コマチアイトの起源をさぐっていくと、太古代のマントルに異常な高温域があったことが分かってきました。そもそもコマチアイトが火山として噴出するには、はやりマントル全体が高温でなければなりません。その熱のもとは、地球の形成時に蓄えられたものでした。
コマチアイトは、マントルが大きな部分溶融をしためできたことがわかってきました。マントルの部分溶融の程度を増やすには、通常より温度が高ければいいのです。温度が高ければ、よりたくさんのマントルが溶けます。
地球のマントルですから、いくらでも上げるというわけにはいきません。地球史上、あるいは地球熱史上、許される範囲があるはずです。岩石を溶かしてみる実験などで、その溶ける温度を推定することができます。コマチアイトのようなMgOの多いマグマは、非常に高温(1650℃以上)の条件で形成されます。もちろん、この温度は、現在のマグマのできる温度よりかなり高いものです。
ところが、これほど温度が高くなくても、部分溶融の程度を上げることができます。それは、溶けるマントルに少量の水(重量比で3~5%)があれば、部分溶融の程度を増やすことができます。コマチアイトができたマントルに水があったのか、なかったのかによって、想定されるマントルの温度も変わってくることになります。
イギリスのベリー(Berry, Danyushevsky, O'Neil, Newville & Sutton)らは、その問題を解決したという論文を、昨年(2008年)の10月にネイチャーという雑誌に発表しました。
ベリーらは、ジンバブエの27億年前のコマチアイトを使いました。カンラン石の結晶の中に閉じ込められているメルト(液体という意味)を見つけて、分析しました。このメルトは、結晶の中に取り込まれているので、包有物(インクルージョン)と呼ばれています。メルト包有物とは、カンラン石が結晶化するとき、つまりカンラン石ができるときのマグマが取り込まれて、そのまま保存されたものです。つまり、コマチアイトのマグマそのものです。メルトとはいっても、現在はガラスになっています。
もしカンラン石が変質していなければ、メルト包有物も、もとのままの状態で保存されているはずです。そのような包有物を見つけて、ベリーらは、鉄の酸化状態(すべての鉄の中で3価の鉄イオンの占める比率)を調べました。すると、マグマの鉄の酸化の程度は非常に低く、現在の中央海嶺の玄武岩と同じだということがわかりました。このような低い酸化度は、海嶺玄武岩のように非常に水の少ない環境(重量比で0.2~0.3%)でできたと推定されました。
以上のことから、コマチアイトは、1700℃ほどの高温の条件で、マントルがたくさん溶けてできたことになります。1700℃は、マントルでも異常な高温ですが、このような異常に温度の高いマントルが、太古代にはあったことになります。
通常は、地表近くまでマグマが上がってくると、冷却にともなってカンラン石ができてマグマから取り除かれ、MgOの濃度は下がっていきます。しかし、コマチアイトは溶岩として地表に流れ出ています。これは、昔の地球内部が、今よりももっと温度が高かった可能性を示しています。なぜ高温であったのでしょうか。
案外簡単に答えは見つかります。その答えは、地球が熱い状態からスタートしたからです。材料となる小惑星が衝突合体しながら、地球は形成されました。衝突時にはその場はものすごい高温状態になります。地球の内部に蓄えられた熱は逃げにくく、熱くなった地球はなかなか冷めません。そんな地球の誕生のシナリオが描かれています。その名残の熱は、今も地球内部に蓄えられています。ですから、太古代には、地球形成時の名残の熱がまだ十分に残っていたのです。
コマチアイトのスピニフェクスには、そのような意味があったのです。
・感傷に浸る・
先日、写真を整理していました。
すると、ついつい写っているときのことを
思い出してしまいます。
つまり感傷に浸っているのでしょう。
それはそれで楽しいのだですがが、
ついつい見入ってしまいます。
たまたまその作業は仕事として行っていたのですが、
気づくと結構時間がたってしまっていました。
結局他の仕事へのしわ寄せがいきます。
感傷に浸ることも、自分の首を占めているのですね。
・長男の成長・
長男が自分自身の進路について考え始めました。
先日、進路について今までとは違う考えができたようです。
なぜ変更したかを聞いたら、
その理由を忘れたといいます。
そんな大事なことを忘れるとは信じられないのですが、
まあそれは、今度思い出しておくといってます。
それより、自分自身のことを、刹那的な思いではなく、
親の許容条件、自分の能力、嗜好、夢など
いろいろな条件を考え、客観的に考えることが
少しはできるようになったのでしょうか。
それとも単に、刹那的な心変わりなのでしょうか。
自分自身のことを、深く考えられるようになったのであれば、
これは成長とえいます。
次は親を乗り越えるためのステップへと進むのでしょう。
そうなると私がそれにどこまで対抗出るのでしょう。
できるだけ大きな壁になっていこうと考えていますが、
どれだけ立ちはだかられるでしょうか。
あっさりと、かわされるかもしれませんが。
まだ、少ししか話していないので、
長男の本心はわかりません。
もっと話をしていく必要がありそうです。
2009年7月16日木曜日
2009年7月9日木曜日
3_76 部分溶融:コマチアイト2
コマチアイトの特異性を前回、紹介しました。今回は、化学成分の特徴をもう少し詳しく見ていきましょう。そこから、コマチアイトが、どのようなでき方をしたかを読み取ることができます。火山は、マントルに開けられた覗き穴です。それもコマチアイトは、太古代のマントルの覗き穴なのです。
コマチアイトは、太古代に特徴的に噴火した火山であること、そしてカンラン石を非常にたくさん含むことが特徴ということを前回紹介しました。
カンラン石が多いため、カンラン石の化学成分であるマグネシウムも多くなります。コマチアイトは、他の岩石(玄武岩など)と比べて、マグネシウムが特別多いのですが、それはカンラン石を主成分としていること、さらにマグネシウムを含む輝石も構成鉱物になっているためです。
その他にも、化学成分にいくつかの特徴があります。少し詳しく見ていきましょう。
コマチアイトには、ニッケル(Ni)やクロム(Cr)が多くなっています。ニッケルやクロムは、マントルに多い成分で、マグマが結晶化するときに最初に固体に取り込まれます。ニッケルはカンラン石に取り込まれます。また、クロムは輝石に取り込まれたり、クロムの多い結晶(クロマイト)ができたります。
マグネシウムが多い分、他の成分が少なくなります。岩石の主成分である珪酸(SiO2)が、40から45%ほどしか含まれていません。珪酸成分が少ない玄武岩でも45%以上含んでいますので、45%以下とは非常に少ないものになります。もちろん、通常の火山岩は、50%より珪酸が多くなっています。
さらに、酸化カリウム(K2O、0.5%以下)、酸化カルシウム(CaO)と酸化ナトリウム(Na2O)(CaOとNa2Oをあわせて2%以下)も、少なくなっています。
ここで、成分(元素)名をいろいろ挙げたのは、成分の化学的な特徴によって、マグマができるときの状況を反映しているからです。成分の性質を知り、その量比を比べていくことで、マグマのでき方を探ることができるのです。
マントルが溶けてマグマができます。しかし、マントルが全部溶けることはなく、マグマと溶け残りのマントルができます。元素には、マグマができると、マグマの中にすぐに入るもの(液相農集元素と呼ばれます)があります。上に挙げた成分で、液相農集元素にあたるのが、酸化カリウムと酸化ナトリウムです。
液相農集元素が少ないマグマができるのには、2つの可能性があります。もともとマントルに液相農集元素が少なかったか、マグマの中で薄まったかのどちらかになります。
