2023年6月29日木曜日

3_214 内核の話 5:内核形成のはじまり

 前回は、カンブリア紀の強磁場から内核の成長の話でした。今回は、それより前、エディアカラ紀にあった超低磁場から、内核の形成時期についての話です。内核はいつできたのでしょうか。


 地球ダイナモの原理によって、地磁気は外核の流動で起こっています。外核の活動は、地磁気の変動となります。過去の地磁気の変動は、古地磁気として記録されているので、試料と技術があれば、読み取ることが可能になります。内核の成長に関する変動を、古地磁気から探る方法は、外核の変動から間接的ですが、捉えることにできました。
 しかし、内核がいつできたかは、よくわかっていません。内核の形成がはじまったころは、地磁気への影響も少なかったでしょうし、少しずつ一様に成長したとすると、その変動はかすかなものになるはずです。
 内核の形成を調べるのには、主に2つのアプローチがあります。ひとつは、熱力学的モデルからのアプローチです。熱力学的モデルによると、内核の成長開始は、25億年前から約5億年前までの20億年間にわたる推定がありました。あまりに長い期間にわたるため、形成過程はまだ十分には解明されていることにはなりませんでした。
 2016年、Geophysical Research Letters誌に、Driscollさんの論文
Simulating 2 Ga of geodynamo history
(地磁気のシミュレーションによる20億年の歴史)
で、詳しくシミュレーションされました。
 論文によると、17億年前より以前は強磁気ダイナモが多極子になり、17億~10億年前は強磁場ダイナモは主に双極子になり、10億~6億年前は弱磁場ダイナモで非軸性双極子に、そして6億年前から現在は内核の形成後の双極性の強磁場ダイナモになると推定しています。いずれも正確に古地磁気が読み取られれば検証可能です。
 アメリカのロチェスター大学のBonoさんらの共同研究で、Nature Geoscience誌に2019年に掲載された
Young inner core inferred from Ediacaran ultra-low geomagnetic field intensity
(エディアカラの超低磁場強度から推定された若い内核)
という論文です。
 エディアカラ紀(約5億6500万年前)のSept-Ile貫入岩類の斜長石と単斜輝石で、古地磁気の強度を調べました。その値は、これまで調べられたもっとも低いものになりました。現在の磁場強度の10分の1以下しかないことになります。地球ダイナモのシミュレーション、高い熱伝導率などから、エディアカラ紀ころに内核が形成されはじめたと考えました。
 また、2つの異なる方向の極性があることから、Driscollさんの熱力学的モデルによる「6億年前から双極性」という推定と一致していました。
 内核は6億年前ころから形成されはじめて、成長してきたようです。

・帰省・
6月末から4日間、京都に帰省します。
帰省初日の夜に、息子たちと会食します。
その後は、実家で親族と会います。
今年の正月に母が亡くなったので
墓参りをして、その後親族と
いろいろ相談しておきます。
初盆に帰省しようとしたのですが、
暑さと混雑が予想されたので
この時期にしました。
初盆などは親族におまかせすることにしました。

・日々精進・
先週、徳島から高知にかけての
太平洋岸沿いを調査しました。
メインは、四万十層群を調べることです。
気づいたら、もう6月も終わります。
サバティカルの期間のうち半分が経過しました。
目標の半分が達成できたかが問題です。
なかなか、予定通りには進みません。
しかし、日々、精進をしています。

2023年6月22日木曜日

3_213 内核の話 4:地球ダイナモの更新

 内核の変化を、外核の変化から推定していきます。外核の変動は、ある時代の形成された岩石の、古地磁気の測定から調べることができます。ただし、その考え方は、いくつかの段階を経たものになります。


