2023年5月11日木曜日

4_174 西予紀行 1:黒瀬川の地で

 西予市城川町にて、2度目のサバティカルを過ごしています。ふと思いついたのですが、現在滞在している西予やその周辺の様子を、月に一度ほどお送りすることにしました。5月になって思いついたのですが、4月にいったところを、一伸目としてお送りしましょう。

 2022年4月に四国西予ジオミュージアムが開館しました。その結果、もともとあった地質館が閉館してしまいました。地質館の建設や、運営に協力していたこともあり、30年来通っていたところです。
 城川でも、かなり奥まった地に地質館がありました。この地は、黒瀬川帯、あるいは黒瀬川構造帯と呼ばれるものに属する岩石類がでているため、地質学では有名な地となっています。この地を流れる黒瀬川、あるいは黒瀬川村にちなんで命名されています。他にも地層や岩石名にも、この地の地名が多数用いられています。
 さて、四国の東西を走る大断層である中央構造線(北側)と仏像構造線(南側)があります。その間には、秩父帯とよばれる地層が広く分布しています。黒瀬川帯は、秩父帯の中に、点々と分布しています。秩父帯は、海洋プレートの沈み込みによって形成される特徴的な地層群(付加体と呼ばれます)からできています。秩父帯が付加した時代は、北側(秩父帯北帯)はジュラ紀で、南側(秩父帯南帯)はジュラ紀から白亜紀前期となっています。
 黒瀬川帯が区別されるのは、秩父帯とは明らかに異なった性質もっているためです。黒瀬川帯にも、付加体の地層(長崎層群、野村層群相当層、窪川累層)がありますが、秩父帯のものより古い時代(古生代ペルム紀)のものです。また、中生代(ジュラ紀)の地層(宮成層群、土居層群、河内ヶ谷層群、嘉喜尾層群、成穂層)もありますが、大陸棚でできた地層で、形成場は形成機構が異なっています。
 なにより、黒瀬川帯の中には、黒瀬川構造帯と呼ばれる、さらに異質な岩石群があります。黒瀬川構造帯は、より古い大陸の岩石や大陸起源の砕屑岩類からできています。大陸起源の岩石にはいろいろな種類の岩石があり、火成岩(三滝火成岩類)、変成岩(寺野変成岩類)、堆積岩(岡成層群)が見つかっています。三滝火成岩類は4億4000万年前頃(オルドビス紀)の大陸の花崗岩類(少し斑レイ岩類)、寺野変成岩類は4億5000万年前頃(デボン紀)の大陸の片麻岩類、岡成層群は4億2000万年頃(シルル紀~デボン紀)に赤道付近で堆積した石灰岩や陸の酸性火山活動に由来する岩石です。
 このような黒瀬川帯の岩石の実態が、戦後すぐに調べられました。物資もまた不十分な時代に、地質学者が、のべ400日以上かけて、城川周辺(当時は黒瀬川村)で野外調査をしました。地元の人たちの協力もあったと、論文の謝辞には書かれています。
 黒瀬川流域は、日本の地質学で重要な役割を果たしてきました。だから地質館ができ、今では四国西予ジオパークに認定され、四国西予ジオミュージアムもできました。そんな地で2度目のサバティルを過ごしています。

・城川ロッジ・
今回のサバティカルには、家内も同伴しています。
夫婦で近隣を回ることにしています。
現在住んでいるのは、城川町土居ということろです。
先日、土居からほど近い、
窪野(くぼの)の小学校の跡地にある
城川ロッジのレストランでかけました。
土曜日にだけ営業しているところで
昼食をとりにでかけました。
このレストランは、もともとは城川ロッジという宿舎に
併設されたものでした。
宿舎には、なんども宿泊したことがあり
懐かしかったですが、
今では荒れていて、中を見ることもできませんでした。

・日本地質学の古戦場・
地質学で日本の地質史を学ばれた方は、
古い地層や古い岩石として、
黒瀬川帯、あるいは黒瀬川構造帯と呼ばれるものを
聞いたことがあると思います。
日本では「最古」の化石や岩石、地層がでることで
城川は有名な地でした。
日本でも古くから研究されてきたのですが、
詳細が明らかにされてきたのが
城川の黒瀬川流域の地だったのです。
日本の地質学の戦後すぐの古戦場ともいうべき地です。