もともとマントルに液相農集元素が量が少ないというのは、そのマントルがマグマを出した経験が持っている場合です。一度マントルが溶けると、液相農集元素がマグマに入り込みます。すると、次に同じものが溶けても、マグマには、液相農集元素があまり入らなくなります。
薄まるというのは、液相農集元素は、マグマができるとき最初に取り込まれるのです。その後、マントルの溶けつづけると、液相農集元素は最初に出ていますから、液相農集元素を含まないマグマの量が多くなり、マグマでは相対的に比率が減っていきます。
どちらかを決めるには、別の元素に着目します。ニッケルやクロム、そしてマグネシウムという多い元素に着目します。これらの元素は、マントルの構成物となっている鉱物(カンラン石や輝石)にたくさん含まれています。これらは、固相農集元素とも呼ばれます。マグネシウムはそれらの鉱物の主成分ともなっています。これらの元素は、マントルの溶ける比率が増えていくと、マグマの中の比率も増えていきます。
コマチアイトは、固相農集元素の元素が多いので、マントルがたくさん溶けてできたことがわかります。液相農集元素が少ないのは、マントルが溶ける量が多く、マグマの中で薄まったたであることが、これから判明します。
マントルの溶ける比率を部分溶融の程度という表現をします。コマチアイトは、マントルの部分溶融の程度がかなり大きかったことになります。部分溶融の程度が大きくなることは、現在でも起こりうることです。しかし、重要なことは、コマチアイトが太古代に集中していることです。そして、火山として噴出しているということです。このなぞの解明は、次回としましょう。
・夏の計画・
皆さんは、もう夏休みの計画をお考えでしょうか。
我が家は、家族で道内を巡ることにしています。
なぜなら、本州は暑いからです。
せっかく涼しい北海道に住んでいるのですから、
北海道の夏を満喫したいと考えています。
ただし、今年はあまり日程が取れないので、
本当なら道東へ行きたいと考えていたのですが、
遠いので、道南にしようかと考えています。
8月初旬なので宿が取れるかどうか心配です。
それによって、行く場所が変わってきます。
・将来の糧・
先日学科の2年生が実習をおこないました。
近所の子どもたちを40名近く集めての行事です。
行事の企画や準備、運営、
子どもを集めるための宣伝などを
実際に行うって体験することが、
この実習のテーマでした。
行事当日までなかなか大変でしたが、
大変な思いをした者ほど、
達成感は大きかったのではないでしょうか。
そして、かけがえのない体験だったのではないでしょうか。
将来の糧になればと思います。
コマチアイトは、太古代に特徴的に噴火した火山であること、そしてカンラン石を非常にたくさん含むことが特徴ということを前回紹介しました。
カンラン石が多いため、カンラン石の化学成分であるマグネシウムも多くなります。コマチアイトは、他の岩石(玄武岩など)と比べて、マグネシウムが特別多いのですが、それはカンラン石を主成分としていること、さらにマグネシウムを含む輝石も構成鉱物になっているためです。
その他にも、化学成分にいくつかの特徴があります。少し詳しく見ていきましょう。
コマチアイトには、ニッケル(Ni)やクロム(Cr)が多くなっています。ニッケルやクロムは、マントルに多い成分で、マグマが結晶化するときに最初に固体に取り込まれます。ニッケルはカンラン石に取り込まれます。また、クロムは輝石に取り込まれたり、クロムの多い結晶(クロマイト)ができたります。
マグネシウムが多い分、他の成分が少なくなります。岩石の主成分である珪酸(SiO2)が、40から45%ほどしか含まれていません。珪酸成分が少ない玄武岩でも45%以上含んでいますので、45%以下とは非常に少ないものになります。もちろん、通常の火山岩は、50%より珪酸が多くなっています。
さらに、酸化カリウム(K2O、0.5%以下)、酸化カルシウム(CaO)と酸化ナトリウム(Na2O)(CaOとNa2Oをあわせて2%以下)も、少なくなっています。
ここで、成分(元素)名をいろいろ挙げたのは、成分の化学的な特徴によって、マグマができるときの状況を反映しているからです。成分の性質を知り、その量比を比べていくことで、マグマのでき方を探ることができるのです。
マントルが溶けてマグマができます。しかし、マントルが全部溶けることはなく、マグマと溶け残りのマントルができます。元素には、マグマができると、マグマの中にすぐに入るもの(液相農集元素と呼ばれます)があります。上に挙げた成分で、液相農集元素にあたるのが、酸化カリウムと酸化ナトリウムです。
液相農集元素が少ないマグマができるのには、2つの可能性があります。もともとマントルに液相農集元素が少なかったか、マグマの中で薄まったかのどちらかになります。
もともとマントルに液相農集元素が量が少ないというのは、そのマントルがマグマを出した経験が持っている場合です。一度マントルが溶けると、液相農集元素がマグマに入り込みます。すると、次に同じものが溶けても、マグマには、液相農集元素があまり入らなくなります。
薄まるというのは、液相農集元素は、マグマができるとき最初に取り込まれるのです。その後、マントルの溶けつづけると、液相農集元素は最初に出ていますから、液相農集元素を含まないマグマの量が多くなり、マグマでは相対的に比率が減っていきます。
どちらかを決めるには、別の元素に着目します。ニッケルやクロム、そしてマグネシウムという多い元素に着目します。これらの元素は、マントルの構成物となっている鉱物(カンラン石や輝石)にたくさん含まれています。これらは、固相農集元素とも呼ばれます。マグネシウムはそれらの鉱物の主成分ともなっています。これらの元素は、マントルの溶ける比率が増えていくと、マグマの中の比率も増えていきます。
コマチアイトは、固相農集元素の元素が多いので、マントルがたくさん溶けてできたことがわかります。液相農集元素が少ないのは、マントルが溶ける量が多く、マグマの中で薄まったたであることが、これから判明します。
マントルの溶ける比率を部分溶融の程度という表現をします。コマチアイトは、マントルの部分溶融の程度がかなり大きかったことになります。部分溶融の程度が大きくなることは、現在でも起こりうることです。しかし、重要なことは、コマチアイトが太古代に集中していることです。そして、火山として噴出しているということです。このなぞの解明は、次回としましょう。
・夏の計画・
皆さんは、もう夏休みの計画をお考えでしょうか。
我が家は、家族で道内を巡ることにしています。
なぜなら、本州は暑いからです。
せっかく涼しい北海道に住んでいるのですから、
北海道の夏を満喫したいと考えています。
ただし、今年はあまり日程が取れないので、
本当なら道東へ行きたいと考えていたのですが、
遠いので、道南にしようかと考えています。
8月初旬なので宿が取れるかどうか心配です。
それによって、行く場所が変わってきます。
・将来の糧・
先日学科の2年生が実習をおこないました。
近所の子どもたちを40名近く集めての行事です。
行事の企画や準備、運営、
子どもを集めるための宣伝などを
実際に行うって体験することが、
この実習のテーマでした。
行事当日までなかなか大変でしたが、
大変な思いをした者ほど、
達成感は大きかったのではないでしょうか。
そして、かけがえのない体験だったのではないでしょうか。
将来の糧になればと思います。
2009年7月2日木曜日
3_75 特異な火山岩:コマチアイト1
コマチアイトと呼ばれる岩石があります。以前、このエッセイもでも紹介したことがありますが、少々変わった石です。その変わった性質から、地球の仕組みを垣間見ることができます。コマチアイトは古い時代に活動した火山岩で、まるで過去を覗くための窓のようなものです。
コマチアイトという岩石があります。コマチアイトは、南アフリカ共和国バーバトン山地の南側を流れる、コマティ川の露頭から最初に見つかりました。川の名前にちなんで、コマチアイトと名づけられました。英語ではkomatiiteと書きます。
