2017年12月28日木曜日

3_160 海の水の寿命 3:蛇紋岩の水

 海洋プレートのカンラン岩の部分にも、水が染み込む可能性がでてきました。すると、今までの海洋地殻だけの水の持ち込みとは、違った見積もりになってきます。海のどんな未来を、予測させるのでしょうか。

 これまでは、海洋地殻だけが、地球深部に水を持ち込んでいると考えられていました。海洋地殻の含水率は、重量で2.1%でした。これで地球深部に持ち込まれる水の量を見積もると、年間1.1×10^9トンとなります。
 海洋地プレートのマントル部のカンラン岩には、アウターライズ断層で水がマントルまで、染み込んでいることがわかってきました。もしそうなら沈み込む海洋マントルにも、水が含まれている可能性があることになります。
 そこで、海洋プレートを構成している海洋地殻や海洋マントルに、どの程度水を含むのかが問題となってきました。それは、海洋プレートが海溝で沈み込む時、地下深部に、どの程度水を持ち込むかということが基準になるからです。沈み込み中に水が絞り出されて、ある程度の地表に戻りますが、その量は見積もることができ、年間2×10^8トンと考えられています。ですから、沈み込む海洋プレート全体での水の量がわかれば、もとの水の量を引けば、地球深部に入っていく量が見積もれます。
 畠山さんたちは、カンラン岩が水を含んだ時できる蛇紋岩で、透水実験で調べていきました。千葉の嶺岡帯と海洋地域(パレスベラ海盆、マリアリ海溝、トンガ海溝)から得られた蛇紋岩の浸透率(含水率)は、重量で2.3%の水を含むことがわかりました。
 カンラン岩(蛇紋岩として)には、重量で2.3%の水が含まれています。従来のモデルでは、地球深部に持ち込まれる水の量は、海洋地殻の厚さが7km分で考えていました。しかし、水が染み込む可能性があるマントルの厚さは5kmほどあるので、それが加わることになります。厚さと浸透率から、地球深部に持ち込まれる水の見積もりは、年間は約2.3×10^9トンとなりました。
 海洋地殻だけでは年間1.1×10^9トンでしたが、海洋マントルも加わると年間2.3×10^9トンとなり、これまでの見積もりの倍以上の水が、地球深部に持ち込まれる可能性がでてきました。
 これらの見積もりから、海水の未来が導きだされました。現在の海水の量は1.4×10^18トンとなります。そこから年間2.3×10^9トンの海水ががなくなっていきます。すると、6億年間で海水がなくなるという見積もりになったのです。
 しかし、この見積もりに、いくつかの疑問があります。それは次回としましょう。

・年末は・
我が家での年末の行事は、
餅つき機による正月用の持ちをつくこと、
大晦日に年越しそばを食べることくらいです。
子どもたちは紅白歌合戦をみているようですが、
私はいつもの時間には布団に入っています。
実は、先週、すでにもちをついて家族で食べました。
しかし、実家の母がもち米を送ってくれるので、
昨年度の古いもち米を消費するためでした。
正月用のもちは、今年の新米のもち米でつくことにしました。
これは、30日につく予定です。

・好きこそ・
今年最後のエッセイとなりました。
大学の講義は26日で終わりました。
私はいつもと変わりなく、年末も大学で仕事をしてます。
締め切りに追われて、いつも仕事をしています。
正月も自宅で多分、いつものように
追われている仕事をしていることでしょう。
もしこれがノルマとして強制的に行われていたら、
ブラックな働き方になりますね。
でも、好きでやっていたら問題はないはずです。
皆様も良いお年をお迎えください。

2017年12月21日木曜日

3_159 海の水の寿命 2:アウターライズ断層

 海の海溝から少し離れた海側に、地形的な高まりがあり、アウターライズと呼ばれています。その高まりは、断層によってきできたものでした。この断層には、別の重要な役割もあることがわかってきました。

 海は、少なくとも38億年前から、そして現在まで、継続的に存在していた可能性があります。一時、全球凍結などで海の機能をなくしていたこともあるのですが、長い地球史から見ると、そればささやかな不在期間といえるでしょう。
 では、海の水はいつまで存在し続けられるでしょうか。これは、海に関する未来予測です。どのように予測していくでしょうか。原理は簡単です。現在のプレートテクトニクスで水の収支をみて、それを未来に延長していきます。
 現在の地球で海水がなくなるのは、マントルの中に取り込まれていく作用が大きいと考えられています。一方、沈み込む海洋プレートからは、マグマの形成や火山活動などによって、地表に戻される水もあります。いくつもの火山の噴気で水蒸気の起源を調べると、化学組成から海水に由来することがわかっています。それらは沈み込む海洋プレートから絞り出されたもののようです。この海洋プレートに沈み込み伴う海水と、地表に戻される水の収支が、見積もれれば、海水の未来が予測できるはずです。
 水の収支の見積もりは以前にもなされていたのですが、海洋地殻にどの程度水が取り込まれるかとして、考えられていました。海洋プレートの海洋地殻だけでなく、マントルにも、どの程度の水が取り込まれるかを検討したのが、今回の報告です。その検討から、海水の、思わぬ未来が見てきました。
 海の水の未来についての論文は、2017年10月24日、イギリスの科学雑誌「Scientific Reports」に掲載されました。筆頭著者は広島大学の畠山航平さんで、博士課程の大学院生の方でした。タイトルは、
Mantle hydration along outer-rise faults inferred from serpentinite permeability
(蛇紋岩の浸透率から推定されるアウターライズ断層沿いのマントルの含水)
というものです。
 このタイトルには、いくつか難しい言葉があります。まず蛇紋岩ですが、もともとカンラン岩という岩石が、変質で水を多く含んでしまったものです。カンラン岩は、マントルを構成している岩石です。つまりマントルにもし水がたくさん入り込んだた蛇紋岩なっていく可能性があります。
 海底の地震探査によって、海溝付近のアウターライズ断層で水を含む領域が、広がっていることがわかってきました。アウターライズ断層とは、海洋プレートが沈み込む時、海溝より海側に盛り上がっている地形(アウターライズ)があります。その地形は、断層(アウターライズ断層)によってできています。この断層は、プレートが沈み込む時折れ曲がるので、その時引っ張りの力によりできる断層(正断層と呼ばれます)です。アウターライズ断層は、マントルまで達しています。断層にそって水が入り込んでいくと、マントルに達します。以上のことから、海洋マントルに水が浸透している可能性があることが指摘されていました。
 そこで、畠山さんたちは、千葉の嶺岡帯と海洋地域(パレスベラ海盆、マリアリ海溝、トンガ海溝)から得られた蛇紋岩を用いて浸透率を調べました。その結果は、次回としましょう。

・予行演習・
今年の我が大学の最後の授業は、26日です。
この日は、私の4年生のゼミでは
卒業研究の発表会の予行演習をすることになっています。
大変だった卒業研究の執筆から
時間があまりたっていなのですが、
私のゼミの学生は、予知通りのペースで仕上げてくれました。
執筆の方はなかなか順調でしたが、
発表の方はどうでしょうか。
まあ、予行演習しておけば、
安心して年越しができでしょう。

・師走・
現在、本の初稿の校正をしています。
そこそこのページ数なので、
時間もかかるので手間どっています。
なんとか今週中に終わせなければなりません。
次なる2つの論文の締め切りも近づいているので
のんびりとはできません。
毎日ぎりぎりのスケジュールで
その時その時を過ごしている気がします。
師走だからでしょうかね。

2017年12月14日木曜日

3_158 海の水の寿命 1:海はいつから

 地球は「水の惑星」とよくいわれます。水、つまり海はいつから存在し、できてから現在までずっと存在していたのか、そしていつまで存在し続けるのでしょうか。「いつまで」に対する、新しい考え方が報告されました。

 宇宙空間に浮かぶ地球は、青く美しい姿をしています。地球というと、多くの人が、そんな姿を思い浮かべることでしょう。地球の「青」を生み出しているのが、「水」の存在です。他の惑星には、同じH2Oが存在しても、その多くは個体の「氷」なっています。液体の水が、存在しているのは地球だけです。火星にもかつては海があったと考えられていますが、今では表面からはなくなっています。
 では、地球では「いつから」海が存在し、「ずっと」存在し続けたのでしょうか。そして、「いつまで」存在しうるのでしょうか。海の存在について考えていきましょう。
 「いつから」という疑問に関しては、このエッセイで紹介したのですが、少なくもと38億年前には、海が存在していたという証拠があります。その時代に、海底でたまった堆積岩が見つかっているからです。いくつかの年代値がありますが、最古の堆積岩が海の直接的な証拠となっています。他にも間接的には40億年前や42億年前などの証拠がありますが、直接的証拠とはいえません。
 38億年前に出現した海は、その後「ずっと」存在していたのでしょうか。それとも消えたり、出現したりを繰り返していたのでしょうか。38億年前から現在まで、連続ではありませんが、いろいろな時代の堆積岩があります。ある時代に堆積岩があるということは、その時代に海があったということになります。さらに、同じ地域で地層が連続していなくても、別の地域には続く時代の堆積岩があれば、海が継続的に存在した根拠となります。
 もしある期間、堆積岩が見つかっていないとしても、その時代に海がなくなったと考えるより、その時代の堆積岩がたまたま見つかっていないか、あるいは後の時代に、侵食でなくなったと考えたほうが合理的です。なぜなら、海がある時期なくなり、また出現するという現象を考えることは非常に難しいものです。考えられる唯一の可能性は、強烈な氷河期にあって海がすべて凍ってしまうことで、堆積岩ができなくなることはありえます。そんな異常な環境変化の時代は、地層に記録されています。実際の全地球凍結という時代が何度かあったことは知られていますが、すべての地球の時間と比べると氷河期の期間は短いものです。氷河期以外では、海が継続的に存在した考えられています。以上のことから、氷河期で一時的に途切れることがあっても、38億年前から現在まで、地球には海が存在していたと考えられます。
 では、海は「いつまで」存在しつづけられるのでしょうか。これは未来の予測なので、なかなか検証は難しいものです。ですが、2017年10月24日付のイギリスの「Scientific Reports」という科学雑誌に、海の水がなくなるかもしれないという予測の報告がでました。詳しくは次回以降としましょう。

・水の色・
水は無色透明の物質です。
しかし、水に光が当たると
水の分子が黄色や赤色の光を吸収します。
それ以外の青の光が散乱して水から放出されます。
それが水の色となります。
散乱が水の量が少ない時は水色になり、
多い時は青となります。
水色は水の色なのです。

・次々と・
12月も、あれよあれよという間に過ぎていきそうです。
忙しくしている時は、特に時間の過ぎるのが早いようです。
この1年も、そして12月もあっという間に過ぎそうです。
本の執筆は、先日終わったのですが、
次の論文が、2つ同時に書き進めなければなりません。
そのための時間が、確保できるかどうかが心配です。
もちろん、書くべき材料はあるのですが、
その間、集中が続くかどうかも問題です。
今年の暮から来年の正月は忙しくなりそうです。

2017年12月7日木曜日

6_148 5回目の重力波 2:5度目は

 5回目の重力波の発見は、どんな現象によるものでしょうか。その観測は今までとは違ったことがいくつかりました。発見によって、どんなことを、私たちに教えてくれるのでしょうか。

 4回までの重力波の検出は、サイズこそ違っていたのですが、いずれもブラックホール同士の合体によって起こった現象でした。5回目の重力波は、4回目の現象からわずか3日後、2017年8月17日に起こったものでした。あまりに連続した検出で、研究者にも驚き持って迎えられました。
 単に驚きだけでなく、5回目の重力波には、2つの重要なことがありました。ひとつは、5回目の重力波の発生が、これまでの現象とは違っていたことでした。ブラックホールではなく、2つの中性子星の衝突によるものでした。次に、今回の観測は、70ヶ所に上る観測所で100基ありまりのいろいろな装置で、この重力波を発生した星の観測がなされました。その結果、その発生源を状況が、重力波以外の波長でも詳しく調べられたことでした。
 この重力波が発生した場所は、楕円銀河NGC4993の外れにあるGW170817と呼ばれる天体でした。1億3000万年ほど前に超新星爆発で2つ中性子星ができ、長い間、お互いの周りをらせんを描きながら回っていたのですが、衝突合体しました。この衝突によって重力波が発生しました。多数の観測によって、中性子星が衝突するという現象が、詳しく観測されました。
 重力発見の報告の10時間後には、観測がスタートしました。カリフォルニア大学のキルパトリック博士が、まず最初にチリの小さな望遠鏡で観測しました。その結果、NGC4993の外れに、それまで何も見えなかったところに、輝く天体を発見しました。この発見をすぐに世界に配信しました。1時間ほどで5つのグループで、この天体が確認されました。
 中性子星が衝突すると、金属元素が放射線を放出しながら飛び出します。この現象は、通常の望遠鏡で観測可能となります。また、放射線も電波からガンマ線まで、いろいろな波長のもので観測されました。その観測によって、多くの重金属が含まれていることがわかってきました。
 宇宙に存在する重元素の形成過程は、星が死ぬ時の超新星爆発でできるとされていました。しかし、宇宙の重い元素の存在比が、実際に観測とは合わないとされていました。もし、中性子星の衝突のような現象が、ある程度の頻度で起これば、重元素が大量に合成されて、宇宙空間に放出することが可能になるかもしれません。
 2つの中性子星の衝突の結果、太陽の約2.6倍の質量の天体が形成されたことがわかりました。その天体は、一体などんなものかはまだわかっていません。ブラックホールではないか、非常に大きな中性子星ないか、という説もありますが、まだ決着をみていません。また、衝突後のX線と電波は、地球に届く時間が予測より遅かったのですが、これは何故でしょうか。いろいろ疑問が生まれてきました。まだ、観測も継続されていくでしょうから、新しい発見もできるでしょう。

・科学の進歩のきっかけ・
ひとつのことがわかれば、多くの人が調べると、
さらに多くのことがわかります。
新しい現象が発見され、多くの人が観測することでも
同じようなことが起こります。
しかし、そこには必ず、新たな疑問が生まれてきます。
それが科学でもあります。
そんな繰り返しが、科学を進めてきます。
今回もそんな科学の進歩のきっかけになりそうですね。

・原稿執筆・
11月締め切りの原稿を1週間のばしてもらいました。
今年の後半ずっと作業していた書籍の原稿です。
本来なら夏休みに執筆作業を進める予定でしたが、
夏休みが忙しくて進みませんでした。
その代わり、完成原稿での入稿となりました。
原稿の完成度が、まだ不十分です。
しかし、時間的に間に合わないので、
校正作業をストップして、編集作業に集中しています。
InDesignというソフトでの作業になります。
このソフトは、以前チャレンジして挫折しています。
必要に迫られば、最低限でなんとかするしかありません。
金曜日には印刷屋さんに、データを渡します。
できれば、入校後、校正をしたいと考えていますが、
どうなるでしょうか。

2017年11月30日木曜日

6_147 5回目の重力波 1:まずは4度目から

 重力波の観測については、これまで何度か紹介してきました。11月に、また重力波の観測がおこなわれました。5度目の観測となります。これまで3つの現象を紹介しました。今回は、まず4回目の現象から紹介していきましょう。

 2017年のノーベル物理学賞は、LIGOと呼ばれる装置によって「重力波の発見」をした研究者3名に与えられました。「発見」の報告は、2016年にされました。その論文発表の翌年にノーベル賞が与えられたのですが、こんな短期間で与えられるのは稀なことです。
 重力波の理論は、アインシュタインが1916年にすでに示していたもので、あとはそれが実証されるかどうかが問題でした。まあ、観測できればノーベル賞確実だったようです。その観測がされたので、業績は明らかだったので、こんなに短期間に受賞が発表されたのでしょう。
 重力波は、2015年9月に最初に観測され、2016年11月に2度目が、2017年1月に3度目の観測がなされました。非常に稀な現象だと考えられていたのですが、こんなに頻繁に観測されることに、多くの研究者は驚きました。
 そして2017年8月に4度目の観測がなされました。この観測の重要な点は、イタリアに設置されている欧州重力波観測所の重力波検出器「Advanced Virgo」と同じ重力波を同時に検出した点です。
 重力波の発生は、エリダヌス座の方向で約18億光年離れたところで起こりました。領域がかなり限定されたました。もし、LIGOだけの観測なら、現象が起こったエリアは、もっと広いものでした。それが別の地域での観測データがあったので、位置の精度が上がったのです。
 では、4度目の重力波は、どんな現象に由来するものでしょうか。それまで3度観測された同じ現象による重力波でした。太陽質量の31倍と25倍のブラックホール同士の合体現象で発生したものでした。合体の結果、太陽質量の53倍のブラックホールになりました。その時に、太陽3個分の質量がエネルギーとなり、重力波を発生しました。
 違った装置での観測の成功が、LIGOの観測の正当性を示すことになりました。これがノーベル賞受賞の重要な決め手となった考えられています。
 そして、4回目の検出からわずか3日後、2017年8月17日に5回目の重力波が検出されました。それは、次回としましょう。

・予防接種・
11月も終わり、北海道では何度も寒波に襲われました。
ひどいアイスバーン状態もありました。
11月だというのに厳冬期の寒さです。
服装も厳冬期仕様になってきました。
今年の冬は早く厳しいようで、
寒くなるとインフルエンザが心配になります。
なのにインフルエンザの予防接種が
私は、まだできていません。
学生のためでもあるのですが。
もちろん自分のためでもあります。
12月上旬になんとか接種ができればいいのですが。

・本の執筆中・
現在、本の執筆中です。
11月末が本当の締め切りですが、
いろいろ調整して1週間ほど、
締め切りを伸ばしてもらいました。
ここ数週間、執筆に最大の時間と精力を
つぎ込んでいるのですが、まだ終わりません。
他の仕事もしなければなりません。
優先順を付けて進めるしかありません。
校務もかなり滞っています。
非常につらい時期を過ごしています。
あと少し頑張りつづけなければなりません。

2017年11月23日木曜日

4_146 寒波の静内

 先週から今週に2度の出張がありました。そのとき、時間があるので、このエッセイを書きました。ちょっと個人的な内容になっていますが、ご覧いただければと思います。

 金曜日の夜中から降り出した雪で、土曜日と日曜日の朝には、2度に渡り一面雪景色になりました。寒波が到来しました。週のはじめには、校務で静内に出かける予定でした。月曜日の明け方には除雪が入って、自宅の駐車場前の除雪をしなければ出かけられません。いつもより早めに起きて、食事を済ませて、車の出られるだけ範囲の除雪をして、6時前には自宅出ることができました。自宅近くの道路では、アイスバーの道で滑りやすくビクビクしながらの運転でした。途中から雪が減り、やがて道路は乾いてきました。幸い高速道路もほとんど雪がなく安全に走ることができました。
 雪で遅れる危険性があったので、2時間ほど早く自宅をでました。幸い予定通りの時間で着いたので、早い到着となりました。私は、時間が余る分には気にならず、遅れるのがすごくストレスが貯まる方です。ノートパソコンを持ってきていたので、車でこの原稿を書き始めることにしました。静内川の河川敷に車を止めて、原稿を書き始めました。
 日高の静内のあたりへは毎年1度は来ています。今年は3度目です。私にとって静内はお気に入りの町になっています。町の南側に静内川が流れています。静内川の左岸は丘陵があり、右岸側に河口平野があり、町並みが広がっています。
 静内川の上流遠くを見ると、雪を被った日高山脈が見えます。主稜線は白くなっていますが、前山には木があるため、薄っすらと雪化粧をしています。主稜線の後ろには青空が広がっていますが、頭上にには時々雪雲が流れてきては、風に流されながら雪が降ってきます。今日は、そのコントラストが非常に綺麗です。海は、寒波のためかなり荒れて波が激しくなっています。
 以前、老後を過ごすなら静内のような町がいいなと思っていました。近くまで高速道路があるので、札幌まで車なら2時間余でたどり着けます。今では日高地域の中核都市としての役割も持っていますので、都市にある大抵の店は揃っています。自宅は借家にして、別荘を静内に持って週末に通いながら、老後には定住しようかと考えていたことがありました。でも、現在の札幌近郊に自宅を建てたので、別荘は諦めました。でも、私にとって静内の町の良さは今も衰えません。
 静内の町とは付き合は、私が大学4年生のときの卒業研究の野外調査の時からでした。日高山脈の前山と主稜線の間に当たるところに分布するオフィオライトと呼ばれる海洋地殻の断片の野外調査でした。オフィオライトと海洋地殻の関係が注目を浴びてきた時期でした。地質調査だけでは、なかなか結論を出しにくいテーマでしたが、野外観察で知りうる限りの情報を収集して、深海の海洋底で形成された傍証をいくつか示すことができました。今思えは、当時の卒業研究としては、そのあたりが限界だったでしょう。よくやったと我が事ながら思います。ちょうどダム工事が行われていたので、最上部にある飯場に泊めていただき、3ヶ月滞在して調査しました。なかなか思い出深い町です。
 その後、北海道の今の職場に転職してから、機会があるたびに訪れることの多い町になりました。そして時間ができたら、今回のように日高山脈や川面、海を眺めながら思い出に浸ります。今回のエッセイは、そんな静内の思い出話しとなりました。

・北国の冬・
北日本は、先週末は寒波の到来で
あちこちで大雪の大荒れの天気となった。
北海道は通常の雪では交通網が麻痺して
止まってしまうことはありません。
除雪が充実しているので、多少の大雪でも
通常の交通網は確保されます。
でも運転手の方は、このエッセイで書いたように
雪の降り始めは、雪道の運転には慣れていないので
私は、おっかなびっくりの運転となります。
でも、これが北国の冬なのです。

・また旅へ・
最近、地質に関するニュースがいくつかでてきました。
それを書こうかと思っていたのですが、
思い出話とあいなりました。
今回は北海道の寒波と静内の思い出でしたが、
調査や校務でいろいろなところに出かけていくと
好きな地や町が、いろいろできてきます。
石に惹かれたところ、地質学的背景に惹かれたところ、
景観に惹かれたところ、町並みに惹かれたところ、
それらにはどこか私の心に響くものがあるのです。
そんな地が増えると、何度も旅に出たくなります。

2017年11月16日木曜日

2_156 最古の生命化石 4:炭素同位体組成

 古い化石の化学的な特徴を捉えるのに、炭素同位体が用いられます。しかし、その値は変成作用などで変わってしまうことが弱点でした。その弱点を工夫で乗り越えたのですが、その値の意味するところはどんなものでしょうか。

 前回、最古の生命化石の検証過程を紹介しました。古い時代の化石は有機物は残らず形態も消えていることが多く、さらに古い時代の岩石は変成作用を受けていることが多く、もともとあった化石の痕跡がなくなっています。しかし、もし岩石中に、有機物の痕跡としてグラファイト(炭素からできている鉱物)があれば、その炭素同位体組成を測定することで、生命の痕跡が検証できることが示されました。
 炭素同位体組成から、変成作用から生まれる傾向と、それと相反する有機物から生まれる傾向を見出し、変成作用を受ける前の有機物の値を見積もることができるという検証方法でした。論文では、炭酸塩岩(変成作用の効果)とグラファイト(有機物の変化)と値の比較検討から、初期(堆積時)の有機物の値を見積もっています。その値は、生物起源の最小値は-28.2‰(パーミルと読みます。千分率のこと)となり、無機的な値との差が25.6‰以上という大きな開きができることがわかってきました。
 このような同位体組成の差、および有機物の値は、生物しかつくれない値、つまり生物起源であることを示している、と報告しています。少々複雑なステップを踏んでいますが、一応、筋の通った説明となっています。
 では、その炭素同位体組成から、どのようなことが読み取れたのでしょうか。
 化石を含んでいたのは海でできた堆積岩なので、39億5000万年前の海洋で生物が存在していたいことが、第一の重要な点です。次に、炭素同位体組成から、その炭素同位体組成は、還元的アセチル-CoA経路やカルビン回路などの代謝作用によるものと考えられるとしています。
 還元的アセチル-CoA経路とは、無機的な化学反応だけで栄養をつくる細菌が用いる代謝の方法です。カルビン回路とは、二酸化炭素(CO2)を使って糖を合成する反応です。まあ、代謝反応のあたりのは、まだ検討の予知がありそうですが、生物の活動があったことは確かのように見えます。
 いずれにしても、35億年前以前になると、今のところ、誰もが認める形態をもった化石の認定には、なかなかたどり着けないようです。しかし、研究者の努力により、堆積岩から次々と生命の痕跡が見つかってくるようになりました。変成作用を受けている堆積岩からも化石の痕跡が見つかるようになりました。
 各地から、そして古い時代へと生命活動の痕跡が遡られていくと、生命の誕生は、比較的短時間にそしてどこでも起きそうに思えてきます。地球で海と生命活動にいたるエネルギーの供給源があれば、どこでも生物が誕生するかのように思えてきます。まあ、それは妄想でしょう。今後も検証作業の継続が必要ですね。

