前回は関門海峡の地形の特徴を紹介ました。その地形は、狭く変な形状の海峡でした。なぜこのような狭く、曲がった形の海峡ができたのかを、地質学的背景を紹介してきましょう。
日本列島は、大陸の縁にありました。そして中国地方と九州地方も、地質学的には連続した地層が分布しています。古生代末から中生代初期には、大陸の縁に、海洋プレートが沈み込みこんで、大陸棚の堆積物、海山や海洋島の岩石や、その周辺の石灰岩、海洋地殻などが、陸に付け加わった地質体(付加体)からできています。
中生代のジュラ紀から白亜紀には、浅海や河川の堆積物(関門層群)ができ、後期白亜紀には火成活動が盛んになり深成岩類も形成されます。新生代古第三紀から新第三紀(漸新世〜中新世)には、日本列島が大陸から切り離されていきます。その時、激しい火山活動が起こり、多様な火成岩類ができました。
大陸から分離して日本列島がができたころ、関門海峡はまだありませんでした。関門海峡は、白亜紀後期の花崗岩の分布域にできています。その花崗岩が削られているように見えます。
花崗岩は火成岩でも深成岩とよばれるものです。深成岩は、マグマが地下深いところでゆっくりと固まった岩石です。地質学的に上昇しているところでは、表層が常に侵食されていきます。長い時間が経過すると、深部にあった花崗岩も表層にでてくることがあります。花崗岩類は他の深成岩類と比べると、地表に露出すると、風化によって崩れやすい岩石です。花崗岩は、侵食されやすい上に、河川があると侵食が激しくなります(差別侵食)。
氷河期には、海水面が低かったので、海峡のある地域も、陸地になっていました。そこに大きな河川(古瀬戸内海川)ができ、花崗岩を差別侵食して深い谷となっていきました。
縄文時代になると、暖かくなってきます。海水面が上昇し、低地の谷に海水が入り込み、日本海と瀬戸内海がつながり、地質学的特徴を残した地形の海峡となってきました。
充実した旅行となりました。長男は住んでいるので、来年も、長男の運転で九州の北側を巡れればと思っています。
・門司にて・
門司は港レトロとして、明治の洋館、
そして現在も使われている門司駅などがあり
街全体が博物館のようになっています。
関門海峡ミュージアムは門司側にある博物館です。
海峡や門司港に関する展示が充実していました。
そしてり驚いたのは、バナナに関することでした。
貿易港として栄え、バナナの輸入中継地となっていたそうです。
また、傷んだバナナを安く売りさばくために、
「バナナの叩き売り」がはじまったとのことでした。
バナナの関する商品もあり土産として買って帰りました。
・下関にて・
一日目は、門司の古い町並みと
下関の水族館、海響館を見ました。
長男は以前海響館を訪れているようですが、
リニューアル後は、行ったことがないというので
一緒に見学しました。
二日目は関門トンネルの中を人道を県境まで歩き、
海峡大橋などを見ました。
そして、下関の唐戸市場を見て回りました。