2025年7月10日木曜日

4_196 螺湾のフキ:いつもとは少し違って

 足寄町は、大雪山の西から阿寒の南側の山岳地帯から十勝平野の直前までの山間にある町です。阿寒から足寄に町に向かう道が好きでよく通るルートとなっています。今回はその途中の螺湾(らわん)に目的地がありました。


 6月下旬、自家用車で知床から阿寒を通り足寄に走り抜けました。何度かきているオンネトー(アイヌ語で老いた沼という意味)を見学した後、今回は、道道664号を通り抜けるのをひとつの目的としてました。以前にもこのルートを進もうとしたのですが、砂利道だったのと、天気が悪かったので敬遠しました。しかし、今シーズンは新しい夏タイヤに替えたので、砂利道も気にせず通りました。
 奥地にある牧草地まで降りてくると、道道は舗装されており、快適に走ることができました。このルートを選んだのは、この時期ラワンブキがまだ生えているはずだったからでした。
 以前にも国道241号から螺湾(らわん)付近に来て、少し道道を入ったことはあるのですが、時期が遅かったのと、国道からかなり奥に入らなければ見れないようなので、諦めたことがありました。
 今回、自生しているラワンブキの観賞用の圃場(ほじょう)があり、そこでみることができました。
 日本には、普通にみかけるフキとアキタブキ(オオブキ)の2種があり、よく見かけ、食用にされているのはフキの方です。ラワンブキは、アキタブキの同種と考えられているそうですが、この地域にだけ、なぜか巨大に成長しています。地名からラワンブキと呼ばれて名産になっています。高さは2mから3mと人の身長を有に超え、葉の直径も1mほどにもなるそうです。かつては、高さ4m、葉の径も2mに達したものもあったとのことでした。大きなラワンブキは写真では見たことがあったのですが、実物は見たことがありませんので、見たいと思っていました。
 自生している圃場には多数のラワンブキが生えていたのですが、時期的は少し遅かったようで葉が少し枯ればじめていたのが残念でした。また、ラワンブキはそれほど大きいものはありませんでした。調べると、ここはもともとは自生地だったのですが、2016(平成28)年の台風で螺湾川が氾濫し、自生地が大きな被害を受けたそうです。自然回復が見込めないようなので、復旧したとのことです。同じ種でも、環境によって大きくなっているのでしょうが、そこまで大きくなっていないようです。他の場所は見なかったので、大きいのがあるのでしょうが、今回は諦めました。

・はじめてのルートで・
オンネトーはもっと深い山の中にあり
神秘的な湖になっています。
道は狭いですが整備されているため
観光客がよく訪れています。
ただし、そこより先の道道に進む車は
ほとんどないようです。
道道を走っていて、人家のあるところまで
一台もすれ違うこともありませんでした。
まさに秘境です。
今回はじめて通り抜けました。
こんなところに来ると、
野外調査をしていたときのような
ホッとした気分になります。
いつものルートですが、
いつもと少し違った目的もって
訪れるのもいいですね。

・いつものルートで・
知床から足寄に向かう途中、
阿寒にいきました。
これまで、何度も訪れてきたおなじみのルートとなリます。
定宿もあるので、そこに泊まりました。
阿寒では、火山と森の散策をして、
遊覧船でマリモを見学するというルートを
いつものように巡りました。
阿寒湖は釧路市に属していますが、
近くのオンネトーは足寄町になります。
峠のあたりが境界となっています。
足寄町に下る山地を通るルートは、
何度も来ているところです。
町に下りてきたときは、
道の駅で毎回休憩で寄ります。
博物館もあり、久しぶりに訪れました。