コマチアイトは、少々変わった岩石です。まれにしか見つからない岩石でもあるのですが、特異な成分と組織を持っている火山岩です。また、その火山は、限られた時代に特徴的に噴出しています。
コマチアイトは、残念ながら日本では、採取することができません。なぜなら、ほとんどのコマチアイトは、太古代(38億から40億年前)に活動した火山でだけみつかります。原生代にも見つかることがありますが、非常にまれになります。日本列島では、そのような古い岩石は分布しません。ですから、大陸地域で古い岩石が分布する地域でのみ、見つかります。コマチアイトは、太古代という非常に古い時代にだけ活動したマグマからできたのです。
コマチアイトは、放射状に長く伸びた針状の結晶がいっぱ集まってできています。この数cmにもなる結晶は、カンラン石が延びたもので、このような組織をスピニフェクスと呼んでいます。ただし、溶岩の内部にいくにしたがって、スピニフェクスは減ってきて、普通の火山岩の組織になります。
溶岩は外ほど急激に冷えます。通常、カンラン石が急に冷えると羽毛状の結晶になるのですが、ある種のマグマが急激に冷やされるとカンラン石の結晶が、このような針状になることがあります。スピニフェクス組織があることから、この岩石は、地上に噴出した火山岩であることがわかります。
カンラン石が、スピニフェクスのような組織ができるためには、マグマから最初の結晶としてカンラン石になる必要があります。大量のカンラン石ができるためには、カンラン石の主成分であるマグネシウム(Mg)がマグマにたくさん含まれていなければなりません。コマチアイトには、大量のマグネシウムを含んでいます。酸化マグネシウムに換算すると、重さで18%以上になります。通常の玄武岩では、せいぜい10%ほどにしかなりませんから、非常の多くのマグネシウムを含んだマグマからできたことになります。
コマチアイトは、他にも特異な化学成分を持ちます。マグネシウムが多いため、岩石の主成分である珪酸(SiO2)が少なく(40から45%程度)なり、また酸化カリウム(K2O)などのある共通の特徴をもった成分も少なくなっています。
その共通の特徴とはなんでしょうか。そもそも、このような特異な化学成分をもったマグマが、どうしてできたのでしょうか。なぜ、古い時代にだけできたのでしょうか。それに対する、新しい成果が昨年(2008年)10月にネイチャーという雑誌に報告されました。その詳細は、次回以降としましょう。
・ムンロタウン・
私がコマチアイトを見たのは、
カナダのケベック州のムンロタウン(Munro Town)
というところでした。
1982年8月に恩師の田崎先生と共に
コマチアイトを調査するためその地を訪れました。
廃坑になった鉱山の跡地を通り抜けたところに
小高い岩石の丘がありました。
その丘が、コマチアイトからできていました。
スピニフェクスの見事な組織が
岩石の表面に見えていました。
夢中になって調査していたのですが、
昼食の時間が過ぎました。
まわりには、野生のブルーベリーがいっぱいあったので、
先生と二人で昼食代わりに腹いっぱい食べました。
25年以上たった今でも、
そのときの記憶は鮮明に残っています。
調査のときにとった標本を
田崎先生は大切に保管されていました。
断面が磨かれた標本は、
お葬式のときに形見としていただきました。
そのコマチアイトの標本には
A2-3, Munro Town, Komatiite, Col. Taz. 1982.8
と書かれています。
この日付とメモと標本は、
私とって非常に大切な思い出となっています。
・日焼け・
いよいよ7月です。
北海道も夏になりました。
快晴の爽快な日が続いています。
北海道は、乾燥しているので、
日陰であれば、それほど暑くはありません。
先日の日曜日に、地区での一斉清掃がありました。
午前中に道路の草むしりをします。
お昼には、その慰労会でジンギスカンをします。
近くの公園でやるのですが、日陰がなく、
快晴の夏の太陽を浴びながらのジンギスカンでした。
ビールはうまいのですが、
汗がいっぱい出ます。
半ズボンで参加したら、
太ももが赤く日焼けしてしまいました。
心も、お腹も、体も、夏を満喫しました。
コマチアイトという岩石があります。コマチアイトは、南アフリカ共和国バーバトン山地の南側を流れる、コマティ川の露頭から最初に見つかりました。川の名前にちなんで、コマチアイトと名づけられました。英語ではkomatiiteと書きます。
コマチアイトは、少々変わった岩石です。まれにしか見つからない岩石でもあるのですが、特異な成分と組織を持っている火山岩です。また、その火山は、限られた時代に特徴的に噴出しています。
コマチアイトは、残念ながら日本では、採取することができません。なぜなら、ほとんどのコマチアイトは、太古代(38億から40億年前)に活動した火山でだけみつかります。原生代にも見つかることがありますが、非常にまれになります。日本列島では、そのような古い岩石は分布しません。ですから、大陸地域で古い岩石が分布する地域でのみ、見つかります。コマチアイトは、太古代という非常に古い時代にだけ活動したマグマからできたのです。
コマチアイトは、放射状に長く伸びた針状の結晶がいっぱ集まってできています。この数cmにもなる結晶は、カンラン石が延びたもので、このような組織をスピニフェクスと呼んでいます。ただし、溶岩の内部にいくにしたがって、スピニフェクスは減ってきて、普通の火山岩の組織になります。
溶岩は外ほど急激に冷えます。通常、カンラン石が急に冷えると羽毛状の結晶になるのですが、ある種のマグマが急激に冷やされるとカンラン石の結晶が、このような針状になることがあります。スピニフェクス組織があることから、この岩石は、地上に噴出した火山岩であることがわかります。
カンラン石が、スピニフェクスのような組織ができるためには、マグマから最初の結晶としてカンラン石になる必要があります。大量のカンラン石ができるためには、カンラン石の主成分であるマグネシウム(Mg)がマグマにたくさん含まれていなければなりません。コマチアイトには、大量のマグネシウムを含んでいます。酸化マグネシウムに換算すると、重さで18%以上になります。通常の玄武岩では、せいぜい10%ほどにしかなりませんから、非常の多くのマグネシウムを含んだマグマからできたことになります。
コマチアイトは、他にも特異な化学成分を持ちます。マグネシウムが多いため、岩石の主成分である珪酸(SiO2)が少なく(40から45%程度)なり、また酸化カリウム(K2O)などのある共通の特徴をもった成分も少なくなっています。
その共通の特徴とはなんでしょうか。そもそも、このような特異な化学成分をもったマグマが、どうしてできたのでしょうか。なぜ、古い時代にだけできたのでしょうか。それに対する、新しい成果が昨年(2008年)10月にネイチャーという雑誌に報告されました。その詳細は、次回以降としましょう。
・ムンロタウン・
私がコマチアイトを見たのは、
カナダのケベック州のムンロタウン(Munro Town)
というところでした。
1982年8月に恩師の田崎先生と共に
コマチアイトを調査するためその地を訪れました。
廃坑になった鉱山の跡地を通り抜けたところに
小高い岩石の丘がありました。
その丘が、コマチアイトからできていました。
スピニフェクスの見事な組織が
岩石の表面に見えていました。
夢中になって調査していたのですが、
昼食の時間が過ぎました。
まわりには、野生のブルーベリーがいっぱいあったので、
先生と二人で昼食代わりに腹いっぱい食べました。
25年以上たった今でも、
そのときの記憶は鮮明に残っています。
調査のときにとった標本を
田崎先生は大切に保管されていました。
断面が磨かれた標本は、
お葬式のときに形見としていただきました。
そのコマチアイトの標本には
A2-3, Munro Town, Komatiite, Col. Taz. 1982.8
と書かれています。
この日付とメモと標本は、
私とって非常に大切な思い出となっています。