 前々回、内核の歪な成長の観測から、内核の形成が新しかったのではないかという報告を紹介しました。今回は、2段階のステップで内核の起源を考える論理になります。
 2段階とは、まず古地磁気を探ることで、地磁気の発生源の地球ダイナモの変化を知ることができます。地球ダイナモは、外核の流動によるものです。外核の流動は、マントルを通じての熱の放出によって駆動されていると考えられています。熱の放出は、外核の結晶化と内核の成長率に影響を与えます。つまり、古地磁気の変動は、内核の成長の変動と対応しているとみなしていきます。
 内核が成長する時は、地磁気が強くなると推定されています。逆に成長していない時は、地磁気が弱くなっていくことになります。この考えを用いた報告がありました。2022年のNature Communications誌に、アメリカのロチェスター大学のZhouさんたちの共同研究で、
 Early Cambrian renewal of the geodynamo and the origin of inner core structure
 (カンブリア紀初期の地球ダイナモの更新と内核構造の起源)
という報告がなされました。
 古地磁気の変動として、エディアカラ紀(約5億65000万年前)に非常に低い地磁気になっていたことがすでに知られています。そこから強い地磁気に戻っていきます。しかし、この変動の期間のデータが不足していました。
 この報告では、カンブリア紀初期(約 5億3200万年前)に形成された斜長岩を用いて、空白の期間を埋めるために、地磁気を測定しています。この観測データから、エディアカラ紀の低い時と比べて、5倍も大きい強度になっていることがわかりました。短期間に急激に変動したことになります。
 超低強度の地磁気の定義データから、変動の開始は5億5000万年前ころからと推定されました。その時期を変動の開始年代と仮定して、熱モデルを作成したら、3300万年以内で回復していきました。また、内核が現在のサイズの50%(半径620km)まで、約4億5000万年前には成長していたと考えられます。この50%という値は、前々回示した地震波異方性が見つかった位置に相当します。
 エディアカラ紀からカンブリア紀にかけて、内核の成長に大きな変化が起こっていたようです。
 今回の報告と、前々回紹介した報告は独立した研究でした。いずれもいくつかの仮定やモデルを用いたもので、観測データを説明しています。そこには検証性が少々問題がありそうでした。それが、今回、関連がでてきました。このような独立した方法での関連は、検証性を高めていくように見えます。

・四万十層群・
このエッセイは、予約送信しています。
今回は、徳島から高知まで、
太平洋沿岸を調査して回ります。
海岸沿いのルートは、決まっているので、
以前にも訪れた露頭も多く巡ることになります。
しかし、典型的な露頭は、
何度みてもよく、いろいろと考えることもでてきます。
四万十層群で、さまざまな産状を見て回っています。

・梅雨・
梅雨になりました。
気象庁によれば、四国は5月29日に
梅雨入りしているとのことです。
6月上旬には台風の影響の大雨もあり
涼しい日も続いています。
梅雨のない北海道からきたので、
久しぶりの梅雨を体験していますが、
まだ蒸し暑い日があまりないので助かっています。

2023年6月15日木曜日

3_212 内核の話 3:逆回転か

  このシリーズでは、内核に関する最近の論文をいくつかまとめています。内核の存在はよく知られていますが、その実態は必ずしもよくわかっていません。今回は、内核が逆転しているという報告を紹介します。


 液体の鉄の中心部に固体の内核があります。液体の内部に固体が釣り合った状態であることになるので、自由に動くことができます。地球は自転しているため、その影響も受けるはずです。
 しかし、内核がどのように運動(回転)しているのかについては、いろいろな説があります。今回は、固体の内核の運動についてのものです。
 2023年1月23日にイギリスのNature誌の姉妹誌「Nature Geoscience」に、Yi YangとXiaodong Songの共著の論文、
 Multidecadal variation of the Earth's inner-core rotation
 (地球の内核の回転の数十年の変動)
が発表されたました。この論文は、タイトル通りに、内核を通る地震波の観測データを、過去数十年間分集めて、検討していき、変動を調べています。
 内核は地表に対して振動しているとしました。その振動の周期は、一往復に約70年かかり、約35年毎に回転方向が変わるとしています。報告によると、2009年ころに回転が一度停止し、その後逆回転をはじめことになり、次の変化は2045年ころにかわると想定しています。
 内核を通過する地震波の変動はすでの多くの研究者が検出していますが、そのデータの説明には定説がありません。内核の運動に関するどのようなモデルを用いるかによって、いろいろな説があるようです。また、どのモデルでも観測データを完全には説明できないようです。
 回転方向の変化の周期には、約6年ごと、あるいは20から30年ごととする説、また2001年から2013年に大きく変動し、その後静止しているという説など、さまざまなものがあります。
 外核の運動は、地球ダイナモを駆動していると考えられているので、外核の変動は地磁気への影響がありそうに思えます。内核の動きが、地球全体や、表層環境にどのような影響があるのでしょうか。それはまだ不明です。