・地質屋・
田代さんたちの報告には、
露頭の写真が何枚か添付されていました。
露頭の岩石の様子を示す写真でした。
しかしその周囲には植物が少し写っていたりして
周りの景観を想像できそうな写真もありました。
少しの景観から、その地への思いが馳せていきます。
地質学者の性(さが)、地質屋だからでしょうかね。

・大荒れの週末・
週末は北海道は大荒れでした。
風が強く、雪混じりの雨の降る荒れた天気でした。
各地で警報もでていました。
日曜日は大学の行事があったのですが、
少々残念な天気となりました。

2017年11月9日木曜日

2_155 最古の生命化石 3:グラファイト

 今回の報告は、変成作用を受けた堆積岩からのものです。そこにあった生物の痕跡が消されたものでした。しかし、それで諦めるこなく、多数の分析値から面白いアイディアで生物の痕跡に迫っています。

 いよいよ今回、最古の生命化石の実態を紹介していきましょう。
 カナダのラブラドルに分布しているサグレック岩体と呼ばれる古い地質帯の中に含まれているヌリアック(Nulliak)表成岩と呼ばれるものであります。表層岩とは、地質学(第四紀や応用地質では違う意味に用います)では、主には地球表層でできた堆積岩類ことを指します。特に古い時代の岩石の生成場として、重要性を強調するためにいうことがあります。
 この岩体では、すでに年代測定が行われており、39億5000万年前の堆積岩であることがわかっています。堆積岩を詳しく調べていくと、グラファイトが残っていることがわかってきました。いく種類かの堆積岩やその中に含まれているノジュール(団塊)のグラファイトの詳しく調べ、分析されています。
 さて問題はこちらの岩体は変成作用を受けていることです。もともと生物の形態を化石として残していた岩石があったとしても、変成作用を受けると、その形態がほとんど消えてしまいます。なぜなら、変成作用を受けると有機物が分解してしまうからです。有機物とは、炭素の他に水素や酸素がくっついてできているのですが、変成作用で起こる脱ガスで、炭素以外の軽い元素が一緒に抜けていきます。そのために、変成作用を受けてしまうと、有機物からできている形態や成分などの痕跡が消えてしまうのです。
 今回の報告は、その点で工夫をしています。有機物や化石の形態の消失というハンディと思われる性質を逆手にとって、非常にユニークで、面白い方法を提案しています。
 変成作用で有機物が消失すると、残った炭素はグラファイトという鉱物になります。変成作用で形成されたグラファイトを詳しく調べると、変成作用における温度の履歴が読み取れることは、以前から知られています。グラファイトの結晶化のとき、推定される温度は、536˚C以上であったことがわかりました。これは、他の変成鉱物から見積もられた、580~800˚Cという変成温度と一致しています。
 このことから、堆積岩中のグラファイトは、変成時に外からもたらされたものではなく、もともと岩石中にあった有機物が変成作用によって変わったものだということになります。グラファイトの化学成分(炭素同位体比)は、変成作用によって大きな値へと変化していきます。ですから、一番低い値は、より堆積岩時代の値に近いことになります。
 一方、炭酸塩岩で無機的(生物が関与せずに)できた化学成分(炭素同位体比)は、変成作用とともに小さな値へとなることも知られています。炭酸塩岩でも、炭素同位体比を測定して、その変化から初期的(変成作用を受ける前)の値を見積もることができます。
 つまり、同じ炭素同位体組成ですが、無機的起源と生物起源と違ったものでは、変成作用によって、まったく逆の値の変化がおこることになります。2つの値を比べると負の相関ができます。これは、生物起源でも無機起源でも、変成作用を受ける前の値を、多くの分析値があれば、見積もることが可能だということになります。
 では、それらの値から、いったいどのようなことが、読み取れるのでしょうか。それは、次回としましょう。

・ノスタルジー・
11月はいくつか祝日がありますが、
私は、4年生の卒業研究の添削のために、
祝日でも大抵は大学にでています。
土曜日も、ほぼ毎週でています。
もちろん、学生の添削のためだけでなく、
自分の仕事もすることになるのですが。
私が働き出した頃は、また土曜日が半日出勤というのが
当たり前の時代がありました。
その時代へと戻ったと思えばいいのです。
あの頃は、もっと生きるのが大変でしたが、
どこか明るさがあったような気がします。
単なるノスタルジーでしょうか。

・冬タイヤ・
北海道のわが町でも、何度か雪が降り、
遠くに見える山並みは、
もうすっかり雪化粧になっています。
木々の紅葉もほぼ終わり、
多くの木は裸になってしまいました。
いよいよ冬の到来です。
我が家の車は、先月の激しい嵐があったとき
積雪もあったので、冬タイヤに替えました。
来週と再来週には遠出の出張があるので、
慌てて冬タイヤにしようとすると、
混んでいることがあるので、
早目に履き替えました。
でも、雪道の運転は怖いのです。

2017年11月2日木曜日

2_154 最古の生命化石 2:一長一短

 これまで見つかっている最後の生命化石とする報告で確実なものは35億年前のものです。それより古い化石は、証拠や根拠には、一長一短があり、確定にはいたっていません。そんな最古の化石のこれまでの現状をまとめました。

 前回、最古の生命化石が発見されたという新たな報告があったということを紹介しました。目新しいこととして、発見場所がカナダであること、年代は39億5000万年前で非常に古いこと、変成作用を受けた岩石から見つかったことを挙げました。いずれもこの化石が本物であったら、最古だけでなく、特異な化石の発見の情報となります。
 今回の報告の特徴を示すために、これまでの最古の化石についての情報をまとめておきましょう。
 多くの人が化石で生物だと認めているものは、西オーストラリアのノースポールの約35億年前の化石でした。生物の形態も炭化物として残しており、細胞分裂をしているような状態もありました。一般の人がみても化石だと思えるような画像として提示されていました。もちろん、形だけでな根拠が足りないので、化学的なデータもつけられており、科学者たちにも根拠を提示しています。生息環境は深海底の熱水噴出孔周辺で、初期生命の誕生の場と考えられるところでもありました。
 前回も紹介しましたが、グリーンランドのイスアでは、38年億前ころの地層が分布しているので、最古の生命探しにいつも登場するところです。最近の報告では、37億年前の岩石から、生命がつくったらしきストロマトライト状構造が見つかったというものがありました(エッセイ「最古の化石」にて紹介)。ストロマトライト状構造とは、25億年前ころの浅海でできた地層から大量に見つかる同心円状のつくりをもった岩石です。シアノバクテリアという種類の生物がつくった構造だとされています。ですから、グリーンランドの38年億前ものも、生物がつくったものでないかという報告でした。ただし、まだ確定はされていません。
 西オーストラリアのジャックヒルにある堆積岩から、花崗岩(火成岩)中でできた41億年前のジルコンという鉱物が見つかりました。マグマからできた鉱物なのですが、そこに生命の痕跡があったと報告がなされています(エッセイ「41億年前の生命」にて紹介)。しかし、生物の存在の傍証とはなりえますが、直接の証拠とはいえません。また、どんな生物であったか、どんなところに棲んでいたのかも不明です。
 カナダのハドソン湾東岸沿ヌブアギツク帯の地層で、チューブ状やフィラメント状(繊維状)になっている鉱物(赤鉄鉱)が見つかりました。このような形態の鉱物は、熱水噴出孔に棲んでいる生物群に見つかるものと似ています。化学的な証拠も提示されていました(同じくエッセイ「41億年前の生命」にて紹介)。でも、生物の直接的な証拠ではありませんでした。さらにこの地層の年代が、37億7000万年前より以前、多分42億8000万年前のものではないかとされていますが、時代が定っているわけではありませんでした。
 いずれも古い岩石で、生命の痕跡も非常かすかなもので、認定がなかなか難しくなります。ですから、どうしても反論がでてくることも多くなります。西オーストラリアのノースポール以外は、かすかな痕跡ですから、それぞれの主張に一長一短があり、なかなか確定には至らないようです。
 さて今回の報告ですが、2017年9月27日発行のNature誌に
Early trace of life from 3.95 Ga sedimentary rocks in Labrador, Canada.
(カナダ、ラブラドルの39億5000万年前の堆積岩からの初期生命の痕跡)
というタイトルで掲載されたものした。報告者は、東京大学大学院生の田代貴志さんたち、若手を中心とする研究グループでした。
 この報告の詳細は、次回以降としましょう。

・思いを巡らすだけ・
古い化石の出る産地には興味があります。
グリーンランドのイスアには
以前行ったことがあるのですが、
海外調査にはほとんど出れなくなりました。
ですから、今回登場した、
西オーストラリアのジャックヒルや
カナダのハドソン湾東岸沿ヌブアギツク帯
など、行きたいところは
一杯あるのですが、行けません。
せいぜい論文にでている露頭写真をみて
現地に、思いを巡らすだけですね。

・冬の到来・
週初めは、台風の影響でアラレや雨が降り
風も吹き、寒くて、ひどい荒れ模様となりました。
里でも薄っすらと雪化粧をしてました。
すぐに溶けはしたのですが、
秋も終わってしまったようです。
朝夕は当たり前にストーブをたくようになりました。
いよいよ冬の到来を感じさせる季節となりました。

2017年10月26日木曜日

2_153 最古の生命化石 1:痕跡探し

 今回からは、このエッセイで何度も取り上げてきた「最古の生命化石」の話題です。新しい報告が出され、ニュースにも取り上げられました。最古の生命化石の発見は、難しい素材での取り組みとなりました。

 地球の歴史は45億年前からスタートします。しかし、できたばかりの45億年前の岩石が、地球に残されているわけではないのですが、隕石の年代や他の傍証から、その頃だと考えられています。ですから、「地球最古」に関する研究は、どの時代まで遡れるのかという探求は継続されています。その一環として最古の生命の探査も続いています。
 「最古の生命化石」は、興味がそそられます。もし発見されれば、大きなニュースとしても取り上げられることになります。研究者は、いろいろな意味での「最古」の化石を発見しては、報告してきました。このエッセイでも、「最古の化石」や「41億年前の生命」、「最古の生命」、「最古の有性生殖」、「古い化石」などとして、何度も取り上げてきました。今回も「最古の生命化石」について、新しい報告が出たので、紹介しましょう。
 紹介する前に、まずは最古の化石について、基礎知識を確認しておきましょう。
 化石は一般に地層から見つかります。マグマが固まった火成岩からは見つかりません。なぜなら、マグマに住む生物は知られていません。ですから化石探しは堆積岩がターゲットとなります。地層は、陸地の池や川など、水のないところでも堆積することがありしますが、多くは海底にたまったものです。
 チャートや石灰岩などから海洋の特別な環境でできた化石をのぞくと、大型生物の化石の多くは、海底でも陸からの砕屑物とともに流れてくるので、陸の近くの海底でできた地層から見つかります。でも最古の化石はそんなところからは見つかりそうにありません。
 古生代に生物は海から陸に上がってきたことは、化石の証拠からわかっています。それ以前(先カンブリア紀)の時代の生物は、海に棲んでいたことになります。ですから、古い化石も、海で堆積した堆積岩から産出することになります。
 生物は、時代が遡れば単純で小さな生物、単細胞になるはずです。化石も、殻や骨などは持っていなかったので、化石には残りにくくなります。原始的な化石ほど、見つけにくくなるはずです。ですから、かすかな痕跡を探すことになるはずです。ただし、特殊な環境で生物が群れて暮らしているような状態であったすれば、そのような環境でできた地層を探せば見つかる可能性がでてきます。また、「最古」の生物は、「最初」の生物可能性があります。ですから、生命誕生の場とされるところを探すのがいいはずです。ただし、そのような地層が残されていたらの話ですが。
 「最古」の化石の探索は、古い地層、できれば「最も古い地層」の出ているところが対象になります。化石のかすかな痕跡を調べるのには、熱や圧力などの影響(変成作用)を受けていない地層が望ましいものです。変成作用を受けると、化石や生物の痕跡がほとんど消えてしまうからです。古くて変成作用を受けていない地層がでているのは、グリーンランドのイスア周辺です。ですから、最古の化石の探査や報告は、グリーンランドが舞台になることが多くなります。
 さて、今回、報告された最古の化石は、グリーンランドではなく、カナダで39億5000万年前の地層で、それも変成作用を受けた岩石から見つかっています。その詳細は次回以降にしましょう。

・選択と労力・
古い化石は、石を割ったとき
見えるものではありません。
なぜなら、化石の痕跡は非常にささやかで、
電子顕微鏡や化学分析装置をもちいなければ
認識することできないからです。
でも、地質学者は広い大地から、
化石がでてきそうな岩石を見つけ、
それらを顕微鏡で見られるように薄片にして観察し、
その中から生物の痕跡が見つかりそうな試料を選んで
分析していきます。
どこかで少しでも選択を誤ったり
可能性を見逃したりしたら
生物の痕跡を見逃すことになります。
慎重な選定を繰り返さるこによって、
化石の痕跡へと至ります。
膨大な労力を払いながら研究が進められていくのです。

・冬到来・
週のはじめは、台風の影響で大荒れの天気となりました。
北海道も風とともに、寒波も来て初雪が降りました。
わが町では激しい吹雪となりました。
ミゾレやアラレのような湿った雪でしたが、
場所によっては、白く積もっていました。
激しい冬の始まりとなりました。
でも、翌日にはほとんど溶けました。
いよいよ冬が到来しました。

2017年10月19日木曜日

4_145 残念 4:花窟神社

 残念シリーズの4回目です。今回は、雨宿りした神社がなかなか由緒正しいところで、興味深い体験をしました。2度も訪れたのですが、天候がよくなく少々残念でした。

 三重県熊野市の海岸沿いに花窟(はなのいわや)神社と呼ばれるところがあります。近くには、獅子岩(ししいわ)というところもあります。獅子岩の以前一度通った時に見たことがあったのですが、まあ、獅子の形に見えるだけだなあと思って通り過ぎました。
 今回は、獅子岩の周辺の岩石を見るために訪れたのですが、あいにく雨が降ったり止んだりの天気だったので、雨宿りをかねてこの神社を訪れました。朝一番にきたのですが、雲が多く、薄暗い参道でしたが、神社を見学しました。この神社のことはよく知らなかったのですが、花窟神社は、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつとして、世界遺産の一部に登録されています。駐車場も、トイレ、売店など施設も整備されていて、なかなかアプローチのいいところになっていました。
 この神社の御神体が、熊野酸性岩類の一部で、火山砕屑岩(火砕流堆積物)からできているので、その岩を見ることにもなります。大きな崖をもった岩山が御神体となっているそうです。年2回の御縄掛けという祭で、崖の上から170mの大綱を伸ばして、境内にある松のご神木にかけるという神事がおこなわれます。私が行ったときにも、縄が上空に掛かっていました。2月に掛けられた綱が今も残っていたのですが、綱は自然に切れるまで残されているそうです。次の神事は10月2日に行われたようですが、現在は2本の綱がまだかっているのでしょうか。
 花窟神社は日本書紀にも記されており、日本最古の神社といわれています。「イザナミノミコト」が「カグツチノミコト」を生む時に陰部を焼かれて死んだという故事があり、「イザナミノミコト」と「カグツチノミコト」が、主祭神となっているそうです。「イザナミノミコト」がここに埋葬されているとされてとされ、崖にある穴が「ほと穴」と呼ばているものだそうです。白い玉石をひいて拝所が設けられています。
 じつはこの花窟神社には、今回の調査で2回訪れました。最初は、よく知らずに雨宿りに寄ったついでと、崖が火砕岩だったので、それを見ることができました。しかし、天気が悪くて撮影もうまくできませんでした。また、朝一番に来たので、社務所も売店も閉まっていたので、詳しいことがあまりわかりませんでした。
 神社の由来やその景観に興味を覚えたことと、御神体の岩石がなかなか見事だったので、別の日にもう一度訪れることにしました。その日もあまりいい天気ではなかったのですが、雨は降っていなかったので、撮影もでき、社務所の方ともお話もできました。売店では神社の神事がビデオで放映されたので、ビデオで神事の様子も知ることができました。
 でも、獅子岩は遠目で見て、撮影するだけの時間しかありませんでした。少々残念でしたが。チャンスがあれば、また来たいものですが、どうなることやら。

・落ち着いた旅・
今年、予定していた野外調査は、秋の南紀で終わりました。
本当ならもっといろいろなところへ出かけたいのですが、
なかなか時間がままなりません。
校務で出張にでることがあると、
そのとき少し旅気分を味わっていこうと思うのですが、
気が急いたりしているので、
別の目的のある旅では、落ち着かないものです。
じっくりと調査や旅を楽しみたいものですね。

・紅葉に季節・
わが町から見える手稲の山には、
もうすでに初冠雪がありました。
その後、積雪はまだみていません。
里でも、朝夕は冷える日があり、
我が家でも、ストーブを何度もたきました。
紅葉のきれいな季節になりました。
青空には紅葉が映えます。
紅葉は、見事な色合いで目を楽しませてくれますが、
少々うら寂しい気持ちにもなります。
北国では、秋は短いものになるのですが、
じっくりと味わっていきたいと思っています。

2017年10月12日木曜日

4_144 残念 3:古座川の火成作用

 古座川は、南紀の観光コースから外れています。でも古座川には、地質学的な見どころがいくつかあります。穏やかな川面にそそり立っている崖ですが、かつては激しいマグマの活動があったことを示すものです。

 9月の野外調査の時、和歌山県東牟婁(ひがしむろぐん)郡古座(こざ)川町を流れる古座川にいきました。海岸沿いの国道42号線から、古座川の河口(串本町古座)から、古座の町並みの中の狭い道を通り抜けて、川沿いの道を進みました。今回は古座川の名勝を再訪して、県道39号線を通って海岸沿いの和深(わぶか)に通り抜けていく予定でした。
 古座川には、以前も一度訪れたことがありました。その時は、古座川町相瀬にある一枚岩や天柱岩(てんちゅうがん)、池野山の虫喰岩などを見て回りました。今回も天柱岩を再度見たいと思って訪れました。
 古座川の一枚岩は、巨大な岩石の平坦な面をもつ崖なので、このような名前で呼ばれています。その崖は、高さ150mで800mもあります。きれいな川の水の向こうにそびえ立つ姿は、なかなか見応えがあります。1941(昭和16)年12月13日に国の天然記念物に指定されました。
 この一枚岩の岩石は、「古座川弧状岩脈」と呼ばれている火成作用でできたものです。その岩脈が地表に出たものが、一枚岩となりました。流紋岩質凝灰岩で、均質で硬い岩石でできているため、川の侵食に耐えて残ったようです。
 古座川流域には、一枚岩の他に、天柱岩や虫喰岩などもあります。これらは大昔にあった巨大なカルデラ火山のなごりの古座川弧状岩脈の一部です。この岩脈は、延長22km以上にわたるものです。約1500万年前~1400万年前に活動したものです。
 古座川弧状岩脈は、火山の巨大なカルデラ(南北径40km、東西径20km)の一部でした。カルデラの火山活動をもたらしたマグマの通り道になったのが、この古座川弧状岩脈です。巨大に見える一枚岩が古座川弧状岩脈の一部で、その岩脈が、カルデラの一部だったのです。そのような巨大なマグマの活動という地質学的背景をもった岩脈沿いに、古座川を遡っていきました。
 壮大な地質学的な歴史をもった一枚岩を見たあと、次なる目的地に向かうために、県道39号線に入ろうとしましたが、進めませんでした。道路が昼間は工事中で、時間による通行止めになっていました。しかたなく、引き返えさなければなりませんでした。一雨までもどり、国道371号線から海岸沿いを進みました。同じ道をなかり戻ってきたため、時間がかなり経過して、次の予定が変わってしまいました。

・巨大カルデラ・
このカルデラは、非常の大きなものです。
現在大きなカルデラとして、
阿蘇のカルデラがあります。
しかし、熊野のカルデラは、阿蘇のものを
遙かにしのぐ大きさと考えられます。
それを考えると表層で起こっていた
火山活動は想像を絶するものだったのでしょうね。
かなり古い火山活動ですが、
地球の歴史の激しさの一面を感じさせるものです。

・残念なのは・
石を見ることにおいては、
別に残念でもないようなのですが、
朝日に当たった一枚岩の写真を撮りたいと思っていました。
ところが、天気がよくなく、曇っていたので
あまりいい写真がとれませんでした。
実は前回紹介した天鳥の褶曲に
できるだけ早目に向かうため
宿を早く発って、古座川を経由して撮影をして
向かうつもりでした。
でも、この遠回りで少々予定がずれましたが、
天鳥も海の荒波で予定が変わったのですが。

2017年10月5日木曜日

4_143 残念 2:天鳥の褶曲

 今回の調査では、天気が良かったのに、断念した露頭がありました。台風による激しい波浪のために行けなかったところでした。そんな心残りの露頭を紹介しましょう。

 私には、何度も訪れたくなる露頭があります。その理由は、いろいろなのものが考えられるのですが、ひとつは見事な地層が露出しているところです。事前に写真などで見ていることもあるのですが、やはり実物を見る時に感動できるようなものです。もうひとつは、どうも私は人があまり来ないところを好むようです。そしてたどり着くのに少々大変なところに、より心を動かされるようです。
 そんな露頭として、和歌山県西牟婁(にしむろ)郡すさみ町の口和深(くちわぶか)の天鳥(あまどり)の褶曲があります。以前にも紹介したことがありますが、周辺には天鳥の褶曲以外にもいくつか褶曲があります。でも、私は天鳥の褶曲が気に入っているので、この近くに来た時は、見に行くようにしています。
 国道からヤブに入ってくのですが、目印もありません。そして踏み跡を下りていき、海岸に降りるのには少々険しいところも通ります。海岸にでても、海岸沿いを少し進むのですが、波があると渡れないところを越えなければなりません。このような苦労してたどり着いた先に、天鳥の褶曲があります。その大変を乗り越えた先に見ることできるので、より一層その貴重さ、不思議さを感じてしまうのかもしれません。
 今回も干潮図を見ていきました。しかし干潮が早朝なので、昼過ぎが満潮だったので、できるだけ早目に着くようにしたかったのですが、別の地域を巡っていったため、少々時間がかかりました。たどり着いたのは、昼前になっていました。でも、目的地を目指しました。
 なんとか海岸に下りましたが、11時を過ぎていました。天気はよかったのですが、台風の影響で波が荒くなっています。露頭を目指そうと海岸沿いを進んだのですが、波が荒くて近づけそうもありません。でも諦めきれないので、別のルートを探ることにしました。踏み跡を途中までもどって、今まで進んだことのない道を行くことにしました。
 天鳥の褶曲より東に降りるところは、以前に来たことがありました。そこは急な崖を降りて進んでいくと、海岸の反対側から天鳥の褶曲にたどり着けます。しかし、今日は波が高いので諦めました。
 踏み跡を東に向かってさら進むことにしました。海岸に出ました。今まで来たことのない海岸でした。波は高いのですが、奥まった入江になっているので波は来ません。そして、露頭もあり地層を見ることができました。そこにもサイズは小さいのですが、いくつか褶曲がありました。目的のものとは違っていたのですが、褶曲をみることができ、収穫となりました。
 しかし、そこの褶曲は、天鳥のものと比べると、やはりスケールも形も見劣りしました。天鳥の褶曲は3回目指して、2回たどり着きましたが、今回は断念しました。ですから次のチャンスがあれば、再訪したいですね。

