2025年7月31日木曜日

1_238 冥王代の岩石 3:貫入の意味

 論文で年代が報告された岩石には、貫入という産状や苦鉄質という岩石の特徴が示されていました。そこには重要な地質学的意味があります。その意味を紹介していきましょう。


 報告された冥王代の年代をもった岩石は、タイトルには苦鉄質貫入岩とありました。貫入岩と苦鉄質とには、それぞれの地質学的には重要な意味があります。それを見ていきましょう。
 まずは、貫入岩についてです。貫入岩とは、マグマが移動(主には上昇)していくとき、周りの岩石を割りながら進んでいきます。できた割れ目にマグマが残って固まることがあります。その状態を貫入といいます。貫入した状態は、岩石の産状から見分けることができます。貫入岩があるということは、それ以前にできていた岩石があったことになります。その岩石は、当然、貫入岩より、前の時代にできたことになります。
 この貫入岩は斑レイ岩で、ウジャラルク・ユニット(Ujaraaluk unit)と呼ばれ変成作用を受けた玄武岩類に貫入しています。このユニットは、ヌーヴァギットゥク緑色岩帯(Nuvvuagittuq Greenstone Belt)の一部になっています。緑色岩帯は海洋地殻の名残だと考えられています。海洋地殻は、中央海嶺で長期に渡るマグマ活動で形成されます。それが海洋プレートとなっていきます。その時、一連のマグマから斑レイ岩の貫入も起こっていたと考えられます。ですから、このウジャラルク・ユニットとともに、海洋プレートの年代も冥王代となりそうです。
 ウジャラルク・ユニットの年代は、37億5000万年前から43億年前までのいろいろな年代が推定され報告されてきました。その度に年代が真かどうかが議論されましたが、年代はまだ確定していませんでした。今回報告された年代が確実だと認められれば、ウジャラルク・ユニットからヌーヴァギットゥク緑色岩帯までが、冥王代に形成された可能性がでてきます。
 次に苦鉄質岩の意味についてですが、これまで、冥王代を示す年代は、太古代の堆積岩中から見つかった砕屑性の鉱物からの年代でした。冥王代の鉱物が由来した岩石の鉱物なので、年代は求められても、岩石の直接の情報はえられません。年代測定できた砕屑性の鉱物の多くはジルコンと呼ばれるものでした。
 ジルコンは化学組成ZrSiO4で、ジルコニウムと珪酸からできています。このような鉱物は、火成岩から結晶化したもので、なおかつマグマの組成が珪酸に富んだもの(酸性マグマと呼ばれ)、つまり花崗岩類から由来したと考えられています。花崗岩は大陸地殻を構成する岩石なので、花崗岩の年代は、大陸地殻の年代を意味しています。ですから最古の砕屑性ジルコンの年代は、大陸が存在した最古の年代も意味しています。
 では、花崗岩マグマは、どうしてできたのでしょうか。少々長くなった来たので、花崗岩の起源については、次回にしましょう。

・前期講義終了・
大学は、前期の授業が終わりました。
別キャンパスでの授業でしたが
なんとか終わることができました。
新しいキャンパスできれいで設備もいいのですが、
ホワイトボードなのでペンのインクが見えず
ダメになりきれいに書けないことが度々ありました。
まあ、これもいい経験でした。

・睡眠不足・
北海道は今年も暑い日が続いています。
エアコンも使っていますが、
夜になる寝る部屋にはないので
窓を開けること、それでも暑いときは
扇風機を窓際において外の涼しい空気を入れます。
それでも暑い日は、熟睡できずに
寝不足状態になっていきます。
まだ、そんな日は少ないですが、
これからも暑い日がありそうなので
睡眠不足が心配ですね。

2025年7月22日火曜日

1_237 冥王代の岩石 2:最古と最初

 最古の年代になる岩石が見つかったという報告は、年代の更新だけでなく、冥王代の岩石であったことも重要ですが、「最古」と「最初」の違いも意識していく必要があります。その意味を詳しく見ていきましょう。


