、あまり出歩けていません。
私が、少しずつ回復してきています。
今後は、少しずつ夫婦での時間を
取っていこうと考えています。
これから長い老後があるでしょうから、
のんびりと時間を使っていこうと思っています。

2025年5月8日木曜日

1_230 スノーボールアースの開始 3:何度かの全球凍結

 カンブリア紀までは、定量的な気温の推定が可能でしたが、それ以前の時代では定性的な推定になります。原生代には地球全体が凍ってしまうような、超寒冷化が起こっていたことがわかってきました。


 これまで気温の推定法をいろいろ紹介してきました。カンブリア紀以前の連続的な気候変動は、定性的推定になっていきます。調べていく中で、激しい寒冷化が、原生代末に起こっていたことがわかってきました。
 この寒冷化は、現在から数100万年前から繰り返し起こっている氷河期とは、桁違いのものでした。その時期、赤道付近の陸地からも氷河の堆積物があり、赤道付近まで海洋はすべて凍りついていたと考えられます。全球凍結と呼ばれ、地球全体がまるで雪玉のようになっていたと想定されることから、「スノーボールアース(Snowball Earth)」とも呼ばれています。
 全球凍結の様子が、地質学的な証拠から推定されています。赤道付近の海まで1000mの厚さの氷がはるほど、寒かったとされています。もちろん夏でも解けることはありません。長い氷期が終わった後には、超高温期が訪れたと推定されています。
 その後、詳しく調べられていくと、全球凍結は、原生代末に少なくとも2回、7.2億から6億6000万年前(スタルティアン氷期 Sturtian)と、6億5000万から6億3500万年前(マリノアン氷期Marinoan)が起こっていることが明らかになってきました。そして、それぞれの氷期の特徴もわかってきました。
 スタルティアン氷期は、約5000万年もの非常に長期に渡り、寒冷化がもっとも厳しく、平均気温はマイナス40度以下で、赤道でも氷河堆積物が見つかっています。海洋では激しい酸欠が起こり、縞状鉄鉱層が堆積しています。その後の温暖化は顕著ではありません。
 マリノアン氷期では、全球凍結は起こっていたようですが、氷河は成長と後退が繰り返され、大きな気候変動が起こってい多様です。そして、氷が溶けたあとに、急激な温暖化が起こり、その時の平均気温40°Cまで達していました。温暖化によって、大気中の蓄積されていた大量の二酸化炭素が、海水に溶け込んで、炭酸塩として大量に沈殿していきました。やがて、炭酸塩の厚い地層(キャップカーボネートと呼ばれています)となっていきます。
 原生代末の全球凍結では、平均気温で80度もの気温差ができる、激しい気候変動となりました。このような2度の激しい寒冷化があったことは、多くの証拠から確認されてきました。
 他に、もう2つの全球凍結が起こった可能性が指摘されています。
 マリノアン氷期の後、5.8億年前のガスキアーズ氷期(Gaskiers)と呼ばれ、短期間(30万年間ほど)で局所的な寒冷化だった可能性があります。もう一つは、25億年前(原生代初期)のヒューロニアン氷期(Huronian )と呼ばれるもので、非常に長期に渡り(24億5000万から21億年前)、一時期全球凍結が起こったと推定されています。
 なぜ全球凍結がはじまり、なぜ終了したでしょうか。それについては、次回としましょう。

・ゴールデンウィーク・
当初、ゴールデンウィークには、夫婦で、地元へ
何箇所か出かける予定をしていました。
しかし、いずれも、断念しました。
眼の調子がよくないのと
なにより天候が安定していないので
出かけることができませんでした。
曇ったり、雨が降ったり、寒い日が続きました。
晴れたとしても一時的で、不安定な日々でした。
そのため、大学と自宅と、
2度ほど買い物で街に出かけるだけでした。
そんな時期もあるでしょう。
これからは、平日にも出かけられますので、
よしとしましょう。

