2003年9月25日木曜日

4_38 スレートの屋根の町で:北ウェールズにて

 イギリスのウェールズの北部に調査に行ってきました。北ウェールズの海岸線にそって、カンブリア山脈があります。その名が示すとおり、カンブリア山脈には、古生代のカンブリア紀からはじまる古生代の地層が分布しています。そんなカンブリア山脈のあるウェールズで感じたことを紹介します。


 北ウェールズに広がっている古生代の地層は、カレドニア(Caledonia)造山運動という一連の運動によって形成されました。カレドニア造山運動とは、イアペタス(Iapetus)という海が、プレートの沈み込みによってなくなるときできた、陸地です。もちろん、大西洋ができるもっと前の時代です。
 ヨーロッパでは、古生代の造山運動には、古生代前期のカレドニア造山運動と、古生代後期のバリスカン造山運動があります。北米大陸では、両者の区分なく連続的に造山運動が起こり、アパラチア造山運動とまとめて呼ばれています。
 私は、先カンブリア紀とカンブリア紀の時代境界に興味をもって調べているのですが、その関連で古生代の少し前からたまっている地層がある北米のアパラチア造山帯(カナダのニューファンドランド)やイギリス(スコットランド)のカレドニア造山帯を見てきました。しかし、私が今まで見てきたのは、イアペタスの北側の陸地に持ち上げられた地層ばかりでしたが、今回は、その南側の地層を北ウェールズの地でみることができました。
 ウェールズの北西の方にいくと沈み込み帯が近づいているために変成作用の強い岩石が出てきます。沈み込み地帯に近いところでは、変形が激しい、ぐにゃぐにゃに曲げられた地層が多くなります。離れたところでも泥岩は、変成作用を受けて、スレートと呼ばれる岩石になっています。
 ウェールズではスレート鉱山がたくさんありました。スレートという言葉は日本でもかつては屋根の素材として呼ばれることがありますが、ウェールズでは、今でも家の屋根はすべてスレート葺(ぶ)きでした。四角く切られたスレートがうすくはがされて屋根のかわらがわりに使われています。
 塀はすべてスレートの四角い石が積み上げられた石垣となっています。なにもそれは昔だけのことでなく、現在でも行われています。それを道路の工事現場でみかけました。
 道路沿いには、古い昔からの石垣が延々とつくられています。その石垣と同じものが、道路現場でつくっているのを見かけました。ただし、現在は、中にコンクリートの壁を作り、その外側にスレートの石積みをして仕上げているようでした。イギリスには実用性だけでない、過去や伝統、歴史、継承へのこだわりがあるようです。昔と同じようなものを再現し、昔ながらのものを継続していく気持ちを感じました。

・リゾート開発・
北ウェールズへは、リバプールからレンタカーでいきました。
その道は広く整備されているのですが、
日本の東名高速で東京や神奈川あたりを走るような混雑ぶりでした。
その道(A55とよばれる道です)が、リバプールやマンチェスターの都会から
北ウェールズまで続いているのです。
そんな道路があるのは、北ウェールズはリゾート地だからです。
道路が先か、リゾートが先かしりません。
こんなリゾート地なのに幹線からはずれると道は極端に細くなります。
しかし、狭い道でも交通量が多く、なおかつ、みんな飛ばします。
ですから非常に怖い思いをします。
小さな町でもリゾート地となっており、
土産物屋が軒をならべていました。
また、キャンピングカーやテントによるキャンプ場が
いたるところ、それも奥まったところにもあり、
狭い道を頻繁に車が通ります。
まるで日本の田舎の海岸沿いの
整備されてない狭い道を走るっているようでした。
石の出ているところを探すために、岬の先端に行こうとしたら、
そんな迷路に入ってしまいました。

・地域差・
北ウェールズは、北アイルランドやスコットランドとは
まったく違った地域であることを痛感しました。
ウェールズ語と英語が併記されているのですが、
ウェールズ語がまったく読めません。
アルファベットなのですが、子音がたくさんあるつづりで
母音が少ないので発音すらできないのです。
ですから地名が読めず、発音できず困りました。
それだけでなく、自然に対する姿勢も
なんとなく違っているような気がしました。
スレート鉱山のズリのすごい山があちこちにできていました。
それも地震があったらくずれて、
家や道路が壊れるのではないかと思われるほど
住宅の近に迫っていました。
こんなボタ山が、現在も積み上げられて、進行中にありました。
また、北アイルランドでは見かけなかった風力発電も
ウェールズにはたくさんありました。
観光に力を入れているせいでしょうか、
観光客も多く、なんとなく落ち着かない気がしました。
でも、海や川は自然のまま残されていました。
これも、開発途上だからでしょうか。
もっと開発が進むと、
やがては、日本の観光地のようになっていくのでしょうか。
そうならないことを祈っています。