 「最古の岩石」は「最初にできた岩石」とは違うものです。「最古の岩石」より、さらに古いものが見つかれば、「最古」は更新されていきます。「最古」という意味は、常に「現在のところ『最古』の年代をもっている」ということになります。
 これまで知られていた最古の年代は、カナダのアカスタ地域の火成岩類の40億3000万年前のものでした。この岩石は変成作用を受けていましたが、火成作用の年代(マグマが固化した時代)が求められました。
 前回紹介したように岩石の成因から探っていくと、「地球最初の岩石」は、火成岩にたどり着くと考えられます。これまで、見つかっている最古の岩石の年代は、火成岩のものでした。ですから、最古の岩石が火成岩となっているのは、たまたまなのかもしれません。もしかすると、「もっと古い」堆積岩や変成岩が見つかるかもしれません。
 太古代と冥王代の時代境界は、最古岩石の年代によって決められるので、アカスタの岩石の年代が採用されています。今後も、古い年代の岩石が見つかれば、この時代境界は変更される可能性があります。
 2025年の6月26日のアメリカの科学雑誌Scienceに、Soleらの共同研究で、
Evidence for Hadean mafic intrusions in the Nuvvuagittuq Greenstone Belt, Canada
(カナダ、ヌヴァギットゥク緑色岩帯内の冥王代の苦鉄質貫入岩の証拠)
という論文が発表されました。
 この論文では、岩石の年代として41億5700万と41億9600万年前という値が報告されました。この年代が正しければ、冥王代に形成された岩石となります。冥王代と太古代の時代境界の年代が、40億3000万年前されていました。もしこの岩石の年代値が承認されれば、時代境界が41億9600万年前となり、太古代のはじまりが、1億6600万年ほど遡ることになります。
 しかし、この岩石の年代を求めるのはなかなか困難で、何度もチャレンジされてきました。これまでえられた年代は、もっと新しい時代のものばかりで、その信憑性も不確かでした。今回、やっと信頼できそうな年代値がえられという報告でした。まだ、多くの研究者が承認しているわけではありませんが、かなり信頼性は上がってきています。

・暑さが戻る・
北国では、一時期、暑い日々が続いたのですが、
最近は比較的涼しい日々が続いています。
週末は雨で、より涼しくなり
心地よい日が続きました。
夜も窓を閉めて寝るほどで
連日、熟睡できたため
体調も良くなってきました。
しかし、週明けからは、暑さが戻ってきました。

・パソコン破損・
先週末、突然、メインのパソコンが破損しました。
電源を何度入れ直しても
うんともすんとも反応しません。
2日間、あれこれやってみたのですが、
反応なしでした。
諦めることにしました。
前日の朝に保存していたデータはあったので、
3時間分のほどのデータが消えました。
対処しながらノートパソコンに切り替え
忘れないうちに、文章を復元しました。
このエッセイもそのひとつです。
重要な投稿論文も大丈夫でした。
PCの破損はあまりないのですが、
長く使用していると、時々起こります。
今回で3度目となります。
やはりバックアップが重要ですね。

2025年7月17日木曜日

1_236 冥王代の岩石 1:最古の岩石とは

 最古の岩石が見つかったという報告がありました。冥王代と呼ばれる時代で、これまでより2億年近く古い年代でした。まずは、最古の岩石と最初の岩石について考えていきましょう。


 以前書いた論文で、地球で最古の岩石は、どのようなものかを論じたことがありました。岩石は、変成岩、堆積岩、そして火成岩の3つの成因に区分できました。その中で一番最初の岩石を考えました。まずは、それぞれの成因を整理していきましょう。
 変成岩は、既存の岩石が地下で高温や高圧になることで、もとの岩石が溶けることなく別の結晶へと変化(再結晶といいます)することです。溶けてしまえばマグマができ、火成岩になるので、溶けずに、固体の状態で再結晶することが特徴です。堆積岩は、風化により陸地の岩石が砕屑物になり、河川によって湖や海底に運ばれ、堆積したものです。水の関与が重要になります。火成岩は地下深部のマントルが溶けてマグマができ、冷え固まったものになります。固体が液体になり、再度固体になるという変化をします。
 これらの3つの成因で、もっとも古い岩石はどれになるのでしょうか。
 変成岩は、既存の岩石が再結晶するので、既存の岩石が必要になります。既存の岩石の種類は問いませんので、変成岩、堆積岩、火成岩のいずれでもいいことになります。変成作用を重複して受けた変成岩も存在しますが、その変成岩も、既存の岩石を必要とします。突き詰めてとどっていきますと、既存の岩石は、堆積岩か火成岩にたどりつくはずです。
 堆積岩の形成には、砕屑物が水に運ばれたり、水に成分が溶け込む必要があります。水は、かつては地球形成初期からあったと考えられていたのですが、現在では、冥王代の中ごろに、小惑星帯あたりから飛来した多数の小天体の衝突でもたらされたと考えられるようになりました。
 他にも生物の遺骸(チャートや石灰岩)や化学的沈殿(岩塩や石膏)からでできるものものあります。生物の遺骸からできた堆積岩は生物が誕生していなくてはなりませんが、最古の堆積岩は生物誕生のもっと前です。化学的沈殿も水が関与していますので、水が地球にもたらされて以降になります。
 水ができる前は、月の表面のように、岩石だけが広がる乾燥した表層となります。そこでも衝突が起これば、既存の岩石は破壊され、砕屑物が飛び散ります。月の表層には、これらの破片でできた堆積岩(レゴリスと呼ばれています)ができています。既存の岩石はどれでもいいのですが、変成岩と同じように、もっとも古い既存の岩石を辿っていくと、火成岩にたどり着きます。
 以上のことから、地球に最初にできたはずの岩石は、火成岩だったと考えられます。では、最初の火成岩はどのようなものだったのでしょうか。次回としましょう。