・仕事のペースを抑えて・
眼の炎症は、継続中です。
左目が、まだかすんでいます。
激しい炎症は少し治まったので
散瞳する目薬はささなくてよくなりました。
眼圧が上がってきており、
その治療が新たにはじまりました。
頻繁に病院にいっています。
そのため、最近は、仕事のペースが
ゆっくりとしたものになってきました。
むりせずに研究も進めていきましょう。
自宅でも作業できる環境を
構築していこうと少しずつ進めています。

2025年5月1日木曜日

1_229 スノーボールアースの開始 2:気温の定量値

 化石の分析から海水の温度が推定できました。そこから大気の温度の推定がされますが、直接気温を推定しているわけではありません。気温の推定はどうのようにすればできるでしょうか。


 前回は、連続した地層中の化石を入手することができれば、殻化石の酸素同位体組成から、その地域の水温が定量値として推定できることを示しました。化石の生息環境から、海底や海面の温度が推定できました。海面の温度は、大気の温度を反映していることを紹介しました。しかし、化石からの推定は、大気の温度つまり気温を直接測定しているわけではありませんでした。
 直接、気温を探る方法もあります。同じ酸素同位体組成による仕組みを利用しますが、材料が氷です。極地では、毎年降雪があり年輪のような氷が堆積して氷床となります。降った雪がふかふかしており、空気を含んでいます。氷になっても、中にはその時代の空気も閉じ込められています。その空気はその地点の上空の大気となります。氷の中の空気を集めて、その酸素同位体組成を測定すれば、直接気温を計算することができます。
 氷の層を一枚ずつ数えるのは困難で、年代補正として、噴火時期のわかっている火山灰などの層(鍵層 キーベッドと呼ばれます)を手がかりに年代を定めて、時代ごとの気温を定量的に求めることができます。
 グリーンランドや南極などの氷床には、古い時代かたたまったものがあります。連続的に気温変化が測定されています。岩石と比べる氷にボーリングは楽なので、長いコア(氷の試料)が回収されています。そのような情報から、数100万年分くらいの気候変動が読み取られ、そこには氷河期と間氷期の多数の繰り返しがあったことも明らかになってきました。
 氷床が手に入る時代は100万年前くらいまでです。それ以前の数億年前などの古い時代の気温を推定することはできません。一方、地層中の化石であれば、数億年前までの化石もあります。しかし化石となるような生物が多量に生存していたカンブリア紀(5億3880万年前から)から以降の時代になります。
 カンブリア紀以前は、前回示した定性的な推定となります。有機物(生物由来の化合物)や特徴的な地層(縞状鉄鉱層やチャート)からえられる物質の酸素同位体組成から推定していくことになります。
 カンブリア紀以前には、大きな気候変動が見つかってきました。その内容は次回としましょう。

・桜は足踏み・
北海道もやっと桜の季節になってきました。
わが町では、ツツジがすでに開花していますが、
次が、桜となります。
ただし、最近天気の悪い日、肌寒い日が続き
少々開花も足踏み状態になっています。
桜のソメイヨシノは一番先に咲くのですが、
少し気の早い木は咲いているのですが、
多くは蕾状態です。
桜は一気に咲きますが、ツツジは長く咲いています。
今週は、妻と花見や野山に散策などに
出かけたいと考えています。

・眼の不調・
眼の不調は、悪化はしていないですが、
悪い状態で足踏み状態です。
何度も医者にいっているのですが
現在の治療を継続して、様子見の状態です。
無理せずに、時間をかけてゆっくりと
対処療法を続けていくことになりそうです。

2025年4月24日木曜日

1_228 スノーボールアースの開始 1:土壌と化石

 地球の気候変動についてみていきます。今回は、気候変動の中でも、全球凍結、スノーボールアースに関する研究を紹介するシリーズとなります。まずは、過去の気候をどのようにして知るのか、その方法を考えていきます。


