2025年12月11日木曜日

4_202 関門海峡 1:地形

 九州には何度も旅行しているのですが、福岡から下関へは、訪れたことがありませんでした。巡る手段ができたので、今後も九州の北部を巡っていきたいと思っています。まずは、関門海峡の紹介をしていきます。


 11月中旬に、北九州から下関へ、そして志賀島へと、3泊4日で巡りました。北九州を訪れたのは、長男がそこに住んでいるので、合流して、車を出してもらって巡りました。今回は、小倉から門司へ、下関で一泊してから、海の中道を通って、宿まで送ってもらいました。
 大きな街の中を、自分で運転するのは苦手なのですが、長男は苦も無く、はじめてのところでも、ナビを参考に、快調に進みました。土、日曜日で交通量が大きかったのでしたが、安心して乗っていられました。
 今回は、関門海峡について紹介していきましょう。関門海峡は、瀬戸内海と日本海をつなぐ海峡で、古くから海上交通の要衝となっています。関門海峡は不思議な地形をしていますが、地形の特徴から見ていきましょう。
 海峡は南北に伸びており、南側が戸畑で日本海に、北側が山口県下関市で瀬戸内海につながっています。S字状に曲がっています。海峡全体が28kmものあるのに、幅が狭く、壇ノ浦と和布刈の間が最も狭くなっており、早鞆(はやとも)の瀬戸と呼ばれるところでは、幅が600mほどしかありません。水深が深く(最深部は47m)なっています。
 また、日本海側(最大1.5m)と瀬戸内海側(3.8m)で、潮の干満の差が大きく、狭い海峡に、大量の海水が出入りすることになり、潮流が非常に速く(時速18.5km)なります。日本の三大急潮に数えられています。ちなにみ三大急潮の他の2つは、鳴門海峡、来島海峡です。いずれも訪れたことがあり、今回で制覇できました。
 干満なので1日4回、潮の流れが変わります。関門海峡では激流となるので、交通の要衝でもありながら、日本有数の難所にもなっています。
 現在の関門海峡は、かつては、大瀬戸(おおせと)と呼ばれていました。かつては、小瀬戸(こせと)呼ばれる海峡もありました。下関の現在の関門海峡の北側に、狭い海峡がありました。海峡があったため、本州側と切り離された彦島がありました。以前は、水路として使われていました。潮流が激しく、水路がも狭いため、現在では下関漁港閘門(こうもん)ができて、締め切られています。ただし、水門で水位を調整して、小型船は航行できるようになっています。
 関門海峡の現在の地形の特徴を示しました。このような不思議な地形をしているのは、地質学的の形成過程も背景にはあります。それは次回としましょう。
 下関では、フグを食べました。長男は食べたことがないとのことなので、フグサシやフグの唐揚げなどをご馳走しました。満足していたので、よかったです。来年も北九州を訪れたいと考えています。

・唐戸市場・
宿泊した翌日は、長男のすすめで、
唐戸市場を訪れました。
市場には興味がなかったのですが
長男が進めるので見にいきました。
昼には早い午前中でしたが、
多くの観光客が、道端で食事をしていました。
中を覗いてみて、その意味がわかりました。
海産物の土産物や、寿司を中心に
すぐに食べられる食品を売る店が
大量に並んでいました。
それを目当てに、観光客でごった返していました。
そのすごさに圧倒されました。
そこで買った食品を外で食べていたのでした。
長男の勧め意味が理解できました。
長男も一貫だけ食べたいというので
妻もいっしょに大トロの握りを買いました。
私は、朝食をとったすぐあとなので、
見ているだけにしました。

・海響館・
市立しものせきの水族館を訪れました。
土曜日のこともあり、
多くの人が見にてきました。
フグの展示が充実していました。
淡水のフグやクサフグの産卵など
珍しい展示がありました。
マンボウの展示もあったので
不思議に思ったのですが、
驚いたことに、マンボウも
フグ目に属するとのことのです。
独特の歯や腹びれがないなど
共通する特徴がある
などの説明があり納得しました。