・更新された年代・
このシリーズの書くきっかけは、
次回から紹介していきますが。
これまでの最古の岩石を
更新した年代が報告されました。
この論文には、他にも注目すべき点がいくつかあり
それをシリーズにして
紹介していこうと考えました。

・北海道の夏・
先週前半まで暑くてたまらず
エアコンをつけたのですが、
中ごろあたりから北海道らしい、
清々しい夏の天候が訪れました。
北海道らしい天気とは、
日差しは強いのですが、
乾燥しているため、
日陰に入ると涼しく過ごせます。
日が傾くと涼しくなり、
夜も窓を閉め、
夏掛けが布団をかけて寝ます。
こんな北海道の夏は気持ちいいものです。

2025年7月10日木曜日

4_196 螺湾のフキ:いつもとは少し違って

 足寄町は、大雪山の西から阿寒の南側の山岳地帯から十勝平野の直前までの山間にある町です。阿寒から足寄に町に向かう道が好きでよく通るルートとなっています。今回はその途中の螺湾(らわん)に目的地がありました。


 6月下旬、自家用車で知床から阿寒を通り足寄に走り抜けました。何度かきているオンネトー(アイヌ語で老いた沼という意味)を見学した後、今回は、道道664号を通り抜けるのをひとつの目的としてました。以前にもこのルートを進もうとしたのですが、砂利道だったのと、天気が悪かったので敬遠しました。しかし、今シーズンは新しい夏タイヤに替えたので、砂利道も気にせず通りました。
 奥地にある牧草地まで降りてくると、道道は舗装されており、快適に走ることができました。このルートを選んだのは、この時期ラワンブキがまだ生えているはずだったからでした。
 以前にも国道241号から螺湾(らわん)付近に来て、少し道道を入ったことはあるのですが、時期が遅かったのと、国道からかなり奥に入らなければ見れないようなので、諦めたことがありました。
 今回、自生しているラワンブキの観賞用の圃場(ほじょう)があり、そこでみることができました。
 日本には、普通にみかけるフキとアキタブキ(オオブキ)の2種があり、よく見かけ、食用にされているのはフキの方です。ラワンブキは、アキタブキの同種と考えられているそうですが、この地域にだけ、なぜか巨大に成長しています。地名からラワンブキと呼ばれて名産になっています。高さは2mから3mと人の身長を有に超え、葉の直径も1mほどにもなるそうです。かつては、高さ4m、葉の径も2mに達したものもあったとのことでした。大きなラワンブキは写真では見たことがあったのですが、実物は見たことがありませんので、見たいと思っていました。
 自生している圃場には多数のラワンブキが生えていたのですが、時期的は少し遅かったようで葉が少し枯ればじめていたのが残念でした。また、ラワンブキはそれほど大きいものはありませんでした。調べると、ここはもともとは自生地だったのですが、2016(平成28)年の台風で螺湾川が氾濫し、自生地が大きな被害を受けたそうです。自然回復が見込めないようなので、復旧したとのことです。同じ種でも、環境によって大きくなっているのでしょうが、そこまで大きくなっていないようです。他の場所は見なかったので、大きいのがあるのでしょうが、今回は諦めました。