・秋の足音・
北海道は、紅葉が進んでいます。
9月末には、旭岳や利尻で初雪の知らせがありました。
わが町から見える手稲などの山並みには、
まだ積雪も冠雪もありません。
そういえば、雪虫も飛んでいませんし、
まだ霜も下りていません。
でも、先週末はストーブを焚きましたが。
着々と秋は深まっています。

・付加体・
海岸沿いの調査では、干潮の影響もあるので、
毎回、事前に干潮図を調べていきます。
しかし、今回は台風による激しい波浪のために断念しました。
今回の天鳥の褶曲は、
四万十帯の牟婁(むろ)層群に属しています。
四万十帯は、付加体として、
沈み込む海洋プレートの陸側にできた地質体です。
詳しくは、エッセイ「109 天鳥の褶曲:嫋やかな褶曲」
http://terra.sgu.ac.jp/geo_essay/2014/109.html
をご覧にいただければと思います。

2017年9月28日木曜日

4_142 残念 1:大台ケ原

 今年の秋の野外調査は、激しい雨でダメだったのは1日ほどでしたが、実は残念なことも、いろいろ起こりました。そんな野外調査にまつわる地学の話と共に、調査の残念だった裏話を紹介していきましょう。

 9月にいつものように、野外調査にでかけました。1週間ほど調査をしていると、天気の悪い日もあります。それは覚悟の上です。ただ、秋のはじまりは、台風の季節でもあるので、台風がくると、調査に大きな影響がでます。今回は、台風18号は巨大でしたが、スピードが遅く、ぎりぎり影響を受けることなく、調査を終えることができました。しかし海岸では高波であり、なかなか近づけないところもあり、断念した地点もありました。でも、ただで転ばない精神で、代替の場所を見に行きましたが。
 今回紹介するのは、大台ケ原です。秩父帯と四万十帯が複雑に接している地域です。このあたりだけ、秩父帯が南に張り出している不思議な地質となっています。秩父帯が四万十帯の上に断層(衝上断層)で、持ち上げられていると考えられているところです。非常に複雑な地質構造となっています。そんな地質を、稜線歩きをしながら見ていこうと思っていました。
 予定としては、大台ケ原に1日目の午後と一泊した後、2日目の午前も周辺を見て回ろうと思っていました。どちからで天気の良い日があるのではないかを思って予定を組んでいました。一日目は3時前に着いたのですが、霧がすごく、雨でもあり、時々激しい降りになっていました。大台ケ原に来る前午前中も、雨でなかなか思うように調査が進んでいませんでしたが、山はさらに天気が悪くなっていました。台風の影響で前線が刺激されていたようです。
 しかたなく、明日周る予定にして、ビジターセンターを見学して、情報を仕入れました。土産物屋にもいきました。でも、4時前には見て回るところもなくなり、宿に入りました。
 1軒しかない宿なので、山小屋よりは良い設備だと思っていました。同宿で風呂で会ったおじさんは、「アメニティが皆無ですね」といっていました。山登りされる方のようですが、いいところに泊まることが多いのでしょうか。私は、山なので食事や風呂、個室があるだけ儲けものと思っていて、いわれるまで、あまり気にしませんでした。確かに、街からは少々離れていますが、車で来れるし、バスの定期便も通っているところなので、もう少しサービスが良くてもいいのかもしれません。一軒しかない宿屋なので、文句をいっても始まりません。私は、淡々といつもの宿での作業しました。
 早目に寝ていましたが、夜半に激しい雨音がしていました。翌日は雨。早々に登山は諦めました。山を下りて、別のとこに行く予定に切り替えました。一人であるのと、地形や地質を見る時は、雨だとなにもできないからです。同宿のおじさんのグループ、大学生のグループは、道がしっかりしているので、出かけるようです。
 大台ケ原は高い(1600m)ので、なかなか気持ちのいいところです。いくら標高が高いとはいえ、9月中旬では、紅葉にはまだ早い時期です。でも、天気がよければ、静かな稜線を散策でき、地質や地形を見られたことでしょう。心残りです。車で来れますが、道中もなかなか距離がもあり、1泊する必要があります。なんとか再訪して、山頂からの景色や石を見たいという思いが残りました。

・調査にでれば・
調査に出れる日程が組めるのであれば、
天候の安定している春がいいはずです。
しかし、働くものにとっては、別の条件が重要になります。
大学教員は、研究をおこになっています。
私のような地質調査が研究の重要なものにとっては
授業や校務があると、調査日程を組むのがなかなか難しくなります。
長い休みの取れるのは、9月上旬から中旬の予定の入っていない
この時期で、予定を調整しながらいくことになります。
なかなか面倒ですが、調査にでれば、
いろいろなトラブルがあっても、心はリフレッシュしていきいます。

・宿では・
一日で調査をして宿に、夜は何をしているのかというと、
主にはデータを取り込み、整理しています。
野外調査では、GPS(2台、一台は時計と予備を兼ねている)を持ち
一台を常にGPSの記録をさせています。
GPSでルートや重要なポイントや撮影したところ、
試料採取した地点などの記録しています。
そのデータをパソコンに取り込んで確認したり、
名称変更をしていきます。
そして地点ごとにExcelに整理していきます。
また、多数の写真撮影をしてきます。
撮影したものも、パソコンに取り込みます。
画像確認をして名称変更をします。
パノラマ撮影した画像を合成します。
カメラでもGPSが記録しているので、
撮影場所を地図で見ることができるようにしています。
以前は非常に手間がかかっていた作業ですが、
今ではデジタル機器とパソコンで
その日の調査の処理が可能となりました。
時間の短縮ができています。
調査の進み工合にもよりますが、
時間がかかることもあります。

・紙の地図・
私は調査する時は、紙の地図も持参し、記録も残しています。
紙の地図は、毎回調査する範囲をすべてつなげたものを作成し、
見て回る予定の地点を書き入れておきます。
調査予定を考える時に主に使っています。
地図に予定地点をメモ書きとして入れます。
調査記録は、デジタルを基本としていますが、
アナログ地図は何かあったときの予備としています。

2017年9月21日木曜日

5_151 光子顕微鏡 4:今後の期待

 光子顕微鏡は、光子ひとつの有無を検出でき、なおかつ、その波長も測定ができます。今までにない新しい技術です。新しい技術が生まれると、今後の発展や展開に期待しています。

 今までにない新しい技術で成果を出す時、少人数で自力で開発をする時、一番乗りを目指しているので、当初は手作り感があるものになります。今回の装置の写真を見て、私には好感が持てました。研究者は、できるかどうか、どこまで分解能をあげられるかどうかなど、特別な目的だけを追求していくことになります。ですから、見かけなどは気にしていません。
 私も自力で分析手法を開発した時、独自にそのシステムを作り上げたことがありましたが、すべて手作りでした。そのシステムは、目的を達成することを最優先していました。継ぎ接ぎだらけの装置ですが、結果として、良いデータがでればいいのです。
 でも、技術には次のステップがあります。ある最新技術が、いろいろな研究や開発に利用できることがわかってくると、いくつもの研究施設で導入されるようになるようなるはずです。ときには、企業が製品化していくようになってくるはずです。そうなると、装置の性能はさらに上がり、使い勝手はソフトウエアのプロが手がけるので、格段によくなるはずです。もちろん商品ですから、装置の見かけもよくなります。多くで導入されくると、やがて安価にもなっていくでしょう。研究者発の技術開発、進歩とは、このような経過をたどるのでしょう。
 今回の装置は、超伝導現象を利用した超伝導光センサーというものを用いています。このセンサーは、世界でもっとも効率よく光子を検出する装置となっているそうです。今のところ、測定部分のサイズより、微弱な光を測定することに特化していますが、この装置の完成度が上がれば、小さいものに対しても、応用が進んでいくはずです。
 光の量子性光子の存在の有無だけでなく、その一つの光子で波長も測定するものです。微弱な光、光子たったひとつであっても検出でき、なおかつその波長が測定できるものです。一つの光子で、波長がわかれば、色として見ることができるのです。一個一個の光子に色がつくのです。
研究グループでは、今回の装置で、生体細胞の微弱な発光現象の観測や、微量成分の蛍光分析などが可能になるのではと考えています。このような技術は、今後の応用に期待できます。
 例えば、今思いつくだけでも、電子顕微鏡では測定しづらい水分を含んだ微小の物質の観察、遠くて暗い星の観測、深海の暗闇での生態観測など、いろいろな応用が考えられます。そのためには、いろいろ克服すべき困難な課題はあるでしょうが。今後の進展に期待したいものです。

・鉛の抽出・
私が開発していた分析システムは
微量の鉛の抽出でした。
扱う量が少ないので、
システム事態も小さく小さな実験台一つのでできました。
ただし、その実験台内を
いかにクリーンに保つかが問題でした。
ありとあらゆるものに
汚染がないかを気をつけていました。
おかげで、一級のクリーン度を示しました。
でも、実験台やその中の装置はみすぼらしいものでした。
見た目より、中身でした。

・ぎっくり腰・
ぎっくり腰になりました。
2年ぶりでしょうか。
定期的に起こしています。
今回は調査中ではなくて、
調査から帰って2日後でした。
疲れが溜まっているのでしょうか。
整形外科にいって鎮痛剤をもらったのですが、
どうもうまく効かないようです。
どうしたものでしょうか。

2017年9月14日木曜日

5_150 光子顕微鏡 3:光子の観測

 小さいものを見る各種の顕微鏡について、これまで概観してきました。今回は、最新の「光子顕微鏡」という装置の紹介します。その原理とは、どのようなものでしょうか。

 さて、いよいよ「光子」顕微鏡の紹介です。「光学」顕微鏡と、言葉は似ていますが、「光子」と「光学」の違いがあります。光子顕微鏡とは、名称通り、光子を見る顕微鏡です。
 光学顕微鏡では、光を物質にあてて、その反射や透過した光をみていました。ですから、可視光の光であれば、色を観察することできました。ただ、小さな部分になれば、届く光の量が限られており、光が微弱になり、検出できなくなります。光量が少なくなると、色どころか、光の有無すらもわからなくなることもあるでしょう。それは検出限界で、「見えない」ということになります。
 電子顕微鏡では、電子でみていたので、凹凸やもの(原子など)の存在の有無を、ただ示すことになります。電子は可視光の範囲の性質をもっていないため、色はありません。色でみるためには、可視光で光学顕微鏡で見なければなりません。
 光学顕微鏡には小さい部分が限界がありみれない、電子顕微鏡では色の性質はわからないということが、両者の弱点でもありました。
 ところで、光には、粒子としての性質と、波としての性質の両面があることがわかっています。光子は、素粒子のひとつです。光子の検出だけであれば、有無の判定だけで、1個、2個と数えたり、有無を見ることできます。でもそれで電子顕微鏡の時同じで、色は見えません。
 観測時に、もし光子のエネルギーも測定できれば、光の別の性質を知ることができます。
 エネルギーと振動数の関係は、アインシュタインの光量子説でわかっています。アインシュタインは、
  E=hν (E:エネルギー、h:プランク定数、v:振動数)
という関係を示しました。また、振動数と波長の関係は、
  c=λν (c:光速、λ:波長)
と、わかっています。以上の関係から、
  λ=c・h/E
という式が導き出せます。ですから、光子1個であっても、そのエネルギーが測定できれば、波長を求めることができることになります。光子の波長がわかれば、それから色として示すことができます。光子顕微鏡は、この原理を利用しています。
 光子顕微鏡は、2017年4月4日に、Scientific Reportsで報告されたもので、
Few-photon color imaging using energy-dispersive superconducting transition-edge sensor spectrometry
(エネルギー分散型超伝導光センサー分析装置を用いた2、3光子によるカラー画像)
とタイトルでした。産業技術総合研究所の丹羽一樹さんたちの共同研究の成果です。
 ニュースによると、光子をひとつずつ観測することができるとのことです。ひとつの光子のエネルギーも同時に測定して、波長を知ることができるというのです。まだ開発途上のようですが、将来性を感じる装置です。
 研究グループでは、超伝導光センサーの開発を進めてきて、光子を1個を検出し、その波長を識別する光センサーをつくっていました。それを小さいものをみると「光子顕微鏡」として応用したものでした。ひとつの技術を活用していくいい例ですね。

・応用・
新しい技術ができ、それをどう活かしていくかが応用です。
通常、新技術の開発と応用は
別々進められることも多いのですが、
今回は、開発と応用が並行して進められました。
日本人は、原理発見、新技術の開発より
応用が得意とされていたのですが、
今回は原理の開発と応用を並行して進んでいます。
このような技術は、益々、応用の範囲が
広がっていくようになるのではないでしょうか。
いろいろな場での利活用が期待されます。

・野外調査・
このメールマガジンが発行されている時、
私は、南紀に調査に出てている最中です。
予約発行を行いました。
いつも、この時期に私は野外調査をするので、
年々スケジュール調整が難しくなってきています。
でも私にとって野外調査はライクワークの一環ですので、
これなしには、研究も思索もすすみません。
また、野外調査をすれば、エッセイのネタにもなります。
あとどれくらいこのような調査が続けられるかは不明ですが、
地質学の先輩は同輩たちは、ままだまだ現役で歩いています。
私も無理せず、続けられればなあと思っています。

2017年9月7日木曜日

5_149 光子顕微鏡 2:微小を見る

 小さいものを見るには、光学顕微鏡では限界がありました。もっと小さなものを見るための方法は、どんなものがあるでしょうか。代表的装置の特徴と弱点を見ていきましょう。

 前回は、光学顕微鏡の理論的な限界を紹介しました。光学顕微鏡以外で、それより小さいものを見る方法はないのでしょうか。いくつかの方法が実用化されています。その代表的なものとして、電子顕微鏡があります。
 電子顕微鏡とは、光のかわりに電子をあてて見る方法です。電子を連続的に照射して(電子束とか電子銃と呼びます)、反射した電子(二次電子と呼ばれています)や通り抜けた電子(透過電子)を見る方法です。
 ただし、電子線を絞っているので、分解能を上げるためには、微小の部分に当て、そこからの反射となります。像として見る場合は、電子束を左右に移動させ、少しずらして左右に移動を繰り返して、面、つまり二次元的に合成して画像とします。テレビの走査線のように操作するわけです。
 その結果、凹凸や二次電子や透過電子の性質によって特徴を知ることもできます。成分分析に特化したものを電子線微小分析装置(EPMA)として利用されています。
 電子顕微鏡の弱点として、電子を飛ばすために、空気などの分子は邪魔になので、装置内は真空にしなければなりません。そのため装置は大掛かりになります。真空なので、生体なのど水分を含んだものは変形、変質してしまうので、分析にはあまり向きません。また、電子は電荷をもっているため、電子線があたり続けると、物質の表面が電気を帯びてしまいます(帯電といいます)。帯電すると、電子が反発してしまい、目的のところに当たらなくなってきます。それを避けるために、試料をあらかじめ伝導性のある物質(炭素など)で薄くコーティングし、帯電を除去するようにしておく必要があります。
 私も、電子顕微鏡やEPMAを用いたことがありますが、コーティングが疎かだと、電子が跳ねていい画像が得られません。コーティングは、できるだけ薄く、まんべんなくしなければなりません。そのためには、カーボンの削り方もコツがあったのですが、最近はそのあたりはどうなっているのかは知りません。
 透過型電子顕微鏡では、透過させるために、試料はできるだけ薄くしていかなければなりません。電子顕微鏡では、透過型の方が分解能が高く理論的には0.1nm程度の小さなものも見ることができます。原子サイズのものを観察できます。
 他にも、小さいものを見る装置があります。物質を同士を近づけた時に流れる電気(トンネル電流と呼ばれます)を用いるトンネル顕微鏡があり、分解能は20~30nmだとされています。また、物質を近づけたときに働く原子間力を用いる原子間力顕微鏡があります。その分解能は、数nmとされています。原子間力ではなく発生する磁気を用いる磁気力顕微鏡、発生する電気による電気力顕微鏡などもあり、目的や物質の特性によって使い分けられています。
 これはらの顕微鏡は、可視光ではないでの色はわかりません。まあ、そんな小さい世界に色はありませんので、人工的に着色すればいいのでしょう。しかし、そんなごく微小の世界に、色が見える装置が発明されました。物質の特徴に基づいた色が見えるとわかりやすいので、楽しみな装置となります。詳細は次回に。

・まだ見ぬ分析値・
電子顕微鏡などの分析は、
大きな装置ですが、一人で使います。
そこは、暗室になるようになっていました。
また、X線を発生する装置があると、
重い鉛の壁、ドアに囲まれた部屋になっていました。
そこは、とても静かな環境になります。
装置が貴重な大学などでは、24時間、順番に使用してきます。
私も、何度も、真夜中にひとりで、装置を使って分析してました。
そんな時、小さな岩石の微小部分の中に、
まだ見ぬ分析値に思いを馳せていました。

・ノスタルジー・
私が使っていた頃は、装置も未熟で、
ほぼ手作業で分析をしていました。
後半には、補正計算はコンピュータ処理が
できるようになってきましたが。
今では、装置の性能がよくなり、
多数の分析ポイントを覚えさせて、
あとは、装置任せで、結果を待つだけとなっているのでしょう。
分析値1つ当たりに対する手間が以前と比べて格段に楽になりました
でもその分、データの値打ちが低くなってきたような気がします。
これは、昔を懐かしむ、ノスタルジーでしょうかね。

2017年8月31日木曜日

5_148 光子顕微鏡 1:光学顕微鏡

 顕微鏡は、小さな世界を大きくして見せてくれます。鏡下には、今まで見たことのない、不思議な世界が広がっています。倍率が上がれば上がるほど、見慣れない景色が見えてきます。そこに魅力を感じます。

 小さいものを見る技術として、顕微鏡があります。だれもが一度は覗いたことがあるはずです。レンズを使ってものを拡大していくのですが、レンズの倍率を上げていけば、いったいどこまで拡大できるのでしょうか。まずは、そこから考えていきましょう。
 「ものを見る」ということは、ものに光が当たって反射し、その反射光が人の目に入ることで見えます。小さいものを見るために、小さい部分に当たった光だけを、レンズを用いて集めることで拡大していきます。これが顕微鏡の原理です。
 原理は簡単です。ですから、レンズの倍率を大きくしていけば、小さい部分を大きくしていくことができます。この原理を用いて、永遠に拡大を続けていくと、どこまでも拡大していけるはずです。しかし現実は限界があるはずです。
 皆さんが学校で使っていたものは、光で見る部分を拡大していく顕微鏡です。このような顕微鏡を、「光学顕微鏡」といいます。
 光学顕微鏡での拡大を考えていく時、拡大の能力を倍率ではなく、分解能として示していきます。倍率は相対的なもので、その絶対的な拡大率を示しているものではありません。例えば、1mmのものを顕微鏡で視野一杯にして見たとしましょう。その視野の画像をディスプレイで示したとしましょう。横幅10cmの画面と、20cm、30cmとすると、もともと1mmのサイズのものが、画面サイズによって、拡大率100倍、200倍、300倍が変わってきます。ですから倍率ではなく、絶対的な値を示すために分解能という表記を用います。分解能とは、近接している2点で、その違いがどの距離まで識別できるかを示すものです。識別できる距離を、分解能と呼んでいます。
 光学顕微鏡の分解能は、可視光を用いますので、その波長に依存します。可視光の波長は、紫から赤までで380~750nmとなっています。色を識別するには700nmが限界となるでしょう。形態だけなら、最小のものでは、300から400nmものまで見分けられるでしょう。
 光学顕微鏡で小さいものをみるとき、分解能を技術的にどこまであげられるか、あるいは鮮明に見分けられるかが競われることになります。でも理論的には、100nm以下のウイルスや分子などは見ることはできません。光学顕微鏡の限界は、技術的限界ではなく、原理的な限界となります。
 その限界を越える画期的な技術が、今年の4月に日本の研究者たち報告されました。詳しく次回以降にしましょう。

・薄片・
学生時代、顕微鏡の実習時間に
長期にわたって岩石の薄片を顕微鏡で
長時間観察を行っていました。
小さな数cmに満たない小さな面積ですが、
毎日何時間も、スケッチしながら眺めていると、
その世界に入り込んでしまいます。
薄片の世界は、やがて住み慣れた町のように、
景色を覚えてしまいます。
ある特徴のある鉱物の隣には、あの鉱物があるなあ、
と通い馴れた町並みのように覚えてしまいます。
鉱物の種類や、そこから読み取れることが
見えてくると、顕微鏡の世界が、面白くなってきます。
でも、一気に目を悪くなってしまいましたが。

・夏の終わりに・
今日で8月も終わりです。
いつもなら31日が夏休みが終わりですが、
最近の学校では、夏休みを短くする地域もあると聞きます。
北海道では、以前から、短い夏休みとして
スケジュールが採られています。
そのかわり、冬休みが長くなっています。
寒い北海道では理にかなっているように見えます。
でも、実際の冬は、1月下旬から2月に一番寒くなりますので、
少々実体とはズレています。

2017年8月10日木曜日

2_150 オルドビス紀末の大絶滅 4:水銀の濃集

 水銀が地層に濃集しているという現象が、なかなか厄介な問題です。それは、異常な現象だと思われます。なぜ地層に濃集するのかを考えるために、通常の作用ではないことを示しておく必要があります。

 前回のエッセイで、オルドビス紀末の大絶滅に、新たな原因を示した論文があり、そのキーワードとして、米中、3層準、水銀があったことまでを紹介ました。
 米中、3層準、水銀とは、オルドビス紀に大きく離れた地点(米中)で、それぞれで共通に3つの違った時代(3層準)に、水銀が地層中に濃集するという現象(水銀)が見つかったという事実を、キーワードにしたものでした。これらのキーワードに示された事実を、どう説明するかが課題となります。
 水銀濃集が3つの層準で起こっていました。地殻で水銀は(0.08~0.05ppm)と非常の少ない成分ですが、濃集部は地層の値と比べて、数倍多くなっています。周囲の地層と比べると水銀の濃集は、目立ったピークになる値を持っています。ただし、そこにはいくつかの特徴があります。データを見ると、この増加は少々複雑なものになっています。
 最初(もっとも古い)の濃集は、南中国のデータは試料がなくてわかりませんが、アメリカでは起こっており、時代名称よりオルナタス異常(Ornatus Anomaly)と呼ばれています。この異常は、何度も繰り返して水銀の濃集がおこっています。少なくとも目立ったピークは2つ、小さなピークがいくつかあります。
 次は、オルドビス紀末期(ヒルナンティアン期、Hirnantian)にヒマンティアン(Hirnantian)氷河期があるのですが、はじまる直前(後期カティアン期、late Katian Age)に短期間で急激な増加が、アメリカでも南中国でも起こっていています。一度だけの現象ですが、明瞭で急激な濃集で、時代名称より「上部パシフィカス異常(Upper Pacificus Anomaly)」と呼ばれています。
 最後が、氷河期の間に、南中国では水銀の濃集が度々おこっています。ところが、アメリカでは小さな濃集はあるのでは、明瞭ではありません。
 3つの濃集といっていますが、単純な濃集ではなく、分析のグラフをみると何度かの繰り返しのピークや、短期間で強烈なピークなど複雑な濃集のパターンが含まれています。その濃集メカニズムでは、このような不規則のパターンを説明できなければなりません。
 では、水銀が、なぜ濃集したのか、そのメカニズムを考えていきましょう。
 通常の堆積作用では、水銀の濃集は起こっていません。水銀を堆積物に濃集するメカニズムとして、論文では、一つの可能性を示しています。海洋では有機物の水銀が結合することで濃集するという報告があることを紹介しています。堆積物中に有機物が増えることで、水銀が増加することがあります。有機物が多く堆積していれば、水銀の濃集の原因が解明されたことになります。
 その効果を見るために、論文では、有機物の堆積量の指標として全有機炭素(total organic carbon、TOC)という値を用いられています。調査された時代では、TOCの量の変化はバラバラで、水銀の濃集とあまり相関はないように見えます。その相関を明瞭にするために、水銀とTOCの比(Hg/TOC)もグラフにされています。水銀の濃集時にHg/TOCが変化せずTOCだけが増加すれば、有機物の増加が原因となるはずですが、そうはなっていませんでした。3つの水銀濃集層では、Hg/TOCも大きな値をもっています。このことから、水銀が海洋中に多く供給されたためと結論付けられたことになります。
 では、水銀はとこから来たのかという疑問となります。次回としましょう。