・日焼け・
いよいよ7月です。
北海道も夏になりました。
快晴の爽快な日が続いています。
北海道は、乾燥しているので、
日陰であれば、それほど暑くはありません。
先日の日曜日に、地区での一斉清掃がありました。
午前中に道路の草むしりをします。
お昼には、その慰労会でジンギスカンをします。
近くの公園でやるのですが、日陰がなく、
快晴の夏の太陽を浴びながらのジンギスカンでした。
ビールはうまいのですが、
汗がいっぱい出ます。
半ズボンで参加したら、
太ももが赤く日焼けしてしまいました。
心も、お腹も、体も、夏を満喫しました。
2009年6月25日木曜日
2_81 GOEの時期:酸素の物語7
酸素の物語も、いよいよ最終回となりました。今回は、新しい研究成果を2つ紹介しながら、酸素の形成時期がいつだったのるかを探っていきます。最新の成果によれば、28億年前ころに酸素の急激な増加が起こったと考えれています。
酸素は、20数億年前ころから急に生成されてきました。酸素をつくった生物が残したストロマトライトという岩石、海水中の酸素によって形成された縞状鉄鉱層という岩石、空気中の酸素が酸化させた赤色砂岩という岩石などが、いずれもが20数億年前を指し示します。多くの研究者も酸素の形成が20数億年前だと考えています。このような事件を大酸化事件(Great Oxidation Event、略してGOE)と呼んでいます。
最近、GOEについて、2つの重要な報告がなされました。
ひとつは、カナダのアルバータ大学のコンハウザー(K. O. Konhauser)らの研究で、2009年4月のネイチャーに掲載されたものです。
GOEは、今まで、メタンの濃度が低下したことが引き金となったと考えられていましたが、その原因は不明でした。コンハウザーらは、縞状鉄鉱層のニッケル(正確にはNi/Feのモル比)を調べたところ、26億年前ころからニッケルが急激に減少していることを発見しました。
ニッケル減少の原因は、上部マントルの温度が下がったことによって、超苦鉄質岩(コマチアイトなどの太古代固有の火山岩)の噴火が衰えたため、海水中のニッケルが減ったと考えられす。メタンをつくって生活しているメタン細菌にとって、ニッケルは生体(酵素合成のため)とって不可欠な成分でした。海水中のニッケルが減少した結果、メタン細菌の活動が衰えて、メタンの濃度が低下したというものです。
コンハウザーの示した図によれば、ニッケルの急激の減少は、26億年前ころに起こったことが読み取れます。
もうひとつの研究は、東京大学の加藤泰浩さんらによる大気中の酸素の供給時期についてのものです。加藤さんたちは、GOEの時期が従来よりも3億年以上も古くなるという報告をしました。
酸素の供給時期は、従来は、イオウの成分(同位体という核種)から、24.5億から23.2億年前と考えられてきました。しかし、その決定法には問題点もあり、別アプローチによる判定が必要だとされていました。
加藤さんたちは、西オーストラリアのマーブルバーでボーリングをして、地下200mのところから、酸化的な地下水で赤鉄鉱が形成された玄武岩を発見しました。その玄武岩には黄鉄鉱の脈(玄武岩よりあとにできたもの)が形成されていました。黄鉄鉱を調べたところ、27.6億年前という年代を得ました。
この年代は脈が形成された時代なので、玄武岩の赤鉄鉱化は27.6億年前より以前にさかのぼることになります。また、玄武岩自体の形成はさらに古くなります。加藤さんたちは、29億から27.7億年前に、赤鉄鉱化が起きたと推定しています。つまりそれが、酸化的な地下水が形成された時期となるわけです。酸化的な地下水は、酸化的な大気があったことを意味します。
この結果は、今まで考えられていたものより、3億年以上古い時代にまで酸素の形成時期を遡るもので、コンハウザーのデータと似ています。また、加藤さんたちは、玄武岩の化学組成から、当時の大気の酸素濃度が現在の1.5%だったと推定しています。
酸素形成は、どこまで遡るのでしょうか。もっと古くなるのでしょうか。それは多分ないと考えられます。なぜなら、大量の岩石による証拠は、さらに古くまで遡ると説明が困難にないきます。酸素の物語は、別のステージへと入っていきそうです。今後は、GOEの時期をどれくらい正確に決定できるか、そしてGOEをどれくらい詳しく再現できるが重要になってきます。
・酸素の物語・
地球の酸素の形成の物語は、
多くの証拠があることから、
簡単に分かるのだろうと考えられそうですが、
実はそう簡単ではないのです。
岩石が、過去の大気をそのまま保存していることはありません。
なぜなら岩石は固体、大気は気体だからです。
酸素の証拠を持った岩石があっても、
形成後に変化を受けることなく
現在まで残されなければなりません。
それは、なかなか難しいことです。
なぜなら酸化という現象は
酸素があれば起こってしまうからです。
地表にあれば酸化だけでなく、風化も受けるし、
地下だと試料を見つけることが困難になります。
そんな困難さをボーリングによって克服したのが
今回の加藤さんらの成果です。
このアイディアが、今回の成果につながったのでしょう。
しかし、海外の灼熱の大地でのボーリングは
大変なことだったと思います。
さらなる成果を期待したいと思います。
・曇りの6月・
北海道は、やっと晴れたと思ったら
蒸し暑い天気となりました。
この時期はオホーツク海高気圧があり
北海道は晴れるはずのですが、
前線が北海道上空ばかりを通過し、
6月は、曇りや雨ばかりの天気でした。
大陸に居座っていた低気圧がやっと移動していきました。
これで、晴れの日が訪れることになりそうです。
ただ、梅雨のような蒸し暑さは困ります。
北海道は梅雨がなくカラッとしているのが
この時期のはずです。
そんな日を待ち望んでいます。
酸素は、20数億年前ころから急に生成されてきました。酸素をつくった生物が残したストロマトライトという岩石、海水中の酸素によって形成された縞状鉄鉱層という岩石、空気中の酸素が酸化させた赤色砂岩という岩石などが、いずれもが20数億年前を指し示します。多くの研究者も酸素の形成が20数億年前だと考えています。このような事件を大酸化事件(Great Oxidation Event、略してGOE)と呼んでいます。
最近、GOEについて、2つの重要な報告がなされました。
ひとつは、カナダのアルバータ大学のコンハウザー(K. O. Konhauser)らの研究で、2009年4月のネイチャーに掲載されたものです。
GOEは、今まで、メタンの濃度が低下したことが引き金となったと考えられていましたが、その原因は不明でした。コンハウザーらは、縞状鉄鉱層のニッケル(正確にはNi/Feのモル比)を調べたところ、26億年前ころからニッケルが急激に減少していることを発見しました。
ニッケル減少の原因は、上部マントルの温度が下がったことによって、超苦鉄質岩(コマチアイトなどの太古代固有の火山岩)の噴火が衰えたため、海水中のニッケルが減ったと考えられす。メタンをつくって生活しているメタン細菌にとって、ニッケルは生体(酵素合成のため)とって不可欠な成分でした。海水中のニッケルが減少した結果、メタン細菌の活動が衰えて、メタンの濃度が低下したというものです。
コンハウザーの示した図によれば、ニッケルの急激の減少は、26億年前ころに起こったことが読み取れます。
もうひとつの研究は、東京大学の加藤泰浩さんらによる大気中の酸素の供給時期についてのものです。加藤さんたちは、GOEの時期が従来よりも3億年以上も古くなるという報告をしました。
酸素の供給時期は、従来は、イオウの成分(同位体という核種)から、24.5億から23.2億年前と考えられてきました。しかし、その決定法には問題点もあり、別アプローチによる判定が必要だとされていました。
加藤さんたちは、西オーストラリアのマーブルバーでボーリングをして、地下200mのところから、酸化的な地下水で赤鉄鉱が形成された玄武岩を発見しました。その玄武岩には黄鉄鉱の脈(玄武岩よりあとにできたもの)が形成されていました。黄鉄鉱を調べたところ、27.6億年前という年代を得ました。
