2024年7月25日木曜日

2_219 太陽系外生命の痕跡 1:微隕石

 直径1mm以下の微隕石は、いつもで地球に大量に降ってきています。そこには人間の営みや地球由来のものが紛れ込んでいます。しかし、その中には地球外からきた微小な隕石が含まれています。


 少々変わった図鑑が手元にあります。ヨン・ラーセン著「微隕石探索図鑑 あなたの身近の美しい宇宙のかけら」(創元社, 2018)という書籍です。この本には、微隕石とそれと類似したものの顕微鏡写真や電子顕微鏡写真が、大量に掲載されています。特に電子顕微鏡写真には不思議な模様をもち、カラーで撮影されたものにはきれいな色をもっています。
 ラーセンは、世界各地で、微隕石を探してきました。ラーセンは「プロジェクト・スターダスト」として、大量の画像(4万個以上)が登録されています。その中から厳選されて図鑑が出版されました。
 そこから、多様な微隕石を発見してきました。その中には、地球の微小粒子や人間活動に由来するものも、多数掲載されています。地球由来のものとしては、地球の岩石に由来する鉱物片、生物起源のもの、隕石の衝突によって形成されたテクタイト、火山ガラス由来などがあります。人間活動によるものとしては、各種鉄粉、噴煙中の微粒子、溶接や火花、屋根の瓦や金属片、道路の粉塵などがあります。非常にきれいなものもあり、見応えがあります。
 大きな隕石は、落下を目撃されたり、クレータができたりしますが、人口密集地に落ちたらニュースになります。微隕石とは、小さな隕石のことで、人知れず大量に落ちています。微隕石は、地球全体としては、年間100トンから数万トンも落下しているとも、積もられています。ラーセンによると、50平方メートルあたり、年間2個ほど飛来すると見積もられています。
 微隕石を見分けるためには、隕石だけにみられる特徴的な組織(コンドリュール、ウィドマンシュテッテン構造)や化学組成を手がかりにしなければなりません。
 微隕石は、深海底の堆積物や南極の氷床からも見つかっています。特別なところではなくても、場所を選べば、微隕石は簡単に見つかります。古いビルの屋上で溝や側溝に溜まったチリから、多数採取できます。ただし、隕石と見分けるのは、難しいかもしれませんが。

・宇宙塵・
微隕石という言葉を使いしました。
宇宙塵とも呼ばれています。
微惑星、宇宙塵は、地球外から地表に落下した、
小さな(直径1mm以下)の固体粒子のことです。
中学校や高校の理科や科学の部活の
研究テーマで時々取り組まれています。
人が出入りしない学校の屋上などは
微隕石の採取場所として最適です。
地質学者は存在は知っていますが、
見分けるのはなかなか難しいですが。

・共同研究者・
ラーセンは、ジャズミュージシャンで
音楽を生業としていますが、
微隕石の収集、研究にのめり込んだようです。
世界50カ国ほどで、1000箇所以上で
サンプルを集めています。
大量のコレクションともいうべきものができています。
大英自然博物館のゲンジなどの研究者が加わることで
化学分析や電子顕微鏡で
隕石であることが鑑定されていきました。

2024年7月18日木曜日

6_214 人新世 5:議論が残したもの

 新しい地質時代としての「人新世」の設立は、長い議論の結果、否定されたました。長い時間をかけての議論は、無駄だったのでしょうか。人新世の議論は、何をもたらしたのでしょうか。