・水銀・
水銀は、常温で液体の金属で、
熱による膨張率が大きく、
かつては体温計などに使われていました。
ただし、毒性の強い金属なので、
漏れると危険な物質となります。
現在では、デジタル体温計が普及したので、
家庭ではほとんど見られなくなりました。
身近なところでは、医療用の機器やランプに使われています。

・帰省中・
現在、私は、帰省中です。
このエッセイは予約送信をしました。
家族で家内の実家の横浜と、
私の実家の京都に連続して帰省してます。
家内と長男は横浜で1泊のみで帰宅。
次男と私は、私の横浜から京都へ移動しての3泊となります。
飛行機のチケットは入手しているのですが、
横浜の京都のJRがのチケットは
まだ購入していませんでした。
お盆直前の帰省ラッシュで乗り物が混みそうなのですが
失念していました。
急いで購入したいと思っていますが、
どうなるでしょうか。
無事に京都までたどり着けているでしょうか。

2017年8月3日木曜日

2_149 オルドビス紀末の大絶滅 3:米中、3層準、水銀

 オルドビス紀末の大絶滅の原因として、水銀が関係していたのではないかという報告がありました。なぜ、あまり多くない水銀という元素に着目されているのでしょうか。報告の概要を見ていきましょう。

 オルドビス紀という日本ではあまり馴染みのない時代におこった大絶滅について、これまで紹介してきました。その大絶滅の原因として、新たな説が提唱されました。
 2017年5月に、Geology(地質学)という雑誌に、
A volcanic trigger for the Late Ordovician mass extinction?
Mercury data from south China and Laurentia
(後期オルドビス紀の大絶滅は火山がきっかけか?
南中国とローレンシアからの水銀のデータ)
というタイトルの論文が掲載されました。発表者は、アメリカのアマースト大学やワシントン大学、そして東北大学の研究チームが発表したものです。
 この論文では、試料をアメリカと中国のオルドビス紀の堆積岩から採取し、水銀(Hg)に注目して分析しました。その結果、地層の中で3つの層準で水銀が濃集していることがわかりました。
 この論文において重要な点は、「アメリカと中国(米中)」「3つの層準」と「水銀の濃集」ということです。
 「米中」とは、現在、太平洋を挟んで2つの離れた位置ということです。アメリカの位置はMonitor Rangeというところで、中国はWangjiawanというところです。現在は遠く離れているのですが、オルドビス紀き形成された地層ですので、その時代にどのような位置関係にあったが重要になります。
 大陸の移動は、それぞれの時代で復元されています。オルドビス紀には、アメリカのMonitor Rangeは、ローレンシア大陸の東海岸で赤道付近に位置していました。中国のWangjiawanは、南極やその周辺に広がっていたゴンドワナ大陸から離れた赤道の少し北に南中国大陸(大きな島)にありました。両大陸の間には、パンサラッサという大きな海洋が入り込んでいました。つまり、両地点は、赤道付近ではあるのすが、地球の反対になるような位置関係でした。遠く離れた地点でした。
 「3つの層準」の層準とは、時間の違いを意味します。地層が形成される時、新しいものが上に堆積しているので、地層の一枚一枚の上下関係は、時間の違いを意味します。層準が違うとは、上下の違う位置の地層のことで、地層の形成時代が違っているという意味で使われます。この論文では、3つの層準とされているので、3つの時代で水銀が濃集が見つかったことになります。
 「水銀の濃集」の水銀は、もともと地表に少ない元素です。通常の堆積岩からできている地層は、水銀が少なくなります。ではなぜ、もともと地層に含まれていないような水銀が、濃集するようになったのでしょうか。その原因の推定が、この鍵となるところです。
 離れた2地点で、3度にわたって、地表でできた地層に、なぜ水銀が濃集したという謎を探る必要があります。そして、なぜ、それらが大絶滅と関連するのでしょうか。その謎解きは次回としましょう。

・努力・
現在、私の学科の学生が
教員採用の2次試験にむけての対策を
自主的に取り組んでいます。
いろいろなタイプの試験があるのですが、
いくつか訓練しておいたほうがいいものがあります。
教員もあいている時間で、協力しています。
学生たちも練習を繰り返すことで上達していきます。
またそこでした努力は、きっと将来報われすはずです。
でも、学生は将来より明日の結果に
向かって努力しているのでしょうが。

・帰省・
8月になりました。
北海道は、夏らしい日が続きます。
日中の研究室は暑いですが、
日陰は涼しいですし、
朝夕は窓を閉めなければ肌寒いくらいです。
そして、なんといっても大学の講義が
すべて終わり、あとは定期試験と採点です。
そのドタバタも今週で終わらせます。
来週は家内と私の実家に家族で
帰省することになります。
暑い時に横浜と京都です。
バテなければいいのですが。

2017年7月27日木曜日

2_148 オルドビス紀末の大絶滅 2:絶滅と大絶滅

 絶滅と大絶滅との違いはどこにあるのでしょうか。基本的なことですが、大絶滅とは何かを見ていきましょう。大絶滅は何度ありますが、オルドビス紀末の大絶滅の位置づけを見ていきます。

 前回、生物種の出現の消失が、生存期間になるといいました。過去の生物は、化石の出現と消失を生存期間とみなしました。次の話題として、今回、話題にする、絶滅と大絶滅の違いです。
 実は、絶滅には、大絶滅との関係で、2つの意味を持つようになってきました。一つ種の消失という、前回説明したもともとの意味のものと、もうひとつ、大絶滅に比べて、種数は複数ですが規模が大きくない「小」絶滅を意味することがあります。大絶滅とは、それまでいた種が大量に絶滅することです。しかし、その際、何%以上の種が絶滅したら「大」というのかは、厳密な定義がありません。ただ多いという意味合いに使われています。ですから、「小」絶滅も、どの程度と定量的にいうことはできません。相対的、あるいは感覚的なものになります。
 地質時代を通じて、それまで生きていた種が、どの程度絶滅したかを数値化することはできます。その時代で消失した化石種の数を数え、全体の種数と比べれば、定量化できることになります。その数値をもとに、絶滅の規模をランキングすること可能で、上位の大絶滅を定義することができます。
 上位5位を、大絶滅の「ビック5」と呼んでいます。オルドビス紀末(O-S境界)、デボン紀後期(F-F境界)、ペルム紀末(P-T境界)、三畳紀末(T-J境界)、白亜紀末(K-Pg境界)の5つになります。
 生物の大絶滅で有名なのは、白亜紀と古第三紀の境界の事件ですが、この絶滅では、地上から恐竜がいなくなり、哺乳類が陸地のいい環境を支配して繁栄するという交代劇を起こした事件でした。K-Pg境界の絶滅は、規模が大きかったので「大絶滅」と呼ばれ、その全生物の絶滅率は、70%に達すると見積もられています。
 しかし、K-Pg境界の絶滅率は、実は「ビック5」の5番目となります。ペルム紀末のP-T境界が最大の大絶滅で、海棲生物では最大では96%が、全ての生物種で見ると90から95%の種が絶滅したと見積もられています。2番目がオルドビス紀末で全生物の85%で、デボン紀後期で82%、三畳紀末で76%、最後が白亜紀末となります。
 P-T境界の話は、このエッセイで何度か取り上げました。今回は、オルドビス紀末の大絶滅が話題です。
 オルドビス紀は、古生代のカンブリア紀の次の時代で、4億8540万年前から4億4340万年前の4200万年間の時代です。カンブリア紀からオルドビス紀にかけては、三葉虫のような節足動物、オウムガイに代表される腕足類が全盛期を迎えます。また、ウミリンゴ、筆石筆石のような半索動物、コノドントが繁栄しました。本格的なサンゴ礁が形成されるようになったことである。オルドビス紀後期には顎をある魚類が登場し、サンゴ類は床板サンゴ類や原始的な四射サンゴ類や層孔虫が繁栄して、礁性石灰岩が形成されるようになりました。オルドビス紀末には、それらの多くが絶滅しました。
 オルドビス紀には、大陸が南極域にあり、寒冷な時代で氷河に覆われたこともあります。氷床の形成と消滅による海水準の低下、上昇が2回起こったことがわかっています。しかし、これが大絶滅と同関係していたかはよくわかっていませんでした。そこに新しい説が出されました。その詳細は次回としましょう。

・主観と歴史・
科学とはいえ、人が行うものなので、
どうしても人間的な判断、主観が入ることがあります。
絶滅の規模も、大きいものであれば、
今回紹介したような手を使えば、順位付けから
客観性をもたせることができます。
ところが、中、小の規模の絶滅となると
どこに線を引くかは、主観的なものとなります。
絶滅率の数値で定義してもいいのですが、
それがどのような意味を持つかは不明です。
すべての時代境界で大絶滅あったわけでないことは、
デボン紀後期の大絶滅が
時代境界になっていないことからもわかります。
時代境界にも主観的な判断がはっています。
科学は人間が行い、そして進めてきました。
主観に他にも知的活動の歴史的経緯も刻まれています。
それが、現状でもあります。

・前期終了・
大学もいよいよ今週で講義が全て終わります。
その後は定期試験に入っていきます。
定期試験が終われば、待ちに待った夏休み
といいたいところですが、
教員は、いつものようにバタバタします。
定期テストのあと、採点と評価が必要になります。
今年は、私事で、お盆前に帰省することになりました。
横浜と京都です。
暑い時期に暑いところに行くのは少々気が重いですが、
まあ、やむおえないことなので行きます。
その前にすべての校務を終えなければなりません。

2017年7月20日木曜日

2_147 オルドビス紀末の大絶滅 1:種の出現と消失

 オルドビス紀とは、古生代の中頃、カンブリア紀の次の時代です。オルドビス紀末に大絶滅がありました。今回はその大絶滅に関する話題です。その前に、種の絶滅とは何かを考えていきます。

 生物の絶滅を考える場合、別種との区別のために「種(しゅ)」の認定が必要になります。種とはなにか、も重要な問題なのですが、今回はそれを抜きで話しを進めます。まず、生物種の区分があるところから出発しましょう。
 絶滅とは、ひとつの生物種のすべての個体が死に絶えてしまうことです。そのため、種が継続できなくなることを意味します。しかし、どこにも個体が存在しない、「不在」を証明するのは、非常に困難です。科学的、原理的には、不在の証明は不可能です。そこで、環境省では「過去50年前後の間に、野生において信頼できる生息の情報が得られていない種」を野生絶滅と定義しています。
 50年間、専門家が探し続けた結果、見つからないのであれば、それなりの信頼度があるでしょうが、通常、ある種を探す調査を長年継続されることはありません。研究者は成果がでることを研究テーマとします。ですから、このような調査は、研究としてはあまりおこなわれません。
時々、レッドデータ調査のように、一斉調査がおこなわれることもあります。調査をすれば、その時点でかなり正確に不在を示すことができます。これが種の確認として非常に重要なデータとなります。しかし、すべての地域、すべての種で、一斉調査をおこなうことは難しいもので、文献に頼ったものや、限定した地域での調査で済まされることもあります。
 このような調査には漏れや先入観などもあり、見落としや漏れもあります。少し前、「クニマス」の再発見のニュースを覚えている方もいるでしょう。クニマスは、田沢湖では1940年年代に絶滅したとされて以来、環境省のレッドリストの1991年、1999年、2007年で「絶滅」とされていました。しかし、2010年に、山梨県の西湖で現存個体群の生息が確認されました。これは人為的に田沢湖から放流されたものが生き残っていたので、野生での絶滅は、変わりありません。クニマスの場合は、人為的に放流された記録があったので判明しました。もし、記録がなければ、野生での固有種なのかどうかはわかりません。このようなこともあるので、50年という期間も本当にいいのかどうかは問題になる場合もあるはずです。
 さらに、植物は種(たね)であれば、長期間保存され、個体が一時的に絶滅しても、環境さえ整えば、復活することが可能になります。年限を切って絶滅をする定義が、適用できない場合もありそうです。
 現世種でも難しい絶滅の判定なのに、過去の生物種で、どう判定するのでしょうか。過去の生物は化石でその存在を知るしかありません。そして、化石での出現と消失を、種の出現と消失とみなします。化石として発見された最初の時代が、種の出現となります。そして、化石が見つからなく消失の直前の時代を、種の絶滅となります。出現と消失の間が、その生物種の生存期間とみなすことになります。
 ここまで読んで、化石による絶滅は、現世種より不確かだと思われたことでしょう。なぜなら、今まで見つらかなかった時代から、同じ化石が発見された、種の生存期間が簡単に変化するからです。でも、これが現状での限界でもあります。
 通常の絶滅と大絶滅との違いは、どうなるでしょうか。大絶滅と絶滅との間には、どのような区分があるのでしょうか、それともないのでしょうか。それは次回としましょう。

・不確かさと時間・
現世種の絶滅の判定や化石の絶滅の期間の認定などのように、
科学には精度を上げようとしても
そこに限界が存在するものもあります。
精度が上がらないから、
研究をストップさせるかというと、
そうはなりません。
不確かさを取り込んで、
その程度の精度であることを認めた上で、
研究を進めていくことになります。
不確かさ(誤差)以上に明瞭な出来事が見つかれば、
その出来事の存在は、事実とできます。
精度と事実認定の間に存在する過去の時間は
不確かさを十分飲み込む長さでもあります。
そこから地球や生命の歴史が読み取られます。

・猛暑・
北海道も7月上旬の暑さも一段落でしょうか。
先週末から少し、暑さがおさまりました。
7月上旬に北海道を旅行をされた方は
涼しい北海道に期待してきたでしょうが、
さぞかし暑い思いをされ、びっくりされたことでしょう。
北海道にも暑い時期があります。
大抵は7月下旬から8月上旬に
耐えられないほどの暑い日があるのですが、
今年は、1ヶ月早く、猛暑が来ました。
連日、暑い日が続くと、
実は北海道の住民の方がずっとバテてしまっています。
冷房のない家も多いため、
本州の暑さに慣れた旅行客よりは
北海道民の方が、ずっとこたえているのです。
ということで、私は、バテバテでした。

2017年7月13日木曜日

6_146 LIGO 4:展望

 LIGOの3回の重力波の観測で、大きな展望が開けてきます。重力波を起こすような現象がべき乗則に従うものであれば、感度を上げれば、多数の重力波が観測ができることになります。そうなれば、天文学の新しい分野が生まれるはずです。

 LIGOでの最初の重力波は、数百年に一度の現象を捉えたとされ、非常に幸運であったとされました。その後の観察で、最初の現象と比べると規模は小さいですが、重力波は稀な現象ではないことがわかってきました。
 第1期の4ヶ月ほどの観測で1個を発見しました。もしかすると、もうひとつの重力波の現象も起こっていたかもしれませんが不確実でした。その後、2016年11月30日に開始された第2期の観測から、8ヶ月ほどで2つの観測がありました。重力波の発生現象は、平均すると4ヶ月に1回くらい起こっていることになります。この値は、観測数が少ないので正確ではないのですが、稀な現象ではなく、頻繁に起こる現象だとはいえそうです。当初の数百年に一度の現象ではなく、年に数回は観測できそうです。
 一般的にさまざまな現象が、べき乗則と呼ばれる頻度で起こることは、よく知られています。べき乗則とは、規模の大きさとその出現頻度は、指数関数に似たべき乗関数的な関係があるというものです(厳密には指数関数とべき乗関数は違います)。例えば、地震の起こる頻度とマグニチュードの関係は、大きなものは稀で、小さいものは頻繁に起こる、べき乗則(グーテンベルグ・リヒター則と呼ばれています)になります。隕石の衝突のサイズと頻度の関係もべき乗則です。べき乗則は、経済学ではパレートの法則とよばれ、「売上の8割は全顧客の2割が生み出している」などの例があります。生物学では「働きアリのうち、8割が本当に働き、残りの2割のアリはサボっている」などの例があり、「80:20の法則」とも呼ばれています。
 もし重力波を発生するような現象が、べき乗則になるなら、規模の大きな合体はまれでも、小さなものはべき乗的に多くなるはずです。もちろん、ブラックホールの衝突合体自体は稀な現象ですから、しょっちゅう観測できるものではないでしょう。さらに、小さいものがどんなに頻繁に起こっていたとしても、遠くでは観測できなくなるでしょう。でも、装置の感度を上げれば、年に数個や、月に数個の観測数は期待できるとも考えられます。
 3回の重力波は、天文学において、全く新しい観測手段が生まれたことになります。
 可視光を光学望遠鏡で天体を観測していたときと比べ、他の周波数の赤外線やX線、電波などで観測ができたことで、天体現象の理解が格段に深まりました。また、ニュートリノを用いた観測では、超新星爆発や太陽の内部構造などを見る手段を得ることができました。そこに今回、重力波の観測ができる装置は、「重力波望遠鏡」とも呼べるものになるのでしょう。新たな天文学がスタートするはずです。できれば、日本で新たに開発している「重力波望遠鏡」も、観測に成功して欲しいものです。観測場所が増えれば、発生源の位置の情報の精度が上がります。今後に期待しましょう。

・グラフ・
指数関数とべき乗関数の違いは、
グラフを書くと理解しやすくなります。
片方の軸が指数にしたとき(片対数グラフ)、
直線になるのが指数関数です。
両方の軸を指数にしたとき(両対数グラフ)、
直線になるのが、冪数関数です。
線形のグラフにすると形がよく似ているのでが
べき乗関数の減少が緩くなります。
このゆるい部分が、ロングテールと呼ばれます。
昔、分析データをプロットして
規則性を見出そうとするとき、
片対数グラフや両対数グラフを
手書きで何枚も書いていました。
懐かしい思いです。
今では、Excelなどでデータを収集し、
グラフ作成ソフトで一瞬にして
いろいろ軸を変えて簡単に書けてしまいます。

・因果とべき乗則・
80:20の法則は、べき乗則の別の表現といえます。
多い頻度側の2割をとると、
全量の8割を占めることになります。
ですから、80:20となる現象があれば、
その背景にべき乗則があります。
これは現象の出現頻度を示すものであり、
その個々の現象の原因を
示しているわけではありません。
ただし、解明した原因が
べき乗則を満たしていなければなりませんが。

2017年7月6日木曜日

6_145 LIGO 3:3つの観測

 重力波と捉えるためのLIGOという装置は、最初の発見以来、その後も観測を継続しています。そして成果上げています。それは研究者の予測を裏切るものでした。悦ばしき誤算だったのです。

 LIGOは、感度の上げるための改造をなされた後、2015年9月12日に観測を開始したわずか2日後、2015年9月14日、重力波をキャッチしました。この重力波は、「GW150914」と命名されています。GWは、重力波の「Gravitational Wave」の頭文字で、150914は、2015年9月14日ことのです。以降、重力波は、GW+
日付でよばれることになります。
 この観測は非常に幸運でした。幸運は、観測再開直後に発見したことだけでなく、LIGOの感度でとらえられるような現象は、数百年に一度のものだったのです。ですから、これ以降の観測では、見つかりそうもなさそうだ、とされていました。
 2015年の発見以降にも、LIGOは観測を続けています。第1期の観測は、2015年9月から2016年1月でした。この時に、もうひとつ重力波シグナル「GW151226」を発見されていました。GW150914の3ヶ月後のことです。GW151226は、14億光年のところにある太陽質量の14.2倍と7.5倍のブラックホールが合体し、20.8倍のブラックホールになったと推定されています。GW150914と比べると3分の1くらい合体事件でした。
 実は、第1期の観測では、他にも重力波らしきものが捉えられています。ただし、このときのシグナルは弱くて、正式な重力波にはカウントできないものだと判定されました。信号自体は、はっきりしたものだったのですが、統計的には質がよくなく、誤差やノイズとの区別ができないとされて、重力波とはみなされませんでした。「LVT151012」と命名されています。LVT151012とは、LVT(LIGO-VIRGO transient)とは、「LIGOの乙女座でのちょっとした反応」のことで、151012とは2015年10月12日の観測のことです。もし、このLVT151012が重力波が本当だとしたら、太陽質量の23倍の星と13倍の星の連星の合体の事件だと見積もられます。科学的にはこれを用いて議論をしてはいけません。
 その後、第2期の観測が2016年11月30日に開始され、現在も継続されています。3例目の重力波シグナル「GW170104」が発見されました。この発表は2017年6月1日になされました。あまり話題になりませんでしが、今までの経緯からすれば、一部の研究者には、予想されたものだったかもしれません。
 GW170104は、22億光年のところにある太陽質量の31.2倍と19.4倍の連星のブラックホールが合体して、48.7倍のブラックホールになったときの重力波でした。
 この発表で3例目の重力波が発見されたことになります。LIGOが捉えられる重力波を発生する現象は、どう頻繁に起こっていることになりそうです。その意義は、次回としましょう。

・悦ばしき想定外・
科学では予想をもとに作業仮説として立てられます。
その予測をもとに実験などの準備が進められます。
しかし、予想は往々にしてはずれます。
これが科学の常です。
どこからの政府では、
こんな当たり前の科学の常を理解しないで
想定外といっています。
科学では想定外が当たり前です。
想定外があれば、そこから新しい科学を
切り拓ていけることもあります。
今回の発見も同じようなものでした。

・梅雨・
北海道も7月になり
少々蒸し暑くなってきました。
まあ、本州の梅雨と比べれは、ましなものでしょう。
でも、北海道に暮らす人間にとっては、
少々の蒸し暑さがこたえるのです。
本来なら本州の梅雨の時期が
北海道の一番いい時期でもあるのです。
それが蒸し暑さで過ごさなければならないのが
少々残念でもあります。

2017年6月29日木曜日

6_144 LIGO 2:干渉計

 LIGOは、現代科学の象徴的な装置ではないでしょうか。巨大な装置でありながら、精密さをもっています。それに加えて、巧みな考えや仕組みが、組み込まれています。

 LIGOは巨大な観測施設ですが、非常に繊細で精密で、巧みな原理を用いた装置でもあります。
 実験装置は、野球のホームベースから1塁線と3塁線に直角に延びているL字型をしています。ただし、L字の一辺は、4kmもある巨大なサイズです。世界の研究者900人以上が参加するので、研究自体も、経費も大規模なものです。
 L字型になっているのは、コンクリートで囲われた空っぽの管です。空っぽというのは、その管の中が何もない超高真空になっているという意味です。真空の管の中を、レーザー光が鏡で反射されて往復します。まあ、空っぽの管の中をレーザー光が通っているという、非常にシンプルな装置です。しかし、その精度は非常に高くなっています。免震装置あり、そこにもいろいろな工夫が凝らされていてます。あの手この手で、精度を上げる工夫がこらされています。
 なぜなら重力波は、10^-21という非常に微小なゆがみしかないからです。この10^-21という精度は、4kmのミラー間隔で、水素の原子核の半径の1000分の1より小さい(10^-18m)ほどひずむを感知しなければならないからです。
 そんな小さなゆがみを検出するためには、装置の精度だけでは達成できません。別のゆがみを見る仕組みも必要になります。その仕組みとは、「干渉」と呼ばれる作用です。
 干渉とは、2つの波を重ねると、打ち消し合ったり、強め合ったりする作用のことです。その作用を利用して観測しようというものです。もともとひとつの光(ここではレーザー光)を2つに分けて、鏡で反射させて長い距離を移動させたのち、2つの光を重ね合わせます。そのとき光路がまったく同じ長さなら、もとと同じ強度の光に戻ります。もし長さにズレが生じていたとすると、光にムラができます。このようなムラを干渉といい、光の場合、干渉による縞模様ができます。干渉縞ができれば、光路に差が生じたことを意味します。その干渉縞を正確に観測すれば、ズレを測ったことになります。
 このような干渉という考えは、古くからあり、実験に用いられてきました。1887年に「マイケルソン・モーリーの実験」として、エーテルの存在を検証するために用いられました。エーテルの存在は否定されたのですが、マイケルソン干渉計は、現在でも利用されています。
 真空の長い距離を通るレーザー光とマイケルソン干渉計によって、重力波を捉える装置なります。LIGOは、巨大ですが、非常に精密な装置で、巧みな検出原理を用いていることになります。
 さらに、工夫がなされています。同じ性能の装置が、離れた2ヶ所に作られています。ひとつは、アメリカ合衆国のルイジアナ州リビングストン(リビングストン観測所)で、もう一つがワシントン州ハンフォード・サイト(ハンフォード観測所)です。両施設の距離は、約3000km離れています。これらは対を成している装置でもあります。
 2つのあるのは、検証のためでもあるのですが、離れたところにあると、重力波の発生位置を特定することができるのです。3000kmも離れていると、光でも約10m秒ほどの到達時間に差ができます。その差を利用して重力波の発生位置を知ることができます。
 このような巨大で精密で巧みな装置、LIGOを用いて、重力波が検出されたのです。次回は、その後の情報を紹介しましょう。

・エーテル・
マイケルソンとモーリーが実験で調べたエーテルとは
化学の用語ではなく、
光を伝える「媒質」に対して用いられた用語です。
宇宙はエーテルで満たされていると
かつては考えられていました。
なぜなら、光が伝わるために
「なにか」媒体が必要だとされていたからです。
そのエーテルの存在を調べる実験が、
マイケルソン・モーリーの実験だったのです。
非常に感度の良い、光のズレを測定する装置として
考案されたものでした。
その結果、エーテルの存在は否定されました。
しかし、エーテル説を用いない
相対性理論が台頭してきました。

・時間の流れを加速・
さてさて6月も終わります。
またもやアッという間の一月でした。
思い起こすと、いろいろな出来事がありました。
しかし、最近はいろいろなことを
深く考え込まずに、
淡々とやり過ごすようになりました。
そのため、いろいろな出来事があっても
アッという間に過ぎてしまうようです。
しかし、それぞれの出来事に思い煩っていると
精神的に持たないからです。
そんな心の持ちようが
さらに時間の流れを加速しているのでしょうかね。

2017年6月22日木曜日

6_143 LIGO 1:幸運な観測?