・日本人・
私が泊まったのはバンゴー(Bangor)という
北ウェールの北西の海に面した町でした。
その町の岬の先端にあるホテルで、
海の見える3階のすばらしいツインの部屋でした。
私はこのホテルに3泊しました。
リゾート地なのでしょうか、
このホテルでは何組かの日本人を見かけました。
しかし、若い人ではなく中年のカップルばかりで、
リゾート地にこられているイギリス駐在の人のようでした。

2003年9月18日木曜日

4_37 巨人の敷石道:北アイルランドにて

 2003年9月1日から13日まで、イギリスに調査に行きました。イギリスへは昨年も行ったのですが、今回は北アイルランドと北ウェールズが目的地でした。まずは、北アイルランド旅を紹介しましょ。


 北アイルランドを訪れたのは、ジャイアンツ・コーズウエイ(Gaiant's Causeway)という世界遺産を見るためでした。ここは、柱状節理が有名なところで、その景観と岩石を見たいと以前から思っていました。
 節理(せつり)とは、岩石の中にできる割れ目のことです。不規則な割れ目を、亀裂(きれつ)とよび、規則的なものを節理と呼びます。節理は、岩石が収縮したときや圧力が開放されたときできます。割れ方によって、柱状節理、板状節理、放射状節理、方状節理があります。
 ジャイアント・コーズウエイの柱状節理は、大きな溶岩が流れ、それがゆっくりと冷えたものです。マグマがゆっくりと冷えるとき、液体のマグマより固体の岩石のほうが少し体積が縮み、岩石に規則正しい柱状の節理ができたものです。節理の柱の断面は、差し渡し30から50cmほど六角形をしています。正確な六角柱状ではないのですが、一個一個の形や大きさは似ていいます。でも良く見ると、どれひとつとして同じものはありません。不思議な幾何学的な模様で、それぞれ類似と相似があり、いくら眺めていても見飽きない面白さがあります。
 私も各地で大小の柱状節理を見てきましたが、ここの節理はみごとでした。北アイルランドの柱状節理は、多くの人が簡単に訪れることできる場所にあります。また300年以上前から観光名所として、イギリスでは、知られていたようです。
 ジャイアント・コーズウエイは、柱状節理で有名ですので、観光の内容も地質学の内容が中心になります。観光案内書にも地質学の内容がたくさん盛り込まれています。ビジターセンターでは、地質図が何種類も売っていました。その地質図がそのまま観光案内にもなっていて、自然道沿いでみられる岩石や節理の説明がついています。
 地質学がイギリスのこの地では、常識なのです。玄武岩、ドレライト(粗粒玄武岩と訳されることがあります)、岩脈、岩床など地質学的用語があたりまえに使われています。日本ではなかなか考えられないことですが、ここでは地質学的現象が観光の中心となり、地質学的説明がなされています。
 ジャイアンツコーズウエイの周辺には自然道もいくつもかあり、その多くは海岸沿いの崖に見えるさまざなまな節理をみていくものです。地質のガイドブックにもいくつかコースが載っています。ナショナル・トラストによって、そのような自然道がよく整備されています。
 私も1日、自然道をあるきました。最初はジャイアンツコーズウエイの海岸沿いを歩き、途中から崖の上の牧場の柵沿いに歩くものです。8kmほどのコースです。4時間半ほどかけて、観察しながら歩きました。ガイドブックでは3時間ほどのコースと書かれていましたが、観察をしながらいったためでしょうか、それとも体力のないせいでしょうか、長い時間がかかりました。でも、5500万年前のマグマがつくったさまざなま節理を堪能しました。