この年代は脈が形成された時代なので、玄武岩の赤鉄鉱化は27.6億年前より以前にさかのぼることになります。また、玄武岩自体の形成はさらに古くなります。加藤さんたちは、29億から27.7億年前に、赤鉄鉱化が起きたと推定しています。つまりそれが、酸化的な地下水が形成された時期となるわけです。酸化的な地下水は、酸化的な大気があったことを意味します。
この結果は、今まで考えられていたものより、3億年以上古い時代にまで酸素の形成時期を遡るもので、コンハウザーのデータと似ています。また、加藤さんたちは、玄武岩の化学組成から、当時の大気の酸素濃度が現在の1.5%だったと推定しています。
酸素形成は、どこまで遡るのでしょうか。もっと古くなるのでしょうか。それは多分ないと考えられます。なぜなら、大量の岩石による証拠は、さらに古くまで遡ると説明が困難にないきます。酸素の物語は、別のステージへと入っていきそうです。今後は、GOEの時期をどれくらい正確に決定できるか、そしてGOEをどれくらい詳しく再現できるが重要になってきます。
・酸素の物語・
地球の酸素の形成の物語は、
多くの証拠があることから、
簡単に分かるのだろうと考えられそうですが、
実はそう簡単ではないのです。
岩石が、過去の大気をそのまま保存していることはありません。
なぜなら岩石は固体、大気は気体だからです。
酸素の証拠を持った岩石があっても、
形成後に変化を受けることなく
現在まで残されなければなりません。
それは、なかなか難しいことです。
なぜなら酸化という現象は
酸素があれば起こってしまうからです。
地表にあれば酸化だけでなく、風化も受けるし、
地下だと試料を見つけることが困難になります。
そんな困難さをボーリングによって克服したのが
今回の加藤さんらの成果です。
このアイディアが、今回の成果につながったのでしょう。
しかし、海外の灼熱の大地でのボーリングは
大変なことだったと思います。
さらなる成果を期待したいと思います。
・曇りの6月・
北海道は、やっと晴れたと思ったら
蒸し暑い天気となりました。
この時期はオホーツク海高気圧があり
北海道は晴れるはずのですが、
前線が北海道上空ばかりを通過し、
6月は、曇りや雨ばかりの天気でした。
大陸に居座っていた低気圧がやっと移動していきました。
これで、晴れの日が訪れることになりそうです。
ただ、梅雨のような蒸し暑さは困ります。
北海道は梅雨がなくカラッとしているのが
この時期のはずです。
そんな日を待ち望んでいます。
2009年6月18日木曜日
2_80 酸素の誕生:酸素の物語6
酸素を形成しはじめたのは、シアノバクテリアという小さな生物だと考えられています。絶滅したかに見えたストロマトライトをつくった生物は、現在も、入り江の奥に、ひっそりと人知れず、シアノバクテリアの子孫は生き延びていました。そのシアノバクテリアの発見から、20数億年前の酸素誕生の秘密が解明されてきました。
縞状鉄鉱層の堆積とほぼ同時代に、ストロマトライトと呼ばれる不思議な岩石が見つかります。ストロマトライトは、数10cmから1mほどの直径をしたマッシュルームのような形をした岩石が連なっています。ひとつの地層の中にマッシュルームが並んでたっています。地層ですから隙間はなく、隙間があったであろうところは、ストロマトライトの破片などで満たされています。断面は、マッシュルールの外形に沿って、同心円状の縞模様になっています。
かつては、ストロマトライトはどのようにして形成されたかはわからなからない、なぞの岩石だったのですが、現在も生きているストロマトライトが発見されました。西オーストラリアなどの、いくつかの海岸付近に細々とながら生きているのが発見されています。ですから、「生きているストロマトライト」と呼ばれることがあります。
ストロマトライトは、シアノバクテリアが群生して作り上げた岩石です。その「生きているストロマトライト」(本当はシアノバクテリアが生きている)の研究から、光合成をしていることがわかってきました。
ストロマトライトが、酸素を形成した生物の証拠、つまり「化石」となっています。狭い意味では、化石は生物の遺骸や体の一部をさしますが、広い意味では生物の生活した跡や棲家、足跡なども化石(生痕化石と呼ばれる)とされています。地質学では、化石という用語は、広義で使われています。ですから、ストロマトライトも立派な化石となります。
ストロマトライトをつくったシアノバクテリアは、昼間、海の中で漂っているときは、水、太陽、海水中に溶け込んだ二酸化炭素がそろっているので、光合成をし、成長します。それ以外の条件、たとえば、干潮で水から上がったり、夜だったりすると、光合成はできません。干満と太陽の周期によって、酸素のできる、できないの周期性が生じます。
シアノバクテリアが出す酸素は、酸素への対処ができていない生物(ミトコンドリアのような器官を持たない生物)にとって、猛毒となるものでした。なおかつ、酸素を利用できる生物は、エネルギー効率がよいために、他の生物を圧倒できる性能ももっていました。シアノバクテリアは、住みよい環境(太陽があたる穏やかな海岸沿い)を、酸素を武器に制覇していきました。その繁栄の名残が、ストロマトライトなのです。
シアノバクテリアが水の中に漂い、活動的な環境(季節や水温など)が整うと、成長、増殖します。そのとき、回りに漂っている砂を自分の周りに粘液で付着させ、上に伸びよう、横に広がろうとします。この成長が、ストロマトライトに見られる縞模様として記録されていきます。ストロマトライトの縞模様は、一種の年輪のような成長の履歴と考えられます。
ストロマトライトは、20数億年前ころには、大量に地層の中から見つかります。古いものでは、30億年前より以前からあると考えられます。ですから、30数億年前あたりから、シアノバクテリアは酸素を供給しはじめ、20数億前ころから大量に酸素を形成しはじめたことになります。
シアノバクテリアは、生物ですので、季節変化、あるいは干満の変化の受けます。つまり、酸素の供給量に、季節や干満などの周期性が生じる可能性があります。これが、縞状鉄鉱層の縞模様を生む要因ではないかと考えられます。しかし、その周期のなぞは、まだ解明されていません。
ここまで、赤色砂岩、縞状鉄鉱層、ストロマトライトは、すべて酸素形成の歴史を示していました。そして、それらから読み取れる酸素の形成のスタートは、20数億年前に収斂しています。最近、2つの酸素の形成時期に関する報告がありました。それを、次回紹介しましょう。
・ハメリンプール・
ストロマトライトを形成するシアノバクテリアは、
西オーストラリアのインド洋側にある
シャーク湾の最奥部のハメリンプールという海岸に
ひっそっりと生きていました。
その理由は、シャーク湾が水深2mほどの遠浅であることと
亜熱帯で砂漠地帯なので海水の蒸発が激しいことで、
海水の塩分濃度が高く、
他の生物があまり住めない環境です。
そして、何より開発があまりされておらず
自然がそのまま残されています。
そのため、シアノバクテリアの天敵が
あまり住めない環境が、
保存されたのであろうと考えられます。
現在は、世界遺産に登録されて保護されています。
・天候不順・
北海道の6月は天候不順で、
曇りや雨の日が続いています。
北海道はイベントが目白押しですが、
YOSAKOIソーラン祭りも雨にたたられました。
小学校の運動会も小雨が降る天気でした。
天候が不順で、日照時間不足で、
農作物への影響も心配されます。
数日、寒い日がありましたが、
気温はそれほど低くないようです。
オホーツクに高気圧が
ドッシリと居座っているため、
その前面に当たる北海道が、
気圧の谷になって次々と低気圧が通り過ぎていきます。
そのせいで、悪い天気が続いているようです。