 地球には、激しい気候変動が、過去に何度もありました。その変動は、現在危惧されている温暖化や繰り返されてきた氷河期などとは、比較にならないほど、激しい変動であることがわかってきました。では、そん気候変動はどのようにして、推定されていくのでしょうか。
 いくつかの方法によって、気候は推定されています。気候の推定で利用するのは、目的の時代の地層となります。地層には、堆積した時の環境の痕跡が記録されていることがあります。
 痕跡の記録として、例えば土壌があります。気候条件を反映した特徴的な土壌ができることが知られています。このような土壌は、気候指標土壌(climosequences soils)と呼ばれています。熱帯の高温多湿ではラトソル(Laterite)、乾燥地帯ではカリシソル(Calcisol)やアリソル(Aridisol)、温帯ではポドゾル(Podzol)、寒帯のツンドラでは永久凍土土壌(Cryosol)、高山ではアンデゾル(Andosol)などが、気候指標土壌となります。このような土壌が過去の地層の中から見つかったら、その時代のその地域の気候が推定ができます。特徴的な土壌の発見から、定性的に気候を推定することができます。
 他にも、定量的に気候を知る方法もあります。化石を構成している物質の化学組成から、海水の温度を調べる方法があります。微生物の化石(有孔虫)の殻をつくっている成分(炭酸カルシウム CaCO3)に含まれている酸素の成分(酸素の同体組成)には水温と比例する関係(同位体平衡)が知られています。その関係を利用して、海水温を計算できます。その時、目的の時代の海水の値を推定する必要があるのですが、仮定をすることで定量されていきます。
 また、有孔虫化石の形態や種の判定から、海面や海底などの生息環境を見分けることができます。一枚の地層から、両者を組み合わせることで、海面と海底の温度を推定することもできます。海面温度は、大気の温度(気温)に近いとみなせます。
 連続した地層は、同じ地域で堆積していたはずなので、同一地域の連続記録とみなせます。海で連続的に堆積した地層から、化石を取り出し、海水温の連続した記録は、定点での地球の気候変動として読みとるができます。
 さて、今回は、大きな気候変動として地球の海がすべて凍結したという全球凍結についての研究成果を紹介していきます。

・自由の謳歌・
現在、自由を謳歌しています。
以前と同じように、土日も含めて
毎日大学の研究室にきています。
週に一度は講義があるので
その準備と当日の束縛はあるのですが、
それ以外の時間は、好きな研究に使うことできます。
ただし、講義の曜日以外は、
平日に好きに時間を使うことができます。
なにより精神的に自由度が大きくなっています。
その自由さを有効に活かしていこうと考えています。

・眼病・
週末にこのエッセイの下書きをしていました。
ところが、持病ともいうべき眼病が発症しました。
この眼病は、若い時に2度発症していました。
しばらく再発していませんでした。
それが週末に発症しました。
地元の眼科病院にかかりました。
処方されて点眼薬が効いていて
痛みは消えたのですが、炎症は残っています。
紹介状をもらって、
翌日、市立病院でも治療を受けました。
金曜日まで様子をみてから、
今後の方針を決めていくことにしました。
痛みはないので、日常生活ができるので、
研究室にも出てきました。
大学で講義もできそうです。
この炎症は、これまで長引いてきましたので
今回も長引きそうです。
歳を取るということは、
病気ともうまく付き合っていく必要があります。
退職後だったので、時間が自由になるので
通院の自由度が大きいので助かっています。
しかし、病院の待ち時間の長さには
耐え難いものがありますが。

2025年4月17日木曜日

4_192 上野のお山の科博にて

 最近はこの時期には帰省しています。親族の面会と墓参りなので、しなければならない帰省となっています。年々、都会での滞在が、疲れるようになっていきました。それでも、無理しないようにしながら、観光もしています。