・我を忘れない生き方・
ジャイアンツ・コーズウエイは、
北アイルランドの北部の田舎の町外れにありました。
世界遺産になっていますから、多くの観光客が訪れます。
そして、ビジターセンターのすぐ横に、ひとつだけりっぱなホテルもあります。
ビジターセンターには、土産物屋も少しあります。
でも、それはささやかなものです。
いちばん近くの町も、古くからの観光地ですが、
土産物屋らしきものはありませんでした。
ただ普通のアイルランドの田舎の町のたたずまいでした。
夕食を食べるところも、いくつかしない小さな町でした。
日本だったら土産物屋さんが乱立していたことでしょう。
生活に必要な小さなスーパーマーケットが3つ、
床屋や美容室などの専門店がいくつかあるような普通の田舎町でした。
ここは、地元の人とたちが、生活に必要なものを手に入れるために集まる、
町本来の意味を持っているところなのだという気がしました。
でも、とても、静かな町でした。
アイルランドの人たちは、観光客が来ても我を忘れることがないのでしょう。
自分たちがすべきこと、そして通り過ぎていく人たちには、
最低限のサービスで済ませている様な気がします。
金を目当てに自分たちの生活を崩していない気がします。
昔から生きてきた生き方を守り、
それが普遍性、恒久性を持っていることを知っているように見えました。
世界の先進国で、エネルギー危機や食料危機などが起こっても、
ここでは、そんな危機を乗り越えられる地道さがあるような気がします。
自分たちの生きる生き方を知っているような気がしました。

・観光施設のない観光地・
コーズウエとは、「敷石などにがひかれた昔の舗装道路」という意味です。
ですから、ジャイアンツ・コーズウエイとは、
言葉どおり、「巨人の敷石道」という意味となります。
アイルランドの古い民話が由来だそうです。
人間には、敷石の道とは思えない大きなものです。
しかし、節理がつくりだす幾何学的な景観は、
やはり印象深いものです。
マグマの活動したところには、柱状節理ができることがあります。
ですから、柱状節理は、日本の各地でも見られます。
兵庫県豊岡の玄武洞(国の天然記念物)や、
福岡県芥屋の大門(けやのおおと)、
静岡県下田の爪木崎(つめきざき)などが有名ですが、
日本各地で見ることができます。
でも、日本の観光地は、観光地らしい趣があります。
観光地にはきまって土産物屋、観光旅館など
各種の観光施設があるからでしょう。
地元の人が、その観光物を金儲けの素材にしています。
また訪れる観光客も、観光物と観光施設を暗黙の了解の上に結び付けています。
でも、それが本当の観光物の味わい方でしょうか。
観光物をみることがいちばんすべきことなのではないでしょうか。
ジャイアンツ・コーズウエイには、
非常にたくさんの人が、世界各地から観光に訪れます。
日本人の観光客にもありました。
でも、観光客によってあらされていない自然を満喫できる観光地でした。

2003年9月11日木曜日

1_26 隕石の年代(2003年9月11日)

 隕石から、地球を含めた惑星や太陽系のできた頃のことが探られています。では、隕石に書き込まれた事件を、どのようにして読まれるのでしょうか。

 隕石の年代測定は、主に同位体組成というものを用いておこないます。元素の中には、質量の違うものがあります。そのような質量の違うものを同位体といいます。元素によって、同位体がひとつだったり、たくさんあったりします。
 また、同位体の中には、安定に存在できるものと、不安定なものがあります。不安定な同位体は、ある時間がくると、他の安定な同位体に変化するものがあります。このような不安定な同位体を放射性同位体といいます。多くの放射性同位体は、比較的短い時間で壊れてしまいますが、中には長い時間をかけて、ゆっくりと壊れていくものがあります。
 このような放射性同位体は、年代測定に利用できます。その壊れるスピードによって、どのような年代のものに利用できるかが決まります。
 隕石のような、何十億年という長い時間を経てきた古いものには、壊れるスピードの遅い放射性同位体をつかいます。ルビジウム(87Rb)、ランタン(138La)、サマリウム(147Sm)、ルテシウ(176Lu)、レニウム(187Re)、ウラン(238U、135U)、トリウム(232Th)が用いられています。
 原理は、簡単です。現在の放射性同位体(親核種)と、壊れてきた安定同位体(娘核種)の値を求めます。これでは、年代(変数)を求めることはできません。なぜなら、もともとあった量(変数)がわからないからです。一つの式で2つの変数は求めることはできません。少なくとも2個以上の式が必要です。
 この変数を求めるには、もう一つ別のものを分析をすればいいのです。でも、条件があります。同じ時できたものであることと、もともとの放射性同位体の量の違うものを2つ以上集めれなければならないことです。2つの測定値(式)があれば、もともとの量がわからなくても、年代を決めることができます。もちろん、分析するデータは多いほうが精度が上がります。
 岩石でいえば、同じマグマからできたいくつかの鉱物を分析することになります。地球の石なら、小さな鉱物でもたくさん集めることができます。でも隕石の場合はそうはいきません。隕石は、地球の岩石にたとえると一種の堆積岩のようなものです。いろいろな岩石の粒が混じっています。
 隕石で岩石の粒に当たるものは、コンドリュールというものです。せいぜい数ミリメートルしかないものです。それは、隕石の材料物質が溶けたときに、無重力状態ではマグマが球状になります。それが冷めてくると球状のまま、いくつかの鉱物ができて固まるものがあります。それがコンドリュールです。ですから、先ほどの年代測定を正確にするには、一つのコンドリュールの中の鉱物を分けて、分析する必要があります。そんな技術が、今やあります。測定装置もさることながら、根気よく小さな粒を分けなければなりません。
 もうひとつの方法として、ウランを使う方法があります。ウランには、上で示したように、ゆっくりと壊れる放射性同位体が2つあります。この2つ同位体セットを同時に測定してしまえば、一回の分析で測定ができます。この測定は、分析したいところに粒子をあてて、そこを掘り返して、原子レベルにばらばらにしてしまいます。それを測定装置に直接導いて測定します。
 この方法による測定では、数十ミクロンメートルの部分(試料)があれば、年代測定ができます。もちろん、精度をあげるには、多数の分析をしなければなりません。そしてなによりも、ウランがたくさん含まれている鉱物でなければなりません。
 このようないくつもの方法で隕石が測定されています。その結果、原始的と呼ばれる隕石の年代は、どれも45.6億年前という時代が得られています。もちろん、詳細な年代測定なので、もっといろいろなことがわかっていますが、それは、別の機会にしましょう。

