2024年7月18日木曜日

6_214 人新世 5:議論が残したもの

 新しい地質時代としての「人新世」の設立は、長い議論の結果、否定されたました。長い時間をかけての議論は、無駄だったのでしょうか。人新世の議論は、何をもたらしたのでしょうか。


 今回の人新世のシリーズを書いていて、相反する感想を持ちました。それを紹介していくこと、このシリーズのまとめとしましょう。
 まずは、「人新世」の設立が、長い議論の末、会議で否決されました。とはいっても、人類が地球に与えている影響が、今後減っていくわけではない点です。
 人類の影響が、現状でも、地質学的に検証されうる状態になっています。今後も増えはしても、減ることはないでしょう。影響が年々多く、大きくなっていくということを、今回の人新世「騒動」によって、多くの人が注目する機会を与えました。
 建材などの素材は、自然物の石を物理的に加工(げずったり、磨いたり)したものから、土や粘土を乾かしたり、焼いたりしたものになり、やがては化学的に加工したものになってきました。青銅や鉄などの金属、また石灰岩を加工したセメント、石油を加工したプラスチック、あるいは完全に化学合成にした化合物なども利用されてきました。それらが、放置されたままになると遺跡となり、廃材として自然界に捨てられると地層中の記録となっていくはずです。
 今後も人類の文明は発展していくはずです。文明の痕跡は、世界中に残されていくことになります。地質学的な時間軸で見ていけば、記録として、地層中に人類の痕跡は、ますます多く濃くなっていくことでしょう。こんなことについて、多くの人は思いを馳せていったことでしょう。
 ただ、学問的にみた時、時代区分は地質学の分野で決定されますが、人新世を定義するために、人類の行為の痕跡を定義に利用していいのか、そもそも時代境界の地質学的根拠を人類にまで拡大していいのか、また人新世がどの程度時間的に継続可能かなど、いろいろ考慮しておくべきこともあるでしょう。そのため多くの議論を進められてきました。しかし、その決定は、人類の歴史の時代区分に関与することになります。本来なら、その決定も、世に問う必要もあったかもしれません。しかし、今回は否定されてしまいことなきをえました。
 この「騒動」において、人類は自然と対峙する存在として扱われ、人類のなしてきたことの痕跡や影響が議論されてきました。その点が2つ目です。
 人類も地球の生物種のひとつです。ひとつの種が地球に大きな影響を与え、それが地質学的記録に残ったとしたら、地質学的境界に利用することが可能でしょう。例えば、全地球的に広がっていた古生物の大きな分類群の出現、絶滅を、時代境界にすることもなされています。しかし、ひとつの種の痕跡に依存してしまうと、その種がどれほど継続していくかが問題になります。
 もし、近い将来、人類が絶滅したら、今後新たな痕跡を残していくことはありません。人新世は、そこで終わることになり、それ以上長くはなりません。
 また、はじまりを考えても、それほど古くはなりません。人新世のはじまりの候補は、金属製錬の痕跡(紀元前1000年)、農業の開始によるメタンの増加(紀元前3000年ごろ)など古いものがありますが、せいぜい数1000年程度の期間しかありません。それより古くなると、既存の完新世のはじまり(1万1700年前)になります。継続性が保証されないと、意味のない時代区分となります。
 まあそもそも人類が絶滅したら、このような議論は無意味になりますが。
 人新世「騒動」の背景になにがあり、どのような議論が進められていたのか、詳しくはわかりません。私も含めて地質関係者は、人類と自然の関わりについて考えました。しかし、地質関係者だけでなく、興味をもっていた人だけでなく、時代を区切るという意味について、考える契機になりました。

・前期も終わる・
前期の講義は、今週から来週で終わります。
8月上旬の定期試験で、前期が終わります。
暑い日もありますが、
エアコンが使える教室が多くなっているので、
なんとか講義や試験も
進めることができるはずです。
一部小さなゼミ室には、
エアコンがないところがあり
そこで、面接練習が7月中は続きます。
暑い思いをしながらの講義が
今月中はしばらく続きます。

・新しいなにか・
今年度で退職なので、それに向けて
研究の方は順調に進められています。
論文も著書の執筆も順調です。
来年度以降の研究の方針が
なかなかまとまりません。
地質学は退職で一段落します。
地質学の方向性は
今度は縮小ながらも、
進めていくことは決めています。
その後、地質哲学の深化を
どのように進めていくかが
いまだに定まっていません。
それをはじめるには、
人文学的な研究手法を
身につけていく必要もあります。
既存のもので進めていくのも
つまらない気もします。
「新しいなにか」を見つけようと
模索していきたいとも考えています。