・雨の日もある・
台風の通過の後、四国山地の中心部を
東から西に横切るルートで野外調査をしました。
主には三波川変成岩と四万十変成岩を
見ていくことが目的でした。
メインの場所は、大歩危周辺でしたが、
2日目は雨で見ることができませんでした。
3日目は晴れていました。
しかし、増水で河原へはいけませんでした。
川船に乗って遠目で眺めることにしました。
今回は、4日間のうち、2日間は雨でした。
晴れは移動の初日と3日目でしたが、
まあ野外調査にはこんな時もあるでしょう。

・競争的研究費の採択・
先日、競争的研究費の採択通知が届きました。
研究成果を公開するためのもので
専門書2冊の印刷出版を申請しました。
以前から継続してるシリーズの出版です。
サバティカルの初期の作業として
2冊の本の推敲、編集、校正作業がありました。
初校の推敲を2つとも終わりました。
あとは、時間をおいて再度校正を繰り返します。

2023年6月8日木曜日

3_211 核の成長 2:歪な内核の成長

 内核の成長が、歪になっていることがわかってきました。インドネシアとブラジルの下では、内核の成長に違いが見つかりました。この観測から、地球の歴史や熱の歴史へと、話が波及していくことになりそうです。


 内核は鉄の結晶でできていますが、調べる方法は地震波となります。地震波の伝わり方を詳しく調べることで、一様でないことがわかっています。内核の深さとともに地震波速度が変化していること、内核の境界部が歪な形をしていることが見つかっています。
 赤道(東西)方向に伝わる地震波よりも、南北方向に伝わる地震波の方が速くなっています。ブラジル(東半球と呼んでいます)と比べると、インドネシア(西半球)が大きくなっていることがわかりました。成長の程度でいうと、東側のほうが60%ほど多く結晶ができていると見積もられました。西側では、半径が年間 1 mmの成長することになります。インドネシアの方が結晶化が進むということは、冷めやすいことも意味しています。
 このような地震波速度の変化は、核の力学的成長と鉄の結晶の物理的計算からシミュレーションしていくと、結晶が一定の方向を向いて成長(異方性といいます)していることで説明できました。インドネシア側だけが速く成長していることになり、観察のデータと一致しました。
 さらに、結晶の成長速度から、内核がかなり短時間で形成されてることが推定されました。これは内核の形成が若い(15億年前から5億年前)という説にも合っていました。
 内核の形成が、最近、内核が若いといわれてきています。しかし、30億年前にはすでに、地球には現在と同じ程の地磁気があったことはわかっています。現状の地球ダイナモに匹敵する磁場が、かつては液体の鉄だけで発生していたことになります。それは、現在の地球ダイナモとは異なったメカニズムになりそうです。そこについて、再考が必要になるかもしれません。
 また、もし15億年や5億年で今のサイズに成長してきたのなら、今後、液体の鉄がどの程度の期間、残るのことになるかも、気になります。
 このような内核の成長過程は、地球の磁場の歴史、あるいは熱の歴史にも大きな影響がありそうです。

・四国山地・
今回も、予約送信しています。
四国山地に沿って東から西に向かって
野外調査をしていきます。
中央構造線の南側に沿って
険しい山並みが四国山地になっています。
構造線や山並みは東西に走っているので
東西の谷沿いに道があります。
ただし、険しい山中なので
移動に時間がかかりますが。