2025年7月3日木曜日

4_195 知床の旅:シャチを見る

 夏の知床にいきました。今回は、羅臼の海でシャチをみるためのクルージングに参加することが目的でした。妻の希望でしたが、非常に満足できる結果となりました。


 先週、4泊5日の旅に出ました。今回も妻のリクエストを入れてあります。妻が大好きなシャチを見ることです。知床半島の東側にある国後島との間にある根室海峡には春から夏にかえてシャチが多数群れているを見ることができます。羅臼の港から、クルージングでチャチの見学ができます。一番見やすいといわれている時期に出かけることにしました。中型で小回りが効き、船足が一番速い船でのクルージングにしまた。午後の便を申し込んでいました。あとは当日の天気とシャチ次第でした。
 当日、快晴の上、海の凪の状態で、絶好のコンディションでした。予約者が集まり次第出発するこのことでしたが、予定より30分速く出港することができました。何度も同船されているアマチュアカメラが2名おられ、午前中にも間近でたくさん見れたとのことで期待できました。
 他の船より1時間近く出港し、スピードも早かったので、すぐにシャチの群れが見つかり、接近することができました。船の周りを10頭以上の群れがいました。船の下をくぐり抜けたり、間近で見ることができました。他の船が来る頃には、もうたっぷりと観察をすることができました。
 写真もたくさん撮影しましたが、妻のカメラでも私のでも、大接近したシャチや、シャチの大群、知床連山を背景にしたシャチなどが、きれいに撮れていました。満足できる成果となりました。下船後は、羅臼で妻のお気に入りのシャチグッズの専門店にいきました。今回も妻はシャチの土産を買っていました。
 本来なら羅臼に宿泊するのが、地の利として一番いいのですが、知床ではウトロに定宿にしているホテルがあります。そこには、妻の大好きなエゾモモンガの写真をとるアマチュアカメラマンが働いていて、写真がホテルに展示されています。昨年本人から大きなパネルの写真をお願いして購入していました。しかし、残念ながら、今年はやめられたそうです。もう新しいエゾモモンガの写真は増えそうにありません。
 クルージング中には羅臼から沖に向かうので、国後島に向かっていくことになります。GPSの軌跡を見ると、沖に7、8km程度しか出ていないので、国境を越えることはないのですが、国後を間近に見ることができました。知床のポピュラーな観光地には出かけませんでしたが、満足のできる知床の旅となりました。

・混雑・
今回は、4泊したのですが、
どのホテルも満室に近く驚きました。
春の花の最盛期は過ぎて、
夏の花としても少々早めでした。
端境期になり観光客も少ないと思っていたのですが、
修学旅行と外国のツアー客が多い時期のようで
いずこのホテルも満室に近かったです。
ホテルも観光地も人の多さは、
避けることができませんでした。
マイナーなところや時間をずらして
行動するようにしていました。
比較的混雑は避けることはできました。
時間がたっぷり取れる旅だから
できたことでしょうね。

・鳴き砂・
知床に向かう途中にいつも寄る
小清水原生花園にいきました。
天気はよく、暑い日でした。
花はエゾスカシユリ、エゾキスゲくらいだけが
かろうじて咲いていました。
鳴き砂の海岸を歩いてみたのですが、
やはり鳴りませんでした。
ガイドの人がいたので聞いたら
かなりきれいに洗ったら鳴るとのことでした。
海の汚れのせいだと言っていました。
どこの海でも起こっている汚染です。

2025年6月26日木曜日

4_194 沖縄北山の旅 2:アスムイハイクス

 北の石灰岩地帯を訪れました。石灰岩の山自体は昔と同じでしたが、その周辺施設や道、そして博物館も整備されていました。しかし、なんといっても、一番の見ものは石灰岩のカルスト、そしてガジュマルの木でした。


 今回の沖縄で訪れたかったのは、前回紹介した「今帰仁」と、以前にも訪れたことのある「アスムイハイクス」でした。これは、以前「大石林山」と呼ばれていたところがが、2024年12月にリニューアルされ、改名されたものです。
 琉球開闢の神である阿摩美久(あまみく)が降り立った聖地が、安須森(あすむい)となります。沖縄最古の歴史書となる「中山世鑑」の琉球開闢之事として、
「昔、天にアマミクと云う神 御座しけり
先づ一番に 国頭、辺戸の安須森作りてけり」
とあるそうで、それがこの地なるということです。
 この安須森の森には、祈りのための拝所が多数あり、現在も利用されているそうです。そんな聖地の森、アスムイを歩いて見てまわれるようニ、ルートがハイクスとして整備されています。
 駐車場のある博物館からは、聖地のあるアスムイまでは、バスでのピストンでの移動になります。森の中のコースもよく整備されていました。車椅子でも周れるコース、短いのコース、長いコースが選択できました。もちろん、長いコースを夫婦で歩きました。
 アプリをダンロードすれば、ポイントごとに、解説も聞けるので、案内者がいなくても、セルフガイドで楽しむことができました。このアプリは全国の博物館施設で利用できるものでした。他を回るときも使ってみたいですね。
 訪れたのは暑い日でしたが、人も少なく、のんびりと見て回ることができました。時期的に少ない上に、聞くと沖縄でももっとも北に位置しているため、訪れる観光客も少いのだそうです。
 帰りもバスが使えるのですが、歩いて回るガジュマルロードがあり、多数のガジュマルやソテツなどの熱帯の植物など、多数の見どころがあるので、歩いて帰ることにしました。以前にも、バスで上がり、帰りは歩いて帰りましたが、道がきれいに整備されているので、時間を忘れて降りてくることができました。
 この地域には、石灰岩がカルスト地形として露出しています。辺戸(へど)の岬の周辺にも石灰岩のカルストがあります。海岸の石灰岩地帯もなかなか見ごたえがありました。
 沖縄には「琉球石灰岩」呼ばれているものが、広く(地表の3分の1ほど)をを占めています。その石灰岩は第四紀更新世(130万年前から7万年前)の新しいもので、空隙も多く柔らかいものです。ところが、もっと古い時代(二畳紀後期、2億8000万から2億2500万年前)のものがあります。北部の辺戸岬周辺と今帰仁城があった本部半島に分布しています。古いので固い岩石となって降り、、今帰仁城の石垣に使われていました。
 沖縄石の文化博物館も新しく整備されていました。二階にはレストランもあり、一階がショップと、岩石も多数展示されている博物館になっていました。少々蒸し暑かったのですが、晴れていたので、じっくり見て回ることでできました。