・はじめてのルートで・
オンネトーはもっと深い山の中にあり
神秘的な湖になっています。
道は狭いですが整備されているため
観光客がよく訪れています。
ただし、そこより先の道道に進む車は
ほとんどないようです。
道道を走っていて、人家のあるところまで
一台もすれ違うこともありませんでした。
まさに秘境です。
今回はじめて通り抜けました。
こんなところに来ると、
野外調査をしていたときのような
ホッとした気分になります。
いつものルートですが、
いつもと少し違った目的もって
訪れるのもいいですね。

・いつものルートで・
知床から足寄に向かう途中、
阿寒にいきました。
これまで、何度も訪れてきたおなじみのルートとなリます。
定宿もあるので、そこに泊まりました。
阿寒では、火山と森の散策をして、
遊覧船でマリモを見学するというルートを
いつものように巡りました。
阿寒湖は釧路市に属していますが、
近くのオンネトーは足寄町になります。
峠のあたりが境界となっています。
足寄町に下る山地を通るルートは、
何度も来ているところです。
町に下りてきたときは、
道の駅で毎回休憩で寄ります。
博物館もあり、久しぶりに訪れました。

2025年7月3日木曜日

4_195 知床の旅:シャチを見る

 夏の知床にいきました。今回は、羅臼の海でシャチをみるためのクルージングに参加することが目的でした。妻の希望でしたが、非常に満足できる結果となりました。


 先週、4泊5日の旅に出ました。今回も妻のリクエストを入れてあります。妻が大好きなシャチを見ることです。知床半島の東側にある国後島との間にある根室海峡には春から夏にかえてシャチが多数群れているを見ることができます。羅臼の港から、クルージングでチャチの見学ができます。一番見やすいといわれている時期に出かけることにしました。中型で小回りが効き、船足が一番速い船でのクルージングにしまた。午後の便を申し込んでいました。あとは当日の天気とシャチ次第でした。
 当日、快晴の上、海の凪の状態で、絶好のコンディションでした。予約者が集まり次第出発するこのことでしたが、予定より30分速く出港することができました。何度も同船されているアマチュアカメラが2名おられ、午前中にも間近でたくさん見れたとのことで期待できました。
 他の船より1時間近く出港し、スピードも早かったので、すぐにシャチの群れが見つかり、接近することができました。船の周りを10頭以上の群れがいました。船の下をくぐり抜けたり、間近で見ることができました。他の船が来る頃には、もうたっぷりと観察をすることができました。
 写真もたくさん撮影しましたが、妻のカメラでも私のでも、大接近したシャチや、シャチの大群、知床連山を背景にしたシャチなどが、きれいに撮れていました。満足できる成果となりました。下船後は、羅臼で妻のお気に入りのシャチグッズの専門店にいきました。今回も妻はシャチの土産を買っていました。
 本来なら羅臼に宿泊するのが、地の利として一番いいのですが、知床ではウトロに定宿にしているホテルがあります。そこには、妻の大好きなエゾモモンガの写真をとるアマチュアカメラマンが働いていて、写真がホテルに展示されています。昨年本人から大きなパネルの写真をお願いして購入していました。しかし、残念ながら、今年はやめられたそうです。もう新しいエゾモモンガの写真は増えそうにありません。
 クルージング中には羅臼から沖に向かうので、国後島に向かっていくことになります。GPSの軌跡を見ると、沖に7、8km程度しか出ていないので、国境を越えることはないのですが、国後を間近に見ることができました。知床のポピュラーな観光地には出かけませんでしたが、満足のできる知床の旅となりました。

・混雑・
今回は、4泊したのですが、
どのホテルも満室に近く驚きました。
春の花の最盛期は過ぎて、
夏の花としても少々早めでした。
端境期になり観光客も少ないと思っていたのですが、
修学旅行と外国のツアー客が多い時期のようで
いずこのホテルも満室に近かったです。
ホテルも観光地も人の多さは、
避けることができませんでした。
マイナーなところや時間をずらして
行動するようにしていました。
比較的混雑は避けることはできました。
時間がたっぷり取れる旅だから
できたことでしょうね。

・鳴き砂・
知床に向かう途中にいつも寄る
小清水原生花園にいきました。
天気はよく、暑い日でした。
花はエゾスカシユリ、エゾキスゲくらいだけが
かろうじて咲いていました。
鳴き砂の海岸を歩いてみたのですが、
やはり鳴りませんでした。
ガイドの人がいたので聞いたら
かなりきれいに洗ったら鳴るとのことでした。
海の汚れのせいだと言っていました。
どこの海でも起こっている汚染です。