 大ニュースであっても時間が過ぎると、後続のニュースは流れてこなくなります。一部の専門家だけで情報が共有されているだけとなります。情報は公開されていても、ニュースにはなりません。今回は、そんな人目に触れにくい話題です。

 LIGOという名前を聞いたことがあるでしょうか。子ども遊ぶブロックのLEGOではありません。LIGOはライゴと読みます。Laser Interferometer Gravitational-Wave Observatoryの頭文字を取ったもので、「レーザー干渉計重力波観測装置」です。重力波を観測する装置で、本エッセイでも「重力波の観測」として5回のシリーズで紹介したことがありました。
 少々ややこしい話なので、まずはちょっと復習をしておきましょう。
 重力波とは、1916年にアインシュタインが一般相対性理論で予言したものです。時空に生じたゆがみが、波動として光速で伝わっていくものです。時空とは重力場を意味しますので、ゆがみが起これば重力波が発生します。重力場がゆがむことは常に起こっているのですが、それは非常に微小な現象にしかなりません。重力波を検出するためには、大きな重力のゆらぎを起こす現象が必要になります。さらに、微細なゆらぎを検出できる、非常に敏感な装置が必要になります。大きな現象と敏感な装置の2つがそろって、はじめて重力波が観測可能になります。
 そのような現象として、ブラックホール、中性子星、白色矮星などの密度が大きく、サイズの小さい天体が連星となっている場合、それらが合体する場合、また超新星爆発で大きな重力波が発生する場合などが考えられています。そのような現象でも、変動は非常に小さく、10^-21というスケールのものです。検出するには、感度が非常に高くなければなりません。
 LIGOは、2005年から2010年まで観測しましたが、検出能力が足りなく失敗に終わりました。装置を改良し2015年から観測が再開されたところ、わずか2日目に、重力波をキャッチしました。その現象は、2つのブラックホールの合体で発生した重力波でした。2つのブラックホールが、ぶつかる時の相対速度は、光速度の半分以上にまで達していました。ブラックホールは、太陽質量の29個分と36個が合体して、62個分になりました。太陽質量の3個分が、重力波として放出されたと考えられました。
 このように重力波が検出できるような現象は、数百年に一度くらいの頻度で起こるものだと考えられていました。そんな稀な現象が、観測早々に発見できたのは幸運でした。さらに、これから重力波天文学が花開くのではないかということも紹介しました。
 今回のシリーズは、LIGOの意義を再度考え、その後の活動と最新情報を紹介していきます。

・視覚の拡張・
最近の研究成果には、
人が直接見ることも感じることができないような
領域のものが多くなってきた気がします。
まあ、考えてみれば当然かもしれません。
それが科学や技術の進歩だからです。
見ることに関していえば、
目で見えるもの(波長)と比べて
検出できる範囲は何桁も広がりました。
肉眼では見れなくても、
見えるようにする技術(デジタル処理)も進んでいます。
また、遠くのものも検出したり(望遠鏡)、
行けるところはいってみること(探査機)も
できるようになりました。
それより、それを理解するための想像力が
追いつけるかどうかの方が、問題かもしれません。

・初夏の風物詩・
わが町では、ヒバリからエゾハルゼミ、
そしてカッコウの鳴き声と鳴き声が変わってきました。
早朝のカッコウの声は、
初夏を感じさせるものです。
北海道では、もう寒く感じる日はなくなりました。
まあ、乾燥しているので、
風があると涼しく感じることもありますが。
あれよあれよという間に、時間は過ぎていきます。
この間、YOSAKOIがあったと思ったら、
もう6月の下旬になっています。
時の過ぎるのは早いですね。

2017年6月15日木曜日

6_142 女性研究者の比率

 今回は、少々、趣の違ったエッセイとなります。女性の社会進出についてです。日本での女性の社会進出が促されてきましたが、研究の世界では、どなっているでしょうか。そしてその原因は?

 女性と男性は、性差があり肉体的には明らかに違いがあるので、社会や家庭の役割の違いはあることでしょう。しかし、先進国では、個人の個性、志向、嗜好、信条など多様性を認めていく社会を目指す方向に進んでいます。一方、女性と男性で能力や適正の違いがない分野では、男女の果たす役割は同等であるべきでしょう。それを慣習や「社会常識」として差があるとすれば、修正する必要があるはずです。その修正を社会や組織にまかせていくとなかなか進まいことでしょう。
 日本では。アベノミクスの「成長戦略」の中で、「女性が輝く日本」がとり上げられ、女性の社会進出が重要課題の一つに挙げられました。それに関係した「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律(女性活躍推進法)」が2015年に成立しました。組織内での女性の情報公開(見える化)が、国や地方公共団体、民間企業に義務付けられました。妊娠・出産等に関するハラスメント防止措置義務など、女性の進出を促す政策もだされました。これらいくつかの法律により、女性が個性や能力を発揮できる社会の実現のための方針がだされました。これらがどれほどの効果を持つかは不明ですが、女性の社会進出は、以前から言われていますが、具体的に政策や数値目標が示されたのが一歩前進でしょう。
 研究の世界は、どうなっているでしょうか。研究の能力に男女の差はないはずです。ですから、半々の比率になるのが、理想でしょう。ところが、大学を思い浮かべても、女性が皆無の大学はないと思いますが、女性が占めている比率は少ないように見えます。実態は、どうでしょうか。
 学術出版社のエルゼビアが、論文の著者に関して調査をしました。それによると1996年からの5年間に発表された論文で、日本での女性著者の比率は、15%でした。2011年から5年間の最新の統計では20%になりました。日本では順調に女性の進出が増えているように見えますが、その比率は、調査された12ヵ国の中では、最も低いものでした。
 最新のデータで見ると、ポルトガルとブラジルが49%、オーストラリア44%、カナダ42%、アメリカとイギリス40%、メキシコとチリ38%なっています。いずれも日本より多く、半数近くになりつつあります。それと比べて、日本の比率はかなり低いといえます。そしていずれも国でも以前の調査に比べて増えています。
 研究分野での女性進出促進政策は進められています。「第5期科学技術基本計画」では、新規採用の研究者の女性比率を、30%まで高めるという目標を掲げていますが、どうなるでしょうか。そもそも、研究者の供給源となる大学院の男女の比率が対等になる必要がります。その前の大学の学部でも対等になるべきでしょう。理系の女性比率が対等になる必要があります。そこに原因があり、対策が必要になりそうです。
 ところが、政府は、国公立大学を理系に重点をおき、私立大学に文系をまかせるという考えを見せています。研究者養成である大学の属性に、差をつけようとしているのです。そうなると、養成される研究者の属性が、イビツな比率になっていくのではないでしょうか。研究者のピラミッド全体が、男女の比率で適切になるべきではないでしょうか。どうも政府のやり方に、一貫性が見えないようですね。

・夏へ・
6月も半ばになりました。
北海道も夏が深まっています。
快晴のときは、本当に心地よいですが、
朝夕は冷え込みがあります。
雨の日は、まだ肌寒く感じる日もあります。
季節は着実に夏に向かっています。
北海道の初夏の風物詩になった
5日間に渡るYOSAKOIも先週、終わりました。
いよいよ夏に向かっていきます。

・原因の連鎖・
我が学科では、男女比は日本の平均となり、
多くもなく少なくもなくですが、
半分にはなっていません。
大学全体では、女性比率はもっと少くなくなっています。
多分、多くの大学、研究所の組織で
女性のかなり低い比率をもっていることだと思います。
大学の教員の採用時、性別をつけることなく
業績や実績にて審査がおこなわれます。
大学の女性比率を考えて、性差をつけると、
そこに差別がはいることになります。
ですから、応募者の比率が半々になっているべきでしょう。
そのためには、研究者養成や大学で男女比が
半々になっていくべきでしょう。
どこまで原因の連鎖が続くのでしょうかね。

2017年6月8日木曜日

4_141 山陰の旅 5:城崎裁判

 今回、城崎を訪れた目的は、地質とは全く関係がありませんでした。実は、私が興味をもっている作家の作品が、この地にありました。いつもの地質の旅とは違ったエッセイとなりますが、一興となれば。

 城崎は、兵庫県豊岡市にあり、平安時代から知られている有名な温泉です。日本海に流れ込む円山川の支流、大谿川(おおたにがわ)沿いに温泉街ができています。風情のある橋が渡された大谿川の両側には柳などの並木があり、そこに落ち着いた温泉街ができています。狭い地域ですが、昔懐かしい建物から、現在風のものまで、新旧の混在した町並みになっており、日常とは違った情緒を生み出しています。そんな城崎に少し立ち寄りました。
 城崎には、以前にも来たことがあるのですが、温泉には入りませんでした。今回、城崎に来たのは、別の目的地(玄武洞)に向かう途中の通り道で、地質を見るためでもありません。そして温泉に入るためでもありませんでした。まったくの趣味のためでした。
 城崎は、京都から程遠くからず、かといって都の風はないところなのでしょうか、古くから文人墨客も多く訪れるところでした。有名なところでは、志賀直哉の「城の崎にて」があるでしょうか。志賀は、山手線の電車にはね飛ばされ、そのときに負った傷の療養のため、1913年に城崎温泉に滞在しました。その体験をもとにして、一匹の蜂の死骸や、首に串が刺さった鼠、驚かすつもりで投げた石がイモリを死なせてしまったり、生と死が溢れた作品になっています。
 私が以前来たのは、志賀の小説の舞台になっていたので、どんなところかを見たかったためでした。その時も別の地質調査地に向かう途中に寄ったものでした。
 今回、城崎に来たのは、別の小説のためでした。私が好きな作家に、万城目 学(まきめ まなぶ)氏がいます。寡作の作家なのですが、小説はおもしろいものが多く、作品が出れば読んでいました。万城目氏の本を城崎にて、入手することが目的でした。
 万城目氏に温泉街を舞台とする小説書いてもらう依頼をしました。万城目氏は、志賀から100年目の2013年の冬と2014年の初夏、2回に渡って城崎に滞在して、出来上がった作品が「城崎裁判」でした。
 この小説には、いくつか面白い工夫がなされています。これは短編の薄い本ですが、作りが凝っています。ブックカバーがタオルでできています。そのため私は最初本とは思えませんでした。本体は水に濡れても大丈夫なストーンペーパーからできています。温泉に入って読んでくださいとばかりの工夫です。さらにこの本は、城崎でしか販売していないのです。城崎に来なければ入手できません。私は本が欲しいので、城崎に来たのです。おもしろい工夫に、やられてしまった一人となりました。
 この「城崎裁判」は、志賀の「城の崎にて」を前提とした作品です。幻想と現実の狭間の奇譚で、万城目ワールドになっています。内容は買った人だけの楽しみとしましょう。もし、城崎にお立ち寄り際は、温泉と一緒にこの小説も一緒に楽しむ手もあります。

・城崎文芸館・
私が「城崎裁判」を購入したのは、城崎文芸館でした。
温泉街から少し奥まったところにあるのですが、
近代的ですが、風情がある建物でした。
ここに来たのは、「万城目学と城崎温泉」という
企画展がなされているので、
それを見学することも目的でした。
万城目氏のプライベートは
なかなか知ることができないのですが
一部公開されていました。

・本と温泉・
志賀直哉が城崎にきたのは1913年で
2013年が来湯100年になります。
それを契機に、城崎温泉旅館経営研究会が
「本と温泉」という出版レーベルを設立しました。
第一弾が「城の崎にて」とその詳細な「注釈・城の崎にて」
の豆本が2箱入りになった本の出版でした。
第二弾が今回紹介した「城崎裁判」でした。
実は第三弾がすでに出ていて、
湊かなえ「城崎へかえる」というものです。
カニの殻のような素材の箱に、
カニの身をぬくように本が出てきます。
なかなかおもしろい工夫がされています。
私は、第一弾と第二弾を購入して帰りました。

2017年6月1日木曜日

4_140 山陰の旅 4:三朝温泉のビニールシート

 三朝(みささ)温泉は、古くからある温泉街です。そんな町に私は住んでいて、その後20数年ほどたちました。その間、新しい研究所を訪ねたこともあるのですが、久しぶりに通り過ぎました。

 春の野外調査では、鳥取から大山を経て岡山に抜けることにしていました。山陰の調査の初日の宿泊地を三朝(みささ)温泉にしました。三朝温泉は、12世紀に発見されとされる古くからある温泉で、大久保左馬之祐(さまのすけ)の救った白狼が夢で楠の老木から湯が湧き出ていることを知らせたそうです。それが今の元湯の「株湯」だとのことです。三朝温泉は、今も豊富な湯量を誇っています。川沿いの露天風呂も健在でした。
 調査の目的地の大山に一気にいっても良かったのですが、三朝町の被害が気になっていたので、通り抜けながら見ておきたかったのです。被害とは、鳥取県中部地震によるものです。鳥取県中部地震は、2016年10月21日、午後2時過ぎに、鳥取県東伯郡三朝町付近を震央としたものでした。震源の深さは11kmほどで、横ずれ断層にともなうマグニチュード6.6の地震でした。直下型の断層による地震なので、倉吉市を中心にして、震度6弱に達する揺れが起こり、多くの被害がでました。負傷者30人ほど出て、家屋の損壊も多く大きな被害となりました。
 この地震によるその後の続報や復興の様子は、北海道ではあまり報道されず現状がよくわかりませんでした。一方、2016年の4月の熊本地震は、被害も大きく犠牲者も多かったためでしょうか、昨年1年間の情報、そして今年の5月には1年がたった時の状況や問題点などを紹介するなど、いくつものドキュメントが放映されました。鳥取地震のことも放送されていたのかもしれませんが、北海道にいる私にはほとんど聞こえてきませんでした。
 私は、三朝町に修士課程時代の2年間、研究生(オーバドクター)時代の1年、特別研究員時代の2年、あわせて5年間住んでいました。三朝町には愛着もあり、被害の状況が気になっていました。ホテルの人に聞いても、揺れが激しかったが、今では通常の営業ができているそうです。発つ日も、温泉街で「御幸行列」の祭りが行われれ、満員となるとのことでした。しかし、ホテルの窓から見ると、温泉街にはビニールシートのかかっている屋根もいくつか見えました。
 泊まった翌日の早朝、散歩して、温泉街のメインストリートを歩きました。この通りには古い温泉街の趣が残っているところでした。すると、いくつかの家の入口には、「被災宅地危険度判定結果」という張り紙がありました。青の張り紙には「調査済宅地INSPECTED」とあり、「被災度は小さと考えられます」という小さい文字がありました。黄色い紙には「要注意LIMITED ENTRY」となり「立ち入る場合には十分注意して下さい」という表記がありました。まだ、復旧ができていない家屋がいくつもあるようです。
 三朝町を発つ時、コンビニエンス・ストアに寄りました。買い物をしたあと、店員のおねいさんにお礼いって「まだビニールシートのかかった家がいくつかありますね」などと復興状況を尋ねました。すると、それまで愛想のよかった笑顔が曇り、「そうですね。まだまだです」と小さな声で答えられました。もしかすると被災された方もしれませんでした。私は、「がんばってください」としかいえませんでした。でも、明るい声で「どうもありがとうございました」という声が帰ってきました。一日も早い復興を願っています。

・昔の町・
三朝町を去る日、車でいくつか脇道に入りました。
道路が整備され、介護施設など新しい建物いくつもあり、
町もいろいろ変わっていました。
でも温泉街で人なでよく飲みにいった店など、
変わらないところもありました。
修士課程時代に、下宿していた家の前にもいきました。
大家さんが住んでいた新しい母屋と
私が借りていた駐車場の上の離れの建物は
昔のまま残っていました。
古い方の母屋は取り壊されていました。
地震のためではないと思いますが。
30数年まえの自分の記憶の中の建物がそのままあり
少々感傷的になりました。

・出張のシーズン・
いよいよ6月です。
出張が多くなりそうです。
でもすべき仕事量が減るわけでないので
出張に出る分、自分自身の時間を奪っていくことになります。
それでも、出張は大変ですが、気持ちを切り替えれば
気分転換となり心をリフレッシュすることができます。
気持ちの持ちようで同じ行為も全く違ったものになります。
そのことは、昨年1年経験してよくわかりました。
ただ、気持ちが張りつめた状態のままなので
体調だけは気をつけなければなりませんが。

2017年5月25日木曜日

4_139 山陰の旅 3:オリ越しのヒスイ

 蛇紋岩に中にヒスイを含んだ岩石があります。ヒスイは、かつて日本列島にあった古い沈み込み帯の深部で形成されたものが、蛇紋岩の作用で持ち上げられたものです。その露頭は、オリに入れられていました。

 地元に住んでいる人以外、ほとんど人が来ないようなところに、この岩石の産地があります。多分来るのは私のような地質学者、あるいは鉱物採取や収集のマニアでしょうか。マニアはこの状況をみるとがっくり来るでしょう。地質学者もがっくりくるですが、仕方がないと思いながら、見ていくことになるでしょう。
 兵庫県養父(やぶ)市の道路脇の崖に周囲をコンクリートに囲まれ、全面が鉄柵のオリになっているところがあります。まるで、一昔前の動物園のオリを思わせるつくりで、厳重に守られています。動物園と違うのでは、動物から人を守るオリではなく、人から岩石を守るオリです。
 このオリの中には、崖からくずれた状態の大きな岩が、下が土に埋もれてあります。そしてオリの鉄柵には看板があり、「県指定文化財 破損禁止」となっています。ヒスイの原石の露頭です。日本ではヒスイは8ヶ所ほどで見つかっているそうですが、露頭として露出しているのは、ここだけだそうです。その他のところは、転石となっているとのことです。
 ここの露頭は、蛇紋岩の中の変成岩ブロックとなっています。ここの蛇紋岩は、三郡変成帯の中に位置しています。蛇紋岩は、もともとはマントルを構成していたカンラン岩が、水を含む変質作用を受けると蛇紋岩に変わっていきます。蛇紋岩は密度も小さく滑りやすいので、流動性が大きくなって、地表に顔をだすようになります。蛇紋岩に中でヒスイが形成された岩石ではなく、蛇紋岩が上昇して来る途中で、取り込んできた岩石の中にヒスイがあったことになります。
 ヒスイは、宝石の一種です。淡い緑や紫などで、ときに少し透明感があります。上品な見かけをしています。比較的大きな塊で産出することも多いので、装飾や高価な加工品の素材として、古くから重宝されてきました。だれもがヒスイという言葉は聞いたことがあるはずです。でも、それが露頭ではなかなか見られません。私も転石でみたことはありますが、露頭ではこれが初めてでした。
 ヒスイは、長石(曹長石と呼ばれるもの)が低温高圧の条件の変成作用によって形成されます。低温高圧の条件は、沈み込むプレート境界で発生します。沈み込み帯には、蛇紋岩を形成する環境もあります。ここの三郡変成岩に属する蛇紋岩は、現在の沈み込み帯ではなく、昔(約4億年前)のものです。ヒスイは深部(深度約20km)での変成作用でできたものが、蛇紋岩の上昇ととともに持ち上げられたことになります。
 そんな不思議なヒスイが、あまり人の来ない、このような道端にオリに守られてあったのです。

・私のヒスイ・
私はヒスイをいくつか持っています。
糸魚川の海岸で拾ったものと、
同じく糸魚川の店で購入したものです。
その一つは、10cmほの大きさの立方体のヒスイを購入しました。
ペーパーウエイトのようなものとして売っていました。
私は資料として購入しました。
あまりいい翡翠ではないのでしょうが、
愛着はあります。

・オリ越しに・
露頭の岩石をオリ越しに見るのは、やはり興ざめします。
でもこのような状況は仕方がないと思います。
以前、別の地でヒスイ発見の報告が論文に載りました。
するとマニアが、論文からその露頭を見つけて、
ヒスイを取り尽くしてしまったという事例がありました。
おかげで研究者が資料を入手することができなくなりました。
他の地でも、このような例があるようです。
なくなる前に予防することは、仕方がないことなのでしょう。
私は資料をとる気はなかったのですが、
オリ越しに岩石を見るとは思いませんでした。