縞状鉄鉱層の堆積とほぼ同時代に、ストロマトライトと呼ばれる不思議な岩石が見つかります。ストロマトライトは、数10cmから1mほどの直径をしたマッシュルームのような形をした岩石が連なっています。ひとつの地層の中にマッシュルームが並んでたっています。地層ですから隙間はなく、隙間があったであろうところは、ストロマトライトの破片などで満たされています。断面は、マッシュルールの外形に沿って、同心円状の縞模様になっています。
かつては、ストロマトライトはどのようにして形成されたかはわからなからない、なぞの岩石だったのですが、現在も生きているストロマトライトが発見されました。西オーストラリアなどの、いくつかの海岸付近に細々とながら生きているのが発見されています。ですから、「生きているストロマトライト」と呼ばれることがあります。
ストロマトライトは、シアノバクテリアが群生して作り上げた岩石です。その「生きているストロマトライト」(本当はシアノバクテリアが生きている)の研究から、光合成をしていることがわかってきました。
ストロマトライトが、酸素を形成した生物の証拠、つまり「化石」となっています。狭い意味では、化石は生物の遺骸や体の一部をさしますが、広い意味では生物の生活した跡や棲家、足跡なども化石(生痕化石と呼ばれる)とされています。地質学では、化石という用語は、広義で使われています。ですから、ストロマトライトも立派な化石となります。
ストロマトライトをつくったシアノバクテリアは、昼間、海の中で漂っているときは、水、太陽、海水中に溶け込んだ二酸化炭素がそろっているので、光合成をし、成長します。それ以外の条件、たとえば、干潮で水から上がったり、夜だったりすると、光合成はできません。干満と太陽の周期によって、酸素のできる、できないの周期性が生じます。
シアノバクテリアが出す酸素は、酸素への対処ができていない生物(ミトコンドリアのような器官を持たない生物)にとって、猛毒となるものでした。なおかつ、酸素を利用できる生物は、エネルギー効率がよいために、他の生物を圧倒できる性能ももっていました。シアノバクテリアは、住みよい環境(太陽があたる穏やかな海岸沿い)を、酸素を武器に制覇していきました。その繁栄の名残が、ストロマトライトなのです。
シアノバクテリアが水の中に漂い、活動的な環境(季節や水温など)が整うと、成長、増殖します。そのとき、回りに漂っている砂を自分の周りに粘液で付着させ、上に伸びよう、横に広がろうとします。この成長が、ストロマトライトに見られる縞模様として記録されていきます。ストロマトライトの縞模様は、一種の年輪のような成長の履歴と考えられます。
ストロマトライトは、20数億年前ころには、大量に地層の中から見つかります。古いものでは、30億年前より以前からあると考えられます。ですから、30数億年前あたりから、シアノバクテリアは酸素を供給しはじめ、20数億前ころから大量に酸素を形成しはじめたことになります。
シアノバクテリアは、生物ですので、季節変化、あるいは干満の変化の受けます。つまり、酸素の供給量に、季節や干満などの周期性が生じる可能性があります。これが、縞状鉄鉱層の縞模様を生む要因ではないかと考えられます。しかし、その周期のなぞは、まだ解明されていません。
ここまで、赤色砂岩、縞状鉄鉱層、ストロマトライトは、すべて酸素形成の歴史を示していました。そして、それらから読み取れる酸素の形成のスタートは、20数億年前に収斂しています。最近、2つの酸素の形成時期に関する報告がありました。それを、次回紹介しましょう。
・ハメリンプール・
ストロマトライトを形成するシアノバクテリアは、
西オーストラリアのインド洋側にある
シャーク湾の最奥部のハメリンプールという海岸に
ひっそっりと生きていました。
その理由は、シャーク湾が水深2mほどの遠浅であることと
亜熱帯で砂漠地帯なので海水の蒸発が激しいことで、
海水の塩分濃度が高く、
他の生物があまり住めない環境です。
そして、何より開発があまりされておらず
自然がそのまま残されています。
そのため、シアノバクテリアの天敵が
あまり住めない環境が、
保存されたのであろうと考えられます。
現在は、世界遺産に登録されて保護されています。
・天候不順・
北海道の6月は天候不順で、
曇りや雨の日が続いています。
北海道はイベントが目白押しですが、
YOSAKOIソーラン祭りも雨にたたられました。
小学校の運動会も小雨が降る天気でした。
天候が不順で、日照時間不足で、
農作物への影響も心配されます。
数日、寒い日がありましたが、
気温はそれほど低くないようです。
オホーツクに高気圧が
ドッシリと居座っているため、
その前面に当たる北海道が、
気圧の谷になって次々と低気圧が通り過ぎていきます。
そのせいで、悪い天気が続いているようです。
2009年6月11日木曜日
2_79 海洋の酸素:酸素の物語5
2_79 海洋の酸素:酸素の物語5
(2009.06.11)
前回は、大気中の酸素の歴史を、鉄のマーカーから赤い砂岩の存在から探っていきました。今回は、海水中の酸素の歴史を探っていきます。やはり、マーカーは鉄です。鉄が沈殿してできた縞状鉄鉱層は、海中の酸素形成を物語っています。
酸素がない環境で、海のような水があれば、鉄はイオンとして溶けこんでいます。地球表層は、当初、酸素がない環境でスタートしました。ですから、海中に長年かかって、鉄イオンが、大量に溶け込んでいたと考えられます。
鉄が水に溶けて2価のイオンになると、鉄の水和イオン(Fe(H2O)6^2+という化学式)となり、うすい緑色になります。ですから、鉄の溶け込んだ海は、緑色だったかもしれません。
海に酸素が現れると、鉄イオンは酸化して、沈殿していきます。つまり、大気と同様に、海でも鉄が酸素のマーカーとなります。酸素が海水中に出てくると、それまでイオンとして存在した大量の鉄は、一気に沈殿していきます。このような鉄の沈殿物は、大規模な鉄鉱床として、世界の各地で見つかっています。
鉄鉱石は、縞状になっていることから、縞状鉄鉱層(Banded Iron Formation、略してBIF)と呼ばれます。縞は、鉄に富む部分と、ケイ酸塩鉱物から成るチャートなどの部分とによって形成されています。層の厚さは、数mmから数cmほどで、比較的細かい縞模様になっています。現在産出されている鉄鉱石の大部分は、縞状の鉄鉱層の産状となっています。いかに、酸素の果たした役割が大きかったかが伺われます。
私たちの文明は、この縞状鉄鉱層を還元(鉄から酸素をはぎ取る)して、金属の鉄として利用しています。酸化した鉄から酸素を取り去ることが、文明への大きなステップになりました。つまり、鉄器時代の幕開けです。鉄なくしては、今の文明もなかったはずです。
縞状鉄鉱層は、30億年前から20億年前、特に25億年前ころものが大量に見つかっています。世界の5大鉄鉱石産地はこれは、30億年前ころから、酸素が海水中に供給されはじめ、25億年前まで酸素の供給がピークを迎えました。酸素の供給はその後も続いていたと思われますが、海水中の鉄が使われてしまうと、鉄の沈殿は徐々に減ってきます。海で使われず余った酸素は、大気中に出てくるようになります。それに対応して、大気の酸素が増え、20億年前ころから赤色の砂岩が見つかるようになります。
鉄鉱石が縞を成しているのは、堆積岩であることを意味していますが、その他にも、酸素の供給の変動、周期やリズムを示しているのかもしれません。つまり、酸素を供給する生物の季節変化によって酸素の量は変動し、鉄の沈殿もそれに呼応しているかもしれません。あるいは、もっと長い時間間隔での、気候変動のような周期性を示しているのかもしれません。
しかし、残念ながら、縞模様の由来、成因については、まだ解明されていません。ところで、そもそも酸素は、いつどのようにして形成されたのでしょうか。酸素の形成には、今と同様に生物が関与していました。その証拠とも見つかっています。それを次回紹介しましょう。
・縞状鉄鉱層・
縞状鉄鉱層を、以前、分析に使ったことがあります。
広い面積での鉄や珪素などの元素分布を見るために、
当時は特殊な分析装置を借りて分析しました。
