2023年1月5日木曜日

6_195 熊楠の不思議

 今回のエッセイは、今年考えるべきことの整理ともなります。今後の思索のための方向性を示そうと考えました。少々、複雑な内容になりますが、お付き合いいただければと思います。


 今年の4月から半年間、校務から離れてサバティカル(研究休暇)で、愛媛県西予市城川町に滞在します。その時の研究テーマは2年前の申請時に決めています。地質学を中心にして、哲学的思索、科学教育も含むものになっています。なによりライフワークの締めくくりをするために、頭の整理をしたいと考えています。そのために、静かでじっくりと思索に取り組める環境が重要になると考えています。その場として、今回滞在する城川がベストだと考えています。
 どのようなことを考えるかというと、可知と不可知の境界についてです。自然科学は、研究者の好奇心に駆動されて、未知の世界を探ることです。では、科学はどこまで未知の世界を解明できるのでしょうか。そもそも未知の世界とはどのようなものでしょうか。科学はそれを示すことはできるのでしょうか。
 未知のすべてを解明するのは困難でしょう。なぜなら、解明されたことがひとつあったとしても、それに関連して次々とわからないことが出てきます。可知の外には、広い不可知の世界が広がっていると考えられます。可知の不可知の境界を、どのように捉えるかということを、考えていきたいと思います。
 そのような探究には、南方熊楠の思索が参考になるのではないかと、以前から考えています。熊楠の思索は、密教の体系を西洋的な論理性で説明しています。宗教的な部分はあるので、その考え方は、非常に参考になり、重要だと思っています。現在の理解の範囲で述べていきましょう。
 この世は、過去から現生に現れる因果によって成り立っている世界(胎蔵界)があります。因(原因)と果(結果)の関わりには縁と起があり、それは非常の広大です。一方、不思議を司る真理の世界(金剛界)があり、こちらは可知の部分があります。人が解明可能なのは金剛界となります。胎蔵界と金剛界がこの世を構成しています。
 金剛界の真理を探究して悟った賢者(仏)は、その真理を言語化していきます(真言と呼ぶ)。しかし、悟りも人によって異なった言語化がなされていきます(金剛の相承)、そのため、違いは人や時代によって変化していきます。金剛の世界を理解するにしても、一筋縄ではいかないようです。しかし、すべての科学(自然も人文、社会科学も)は、金剛界の解明を目指すことになります。
 解明すべき不思議には、心(不思議)、物(不思議)、事(不思議)、理(不思議)、そして大不思議があります。心(精神界)と物(自然界)の関わりを、熊楠は事(理事とも呼んでいます)といいました。心不思議は心理学が、物不思議は自然科学で解明可能ですが、その領域は狭いものです。
 金剛界の理(不思議)は、絡み合った糸のように複雑で、いくつかの理が交わった萃点(すいてん)に、解明の緒(いとくち)があります。しかし、不思議には、理と萃点をもった可知の理の外にもあり、それが不可知の大不思議となります。可知の理と不可知の理の構造(不思議で分類)を、物心事(すべては理不思議となる)で見ることには限界があると、熊楠はいいます。
 その不可知やこの世の構造をどう捉えるかを、熊楠は独自の図を使って説明しています。事が力によって名として伝わり、それを心に映して生じるものが印となると、熊楠は金剛を深く解析していきます。
 少々長くなりましたが、このような熊楠の思索について、サバティカルの時に読み込んでいこうと考えています。文献はあるので、あとは読んで、自分なりに解釈していく作業となります。

・大雪・
先日、北海道のわが町周辺は
大雪にみまわれました。
明け方までは、通常の積雪ですが、
朝から日中で吹雪いてきて、
30cm以上も積もったようです。
でも、今まで比較的少ない積雪だったので
一気に取り返すように降りました。
白い正月となりました。

・腰痛・
正月の2日、風呂に入っている時
突然、腰痛がでました。
最初の部分的な痛みでしたが、
3日には、一日中、痛みました。
4日には大学でてきて、動き出しました。
少しでも動いていると
痛みは残っていますが、和らぎます。
これが私の腰痛への対処です。