2025年12月4日木曜日

5_216 隕石の由来 5:それぞれの母天体

 今回のシリーズは、隕石が由来を探る話題でした。コンドライトという主たるタイプの隕石が、どの母天体からきたかを突き止めました。母天体の衝突した時期が重要な情報になっていました。


 3編の論文により、炭素質コンドライト、Hコンドライト、Lコンドライトの母天体が推定されました。どの天体に由来するのかを、順番に見ていきましょう。
 炭素質コンドライトの母天体を推定してますが、炭素質コンドライトはいくつかの分類に細分されています。分類の詳細を省きますが、区分ごとに母天体となる小惑星の族が推定されています。CMコンドライト(ケーニッヒ族からの可能性もある)とCRコンドライトはヴェリタス族から、CIコンドライトはポラナ族(クラリッサ族、ミサ族、ホフマイスター族)から、COコンドライト、CVコンドライト、CKコンドライトはエオス族から、それぞれ由来したと推定されました。
 小さな(メートルサイズ)の炭素質コンドライトも、普通コンドライトと同じように破片ができ、落下してきていることになります。炭素質コンドライトは同じ隕石に由来する破片が多く、他のコンドライトと比べると比率は小さくなっています。炭素質コンドライトは、揮発成分を多く含んでいるため、大気圏に突入時に、気化や熱分解で崩れてしまうものが多くなります。ブロズらの研究では、炭素質コンドライトには同じ隕石に由来した破片が多いこと、そして小さくなりすぎて見つかりにくくなっていると考えました。
 Hコンドライトは、580万年前の衝突によるカリン族と、760万年前のコロニス2族のどちらかに由来していると考えられました。Hコンドライトは、照射年代が500万から800万年前と広がりあるのですが、それは2つの衝突に由来しているためと考えられます。両族がHコンドライトという同じ化学組成のグループに属しているのですが、より大きなコロニス族に属しています。さらに大きな衝突が以前起こって、その後小さな衝突が起こったのではないでしょうか。
 マーセットらの研究では、Lコンドライトは、多数(6000個以上)の小惑星からなるマッサリア族に由来しており、その衝突は4億7000万年前の大規模なものでした。また、4000万年前にもこれより小規模な衝突があったと考えられています。
 石灰岩の研究から、オルドビス紀中期(約4億6600万年前)に氷河期と大規模な絶滅があったことが知られています。氷河期による寒冷化で大絶滅が起こったと考えられます。衝突クレーターの存在や、Lコンドライトに由来する微小の物質が見つかっています。氷河期と大絶滅の原因は、大規模な天体衝突によるのではないかと考えられていました。4億7000万年前のLコンドライトの衝突時期は、オルドビス紀の事件と時期が似ています。
 現在もこの衝突に由来する隕石が多くの占めています(全落下の20%以上)になっています。4000万年前の衝突も、Lコンドライトが多い原因となっていると考えられます。
 他にも、LLコンドライトは1500万年前に衝突を経験したフローラ族を起源とする可能性も可能性があるのではないと推定しています。
 地球近傍小惑星のシミュレーションで衝突を再現し、その結果を隕石の年代と対応させて、隕石の母天体を探ってきました。そして、主たる隕石(90%程度)の由来を明らかにしてきました。これらの研究の手法はオーソドックなものにみえます。しかし、このアイディアを思いついて、それを研究成果にするには、多くの努力が必要になります。

・心の余裕・
もう師走となりました。
今年は、退職という大きな節目を迎えました。
幸い研究室が1年間使用可能にしていただいてので
大学の研究室にいくという生活パターンは
変わることがありませんでした。
気持ちの上では大きな変化が生じました。
それは、授業の減少という時間的なゆとりだけでなく
対人関係の校務がなくなったことが大きかったようです。
行動にはあまり変化が起こっていませんが
心の余裕できたことで、
研究が深めることができました。