 先日、横浜に帰省しました。親族に会うことと、墓参りが目的でした。都会にいくと、いつも人の多さに圧倒されます。現在住んでいるところでも、街に出れば多数の人がいます。そんなところは避けたいので、多いところでの滞在は最小限にするようにしています。首都圏では、行きたいところは、すべて人の多いところになります。いく行程でも、たどり着いてからも、人が多くて、疲れてしまいました。
 愚痴ばかりいっていないで、本題に入りましょう。
 一日、上野の国立科学博物館(科博と略称されています)を訪れました。10時開館だと思っていたら、9時でした。それに、特別展も開催されていたのですでに多く人が入館していました。以前、何度か来ているのですが、久しぶりなので展示内容をあまり覚えていませんでした。そのため、楽しんで見ることができました。
 入ってすぐの日本館では、企画展の「地球を測る」を見ました。さすが科博と思えるような古い気象や地震に関する観測機器の展示物がよかったです。特に、地震の揺れを3次元に針金で表現したものは、これまで存在も知らなかったのでよかったです。ボランティアの人が、詳しく説明をしてくれたのでよくわかりました。また、関東大震災の地震計の記録も画像でしか見ていなかったのですが、実物が展示されていました。やはり、実物の迫力、魅力は代えがたいものがあります。
 日本館の途中で昼になったので、レストランで食事を摂りにいきました。平日でしたが、親子連れや外国人客が多数いました。なんとか、食事を終えて、次は、地球館にいきました。
 以前も見たはずで、一部老朽化しているところもがあって残念でしたが、やはりその物量、質、デザインなどは、圧倒的でした。急ぎ足でしたが、地球館は全部を見ることができました。そこままでかなり疲れたのでラウンジで休憩をしてから、ミュージアムショップでの家内の買い物に付き合いました。時間もまだあったので、日本館の見残した展示室やシアターの見学もしたかったので、体力的にもう疲れてしまいました。すべてをじっくりと見るのも、体力が必要です。
 帰りは、上野公園の桜並木を通り抜けて来ました。まだ桜が満開で残っていたので、多くの人が見学をしていました。メインストーリーでは道沿いのシートを敷いての見学はできないようでしたが、少し外れた木立の前では、花見客が多数、座って食事をしていました。少し先の並木では、宴会が可能なところもありました。しかし、そこを巡る体力はありませんでした。
 都会で動き回る体力はなくなりました。特に、人が多いところでは、疲れてしまいやすくなるようです。自然の中を歩いたり、石や露頭を見るのいいですが、人の少ないところを歩くのが性に合っているようです。

・体力不足・
上野へは、9時前の電車に乗りました。
桜木町駅が始発の京浜東北線だったので
上野まで座っていくことができました。
以前の記憶の混みぐわいと比べると、
空いているはずなのですが、
それでも、人が多く混んでいると感じました。
もし、9時前の東海道だったら、
乗車時間は短かかったかもしれませんが、
まだ混んでいたのでしょう。
都会では、乗り物もラッシュを避けて
移動するしかありません。
毎年この時期に、横浜に行くのですが、
年々、出かける度に体力が落ちていくようです。
退職前後から歩くことや水泳をして
体力増強に努めているのですが、
まだまた足りないようです。

・外食・
横浜に到着した一日目は、
東京に住んでいる次男を呼び出して
中華街で食事を摂りました。
2日目以降は、二人とも昼間の疲れで、
夕方、風呂に入ったら、
食事にでる元気もなくなっていました。
仕方がないので、館内のコンビニで
食事を買ってわびしく食べました。
まあ、それでも朝と昼は外食していますので、
都会を味わっているのでしょう。

2025年4月10日木曜日

4_191 大学教員として最後の旅路 2:最後の宴席にて

 退職に当たり、いくつも宴席が設けていただきました。最後となる宴席では、仕掛けをしました。全部が分かる人はいなかったと思いますが、いくつかの仕掛けを解いた方もいたようです。