・自分との付き合い方・
高齢になったためでしょうか、
いろいろ行動に制限が出てきました。
多数の場所を巡ったり、
夜の行事への参加は、辛くなりました。
早朝型の生活をしているのと
体力の低下のためでしょう。
若いときは、時間と体力があったのですが、
お金がありませんでした。
働き出すと、お金と体力はあるのですが、
時間がありませんでした。
歳を取ると、時間もお金もありますが、
体力がありません。
そんな自分の置かれた条件と状態を受け入れて、
無理をしないで、体を壊さないように
付き合っていくしかありませんね。

・ガラス細工・
名護の周辺も半日訪れたました。
名護では、妻のリクエストしていた
ガラス工芸の店にいきました。
子どもがつくったガラスのグラスを
割ってしまったので
自分で作りたいといっていたので探しました。
ガラス工芸店を見つけて訪れたところ
それは、以前、家族で訪れて
子どもたちがガラスをつくった店でした。
一番いいタイプのグラスを選んで
妻が自作に挑んで、無事自宅に配送されてきました。
他にもグラスやガラスの加工品なども購入しました。

2025年6月19日木曜日

4_193 沖縄北山の旅 1:北山王国

 沖縄北部へ旅をしました。本部(もとぶ)に6日間滞在して、北山王国の各地を巡りました。移動日もあるので、正味4日間の旅となりました。久ぶりの旅のシリーズを紹介します。


 5月末から6月初頭にかけて、沖縄に観光旅行にいってきました。久しぶりの沖縄となります。子どもが小さい時、2004年と2007年に家族で出かけました。冬から春で、子どもや私の休みの都合に合わせていました。
 今回の沖縄は、梅雨時期の訪問となりました。幸いなことに、初日は激しい雨となりましたが、晴れの日も多く、雨で困ることはありませんでした。
 もともと、梅雨の時期で訪問者が少なく、なおかつ北部はさらに訪問者が少なくなります。そんな人があまり訪れないところを回りました。以前にいったところへの再訪が多かったのですが、初めて訪れるところもありました。
 今帰仁城は、初めてでした。世界遺産にもなって降り、施設も整っていました。沖縄の歴史についても解説を読んで、少々学びました。
 シリーズタイトルの北山(ほくざん)とは、沖縄本島の14世紀ころの時代区分です。当時の古代琉球は3つの王国に分かれていました。南部の南山(山南)、中部の中山、北部の北山(山北)の時代が、100年ほど続きました。北山王国は、恩納村より北側に位置し、本島の北半分を占めていた大きな王国でした。北山王国は、現在の国頭(くにがみ)地方が中心となリ、今帰仁城(なきじんくす)を居城としていました。
 その後、中山が力を増していき、1416年に北山を、1429年に南山を滅ぼし、琉球を統一しました。北山は、中山に滅ぼされ以降、今帰仁城は北山監守が置かれていましたが、17世紀には廃止されました。それ以降、城としての機能をもつことはなかったようです。
 今帰仁城は、これまで訪れたことがなかったので、じっくり見たいと思っていました。城は、景色のいい、山の尾根筋に位置していました。尾根の脇を川が流れているのですが、山の上から川まで汲みにいってたそうです。戦いがはじまったら、水の確保は難しかったのでしょうね。天守の跡だけはありましたが、思っていたより狭かったです。石垣が残っており、往時の姿を想像させていました。
 今帰仁城では、幸い観光客も少なかったので、私たち夫婦だけのためにボランティアの人が案内をしてくれました。2時間以上もたっぷり時間かけて、城内を案内してくださいました。城内を案内で巡ったあとは、博物館もあったので、その中もじっくり見ました。朝一番から半日たっぷりとかけて、今帰仁城にて過ごすことができました。