・師走の恒例行事・
例年、11月になると郵便局で年賀状が販売されます。
そのために、購入する枚数を確認するために
住所を整理して、年々数を減らしてきました。
そして12月になると年賀状を購入して
文面の準備をしていました。
まだ、住所の整理すらスタートしていません。
今年からは、ずっと送る人だけで
減少させることはありません。
また年賀状もいつでも買えるようになってきました。
そんな状況で、急ぐ気持ちがなくなりました。

2025年11月27日木曜日

5_215 隕石の由来 4:族(ファミリー)

 このシリーズでは、これまで、隕石が由来した母天体がわかったという一連の3編の論文が発表され、それらの論文のタイトルになっている、隕石の大雑把な特徴を紹介してきました。今回から、論文の中身に入ってきましょう。


 前回まで、論文のタイトルにあった炭素質コンドライト、普通コンドライトのLコンドライトについて紹介してきました。論文の内容では、タイトルに入っていなかったのですが、Hコンドライトなどについても、母天体を特定しています。
 一連の論文で進められた研究方法は、小惑星同士の衝突で飛び散る破片のシミュレーション、実際の隕石の年代、小惑星の軌道や表層の化学組成の観測データとの比較などで、いくつかの隕石の種類の母天体を推定しています。
 ここでいう隕石の年代とは、形成年代ではなく、衝突してから落下までの期間のことを意味します。その期間は、隕石に宇宙線が照射されてできた核反応生成物の量によって決める手法があり、「宇宙線照射年代」と呼ばれています。多くの隕石で、数100万年程度(500万年あたりに年代値のピークがある)の年代となります。ただし、鉄隕石には古いもの(10億年から1億年)が見つかります。
 古い年代が少ないということは、地球に隕石として落下するような軌道をもった小惑星は、短い期間に落下してしまっていることになります。小惑星が、そのような軌道をもつようになったのは、「最近」のことと考えられます。
 地球と交差する可能性のある軌道をもった小惑星は「地球近傍小惑星」と呼ばれ、観測されています。数は少ないですが、隕石の落下から公転軌道を推定されたものなどがあります。
 論文では、軌道を変える現象として、太陽の放射(光や)の影響も考えられています。天体の表面に当たった側(昼側)は温められ、そこが自転で夜になちき、熱を赤外線で放射されます。その放射の力がわずかですか、継続的に働く力なので、天体が小さければ軌道を変化させる推力となります。ヤルコフスキー効果と呼ばれるものです。ヤルコフスキー効果は、小さい天体ほど影響を受けます。また、地球近傍小惑星に対しても、微妙な軌道計算には影響を与えます。
 地球に落下する隕石の起源は、大きな天体で、ヤルコフスキー効果の影響を受けないはずです。大きな天体の軌道を変えるのは、天体同士の衝突になります。衝突によって飛び散った破片で、大きな天体となったものは、最初の軌道を保ったままで、似た軌道を持つ天体群となります。そのようは軌道をもった小惑星群は、族(ファミリー)と呼ばれます。
 各種の小惑星族の公転軌道をもとにして、長期間に渡って軌道をシミュレーションしていくことで、分裂した時期を推定しています。そして、その分裂を起こしたと考えられる衝突で、飛び散った破片が、地球に届く隕石の量をシミュレーションしています。その結果を、現実に見つかっている隕石の種類の量や比率と一致するかどうかと比べて検証しています。
 3回の小惑星同士の衝突で、多くの隕石が由来することが分かってきました。詳細は次回としましょう。

・北海道の冬・
北海道は何度かの積雪やドカ雪もあり、
一気に秋から冬に突入しました。
白鳥も渡ってきて、
近所の田畑に朝夕、ねぐらから飛んできます。
しかし、まだ11月なので、
何度かの雪も、根雪とはならず、
溶けてしまいました。
そんな繰り返しが、
冬へと向かっていくのでしょう。
これから北海道は長い冬の季節となります。