・台風2号・
台風2号による線状降水帯が
四国を通り抜けました。
2日には、町で緊急警報がでました。
高齢者等避難の状態でした。
激しい雨が降っていました。
洪水と土砂災害が心配でしたが、
3日には晴れ間が戻ってきました。
野外調査に出れるのでホッとしています。

2023年6月1日木曜日

4_176 西予紀行 3:明浜の石灰岩

 明浜にいってきました。好天で暑いくらいの日でした。三瓶まで回ろうかと思っていたですが、予想以上に時間がかかったので、今回は明浜だけを巡りました。



 西予市は四国山地の西はずれに位置する四国カルストのある野村から、肱川上流の宇和盆地、そして野村と宇和の間にある城川、さらに豊後水道に面するリアス式海岸の明浜と三瓶があります。地形や気候の変化に富んだところです。現在住んでいるのは、山地の城川の土居という集落に住んでいます。
 5月のはじめに、海沿いの明浜を訪れました。宇和から野福峠に出ると、リアス式海岸を眺めることできます。入り組んだ海岸を利用した漁業が盛んなところで、イカダをつかって真珠などの養殖もされています。
 真珠の作業場を見ようと思って立ち寄ってみたのですが、見学はできませんでした。その会社は、貝の洗浄を社員総出でやっている日でした。しかし、作業場だけは少し見せてもらい、社長の名刺もいただきました。見学や体験を希望するときは、事前に予約してくださいとのことでした。残念でしたが、調べると、予約は3名からとなっていました。もともと無理だったのかもしれません。
 明浜では、斜面が多く険しいところですが、農業も営まれています。段々畑になっていますが、石垣は石灰岩を用いてなされています。植えられているのは柑橘類です。狩浜は段々畑の景観が名所で、国の重要文化的景観ともなっています。葉の緑、石垣の石灰岩の白のコントラストがきれいな色合いとなっていました。この時期はミカンの実はなっていませんでした。秋ならミカンの黄色が加わって、にぎやかな彩りになります。
 段々畑は、もともとは稲作をしていましたが、明治には養蚕のための桑を栽培するようになりました。昭和30年代には柑橘に切り替えていったようです。今では柑橘の栽培が中心となっています。柑橘の栽培には、水はけのいい斜面で、石灰による栄養供給と中和機能が役立ち、海から潮風などがあり、この地が適していたようです。
 石垣の石灰岩は、秩父帯南帯のものです。石灰岩より少し北側には層状チャートもあります。海岸沿いが険しい傾斜になっているのは、ひとつには石灰岩やチャートなどの険しい地形を作りやすい岩石が斜面の上部にあるためです。しかし、ここには大きな断層(仏像構造線と呼ばれています)が通っていることが大きな原因です。
 仏像構造線は、秩父帯と四万十帯の境界に当たるところで、大きな地層境界になっています。四万十帯側が落ち込んでいるため、海側に険しい地形となっています。海岸で少しだけ四万十帯の地層が見ることができます。
 リアス式海岸沿いに道はくねくねしていて、また狭いところも多く、通るのに時間がかかります。今度は三瓶も訪れたいと思っています。

・石灰岩・
この地には海岸近くに石灰岩があります。
昔から明浜では石灰岩を利用して
石灰を生産していました。
その鉱山や窯がジオサイトで展示されています。
江戸時代後期から生産していたようです。
海の近くなので輸送には有利だったのでしょうか。
こんら埋もれた歴史も
ジオパークのサイトに指定されることで
掘り起こされていきます。

・真珠・
真珠の養殖には、リシアス式海岸のような
入り組んだ海岸で波の穏やかな地形が有利です。
似たような地形は、四国西岸に連続的に続いています。
宇和島から愛南までは、
真珠の養殖で有名なところです。
転々とイカダがあり、
その多くで真珠の養殖がされています。
家内にも真珠のひとつも贈れればいいのですが。