・ゆったりと・
沖縄では、いくつ訪問する地は決めていましたが、
あまり厳密にスケジュールは決めずに、
天気を見ながら漠然と決めることにしていました。
空港からレンタカーを借りていたので
自由に見て回ることができるので、
ゆったりとした旅程で進めました。
初日は、那覇空港から本部へ直行し、
最終日は、ホテルから那覇空港へ直行しました。
もともと、人の多そうな中・南部は素通りの予定でした。
3日目は天気がよさそうなので、
今回、紹介した今帰仁を訪れました。

・海洋公園は2度・
妻の一番の目的地は、美ら海水族館でした。
2日目に訪れ、5日目にも海洋公園に半日いました。
この日程は正解でした。
5日目、午前中は名護にいったのですが、
時々雨も降る蒸し暑い日で少々バテていました。
そこで、海洋公園の施設で海洋文化館にいきました。
そこにはプラネタリュームがあり、
3つのプログラムの映像を
すべて見ながら過ごせました。
人も少なく、のんびりした見学することができました。

2025年6月12日木曜日

1_235 スノーボールアースの開始 8:ガス放出の低下

 スターチアン氷河期の開始と終了が、二酸化炭素の増減との関係がシミュレーションされました。二酸化炭素の供給源としては、中央海嶺で起こる火山活動が考えられました。


 フーさんたちの「衝突誘導」は、証拠不十分なので、可能性は低いようです。一方、ドゥトキェヴィチさんたちの研究は、地質的な記録から、大陸移動のモデルを作成しました。
 このモデルでは、気温変化と関係すると考えられる要因として、超大陸ロディニアの分裂、大陸と海の配置、海洋盆地の年齢、海洋底の深さ、海水準の変動、中央海嶺の火山活動による二酸化炭素の供給程度などを想定しています。それらの要因をもとに、全地球のプレートテクトニクスでシミュレーションをしています。テクトニクスの影響を定量化して、スターチアン氷河期の開始を考えています。
 シミュレーションでは、大きく2つのモデルを作成して検討しています。両モデルでは、大陸の沈み込み帯の長さは、スターチアン氷河期のはじまりから終わりま一定のままでした。そのため、スターチアン氷河期への沈み込みの関与はなさそうです。
 2つのモデルは、中央海嶺での二酸化酸素の放出のタイミングと程度が異なっています。この違いが大きいようです。
 1つ目のモデルは、中央海嶺での二酸化酸素の放出が多く、海洋盆地の体積が小さくなるため、温室効果が大きく、白亜紀後期より温かい状態だと予測されました。これの条件では、大規模な氷河期へとはなりません。
 2つ目のモデルでは、中央海嶺での二酸化酸素の放出が少なく、海洋盆地の体積が大きく、低い海面となっていました。中央海嶺からの二酸化炭素の放出量が少なくなったため(9Mt/年)、スターチアン氷河期の契機となると考えられました。
 スターチアン氷河期の終了は、氷河期の状態が継続することで、大気中の二酸化炭素が徐々にですが蓄積していきます。ロディニアの分裂に伴う激しい火山活動(フランクリン大規模火成岩区と呼ばれています)も加わることで、二酸化炭素も供給されていきます。
 そこに、ケイ酸塩の風化の減少の組み合わせがあったと考えられます。ケイ酸塩鉱物が水中や大気中で風化するとき、二酸化炭素と反応して炭酸塩として固定されていきます。ケイ酸塩の風化が減少すると、大気中の二酸化炭素の消費量が減り、溜まりやすくなります。
 これまでも、スターチアン氷河期の契機も終了も、二酸化炭素が重要な要因であるとは予測されていました。しかし、シミュレーションによって、氷河期への契機は、温暖化のための二酸化炭素の供給の低下で、氷河期の終了は、大気中への二酸化炭素の蓄積によるものと、示されてことになります。二酸化炭素の由来が、定量的な可能性が示されたことになりました。
 スノーボールアースに関しては、いろいろな研究が進められていますが、まだまだ可能性の追求の段階にあるようです。