 今回の人新世のシリーズを書いていて、相反する感想を持ちました。それを紹介していくこと、このシリーズのまとめとしましょう。
 まずは、「人新世」の設立が、長い議論の末、会議で否決されました。とはいっても、人類が地球に与えている影響が、今後減っていくわけではない点です。
 人類の影響が、現状でも、地質学的に検証されうる状態になっています。今後も増えはしても、減ることはないでしょう。影響が年々多く、大きくなっていくということを、今回の人新世「騒動」によって、多くの人が注目する機会を与えました。
 建材などの素材は、自然物の石を物理的に加工(げずったり、磨いたり)したものから、土や粘土を乾かしたり、焼いたりしたものになり、やがては化学的に加工したものになってきました。青銅や鉄などの金属、また石灰岩を加工したセメント、石油を加工したプラスチック、あるいは完全に化学合成にした化合物なども利用されてきました。それらが、放置されたままになると遺跡となり、廃材として自然界に捨てられると地層中の記録となっていくはずです。
 今後も人類の文明は発展していくはずです。文明の痕跡は、世界中に残されていくことになります。地質学的な時間軸で見ていけば、記録として、地層中に人類の痕跡は、ますます多く濃くなっていくことでしょう。こんなことについて、多くの人は思いを馳せていったことでしょう。
 ただ、学問的にみた時、時代区分は地質学の分野で決定されますが、人新世を定義するために、人類の行為の痕跡を定義に利用していいのか、そもそも時代境界の地質学的根拠を人類にまで拡大していいのか、また人新世がどの程度時間的に継続可能かなど、いろいろ考慮しておくべきこともあるでしょう。そのため多くの議論を進められてきました。しかし、その決定は、人類の歴史の時代区分に関与することになります。本来なら、その決定も、世に問う必要もあったかもしれません。しかし、今回は否定されてしまいことなきをえました。
 この「騒動」において、人類は自然と対峙する存在として扱われ、人類のなしてきたことの痕跡や影響が議論されてきました。その点が2つ目です。
 人類も地球の生物種のひとつです。ひとつの種が地球に大きな影響を与え、それが地質学的記録に残ったとしたら、地質学的境界に利用することが可能でしょう。例えば、全地球的に広がっていた古生物の大きな分類群の出現、絶滅を、時代境界にすることもなされています。しかし、ひとつの種の痕跡に依存してしまうと、その種がどれほど継続していくかが問題になります。
 もし、近い将来、人類が絶滅したら、今後新たな痕跡を残していくことはありません。人新世は、そこで終わることになり、それ以上長くはなりません。
 また、はじまりを考えても、それほど古くはなりません。人新世のはじまりの候補は、金属製錬の痕跡(紀元前1000年)、農業の開始によるメタンの増加(紀元前3000年ごろ)など古いものがありますが、せいぜい数1000年程度の期間しかありません。それより古くなると、既存の完新世のはじまり(1万1700年前)になります。継続性が保証されないと、意味のない時代区分となります。
 まあそもそも人類が絶滅したら、このような議論は無意味になりますが。
 人新世「騒動」の背景になにがあり、どのような議論が進められていたのか、詳しくはわかりません。私も含めて地質関係者は、人類と自然の関わりについて考えました。しかし、地質関係者だけでなく、興味をもっていた人だけでなく、時代を区切るという意味について、考える契機になりました。

・前期も終わる・
前期の講義は、今週から来週で終わります。
8月上旬の定期試験で、前期が終わります。
暑い日もありますが、
エアコンが使える教室が多くなっているので、
なんとか講義や試験も
進めることができるはずです。
一部小さなゼミ室には、
エアコンがないところがあり
そこで、面接練習が7月中は続きます。
暑い思いをしながらの講義が
今月中はしばらく続きます。

・新しいなにか・
今年度で退職なので、それに向けて
研究の方は順調に進められています。
論文も著書の執筆も順調です。
来年度以降の研究の方針が
なかなかまとまりません。
地質学は退職で一段落します。
地質学の方向性は
今度は縮小ながらも、
進めていくことは決めています。
その後、地質哲学の深化を
どのように進めていくかが
いまだに定まっていません。
それをはじめるには、
人文学的な研究手法を
身につけていく必要もあります。
既存のもので進めていくのも
つまらない気もします。
「新しいなにか」を見つけようと
模索していきたいとも考えています。

2024年7月11日木曜日

6_213 人新世 4:時代と場所

 人新世を議論していく過程で、どこかに境界を示す時代と場を決めなければなりません。そこには、人の営みの痕跡が残されている必要があります。そのような実証できるかどうかが、重要な視点になります。


 人為的な環境の改変が起こった人新世として、時代と場所を決めていく必要があります。時代を決めないと、その時代がでている地層の場所が決められません。逆に場所を決めることで、時代を決定することも可能です。最終的には両方を決める必要があります。
 現在の地質年代区分の「更新世」の最後は「メガラヤン期 Meghalayan」(4250年前から現在)になっています。人新世を設定するためには、メガラヤン期を、2つに分けることになります。つまり、メガラヤン期のどこかに時代境界を設けることになります。
 いろいろな時代が人新世の始まりとする主張もありました。例えば、現在も大気中の二酸化炭素濃度の増加は続いていますが、18世紀後半の産業革命のころから増えはじめています。人新世の提唱者のクルッツェンは、この時期を境界と提唱しています。
 あるいは、核爆弾による放射性炭素の濃度の1964年のピーク、二酸化炭素濃度が低い濃度を記録した1610年のピーク(オービス・スパイクと呼ばれています)、金属製錬に由来する鉛が地層に残されている紀元前1000年~0年ころ、農業で大気中のメタン濃度が上昇した紀元前3000年ころ、なども候補となっていました。
 一方、境界をどの地層を代表的なものとするのかも問題となっていました。上下の時代の地層との境界がはっきりと見られ、そして境界として、客観的なデータを示せるところが必要になります。時代境界をまたいだ地層が出ているところは、模式地(GSSP 国際境界模式層断面とポイント)として指定されることになります。その地には、「ゴールデン・スパイク」が打ち込まれます。
 人新世の議論の過程で、GSSPとして、12の候補地が名乗り出てきました。その中には、日本の別府湾もありましたが、2023年7月には、カナダのオンタリオ州のクロフォード湖の湖底堆積物が選ばれました。
 クロフォード湖は、狭い(2.4ヘクタール)で24メートルの堆積物をもっています。ここの堆積物は、特徴的で、堆積物を撹拌する生物も少なく、毎年夏に一層の堆積物がたまるという特異な「年縞」となっています。毎年の記録を正確に残している地層となります。
 クロフォードの湖底堆積物には、いくつか人類の痕跡が残っています。フライアッシュと呼ばれる球状炭化粒子(spherical carbonaceous particles: SCPs)があります。フラッシュアッシュは、ボイラを燃やしたとき、シリカとアルミの融けたガラスの微粒子です。近年では集塵機で集められているので、あまりでなくなっていますが、昔はたくさん排出していました。また、1940年代後半以降、核爆弾によるプルトニウムが増ていき、1950年代から急激な増加も記録しています。1950年代には気候変動も起こっていることも記録されています。そのような変動は、「グレートアクセラレーション」と呼ばれています。
 模式地としては、クロフォード湖の湖底堆積物が設定までされました。しかし、すでに述べたように、紆余曲折を経ましたが、否決されてきました。これまでの議論の意義は、次回としましょう。