分析に使った試料は、今の私の研究室にあります。
縞模様の元素分布から、縞の成因を探りたかったのですが、
力が及びませんでした。
分析の結果を示すことと、
縞状鉄鉱層の総説的報告で論文を作成しました。
縞状鉄鉱層の産地には、何箇所かにいったことがあり
思い出深い岩石となっています。
分析にも使った試料の産地である
西オーストラリアのハマースレイは、
その規模の大きさ、そして縞模様の美しさに驚かされました。
・化石資源・
鉄は、宇宙でも、地球でも比較的多い元素です。
地球の鉄の大部分は、中心部の核にあります。
それでも、鉄はマントルや地殻にも
主成分元素のひとつとして分布しています。
いってみれば、どこにでもある当たり前の元素です。
資源として利用するには、
農集していなければ、価値がありません。
そこで縞状鉄鉱層が重要になってきます。
海の誕生以来、10億年以上に渡って
蓄えられてきた鉄のイオンが
酸素によって酸化され鉄鉱層となりました。
それを私たちは、今、資源として盛んに使っています。
資源は有限で、やがては枯渇します。
現在の状態で使っていると
100年ほどで掘りつくしてしまいます。
もちろんリサイクルや新たな鉱山が発見されるでしょう。
地球上で量が多いとはいっても、
資源が有限であることには変わりありません。
鉄は、地球の酸素が農集してくれたものです。
一種の化石資源といえるものです。
(2009.06.11)
前回は、大気中の酸素の歴史を、鉄のマーカーから赤い砂岩の存在から探っていきました。今回は、海水中の酸素の歴史を探っていきます。やはり、マーカーは鉄です。鉄が沈殿してできた縞状鉄鉱層は、海中の酸素形成を物語っています。
酸素がない環境で、海のような水があれば、鉄はイオンとして溶けこんでいます。地球表層は、当初、酸素がない環境でスタートしました。ですから、海中に長年かかって、鉄イオンが、大量に溶け込んでいたと考えられます。
鉄が水に溶けて2価のイオンになると、鉄の水和イオン(Fe(H2O)6^2+という化学式)となり、うすい緑色になります。ですから、鉄の溶け込んだ海は、緑色だったかもしれません。
海に酸素が現れると、鉄イオンは酸化して、沈殿していきます。つまり、大気と同様に、海でも鉄が酸素のマーカーとなります。酸素が海水中に出てくると、それまでイオンとして存在した大量の鉄は、一気に沈殿していきます。このような鉄の沈殿物は、大規模な鉄鉱床として、世界の各地で見つかっています。
鉄鉱石は、縞状になっていることから、縞状鉄鉱層(Banded Iron Formation、略してBIF)と呼ばれます。縞は、鉄に富む部分と、ケイ酸塩鉱物から成るチャートなどの部分とによって形成されています。層の厚さは、数mmから数cmほどで、比較的細かい縞模様になっています。現在産出されている鉄鉱石の大部分は、縞状の鉄鉱層の産状となっています。いかに、酸素の果たした役割が大きかったかが伺われます。
私たちの文明は、この縞状鉄鉱層を還元(鉄から酸素をはぎ取る)して、金属の鉄として利用しています。酸化した鉄から酸素を取り去ることが、文明への大きなステップになりました。つまり、鉄器時代の幕開けです。鉄なくしては、今の文明もなかったはずです。
縞状鉄鉱層は、30億年前から20億年前、特に25億年前ころものが大量に見つかっています。世界の5大鉄鉱石産地はこれは、30億年前ころから、酸素が海水中に供給されはじめ、25億年前まで酸素の供給がピークを迎えました。酸素の供給はその後も続いていたと思われますが、海水中の鉄が使われてしまうと、鉄の沈殿は徐々に減ってきます。海で使われず余った酸素は、大気中に出てくるようになります。それに対応して、大気の酸素が増え、20億年前ころから赤色の砂岩が見つかるようになります。
鉄鉱石が縞を成しているのは、堆積岩であることを意味していますが、その他にも、酸素の供給の変動、周期やリズムを示しているのかもしれません。つまり、酸素を供給する生物の季節変化によって酸素の量は変動し、鉄の沈殿もそれに呼応しているかもしれません。あるいは、もっと長い時間間隔での、気候変動のような周期性を示しているのかもしれません。
しかし、残念ながら、縞模様の由来、成因については、まだ解明されていません。ところで、そもそも酸素は、いつどのようにして形成されたのでしょうか。酸素の形成には、今と同様に生物が関与していました。その証拠とも見つかっています。それを次回紹介しましょう。
・縞状鉄鉱層・
縞状鉄鉱層を、以前、分析に使ったことがあります。
広い面積での鉄や珪素などの元素分布を見るために、
当時は特殊な分析装置を借りて分析しました。
分析に使った試料は、今の私の研究室にあります。
縞模様の元素分布から、縞の成因を探りたかったのですが、
力が及びませんでした。
分析の結果を示すことと、
縞状鉄鉱層の総説的報告で論文を作成しました。
縞状鉄鉱層の産地には、何箇所かにいったことがあり
思い出深い岩石となっています。
分析にも使った試料の産地である
西オーストラリアのハマースレイは、
その規模の大きさ、そして縞模様の美しさに驚かされました。
・化石資源・
鉄は、宇宙でも、地球でも比較的多い元素です。
地球の鉄の大部分は、中心部の核にあります。
それでも、鉄はマントルや地殻にも
主成分元素のひとつとして分布しています。
いってみれば、どこにでもある当たり前の元素です。
資源として利用するには、
農集していなければ、価値がありません。
そこで縞状鉄鉱層が重要になってきます。
海の誕生以来、10億年以上に渡って
蓄えられてきた鉄のイオンが
酸素によって酸化され鉄鉱層となりました。
それを私たちは、今、資源として盛んに使っています。
資源は有限で、やがては枯渇します。
現在の状態で使っていると
100年ほどで掘りつくしてしまいます。
もちろんリサイクルや新たな鉱山が発見されるでしょう。
地球上で量が多いとはいっても、
資源が有限であることには変わりありません。
鉄は、地球の酸素が農集してくれたものです。
一種の化石資源といえるものです。
2009年6月4日木曜日
2_78 大気の酸素:酸素の物語4
2_78 大気の酸素:酸素の物語4
(2009.06.04)
生物が陸に進出したのは、大気中に酸素が蓄えられた後でした。それ以前、生物は、海の中の生活していました。海の中にはすでに光合成をする生物がいましたので、生みも酸素に満ちていたはずです。では、いつ、大気や海洋に酸素が蓄積されてきたのでしょうか。酸素の蓄積の証拠は、どうすればわかるのでしょうか。
酸素は、いつ大気に蓄えられたのでしょうか。酸素は光合成によって植物がつくったものですから、陸上植物や海の植物性プランクトンの生息域である大気や海洋が、酸素の生産場所となります。そしてそこは、酸素の蓄積場所ともなります。
残念ながら、大気(気体)や海洋(液体)のように固体でない物質は、化石になったり、地層中に保存されたりしません。ですから、大気や海洋が酸素を蓄えた時期を知るためには、固体になっている酸素を見つけなければなりません。
昔の酸素の様子を知るための有力なマーカーとして、鉄があります。鉄は、地球にはたくさんある元素で、酸化されやすいため酸素の存在に敏感だからです。鉄は、酸化されると赤っぽくなったり、青っぽくなります。私たちが一番よく目にするのは、鉄のサビの赤褐色でしょう。このような鉄の酸化物の色は、古来から弁柄(べんがら)や青色のプルシアンブルーなどの顔料として利用されてきました。
砂に少しでも鉄の成分があると、酸化されれば赤っぽくなります。乾燥したオーストラリアの大地、アフリカのサハラ砂漠などは、赤っぽい砂に覆われています。このようなものが、たまっていくと赤っぽい砂岩の地層となります。大気中に酸素ができると鉄の酸化物として固体になります。酸化物がその場でたまったり、あるいは海に運ばれたりして堆積物になると、やがては赤っぽい地層ができます。