・初夏から夏へ・
北海道は初夏から夏になってきました。
朝、歩いてくるときには、
春から聞こえているヒバリの鳴き声に加えて
カッコーの鳴き声が加わりました。
昼間にはエゾハルゼミが騒がしく鳴きます。
5月のライラックまつりから
6月はじめのYOSAKOIへと移りました。
我が大学のチームも入賞していました。
YOSAKOIが終わると、
北海道もいよいよ夏になります。

・沖縄へ・
先週まで、沖縄に行っていました。
同じホテルで5泊7日の短期滞在しました。
沖縄は梅雨で、旅行者が比較的少ないはずなので
この時期を選びました。
到着した日は、激しい雨で、
帰る前日からは蒸し暑くなりました。
しかし、この時期には珍しく
滞在中は、爽やかな日々となっていました。
天気に恵まれて
旅行を楽しむことができました。

2025年6月5日木曜日

1_234 スノーボールアースの開始 7:衝突が契機の可能性

 全球凍結への契機には、大陸配置は重要でした。しかし、それだけでは充分んではなさそうです。他にも2つの契機の可能性が指摘されてきました。最新の研究成果を紹介してきましょう。


 全球凍結へは、ロディニア超大陸の存在とその分布位置、そして分裂の開始という地質学的条件がそろったためだと前回紹介しました。温かい地域でのひとつの超大陸と、赤道から極地までつながって広がっているひとつの海となっている状態が、全球凍結に向かう必要条件でした。しかし、それだけで全球凍結には至らないようです。十分条件として、なんらかの契機が必要になりそうです。
 前回は、超大陸の分裂によって、多数の河川の形成や、海岸線の増加によって、大気中の二酸化炭素が消費されるという十分条件を示しました。しかし、それが本当に全球凍結の契機だったのでしょうか。その根拠は、必ずしも明瞭ではありませんでした。
 契機の可能性を新たに指摘する論文が、2024年に相次いで報告されました。2024年2月のScience Advance誌に、フー(Fu)さんたちの共同研究による
Impact-induced initiation of Snowball Earth: A model study
(スノーボールアースの衝突誘導による開始:モデルによる研究)
そして、2024年2月のGeology誌にドゥトキェヴィチ(Dutkiewicz)さんたちの共同研究による
Duration of Sturtian “Snowball Earth” glaciation linked to exceptionally low mid-ocean ridge outgassing
(例外的に低い中央海嶺のガス放出と関連したスターティアン「スノーボールアース」氷河期の期間)
という論文が報告されました。
 いずれも、全球凍結への契機として、これまでにない、隕石の衝突と中央海嶺のガス放出の低下という可能性を考えたものでした。
 まずは、フーさんたちの「衝突誘導」とは、シミュレーションによる研究で、天体の衝突を契機に、全球凍結がはじまったという説を紹介しましょう。
 白亜紀の大絶滅を起こした小天体の衝突で、「衝突の冬」と呼ばれる一時的に寒冷化が起こり、その結果、大絶滅が起こりました。もし白亜期末のような天体衝突が原生代末期に起こったとしたら、どうなるのかをシミュレーションした研究です。
 衝突により、成層圏に硫酸塩エアロゾルが舞い上がるという条件で、その濃度をいろいろと変えてシミュレーションをしていきました。その結果、衝突時が、暖かい時期であれば全球凍結には至りませんが、寒冷化がおこっていたら、衝突を契機に全球凍結になることを示しました。
 ただし、これは可能性の指摘にすぎず、衝突の痕跡は、まだ見つかっていません。それも2度も続けておこったという証拠もありません。ですから、可能性としての説に過ぎません。
 ドゥトキェヴィチさんの説は次回としましょう。

・可能性・
可能性を指摘することは、重要です。
もしシミュレーションの結果、
可能性がないのであれば、
その条件では全球凍結は
起こっていないということになります。
ただし、一般に、可能性がないという結果を
論文として報告することはないでしょう。
ですから、今回は起こる可能性がでてきたので
論文となったのです。
しかし、根拠が示せないのは残念ですね。