2003年9月4日木曜日

6_31 氷と岩と狭間の最古のもの

 グリーンランドは、私が地質学を志して以来、ぜひ行ってみたい地でありました。そんなグリーンランドに、短い時間ですが訪れることができました。憧れの地にいたほんのつかの間の時。そんなつかの間に、岩と氷の織りなす大地を味わいました。

 それは、島というにはあまりに大きなものでした。白い大陸というべき大きなものでした。その白い大陸は、緑の大地、グリーンランドと呼ばれています。
 まるで、人跡未踏のようにみえる雪と氷の大地にも、人の足跡ありました。グリーンランドには、昔からそして今も、イヌイット(グリーンラドではグリーンランディックと呼ばれています)が住み、生活しています。でも、彼らの多くは、海岸沿いの地で、漁労や狩猟の生活をしていました。いまでは、国の政策によって、都市部に定住するようになってきました。
 グリーンランドは、デンマーク領です。ですからデンマークからの白人が、都市部には定住しています。グリーンランドの冬は長く厳しいので、仕事も余り多くありません。ですから、定住する白人はそれほど多くなく、夏にだけこの地で暮らす人が多くなります。地質学者も夏の間だけですが、デンマークからはもとより、世界各地からこの地を訪れ、調査をして過ごす人がいます。
 地質学を専門とする人は、グリーンランドと聞くと、地球でも、最も古い岩石や堆積岩など、最古の記録がグリーンランドにはいろいろあることを知っています。中でも約38億年前にできた岩石がグリーンランドのイスアと呼ばれる地域に分布していることも、地質学者ならよく知っています。でも、実際にその地を訪れる地質学者はそう多くはありません。
 地球最古の岩石は、10年ほど前までは、このイスアの地のものでした。今では、最古の岩石の席はカナダに、最古の鉱物はオーストラリアに譲っています。でも、最古の堆積岩は、いまでもイスアのものです。そのほかにも、最古の付加体や最古の海洋地殻などが、グリーンランドから見つかっています。
 地質学者は、最古のものを懸命に探します。地球で最古のものには、それなりの意味があるからです。
 地球のできたての頃は、熱いどろどろに溶けたマグマが地表を覆っていました。最古の岩石とは、そのマグマが冷えて固まった時期、あるいはその時期の下限を示しています。現在では、もっとも古い鉱物として、42億7600万年前ものがオーストラリアから見つかっていますが、古い大地の歴史を調べるためには、グリーンランドの岩石も、いまだに重要な意味があります。
 熱かった地球が冷えてくると、それまでは水蒸気として大気中あったH2Oが、液体の水になります。H2Oは気体より液体の方が密度が大きいので、地球の重力によって落ちてきます。つまり雨となり、降ってきます。大地に降った雨は、低いところに流れて、移動します。流れは集まり、やがて川になり、地表のいちばん低いところに集まっていきます。それが海です。
 堆積岩とは、土砂が川から運ばれて、海にたまり固まった岩石です。川の流れとともに運ばれた土砂が海にたまります。それが堆積岩となります。最古の堆積岩は、地球に液体の水が存在できる温度になった時期を示す証拠でもあり、海ができた証拠でもあります。38億年前のグリーンランドの堆積岩は、今でも最古の海の証拠です。
 熱かった初期の地球は、冷めてきました。でも、0℃以下にはなりませんでした。それは、堆積岩は、地球上のいろいろなところで、いろいろな時代にあることからわかります。つまり、38億年前以来、堆積岩がずっとあることから、地表には、海、液体の水がずっとあった証拠となるのです。38億年前から現在まで、地球は0℃から100℃という温度の間に常に保たれていたことがわかります。そんな海のはじまりを、グリーンランドの最古の堆積岩は物語っているのです。
 イスアは、グリーンランドの南西部のN65.12°、W49.48°に、氷床と露岩の境界にあります。ここは、人など住んでいない地です。夏でも氷河を渡る風は冷たく、防寒着をつけなければ、長く外にいることはできません。