・北九州の旅・
先週の北九州の旅は、
まったく初めてのところばかりで
非常に楽しかったのです。
関門海峡も初めて見ることができました。
人道トンネルも半分までですが
歩くことができました。
長男の予定があえば、
また車を出してくれるとのことです。
来年もまた、北九州を訪れたいと思いました。

2025年11月20日木曜日

5_214 隕石の由来 3:コンドライトの特徴

 隕石の由来を明らかにしたという論文がありました。そこで扱われている隕石は2種だけでした。その2種は、隕石の中でも重要で主要なタイプなので、それらの由来がわかることは、重要な情報となります。


 今回紹介している論文のタイトルにあったのは、Lコンドライトと炭素質コンドライトと呼ばれる2種類のコンドライトでした。コンドライトは、いずれも太陽系の初期にできたものでした。それぞれ、どのような種類で意味をもつのかを説明していきます。
 隕石の種類の中でもっとも多い種類は、コンドライトで、隕石全体の79.4%を占めています。そのため普通コンドライトと呼ばれています。普通コンドライトは、HコンドライトとLコンドライトに区分されています。その違いは、化学組成で鉄(Fe)の占める比率が大きいものをH(25〜31 重量%、以下wt%と略します)で、Lコンドライトが小さくなり(20~22wt%)、さらに小さいものをLLコンドライト(19~22wt%)と区分しています。普通コンドライトの内でHコンドライトの比率(47〜50%)と、Lコンドライト(40〜45%)が多く、LLコンドライト(10〜12%)は少なくなっています。Lコンドライトは、隕石全体の中でも35〜40%を占めているため、多く見つかる隕石だといえます。
 Lコンドライトは、ある程度の熱が加わった(熱変成作用を受けた)組織をもっていていますが、コンドリュールの組織が残っていることから、隕石できたときの組織が残っています。水などの揮発成分をあまり含んでいません。
 普通コンドライトは、熱変成作用を受けていますが、揮発性成分が含まれていませんので、太陽系でも太陽から離れた場が固化した可能性があります。ただし、揮発性成分はないので、熱変成で母天体形成時、もしくは形成後に抜けていく過程があったことになります。
 もうひとつの炭素質コンドライトの隕石に占める比率は、4.4%しかないので、かなり稀な種類となります。名前が示すように、炭素(C)を含んでいることが大きな特徴になります。他にも、有機物や水(H2O)などの揮発性成分を多く含んでいることから、母天体となった後、熱や圧力を受けることがなかったと考えられます。
 炭素質コンドライトにはCAI(Ca-Al-rich Inclusions CaとAlに富む包有物)とよばれる、白っぽい不定形のものがあります。CAIは高温で形成される鉱物からできており、太陽系を形成したガスが高温になったのち、最初に固体として凝縮した物質が含まれています。
 炭素質コンドライトは変成作用を受けることなく、炭素や有機物や太陽系でもっとも初期に固化した(始源的と呼ばれます)隕石です。炭素質コンドライトは、炭素、水、揮発成分、岩石、金属鉄など、現在の地球を形成するための成分がすべてそろっています。そのため、地球の材料ではないかとも考えられています。
 では、Lコンドライトと炭素質コンドライトの母天体を、どのようさぐったのか、次回としましょう。

・石ころの声・
隕石は、地球から見れば小さな石ころに過ぎません。
小さくても重要性を理解し、
それを読み取ることで、
石ころの声を聞くことができます。
小さな石ころは隕石だけでなく、
いろいろなところに、いろいろなものが
転がっています。
その声が聞こえれば、
もっと多くの声が聞こえ
地球の秘密が解き明かされることでしょう。
私たちは、まだまだ耳が聞こえてないようです。

・福岡山口の旅行・
福岡、山口の周辺に旅行にいきました。
長男が北九州に住んでいるので、
車を出してもらって、三人で
1泊2日の旅行を楽しみました。
これまではまったく訪れたことがないところで
行きたいところを楽しみました。
若い息子は、体力があるので、
あちこち盛りだくさんに
連れて行ってくれたのですが、
夫婦ともども少々疲れました。
特に妻が疲れているようなので
自宅でのんびりしてもらいましょう。