・風邪・
先週末から、風邪を引いています。
6月初旬にひいたの同じような症状です。
会話をしだすと、咳がでやすくなります。
前回の風邪が治ったあとから
咳がなかなか止まらなったのですが、
またぶり返したようです。
同じ症状で進んでいるのですが
不思議な気がします。
前回の風邪が治って、
免疫ができているはずなので、
対処できてないのでしょうか。

・個人経営の講義・
2日ほど休んで復帰することになりました。
無理はできませんが、
講義の代替は補講となります。
前回も休講したため、その補講が学期末にあります。
今回も補講にできません。
少々無理をしてでも、
講義は実施するしかありません。
大学教員の講義の実施形態は
まるで個人経営の業態ようで
代替がしにくいものです。

2024年7月4日木曜日

4_185 積丹半島:強風の岬へ

 北海道の積丹半島は、日本海に突き出した地形です。新しい時代の火山活動でできたので、侵食が激しく、海岸沿いは断崖が多くなっています。日本海は良い漁場なので、少しでも平坦なところがあると漁港になっています。


 6月初旬に、久しぶりに積丹半島を巡りました。夜間に雨が降ったのですが、幸い昼間には降られることがありませんでした。今回の目的地の島武意海岸も神威岬も訪れることできました。いずれも、外国人観光客が多く来れられていました。
 島武意海岸は、半島の山側から道が通っています。駐車場からトンネルを通り、断崖の上の展望台があり、そこから海岸まで降りる遊歩道がありました。ところが、現在、海岸への歩道は通行止めになっており、展望台から海岸を眺めるだけになっていました。残念ですが、しかたがありません。
 神威岬は、雨には降っていななかったのですが、強風でした。岬の先端までは、完備された歩道を歩いていけます。しかし、崖っぷちの歩道や、急な階段もあります。強風の中を歩くので、かなり恐怖を覚えるところもありました。
 積丹半島の全体は、主に新第三紀中新世の火山岩からできています。積丹半島全体は、デイサイトから流紋岩の溶岩や火山砕屑岩の火山岩からできています。半島の周辺部には、海で堆積した泥岩もあります。神威岬では、火山岩と海成層の両方の地層と境界も見られます。島武意海岸の西側には積丹岬があります。島武意海岸の周辺だけが、少し新しい時代の中新世から鮮新世の貫入岩類がでているところです。
 残念がら海岸に降りることはできませんでした。以前来たときは、島武意海岸へ降りることができました。そこは、大きな岩だらけの海岸で、パノラマ撮影などもできました。
 今回は、これまで訪れたことのなかった黄金岬にいきました。整備された歩道が尾根にありましたが、ほとんど訪れる人のないところでした。木造の展望台もあり、そこからは海を眺めることができました。遠目にも露頭はあまりよく見ることはできませんでした。雨上がりの森の散策路を、ウグイスの声を聞きながら歩くのは心地よかったです。
 積丹半島の海岸沿いには、観光地となっているところがいろいろあるのですが、同じところで、代表的な地層や成り立ちをみることができます。ところどころで止まって、いろいろな産状を見ることもできます。そしてできれば、のんびりと一周して見て回った方がいいかもしれませんね。

・豊浜トンネル・
積丹半島では、火山岩の産状が
いろいろ見ることができます。
比較的新しい時代の火山活動で
岩石がもろくなっているところでもあります。
海岸は侵食が激しい切り立った崖が多い所です。
1996年、豊浜トンネルの古平側の入口付近で
大規模な岩盤崩落が起こり、
路線バスと乗用車が巻き込まれました。
8日間に及ぶ救出作業がおこなわれたのですが
20名が犠牲になられました。
トンネル跡には、慰霊碑と公園があります。
現在は新しいトンネルが作られています。

・日本海の漁港・
久しぶりの積丹半島訪問になりました。
北海道内でも自宅から近いところですが、
札幌や小樽を通り抜けていくので
少々遠く感じてしまいます。
半島の周遊すると、北海道の海沿いの自然と、
漁港の町を見ることができました。
最近、ニシンが戻りつつあるようですが、
日本海の漁港は、かつてはニシン漁に賑わった地域です。