2017年5月18日木曜日

4_138 山陰の旅 2:高梁

 今回の調査行では、ちょっとした寄り道をしました。他の候補地もあったのですが、高梁に立ち寄ることにしました。高梁の訪れたのは、特別暑い日でしたが、堪能しました。

 今回の山陰の旅では、実は岡山に立ち寄りました。岡山で訪れたいところがあったからです。午前中に岡山県内の目的の地点を見ました。その後、移動して午後からは、井原か高梁を回ろうと考えていました。近いのですが、両方回るのは大変なので、どちらにするかを迷っていました。
 井原は、私が修士論文を書いたときのフィールドだったので、私にとってはかつての古戦場のようなところです。博士論文の時代にも何度か訪れています。できれは再訪してみたいと思っていました。一方、高梁は、井原に調査にいくときいつも通っていた町でした。車窓から何度も見ていて、いい町だなあと思っていました。博士論文の調査で、一度だけ休憩で少し立ち寄りました。その時も、歩き回ることはありませんでした。ですから、機会があればのんびりと訪れたいなと思っていました。
 どちらにするか迷いましたが、井原になるとより移動距離が多くなるので、高梁に泊まることにしました。高梁は松山城で有名だそうです。私は、詳しくないのですが。昔の天守が残っている山城としては、唯一のものだそうです。天守や二重櫓や土塀の一部が中世の古いものですが、多くの部分は近世に改築されたものだそうです。
 松山城は小さな城なのですが、山の地質や地形を利用して構築されたもので、なかなか風格のある山城でした。古い石垣や城郭が、露岩の上に構築されている。自然の岩石を利用したなかなか工夫の凝らされた城です。こんな山の上に、現代の科学技術もない時代に、このような大規模な城をつくる労力を考えると、昔の人たちにいはすごい技術と知恵があったことに感心します。
 松山城は、町の北にある標高約480mの臥牛山(うしぶせやま)に築かれています。この臥牛山から市街地まで含めて、この地域には後期白亜紀(約1億年前~6500万年前)の領家(りょうけ)帯(厳密には新期領家帯とされる)に属している花崗岩類からできています。そのような岩石がこの山を形成しています。この山の岩石は、詳しく見ていないのが残念なのですが、火山岩類でしょうか、節理の発達した結晶の小さな岩石に見えました。
 城までの道が狭いので、城の下には大きな駐車場があり、そこからバスで登ることになっていました。ゴールデンウィークの始まりでもあったので、観光客で一杯でした。こんなに有名になったのは、大河ドラマ「真田丸」のオープニングに使われたそうです。私はドラマは見ていないので、訪れるまではよく知りませんでした。実際の画像は、いろいろCGで加工されているようですが。
 実はもっと石をしっかり見ておくべきでしたが、この日は非常に暑くて日陰を選んで歩いていました。ゴールデンウィークの前半、西日本は非常暑い日でした。前日は大山の山麓で宿泊していたので、朝は肌寒いくらいでした。そこから一気に暑い夏のような日となりました。今思えば、もう少しよく見ておきべきでした。後悔先に立たずですね。

・雲海の城・
雲海の城としては竹田城が有名ですが、
竹田城は城郭がないので、石垣の城跡が雲海に浮かんでいます。
ところが、松山城は城郭があるので、
雲海の城としては見ごたえがあります。
翌日の早朝に宿をでたのですが、
雲海の城を見ることにチャレンジしてもよかったのですが、
当日は、移動も長く高速が混むと嫌だったので、
朝一番から移動することにしました。
実は竹田城がある和田山の近くに行ったのですが、
私はまったく興味がないので、
混むと嫌なので、和田山は避けて移動しました。

・石火矢町・
高梁は、松山城だけでなく、石火矢(いしびや)町という
古い町並みもあり、観光地になっています。
ここを一度ゆっくりと歩いてみたいと思っていました。
城下町の武家屋敷が並んでいます。
白壁や土壁が続いたり、川にかかる橋も風情があります。
映画のロケ地として何度も登場している街だそうです。
私は「男はつらいよ」で寅さんが
滞在した町であることは知っていました。
今回始めて歩きましたが、なかなかいい街でした。
ただし暑かったですが。





2017年5月11日木曜日

4_137 山陰の旅 1:大山

 ゴールデンウィークに山陰地方に調査にでました。観光地は、混んでいるはずなのですが、三朝から大山あたりは、あまり混んでいませんでした。連休の始まりだったためでしょうか。それとも・・・

 ゴールデンウィークに山陰地方に調査に出かけました。主には兵庫から鳥取東部を見ていく調査でした。交通の便を考えて、鳥取空港からレンタカーで移動し、同空港へ戻ることにしました。
 目的は、舞鶴構造体と三郡帯の岩石の調査と、山陰ジオパークのジオスポットをいくつか見ていくことでした。他にもいろいろ地域ごとに小さい目的はありましたが、行ってからいろいろ変更があることは予想していたので、厳密に予定を守ることはしませんでした。
 鳥取から岡山に南下して三郡帯の付加体中の典型的な石灰岩ブロックも見るつもりでいました。その時、大山を通っていくことにしました。大山は大きな成層火山で、見ごたえのある山です。三朝(みささ)町に住んでいた時に何度か訪れたこともありました。
 ゴールデンウィークの29日は土曜日でもあったので、観光地の三朝温泉や大山は混んでいるかと思っていたのですが、以外に観光客が少なかったので、助かったのですが、でもこれでいいのかと、複雑な気持ちでした。人では後半に多くなるはずで、杞憂ならいいのですが。
 さて、大山は東西35km、南北30kmにおよぶ巨大な複成火山です。標高1729mの弥山(みせん)を最高峰として、周辺に広大な溶岩流や火山灰の裾野をもっています。大山は100万年前に活動をはじめ、60万から40万年前に激しい噴火をし、大量の噴出物を放出しました。そのときの火山堆積物は溝口凝灰角礫岩と呼ばれています。その後は、1から2万年ごとに大きな噴火を繰り返してきました。大山は、約2万年前(1万7000年前)以降から、活動を休止しています。
 大山は、活火山には指定されていません。なぜなら、過去1万年の間に火山活動の記録がないものは、活火山にはされないからです。しかし、地震波トモグラフィによりますと、地下30kmあたりにマグマ溜まりと考えられる部分もあります。その周辺では火山性の地震が多数発生しています。これからもマグマの活動の可能性がありそうです。さらに、まだ完全に確定はしていなのですが、約3000年前の火砕流は、烏ヶ山(からすがせん)と弥山の間から噴火した可能性を指摘する研究もあります。まあ、現在のところは、噴火の兆候はないようですが。
 噴火の心配の少ない大山は、観光資源として非常に有用です。また、信仰対象として宗教的に重要な役割を果たしています。それなのに観光客が少なかったのは少々心配でした。
 大山の巨大な麓には、火山灰の土地が広がっています。大山の火山灰は、その色から黒ボクと呼ばれています。密度が小さく、水分を多く含みやすい性質をもっています。そのため、崖などが壊れやすく、工事車両が走りにくく、土木工事では困っていました。しかし、水持ちがよいことから果樹栽培に適し、園芸用の土として利用されています。
 長期間、火山活動がないと、山体は侵食が進みます。山頂の周辺では崖崩れが頻発しています。特に沢筋では侵食が激しくなります。そのために周回道路では土石流対策のための防御ダムや堤防が多数つくられています。
 大山も含め、自然は恵みと災いの両面があります。

・鳥取県中部地震・
2016年10月21日14時過ぎ、鳥取県の中部を震源とした
鳥取県中部地震が発生しました。
マグニチュードは6.6でしたが、震源が11kmの直下型地震で、
鳥取県の倉吉市や北栄町では大きな揺れと、被害がありました。
私は、倉吉市の南東にある三朝町に5年間住んでいました。
そのため、復興がどうなっているかが心配だったので
見ておきたいと思って、三朝を通りましました。
温泉街を歩いていると、
住めない家屋や土砂崩れなどもあり、
まだ、復旧には時間がかかりそうです。

・甲子園の黒土・
甲子園のグランドの土には、
大山の黒ボクが混ぜられていることは有名です。
甲子園の土は、30cmほどの厚さに敷かれているようです。
野球のグランドは、黒ボクだけでなく砂も混ぜられ
固くならず、水はけもよく、ボールも転がるような状態にするため、
ブレンドされているようです。
さらに、雨の量など季節変化するため
ブレンドする土や砂の量も変えているそうです。







2017年5月4日木曜日

3_157 核の水晶 4:核内の水素

 ケイ素と酸素という成分が、核の今までの謎を解いてくれそうです。しかし、その謎を解けても、新たな謎がでてきます。科学の宿命でしょうが、次々と謎が湧いてきます。

 前回、核の軽い成分と「新しい核のパラドクス」は、核の液体鉄に溶け込んだケイ素と酸素が結晶の二酸化ケイ素ができ浮き上がることで解決できることを紹介してきました。それでも課題もあります。
 そもそも核ができるときに、どのようにケイ素や酸素を取り込んでいったのか、核形成以降より二酸ケイ素が結晶化していたとすると、どちらかの成分がすでになくなっているはずだ、などの疑問が生まれます。
 地震波の調査は、最近の核を調べているので、現在の核の性質を示しています。となると、核を軽くしている成分として、過去はケイ素と酸素であったものが、現在はどちらかがなくなっているはずです。
 もし地球の形成当初に、ケイ素と酸素を取り込んでいて、現在なくなっているとすると、現在はその候補から降りています。ですから、軽い元素の候補な何かという謎がまたでてくることになります。そして、他にも軽くする成分が核にあることになります。
 謎の成分とケイ素と酸素が、初期の核にあったとすると、初期コアの密度は現在よりかなり軽かったことになります。そしてそれは何か、どうして取り込まれたのかという、まるでふりだしに戻ったようになります。
 もし、今回紹介した一連の報告が正しいものだとすると、核の性質(密度や固体形成)などが、時間とともに進化していることになるはずです。
 では、今の核を軽くしている成分はなんだったのでしょうか。その候補として、水素が挙がっています。東京工業大学の野村龍一さんと広瀬敬さんらは、2014年1月のサイエンス誌に
Low core-mantle boundary temperature inferred from the solidus of pyrolite
(パイライトの固相線から核ーマントル境界の温度の推定)
という報告をしています。核に大量の水素が取り込まれる可能性を示しています。
 野村と広瀬さんの高温高圧実験では、マントルの成分を核ーマントル境界の条件にし、そこで一部溶けた状態をつくり出します。その状態のままSpring8の強力なX線を当てて分析します。この実験で、溶融が始まる温度(固相線、solidus)を正確に決定できました。温度は、約3600Kで、従来より低い温度(600Kほど)であることがわかりました。
 もし現在の軽い成分が水素であるとすると、重量にして外核の0.6%になると見積もられます。量は、その水素をつかって水に換算していくと、現在の海水量のなんと80倍もあるというのです。
 では、そもそも地球が海水の80倍の水を地球初期どのように獲得したのか、そしてどのようなメカニズムに核にもたらされたのか。など、新たな謎がまたできます。一つの謎を解決すると新たな謎でてきます。
 謎が謎を呼ぶ。これこそが研究の宿命でもあり、醍醐味なのです。

・進歩の証・
次々と謎が出てくると時、
本当に真実に迫っているのかどうかという
疑問を感じることもあるはずです。
でも、それでいいのです。
着実な成果の上に次なる謎も、
進歩しているからです。
その謎が、次の研究の目標になるのです。
次々と現る謎は、進歩の証でもあるのです。

・予約発行・
このメールマガジンが発行されている頃は
私は野外調査の真っ最中で、
もはや終盤になっています。
でも、予約配信でマガジンの原稿を用意しておき
発行の予約をしておきます。
2週間先まで予約できます。
このまぐまぐのシステムは
以前は、一週間だったのが、2週間なったので、
調査調査でも休刊することなく発行できるようになりました
ありがたいものです。

2017年4月27日木曜日

3_156 核の水晶 3:ケイ素と酸素

 核の条件で、鉄の中にケイ素と酸素が存在し、それらが二酸化ケイ素になるという実験結果が報告されました。その報告により、今までの疑問、謎とされていたものが解決できそうです。ではその内容はどのようなものだったのでしょうか。

 地球の核には、軽い元素があることは、地震波の調査からわかっています。ただしその正体については、不明でした。核は鉄(密度7.9 g/cm3)からできているといいましたが、厳密には鉄だけでなくニッケル(8.9 g/cm3)も5%ほど混じっていると考えられています。ニッケルの混在は、隕石(鉄隕石)との照合から推定されています。
 そして軽い成分として、核の密度を鉄(+ニッケル)より、10%ほど下げるほどの量が必要になります。軽い成分ですから、かなりの量が必要となります。いろいろな成分が、その候補になっているのですが、東京工業大学の廣瀬敬さんたちの報告から、ケイ素と酸素が、その有力候補として示されました。
 最近の報告では、固体の内核ができたのは、今から7億年前くらいの若い時代であることが、東京工業大の太田健二さんたちの研究からわかってきました。これは従来の考え(核が約42億年前から存在していた)とは矛盾するもので「新しい核のパラドクス」となっていました。つまり現状の核の磁場形成のメカニズムが働かない時代にも、地球の磁場を生み出すという仕組みが必要になったのです。
 廣瀬さんたちは、ケイ素と酸素が結びついて二酸化ケイ素として結晶化することで、核に対流が起こると考えました。その根拠は、高温高圧実験でした。ケイ素や酸素を含む液体の鉄を、核の高温高圧条件(133~145万気圧、3860~3990K)に置くと、二酸化ケイ素が形成されるという結果がでてきました。この結果をもとに、次のような仮説を提示されました。
 核の上部で、マントルからの冷却によって軽い成分として含まれていたケイ素と酸素が結晶化します。二酸化ケイ素は金属鉄より密度が小さので、結晶になると、液体の鉄の中を浮いていきます。一方、軽い成分が抜けた鉄は、液体のなのですが、密度が大きくなり沈んでいます。二酸化ケイ素の形成にともなって、金属鉄に対流を起こるというのです。固体の鉄が結晶化しなくても対流を起こる原因があるという仮説です。
 この報告が示した仮説は、これまで不明であった核の軽い成分と、鉄の固体の内核の形成が新しいという「新しい核のパラドクス」も、いっぺんに解決できる素晴らしいものです。
 これですべてが解決したかという、実は新たな課題もでてきました。それは次回としましょう。

・野外調査へ・
明日、私は調査に出かけます。
1日、2日と平日ですが、
1は講義がないので、2日を休校にして、
調査をすることにしました。
ゴールデンウィークなので何処も混んでいると思いますが、
あまり観光地にはいかないので、
大丈夫ではないかと思っています。
チケットも車も宿もすべて確保できました。
あとは天候だけが心配です。
こればかりは心配しても仕方がないことなのですが。
なるようになるです。

・一段落・
学校はゴールデンウィークは一段落でしょう。
特に、新入生たちのなかには、
気を張って頑張り過ぎの人もいることでしょう。
大学生には、帰省する人もいることでしょう。
少し息をついてください。
肩の力を抜いて、少しリラックしましょう。
ゴールデンウィーク明けには
元気な顔を見せていただければと思います。

2017年4月20日木曜日

3_155 核の水晶 2:新しい内核

 今回紹介する核に関する報告は、2つあります。ひとつは今までの常識をくつがえしパラドクスを提示するもの、もうひとつがそのパラドクスを解く仮説です。1年ほどの間に重要な報告が2つもなされました。

 前回は、地球の核の概要を紹介しましました。地球の地下は地震波で調べられて、核は金属状態の鉄からできていていること、外側に液体、内部に固体の状態であること、さらに詳しく見ると、純粋な鉄ではなく地震波から推定される密度とは合わず、何か軽い成分が混じっていることでした。また、液体の外核が対流することで電気が流れ、磁気が発生することで地球の磁場ができていると考えられています。軽い成分が不明であるのと、対流の原因がよくわかっていませんでした。
 対流の原因に対しては、従来から「組成対流」が主流の考えでした。組成対流とは、鉄が固化(結晶化すること)が進むことで、残った液体の部分に軽い成分が増えることで、密度が小さくなり浮いていく(上昇流となる)ことで対流するという仮説です。内核は地質学の古地磁気の研究から、約42億年前から存在していたと考えられてきました。そして、約13億年前には磁場が強くなったことも知られています。
 ところがこの仮説には、都合の悪い報告が出されました。東京工業大の太田健二さんたちは、2016年6月のナイチャー誌に、
Experimental determination of the electrical resistivity of iron at Earth's core conditions
(地球の核の条件での鉄の電気伝導度の実験による決定)
というタイトルの論文を報告しました。高温高圧実験で核の電気伝導度を測定したところ、予想より3倍ほど高いことがわかったというものです。この報告が何を意味するかというと、核の形成年代として予想外の年代が出るということです。電気伝導度の値から内核の冷却速度を見積もると、内核の誕生は今から約7億年前という非常に若い可能性があることになりました。
 この報告の結果は、地球の磁場の形成で、地質学が出していた従来の結果に相反するものとなります。これは、「新しいコアのパラドックスouter」と呼ばれました。金属鉄の結晶化では、古い時代の地磁気は形成されないことになりますので、それに変わるメカニズムが必要になります。このパラドクスをどのように解決していくのかが、焦点となります。
 「新しいコアのパラドックスouter」を、新たな「組成対流」で解決しようという報告がありました。東京工業大学の廣瀬敬さんたちは、2017年3月のネイチャー誌に、
Crystallization of silicon dioxide and compositional evolution of the Earth's core
(地球の核の二酸化ケイ素の結晶化と組成進化)
という報告を出されました。
 核に含まれている軽い成分の候補として、従来からケイ素と酸素があったのですが、この報告ではそれが重要な役割を果たしたと考え、実験をしました。その結果、二酸化ケイ素がパラドクスを解く鍵になる、という考えが提示されました。その内容は次回にしましょう。

・内部の暗さ・
地球の核は、謎に満ちた存在です。
現代の科学は太陽系惑星や天体の探査には、
多くの人材と予算を注ぎ込んでいます。
また、その成果もメディアでよく紹介されています。
海洋探査も、海洋資源の関連で力を入れられており
報道もそれなりにされています。
ところが、自分たちの足下の大地の内部に関しては、
まだまだ人材も資金も足りない気がします。
日本には世界に誇れるSpring8があり、
太田さんたちも、利用して実験し、成果を出されました。
もっとこのような施設や機材があればいいのですが。
地球内部の成果は、公表されても、内容が地味なので
なかなかメディアには出にくい話題のようです。
もっと地球内部の成果にも
「光」があたって欲しいものですね。

・春へと・
北海道は春めいてきたました。
里の雪は、一部の雪だまりを除いては
ほとんど溶けてしまいました。
そして春の花が一斉に芽吹きだしました。
ダイナミックで華やかな北国の春が、これから始まります。
雪国の人は、この時期を心待ちにしています。
大いに楽しみたいのですが、
日常がそれをなかなか許してくれません。
でも気持ちだけはウキウキとしたいものですね。

2017年4月12日水曜日

3_154 核の水晶 1:地震波

 地球のもっとも深部に位置する「核(コア)」は、概要は以前からわかっているのですが、詳細になるとわからないことも多いところです。最近、新しい研究成果によって、実態が少しわかってきました。

 地球深部を知ることが難しいです。なぜならそんなに深くを潜っていくことも、掘る技術もないからです。地殻を彫り抜くのも大変で、マントルすら、実際に見たことがありません。マントルの直接に試料を採って来ることも大変で、間接的にしか試料も入手できません。マントルよりもっとも深部には、鉄からできた核(コア)があるとされています。核は、間接的に試料を手にすることすらできません。ところが、地球深部に核が存在することは、研究者のだれもが疑っていません。
 核の存在は、地震波がその重要な根拠となっています。地震による振動(地震波)には、いくつもの種類があることが知られているのですが、私たちが体感しているのは、P波とS波です。Pはprimary(最初という意味)の頭文字で、Sはsecondary(2番目という意味)の頭文字です。
 直下型地震波ではP波とS波は、時差がなく同時に届くので体感で区別はしづらいですが、遠くからの地震では、文字通りの違いを感じることができます。P波は、地震があったときに、真っ先に届く波です。突き上げれられたり、急に落ちていくような、上下に振動するような揺れとなることが多いようです。P波は進行方向に対して平行に前後に揺れます。次にくる、大きくぐらぐらするような揺れがS波です。S波は、進行方向に直角に揺れます。主振動とも呼ばれており、強い揺れとなり被害を与えるものとなります。
 2つの波には、他にも違いがあります。P波は、物質であれば、状態が固体であろうが、液体、気体のいずれであっても伝わります。一方、S波は、固体の状態の物質だけを伝わります。また伝わる物質の物性(密度や温度など)の違いにより、地震波の速度が変わってきます。地震波の違いを詳しく観測することで、見えない物質内部の状態を探ることができるのです。
 このような地震波の伝わり方の特徴や違いから、マントル内部の状態だけでなく、核の状態も知ることができるのです。核の一番の特徴は、密度が地球ではもっとも大きな物質(鉄)からできていること、同じ高密度の物質でも核の外側(外核と呼ばれています)に溶けた状態で、内側(内核)には固体の状態であることもわかっています。
 核の概要はこのようにわかっているのですが、詳細は必ずしもよくはわかっていません。例えば、核が鉄のみからできているとするには、密度がやや小さいので、なにか軽い成分が混じっているはずです。ところがその成分は不明なままです。地球の磁場の原因は、外核の溶けた鉄が流動しているためだとされているのですが、その実態や真偽はよくわかっていません。
 こんな疑問に対して、最近、新しい報告がありました。軽い物質の候補と外核の流動の原因を、両方を一度に解明できるかもしれないという報告です。詳しくは、次回以降に。

・初春・
本州から桜前線が北上してきているのですが、
いまどのあたりでしょうか。
北海道のわが町は、例年ゴールデンウィークころが
桜の見頃となります。
今年の冬で、
ドカ雪や季節外れに降ったり、
真冬に積雪が少なかったり天候不順でした。
それでも、4月にもなると、街の雪もほとんど溶け、
日陰や山並みに残るだけとなります。
雨も何度か降りました。
まだ春は浅いですが。
いよいよ北海道でもっともいい季節になります。

・兵庫へ・
ゴールデンウィークの予定を
いろいろ考えている人も多いことでしょう。
私もゴールデンウィークに出かけます。
学内の研究費が採択されたので、
急いで旅行日程を組みました。
昨年はこの時期に熊本へ行く予定を組んでいましたが、
地震で急遽中止となりました。
今年は、鳥取に行く予定です。
鳥取も地震の影響がまだ残っていると聞きます。
私は、鳥取県三朝町に5年間住んでいました。
調査のおりに少し寄ってみようかと思っています。
でも、調査は兵庫が中心になるので、
あまり時間がないのですが。