【独白1:キーワード】
 私は、人前で話すのは上手くないので、フォーマルの場での挨拶は、原稿を用意していました。最近はそのようなフォーマルな場はないので、挨拶は、毎回、キーワードだけを頭の中で決めておき、その場で話すことにしています。なぜか、最近あまり緊張することがなくなりました。ただし、マイクの前に立った時には、それなりに緊張しますが。この最後の挨拶では、原稿ではないのですが、キーワードを用意しました。
【独白2:前置き】
 子どもと暮らしていた時、いっしょにクイズ番組をよく見ていました。なぞなぞのようなクイズは、子どもが小さい時は、家内や私が先に解けていましたが、時は子どもが先に解けることがありました。解ける快感もさることながら、先にわかる優越感が大きかった思いがあります。そして子どもが大きくなるにつれて、ほとんど勝てなくなりました。
 いずれにしても謎に挑戦して、それを解く快感は知的楽しみとしては大きと思います。
【註】こんな前置きの話しを、本来はしようと思っていたのですが、時間が限られていたので、省略することにしました。
【ここから話をはじめました】
 大学では、退職にあたり、各所で挨拶をすることになります。最後の場となるのが、大学全体でのこの歓送迎会となります。ホテルの大きな会場での宴席となります。考えたら長らく大学に奉職してたのですが、公式に大学の教職員の前で話すのは、これが最後になると思うと、話したい内容や思い出が、次々と湧いてきました。それをそのまま吐露すると、支離滅裂になるので、今回はメモを用意しました。
【といって、キーワードを書いた用紙を取り出しました】
 さて、これらの挨拶の中で、私が目指してきた教養、そして数名の教職員と話した話題から、キーワードを選び、それを話すことにしました。ですから、ここには、キーワードだけが書かれたメモをもってきました。キーワードには順番もあるので、メモが必要でした。

【この内容については、別の所に書いていますので、すべて省略します】

 話の中で、いろいろな仕掛けを考え、大学にくるまでの経歴で、一旦話しを中断して、閑話として、ここまでの話に使った6つのキーワードを示して、その意図を種明かしをました。また、それは教員(学長が多い)との会話で出てきたキーワードあることも明かしました。

 閑話休題以降、話の内容は、5つのキーワードを織り交ぜながら、大学での思い出、アカデミアとしてよさとその存在意義の話をしました。キーワードの種明かしをすることなく、挨拶を終えました。
 後半で使ったキーワードの難易度は高く、一人ですべてを解くのは不可能だと思いました。ただし、最後のキーワードだけは、有名なものなので、会場で何人かの人が答えがわかったようでざわつきました。話し終わると、会場が一瞬シーンとなりましたが、じわりと染み込んで、よかったようです。
 あとから知り合いの先生から、その仕掛けのキーワードの一部しかわからなかったが、あのキーワードはわかったなどの話が聞きました。そんな評価こそが望むところでした。
 このキーワードは、最終講義から連続していたもので、最終講義を聞いていないと、まずは解けないと思います。そして、最終講義の隠れた目標は、教養を身につけることの大切さを示すとともに、その実践例を示したいということでした。歓送迎会の挨拶の後半のキーワードは、最終講義で述べた内容でもありました。
 このように、退職に向けて、ほとんど気づかれないでしょうが、いろいろな仕掛けをして、わかりにくいとこにメッセージを残してきました。そんな他愛のないことを、最後に楽しみました。
【独白3】
 謎解きの楽しさの前置きは、時間の都合で割愛しましたが、本来なら、11個のキーワードの内、いくつわかったか聞こうと思っていました。その中で一番難しいものを答えた人に商品を渡そうかと思いましたが、そんな時間的猶予はありませんでした。

・謎解きの楽しさ・
最後の挨拶の概要は、あるエッセイに書きました。
種明かしも、そこでしています。
また、退職にあたって、見つかりにくですが
いろいろな意図について公開しました。
こんな仕掛けをしていくことは楽しいですね。
そして、家族で見ていたクイズ番組で
謎を解く楽しさを味わいました。
もしかすると、家族の誰かが、
気づくかもしれません。
インターネット上に公開し、それが残っていれば
誰かが、いずれ、なにかの機会に気づいて
謎解きの楽しさを、味わってくれるかもしれません。
ただし、家族には、いずれ気づくかもしれないが
わかりにくいところですが、
メッセージを隠してあります。