2025年11月13日木曜日

4_201 神戸:背後の山並みと眼前の海

 何度か神戸空港を利用したことがあるのですが、神戸の街は通り過ぎたことはあったのですが、散策するようなことはありませんでした。今回、時間をとって宿泊して、神戸を少し観光しました。


 京都に帰省したとき、行きは関西空港からでしたが、帰りは神戸空港から戻ることにしました。せっかくなので神戸の中心地、三ノ宮に宿泊することにしました。昼前について、神戸の街を歩くことにしました。まずは異人館を見ることにしました。ホテルの人に聞くと、近いところにあるけれど、坂道が厳しいとのことでした。循環バスがあるので、それを使うといいとアドバイスを受けました。駅前の停留所からバスでいくと、二停留所くらいの近さでしたが、さすがに坂道は厳しかったです。
 神戸の街は、南に海、北に六甲の山並みが迫っている狭い平地しかありません。六甲山地は、東側に高く(931m)、西に向かって低く(235m)なっていきますが、その間十数個の山頂をつなぐ、険しい山並みになっています。神戸の街からは見えませんが、六甲山地の後ろには山田川(志染川)を挟んで丹生(たんじょう)山地があります。神戸の北側には2つの山並みが並列しています。
 海側からみると、海岸沿いの低地、次に台地があり、その後ろには丘陵があり、さらに後ろには六甲山地の急斜面になります。これらの地形の違いは、地質を反映しています。
 丹生山地や六甲山地ができているのは、山側が上昇し、海側が沈降していることになります。100万年間に六甲山地側が100m隆起し、それにともなって海側は沈降したと考えられています。断層を境界にして、北側の上昇しているのですが、六甲山地の山並みを見ると、東の方がより高く上昇しています。100万年前の活動です。
 六甲山地は白亜紀の花崗岩(7500万年前)からできています。丘陵は、古第三紀の神戸層群(3500万年前)と呼ばれる地層からなります。神戸層群は、かつては淡水の大きな湖があり、「古神戸湖」と名づけられています。台地は、第四紀の大阪層群(200万年前から10数万年前)が分布しています。そして海側の低地に、もっとも新しい時代に堆積した地層(沖積層)からできています。その後、氷河期と間氷期の海面変動で、大阪層群に海岸段丘ができたと考えられます。
 六甲山地の斜面地に異人館がありました。三ノ宮の駅のある平地から登っていくのが、なかなか大変でした。循環バスを利用したので、アプローチは容易でした。異人館も多数あり、観光客が多く訪れていました。周辺には観光施設も多数あり、賑わっていました。
 異人館からの帰りは下りになっているので、歩いて帰ることしました。三ノ宮の繁華街について、商店街が広がっていました。知らない街を、久しぶりに、散策をしました。少々疲れましたが、知らない街を歩くは楽しいですね。

・初積雪・
わが町は、先週末に初雪となりました。
前日の午後から雨からミゾレ、
そしてアラレになり、夜には雪になりました。
翌朝には、積雪となっていました。
天気予報の通りでした。
前日に冬靴を用意していたので、
それを履いてきました。
ベチョベチョ雪でしたが、
いよいよ里も冬模様となってきました。
家の車は、先週のはじめに冬タイヤにしていたので
積雪に間にあいました。

・兵庫県南部地震・
1995年1月17日早朝に起こった兵庫県南部地震は
大きな被害がでて阪神・淡路大震災と呼ばれています
六甲・淡路島断層帯の活断層が運動でしたものです。
淡路島の野島断層のずれが
大きな揺れの原因となりました。
震度7が新設されて、
はじめて適用されたものでした。
それから30年以上がたちましたが、
三ノ宮の街は、そんな震災の影は感じませんでした。
もし機会があれば、
南京町やメリケン波止場なども
訪れたいですね。