 私は、2000年の夏に地質学で有名なイスアを訪れました。グリーンランドに行くために用意したのは10日間でした。グリーンランド最大の都市ヌーク(ゴットハープ)には、5泊6日で滞在しました。イスアに行くためには、ヘリコプターをチャーターしなければなりません。ヘリコプターを一日分を予約しました。でも、天候によって飛べないと困るので、予備日としてあと3日用意しました。
 予約をいれた当日は、幸いにも予定通り飛ぶことができました。ヌークからイスアまで、往復で3時間で、イスアには5時間ほど滞在するつもりでした。でも、イスアに向かう途中、霧が出てきて、霧が晴れるまで、谷合いの原野で1時間ほど天候待ちをしました。
 そして念願の地、イスアにつきました。驚いたことに、そこにはテント村があったのです。こんな人里はなれた荒涼たる地に、夏の間だけですが、何張りかのテントができていました。そのテント村は、地質学者たちが夏の間だけイスアを調査するためにできたものです。地質学者たちが世界中から集まっているのです。そのキャンプ村のリーダとして、デンマークの地質調査所の地質学者のアペルがいました。彼の名前は知っていたのですが、グリーンランドに来ているとは思ってもいませんでした。ですから連絡をとっていませんでした。彼にいえば、数日このテント村に滞在すれば岩石がよく見れたのにといってくれました。時すでに遅しです。
 しかし、彼がヘリコプターに同乗して案内してくれました。そのおかげで、非常に効率的に目的の岩石を見ることができました。代表的な岩石を見、標本も採集しました。
 さて、このグリーンランドで私がしたかったことは、地質調査もさることながら、現場をみて、感じることでした。グリーンランドという地で、風や気温、匂いなどが伴った風景の中に自分をおき、そして目的の岩石や地層を肉眼で見、触りたかったのです。そして、感じたことを記憶に残したかったのです。
 イスアに滞在したのは、結局3時間余りでした。調査というには、余りにも短い時間でした。もちろん、何日も滞在して調査すれば、もっといろいろ調べることができたと思います。私が見残した大切な岩石や地層も一杯あったと思います。
 でも、私は、満足しています。なぜなら、イスアという地で、岩石や地層をグリーンランドの景色の中で、肌で感じることができたからです。その3時間余りは、私にとって、どの調査旅行より印象に残っています。そしてグリーンランドのイスアの地には多分二度と訪れることがないでしょうが、その記憶は一生残って、忘れないでしょう。

・衛星画像・
月初めは、ASTERの衛星画像を使ったエッセイです。
衛星画像は、
http://www.ersdac.or.jp/Others/geoessay_htm/index_geoessay_j.htm
をご覧ください。
今回は、グリーンランドの露岩地帯ですので、地形がよく見え、
地層が地形に反映されています。
地質図と比べると、衛星画像でみる地形に一致しています。
ここでは、地質図は簡単にできてしまいます。
そして、地質図は誰でも同じようなものができるはずです。

・地質図を描く・
地質図を描くということは、
日本では、一種の想像(創造)的な部分があります。
日本では、大地を植物が覆っていて、
どんな石が、どこに、どのように出ているかを
まさに地を這うようにして調べていきます。
見えないところは、地層であれば、(地質)図学を利用して想像します。
火成岩では、エイヤーっと線を引いていきます。
地層がずれたり、あわないときは、推定断層を書きます。
ですから、同じところを調べても人によって、
地質図がずいぶん違ったものになることがあります。
でも、グリーンランドのような地域は、いい地質図は誰でもかけます。
その違いは、どれほど、細かく地表を歩き、
岩石を精しく観察したかによります。
日本でも、外国でも、いずれにしても、
地質学者は、地を這って調査すべき運命なのです。