沖縄北部へ旅をしました。本部(もとぶ)に6日間滞在して、北山王国の各地を巡りました。移動日もあるので、正味4日間の旅となりました。久ぶりの旅のシリーズを紹介します。
5月末から6月初頭にかけて、沖縄に観光旅行にいってきました。久しぶりの沖縄となります。子どもが小さい時、2004年と2007年に家族で出かけました。冬から春で、子どもや私の休みの都合に合わせていました。
今回の沖縄は、梅雨時期の訪問となりました。幸いなことに、初日は激しい雨となりましたが、晴れの日も多く、雨で困ることはありませんでした。
もともと、梅雨の時期で訪問者が少なく、なおかつ北部はさらに訪問者が少なくなります。そんな人があまり訪れないところを回りました。以前にいったところへの再訪が多かったのですが、初めて訪れるところもありました。
今帰仁城は、初めてでした。世界遺産にもなって降り、施設も整っていました。沖縄の歴史についても解説を読んで、少々学びました。
シリーズタイトルの北山(ほくざん)とは、沖縄本島の14世紀ころの時代区分です。当時の古代琉球は3つの王国に分かれていました。南部の南山(山南)、中部の中山、北部の北山(山北)の時代が、100年ほど続きました。北山王国は、恩納村より北側に位置し、本島の北半分を占めていた大きな王国でした。北山王国は、現在の国頭(くにがみ)地方が中心となリ、今帰仁城(なきじんくす)を居城としていました。
その後、中山が力を増していき、1416年に北山を、1429年に南山を滅ぼし、琉球を統一しました。北山は、中山に滅ぼされ以降、今帰仁城は北山監守が置かれていましたが、17世紀には廃止されました。それ以降、城としての機能をもつことはなかったようです。
今帰仁城は、これまで訪れたことがなかったので、じっくり見たいと思っていました。城は、景色のいい、山の尾根筋に位置していました。尾根の脇を川が流れているのですが、山の上から川まで汲みにいってたそうです。戦いがはじまったら、水の確保は難しかったのでしょうね。天守の跡だけはありましたが、思っていたより狭かったです。石垣が残っており、往時の姿を想像させていました。
今帰仁城では、幸い観光客も少なかったので、私たち夫婦だけのためにボランティアの人が案内をしてくれました。2時間以上もたっぷり時間かけて、城内を案内してくださいました。城内を案内で巡ったあとは、博物館もあったので、その中もじっくり見ました。朝一番から半日たっぷりとかけて、今帰仁城にて過ごすことができました。
・ゆったりと・
沖縄では、いくつ訪問する地は決めていましたが、
あまり厳密にスケジュールは決めずに、
天気を見ながら漠然と決めることにしていました。
空港からレンタカーを借りていたので
自由に見て回ることができるので、
ゆったりとした旅程で進めました。
初日は、那覇空港から本部へ直行し、
最終日は、ホテルから那覇空港へ直行しました。
もともと、人の多そうな中・南部は素通りの予定でした。
3日目は天気がよさそうなので、
今回、紹介した今帰仁を訪れました。
・海洋公園は2度・
妻の一番の目的地は、美ら海水族館でした。
2日目に訪れ、5日目にも海洋公園に半日いました。
この日程は正解でした。
5日目、午前中は名護にいったのですが、
時々雨も降る蒸し暑い日で少々バテていました。
そこで、海洋公園の施設で海洋文化館にいきました。
そこにはプラネタリュームがあり、
3つのプログラムの映像を
すべて見ながら過ごせました。
人も少なく、のんびりした見学することができました。