2025年11月6日木曜日

4_200 伏見:地下水の恵み

 先日の帰省したとき、幼少の頃の思い出がある伏見を訪れました。伏見は造り酒屋で有名です。伏見で、なぜ酒造りが盛んになったか、地質学的理由があることを紹介していきましょう。


 10月下旬に帰省しとき、伏見を訪れました。幼い頃から馴染みがある町です。生まれた家から、もっとも近い「都会」だったので、親に連れられて、時々でかけていました。親にも伏見は、馴染みのある町でした。
 伏見は、京都盆地のやや南側に位置していて、南側にも盆地が続きます。北から流れてくる桂川、東から流れてくる宇治川、南から流れてくる木津川が合流して西に流れていく淀川になります。盆地の内に集まってきた河川を、西に流す地形に伏見があります。
 京都が盆地となっているのは、大きな地質学的な運動によるものです。フィリピン海プレートが沈み込んでいく時、ユーラシアプレートが推されて圧力がかかります。圧縮により、ユーラシアプレート側に断層が並行してできます。
 京都盆地では、西側には堅原断層や光明寺断層などの複数の西山断層帯ができ、東側には花折断層から桃山断層ができています。断層の外側が持ち上げられて、東と西側に南北に伸びる山並みができています。2つの山並みの間に、京都盆地ができています。断層運動は、第三紀末からはじまり、フィリピン海プレートが沈み込み中なので、現在も継続中です。大きな地質学的変動による断層でできたものを、構造盆地といいます。
 山地から流れる河川が盆地に入り込んで、水がたまり、湖ができます。京都では、この湖は「古琵琶湖」と呼ばれています。堆積物の分布から、現在の伊賀あたりにできてから、拡大と縮小を繰り返しながら北上し、京都盆地を形成して、現在の琵琶湖まで移動しました。これは、構造盆地の位置が、時間経過とともに移動していったことになります。
 盆地には、周辺に山並みあり、多数の河川が流れてくるため、堆積物がたまっていきます。200万年前にたまった地層は、大阪層群と呼ばれています。多くは淡水でたまったものなのですが、一部に海成の地層があることから、海が入ってきたことがわかっています。
 盆地の中で河川が集まっているところが伏見に当たり、地下水が豊富にでるところです。また、京都盆地の東の桃山や東山などの山地は、花崗岩からできています。花崗岩にはカリウムやカルシウムなどを多く含み、地下水にはそれらの成分が溶け込み中硬水となり、酒造りに適したものになります。伏見は、地質学的背景から酒造りに適した水が大量に手に入るため、醸造業に適した地となっていました。
 伏見は、稲荷神社だけでなく、造り酒屋が非常に有名で、観光客も多くきています。駅近くにある商店街は、地元の人を中心で賑わっていましたが、のんびりと散策できました。観光地から少し離れているので、思ったより観光客が少ないようです。ある店に入っておばさんと話していたら、造り酒屋への通り道でもあるので、それなりには外国人観光客も多数きているのとのことでした。

・幼少の思い出・
伏見には幼い頃の思い出あります。
父に連れられて訪れたのが伏見でした。
冬場、伏見で住み込みで働いていました。
父には、伏見には馴染みがり、
小さい私を連れて行ってくてのでしょう。
もうひとつは、叔母が伏見に暮らしていました。
そこに何度か訪れた記憶があります。
そんな古い記憶から、伏見を懐かしく思えます。

・紅葉・
北海道は秋が深まっています。
紅葉もだいぶ進み、もうそろそろ終わりそうです。
先日の爆弾低気圧で、
紅葉した葉がかなり散ってしまいました。
でも木によってまだ紅葉は残っています。
紅葉が残っているうち、
見どころに見にいこうと考えています。

2025年10月30日木曜日

5_213 隕石の由来 2:コンドライト

 隕石が由来した母天体がわかっているのは、これまでほんのわずかです。それも、限られた天体から由来した特別な隕石だけです。今回、もっとも普通に見つかる隕石の由来が明らかにされました。