・遠隔授業・
今回、長期に不在にしていました。
その間の講義は、遠隔授業としました。
コロナ禍による遠隔授業の経験が活きています。
以前なら不在のため休講としていた場合でも
遠隔授業として講義を実施することができます。
今回の講義に関しては、課題を提示して
それを提出することで
評価に加えていくことにしました。

2025年5月29日木曜日

1_233 スノーボールアースの開始 6:従来の説

 全球凍結からの回復は、火山活動によって大気中に二酸化炭素が蓄積され、その温室効果によると考えられます。全球凍結からは、必然的に回復できることがわかってきました。では、全球凍結への契機は、なんでしょうか。


 シミュレーションでは安定した状態であった全球凍結から、火山による大気中の二酸化炭素の蓄積によって、温暖化が起こりました。それは、必然的に起こる現象だったので、全球凍結からは必ず戻れることが示されました。では、どのような契機によって、全球凍結がはじまるのでしょうか。
 いくつかの要因が組み合わさって起こったと考えられてきました。一番の要因は、超大陸の存在です。
 原生代の11億年前には、大陸がほとんど一箇所に集まっており、超大陸(ロディニア超大陸と呼ばれていました)と呼ばれる状態になっていました。ロディニア超大陸は、赤道から南北に伸びる形で分布していました。大陸が一箇所に集まっていたため、海洋(パンサラッサ海と呼ばれていました)も一つだけになっています。そのような海と陸の配置は、海が一気に、そして全面的に、凍ってしまう状態でした。
 例えば、現在の海と陸の配置は、全球凍結になりにくい状態です。北極には海があるのですが、周辺は陸地に囲まれています。そのため、北極海が凍ったとしても、その凍結領域が外側に進出しにくい状態になっています。また、南極には大陸があり、現在も大半が氷に覆われていますが、陸にある氷床なので、夏には、周りの溶けてない海があり、氷と海が切り離されます。大陸が分散してるため、海が太平洋、大西洋、インド洋などに分かれています。海洋全体が北半球と同時に南半球も凍りつくことは難しくなります。ですから、ここ数百万年の間に、何度も氷河期が繰り返されていますが、全球凍結には進んでいません。
 全球凍結の直前、ロディニア超大陸は、原生代末の8億2500万年前から7億5000万年前にかけて、分裂をはじめていました。温かい地域に広がる大陸では降雨量も多く、陸地での風化作用が進んでいたところに、分裂によって河川や海岸線が広がり、さらに風化が進んでいきます。風化の結果、大気中の二酸化炭素が大量に消費され、温室効果も減っていきます。
 大陸は分裂していきますが、分布状態が超大陸の配置のままで、海がひとつで北極も南極にも海が広がっていました。極地で海が凍りだしすと、海全体が凍っていきます(負のフィードバックといいます)。いったんすべての海が凍ってしまうと、海を温めるための太陽エネルギーが海面で反射され(アルベドも一気に大きくなっていきます)、地球全体が短期間に寒冷化(暴走冷却)が進み、全球凍結に至ります。
 海が凍ると、水蒸気ができず、雲もできず、大気を通じた水の循環も停止し、大陸は干からびていきます。全球凍結のまま、地球全体は安定状態になります。
 以上のように、全球凍結になるためには、地球表層で地質学的特別な状態があったためだと考えられていきました。それだけでなく、新しい可能性があるという報告が2つ相次いで出されました。それは次回としましょう。

・夫婦で旅行・
今日から、夫婦で旅行に出かけます。
このエッセイも予約配信です。
退職後、校務や研究ではなく
のんびりと旅行を楽しみたいと思っています。
5泊6日間となりますが
ひとつの宿でレンタカーで
うろうろとしようかと思っています。
ただし、どこに行こうかなど決めずに
現地で、行き当たりばったりで
その日の行動を考えようと思っています。
こんな旅もいいのではないでしょうか。

・初夏のいい季節・
北海道は初夏のいい季節なりました。
朝、通勤している時、
快晴の抜けるように青空は
非常に心地よい思いで歩けます。
カッコウやヒバリの鳴き声も聞こえてきます。
初夏の花々も咲き出したました。
あちこち行楽にいきたくなります。
先日は中島公園とライラックまつりに出かけました。
平日だったのですが
海外からの人や高齢者の人も多かったです。
いい季節になったので、
行楽地はいつも混んでいますね。