・熊楠のまんじゅう・
学部の歓送迎会でも
花束をもらうことになっていましたが、
それは職員の人にあげることにしていました。
その代わりとして、
私が熊楠に興味をもっていることを
よく知っておられたので
熊楠に関連するまんじゅうをもらいました。
こんな凝った対応をしてくださった職員の方々は
私が好きなユーモをお持ちなので
非常にうれしかったですね。

2025年4月3日木曜日

4_190 大学教員として最後の旅路 1:最終講義にて

 大学の退職しました。退職に当たり、研究内容だけでなく、最後のメッセージとして、いろいろな、わかりにくいところに残してきました。そんな自己満足のようなメッセージの一端と、場所のヒントを紹介しましょう。


 2025年3月末を持って、大学の退職しました。23年におよぶ大学教員として生活を終えました。終わるに当たり、自ら進めてきた研究や、目指していたもの、考えてきた方法論とその実践などを、大学の関係者には伝えたいと思いました。その伝え方も、自身が考えた方法論の実践と位置づけました。研究内容な方法には興味のない人も多いはずなので、「思い」の部分は隠れたメッセージとすることで、気づく人だけが楽しめばいいとしました。そんか仕掛けをいくつかしました。
 大学での退職セレモニーとして、公式の場として、最後の講義や、最終講義の場などで花束を渡すことになっていました。最近は、セレモニーを辞退することも選択する教員もいます。
 最終講義として、以前聴講した何人かの先生のものが印象に残り、その先生の人となりが伝わり、いいものだという記憶がありました。私の所属していた学部では、コロナ禍の影響もあり、ここしばらく最終講義はなされていませんでした。私は大学への最後のメッセージとして、最終講義をさせていただくことにしました。
 そこに、隠れたメッセージをいろいろ埋め込むことにしました。大学の関係者が中心なるように、2月28日(金)の校時にさせて頂くことにしました。また、担当職員もはじめてとなるとことで、仕事を増やさないように、大げさな告知はせず、学内だけにしました。気づいた在学生や教職員だけを予定していました。その一貫で大学ホームページでも情報が出ることになりました。そのため、在学生や教職員だけでなく、ホームページや口コミで、卒業生一部の外部の人にも知られ聴講にこられました。数えてないので正確ではないですが、全部で70から80名ほど聴講されていたようです。
 講義内容の詳細は省きますが、研究への道を歩んできた履歴とともに、研究テーマの変遷や成果を示しました。退職後も、探求したい研究テーマがあり、研究の道をまだまだ歩み続けることも伝えました。
 終了後、非常に専門性の高い所で、何人かの人たちから強い反応がありました。いろいろな手応えがありました。その中には、今までそんなことに興味をもっていな人がいたこともわかり、非常にうれしかったです。私にとっても非常に有意義な最終講義になりました。
 最終講義で話した内容は、当日配ったレジメの目次の部分だけは、某所で公開しました。また、別のところに、最終講義の仕掛けも少し示しまた。最終講義の完全版は、今のところ公開する予定もありません。
 また、他の場でも仕掛けをしましたが、それについては、次回としましょう。

・キーワード・
最終講義の内容で反応があったキーワードを列挙します。
共同研究者の特定の人、
以前の勤務場所の前身が横浜正金銀行であったこと、
四国西予ジオパーク、
ステファン・J・グールド、
南方熊楠、密教、マンダラ
などでした。。
また、外部から聴講に来られた方は
私自身に興味があったようでした。

・花より団子・
本来、退職教員には最終講義などの場で
花束贈呈をすることになっています。
花束は生花なので、辞退しました。
そんな時はいつも、「花より団子」
といって断っています。
すると担当者は、気を利かせて
花束ではなく団子(食品)を
送ってくださることがあります。
大学からは、ジオパークと南方熊楠のお菓子を
個人的に清酒を、
卒業生からは寄せ書きや手紙、メールを頂きました。
最終講義に出席していた、
卒業生からは花束を持ってきてくれました。
ありがたく頂くことしました。