2017年4月6日木曜日

2_146 最古の化石 3:熱水噴出孔

 もうひとつの化石発見を紹介します。その場所は、カナダでした。グリーンランドより古い時代の可能性のある堆積岩からでした。ただし、時代はまだ確定していません。

 最古の化石として、最近いくつかの発見があったということで、このシリーズをスタートしました。ひとつは、前回紹介したグリーンランドのものでした。その報告の真偽の程は、まだ確定していないとことも話しました。私も少々疑念持っている一人です。それは、産状がストロマトライト状の岩石であったことでした。
 グリーンランドの化石は、ストロマトライト状の岩石からでした。ストロマトライトとは、シアノバクテリアがつくった構造をもつ岩石でず。同心円状の縞状構造を持っています。シアノバクテリアは光合成をする微生物です。光合成は複雑な化学反応の過程を経なければなりません。そのため、光合成生物にいたるには、進化にある程度の時間が必要だと考えられます。その点が最古の化石に関する大きな疑問点となります。
 では次に、もうひとつの最古の化石の報告を紹介しましょう。ネイチャー誌(Nature)の2017年3月2日号に発表されたものです。カナダ、ケベック州のハドソン湾東岸沿に分布するヌブアギツク帯(Nuvvuagittuq)から見つかりました。報告したのは、イギリスのロンドン・ナノテクノロジー・センター(London Centre for Nanotechnology)の大学院生ドッド(Matthew Dodd)さんとその共同研究者たちです。論文のタイトルは、
Evidence for early life in Earth's oldest hydrothermal vent
precipitates
(地球で最も古い熱水噴出孔の沈殿物中の初期生命の証拠)
というものでした。
 最古の化石の根拠は、次のようなものでした。化石とされているものは、ミクロサイズの赤鉄鉱のチューブ状やフィラメント状(繊維状)になっています。このような形態は、現在の熱水噴出孔にいる微生物や新しい岩石から見つかる生物群集に似ているそうです。また、化石に接している、いく種類かの鉱物の炭素の同位体組成も、生物起源を示唆しています。ある物質の炭素の同位体は生物起源であるかどうを決め手にされています。ドッドさんたちは、このような根拠を集めていくと、海底の熱水噴出孔の環境で、生命活動があった証拠になるとしています。
 ここで注目すべきは、化石が見つかっているという場所(産状)です。熱水噴出孔の沈殿物の中からでした。熱水噴出孔という環境は、最古の生物の生存環境として納得しやすいところだからです。
 現在、多く人が化石だと認めているのは、西オーストラリアから見つかったものです。その生物が生きていた環境は、深海底の中央海嶺の熱水噴出孔やその周辺の熱水の通り道でした。このような環境は、地球の初期に多数存在し、一番生物が発生しそうなところとしても、現在でもっともシンプルな生物(古細菌の仲間)が暮らす環境としても、熱水噴出孔がもっともふさわしいと考えられるところです。今回の化石の見つかった環境は、オーストラリアのもとの似た熱水噴出孔でした。その点では、大いに期待できます。
 今回の化石の年代は、地質学的な推定では、少なくとも37億7000万年前、多分42億8000万年前のものではないかとされています。化石の年代が、まだ確定していない点です。最古というためには、不可欠な情報となります。もし37億年前であっても、最古の化石となりますが、まだ推定の域をでていません。

・新学期・
いよいよ4月になりました。
我が大学の入学式は、4月1日におこなわれました。
土曜日だったので、行われました。
保護者の方々は出席しやすいのですが、
新入生は、日曜日に休んでから、ガイダンスに入ってきます。
その後、一週間休むことなく、ガイダンスから講義に入っていきます。
緊張を強いられますが、
このように新入生の新学期がスタートするのでしょう。

・古い堆積岩・
最古の生物に関する話題は、
常にグリーンランドが中心になります。
理由はこれまで何度も述べてきたように
最古の堆積岩があるところだからです。
新しい発見には、毎回、新しい方法が用いられたり、
新しい情報などが付け加えられて報告されます。
今回は、今までは氷床下にあったものが、
新たに露出して見えるようになったところからでした。
カナダからの報告では、
より古い(?)堆積岩が見つかりました。
そのからの報告になります。
もし時代が最も古いと決まれば、
ここが古い化石探しのメッカになるかもしれませんね。

2017年3月30日木曜日

2_145 最古の化石 2:ストロマトライト状

 グリーンランドの堆積岩から化石の痕跡が見つかったという報告がありました。岩石は「ストロマトライト状」だったされています。ストロマトライトには、地質学的には重要な意味があります。それを紹介していきましょう。

 最初に紹介するの化石は報告は、グリーンランドのイスアからのものです。発見者は、オーストラリアのウーロンゴン大学のナットマン(A. P. Nutman)と共同研究者たちです。Natureの2016年9月に発表されました。タイトルは、
Rapid emergence of life shown by discovery of 3,700-million-year-old microbial structures
(37億年前の微生物構造の発見によって急速な生命の創発が示された)
というものです。
 最古の化石探しといえば、いつもグリーンランドが登場します。グリーンランドには最古の堆積岩がでることが有名で、最古の化石探しはといえば、その地層からはじまります。かつて何度も最古の化石発見のニュースが流れては、否定されたり、確証がなかったりしてきました。現在でも、まだ最古の生命の存在が確定しているわけではありません。ですから、最古の化石探しの舞台になることが多いのです。
 現在、多くの地質学者が認めている、もっとも古いとされる化石は、約35億年前の西オーストラリアのピルバラから見つかっているものです。岩石は、最初、「ストロマトライト状」の産状を示していたため、太陽光が届く浅海底で形成されたと考えられていました。ストロマトライトという岩石は、光合成をするシアノバクテリアがつくった岩石の産状なので、そのような環境が考えられました。
 しかし、日本の地質学者が地質を精査した結果、現在では、そのような産状の岩石は、光の届かない深海底ではないかと考えられています。深海の海嶺で、熱水噴出孔や熱水の地下の通り道で、マグマに近い場が想定されています。ですから、熱に強い生物(古細菌とよばれるもの)の化石だとされています。
 今回見つかったグリーンランドの岩石も、ストロマトライト状の岩石でした。この岩石は、今まで氷河の下になっていて露出していなかった部分でしたが、近年の氷河の後退で露頭として露出するようになったそうです。
 さて、この報告の課題は、本当に化石つまり生物の痕跡かどうか、そしてストロマトライトかどうかという、2つの点です。
 まず、当たり前ですが、この痕跡が、本当に生物の痕跡、証拠としていいかどうかの検討を進めなければなりません。もし前者の生物かどうかが否定されたら、後者のストロマトライトということも否定されます。もし化石でだったと認定されたとしても、ストロマトライトかどうかという課題も検討しなければなりません。
 なぜなら、上でも述べたように、「ストロマトライト」とは、シアノバクテリアがつくった岩石の構造とされています。シアノバクテリアは光合成をする生物です。西オーストラリアでおこなわれた本当にシアノバクテリアによるものなのかという議論と、同じようなチェックが必要になります。
 光合成は、生物の進化ではなかり複雑な仕組みとなります。生命の歴史としては、地球ができて、海ができ、それから生物が誕生します。その後生物が進化と続けて光合成生物へと至るとされています。現在の地球の歴史では、シアノバクテリアが大量発生したのは、25億年前以降だとされています。地球が誕生して20億年かかって光合成ができる生物まで進化したと考えれば、それなりに納得しやすい時間です。ですから、37億年前の岩石が本当にシアノバクテリアによるものかどうかが、次なる課題となります。
 この化石が本物かどうか、本当にストロマトライトかどうか。検証が待たれます。

・年度末・
3月が終わります。
4月1日には、大学は入学式を行います。
新学期のスタートです。
2016年度の進みは慌ただしかったです。
しかし、いろいろこなしてきたこともあるのですが、
忙しさのため、つぎつぎとくる締め切り、催促など
スケジュールに追われて仕事をこなしていました。
こんな時期もあるのでしょうが、
一時的ことだと思いたいものですが。

・グリーンランディック・
グリーンランドはかつて一度だけ訪れました。
日本からは遠く、経費もかかります。
個人でいくにはなかなか難しいものがあります。
でも、グリーンランドにも街があり、
先住の人たちもいます。
彼らは、自分たちのことをグリーンランディックと呼んでいました。
グリーンラントときくと、
アパートの一室に民泊させて頂いた
グリーンランディックの
おばさんを思い出します。
看護師をされていましたが、まだ元気でしょうかね。

2017年3月23日木曜日

2_144 最古の化石 1:古い化石

 あるニュースが報道され、その後、それが真実として検証されたどうかについては、知らずにすましていることがよくあります。印象の強いものを記憶しがちで、仕方がないのでしょう。最近、最古の生物が発見されニュースになりました。はたしてその化石は本物でしょうか。

 2つの地域から最古の生命の発見について報告されました。その内容を紹介していきます。新発見の紹介する前に、これまでの最古の生命化石について、基礎的なところからみていきましょう。
 このエッセイでも何度か紹介しましたが、古い化石の認定はなかなか難しいしいものです。なぜなら、古い化石は、多くの人が想像する化石とは、全く違うものだからです。
 化石というと、骨や歯、貝殻、葉っぱなどの化石を想像します。これらは生物の体の一部です。さらに、恐竜の足跡も化石として扱われ、しばしばニュースにもなることがあります。生物の這い跡や巣穴など、生物が生活していた跡も化石とされています。多様な化石があります。
 しかし、ここで示した例は、いずれもかなり進化した生物の体の一部や生活痕です。あまり進化していない生物は、殻や骨、歯などをもっていません。多細胞ですらないのです。
 多分、最古の生物は、柔らかい体を持った単細胞生物だったはずです。ただし、単細胞生物でも群れや集合体になっていたことはあるかもしれません。これからの単純ば生物は、私たちが化石で想像した生物の形態、生活とは全く違ったものだったはずです。
 最古の生物探しは、単細胞生物の痕跡を探すことになります。化石は、堆積岩から見つかります。この条件は、化石を探すときに重要な手がかりとなります。最古の単細胞生物は、海で誕生したはずです。なぜなら、現在の生物の体をつくっている物質を化学的に合成するには、水が不可欠となるからです。地球には、少なくとも38億年前から海が存在することがわかっています。38億年前まで最古の生物の探査はできるはずです。
 残念ながら、最古の38億年前の海といっても、液体の水がそのまま残っていることはありません。海底でたまった地層を探します。もちろん、火山灰や、池や湖、砂丘の砂のように陸地でたまる地層もありますが、多くの地層は海底でたまったものです。海でできた物質が現在の陸地に地層としてあり、それを地質学者が発見するのです。ですから、最古の化石は、最古の地層から見つかるはずです。
 ただし、すべての地層に化石が見つかるわけではありません。地層の中にうまくすると化石が見つかる程度で、多くの地層には化石はありません。最古の化石も、地層から、運ければ見つかるかもしれないのです。ただ、ひたすら探すしかないのです。
 さらに、単細胞生物が、最古の化石となる場合、生物をつくっていたからだがそのまま残っているわけでありせん。体をつくっている有機物は、時間がたてば分解してしまいます。しかし、成分のほんの一部が、もしかすると残っているかもしれません。その痕跡が、生物しかつくれないものであれば、生物の存在を間接的ですが、証明したことになります。そんな化学物質をバイオマーカー(生物の痕跡)と呼んでいます。
 最古の生物探しは、基本的にはバイオマーカーを根拠にすることになります。

・最古の化石探しをする人・
生物を扱う生物学だけでは、
最古の化石を探すのは難しいものです。
なぜなら、生きた生物ではないからです。
地層の中に含まれている痕跡を探さなければなりません。
地質学の素養がなければなりません。
しかし、地質学だけでも難しいものとなります。
なぜなら、バイオマーカーは微量の成分を
精度良く検出、測定しなければなりません。
分析の能力も問われます。
最古の化石探しをする人は、
そのような能力を持った人となります。

・そのような季節・
大学は卒業式も終わり、
次は、新入生や新学期に向けての
準備のツメの時期となります。
私達の学科では、新4年生が実習にいくための
準備の授業が集中してはじまりました。
その講義を担当をしていますので、
なかなか忙しいものになります。
ですから、この時期、
他の仕事は、全く進まなくなります。
でも、しかたがありません。
そのような季節なのですから。

2017年3月16日木曜日

4_136 日豊の旅 5:よもやま話

 このシリーズの最後の回になります。日豊の旅で起こったよもやま話をしていきます。私は自分の野外調査では、目標を達成するために、いくつか注意は払っていることがあるのですが、いろいろ思わぬことが起こります。

 野外調査に出かけるときに、一番注意しているのは、いくつかある目的地に、優先順位をつけること、そして目的地を少な目に設定すること、トラブルを事前に極力排除することです。
 目的地に優先順位をつけるのは、その調査の目標を達成するためです。今回は3つの目的地がありました。それを今回のエッセイで紹介しました。優先順位は、1番は鶴見半島の海洋プレート層序、2番は網代島の層状チャート、そして3番が青島の砂岩泥岩互層でした。
 目的地を少なくしているのは、臨機応変に対応するためです。予定はあくまでも予定で、天候や露頭の状況によって、予定通りに進まないこともあります。そんなときに備えて、現地で予定を変更できるように、ゆったり目に立てています。たいてい、午前と午後に一つずつの目的地で調査をしていきます。天候で当時がだめになっても、翌日や別にの日に再挑戦できるかもしれないからです。
 トラブルは、「君子危うきに近づかず」で、事前に危なそうなところや場面はやめておきます。天候以上の不測の事態を排除したいからです。今回の日豊の旅で気をつけたのは、水にはいるようなところ、山の深いところに行く予定では立てませんでした。1月末の真冬なので、水に浸かるのは冷たいし、濡れてからの調査が困るからです。山の予定を入れると、九州でも雪が降ることがあります。また、レンターカーがスタットレスをつけていないので、動けなくなったり、予定通りに進めなくなるころがありうるからです。
 実は一番の問題は、天気です。天気はいかんともし難いので、雨や荒天もありうるので、予定が変わることがもあります。今回は、風の強い日、曇っている日もあったのですが、雨が降るような日はなく、予定変更はありませんでした。短い期間の調査だったので、雨が降るとほとんど調査できないことになるので、幸いでした。
 ただし、いくつか問題もありました。それは調査の最終日です。宮崎で宿を事前に予約しようとしていたのですが、空港近くのホテルや調査地の青島の近くのホテルがほとんど満室でとれませんでした。しかたなく、車で空港から1時間ほどの少々離れたところに宿をとりました。それには、理由がありました。
 私が宮崎空港についたとき、到着ロビーに記者団が行列をしていました。この時期、野球やサッカーのチームが多数、宮崎で合宿をするようです。レンタカー会社の運転手がクラブや球団の合宿リストもっていました。びっしりと予定が入っていました。帰るときにも「侍ジャッパの合宿が・・・」ということをいっていました。ファンや取材陣が宿泊するので、宮崎の周辺の宿が埋まっていたのです。
 合宿については、私の配慮には入っていませんでした。残念でした。

・選んだ道・
今週末、大学の学位授与式があります。
私の学科でも、多くの卒業生を社会に送り出します。
自身の決めた進路で、社会にでていきます。
不安、期待の入り混じった気持ちで
社会に巣立っていくのでしょう。
どこにいっても、自身の選んだ道です。
期待通りにいかない場合もあるでしょう。
予想に反する場合もあるでしょう。
しかし、そこを選んだからには、
精一杯の努力で属するの組織や社会に
対応し、貢献していくことしかありません。
できれば、選んだ道を好きになってもらいたいものです。

・早い春・
北海道のまだ雪も降っていますし、
雪も残っています。
でも、今年は積雪が少ないので、
春の訪れは例年よりも早そうです。
北海道の冬は、厳しいので、
いつでも春の訪れは待ち遠しいものです。
春が早いのは望むところです。

2017年3月2日木曜日

4_134 日豊の旅 3:海洋プレート層序

 大分県の南の佐伯市の鶴見半島に調査にきました。付加体を構成している海洋プレート層序の代表的な岩石を見ることが目的でした。予定していた露頭へのアプローチはできなかったのですが、道路沿いでいい露頭を見ることができました。他にも思わぬサプライズがありました。

 大分県の海岸線を南下していくと、宮崎県に接する町、佐伯(さいき)市になります。周辺の5町3村が、2005年に、佐伯市に合併しました。祖母山から豊後水道まで、非常に広い市となりました。調べたら、九州では、最も大きな面積を持つ市町村となっているようです。
 佐伯市には、豊後水道につきでた半島があります。鶴見半島と呼ばれています。海岸の北側には県道604号線が通っていますが、南側の海岸は切り立っているので、道はほとんどありません。ただ、もっとも東に突き出た鶴御崎には、自然公園があり鶴御埼灯台がたっています。この地は、九州最東端となるところだそうです。
 県道604号線沿いに調査に入りました。事前の文献調査では、南の海岸沿いに、是非見たい露頭があることがわかっていたのですが、その場所は地図では道はありません。でも現地にいってみないとわかりません。釣り人が通るルートなどがたいての海岸にはあり、アプローチできることもあります。ただし、重要な地質調査では、船を利用して海岸沿いを調べることもあるので、一人で徒歩でいけるかどうかは、いってみるしかありません。
 現在と調査された時代とでは、道路の拡張、切り替えや、町の開発なので、岩石の露出の状況が違っていることも多いので、別の露頭が見つかることがあります。やはり現地にいってみるかありません。
 さらに、似た岩石は地質学的は、連続的に分布しているはずです。周辺を調べれば、露頭さえあれば、似た岩石を見ることができるはずです。
 この鶴見半島に来たのは、「メランジュ」をみるためでした。できれば「メランジュ」の構成要素となっている「海洋プレート層序」の岩石類を見たいと思っていました。
 海洋プレート層序とは、海洋底の岩石を構成している岩石類のことで、下の方から、海嶺で海洋地殻として形成された玄武岩、生物の遺骸が深海底にたまってできた層状チャート、極細粒の陸源物質からできた赤色頁岩、陸地から流れてきた土砂によるタービダイト層からできています。
 これらの層序は、付加作用によって断層によって分断されます。激しく乱れて混在していることもよくあり、もともとの構造が不明になっているものを、「メランジュ」と呼びます。メランジュは、スケールが大きと地質図レベルで、あるいは露頭ごとに違う岩石がでたり、小さいスケールだとひとつの露頭にいろいろな岩石が混在していることもあります。また、メランジュの擾乱の程度によって、もとの岩石すらぐしゃぐしゃになっていたり、メートルサイズでもとの産状が残されていることもあります。
 私は、産状が残された海洋プレート層序の岩石を見たいと思っていました。結局、当初目指していた露頭には近づくことはできなかったのですが、県道沿いで海洋プレート層序の各種の岩石類を、きれいな産状のまま見ることができました。こんな失望と歓喜が両方あると、この地は非常に思い出深いところとなります。

・丹賀砲台・
県道604号線沿いを車で走っていると、
丹賀砲台園地という看板がみえて
分かれ道がありましたので入ってみました。
駐車場があり、管理の人もいます。
尋ねると、現在リフトは運休中なので駐車も入場も無料だとのこと。
朝も早かったので、私しかいなかったのですが、
予定外でしたが、「無料」なので、見学することになりました。
ここには、戦時中「丹賀砲台」があったそうです。
観光については調べていないので、知りませんでした。
巨大なトンネルと長い階段、砲台の跡、
そしてその地上部にはモダンなドームがありました。
砲台として巡洋艦伊吹の大砲が据え付けられたそうですが、
事故で大爆破を起こし、多くの死傷者をだしたそうです。
一度も使用されることはなかったそうです。
ドームはなかなか見ごたえのあるもので、
海洋プレート層序の露頭と共に
サプライズのような思い出となりました。

・健闘を・
いよいよ3月です。
北海道は三寒四温が来ています。
暖かいときは、多くの雪や氷が一気にとけ
道が水浸しになります。
寒いときはかなりの雪が降り、冷え込みも厳しいものです。
温度変化の大きい、
メリハリのきいた三寒四温です。
大学は、この時期、入試、卒業、進級など
いろいろ行事が重なるので慌ただしいのですが、
人生の区切りを迎える学生たちには
新天地での健闘を願っています。

2017年2月23日木曜日

4_133 日豊の旅 2:網代島の層状チャート

 前回は、私が野外調査にできるときの下準備や、調査の日程の組み方などを紹介しました。今回からは、実際の調査で行った地域の紹介します。その地の地層の見どころや調査の目的などを紹介していきたいと思います。

 今回、調査の最初の目的地は、大分県津久見市の網代島でした。網代島は、満潮のときは島になっていますが、干潮のときは陸地が現れ、歩いて渡ることができます。干潮は午後でしたので、その時間帯にここに来て、網代島に渡り、調査をしました。
 網代島は、層状チャートが非常に見事にでているところで、以前にも来たことがあるのですが、再度、調査に来ました。陸側にはジュラ紀後期の砂岩が分布しており、黒色頁岩に変わっていきます。ちょうど海峡のところに断層があり、島側は三畳紀前期の地層になっています。三畳紀の地層は、最初は珪質の砂岩とチャートの繰り返し(互層といいます)で、やがて層状チャートに変わっていきます。島は層状チャートからできています。
 陸側の地層のジュラ紀後期(約1億6000万年前)と網代島の三畳紀前期(約2億5000万年前)の間には、大きな時代の違いあります。この間にある断層は、非常に大きな時代の境界になっています。
 また、地層の種類もだいぶ違っています。ジュラ紀の地層は、陸から由来している堆積物(砂岩や黒色頁岩)からできており、三畳紀は深海(層状チャート)から、やや陸に近い深海の堆積物(珪質砂岩とチャートの互層)となっています。
 ここに来たのは、層状チャートの中に隕石の衝突の痕跡があるので、それを観察するためです。実際には目で見ても、痕跡は非常に小さいものなので、よくわかりません。隕石の衝突の痕跡とは、宇宙塵と呼ばれる小さい隕石のカケラが多数見つかっていることです。同じ時代の岐阜県犬山の層状チャートにも、宇宙塵が、多数、見つかっています。ですから、この時代に、大きな隕石衝突が起こったことがわかります。
 層状チャートは、海面付近で暮らしていた珪質の殻をもったプランクトンの遺骸が、深海底にたまったものです。層状チャートは大きな海洋の深海底で形成されたものです。地球上でもっとも安定した環境です。そこに衝突の影響が記録されているということは、非常の大きな異変が起こっていたことになります。
 そんな目に見えない、天変地異の様子を、網代島に観察しにきたのです。

・確定申告・
確定申告の季節になりました。
住基ネット時代から、私はe-taxで納税しています。
そして、毎年、その処理の煩わしに
いらいらしながら、申告をしています。
昨年は、Windows10になったせいでしょうか、
従来のやり方で認証ができずに、
最終的にはe-taxで作成したものを印刷して郵送しました。
これでは、なんのためのe-taxかわかりません。
今年は、マイナンバーになって、やはり手こずりましたが、
なんとかe-taxで送信することができました。
集計は家内がおこなうのですが、申告は私が行います。
ですから、毎年、私は、イライラしながらの確定申告です。
次こそは、すんなりいくことを願っています。

・三寒四温・
先日、非常に暖かい日がありました。
暖かい日は、一気に雪や氷を溶かし、
道を水浸しにしてしまいました。
洪水のような道になっていました。
かと思うと、また寒い日が来て、吹雪がきました。
三寒四温にしては、温度変化が激しすぎます。
体調には気をつけなければなりませんね。

2017年2月16日木曜日

4_132 日豊の旅 1:スケジュールの決め方

 今回の旅シリーズは、私がどのようにして調査日程を組んでいくのか、そして調査にどのようなドラブルがあるのかなど、少々思い出話しめいた内容も組み込みながら、紹介していきたいと思っています。

 1月末、講義と校務の合間をぬって、5日ほど調査に出かけていました。通常では、この時期は寒いので、出かけることはありません。しかし、今年度の研究費申請で、ゴールデンウィークに大分ー熊本の調査、9月に和歌山の調査で申請していました。しかし、ゴールデンウィークの調査は熊本地震のため中止せざるえませんでした、北海道内の他の地域にもいったのですが、予算の執行も目的に遂行もできずにいました。
 そこで当初の目的通り、大分を中心に調査にいくことにしました。大分南部(豊後)から宮崎(日南)北部にかけて、いくつかみたい地層がありました。日程は、定期試験の期間なのですが、私が担当する業務のない日程と、土・日曜日を組み合わせて都合をつけました。それが、今回の日豊地域の調査になりました、それに、あと一箇所、青島での地層の観察を加えたいと思っていました。本来ならもう少し南にも足を伸ばしたかったのですが、日程的に無理となりました。
 私は、調査の日程を移動と目的地を選定して考えて組んでいきます。今回の日程は、5日間でした。北海道からでかけますので、飛行機の乗り継ぎがあります。初日と最終日は移動が中心の日となり、正味の調査日程は、3日間となります。
 今回の3日間の調査では、一日ごとにメインの目的を定めて、そして次の目的地に移動していきました。1箇所目は、津久見地域の層状チャート、次が佐伯地域のメランジュ、最後が青島の宮崎層群を調査することでした。あとは移動の途中に、時間とチャンスがあればいろいろ見ていくことにしていました。
 佐伯以外のところは、以前にもいったことがありました。しかし、津久見では重要な露頭を再度調査することと、前回は日程の都合でいけなかった場所があったので、そこにいくという目的もありました。今回は津久見では、うろうろしながらこまめに見て回ったので、予期せぬ露頭を見つけることができました。
 はじめての佐伯地域で、文献で調べていたところでは、目的の露頭は海岸でアプローチが容易ではなさそうで、たどり着けない可能性があるところでした。しかし、地域内であれば、地質学的には、同じ地層がでているはずです。他のところで似たものが見られるかもしれません。いってみるしかありません。
 青島へは何度かいっており、かなり細かく調査していたのですが、再度、行ってみることにしました。
 このような予定を立ててはいるのですが、実際には、天候が悪いと予定通り進めるかどうかはわかりません。今回は幸いにも天候には恵まれ、予定通りに調査が進みました。また、予期せぬ素晴らしい露頭があったのですが、予定を変更するまでには至りませんでした。いい記録を撮るために、時間帯を変えて訪れることもありました。津久見の網代島は、干潮でないと渡れません。干潮に時間は午後2時でした。朝一番に満潮の状態を見ておき、他のところを調査して、午後に再度じっくり時間をかけて調査して、次の目的近くの宿に移動することにしました。
 このように野外調査をするときは、いろいろを考えていくのですが、最終的には現地いってみないと、どうなるかはわかりません。今回のように日程が短い場合、天候が悪いと、予定がほとんどダメになることもありますが、今回は天候がよくて、救われました。