鉄の酸化物には、二価と三価の陽イオン(Fe2+、Fe3+)があります。二価の鉄イオンは水に溶けやすく、三価の鉄イオンは強い酸性の水には溶けますが、中性の水には溶けにくいという性質があります。海水中に溶けていた二価の鉄イオンが、酸素が増加すると、さらに酸化され三価のイオンになり、沈殿していくことになります。つまり、鉄イオンが海水中にあり、そこに酸素が加わると、酸化物の沈殿ができることになります。
海でも陸でも酸素があれば、鉄の酸化物は固体になります。つまり、酸素があれば、鉄の酸化物の混じった堆積物ができるはずです。過去の地層から鉄の酸化物を見つければ、海洋や大気に酸素があったかどうかを判定することができるわけです。目印は、赤褐色の堆積岩です。
そのような目でみていくと、赤っぽい堆積岩はあちこちでみつかります。赤っぽい堆積物は特徴的だったので、地質学の発祥地でもあるイギリスでは、「赤色砂岩」と命名され、記載されていきました。イギリスでは赤色砂岩には、新旧2つの時代のものがあり、新しいものを「新赤色砂岩」、古いものを「旧赤色砂岩」と呼んでいました。
新赤色砂岩はペルム紀から三畳紀初期に堆積したもので、旧赤色砂岩はデボン紀を中心として後期シルル紀から初期石炭紀までにできたものです。いずれも、大陸内の砂丘や湖、河川、あるいは大陸近く海底にたまった堆積岩です。これらは、大気中に酸素があったことを示しています。時期的にも、前回紹介した陸上に進出した生物化石の証拠とも一致します。
固有の名称はついていませんが、赤色の砂岩は、もっと古い時代からも見つかります。カンブリア紀以前にも、赤色の砂岩があります。そして、20億年前ころまでの堆積岩に、赤色の砂岩が見つかります。これは、20億年前にはすでに大気に酸素があり、それ以降大気中にはずっと酸素があった証拠となります。
ところが、20億年前より古くなると、赤色砂岩は見られなくなります。大気中の酸素は、どうも20億年前あたりを境にして、一気に増えてきたことを意味します。
では、海の中の酸素は、いつ増えたのでしょうか。そして、その痕跡は、どこに残されているでしょうか。それは、次回の話としましょう。
・旧赤色砂岩・
スコットランドの地質学者ジェームズ・ハットンは
スコットランドの海岸で不整合を発見しました。
それは、地質学の黎明というべき出来事でした。
その不整合は、下にシルル紀砂岩
上にデボン紀の旧赤色砂岩が覆っているものでした。
旧赤色砂岩はスコットランドではよく目にします。
この赤色の石材で作られた建物が多数あるため
首都エディンバラは、ピンク色の町並みに見えます。
・赤の大陸・
オーストラリアを赤の大陸と呼ぶことがあります。
それは、エアーズロックのような
赤っぽい堆積岩がありますが、
赤っぽい堆積岩は過去の大気中の酸素の痕跡です。
西部から中部にかけて広がっている乾燥地帯は
赤い砂や土が覆っています。
アウトバックと呼ばれる乾燥地帯には
アリ塚もありますが、もちろん赤くなっています。
地表を覆っている赤っぽい砂は、
現在の大気の酸素の痕跡です。
オーストラリア大陸にはいたるところに
酸素の痕跡が見つかります。
(2009.06.04)
生物が陸に進出したのは、大気中に酸素が蓄えられた後でした。それ以前、生物は、海の中の生活していました。海の中にはすでに光合成をする生物がいましたので、生みも酸素に満ちていたはずです。では、いつ、大気や海洋に酸素が蓄積されてきたのでしょうか。酸素の蓄積の証拠は、どうすればわかるのでしょうか。
酸素は、いつ大気に蓄えられたのでしょうか。酸素は光合成によって植物がつくったものですから、陸上植物や海の植物性プランクトンの生息域である大気や海洋が、酸素の生産場所となります。そしてそこは、酸素の蓄積場所ともなります。
残念ながら、大気(気体)や海洋(液体)のように固体でない物質は、化石になったり、地層中に保存されたりしません。ですから、大気や海洋が酸素を蓄えた時期を知るためには、固体になっている酸素を見つけなければなりません。
昔の酸素の様子を知るための有力なマーカーとして、鉄があります。鉄は、地球にはたくさんある元素で、酸化されやすいため酸素の存在に敏感だからです。鉄は、酸化されると赤っぽくなったり、青っぽくなります。私たちが一番よく目にするのは、鉄のサビの赤褐色でしょう。このような鉄の酸化物の色は、古来から弁柄(べんがら)や青色のプルシアンブルーなどの顔料として利用されてきました。
砂に少しでも鉄の成分があると、酸化されれば赤っぽくなります。乾燥したオーストラリアの大地、アフリカのサハラ砂漠などは、赤っぽい砂に覆われています。このようなものが、たまっていくと赤っぽい砂岩の地層となります。大気中に酸素ができると鉄の酸化物として固体になります。酸化物がその場でたまったり、あるいは海に運ばれたりして堆積物になると、やがては赤っぽい地層ができます。
鉄の酸化物には、二価と三価の陽イオン(Fe2+、Fe3+)があります。二価の鉄イオンは水に溶けやすく、三価の鉄イオンは強い酸性の水には溶けますが、中性の水には溶けにくいという性質があります。海水中に溶けていた二価の鉄イオンが、酸素が増加すると、さらに酸化され三価のイオンになり、沈殿していくことになります。つまり、鉄イオンが海水中にあり、そこに酸素が加わると、酸化物の沈殿ができることになります。
海でも陸でも酸素があれば、鉄の酸化物は固体になります。つまり、酸素があれば、鉄の酸化物の混じった堆積物ができるはずです。過去の地層から鉄の酸化物を見つければ、海洋や大気に酸素があったかどうかを判定することができるわけです。目印は、赤褐色の堆積岩です。
そのような目でみていくと、赤っぽい堆積岩はあちこちでみつかります。赤っぽい堆積物は特徴的だったので、地質学の発祥地でもあるイギリスでは、「赤色砂岩」と命名され、記載されていきました。イギリスでは赤色砂岩には、新旧2つの時代のものがあり、新しいものを「新赤色砂岩」、古いものを「旧赤色砂岩」と呼んでいました。
新赤色砂岩はペルム紀から三畳紀初期に堆積したもので、旧赤色砂岩はデボン紀を中心として後期シルル紀から初期石炭紀までにできたものです。いずれも、大陸内の砂丘や湖、河川、あるいは大陸近く海底にたまった堆積岩です。これらは、大気中に酸素があったことを示しています。時期的にも、前回紹介した陸上に進出した生物化石の証拠とも一致します。
固有の名称はついていませんが、赤色の砂岩は、もっと古い時代からも見つかります。カンブリア紀以前にも、赤色の砂岩があります。そして、20億年前ころまでの堆積岩に、赤色の砂岩が見つかります。これは、20億年前にはすでに大気に酸素があり、それ以降大気中にはずっと酸素があった証拠となります。
ところが、20億年前より古くなると、赤色砂岩は見られなくなります。大気中の酸素は、どうも20億年前あたりを境にして、一気に増えてきたことを意味します。
では、海の中の酸素は、いつ増えたのでしょうか。そして、その痕跡は、どこに残されているでしょうか。それは、次回の話としましょう。
・旧赤色砂岩・
スコットランドの地質学者ジェームズ・ハットンは
スコットランドの海岸で不整合を発見しました。
それは、地質学の黎明というべき出来事でした。
その不整合は、下にシルル紀砂岩
上にデボン紀の旧赤色砂岩が覆っているものでした。
旧赤色砂岩はスコットランドではよく目にします。
この赤色の石材で作られた建物が多数あるため
首都エディンバラは、ピンク色の町並みに見えます。
・赤の大陸・
オーストラリアを赤の大陸と呼ぶことがあります。
それは、エアーズロックのような
赤っぽい堆積岩がありますが、
赤っぽい堆積岩は過去の大気中の酸素の痕跡です。
西部から中部にかけて広がっている乾燥地帯は
赤い砂や土が覆っています。
アウトバックと呼ばれる乾燥地帯には
アリ塚もありますが、もちろん赤くなっています。
地表を覆っている赤っぽい砂は、
現在の大気の酸素の痕跡です。
オーストラリア大陸にはいたるところに
酸素の痕跡が見つかります。
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