 前回、隕石の母天体を探るのが困難な理由をいくつか紹介しました。それでも、由来が判明した母天体がいくつかります。ただし3種だけで、隕石全体に占める比率は6.0%にすぎません。
 3種とは、月に由来する月隕石、火星に由来する火星隕石、そして小惑星ベスタ(Vesta 4番目に見つかった小惑星)に由来します。
 ベスタ由来の隕石は、ホワルダイト(Howardite)、ユークライト(Eucrite)、ダイオジェナイト(Diogenite)3つに細分され、その頭文字HED隕石と呼ばれています。ホワルダイトは、天体の表層に分布していた衝突で壊された破片(レゴリス)からなる堆積岩、ユークライトは、地殻を構成していた玄武岩質溶岩が固まった岩石、ダイオジェナイトは、粗粒の鉱物(かんらん石や輝石)からなるカンラン岩で、下部地殻か上部マントルを構成していたと考えられます。HED隕石は、ベスタの天体の多様なところを構成していた岩石であることを意味しています。
 由来のわかっている隕石は、いずれもエイコンドライトに大別されているものです。惑星が形成された後に、化学的に大きく分化(核、マントル、地殻など)したり、火成作用が起こったり、変成作用を受けたりしてできた岩石です。
 今回、大量の隕石の由来した母天体がわかったという報告が出されました。ブロズ(Brož、チェコ共和国カレル大学)、マーセット(Marsset、ESO ヨーロッパ南天天文台)、ヴェルナッツァ(Vernazza、CNRS フランス国立科学研究センター)らを中心とした国際共同研究のチームから、一連の論文が、2024年に報告されました。
 Nature誌に
Young asteroid families as the primary source of meteorites
(隕石の始源的起源としての若い小惑星)

The Massalia asteroid family as the origin of ordinary L chondrites
(Lコンドライトの起源としてのマッサリア小惑星)
の2編が、またAstronomy & Astrophysics誌に
Source regions of carbonaceous meteorites and near-Earth objects
(炭素質隕石の起源領域と地球近傍天体)
という論文が報告されました。
 これらの論文のタイトルには、炭素質コンドライトとLコンドライトとの2種の隕石が示されています。いずれもエイコンドライトとは異なったコンドライトに分類されるものです。
 コンドライトとは、コンドリュールという組織をもったタイプです。コンドリュールは顆粒とも呼ばれ、球状の粒のことで、それが集まったものがコンドライトです。コンドライト中では、組成や構成鉱物が異なった多様なコンドリュールが見られる、不思議な組織です。丸いコンドリュールは、無重力状態では液体は球状になります。地球のような重力が存在する場では決してできないつくりです。無重力の宇宙空間で液体のマグマが冷えて固化したものがコンドリュールとなり、それが集まったものがコンドライトとなります。
 今回の報告では、2種のコンドライトの由来ですが、いずれも重要な意味をもったものです。その意味は、次回としましょう。

・帰省・
先週、帰省しました。
京都に2泊、神戸に1泊しました。
出かける前までは
関西は暑い日が続くというニュースがありました。
暑いので心配していました。
ところがでかける少し前から、
涼しくなって来たというニュースが流れました。
実際にも暑くはなく、
暑さでバテないですみました。
今回、神戸に一泊して、
はじめて神戸を散策しました。
山側の観光地は歩くのが大変で
かなりくたびれましたが楽しめました。

・初冬のよう・
北海道では、毎日ストーブをたくほど
寒い日が続いています。
旅行で、4日間、留守にしていましたが、
家全体が冷え切っていました。
強くストーブをたいても
なかなか温まらず、
寝るまで寒い思いをしました。
この寒さは、まるで初冬のようです。
里から見える山並みにも
何度か冠雪がありました。
紅葉も一気に深まりました。
今年の秋は短かそうです。