・宮崎空港から・
今回の調査地への出入りを考えるとき、
大分空港から宮崎空港からかを迷いました。
青島の地層をみる予定がないのなら、
大分空港の方が楽なのですが、
青島を見ることを考えると宮崎空港が効率的です。
初日に高速を使って一気に津久見までいくことにしました。

・研究の季節・
大学は入試のシーズンです。
我が大学のいとつめの入試は終わり、
3月に次の日程が入ります。
また、在学生の成績と進級判定、4年生の卒業判定など
この時期に目白押しの予定となります。
いろいろ不規則な会議がありますので、
なかなか落ち着かないのですが、
時間が一番とれる時期でもあるので、
研究に没頭したいところなのですが・・・・

2017年2月9日木曜日

1_155 チバニアン 3:地磁気の逆転

 千葉には、第四紀の更新世中期の地層がでており、GSSPとして名乗りをあげています。もし認められれたら、更新世中期の時代名は、「チバニアン」となるはずです。さて、どうなるでしょうか。

 千葉県市原市田淵の「千葉セクション」は、第四紀の更新世中期の地層が連続してでています。前期と中期の境界も連続露頭の中で見えているため、「国際標準模式層断面及び地点」のGSSPになるべく、申請がされています。もし認められたら、更新世中期の時代名は、「チバニアン」となるはずです。日本の地層で、時代名がつけられるのは、はじめてのことになります。
 千葉セクションの地層では、環境を示すデータも揃っており、境界には火山灰層もあり、わかりやすい露頭となっています。また、時代区分として重要な事件として、地磁気の転換が起こっています。
 地磁気の転換とは、現在、磁石のNは北を指します。地球の地場(地磁気という)は北極にS極があることを意味します。地磁気は、核で溶けた鉄が流動することで磁場を発生している(地球ダイナモ説)と考えられています。流動は乱れることがあり、地場が反転すること(逆磁極と呼びます)が起こります。過去に何度も起こっており、少なくとも360万年の間に、11回は逆磁極の時期があったことが知られています。もっと以前にも地磁気の転換は、何度もおこっています。
 現在の地磁気と同じを状態(正磁極)になったのが78万年前のことです。そのような特徴的な事件があったため、地層境界として考える時、地磁気の転換のデータが重視されることになります。
 千葉の地層がGSSPとして選ばれるかと、そうは簡単にはいかないようです。ライバルがいます。イタリアで2カ所の地層が名乗りを上げているため、3つの地点での争いとなっています。
 イタリアの地層は、イタリア南部のバレ・ディ・マンケとモンテルバーノ・ジョニカのイオニコにあるものです。バレ・ディ・マンケは、目立った長所がなく、不利な状況のようです。一方、モンテルバーノ・イオニコは、地磁気のデータはないのが弱点だったのですが、放射性年代によって、間接的ですが地磁気逆転を推定できたと主張しています。イオニコは、環境データなどが千葉より充実しており、なかなか手ごわいライバルとなっているようです。時代名は、地中海のイオニア海に由来する「イオニアン」を主張しています。
 日本列島は大地の変動の激しい場です。連続した地層や露頭が少ない日本列島で、時代を代表する地層が見つかり、国際的な名称になることは素晴らしいことです。決着は、今年から来年にかけて見られそうですが、どうなるか見守っていこうと思っています。

・教員希望の学生・
我が大学は、入試の第一陣が終わり、
採点、評価作業にはいっています。
また、大学の教務的な作業としては、
成績評価の提出が終わり、
卒業や進級の判定作業に入っています。
4年生は、大学の講義は終わったので、
あとは卒業式を待つのみでしょうか。
教員志望で採用試験に合格した学生は、
どこに配属されるのかは
3月にならないとわかりません。
臨時採用の教員を目指す学生は、
どこで呼ばれるのか不明です。
いずれにしても教員希望の学生は、
落ち着かない時期を過ごすことになります。

・2月の月日は・
2月の月日の流れは一段と速いようです。
大学の授業は終わっているのですが、
教職員には、つぎつぎと大きな校務があるので、
あっという間に一日が空き去ってしまいます。
気を引き締めて、日々研究に対して
精神を集中していないとなりません。

2017年2月2日木曜日

1_154 チバニアン 2:ゴールデンスパイク

 時代境界はこれまで混乱があったので、地質学界では合意のもとで決定していきます。科学的証拠と議論のもとづいて、露頭のレベルと決めていきます。決まったところは、ゴールデンスパイクと呼ばれる杭が露頭に打ち込まれます。

 時代境界としてIUGSが確定したものは、GSSP(Global Boundary Stratotype Section and Pointの略)は「国際標準模式層断面及び地点」と呼ばれます。その場所は露頭で、模式的な地層境界として現れているところです。認められた露頭に、青銅の杭が打ちこまれます。その杭をゴールデンスパイクと呼んでいます。GSSPとなったところは、地質時代層状表にもそのマークが記録されていきます。
 研究が進んできているので、多くの時代区分においてGSSPが決まってきました。しかし、まだ時代境界が決まっていないところがあります。さらに、境界だけでなく時代名もまだ正式に決まっていないところもあります。もちろん時代名が決まっているのに、境界が定まっていないところもあります。
 今回話題にしているのは、第四紀(258万年前から現在)は、更新世(258万年前から1万1700年前)と完新世(1万1700年前から現在)に分けられています。完新世にはGSSPがあります。更新世の初期のジュラシアン(Gelasian、258万年前から180万年前)とアラブリアン(Calabrian、180万年前から)は決まっているのですが、中期の下限境界と後期の下限境界が、まだ決まっていません。そして両方とも時代名もまだ決まっていません。
 このような時代名は、時代境界を決定した人たちが申請して決めていくことができます。そのときに、前回紹介した条件を検討して、GSSPにふさわしいかどうかが判断されます。ただし、その認定は、IUGSがしていきます。
 今回、千葉県市原市田淵の養老川沿いにある地層がでてていて「千葉セクション」と呼ばれています。約77万年前に御嶽山から飛んできた火山灰の層を挟んでいます。そして、重要なことに、この時代境界に地磁気の逆転が起こっています。これが時代境界の重要な出来事になります。火山灰と地磁気の逆転は、時代決定の重要な指標になります。茨城大、国立極地研究所などのグループがここを研究して時代境界にすることを提案してます。
 その結果は、どうなるでしょうか。

・野外調査・
1月31日まで調査にでていたました。
幸い天気には恵まれて、
順調に調査をすすめることができました。
半分ほどが、以前みたころがある露頭の再訪でした。
それでも充分目的が達成できました。
すべてが予定通りではありませんでした。
いちおう露頭の記載はあるのですが、
船を使わない行けそうもないところでしたので、
無理はしないようしていました。
それを補えるような露頭があったので、
助かりました。

・宮崎では・
野外調査では、宮崎空港から出入りしました。
この時期、宮崎は、スポーツチームの合宿で賑わっています。
おりたったときも、到着ロビーがごった返していました。
出発するときは到着ロビーは見ませんでしたが、
西部ライオンズや侍ジャパンなどの到着があるとのことでした。
そういえば、かなり早く旅館を探したのですが、
宮崎での予約が難しかったのはそのためです。
この時期の南九州は要注意ですね。

2017年1月26日木曜日

1_153 チバニアン 1:時代境界の決定

 地球史における時代の名称は、どのように決まっていくのでしょうか。新しい時代名称の決定をめぐる話題を紹介することで、考えていきましょう。時代名に日本の地層に由来しているものは、今までにありませんでした。もしかすると日本由来の名称がつくかもしれません。

 「チバニアン」という言葉があります。チバニアンは、同当地キャラでも、ポケモンでもありません。時代名です。ただし、まだ正式には認められていないものです。現在有力な時代名の候補のひとつとしてあります。
 チバニアンは、千葉が由来となっています。
 そもそも時代名とはどのようにして決まっているのでしょうか。昔は正式な決め方はなかったのですが、現在では、ユネスコの機関である国際地質科学連合(IUGS)が時代名を国際的に定めています。
 時代境界は、化石などを含みうる、そして連続的に試料が入手しやすい堆積岩で地層となっているものを用いています。そのため、地層として必要な条件として、つぎのようなものがあります。
1 連続した整合層であること
 不整合や断層などの地層の欠損がないことです。そして調べるためには、変成・変質を受けていな地層が望ましいです。
2 地層へアプローチが容易なこと
 アプローチがいいというのは、誰にとってもいうことなので、陸上の露頭であることが条件となります、そして露頭も広く観察しやすいことが望まれます。
3 海成層で化石が豊富なこと
 時代を決めるのためには時期が限られた化石(示準化石といいます)が多くでること必要です。化石は、海でたまった地層(海成層といいます)に多く、陸でできた地層にも化石が多いこともありますが、広がりが期待できません。それは次の条件とも関係しますが、海でたまった地層には、広く分布している海生生物の化石があります。
4 凡世界的化石が多産すること
 示準化石を使って各地の地層を対比していきます。そのため、化石が世界的(汎世界的)で、なおかつ種類が多いことが重要です。
5 堆積速度の速い泥質堆積物
 堆積速度が速いということは、一定期間内に多くの堆積物がたまるので、時間的な分解能がよくなります。粗粒の堆積物が多くたまっていても時間分解能がよくありません。細粒の泥岩が有効です。
6 研究が進んでいること
 時代を正確に決められていて、根拠が十分確認されていることが必要になります。そのためには、査読されている論文として成果が公表されていることが必要になります。できれば、いろいろな研究者が、いろいろな研究手法で調査されていることが望ましいのです。
7 年代がいくつかの方法で決定できること
 年代決定は、化石では相対年代になって数値が決まらない場合もあります。時代の正確さをチェックするためには、複数の方法によって調べられ、その正しさが検証できることが確かさを増していきます。
 以上が、時代境界を決めるための条件です。時代や地層の状態によっては、正確さがさまざまなものになります。その正しさを十分検証して置きたいとして、IUGSがその検証作業をしています。確認されたものをゴールデンスパイクと呼ばれています。その説明は次回にしましょう。

・大学では・
大学は講義が終わりました。
しかし、学科の卒業研究の発表会と
定期試験期間がはじまり、
2月に入ると大学入試がはじまります。
教員はなかなか落ち着かない時期です。
その間に成績評価もしていかなければなりません。
なかなか忙しくて時間をつくれないのですが、
2月になれば研究も進めていきたいと思っています。

・野外調査・
明日(1月27日)から野外調査にでています。
私は、野外調査を冬にいくことはあまりしません。
それは寒いので、海岸沿いや川沿いで
水にはいるのは厳しいからでです。
雪でも降ると車でアプローチできないところもあります。
でも、今年度はしかたがない事情があり
この時期になりました。
時期的にはあまりよくないのですが、
見たいところがいくつかあるので
そこをしっかりみてこうようと思っています。

2017年1月19日木曜日

5_147 ニュー・ホライズンズ 2:成果

 ニュー・ホライズンズの成果によって、冥王星のこれまでの知見を、書き換えかねればならないことが、いろいろでてきました。冥王星は古くから馴染みがあるのに、もっと未知の天体でもありました。その実態がようやく明らかになってきました。

 前回はニュー・ホライズンズのデータがすべて到着したという話をしました。その解析は現在進められているはずです。ここでは、ニュー・ホライズンズが上げた成果で現在わかっていることを見ていきましょう。
 まずは、画像でしょう。初めて目にする鮮明な画像から、冥王星と衛星のカロンの表面が明らかになりました。その姿は、ハッブルの撮影していたぼんやりとした画像からは、想像もつかないほどの複雑さをもっていました。
 冥王星は、活動を終えた天体ではなく、現在も地質学的変化が継続しており、新しくできた地形があることがわかりました。その代表ともいえるのが、1000kmにおよぶハート型の氷河です。氷河の氷は、窒素からできているようです。ハート型氷河は、現在の太陽系で知られている最大のものとなります。また、冥王星には大気があり、もやとして存在し、気圧が変化していることもわかっていました。そして大気はあまり宇宙空間に逃げず、冥王星に留まっていることもわかりました。大気は青色をしています。
 衛星のカロンでもいろいろ発見がありました。カロンにも地質学的な変動があったことがわかってきました。赤道にそって帯状の地形があります。そのような地形は、海が凍ったときにできる可能性があり、かつてはカロンにも海があったのではないかと考えられています。またカロンの北極付近には、暗い領域が見つかっています。「モルドー(Mordor)」と呼ばれていますが、その起源はよくわかっていません。冥王星の大気から由来しているのでは、という考えもあります。
 このような画像の情報に加えて、大量の観測データが現在では届いています。その解析が進行中のはずです。成果がでれば、冥王星やその衛星の起源などがさらにわかってくると思います。
 現在、ニュー・ホライズンズは、また休眠モードにはいっています。そして新たな任務として、エッジワース・カイパーベルト内の天体(2014 MU69)を観測するため向かっています。2014 MU69は、冥王星から4億8000万kmも離れています。到着予定は、2年後の2019年1月1日になっています。
 また、大きな成果が上がることと期待していましょう。

・太陽系外縁天体・
ニュー・ホライズンズの次なる目的地は、
太陽系外縁天体と呼ばれるもので、
エッジワース・カイパーベルトとされるところです。
ここは彗星になって飛んでくる天体などが多数あるところです。
近年多くの天体の発見もなされています。
多数の天体があるのはわかっているのですが、
その実態は、だれも見たことがありません。
もしたどり着き、観測できたら、快挙となることでしょう。
ニュー・ホライズンズが順調に目覚め、
再度の観測できればと思います。
この観測衛星は、2006年に打ち上げられていますので
10年以上、過酷な宇宙空間に滞在しているのです。
観測装置が壊れていなければいいのですが。

・この時期は・
北海道は大学だけでなく
多くの学校の冬休みが明けました。
大学は、いち早くスタートしています。
早くはスタートしたのですが、
1月下旬には講義が終わります。
続けて定期試験シーズンがはじまります。
2月には入試もはじまるので、
なかなかタイトなスケジュールになります。
教職員はこれから慌ただしい日々が続きます。
でも、教員は授業がないので、時間的束縛が減るので
自分の仕事ができる時期でもあります。
やりたいことは色々あるのですが、
どこまでやり、できるかは、自身の努力次第なのですが。

2017年1月12日木曜日

EarthEssay 5_146 ニュー・ホライズンズ 1:送信完了

 記憶の薄れている方も多いかもしれませんが、ニュー・ホライズンズという冥王星探査機は、近年、科学界に大きな話題を提供しました。気の長い探査計画と、根気よく待ち続ける研究者たちの思いを紹介しましょう。

 ニュー・ホライズンズ(New Horizons)、「新しい地平」という名称をもった人工衛星は、冥王星探査を目的として、2006年に打ち上げられました。9年におよぶ長旅をして、2015年にやっと冥王星までたどり着きました。冥王星は太陽から離れているため、ソーラー発電を利用できませんので、原子力電池が使用されています。
 移動の間は、探査機は休止状態になります。途中に天体があると観測はしていましたが、約半年に一回のペースで、定期的に再起動と点検がなされ、2014年12月6日に冥王星が近づいたので、休眠モードから再始動させられました。
 2015年1月15日から観測を開始し、2015年7月14日には冥王星に最接近し、その後も観測を続け、2016年1月で探査を終了しました。しかし、観測データはその後も送り続けており、2016年10月28日に、やっと全てのデータを送信し終わりました。
 なぜこのようにデータ転送に時間がかかったかというと、観測データを収集することが最優先され、データ転送は二の次にされていたためです。例えば、冥王星と衛星のカロンに接近しているときの観測の速度は、データを送る速度の100倍以上の処理速度でおこなわれました。もし、何かあったときに備えての配慮でしょう。観測で蓄えられてきた膨大なデータを2015年9月から送信をはじめ、総計50ギガビット以上のデータを、15ヶ月かけて2016年10月にやっと送り終えました。
 観測のための探査機ですから、観測最優先で、接近しているうちに可能な限りデータ収集しておく必要があります。そして、データ送信も重要ですが、送る時間は観測が終わってからいくらでもあるはずです。優先順位を考える必要があります。市民にも興味がある冥王星の真の姿を伝える画像も優先され送信されました。
 冥王星の姿は、ハッブル宇宙望遠鏡のぼんやりとした画像しかなく、実態がよくわかっていませんでした。ニュー・ホライズンズが打ち上げられたときは、冥王星は惑星とされていたのですが、2006年に準惑星に区分されるようになりました。ですから、だんだん注目されなくなってきていました。
 しかし、太陽系の外縁天体の代表として、冥王星型天体と呼ばれる存在でもあります。今回のニュー・ホライズンズの観測によって、注目が高まりました。科学的成果はいろいろありますが、市民にとっては、冥王星の鮮明な画像が一番インパクトがありました。冥王星の新たな姿を示すとともに、その科学的成果に期待させました。
 ニュー・ホライズンズが上げた成果は、次回、紹介しましょう。

・原子力電池・
原子力電池とは、放射性元素が崩壊する時の
熱エネルギーを電力に変換する方式です。
プルトニウム(238Pu)やポロニウム(210Po)など
放射性元素のアルファ崩壊で生じた熱を利用しています。
放射性物質を積んでいるので、
打ち上げに失敗すると危険なのですが、
遠くの天体の観測では、太陽光が少なくなるので
どうしても原子力電池を使用する必要があります。
現在ではソーラーパネルの性能もよくなって
木星軌道あたりまではソーラーパネルが使えるようになってきました。
しかし、木星より遠くの天体の探査には、原子力電池が必要になります。
原子力電池こそ、核の平和利用ではないでしょうか。

・始動・
正月、成人式の連休もおわり、
やっと正月気分も抜けたでしょうか。
大学も始動しました。
そして週末には早速、センター試験がはじまります。
今年は、少々、慌ただしい始動となりました。
北海道の小・中学校は、長い冬休みなので、
来週からの始業となりますが。

2017年1月5日木曜日

6_141 地震の頻度

 今年最初のエッセイです。正月の三ヶ日も過ぎましたが、まだ正月気分が残っているかもしれませんが、昨年のことを振り返り、ゆるんだ心を引き締めたいと思います。

 明けましておめでとうございます。今年こそは、穏やかな年になればと思っています。
 穏やかな年は、自然現象において異変がないことが前提ですが、こればかりはおさえようがありません。昨年は、異常気象がいろいろあり、北海道でも例年になく、雪が多く、雪の早い冬のはじまりとなりました。地質では、地震の多い年でした。地震は、私に身近なところでの影響はありませんでしたが、いろいろ印象に残るものがありました。
 2010年の東日本地震が大きなものだったので、それ以降のことはあまり印象の残っていなかったのですが、昨年の2016年4月の熊本地震は、記憶に残るものとなりましたし、現在も避難生活が続き、復興も十分でないことも伝わっています。
 気象庁のデータベースで地震の記録を確かめることにしました。大きな地震として震度6弱以上がどれくらい起こったかを調べることにしました。震度6弱の揺れは、家屋に被害がでたり、立って歩くことができないような地震です。
 2016年の震度6弱以上の地震を検索すると、10個あったことがわかります。熊本地震の関連するものが、2016年4月14日の夜に発生した地震とその余震(?)が2個、16日の再度の地震とその余震が3つありました。この地震があったため、私は大分熊本の調査を断念しました。
 2016年6月16日には、北海道道南の内浦湾で震度6弱の地震がありました。北海道の地震だったので、京都の母から電話があり、気遣ってくれました。マグニチュードが5.3程度で、震源も浅いものだったので、幸いわが町では大きな揺れはありませんでした。
 そして、2016年10月21日には、鳥取県中部で震度6弱、マグニチュードも6.6あり、大きな被害がありました。私が以前いた研究所があり、知り合いも多数おられ、年賀状でも被害を述べられている人もおられました。
 そしてつい先日、2016年12月28日には、茨城県北部で震度6弱、マグニチュード6.3の地震がありました。
 熊本地震以外は、いずれもマグニチュードはそれほど大きくないのですが、震度が10km前後の浅いところで起こった直下型の地震のため、周辺では大きな揺れとなりました。
 同じデータベースで、さらに過去の地震を調べました。震度6弱以上の地震を検索すると、2015年はなし、2014年は1回(11月22日、長野県北部、M6.7、6弱)、2013年は1回(4月13日、淡路島付近、M6.3、6弱)、2012年はなし、となっています。2011年には9回ありましたが、これは東日本地震とその後に頻繁に地震が起こった時期になります。ですから、2012年から2015年まで、日本列島は、比較的大きな地震は少なかったといえます。
 こうしてみると、2011年に次いで2016年は、大きな地震が何度も起こっている年だったことがわかります。地震発生の傾向は、地震が少ない地域で大きな揺れが起こると、その影響はその周辺に及び、時には日本列島全体で地震が起こりやすくなっているようです。
 地震が地下の岩石にかかる圧力によって歪みが蓄積して、それらが何らかのきっかけで岩石の破壊が起こると、地震となります。日本列島は、太平洋プレートの沈み込もで東日本が、フィリピンプレートの沈み込み西日本に大きな圧縮の力がかかっているところです。常に歪みがたまる地質学的位置に置かれています。そのために、大きな地震が起こると周辺で歪みが溜まっているところでは地震が起こりやすくなります。
 ただし、これは理屈で、いつ、どこで、どれくらいの地震が起こるかは、岩石の破壊なので、なかなか難しいものだと思います。ですから、いつ、どこで、どのくらいなどの確かさわなくても、防災の心構えを怠ることのないようにしておくことが重要です。
 新年そうそう、地震の話題をしましたが、今年こそは、穏やかな年であることを願っています。

・地震予知の難しさ・
ものの破壊を予測するのは難しいことは、だれもが理解できます。
ガラスをハンマーでたたけば、どこをたたいたかで割れるところが、
力の入れぐわいでどれくらの割れ方をするのかが予測できます。
これは一気に力をかけた場合です。
一方、一枚のカラス板にあちこち不均等に砂を載せていくと
あるときガラスは重さに耐えかねて、割れます。
一定以上の重さをかければ、割れることは予測できます。
しかし、いつ、どこが、どのような割れ方をするのかを予測するのは、
なかなか難しいものだといいうことは、わかっていただけるはずです。
これが地震予知の難しさに通じるものです。

・いつもの正月・
正月の三ヶ日はいかがだったでしょうか。
我が家は、大晦日の年越しそばから、
三ヶ日の朝のお雑煮、二日の初詣、
夜の少々高級な食材を使った夕食を、決まりにしています。
ただ、受験生がいるので、少々変則になってしまいますが。